比翼の鳥

月夜野 すみれ

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第十章

第十章 第三話

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「あ……まねぇ」
 信之介に頭を下げる。
 危うく信之介を殺してしまうところだったと思うと冷や汗が出る。
「い、いや……気にせずともいい。それだけ真剣だったのであろう」
 信之介が気をまれた様子で答えた。
「今日はこの辺にしたおいた方が良いであろう」
 夷隅が言った。
「あ、それでは拙者は若様の様子を見て参ります」
 信之介はそう言うと文丸の部屋に行ってしまった。

「皆、昨日の夷隅先生を見て思うところがあったのね」
 帰り道、花月が言った。

 花月も同じ事考えて……。

「夷隅先生、やっぱり柳生新陰流からそんなに変わってないと思うわ」
「そこかよ!」
「昨日、夷隅先生が当主は頭で家臣は手足って仰ってたでしょ。あれ、西光院様のお言葉なのよ。宮本武蔵も同じこと言ってたって話だけど」

 ここまで剣術しか見えてねぇのもある意味すげぇな……。

 光夜は呆れながら花月を見た。
 全力をくした勝負の結果なら負けて命を落としたとしても悔いは無いし、それは他の者でも同じなのだろう。
 だから光夜が危うく信之介を死なせ掛けた事を叱責しないのだ。
 剣を持って戦う以上死を覚悟しなければならない。
 本番では真剣で戦うのだから「稽古だから」は通用しない。
 稽古だろうと戦って命を落としたらそれは自分の力が及ばなかったからだ。
 精一杯戦った末に負けたのならそれは相手の方が強かったから仕方がない、と。
 その代わり手段は選ばないようだが。
 勝つためならどんな手でも使うからこそ、負けた時は「力及ばず」と潔く諦められるのだろう。

 敵の金で手先買収しようとするくらいだしな……。

 しかしこんな風に割り切ってしまっているのでは光夜の悩みを解決する助けにはならない。

 その夜、稽古場で花月と光夜はいつものように宗祐を相手に稽古をしていた。
 相変わらず宗祐は軽く身体をけるだけでほとんど動いていないにも関わらず二人の刀はかすりもしない。

 せめて一太刀だけでも……。

 そう思って闇雲に刀を振っていると弦之丞が、
「そこまで」
 と言って止めた。
「太刀筋に乱れがある。今日はここまでにしよう」
 弦之丞が光夜に言った。
「待って下さい! 俺は……」
「無闇に剣を振るったところで意味はない」
 そう言うと弦之丞は母屋に引き上げていった。

 光夜は、花月と共に稽古場の片付けを終えると、一人で学問のために弦之丞の書斎に向かった。

「師匠、どうすれば腕を上げられるのですか。俺はもっと早く強くなりたいんです」
 光夜は弦之丞に向かって真剣な表情で訊ねた。
「早く上達するすべは無いから教えようがないが、遅くするものは教えられる。それは迷いだ。悩むのは構わぬが、それが迷いになるとそこで歩みが止まる」
「迷い……」
「剣を持ったら迷うな。僅かな躊躇いが命取りになる」

 翌日、文丸の稽古が終わると信之介は一緒に学問をするからと、夷隅の所へは来なかった。
 昨日、危うく死にかけたことで思うところがあったのかもしれない。

 西野家からの帰り道、二人はお祖母様の家に向かっていた。
 以前、花月が本所に強盗が入ったと聞いた時は弦之丞も宗祐も聞き流していた。
 強盗に入られたのは近くにある町人地の商家か大きな武家屋敷のどちらかだろうと考えていたようだ。
 しかしお祖母様から強盗が入ったのは商家でも大きな武家屋敷でもなく、近所の仕舞屋で、しかも被害にったのは一件だけではないから捕まるまで泊まりに来てほしいと頼まれた。
 何度も。
 最初は無視していたのだが矢のような催促で仕方なく弦之丞が花月と光夜に「ほとぼりが冷めたら呼び戻すから」と泊まりに行くように言ってきたのだ。
 それで二人は西野家からお祖母様の家に向かっていた。

「なぁ、あんたは迷う事ねぇ?」
 お祖母様の家に向かう途中、光夜は花月に訊ねてみた。
 悩みと迷いの違いというのも今一つ分からない。
「剣を持ってるときはないわね。一寸ちょっとでも迷ったら死ぬんだから」

 出た……。

 花月の〝生きるか死ぬか〟

「いくらなんでもそんなにしょっちゅう殺し合いしてるわけじゃねぇだろ」
 光夜は呆れた視線を向けた。

 俺だって毎日斬り合ってたわけじゃねぇぞ……。

「なんでそこまで極端なんだよ」
「なんでって、かわしきれなかったら痣が出来るのよ。骨が砕けないように手加減されてるからその程度でんでるけど」

 手加減しても痣が出来る程ってホントに容赦ねぇんだな……。

「……あんた、剣を習い始めたのっていつから?」
 三年前には男の格好なりをしていたならそのころ既に剣を習っていたと言うことだ。
「お父様に引き取られてしばらくしてから。見よう見まねで木刀を振ってたらお父様とお兄様が指導して下さったの」

 五歳の娘に剣術の稽古付けたのかよ……。

 光夜が浜崎に剣術を習い始めたのもそのくらいだが花月は女だ。

「多分、小さい子の相手をしたことがなくてどう対応したらいいのか分からなかったんだと思う」
 光夜の呆れ顔を見た花月が苦笑しながら言った。

 若先生の母親はもう居なかったのか……。

 花月と宗祐は十歳以上年が離れている。
 文丸と次丸のように張り合うことがないのも男女の違いがあると言うだけではなく、親子に近いくらい年が離れているからと言うのもあるようだ。
 男所帯だったところに突然幼い女の子が来て戸惑ったのだろう。
 弦之丞の妻が居なかったのなら尚更だ。
 剣の稽古に明け暮れていたなら童女どころか男児ですら相手はしたことがなかったに違いない。
 稽古には子供も来るとはいえ剣術の指導だけでいい弟子と、生活を共にする家族では勝手が違う。

「私もそれまで町人として暮らしてたから武家の屋敷に連れてこられてどうすればいいのか分からなかったし」
 童女との接し方が分からず困惑していた時に花月が弦之丞達の真似をして木刀を振っているのを見て、剣術の指導なら自分達にも出来るからと教え始め、ようやく打ち解けることが出来たのだろう。
「お父様達と普通に話せるようになってから母さんとにいった柳生十兵衛の芝居の話をしたら廻国修行の話を聞かせてくれたの」

 そこに繋がってたのか!

 花月が芝居で観た柳生十兵衛の話をしたのを聞いて、弦之丞達が知っている剣豪の逸話いつわや廻国修行の話などを面白おかしく話して聞かせたのだろう。
 花月がその話を喜んで聞いていたなら相当話を盛っているのは想像にかたくない。
 しかしそうやって他愛ない話をしたり稽古をしたりしているうちに娘、妹に対する愛情が湧いたのだろう。
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