比翼の鳥

月夜野 すみれ

文字の大きさ
34 / 46
第九章

第九章 第二話

しおりを挟む
 文丸の稽古が終わった後、西野家の庭で夷隅が家臣達に剣術の指導していた。
 夷隅は光夜達だけの相手をしているわけにもいかないので、その間、光夜と信之介は久し振りに試合をすることになった。
 花月が審判である。

 信之介と向かい合って立った。
 木刀を青眼に構えて信之介に集中する。
 周りの音が聞こえなくなった。
 信之介も光夜の動きを探っているのが分かった。

 なら――!
 光夜は思いきり踏み込みながら突きを放った。
 信之介が弾く。
 光夜が逆袈裟に斬り上げる。
 信之介が再度払おうとしたがその前に光夜の木刀が脇腹の横で止まっていた。

「一本!」
 花月が言った。
 何度か試合をしたものの、相変わらず勝敗は五分五分だった。

 全然、腕が上がってねぇのか……。

 いつまでも光夜は脅威ではないと思われていたら攻撃が花月に集中してしまう。
 せめて同じくらいの戦力をかれるようになれば花月への攻撃が減るはずなのだが。

「元服、ですか」
 試合の後、元服の話を聞いた信之介が言った。
「早く決めねぇと十兵衛にされそうなんだよ」
「十兵衛の何が悪いのよ」
「十兵衛が嫌なら又右衛門とか」
 信之介の言葉に、
「お前もか!」
いわね!」
 光夜と花月が同時に言った。
「荒木又右衛門も新陰流を学んだのよ!」
「信之介って剣豪はいねぇだろ! なんで自分の通称は剣豪にしてねぇんだよ!」
「え……、てっきり『兵衛』が嫌なのかと。だから『右衛門』はどうかと思ったのだが。拙者の通称は関新助先生にあやかったのだ」
「関新助? 聞いた事あるような気はするけど……」
 花月が首をひねった。
勘定吟味役かんじょうぎんみやくだった方故お聞き及びなのでしょう」
 信之介が答えた。
 勘定吟味役というのは御公儀の役職の一つで、財政を担当する勘定所を監査する御役目である。
 当然、番方(武官)ではなく役方(文官)である。
「関新助なんて剣豪いた?」
 花月が不思議そうに訊ねた。

 花月すら知らねぇような剣豪知ってるって、どんだけ好きなんだよ……。

「関先生は算学さんがく大家たいかです!」
「さんがく?」
 一瞬、寺などにかかっている横長の額を想像してしまった。

 あれは『扁額へんがく』か……。

 一拍遅れて『算学』とは『算術』のことだと気付いた。

 信之介は関(新助)孝和の功績を熱く語り始めた。

 なに言ってんだかさっぱり分かんねぇ……。
 そう言や、こいつ算術好きを見込まれて商家から婿養子の話が来たんだったな……。
 花月のことはすっぱり諦めて商家に婿養子に入った方が幸せなんじゃねぇの?

 どうせ部屋住みのままでも所帯は持てないのだ。

 西野家の帰り道、花月と光夜が大川端を歩いていると人集ひとだかりが出来ているのが目に入った。

「どいてくんな!」
 ちょうど側を通り掛かった時、御用聞きが人垣に声を掛けた。
 人々が道を空けたので川岸が見えた。
 人が横たえられている。
 御用聞きが来たということは死体なのだろう。
 花月と光夜はそれを横目で見ながら通り過ぎた。

「通称決めた? 織部之助おりべのすけとか……」
 夜の稽古が終わり、片付けをしながら花月が訊ねてきた。
「いや、俺、牢人だぞ。そんな大層たいそうな通称……」
「剣豪じゃなければいいの?」
「あぁ……」
 思わず首肯し掛けて慌てて口を噤んだ。
 花月が好きなのは芝居や講談である。
 役者や、芝居や講談の登場人物の名前を持ち出されても困る。
 團十郎だんじゅうろうだの史進ししんだのを名乗る気はない。
 史進とは『水滸伝』の登場人物である。
『進』の字は通称に使われる字なのだ。

鬼一きいちとか良いと思ったんだけど」
「きいち?」
鬼一法眼きいちほうげん。『義経記ぎけいき』に出てくる剣術の神様」
 花月がてのひらに漢字を書いて見せながら言った。
『鬼』や『悪』というのは強いということを表す言葉で〝悪い〟という意味は無い。
 だが『鬼』や『悪』が付くのは相当な強者つわものと言うことだから剣豪とは別の意味で荷が重い。
『鬼半蔵』と呼ばれた服部半蔵正成のように他人から強さを認められての呼び名ならともかく、腕が伴っていない若造が自称したりしたら笑いものになるのは目に見えている。

「だから、もう少し謙虚に……」
「上に何も付けなければ良いのではないか」
 見兼ねたのか宗祐が助け船を出してくれた。
「あっ! そうですね」
「織部を取って之助のすけ?」
「なんでそこなんだよ! 普通は三郎とか五郎とかだろ」
大仰おおぎょういのに」
かねぇよ。大した腕もねぇのにみっともねぇ」
「腕を上げればいいだけじゃない。十兵衛って通称だって今十兵衛って言われるくらい強くなればいのよ」

 花月が男だったら実際そうしてるんだろうな……。
 しかし、この前向きさはホントすげぇな……。

 心掛けだけは見習っておこう。
 あくまで心掛けだけ。

 いくらなんでも十兵衛は嫌だ……。
 そういえば……。
 親父の通称が何とか九郎だったな……。

「じゃあ、親父が九郎だったから十……」
「兵衛!?」
「郎だよ。十郎」
「上に『彦』は?」
「付けねぇよ。ただの十郎」
 光夜の言葉に花月はがっかりしたようだったが異は唱えなかった。

 翌朝、髪結いに月代を剃って髷を結ってもらった。
 頭の天辺に風が当たるのが落ち着かないが、いずれは剃らなければならなかったのだから仕方ない。

 その日、文丸はいつになく機嫌が悪かった。
 花月が指導に手を焼いている様子を見た夷隅が、
「今日はこの辺にいたしましょう」
 と言って稽古を切り上げた。
 夷隅がそう言った途端、文丸はさっさと部屋に引き上げてしまった。

「なんかあったのか?」
 光夜は信之介に訊ねた。
「若様が特に親しくされていた奥女中の一人が亡くなられたんだ」
「また毒か?」
「いや、ここ何日か姿が見えなくてどうしたのかと思っていたのだが遺体が見付かったらしい」
「遺体?」
「近くの桟橋に引っ掛かっていたそうだ。死後数日っていた事と痣だらけだった事から殺されたのではないかと」
 信之介が『川岸』と言った瞬間、花月と光夜は視線を交わした。
 あの遺体は文丸の奥女中だったのかもしれない。
「ま、いいや、稽古に行こうぜ」
 光夜はそう言うと花月や信之介と共に夷隅の元に向かった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

ママと中学生の僕

キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

与兵衛長屋つれあい帖 お江戸ふたり暮らし

かずえ
歴史・時代
旧題:ふたり暮らし 長屋シリーズ一作目。 第八回歴史・時代小説大賞で優秀短編賞を頂きました。応援してくださった皆様、ありがとうございます。 十歳のみつは、十日前に一人親の母を亡くしたばかり。幸い、母の蓄えがあり、自分の裁縫の腕の良さもあって、何とか今まで通り長屋で暮らしていけそうだ。 頼まれた繕い物を届けた帰り、くすんだ着物で座り込んでいる男の子を拾う。 一人で寂しかったみつは、拾った男の子と二人で暮らし始めた。

無用庵隠居清左衛門

蔵屋
歴史・時代
前老中田沼意次から引き継いで老中となった松平定信は、厳しい倹約令として|寛政の改革《かんせいのかいかく》を実施した。 第8代将軍徳川吉宗によって実施された|享保の改革《きょうほうのかいかく》、|天保の改革《てんぽうのかいかく》と合わせて幕政改革の三大改革という。 松平定信は厳しい倹約令を実施したのだった。江戸幕府は町人たちを中心とした貨幣経済の発達に伴い|逼迫《ひっぱく》した幕府の財政で苦しんでいた。 幕府の財政再建を目的とした改革を実施する事は江戸幕府にとって緊急の課題であった。 この時期、各地方の諸藩に於いても藩政改革が行われていたのであった。 そんな中、徳川家直参旗本であった緒方清左衛門は、己の出世の事しか考えない同僚に嫌気がさしていた。 清左衛門は無欲の徳川家直参旗本であった。 俸禄も入らず、出世欲もなく、ただひたすら、女房の千歳と娘の弥生と、三人仲睦まじく暮らす平穏な日々であればよかったのである。 清左衛門は『あらゆる欲を捨て去り、何もこだわらぬ無の境地になって千歳と弥生の幸せだけを願い、最後は無欲で死にたい』と思っていたのだ。 ある日、清左衛門に理不尽な言いがかりが同僚立花右近からあったのだ。 清左衛門は右近の言いがかりを相手にせず、 無視したのであった。 そして、松平定信に対して、隠居願いを提出したのであった。 「おぬし、本当にそれで良いのだな」 「拙者、一向に構いません」 「分かった。好きにするがよい」 こうして、清左衛門は隠居生活に入ったのである。

セーラー服美人女子高生 ライバル同士の一騎討ち

ヒロワークス
ライト文芸
女子高の2年生まで校内一の美女でスポーツも万能だった立花美帆。しかし、3年生になってすぐ、同じ学年に、美帆と並ぶほどの美女でスポーツも万能な逢沢真凛が転校してきた。 クラスは、隣りだったが、春のスポーツ大会と夏の水泳大会でライバル関係が芽生える。 それに加えて、美帆と真凛は、隣りの男子校の俊介に恋をし、どちらが俊介と付き合えるかを競う恋敵でもあった。 そして、秋の体育祭では、美帆と真凛が走り高跳びや100メートル走、騎馬戦で対決! その結果、放課後の体育館で一騎討ちをすることに。

輿乗(よじょう)の敵 ~ 新史 桶狭間 ~

四谷軒
歴史・時代
【あらすじ】 美濃の戦国大名、斎藤道三の娘・帰蝶(きちょう)は、隣国尾張の織田信長に嫁ぐことになった。信長の父・信秀、信長の傅役(もりやく)・平手政秀など、さまざまな人々と出会い、別れ……やがて信長と帰蝶は尾張の国盗りに成功する。しかし、道三は嫡男の義龍に殺され、義龍は「一色」と称して、織田の敵に回る。一方、三河の方からは、駿河の国主・今川義元が、大軍を率いて尾張へと向かって来ていた……。 【登場人物】 帰蝶(きちょう):美濃の戦国大名、斎藤道三の娘。通称、濃姫(のうひめ)。 織田信長:尾張の戦国大名。父・信秀の跡を継いで、尾張を制した。通称、三郎(さぶろう)。 斎藤道三:下剋上(げこくじょう)により美濃の国主にのし上がった男。俗名、利政。 一色義龍:道三の息子。帰蝶の兄。道三を倒して、美濃の国主になる。幕府から、名門「一色家」を名乗る許しを得る。 今川義元:駿河の戦国大名。名門「今川家」の当主であるが、国盗りによって駿河の国主となり、「海道一の弓取り」の異名を持つ。 斯波義銀(しばよしかね):尾張の国主の家系、名門「斯波家」の当主。ただし、実力はなく、形だけの国主として、信長が「臣従」している。 【参考資料】 「国盗り物語」 司馬遼太郎 新潮社 「地図と読む 現代語訳 信長公記」 太田 牛一 (著) 中川太古 (翻訳)  KADOKAWA 東浦町観光協会ホームページ Wikipedia 【表紙画像】 歌川豊宣, Public domain, ウィキメディア・コモンズ経由で

剣客居酒屋草間 江戸本所料理人始末

松風勇水(松 勇)
歴史・時代
旧題:剣客居酒屋 草間の陰 第9回歴史・時代小説大賞「読めばお腹がすく江戸グルメ賞」受賞作。 本作は『剣客居酒屋 草間の陰』から『剣客居酒屋草間 江戸本所料理人始末』と改題いたしました。 2025年11月28書籍刊行。 なお、レンタル部分は修正した書籍と同様のものとなっておりますが、一部の描写が割愛されたため、後続の話とは繋がりが悪くなっております。ご了承ください。 酒と肴と剣と闇 江戸情緒を添えて 江戸は本所にある居酒屋『草間』。 美味い肴が食えるということで有名なこの店の主人は、絶世の色男にして、無双の剣客でもある。 自分のことをほとんど話さないこの男、冬吉には実は隠された壮絶な過去があった。 多くの江戸の人々と関わり、その舌を満足させながら、剣の腕でも人々を救う。 その慌し日々の中で、己の過去と江戸の闇に巣食う者たちとの浅からぬ因縁に気付いていく。 店の奉公人や常連客と共に江戸を救う、包丁人にして剣客、冬吉の物語。

処理中です...