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第十一章
第十一章 第三話
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西野家は文丸を跡継ぎとして届け出てあるが、もし今文丸が亡くなってしまった場合、まず文丸が死亡したという届出を出し、それが受理された後で次丸を跡継ぎにするという届出を出して許可が下りるという手順を踏む必要がある。
次丸を跡継ぎにするという届出を出す前に、西野家当主が落命したら断絶するかもしれないのだ。
次丸は養子ではなく実子だから大丈夫かもしれないが、次丸が亡くなるまでの間に跡継ぎが出来なければ同じである。
どれだけ身体が丈夫で若かったとしても流行病や事故で急死というのは珍しくない。
それで主家が潰れたら再仕官の口が無ければ浪人になるしかなくなる。
陪臣はそれくらい危うい立場なのだ。
弦之丞が花月の許婚として選んだのが花月が想いを寄せていた相手ではなく、出世の見込みがある従兄弟の方だったことを考えると陪臣では大身でも許してもらえるかどうか分からない。
特に西野家のように身内で揉めている家の家臣となれば尚更だ。
部屋住みのままでも嫁は貰えないのだが、仕官出来ても陪臣では花月を嫁に貰うのは難しいだろう。
かといって商家の婿養子でも無理だ。
ただの養子なら町人の方が裕福で生活に困ることはないし跡継ぎがいなくて家が断絶と言う心配もないので町人の養女に出すという形で花月の身分を町人にして嫁がせるという選択もあっただろうが婿養子では正式な嫁には出来ないのだから弦之丞が認めるわけがない。
どのみち花月は諦めるしかねぇだろうな……。
それは言われるまでもなく本人が一番良く分かっているだろうし、追い打ちを掛けるのもどうかと思ったので黙っていた。
それより先にやらなければならないことがある。
どうやら例の連判状は次丸派のもので間違いなさそうだから篠野に渡した方がいいだろう。
そう思って篠野に会いに行ったのだが警護の者に「篠野様はお忙しい」と言って追い払われてしまった。
直参の子である花月や信之介なら対応ももう少し違ったのだろうが光夜は牢人だから下に見られてしまうのだ。
光夜は仕方なく夷隅に稽古を付けてもらっている花月の元に戻った。
「来客、ですか」
文丸の稽古が終わり、花月と光夜が夷隅に稽古を付けてもらっている時、夷隅がさり気なく「明日は若様のご友人がお越しになるそうだ」と告げた。
文丸は楽しみにしているらしい。
同い年の友達と会って他愛のない話に興じれば立て続けに親しい奥女中を失って落ち込んでいる文丸の気も晴れるだろう。
他家との交流は当主や当主の跡継ぎの大事な務めでもあるから理由もなしに断るわけにはいかない。
しかし他所の家の家臣の身元までは調べていない。
大名の跡継ぎが警護なしでやってくるはずがないし、次期当主にもしものことがあったら大変だからそれなり人数の警護が随いてくるだろう。
今でさえ屋敷内に敵がいるのだ。
全く身元を調査していない者が大勢屋敷に入り込むとなるとかなり危険が増す事になる。
明日は警戒しておくようにと言うことだろう。
西野家からの帰り道、
「なぁ、あんた、町方に月代剃れって言われることねぇ?」
光夜が訊ねた。
髷を結うのは勿論、月代も伸ばしてはいけない事になっている。
月代を伸ばしている者は町方に捕まるのだ。
「あるわよ」
「そう言う時どうしてるんだ?」
「私は剃らなくていい理由が三つあるから」
「三つ?」
「まず、女でしょ」
そりゃそうだ……。
月代を剃らなければならないのは男だけだ。
花月は男の格好をしているが女であることを隠してはいない。
よく見れば喉仏がないのが分かる。
男だと思わせたいときは低い声で武士のような話し方をするが、それ以外では女言葉だし、声からして明らかに女だ。
「それから?」
「うちは旗本だから」
そうだった……。
旗本は町方の管轄ではない。
だから御用聞きなどは不良旗本に手を焼いているらしい。
「あと一つは?」
「武芸者」
悪戯っぽく笑いながら答えた。
「え……」
月代を剃らなければいけない決まりなのだが例外がいて、それが医師と武芸者である。
医師で剃らない場合は医師の髷を結う必要があるが武芸者は特に決まった髪型はない。
とは言え、金のない牢人ですら月代を剃るのは腕が立たない者がそう簡単に武芸者を名乗るわけにはいかないからだ。
武芸者を名乗って勝負を挑まれた挙げ句、敗北を喫したりしたら武士としての面目が立たない。
花月は〝武士〟じゃねぇけど……。
万が一負けたりしたら師匠の体面が潰れるんじゃねぇの?
翌日の午後、文丸は嬉しそうな表情をしていた。
ここしばらく愁いに沈んでいて、いかにも悄然としていると言う感じだったのだが久々に友人に会える事になって元気が出たのだろう。
花月と光夜、信之介も同席して友人を待っていた。
最初、花月は口実が思い付かなくて悩んでいたようだが、篠野が花月の事は「旗本の知り合いがいると何かと好都合だから友人に紹介してはどうか」、信之介の事は「若様と瓜二つの者がいると驚かせてはどうか」と文丸に進言してくれたらしい。
光夜は花月の付き添いである。
大名家の次期当主に紹介するほどの旗本の子なら使用人を連れていてもおかしくない。
文丸は浮かれた様子で友人の話をしていた。
不意に花月が庭に視線を向けた。
それを見て光夜も鳥の声がしなくなったことに気付いた。
周囲に複数の気配がする。
次丸を跡継ぎにするという届出を出す前に、西野家当主が落命したら断絶するかもしれないのだ。
次丸は養子ではなく実子だから大丈夫かもしれないが、次丸が亡くなるまでの間に跡継ぎが出来なければ同じである。
どれだけ身体が丈夫で若かったとしても流行病や事故で急死というのは珍しくない。
それで主家が潰れたら再仕官の口が無ければ浪人になるしかなくなる。
陪臣はそれくらい危うい立場なのだ。
弦之丞が花月の許婚として選んだのが花月が想いを寄せていた相手ではなく、出世の見込みがある従兄弟の方だったことを考えると陪臣では大身でも許してもらえるかどうか分からない。
特に西野家のように身内で揉めている家の家臣となれば尚更だ。
部屋住みのままでも嫁は貰えないのだが、仕官出来ても陪臣では花月を嫁に貰うのは難しいだろう。
かといって商家の婿養子でも無理だ。
ただの養子なら町人の方が裕福で生活に困ることはないし跡継ぎがいなくて家が断絶と言う心配もないので町人の養女に出すという形で花月の身分を町人にして嫁がせるという選択もあっただろうが婿養子では正式な嫁には出来ないのだから弦之丞が認めるわけがない。
どのみち花月は諦めるしかねぇだろうな……。
それは言われるまでもなく本人が一番良く分かっているだろうし、追い打ちを掛けるのもどうかと思ったので黙っていた。
それより先にやらなければならないことがある。
どうやら例の連判状は次丸派のもので間違いなさそうだから篠野に渡した方がいいだろう。
そう思って篠野に会いに行ったのだが警護の者に「篠野様はお忙しい」と言って追い払われてしまった。
直参の子である花月や信之介なら対応ももう少し違ったのだろうが光夜は牢人だから下に見られてしまうのだ。
光夜は仕方なく夷隅に稽古を付けてもらっている花月の元に戻った。
「来客、ですか」
文丸の稽古が終わり、花月と光夜が夷隅に稽古を付けてもらっている時、夷隅がさり気なく「明日は若様のご友人がお越しになるそうだ」と告げた。
文丸は楽しみにしているらしい。
同い年の友達と会って他愛のない話に興じれば立て続けに親しい奥女中を失って落ち込んでいる文丸の気も晴れるだろう。
他家との交流は当主や当主の跡継ぎの大事な務めでもあるから理由もなしに断るわけにはいかない。
しかし他所の家の家臣の身元までは調べていない。
大名の跡継ぎが警護なしでやってくるはずがないし、次期当主にもしものことがあったら大変だからそれなり人数の警護が随いてくるだろう。
今でさえ屋敷内に敵がいるのだ。
全く身元を調査していない者が大勢屋敷に入り込むとなるとかなり危険が増す事になる。
明日は警戒しておくようにと言うことだろう。
西野家からの帰り道、
「なぁ、あんた、町方に月代剃れって言われることねぇ?」
光夜が訊ねた。
髷を結うのは勿論、月代も伸ばしてはいけない事になっている。
月代を伸ばしている者は町方に捕まるのだ。
「あるわよ」
「そう言う時どうしてるんだ?」
「私は剃らなくていい理由が三つあるから」
「三つ?」
「まず、女でしょ」
そりゃそうだ……。
月代を剃らなければならないのは男だけだ。
花月は男の格好をしているが女であることを隠してはいない。
よく見れば喉仏がないのが分かる。
男だと思わせたいときは低い声で武士のような話し方をするが、それ以外では女言葉だし、声からして明らかに女だ。
「それから?」
「うちは旗本だから」
そうだった……。
旗本は町方の管轄ではない。
だから御用聞きなどは不良旗本に手を焼いているらしい。
「あと一つは?」
「武芸者」
悪戯っぽく笑いながら答えた。
「え……」
月代を剃らなければいけない決まりなのだが例外がいて、それが医師と武芸者である。
医師で剃らない場合は医師の髷を結う必要があるが武芸者は特に決まった髪型はない。
とは言え、金のない牢人ですら月代を剃るのは腕が立たない者がそう簡単に武芸者を名乗るわけにはいかないからだ。
武芸者を名乗って勝負を挑まれた挙げ句、敗北を喫したりしたら武士としての面目が立たない。
花月は〝武士〟じゃねぇけど……。
万が一負けたりしたら師匠の体面が潰れるんじゃねぇの?
翌日の午後、文丸は嬉しそうな表情をしていた。
ここしばらく愁いに沈んでいて、いかにも悄然としていると言う感じだったのだが久々に友人に会える事になって元気が出たのだろう。
花月と光夜、信之介も同席して友人を待っていた。
最初、花月は口実が思い付かなくて悩んでいたようだが、篠野が花月の事は「旗本の知り合いがいると何かと好都合だから友人に紹介してはどうか」、信之介の事は「若様と瓜二つの者がいると驚かせてはどうか」と文丸に進言してくれたらしい。
光夜は花月の付き添いである。
大名家の次期当主に紹介するほどの旗本の子なら使用人を連れていてもおかしくない。
文丸は浮かれた様子で友人の話をしていた。
不意に花月が庭に視線を向けた。
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周囲に複数の気配がする。
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