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第八章
第八章 第二話
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「向こうは陪臣だし、うちは小普請組だからイカだと思ったのかもね」
『陪臣』とは直接の家臣ではないと言う意味なので、例えば大名家の家臣が雇っている家臣も大名から見たら陪臣だし、大名の家臣でも他の大名から見たら陪臣である。
つまり陪臣とは自分の直接の家臣ではない者を指す。
ちなみに旗本が出世して石高が一万石を超えると大名となり直参とは呼ばれなくなるが、領地を子供達に分割して譲ったりして一万石以下になると旗本に戻る。
柳生宗矩は旗本から出世して一万二千五百石の大名となったが三人の息子に領地を分割して譲ったので一万石以下になったので柳生家は旗本に戻り、その後、宗冬の代でまた一万石以上になって大名に復帰している。
牢人は誰の家臣でもないので、大名とは別の意味で直参でも陪臣でもない。
ふと、花月が考え込むような表情になった。
「どうかしたか?」
「もしかしたら若様が公方様に拝謁する前に次丸様を跡継ぎにしたいのかも」
将軍は忙しいので大名や旗本の子息が元服する度に一々謁見などしていられない。
そのため旗本や小藩の大名の子息への謁見は一括して行われる。
大勢を集めたところに将軍が来てまとめて謁見するのだ。
直参でも御目見得以下の者や陪臣、牢人などはそれすら叶わないから光夜には無縁の話なので拝謁済みかどうかで何が違うのかよく分からないが。
「光夜、諱は考えたか」
夜、学問を教わるために居間へ行くと弦之丞が訊ねてきた。
「いえ、まだ……」
そういや考えとけって言われてたな……。
ササゲ豆が届くまでに思い付かなければ三厳にされかねない。
「では、この中から選ぶと良いだろう」
弦之丞が光夜に紙を渡した。
「私もいくつか書き出してみた」
宗祐もそう言って紙を出した。
「流石お父様とお兄様!」
紙を覗き込んだ花月が、はしゃいだ声を上げる。
えっ……。
なんか嫌な予感が……。
再度紙に目を落とすと弦之丞と宗祐が書き出したものは重複しているものが多かった。
しかも、いくつか聞き覚えのある名前が……。
「この名前って……」
「全員名だたる剣豪よ」
花月がにこやかに答えた。
やっぱり……。
てことは義輝って、もしかしなくても足利将軍……。
牢人風情が付けて良い名前じゃねぇだろ……!
「本当は宗祐も剣豪にあやかった名前にしたかったのだが、うちの通字である紘の字を使っている剣豪が見付からなくてな」
弦之丞の表情も声音もいつもと変わらないが無念さは十分に伝わってきた。
花月の剣豪好きは師匠の影響か……。
てか、若先生も……。
『通字』というのは一族で共通して使う字である。
武士の名前が似通っているのは通字を使うことが多いためである。
一族に通字がある場合、もう一字は既に居る者と被らないように避けた。
これを『偏諱』と言う。
徳川家なら『家』が通字で、『家康』の『康』が偏諱である。
家康以降は同じ『家康』という名前にならないように『康』の字が避けられた。
『光』なども同様に偏諱である。
『綱吉』の場合、兄の『家綱』が通字である『家』の字を使い、弟の綱吉は兄・家綱から偏諱である『綱』の字を賜ったから『綱吉』となった。
つまり『宗』が通字だったら若先生は宗厳か宗矩だったかもしれないのか……。
いくら滅多に使わないとは言え秘密ではないのだ。
そっと様子を窺うと花月が期待に満ちた表情で紙の一点を凝視している。
〝三厳〟
そうか、目上の者なら下の者を諱で呼べる。
つまり光夜の諱が『三厳』にした場合、花月は堂々と呼べるのだ。
町人ならいざ知らず、武士で三厳が柳生十兵衛の諱だと知らない者はいないだろう。
花月には悪いが人前で『三厳』などと呼ばれるのは御免被る。
しかし、ここには剣豪の名前しか書いてない。
弦之丞も宗祐も揃って剣豪の名前だけしか書いてこなかったのだから二人に任せたら剣豪の名前にされるのは目に見えている。
しかも二人揃って花月に弱い。
花月が『三厳』が良いと強く言ったら通ってしまうかもしれないのだ。
『三厳』などと付けられたらこの家を出奔するしかなくなる。
どうすりゃいいんだ……。
光夜は頭を抱えた。
そう言えば……。
「あの、師匠か若先生の名前の一字を頂けないでしょうか?」
紙に書かれた名前の中に『空』も『陽』もいない。
紘空か紘陽の偏諱を賜れば剣豪と同じ名前は避けられる。
「そうか」
弦之丞は頷くと、
「では『紘』の字を使いなさい」
あっさり言った。
「えっ! 『紘』は桜井家の通字では……」
偏諱でいいんだが……。
「通字を与えてはいけないという決まりはない」
確かに織田信長は通字である『信』を与えている。
いや、それはそれで恐れ多いし荷が重いんだが……。
藤孝辺りを選んでおけば良かった……。
細川幽斎で知られてるから剣豪にあやかったって分かる人は少ないだろうし……。
「じゃあ『紘』に『や』って言う字を付ければ今まで通り『こうや』って呼べるのね」
あっ……!
そうか……。
『紘』は『ひろ』だけではなく『こう』とも読む。
桜井家では『紘』を『ひろ』と読んでいると言うだけである。
『紘也』なり『紘矢』なりにしてしまえば『こうや』のままだから声で聞く分には今までと同じだ。
「じゃあ『紘』に『夜』で『紘夜』ね」
え……。
『や』は夜のままなのか……。
まぁ、剣豪と同じ名前じゃなきゃいいか……。
なんだか物凄く適当に決まってしまった気もするが、どうせ普段は使わないのだからと自分を納得させた。
『陪臣』とは直接の家臣ではないと言う意味なので、例えば大名家の家臣が雇っている家臣も大名から見たら陪臣だし、大名の家臣でも他の大名から見たら陪臣である。
つまり陪臣とは自分の直接の家臣ではない者を指す。
ちなみに旗本が出世して石高が一万石を超えると大名となり直参とは呼ばれなくなるが、領地を子供達に分割して譲ったりして一万石以下になると旗本に戻る。
柳生宗矩は旗本から出世して一万二千五百石の大名となったが三人の息子に領地を分割して譲ったので一万石以下になったので柳生家は旗本に戻り、その後、宗冬の代でまた一万石以上になって大名に復帰している。
牢人は誰の家臣でもないので、大名とは別の意味で直参でも陪臣でもない。
ふと、花月が考え込むような表情になった。
「どうかしたか?」
「もしかしたら若様が公方様に拝謁する前に次丸様を跡継ぎにしたいのかも」
将軍は忙しいので大名や旗本の子息が元服する度に一々謁見などしていられない。
そのため旗本や小藩の大名の子息への謁見は一括して行われる。
大勢を集めたところに将軍が来てまとめて謁見するのだ。
直参でも御目見得以下の者や陪臣、牢人などはそれすら叶わないから光夜には無縁の話なので拝謁済みかどうかで何が違うのかよく分からないが。
「光夜、諱は考えたか」
夜、学問を教わるために居間へ行くと弦之丞が訊ねてきた。
「いえ、まだ……」
そういや考えとけって言われてたな……。
ササゲ豆が届くまでに思い付かなければ三厳にされかねない。
「では、この中から選ぶと良いだろう」
弦之丞が光夜に紙を渡した。
「私もいくつか書き出してみた」
宗祐もそう言って紙を出した。
「流石お父様とお兄様!」
紙を覗き込んだ花月が、はしゃいだ声を上げる。
えっ……。
なんか嫌な予感が……。
再度紙に目を落とすと弦之丞と宗祐が書き出したものは重複しているものが多かった。
しかも、いくつか聞き覚えのある名前が……。
「この名前って……」
「全員名だたる剣豪よ」
花月がにこやかに答えた。
やっぱり……。
てことは義輝って、もしかしなくても足利将軍……。
牢人風情が付けて良い名前じゃねぇだろ……!
「本当は宗祐も剣豪にあやかった名前にしたかったのだが、うちの通字である紘の字を使っている剣豪が見付からなくてな」
弦之丞の表情も声音もいつもと変わらないが無念さは十分に伝わってきた。
花月の剣豪好きは師匠の影響か……。
てか、若先生も……。
『通字』というのは一族で共通して使う字である。
武士の名前が似通っているのは通字を使うことが多いためである。
一族に通字がある場合、もう一字は既に居る者と被らないように避けた。
これを『偏諱』と言う。
徳川家なら『家』が通字で、『家康』の『康』が偏諱である。
家康以降は同じ『家康』という名前にならないように『康』の字が避けられた。
『光』なども同様に偏諱である。
『綱吉』の場合、兄の『家綱』が通字である『家』の字を使い、弟の綱吉は兄・家綱から偏諱である『綱』の字を賜ったから『綱吉』となった。
つまり『宗』が通字だったら若先生は宗厳か宗矩だったかもしれないのか……。
いくら滅多に使わないとは言え秘密ではないのだ。
そっと様子を窺うと花月が期待に満ちた表情で紙の一点を凝視している。
〝三厳〟
そうか、目上の者なら下の者を諱で呼べる。
つまり光夜の諱が『三厳』にした場合、花月は堂々と呼べるのだ。
町人ならいざ知らず、武士で三厳が柳生十兵衛の諱だと知らない者はいないだろう。
花月には悪いが人前で『三厳』などと呼ばれるのは御免被る。
しかし、ここには剣豪の名前しか書いてない。
弦之丞も宗祐も揃って剣豪の名前だけしか書いてこなかったのだから二人に任せたら剣豪の名前にされるのは目に見えている。
しかも二人揃って花月に弱い。
花月が『三厳』が良いと強く言ったら通ってしまうかもしれないのだ。
『三厳』などと付けられたらこの家を出奔するしかなくなる。
どうすりゃいいんだ……。
光夜は頭を抱えた。
そう言えば……。
「あの、師匠か若先生の名前の一字を頂けないでしょうか?」
紙に書かれた名前の中に『空』も『陽』もいない。
紘空か紘陽の偏諱を賜れば剣豪と同じ名前は避けられる。
「そうか」
弦之丞は頷くと、
「では『紘』の字を使いなさい」
あっさり言った。
「えっ! 『紘』は桜井家の通字では……」
偏諱でいいんだが……。
「通字を与えてはいけないという決まりはない」
確かに織田信長は通字である『信』を与えている。
いや、それはそれで恐れ多いし荷が重いんだが……。
藤孝辺りを選んでおけば良かった……。
細川幽斎で知られてるから剣豪にあやかったって分かる人は少ないだろうし……。
「じゃあ『紘』に『や』って言う字を付ければ今まで通り『こうや』って呼べるのね」
あっ……!
そうか……。
『紘』は『ひろ』だけではなく『こう』とも読む。
桜井家では『紘』を『ひろ』と読んでいると言うだけである。
『紘也』なり『紘矢』なりにしてしまえば『こうや』のままだから声で聞く分には今までと同じだ。
「じゃあ『紘』に『夜』で『紘夜』ね」
え……。
『や』は夜のままなのか……。
まぁ、剣豪と同じ名前じゃなきゃいいか……。
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