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第七章
第七章 第四話
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「儂もやりたい!」
文丸が頬を紅潮させて言った。
「構いませぬが、若様も指示されながらなさるより御自身の意志で打ち合ってみたくはありませぬか?」
花月が穏やかな声で訊ねた。
「無論じゃ」
「ではどうぞ。光夜、相手を」
「え、花月は指示してくれぬのか?」
「ご自分でなさりたいのでしょう」
「そうじゃが、儂一人では無理じゃ」
「その通りで御座います。村瀬も菊市も何年もの間、毎日稽古をしてようやくここまで来たのです」
「う……」
花月に諭された文丸が肩を落とす。
「ですが、素振りだけでは詰まらないのも事実です。素振り百本が終わったら最後の仕上げとして菊市と試合をするというのはいかがでしょう」
「百本!? 花月達は毎日そんなにやっておるのか!?」
「朝の稽古前だけでそれくらいやっております。稽古の後も暇があれば素振りをしています故、一日百本どころではありませぬ」
「そ、そんなにせねばならぬのか」
文丸の顔が引き攣った。
「若様は剣士になるわけではありませぬ故、そこまでなさる事はないでしょう」
「そ、そうか」
文丸は花月の言葉にホッとした表情を浮かべた。
素振り百本が終わる頃には文丸は肩で息をしていて、一、二度光夜に打ち掛かるのがやっとだった。
剣術の稽古が終わると文丸は学問を学ぶために部屋に戻った。
入れ違いに奥女中の一人がやってきた。
「先日、守り袋を落とされたとのことですが、これでしょうか」
と言って守り袋を差し出した。
「えっ……!?」
思わず声を上げてしまった光夜は、
「あ、いや、汚れてるし、てっきり捨てられたかと。済まねぇな」
と言い取り繕って受け取った。
ホントに屋敷の中で落としてたのか……。
光夜はそんな事を考えながら守り袋を懐に入れた。
「で、これから俺達はどうすんだ?」
警護の者達が控えているはずだから花月と光夜は必要ないかもしれないと思って訊ねた。
「まずは夷隅先生を探りましょ」
あっ、そうか……。
刺客は腕が立つ人間なのだから当然夷隅も除外出来ねぇし、違うとしても夷隅に稽古を付けてもらっている誰かかも……。
「もしかしたら柳生新陰流からそれほど変わってないかもしれないし」
「そこかよ!」
「夷隅先生に教わるためなら私達が屋敷に残っててもおかしくないでしょ」
教えを請うための口実に聞こえるのは気のせいか?
光夜は花月に疑いの目を向けた。
「あの、花月さん、光夜殿」
夷隅の元に向かおうとした二人に信之介が声を掛けてきた。
「拙者もご一緒してよろしいですか?」
信之介の言葉に光夜は花月を見た。
「いいわよ」
「いいのか?」
「屋敷にいる時に影武者は必要ないでしょ。それより外出中に襲撃を受けるかもしれないんだから腕を上げておいた方が良いと思うわ」
確かに文丸が学問をしている間、ただ座っているだけでは腕がなまる。
誰が信用出来るのか分からないのだから自分の身を守れないと命を落とすことになりかねない。
と言っても夷隅や夷隅並みの者の襲撃を受けたら花月と光夜が一緒でも勝ち目はないだろうが。
その夜、花月と光夜は弦之丞、宗祐と共に稽古場にいた。
いつもの夜の稽古である。
「花月、右に刀を。光夜は抜いたままで良い。正面から花月に斬り付けてみなさい」
刀は右手で抜くものだから左に差しているのだ。
右側にあると抜きにくいため敵意が無いことを示すときなど敢えて右に置くことがある。
振り上げて下ろすという動作をしていては遅いだろう。
光夜は思い切り踏み込みながら、下ろしていた刃先を持ち上げて片手で突き出した。
次の瞬間、花月の切っ先が光夜の脇腹の直前で止まっていた。
光夜の刀は花月の肩の上を通り越している。
花月は僅かに状態を倒して光夜の刀を避けながら右に置いてある刀を左手で抜いてそのまま斬り上げたのだ。
左で抜いてもこの速さかよ……。
「光夜、左手でもすぐに抜けるようにしておきなさい」
弦之丞が言った。
翌朝の朝餉の後、西野家に出向く前の僅かな一時、光夜は花月に言われて手裏剣術の稽古をしていた。
木に吊した小さな板に棒手裏剣を投げるのだ。
一投目は当たるのだが、二投目、三投目となると板が揺れてしまって上手く当たらない。
「あんた、手裏剣術ももう少しなんとかした方がいいわね」
確かに光夜が花月の掩護のために投擲しなければならないこともあるだろう。
そのとき外してしまったり、況んや花月にぶつけてしまったりしたりした目も当てられない。
「ま、とりあえず、そろそろ西野家に行きましょ」
「百本、終わったぞ」
文丸が肩で息をしながら言った。
「大分上達されましたね」
「まことか?」
「はい。ですから今日から私がお相手します」
「そうか」
「若様もただ打ち込んでくるだけでは面白くないでしょう」
「う、うむ」
「ですから菊市の手裏剣術の稽古も兼ねさせて頂きます」
「え!?」
光夜と文丸が同時に声を上げた。
「光夜は私に石を投げなさい。手裏剣術の稽古故、確実に当てるように」
「お待ちください! 若様に石が当たっては……」
警護の武士が慌てたように言った。
「その通り。若様には当たらないように私だけを狙う事」
「そ、そう言う意味では……」
青ざめた武士を意に介した様子もなく、
「石を払い落としている隙になら若様の木刀が私に届くやもしれませぬ」
花月が文丸に言った。
「もし届いたら……」
「無論、明日は素振り無しで御座います」
「まことだな!」
文丸が花月と夷隅を交互に見ながら確かめる。
夷隅はあっさりと頷いた。
光夜の石はともかく、文丸の木刀が届くわけがないと考えているのは明らかだ。
夷隅の読み通り、文丸の木刀は掠りもしなかった。
花月が木刀を振るのは石を払い落とす時だけだった。
石を避けるついでに一、二歩動いてるだけにも関わらず、文丸の木刀は全く届かない。
というか、光夜の石も全て避けられるか木刀で振り払われて一つも当たらなかった。
何度か文丸に当たりそうになってしまったが花月が全て払い落としてくれたのでぶつけずに済んだ。
やっぱもう少し手裏剣術の稽古が必要だな……。
文丸が頬を紅潮させて言った。
「構いませぬが、若様も指示されながらなさるより御自身の意志で打ち合ってみたくはありませぬか?」
花月が穏やかな声で訊ねた。
「無論じゃ」
「ではどうぞ。光夜、相手を」
「え、花月は指示してくれぬのか?」
「ご自分でなさりたいのでしょう」
「そうじゃが、儂一人では無理じゃ」
「その通りで御座います。村瀬も菊市も何年もの間、毎日稽古をしてようやくここまで来たのです」
「う……」
花月に諭された文丸が肩を落とす。
「ですが、素振りだけでは詰まらないのも事実です。素振り百本が終わったら最後の仕上げとして菊市と試合をするというのはいかがでしょう」
「百本!? 花月達は毎日そんなにやっておるのか!?」
「朝の稽古前だけでそれくらいやっております。稽古の後も暇があれば素振りをしています故、一日百本どころではありませぬ」
「そ、そんなにせねばならぬのか」
文丸の顔が引き攣った。
「若様は剣士になるわけではありませぬ故、そこまでなさる事はないでしょう」
「そ、そうか」
文丸は花月の言葉にホッとした表情を浮かべた。
素振り百本が終わる頃には文丸は肩で息をしていて、一、二度光夜に打ち掛かるのがやっとだった。
剣術の稽古が終わると文丸は学問を学ぶために部屋に戻った。
入れ違いに奥女中の一人がやってきた。
「先日、守り袋を落とされたとのことですが、これでしょうか」
と言って守り袋を差し出した。
「えっ……!?」
思わず声を上げてしまった光夜は、
「あ、いや、汚れてるし、てっきり捨てられたかと。済まねぇな」
と言い取り繕って受け取った。
ホントに屋敷の中で落としてたのか……。
光夜はそんな事を考えながら守り袋を懐に入れた。
「で、これから俺達はどうすんだ?」
警護の者達が控えているはずだから花月と光夜は必要ないかもしれないと思って訊ねた。
「まずは夷隅先生を探りましょ」
あっ、そうか……。
刺客は腕が立つ人間なのだから当然夷隅も除外出来ねぇし、違うとしても夷隅に稽古を付けてもらっている誰かかも……。
「もしかしたら柳生新陰流からそれほど変わってないかもしれないし」
「そこかよ!」
「夷隅先生に教わるためなら私達が屋敷に残っててもおかしくないでしょ」
教えを請うための口実に聞こえるのは気のせいか?
光夜は花月に疑いの目を向けた。
「あの、花月さん、光夜殿」
夷隅の元に向かおうとした二人に信之介が声を掛けてきた。
「拙者もご一緒してよろしいですか?」
信之介の言葉に光夜は花月を見た。
「いいわよ」
「いいのか?」
「屋敷にいる時に影武者は必要ないでしょ。それより外出中に襲撃を受けるかもしれないんだから腕を上げておいた方が良いと思うわ」
確かに文丸が学問をしている間、ただ座っているだけでは腕がなまる。
誰が信用出来るのか分からないのだから自分の身を守れないと命を落とすことになりかねない。
と言っても夷隅や夷隅並みの者の襲撃を受けたら花月と光夜が一緒でも勝ち目はないだろうが。
その夜、花月と光夜は弦之丞、宗祐と共に稽古場にいた。
いつもの夜の稽古である。
「花月、右に刀を。光夜は抜いたままで良い。正面から花月に斬り付けてみなさい」
刀は右手で抜くものだから左に差しているのだ。
右側にあると抜きにくいため敵意が無いことを示すときなど敢えて右に置くことがある。
振り上げて下ろすという動作をしていては遅いだろう。
光夜は思い切り踏み込みながら、下ろしていた刃先を持ち上げて片手で突き出した。
次の瞬間、花月の切っ先が光夜の脇腹の直前で止まっていた。
光夜の刀は花月の肩の上を通り越している。
花月は僅かに状態を倒して光夜の刀を避けながら右に置いてある刀を左手で抜いてそのまま斬り上げたのだ。
左で抜いてもこの速さかよ……。
「光夜、左手でもすぐに抜けるようにしておきなさい」
弦之丞が言った。
翌朝の朝餉の後、西野家に出向く前の僅かな一時、光夜は花月に言われて手裏剣術の稽古をしていた。
木に吊した小さな板に棒手裏剣を投げるのだ。
一投目は当たるのだが、二投目、三投目となると板が揺れてしまって上手く当たらない。
「あんた、手裏剣術ももう少しなんとかした方がいいわね」
確かに光夜が花月の掩護のために投擲しなければならないこともあるだろう。
そのとき外してしまったり、況んや花月にぶつけてしまったりしたりした目も当てられない。
「ま、とりあえず、そろそろ西野家に行きましょ」
「百本、終わったぞ」
文丸が肩で息をしながら言った。
「大分上達されましたね」
「まことか?」
「はい。ですから今日から私がお相手します」
「そうか」
「若様もただ打ち込んでくるだけでは面白くないでしょう」
「う、うむ」
「ですから菊市の手裏剣術の稽古も兼ねさせて頂きます」
「え!?」
光夜と文丸が同時に声を上げた。
「光夜は私に石を投げなさい。手裏剣術の稽古故、確実に当てるように」
「お待ちください! 若様に石が当たっては……」
警護の武士が慌てたように言った。
「その通り。若様には当たらないように私だけを狙う事」
「そ、そう言う意味では……」
青ざめた武士を意に介した様子もなく、
「石を払い落としている隙になら若様の木刀が私に届くやもしれませぬ」
花月が文丸に言った。
「もし届いたら……」
「無論、明日は素振り無しで御座います」
「まことだな!」
文丸が花月と夷隅を交互に見ながら確かめる。
夷隅はあっさりと頷いた。
光夜の石はともかく、文丸の木刀が届くわけがないと考えているのは明らかだ。
夷隅の読み通り、文丸の木刀は掠りもしなかった。
花月が木刀を振るのは石を払い落とす時だけだった。
石を避けるついでに一、二歩動いてるだけにも関わらず、文丸の木刀は全く届かない。
というか、光夜の石も全て避けられるか木刀で振り払われて一つも当たらなかった。
何度か文丸に当たりそうになってしまったが花月が全て払い落としてくれたのでぶつけずに済んだ。
やっぱもう少し手裏剣術の稽古が必要だな……。
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