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第九章
第九章 第二話
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文丸の稽古が終わった後、西野家の庭で夷隅が家臣達に剣術の指導していた。
夷隅は光夜達だけの相手をしているわけにもいかないので、その間、光夜と信之介は久し振りに試合をすることになった。
花月が審判である。
信之介と向かい合って立った。
木刀を青眼に構えて信之介に集中する。
周りの音が聞こえなくなった。
信之介も光夜の動きを探っているのが分かった。
なら――!
光夜は思いきり踏み込みながら突きを放った。
信之介が弾く。
光夜が逆袈裟に斬り上げる。
信之介が再度払おうとしたがその前に光夜の木刀が脇腹の横で止まっていた。
「一本!」
花月が言った。
何度か試合をしたものの、相変わらず勝敗は五分五分だった。
全然、腕が上がってねぇのか……。
いつまでも光夜は脅威ではないと思われていたら攻撃が花月に集中してしまう。
せめて同じくらいの戦力を裂かれるようになれば花月への攻撃が減るはずなのだが。
「元服、ですか」
試合の後、元服の話を聞いた信之介が言った。
「早く決めねぇと十兵衛にされそうなんだよ」
「十兵衛の何が悪いのよ」
「十兵衛が嫌なら又右衛門とか」
信之介の言葉に、
「お前もか!」
「良いわね!」
光夜と花月が同時に言った。
「荒木又右衛門も新陰流を学んだのよ!」
「信之介って剣豪はいねぇだろ! なんで自分の通称は剣豪にしてねぇんだよ!」
「え……、てっきり『兵衛』が嫌なのかと。だから『右衛門』はどうかと思ったのだが。拙者の通称は関新助先生にあやかったのだ」
「関新助? 聞いた事あるような気はするけど……」
花月が首を捻った。
「勘定吟味役だった方故お聞き及びなのでしょう」
信之介が答えた。
勘定吟味役というのは御公儀の役職の一つで、財政を担当する勘定所を監査する御役目である。
当然、番方(武官)ではなく役方(文官)である。
「関新助なんて剣豪いた?」
花月が不思議そうに訊ねた。
花月すら知らねぇような剣豪知ってるって、どんだけ好きなんだよ……。
「関先生は算学の大家です!」
「さんがく?」
一瞬、寺などにかかっている横長の額を想像してしまった。
あれは『扁額』か……。
一拍遅れて『算学』とは『算術』のことだと気付いた。
信之介は関(新助)孝和の功績を熱く語り始めた。
なに言ってんだかさっぱり分かんねぇ……。
そう言や、こいつ算術好きを見込まれて商家から婿養子の話が来たんだったな……。
花月のことはすっぱり諦めて商家に婿養子に入った方が幸せなんじゃねぇの?
どうせ部屋住みのままでも所帯は持てないのだ。
西野家の帰り道、花月と光夜が大川端を歩いていると人集りが出来ているのが目に入った。
「どいてくんな!」
ちょうど側を通り掛かった時、御用聞きが人垣に声を掛けた。
人々が道を空けたので川岸が見えた。
人が横たえられている。
御用聞きが来たということは死体なのだろう。
花月と光夜はそれを横目で見ながら通り過ぎた。
「通称決めた? 織部之助とか……」
夜の稽古が終わり、片付けをしながら花月が訊ねてきた。
「いや、俺、牢人だぞ。そんな大層な通称……」
「剣豪じゃなければいいの?」
「あぁ……」
思わず首肯し掛けて慌てて口を噤んだ。
花月が好きなのは芝居や講談である。
役者や、芝居や講談の登場人物の名前を持ち出されても困る。
團十郎だの史進だのを名乗る気はない。
史進とは『水滸伝』の登場人物である。
『進』の字は通称に使われる字なのだ。
「鬼一とか良いと思ったんだけど」
「きいち?」
「鬼一法眼。『義経記』に出てくる剣術の神様」
花月が掌に漢字を書いて見せながら言った。
『鬼』や『悪』というのは強いということを表す言葉で〝悪い〟という意味は無い。
だが『鬼』や『悪』が付くのは相当な強者と言うことだから剣豪とは別の意味で荷が重い。
『鬼半蔵』と呼ばれた服部半蔵正成のように他人から強さを認められての呼び名ならともかく、腕が伴っていない若造が自称したりしたら笑いものになるのは目に見えている。
「だから、もう少し謙虚に……」
「上に何も付けなければ良いのではないか」
見兼ねたのか宗祐が助け船を出してくれた。
「あっ! そうですね」
「織部を取って之助?」
「なんでそこなんだよ! 普通は三郎とか五郎とかだろ」
「大仰で良いのに」
「良かねぇよ。大した腕もねぇのにみっともねぇ」
「腕を上げればいいだけじゃない。十兵衛って通称だって今十兵衛って言われるくらい強くなれば良いのよ」
花月が男だったら実際そうしてるんだろうな……。
しかし、この前向きさはホント凄ぇな……。
心掛けだけは見習っておこう。
あくまで心掛けだけ。
いくらなんでも十兵衛は嫌だ……。
そういえば……。
親父の通称が何とか九郎だったな……。
「じゃあ、親父が九郎だったから十……」
「兵衛!?」
「郎だよ。十郎」
「上に『彦』は?」
「付けねぇよ。ただの十郎」
光夜の言葉に花月はがっかりしたようだったが異は唱えなかった。
翌朝、髪結いに月代を剃って髷を結ってもらった。
頭の天辺に風が当たるのが落ち着かないが、いずれは剃らなければならなかったのだから仕方ない。
その日、文丸はいつになく機嫌が悪かった。
花月が指導に手を焼いている様子を見た夷隅が、
「今日はこの辺に致しましょう」
と言って稽古を切り上げた。
夷隅がそう言った途端、文丸はさっさと部屋に引き上げてしまった。
「なんかあったのか?」
光夜は信之介に訊ねた。
「若様が特に親しくされていた奥女中の一人が亡くなられたんだ」
「また毒か?」
「いや、ここ何日か姿が見えなくてどうしたのかと思っていたのだが遺体が見付かったらしい」
「遺体?」
「近くの桟橋に引っ掛かっていたそうだ。死後数日経っていた事と痣だらけだった事から殺されたのではないかと」
信之介が『川岸』と言った瞬間、花月と光夜は視線を交わした。
あの遺体は文丸の奥女中だったのかもしれない。
「ま、いいや、稽古に行こうぜ」
光夜はそう言うと花月や信之介と共に夷隅の元に向かった。
夷隅は光夜達だけの相手をしているわけにもいかないので、その間、光夜と信之介は久し振りに試合をすることになった。
花月が審判である。
信之介と向かい合って立った。
木刀を青眼に構えて信之介に集中する。
周りの音が聞こえなくなった。
信之介も光夜の動きを探っているのが分かった。
なら――!
光夜は思いきり踏み込みながら突きを放った。
信之介が弾く。
光夜が逆袈裟に斬り上げる。
信之介が再度払おうとしたがその前に光夜の木刀が脇腹の横で止まっていた。
「一本!」
花月が言った。
何度か試合をしたものの、相変わらず勝敗は五分五分だった。
全然、腕が上がってねぇのか……。
いつまでも光夜は脅威ではないと思われていたら攻撃が花月に集中してしまう。
せめて同じくらいの戦力を裂かれるようになれば花月への攻撃が減るはずなのだが。
「元服、ですか」
試合の後、元服の話を聞いた信之介が言った。
「早く決めねぇと十兵衛にされそうなんだよ」
「十兵衛の何が悪いのよ」
「十兵衛が嫌なら又右衛門とか」
信之介の言葉に、
「お前もか!」
「良いわね!」
光夜と花月が同時に言った。
「荒木又右衛門も新陰流を学んだのよ!」
「信之介って剣豪はいねぇだろ! なんで自分の通称は剣豪にしてねぇんだよ!」
「え……、てっきり『兵衛』が嫌なのかと。だから『右衛門』はどうかと思ったのだが。拙者の通称は関新助先生にあやかったのだ」
「関新助? 聞いた事あるような気はするけど……」
花月が首を捻った。
「勘定吟味役だった方故お聞き及びなのでしょう」
信之介が答えた。
勘定吟味役というのは御公儀の役職の一つで、財政を担当する勘定所を監査する御役目である。
当然、番方(武官)ではなく役方(文官)である。
「関新助なんて剣豪いた?」
花月が不思議そうに訊ねた。
花月すら知らねぇような剣豪知ってるって、どんだけ好きなんだよ……。
「関先生は算学の大家です!」
「さんがく?」
一瞬、寺などにかかっている横長の額を想像してしまった。
あれは『扁額』か……。
一拍遅れて『算学』とは『算術』のことだと気付いた。
信之介は関(新助)孝和の功績を熱く語り始めた。
なに言ってんだかさっぱり分かんねぇ……。
そう言や、こいつ算術好きを見込まれて商家から婿養子の話が来たんだったな……。
花月のことはすっぱり諦めて商家に婿養子に入った方が幸せなんじゃねぇの?
どうせ部屋住みのままでも所帯は持てないのだ。
西野家の帰り道、花月と光夜が大川端を歩いていると人集りが出来ているのが目に入った。
「どいてくんな!」
ちょうど側を通り掛かった時、御用聞きが人垣に声を掛けた。
人々が道を空けたので川岸が見えた。
人が横たえられている。
御用聞きが来たということは死体なのだろう。
花月と光夜はそれを横目で見ながら通り過ぎた。
「通称決めた? 織部之助とか……」
夜の稽古が終わり、片付けをしながら花月が訊ねてきた。
「いや、俺、牢人だぞ。そんな大層な通称……」
「剣豪じゃなければいいの?」
「あぁ……」
思わず首肯し掛けて慌てて口を噤んだ。
花月が好きなのは芝居や講談である。
役者や、芝居や講談の登場人物の名前を持ち出されても困る。
團十郎だの史進だのを名乗る気はない。
史進とは『水滸伝』の登場人物である。
『進』の字は通称に使われる字なのだ。
「鬼一とか良いと思ったんだけど」
「きいち?」
「鬼一法眼。『義経記』に出てくる剣術の神様」
花月が掌に漢字を書いて見せながら言った。
『鬼』や『悪』というのは強いということを表す言葉で〝悪い〟という意味は無い。
だが『鬼』や『悪』が付くのは相当な強者と言うことだから剣豪とは別の意味で荷が重い。
『鬼半蔵』と呼ばれた服部半蔵正成のように他人から強さを認められての呼び名ならともかく、腕が伴っていない若造が自称したりしたら笑いものになるのは目に見えている。
「だから、もう少し謙虚に……」
「上に何も付けなければ良いのではないか」
見兼ねたのか宗祐が助け船を出してくれた。
「あっ! そうですね」
「織部を取って之助?」
「なんでそこなんだよ! 普通は三郎とか五郎とかだろ」
「大仰で良いのに」
「良かねぇよ。大した腕もねぇのにみっともねぇ」
「腕を上げればいいだけじゃない。十兵衛って通称だって今十兵衛って言われるくらい強くなれば良いのよ」
花月が男だったら実際そうしてるんだろうな……。
しかし、この前向きさはホント凄ぇな……。
心掛けだけは見習っておこう。
あくまで心掛けだけ。
いくらなんでも十兵衛は嫌だ……。
そういえば……。
親父の通称が何とか九郎だったな……。
「じゃあ、親父が九郎だったから十……」
「兵衛!?」
「郎だよ。十郎」
「上に『彦』は?」
「付けねぇよ。ただの十郎」
光夜の言葉に花月はがっかりしたようだったが異は唱えなかった。
翌朝、髪結いに月代を剃って髷を結ってもらった。
頭の天辺に風が当たるのが落ち着かないが、いずれは剃らなければならなかったのだから仕方ない。
その日、文丸はいつになく機嫌が悪かった。
花月が指導に手を焼いている様子を見た夷隅が、
「今日はこの辺に致しましょう」
と言って稽古を切り上げた。
夷隅がそう言った途端、文丸はさっさと部屋に引き上げてしまった。
「なんかあったのか?」
光夜は信之介に訊ねた。
「若様が特に親しくされていた奥女中の一人が亡くなられたんだ」
「また毒か?」
「いや、ここ何日か姿が見えなくてどうしたのかと思っていたのだが遺体が見付かったらしい」
「遺体?」
「近くの桟橋に引っ掛かっていたそうだ。死後数日経っていた事と痣だらけだった事から殺されたのではないかと」
信之介が『川岸』と言った瞬間、花月と光夜は視線を交わした。
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【参考資料】
「国盗り物語」 司馬遼太郎 新潮社
「地図と読む 現代語訳 信長公記」 太田 牛一 (著) 中川太古 (翻訳) KADOKAWA
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