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第十章
第十章 第四話
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だからこそ稽古では痣が付くほど強く打つのだ。
真剣勝負の敗北は死を意味する。
躊躇ったら負ける。
迷えば痛い目を見ると思えば躊躇わなくなる。
剣を持つことを許すなら常に死の危険が付いて回るのだから花月を失いたくなければ戦いの最中に躊躇して負ける事のないようにさせるしかない。
とはいえ、やはり泰平の世でそこまで極端な考えが必要なのかとも思うのだが……。
たまに江戸の外で火付盗賊改が盗賊団を捕えてきた時などに読売が出るくらいだし、火盗改は加役――他の御役目との兼任である。
加役で済む程度だし強盗と火付けの取り締まりの両方を兼ねているくらいなのは強盗がそれほど多くないからだと思っていたのだが。
もしかして江戸の外はまだ乱世の時代並みに殺伐として危険なのか?
光夜は首を傾げた。
「お祖母様、お久しぶりです」
花月がお祖母様の向かいに座って頭を下げた。
「花月さん、いつまでそのような格好をしているつもりですか」
「そう仰られても剣を持てなければ警護は出来ません」
「あなたがする必要はありません! 何故弦之丞か宗祐が来ないのですか!」
お祖母様は苛立たしげに花月に小言を言い始めた。
なるほど……。
弦之介や宗祐の顔が見たくて強盗に託けて警護を頼んだのだ。
そういやお祖母様への届け物とかもいつも花月が来てるしな……。
再三の催促にこれ以上無視していたらお祖母様が家に押し掛けてきそうだと思ったから花月と光夜を寄こしたのだろう。
しかし師匠も若先生もそこまでして会いたくねぇのか……。
まぁ確かに説教はうるせぇけどな……。
二晩ほどお祖母様の家に泊まったあくる日、稽古が終わって文丸が学問のため部屋に戻ると明日は文丸が出掛けるから朝の稽古はないと告げられた。
以前から予定されていた所用らしい。
見舞いの時と違い、顔見知りがいるので信之介が代わりに行くことは出来ないそうだ。
「夷隅先生はいらっしゃらないのですか?」
「無論、儂も行く」
ただ、この前花月と光夜が遣ったように同じ方向に行く振りをして少し離れて随いていくとのことだった。
文丸の時だけ同行して影武者の時は行かないとなれば夷隅が居るかどうかで判別が付いてしまう。
前回の信之介の時、夷隅は屋敷に残って文丸の警護をしていたのだ。
文丸が屋敷に残っていることを知っていた者は一握りとは言え、万が一次丸派に気付かれた時の為に文丸が隠れている部屋の近くでもう一人の警護の者と稽古をしている振りをしながら襲撃に備えていたのである。
文丸は夷隅の近くだと悟られるのはマズいので、明日は部屋に籠もっている振りをして屋敷から抜け出すらしい。
警護の者達は全員文丸と同じ黒い羽織を着用する。
襲撃があった時、文丸が警護の武士の中に紛れるためである。
文丸を含め、全員が笠を被って同じ羽織を着ていたら誰が本物か分かり辛い。
特に信之介は、親しくしている光夜ですらすぐには分からなかったくらい似ているから襲撃者が文丸とかなり近しい者でない限り、どちらが本物か区別出来ないだろう。
「では私達も夷隅先生にお供致します」
「なら俺も同じ羽織借りて持ってった方が良いよな」
花月は長い髪を見れば一発で分かってしまうから傘や羽織を身に着けたところであまり意味はないが、光夜は同じ羽織を着れば紛らわしい者が一人増える。
光夜がそう言うと夷隅が光夜の分の羽織も自分の中間に持たせると言ってくれた。
夷隅は違う羽織を着て傘で顔を隠して随いていく。
警護と同じものを着ていては離れていても警護だと一目でバレてしまうからだ。
それなりの武士は中間を連れて歩くもので、御役目によっては中間の持っている箱に着替えが入っている。
急な臨場がある町方の与力などは、緊急の時に着用が必要な物を中間に持たせておいて、急いで駆け付けなければならなくなった時に中間から受け取って着るのである。
だから夷隅が中間を連れていても不自然ではない。
いざという時は中間から受け取った羽織を着て駆け付けるのだ。
花月と光夜は夷隅と翌日の打合せをした。
西野家からお祖母様の家に戻ると弦之丞から用があるので帰ってくるようにと言う使いが来たと告げられた。
「では明日は向こうに戻ります」
花月はお祖母様にそう答えた。
「なんで今日帰らねぇんだよ」
お祖母様のいる居間から離れたところで訊ねた。
「夕餉の用意してるなら今日帰ってくるように言ったはずよ。今夜は夕餉抜きで良いの?」
確かに急ぎの用はないのだろうが、たった二日で使いをよこしたのは早く花月に帰ってきて欲しいからではないのだろうか。
端からは素っ気ない態度に見えるが話を聞いているとかなり可愛がられているように思える。
お祖母様の小言に煩わされているかもしれないからと言う気遣いか、身代わりにしてしまった後ろめたさからかもしれないが。
花月が気にしてねぇなら別にいいけど……。
説教されるのは花月だけで、ただの付き添いの光夜は何も言われないから的になってる当人が平気だというのなら構わないのだが、弦之丞達は首を長くして待っているのではないだろうか。
「無事に戻れたな」
笠を被った夷隅が言った。
花月と光夜、夷隅は最後尾から少し離れたところを歩いていた。
籠が西野家下屋敷に入っていく。
人が大勢いるところで乱闘した挙げ句に襲撃を指示したのが次丸派――つまり西野家の者だと御公儀にバレたら家が取り潰されかねない。
御公儀が御家騒動に口を出すのは問題が起きた家から仲裁を訴えられた時だけで頼まれなければ家中で殺し合ったところで何も言わない。
それで跡継ぎがいなくなってしまったりすれば結果として取り潰されてしまうが。
しかしそれはあくまで内々で済ませた場合の話であって江戸の町中で乱闘をしたりしたら別である。
町中での乱闘は厳罰に処されたからである。
無くなってしまった家は継げないのだから御家お取り潰しになるような事はするはずないが人通りの少ないところは危険だ。
御公儀の耳に入らないように済ませられそうな場所では襲われる危険がある。
大名屋敷が並ぶ一角に入ってからは警戒していたが今日は何事もなく帰ってこられた。
自室に入るのを見届けるまで気を緩めるわけにはいかないが大丈夫だろう。
文丸が部屋に戻ったのを確認すると花月と光夜は帰路に就いた。
真剣勝負の敗北は死を意味する。
躊躇ったら負ける。
迷えば痛い目を見ると思えば躊躇わなくなる。
剣を持つことを許すなら常に死の危険が付いて回るのだから花月を失いたくなければ戦いの最中に躊躇して負ける事のないようにさせるしかない。
とはいえ、やはり泰平の世でそこまで極端な考えが必要なのかとも思うのだが……。
たまに江戸の外で火付盗賊改が盗賊団を捕えてきた時などに読売が出るくらいだし、火盗改は加役――他の御役目との兼任である。
加役で済む程度だし強盗と火付けの取り締まりの両方を兼ねているくらいなのは強盗がそれほど多くないからだと思っていたのだが。
もしかして江戸の外はまだ乱世の時代並みに殺伐として危険なのか?
光夜は首を傾げた。
「お祖母様、お久しぶりです」
花月がお祖母様の向かいに座って頭を下げた。
「花月さん、いつまでそのような格好をしているつもりですか」
「そう仰られても剣を持てなければ警護は出来ません」
「あなたがする必要はありません! 何故弦之丞か宗祐が来ないのですか!」
お祖母様は苛立たしげに花月に小言を言い始めた。
なるほど……。
弦之介や宗祐の顔が見たくて強盗に託けて警護を頼んだのだ。
そういやお祖母様への届け物とかもいつも花月が来てるしな……。
再三の催促にこれ以上無視していたらお祖母様が家に押し掛けてきそうだと思ったから花月と光夜を寄こしたのだろう。
しかし師匠も若先生もそこまでして会いたくねぇのか……。
まぁ確かに説教はうるせぇけどな……。
二晩ほどお祖母様の家に泊まったあくる日、稽古が終わって文丸が学問のため部屋に戻ると明日は文丸が出掛けるから朝の稽古はないと告げられた。
以前から予定されていた所用らしい。
見舞いの時と違い、顔見知りがいるので信之介が代わりに行くことは出来ないそうだ。
「夷隅先生はいらっしゃらないのですか?」
「無論、儂も行く」
ただ、この前花月と光夜が遣ったように同じ方向に行く振りをして少し離れて随いていくとのことだった。
文丸の時だけ同行して影武者の時は行かないとなれば夷隅が居るかどうかで判別が付いてしまう。
前回の信之介の時、夷隅は屋敷に残って文丸の警護をしていたのだ。
文丸が屋敷に残っていることを知っていた者は一握りとは言え、万が一次丸派に気付かれた時の為に文丸が隠れている部屋の近くでもう一人の警護の者と稽古をしている振りをしながら襲撃に備えていたのである。
文丸は夷隅の近くだと悟られるのはマズいので、明日は部屋に籠もっている振りをして屋敷から抜け出すらしい。
警護の者達は全員文丸と同じ黒い羽織を着用する。
襲撃があった時、文丸が警護の武士の中に紛れるためである。
文丸を含め、全員が笠を被って同じ羽織を着ていたら誰が本物か分かり辛い。
特に信之介は、親しくしている光夜ですらすぐには分からなかったくらい似ているから襲撃者が文丸とかなり近しい者でない限り、どちらが本物か区別出来ないだろう。
「では私達も夷隅先生にお供致します」
「なら俺も同じ羽織借りて持ってった方が良いよな」
花月は長い髪を見れば一発で分かってしまうから傘や羽織を身に着けたところであまり意味はないが、光夜は同じ羽織を着れば紛らわしい者が一人増える。
光夜がそう言うと夷隅が光夜の分の羽織も自分の中間に持たせると言ってくれた。
夷隅は違う羽織を着て傘で顔を隠して随いていく。
警護と同じものを着ていては離れていても警護だと一目でバレてしまうからだ。
それなりの武士は中間を連れて歩くもので、御役目によっては中間の持っている箱に着替えが入っている。
急な臨場がある町方の与力などは、緊急の時に着用が必要な物を中間に持たせておいて、急いで駆け付けなければならなくなった時に中間から受け取って着るのである。
だから夷隅が中間を連れていても不自然ではない。
いざという時は中間から受け取った羽織を着て駆け付けるのだ。
花月と光夜は夷隅と翌日の打合せをした。
西野家からお祖母様の家に戻ると弦之丞から用があるので帰ってくるようにと言う使いが来たと告げられた。
「では明日は向こうに戻ります」
花月はお祖母様にそう答えた。
「なんで今日帰らねぇんだよ」
お祖母様のいる居間から離れたところで訊ねた。
「夕餉の用意してるなら今日帰ってくるように言ったはずよ。今夜は夕餉抜きで良いの?」
確かに急ぎの用はないのだろうが、たった二日で使いをよこしたのは早く花月に帰ってきて欲しいからではないのだろうか。
端からは素っ気ない態度に見えるが話を聞いているとかなり可愛がられているように思える。
お祖母様の小言に煩わされているかもしれないからと言う気遣いか、身代わりにしてしまった後ろめたさからかもしれないが。
花月が気にしてねぇなら別にいいけど……。
説教されるのは花月だけで、ただの付き添いの光夜は何も言われないから的になってる当人が平気だというのなら構わないのだが、弦之丞達は首を長くして待っているのではないだろうか。
「無事に戻れたな」
笠を被った夷隅が言った。
花月と光夜、夷隅は最後尾から少し離れたところを歩いていた。
籠が西野家下屋敷に入っていく。
人が大勢いるところで乱闘した挙げ句に襲撃を指示したのが次丸派――つまり西野家の者だと御公儀にバレたら家が取り潰されかねない。
御公儀が御家騒動に口を出すのは問題が起きた家から仲裁を訴えられた時だけで頼まれなければ家中で殺し合ったところで何も言わない。
それで跡継ぎがいなくなってしまったりすれば結果として取り潰されてしまうが。
しかしそれはあくまで内々で済ませた場合の話であって江戸の町中で乱闘をしたりしたら別である。
町中での乱闘は厳罰に処されたからである。
無くなってしまった家は継げないのだから御家お取り潰しになるような事はするはずないが人通りの少ないところは危険だ。
御公儀の耳に入らないように済ませられそうな場所では襲われる危険がある。
大名屋敷が並ぶ一角に入ってからは警戒していたが今日は何事もなく帰ってこられた。
自室に入るのを見届けるまで気を緩めるわけにはいかないが大丈夫だろう。
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