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第六章
第四話
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屋敷を後にして少し歩いた時、不意に目の前の壁の陰が揺らめいた。
二人が足を止めて身構える。
傾いた陽が空を金色に染めていた。
雲が黄金色に輝いている。
斜めの日差しは向こうが透けて見える薄絹のようで建物が作る影の中を更に見え辛くしていた。
ゆらり、と高い塀の陰の一部が動いた。
花月と光夜は立ち止まる。
それは完全に影と同化していて男か女かも分からなかった。
強いて言うなら小柄な体型というくらいか。
「何用か」
花月が低い声で静かに訊ねた。
「西野家に関わるな」
くぐもった声が応えた。
「今更手は引けぬな」
「そうか」
言い終える前に二人の背後から棒手裏剣が飛んできた。
花月と光夜が左右に飛び退いた。
地面に手裏剣が刺さる。
影が揺らめいた。
光夜は影の気配を追って駈け出した。
花月は光夜の背に向けて放たれた手裏剣を右手だけで握った脇差で叩き落とすと、左手で手裏剣を放った。
そのまま踵を返すと光夜の後に続いた。
数間ほど進んだ時、空を切る微かな音が聞こえた。
咄嗟に右に飛ぶ。
手裏剣が地面に刺さる。
地面に刺さった角度を見てさっきより近くから投げられているのに気付いた。
もう手持ちの手裏剣はない。
どちらにしても足止めにもならないなら投げるだけ無駄だ。
向こうの方が足が速いならすぐに追い抜かれるだろう。
追い越されたら光夜が挟み撃ちになってしまう。
花月は足を止めて振り返ると追っ手の気配を探った。
目を閉じて深呼吸をする。
葉擦れとは違う微かな音。
花月は脇差を音より少し前に向けて投げ付けた。
壁を蹴る音がして花月の前に年配の男が現れた。
花月は抜刀した。
男が手裏剣を放つと同時に脇差を手に突っ込んできた。
速い!
地面に転がって避けるのが精一杯だった。
男が花月に刀を振り下ろした。
光夜は影を追って走っていた。
夕焼けになりかけの空が影の味方をしていた。
建物の影は長く濃く道に伸び走り去る気配を隠している。
見失わないように必死で追い縋る。
こういうのを追い掛けるのは花月の方が得意なのだが背後にも敵がいるのだから仕方ない。
花月はともかく光夜には走りながら手裏剣を避けるなんて芸当は出来ないし、となればどちらかが残って手裏剣の相手をするしかない。
自分が残るべきだったかとちらりと思った。
いくら走っても影には追い付けず、かといって引き離されることもない。
これが花月なら手裏剣を投げて足止めしただろう。
どうせいつも一緒にいるのだから自分より手裏剣術の得意な花月が持っていた方が良いだろうと棒手裏剣を全て渡してしまったことを後悔しながら小柄に手を伸ばしかけて、はっとして足を止めた。
そうだ、花月しか持ってなかったのは二人が一緒にいると言うことが前提だからだ。
引き離された!
光夜は慌てて花月の方へと駆け出した。
影は十分引き付けたと思ったのか追ってこなかった。
刀が花月に振り下ろされる寸前、と言うところで男が後ろに飛び退いた。
飛んできた脇差が男を掠める。
花月は転がったまま太刀を振るった。
切っ先が男の脛を浅く切り裂く。
男の足から血が流れ出した。
「花月!」
光夜は花月に駆け寄った。
男は踵を返して走り出す。
花月は素早く起き上がると男を追った。
光夜も後に続く。
足の傷のせいか、男にさっきの影ほどの速さはない。
二人と男の間が徐々に縮まっていく。
不意に男が振り向くと花月達に向かってこぶし大の球を投げてきた。
光夜が刀で払う。
球が割れて中から何かが大量に飛び出してきた。
二人は立ち止まって刀で払い落とす。
光夜は全て振り払うと再び男の後を追って足を踏み出そうとした。
「光夜!」
その声に足を止めて振り返ると花月が視線を足下に向けた。
光夜も目を落とすと地面に撒菱が散らばっている。
あの球から落ちてきたのは撒菱だったのだ。
気付かずに走り出していたら足を怪我していた。
顔を上げると男の姿はどこにもない。
「あいつらの狙いは若様か?」
「どうかしら。あの二人の実力なら殺そうと思えばもう殺してるはずだし」
「ならなんで俺達を狙ったんだ?」
「さぁね」
花月はむくれたような表情で言った。
機嫌が悪い花月を見たのは初めてだ。
前向きでいつも笑っている印象しかなかったのだが怒りという感情も持っていたらしい。
案外負けず嫌いだったんだな……。
花月にしろ光夜にしろ今この場に立っていると言うことは負けたことがないと言うことだ。
負けが死を意味する真剣勝負の世界で生きてきたのだから。
弦之丞に二人で一人前と言われていたのを忘れてあっさり二手に分かれてしまったのは失態だった。
これでは森田に笑われても仕方ない。
花月が立ち止まった時点で光夜もその場に留まらなければならなかったのだ。
危うく花月が死ぬところだった。
あと少し気付くのが遅れていたら間に合わなかった。
花月がいなくなっていたらと思うと改めて冷や汗が出てきた。
けど……。
「俺達の勝ちだ」
「え?」
光夜の言葉に花月が振り返った。
「俺達は斬られなかった。無刀の教えに従えば勝ったってことだよな」
花月は意外そうな表情で暫く光夜を見ていたが、やがて、
「そうね」
と言って破顔した。
「どうやら相手にとって不足はなさそうね」
花月が不敵に笑った。
「ああ、そうだな」
敵は相当手強い。
ほんの僅かな隙が死に繋がる。
今まで以上に気を引き締めなければ……。
光夜は自分にそう言い聞かせた。
二人が足を止めて身構える。
傾いた陽が空を金色に染めていた。
雲が黄金色に輝いている。
斜めの日差しは向こうが透けて見える薄絹のようで建物が作る影の中を更に見え辛くしていた。
ゆらり、と高い塀の陰の一部が動いた。
花月と光夜は立ち止まる。
それは完全に影と同化していて男か女かも分からなかった。
強いて言うなら小柄な体型というくらいか。
「何用か」
花月が低い声で静かに訊ねた。
「西野家に関わるな」
くぐもった声が応えた。
「今更手は引けぬな」
「そうか」
言い終える前に二人の背後から棒手裏剣が飛んできた。
花月と光夜が左右に飛び退いた。
地面に手裏剣が刺さる。
影が揺らめいた。
光夜は影の気配を追って駈け出した。
花月は光夜の背に向けて放たれた手裏剣を右手だけで握った脇差で叩き落とすと、左手で手裏剣を放った。
そのまま踵を返すと光夜の後に続いた。
数間ほど進んだ時、空を切る微かな音が聞こえた。
咄嗟に右に飛ぶ。
手裏剣が地面に刺さる。
地面に刺さった角度を見てさっきより近くから投げられているのに気付いた。
もう手持ちの手裏剣はない。
どちらにしても足止めにもならないなら投げるだけ無駄だ。
向こうの方が足が速いならすぐに追い抜かれるだろう。
追い越されたら光夜が挟み撃ちになってしまう。
花月は足を止めて振り返ると追っ手の気配を探った。
目を閉じて深呼吸をする。
葉擦れとは違う微かな音。
花月は脇差を音より少し前に向けて投げ付けた。
壁を蹴る音がして花月の前に年配の男が現れた。
花月は抜刀した。
男が手裏剣を放つと同時に脇差を手に突っ込んできた。
速い!
地面に転がって避けるのが精一杯だった。
男が花月に刀を振り下ろした。
光夜は影を追って走っていた。
夕焼けになりかけの空が影の味方をしていた。
建物の影は長く濃く道に伸び走り去る気配を隠している。
見失わないように必死で追い縋る。
こういうのを追い掛けるのは花月の方が得意なのだが背後にも敵がいるのだから仕方ない。
花月はともかく光夜には走りながら手裏剣を避けるなんて芸当は出来ないし、となればどちらかが残って手裏剣の相手をするしかない。
自分が残るべきだったかとちらりと思った。
いくら走っても影には追い付けず、かといって引き離されることもない。
これが花月なら手裏剣を投げて足止めしただろう。
どうせいつも一緒にいるのだから自分より手裏剣術の得意な花月が持っていた方が良いだろうと棒手裏剣を全て渡してしまったことを後悔しながら小柄に手を伸ばしかけて、はっとして足を止めた。
そうだ、花月しか持ってなかったのは二人が一緒にいると言うことが前提だからだ。
引き離された!
光夜は慌てて花月の方へと駆け出した。
影は十分引き付けたと思ったのか追ってこなかった。
刀が花月に振り下ろされる寸前、と言うところで男が後ろに飛び退いた。
飛んできた脇差が男を掠める。
花月は転がったまま太刀を振るった。
切っ先が男の脛を浅く切り裂く。
男の足から血が流れ出した。
「花月!」
光夜は花月に駆け寄った。
男は踵を返して走り出す。
花月は素早く起き上がると男を追った。
光夜も後に続く。
足の傷のせいか、男にさっきの影ほどの速さはない。
二人と男の間が徐々に縮まっていく。
不意に男が振り向くと花月達に向かってこぶし大の球を投げてきた。
光夜が刀で払う。
球が割れて中から何かが大量に飛び出してきた。
二人は立ち止まって刀で払い落とす。
光夜は全て振り払うと再び男の後を追って足を踏み出そうとした。
「光夜!」
その声に足を止めて振り返ると花月が視線を足下に向けた。
光夜も目を落とすと地面に撒菱が散らばっている。
あの球から落ちてきたのは撒菱だったのだ。
気付かずに走り出していたら足を怪我していた。
顔を上げると男の姿はどこにもない。
「あいつらの狙いは若様か?」
「どうかしら。あの二人の実力なら殺そうと思えばもう殺してるはずだし」
「ならなんで俺達を狙ったんだ?」
「さぁね」
花月はむくれたような表情で言った。
機嫌が悪い花月を見たのは初めてだ。
前向きでいつも笑っている印象しかなかったのだが怒りという感情も持っていたらしい。
案外負けず嫌いだったんだな……。
花月にしろ光夜にしろ今この場に立っていると言うことは負けたことがないと言うことだ。
負けが死を意味する真剣勝負の世界で生きてきたのだから。
弦之丞に二人で一人前と言われていたのを忘れてあっさり二手に分かれてしまったのは失態だった。
これでは森田に笑われても仕方ない。
花月が立ち止まった時点で光夜もその場に留まらなければならなかったのだ。
危うく花月が死ぬところだった。
あと少し気付くのが遅れていたら間に合わなかった。
花月がいなくなっていたらと思うと改めて冷や汗が出てきた。
けど……。
「俺達の勝ちだ」
「え?」
光夜の言葉に花月が振り返った。
「俺達は斬られなかった。無刀の教えに従えば勝ったってことだよな」
花月は意外そうな表情で暫く光夜を見ていたが、やがて、
「そうね」
と言って破顔した。
「どうやら相手にとって不足はなさそうね」
花月が不敵に笑った。
「ああ、そうだな」
敵は相当手強い。
ほんの僅かな隙が死に繋がる。
今まで以上に気を引き締めなければ……。
光夜は自分にそう言い聞かせた。
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