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第七章
第七章 第三話
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「いや、聞いてねぇ」
「付けたい名前ある? 信綱とか高幹とか」
「信綱って……」
「上泉信綱」
「剣聖じゃねぇか! じゃあ、高幹って……」
「塚原卜伝」
「恐れ多いだろ!」
「なら宗厳とか宗矩とか」
「名前負けすんだろーが!」
「負けないくらい強くなれば良いだけでしょ。宗矩と言えば柳生宗矩じゃなくて菊市宗矩って言われるくらいになろうとか考えないの?」
「流石にそんな大それた事ぁ考えねぇよ。も少し謙虚にいこうぜ」
光夜は呆れながら答えた。
「せっかく自分で諱付けられるのに」
「あんた、自分で付けられるんなら信綱にしてたのかよ」
「まさか」
だよな……。
「三厳よ」
花月が真顔で言った。
そんなに十兵衛好きか!
三厳とは柳生十兵衛の諱である。
「お父様に女の名前じゃないからって言われちゃって……」
当たり前だろ……。
もっとも女は皇族や公家に嫁ぐ時以外は諱は付けないが。
「お父様もあんたの諱、考えてはいるらしいけど、私も手伝ってあげられるわよ。武蔵とか景久とか」
「景久?」
「伊東一刀斎」
「剣豪から離れてくれ……」
光夜はそう言ったが花月は次々と剣豪の名前を挙げていった。
剣豪って沢山いるんだな……。
光夜は花月の言葉を半ば呆れながら聞いていた。
「光夜、行くわよ」
花月が光夜に声を掛けた。
夜の稽古が終わり、これから湯屋へ行くのだ。
手には手拭いや桶など湯屋で使うものを持っていた。
二人は家を出ると近所の湯屋へ向かった。
空にはわずかに欠けた月が輝いていた。
人気の無い道を歩いていると、不意に前方の曲がり角から二人の男が飛び出してきた。
黒い羽織袴に大小を差している。
黒い覆面を被っていて顔は分からない。
同時に花月達の背後からも足音が聞こえてきた。
やはり羽織袴で覆面をした男が二人、足早に花月達に近付いてくる。
花月と光夜は荷物を地面に放ると、刀の柄に手を掛けながら互いに背を向けた。
刀を振るっても邪魔にならないくらいの距離を取る。
男達は無言で抜刀すると、四人同時に斬り掛かってきた。
正面の男が花月に刀を振り下ろす。
花月は一拍遅れて抜刀すると振り下ろされる刀の鎬に、自分の刀の鎬を敵の鎬に当てて切っ先を逸らし、振り上げたところで横に払った。
皮一枚で繋がった敵の頭が後ろに倒れ、切り口から血が噴き出す。
そのままもう一人の敵を袈裟に斬り下ろした。
腹を割かれた男が絶叫を上げながら倒れる。
光夜は振り下ろされた刀を避けながら抜刀しざま腹を斬った。
もう一人の男の懐に踏み込むと腹に刀を突き立てる。
花月と光夜は息のある者に止めを刺すと懐紙を取り出し刀身を丁寧に拭った。
「身に覚えは?」
花月が訊ねてきた。
「ありすぎて分かんねぇ。尤も真っ当な武士は仇に居ねぇはずだけどな。花月は?」
「私も普通の武士の仇は居ないはずだから西野家絡みかもしれないわね」
花月が首を傾げた。
「あーあ、また刀を研ぎに出さないとな」
人を斬ると人の油が付くし刃こぼれもするのでそのままだと斬れなくなってしまう。
刃こぼれしたら研ぎに出さないと斬れないままだ。
辻斬りを斬っていた頃は研ぎに出す金などなかったので血が付くと捨てて倒したヤツの刀を代わりに使っていた。
しかし今は弦之丞から渡された刀を使っている。
辻斬りが持っているような安物ではないからそう簡単には使い捨てには出来ない。
と言っても僅かな逡巡が命取りになるので投げ付けるのを躊躇うような名刀でもないが。
二人は道に放り出した桶などを取り上げると、何事もなかったかのように湯屋に向かって歩き出した。
花月と光夜が家に戻り、弦之丞に戻ったと報告をすると、
「何があった」
と訊ねられた。
風呂に入ってきたが、弦之丞は着物に付いた微かな返り血の匂いを嗅ぎ付けたらしい。
花月が事情を話した。
「今回は武士だったのだな」
「はい」
花月が頷いた。
そう言えば腕は大した事なかった。
この前の忍びらしき者と同じ雇い主が二人を本気で殺そうとしたならもっと強い者を寄こすはずだ。
となると別口か……。
翌日、光夜と信之介は屋敷の庭で文丸と共に素振りをしていた。
花月が指導しているが文丸は明らかに素振りに飽きているらしく、振り方がいい加減になってきている。
「夷隅先生、素振りだけでは腕がなまります。特に村瀬は護衛も兼ねてます故、二人に稽古を付けて頂けませんか?」
花月が夷隅に申し出た。
「そうだな」
文丸が飽きているのを見て取った夷隅はすぐに承知した。
「では村瀬から」
夷隅に指名された信之介が木刀を持って向かいに立った。
礼をして木刀を青眼に構える。
隙が全く無い。
信之介が攻めあぐねていると、不意に夷隅が殺気を発した。
その瞬間、信之介は前に踏み込みながら木刀を振り上げていた。
信之介の木刀が振り下ろされる前に夷隅の木刀が胴の前で止まっていた。
速い!
若先生と同等か、それ以上だな……。
信之介に変わって光夜が夷隅の前に立った。
木刀を青眼に構える。
光夜も木刀を構えたまま動けずにいた。
止まったままの光夜に夷隅が殺気を放った。
信之介はこれで誘われたのだ。
光夜が動かずにいると、
「若様、ほら、今からで御座います」
花月の声が聞こえた。
文丸の方に視線を走らせると、文丸がこちらを向いたところだった。
花月がさっさとやれと目顔で言っている。
信之介の時は、いつまでも動かない二人に飽きて別のところに目を向けているうちに勝負が付いてしまったのだろう。
これは稽古だが文丸の興味を惹くためでもあるのだ。
なら、また余所見をしてしまう前に――。
光夜は一気に踏み込んで小手を放った。
木刀が弾かれた刹那、額ぎりぎりのところで夷隅の木刀が止まっていた。
全く敵わねぇ……。
文丸が感心したように息を漏らした。
光夜は木刀を降ろすと夷隅に礼をした。
「付けたい名前ある? 信綱とか高幹とか」
「信綱って……」
「上泉信綱」
「剣聖じゃねぇか! じゃあ、高幹って……」
「塚原卜伝」
「恐れ多いだろ!」
「なら宗厳とか宗矩とか」
「名前負けすんだろーが!」
「負けないくらい強くなれば良いだけでしょ。宗矩と言えば柳生宗矩じゃなくて菊市宗矩って言われるくらいになろうとか考えないの?」
「流石にそんな大それた事ぁ考えねぇよ。も少し謙虚にいこうぜ」
光夜は呆れながら答えた。
「せっかく自分で諱付けられるのに」
「あんた、自分で付けられるんなら信綱にしてたのかよ」
「まさか」
だよな……。
「三厳よ」
花月が真顔で言った。
そんなに十兵衛好きか!
三厳とは柳生十兵衛の諱である。
「お父様に女の名前じゃないからって言われちゃって……」
当たり前だろ……。
もっとも女は皇族や公家に嫁ぐ時以外は諱は付けないが。
「お父様もあんたの諱、考えてはいるらしいけど、私も手伝ってあげられるわよ。武蔵とか景久とか」
「景久?」
「伊東一刀斎」
「剣豪から離れてくれ……」
光夜はそう言ったが花月は次々と剣豪の名前を挙げていった。
剣豪って沢山いるんだな……。
光夜は花月の言葉を半ば呆れながら聞いていた。
「光夜、行くわよ」
花月が光夜に声を掛けた。
夜の稽古が終わり、これから湯屋へ行くのだ。
手には手拭いや桶など湯屋で使うものを持っていた。
二人は家を出ると近所の湯屋へ向かった。
空にはわずかに欠けた月が輝いていた。
人気の無い道を歩いていると、不意に前方の曲がり角から二人の男が飛び出してきた。
黒い羽織袴に大小を差している。
黒い覆面を被っていて顔は分からない。
同時に花月達の背後からも足音が聞こえてきた。
やはり羽織袴で覆面をした男が二人、足早に花月達に近付いてくる。
花月と光夜は荷物を地面に放ると、刀の柄に手を掛けながら互いに背を向けた。
刀を振るっても邪魔にならないくらいの距離を取る。
男達は無言で抜刀すると、四人同時に斬り掛かってきた。
正面の男が花月に刀を振り下ろす。
花月は一拍遅れて抜刀すると振り下ろされる刀の鎬に、自分の刀の鎬を敵の鎬に当てて切っ先を逸らし、振り上げたところで横に払った。
皮一枚で繋がった敵の頭が後ろに倒れ、切り口から血が噴き出す。
そのままもう一人の敵を袈裟に斬り下ろした。
腹を割かれた男が絶叫を上げながら倒れる。
光夜は振り下ろされた刀を避けながら抜刀しざま腹を斬った。
もう一人の男の懐に踏み込むと腹に刀を突き立てる。
花月と光夜は息のある者に止めを刺すと懐紙を取り出し刀身を丁寧に拭った。
「身に覚えは?」
花月が訊ねてきた。
「ありすぎて分かんねぇ。尤も真っ当な武士は仇に居ねぇはずだけどな。花月は?」
「私も普通の武士の仇は居ないはずだから西野家絡みかもしれないわね」
花月が首を傾げた。
「あーあ、また刀を研ぎに出さないとな」
人を斬ると人の油が付くし刃こぼれもするのでそのままだと斬れなくなってしまう。
刃こぼれしたら研ぎに出さないと斬れないままだ。
辻斬りを斬っていた頃は研ぎに出す金などなかったので血が付くと捨てて倒したヤツの刀を代わりに使っていた。
しかし今は弦之丞から渡された刀を使っている。
辻斬りが持っているような安物ではないからそう簡単には使い捨てには出来ない。
と言っても僅かな逡巡が命取りになるので投げ付けるのを躊躇うような名刀でもないが。
二人は道に放り出した桶などを取り上げると、何事もなかったかのように湯屋に向かって歩き出した。
花月と光夜が家に戻り、弦之丞に戻ったと報告をすると、
「何があった」
と訊ねられた。
風呂に入ってきたが、弦之丞は着物に付いた微かな返り血の匂いを嗅ぎ付けたらしい。
花月が事情を話した。
「今回は武士だったのだな」
「はい」
花月が頷いた。
そう言えば腕は大した事なかった。
この前の忍びらしき者と同じ雇い主が二人を本気で殺そうとしたならもっと強い者を寄こすはずだ。
となると別口か……。
翌日、光夜と信之介は屋敷の庭で文丸と共に素振りをしていた。
花月が指導しているが文丸は明らかに素振りに飽きているらしく、振り方がいい加減になってきている。
「夷隅先生、素振りだけでは腕がなまります。特に村瀬は護衛も兼ねてます故、二人に稽古を付けて頂けませんか?」
花月が夷隅に申し出た。
「そうだな」
文丸が飽きているのを見て取った夷隅はすぐに承知した。
「では村瀬から」
夷隅に指名された信之介が木刀を持って向かいに立った。
礼をして木刀を青眼に構える。
隙が全く無い。
信之介が攻めあぐねていると、不意に夷隅が殺気を発した。
その瞬間、信之介は前に踏み込みながら木刀を振り上げていた。
信之介の木刀が振り下ろされる前に夷隅の木刀が胴の前で止まっていた。
速い!
若先生と同等か、それ以上だな……。
信之介に変わって光夜が夷隅の前に立った。
木刀を青眼に構える。
光夜も木刀を構えたまま動けずにいた。
止まったままの光夜に夷隅が殺気を放った。
信之介はこれで誘われたのだ。
光夜が動かずにいると、
「若様、ほら、今からで御座います」
花月の声が聞こえた。
文丸の方に視線を走らせると、文丸がこちらを向いたところだった。
花月がさっさとやれと目顔で言っている。
信之介の時は、いつまでも動かない二人に飽きて別のところに目を向けているうちに勝負が付いてしまったのだろう。
これは稽古だが文丸の興味を惹くためでもあるのだ。
なら、また余所見をしてしまう前に――。
光夜は一気に踏み込んで小手を放った。
木刀が弾かれた刹那、額ぎりぎりのところで夷隅の木刀が止まっていた。
全く敵わねぇ……。
文丸が感心したように息を漏らした。
光夜は木刀を降ろすと夷隅に礼をした。
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