11 / 46
第三章
第三話
しおりを挟む
「光夜、これ、洗ってあるから明日はこっち着て」
花月が光夜に畳んだ稽古着を渡した。
毎日飯が食えて、洗い立ての着物を着る。
雨漏りの心配をしなくて良い家で眠れて剣術や素読などを習い、花月や信之介と他愛ないお喋りをする。
空きっ腹を抱えて辻斬りを斬るのに比べたら雲泥の差だ。
もっとも稽古はかなり厳しい。
稽古場に来ている弟子達よりも遙かにキツいから前にいた二人が付いていけなくて出ていったのも仕方ない。
よほど剣術が好きで体力がなければ無理だろう。
こういう生活もあるんだな……。
光夜が布団を引こうと押し入れを開けると三毛猫が丸くなって寝ていた。
桜井家では猫を飼っていない。
野良猫が入り込んできたのだ。
「お前もここで暮らしたいのか?」
そうだよな。
寒さも雨風も凌げるんだもんな。
光夜は一旦猫を下ろして布団を引くと隅に猫を乗せてやった。
「餌は鼠でも獲って済ませろよ」
光夜はそう言って猫の頭を撫でた。
翌朝、目を覚ますと枕元に猫がいた。
猫の足下には雀の死体がある。
どうやら獲ってきた獲物を見せに来たらしい。
「早速餌を獲ってきたのか。偉いな」
光夜が頭を撫でてやると、猫は嬉しそうに喉を鳴らした。
数日後、光夜と信之介は初伝と中伝を伝授された。
光夜が師匠に渡す謝礼は花月が用意した。
謝礼というから金かと思ったら紙や筆などの、そこそこ高価な品物だった。
元々師匠である弦之丞の物なのだが、信之介が謝礼を用意している手前、光夜が何も出さない訳にはいかないからと花月が弦之丞の書斎から持ち出してきたのだ。
元々弦之丞の物だから持ち主に返しただけと言う事になる。
信之介も似たような物を持ってきた。
伝位が伝授されたからといって何が変わったわけでもない。
稽古の内容もそのままだし雑巾がけも今まで通りだ。
初伝と中伝を読んでみたが今一つよく分からない。
今までと何も変わらないのに、これを貰ったと言うだけで妬まれるというのも何か不思議な気がした。
ある日、稽古をしていると、
「頼もう!」
と言う声が聞こえてきて弟子達が一斉に戸口を振り返った。
髭も月代も伸ばし放題の大柄な男と、にやけた顔の痩せ気味の男、それに小柄な男が立っていた。
「桜井先生に一手ご指導願いたい」
髭の男が言った。
その言葉に弟子達は一斉に稽古場の壁際に寄って場所を空けた。
光夜も皆に習って花月の隣に行く。
「光夜、若先生の実力の一端が見られる良い機会よ。しっかり見ておきなさい」
花月が光夜に囁いた。
確かに光夜はまだ宗祐が戦っているところを見たことがない。
毎晩稽古で相手をしてもらっているが、花月と二人掛かりでも刀が擦りもしない。
宗祐は殆どその場から動いてないのに、である。
弟子達は黙って男達に目を向けている。
年長の者ほど男達を注視しているのは花月が言ったのと同じ理由だろう。
熟練した者ほど見取り稽古の大切さをよく分かっているのだ。
男達はその様子に互いに顔を見合わせる。
道場破りに来て弟子達に騒がれなかったのは初めてなのだろう。
それでも誰かが応える前に男達は稽古場に上がり込んできた。
「師匠」
宗祐が声を掛けると弦之丞が頷いた。
宗祐が木刀を手に取って立ち上がる。
「当家では木刀を使っているがよろしいか」
「こちらも木刀を持参した故」
髭の男はにやけた男に顔を向けた。
にやけた男が木刀を取り出した。
「して名前と流派は?」
「一刀流、織田草太」
と髭の男。
「同じく、新発田庄助」
にやけた男が名乗った。
「念流、浜田圭太郎」
小柄な男が呟くように言った。
宗祐と男達は稽古場の真ん中で向き合った。
宗祐が青眼に構えた。
織田も青眼に構える。
宗祐と織田はじりじりと間を詰めていった。
弟子達は息を飲んで見詰めている。
あいつも結構遣えるようだが若先生の敵じゃねぇな……。
光夜は織田の力量を見て取った。
相手の力がどれくらいかを正確に見極める。
それが生き残る秘訣だ。
相手の強さを見誤ると死に繋がる。
光夜は辻斬りを斬っていた経験から身を以て知っていた。
皆光夜を子供と見縊って死んでいった。
二人の間が一足一刀の間境の半歩手前まで迫る。
織田の額から汗が伝った。
「いやぁ!」
織田が裂帛の気合いを発すると、斬撃の間境を踏み越え木刀を打ち下ろした。
宗祐が弾いた。
二人はすかさず二の太刀を放った。
宗祐が突きを、織田が小手を。
織田の木刀は宗祐の手から離れたところで止まった。
宗祐の木刀が織田の喉元に突き付けられていた。
固唾を飲んで見詰めていた弟子達が一斉に息を吐いた。
次は新発田だった。
宗祐は男の木刀を左足を引いただけで躱し、そのまま振り下ろされた腕を狙って小手を打つ。
骨が砕ける鈍い男がした。
床に木刀が転がる。
「うあああああ!」
男が腕を抱えて倒れる。
小柄な男が無言で背後から打ち掛かった。
「若先生!」
新入りの弟子が声を上げた。
宗祐は僅かに体を開いて木刀を避けると振り返りざま胴を払った。
「ぐっ!」
男が木刀を落として蹲る。
「ちっ!」
舌打ちをして織田が掛かってきた。
逆袈裟に振り上げられた木刀を避けた宗祐は男の肩に木刀を振り下ろした。
肩の骨が砕ける音がした。
「ぐあああああ!」
男が肩を押さえて転げ回った。
「放り出せ」
弦之丞が静かに言うと弟子達が男を担いで稽古場の外に連れ出した。
「あの程度の腕で道場破りなど」
弟子の一人が鼻で笑った。
「あいつら、結構遣えたぜ」
光夜が言った。
花月が一端と言った意味がよく分かった。
宗祐はあれでも殺さないように大分手加減していた。
宗祐の実力はあんなものではない。
「その通り。若先生が強かったから弱く見えただけ。他の者だったら負けていたかもしれない」
花月が光夜の言葉を肯定した。
弟子が罰の悪そうな顔になる。
「慢心しないで精進すること。剣の道に果てはないのだから」
「はい」
弟子はそう返事をすると稽古に戻った。
稽古が再開されると光夜の頭から道場破りのことは消えてしまった。
花月が光夜に畳んだ稽古着を渡した。
毎日飯が食えて、洗い立ての着物を着る。
雨漏りの心配をしなくて良い家で眠れて剣術や素読などを習い、花月や信之介と他愛ないお喋りをする。
空きっ腹を抱えて辻斬りを斬るのに比べたら雲泥の差だ。
もっとも稽古はかなり厳しい。
稽古場に来ている弟子達よりも遙かにキツいから前にいた二人が付いていけなくて出ていったのも仕方ない。
よほど剣術が好きで体力がなければ無理だろう。
こういう生活もあるんだな……。
光夜が布団を引こうと押し入れを開けると三毛猫が丸くなって寝ていた。
桜井家では猫を飼っていない。
野良猫が入り込んできたのだ。
「お前もここで暮らしたいのか?」
そうだよな。
寒さも雨風も凌げるんだもんな。
光夜は一旦猫を下ろして布団を引くと隅に猫を乗せてやった。
「餌は鼠でも獲って済ませろよ」
光夜はそう言って猫の頭を撫でた。
翌朝、目を覚ますと枕元に猫がいた。
猫の足下には雀の死体がある。
どうやら獲ってきた獲物を見せに来たらしい。
「早速餌を獲ってきたのか。偉いな」
光夜が頭を撫でてやると、猫は嬉しそうに喉を鳴らした。
数日後、光夜と信之介は初伝と中伝を伝授された。
光夜が師匠に渡す謝礼は花月が用意した。
謝礼というから金かと思ったら紙や筆などの、そこそこ高価な品物だった。
元々師匠である弦之丞の物なのだが、信之介が謝礼を用意している手前、光夜が何も出さない訳にはいかないからと花月が弦之丞の書斎から持ち出してきたのだ。
元々弦之丞の物だから持ち主に返しただけと言う事になる。
信之介も似たような物を持ってきた。
伝位が伝授されたからといって何が変わったわけでもない。
稽古の内容もそのままだし雑巾がけも今まで通りだ。
初伝と中伝を読んでみたが今一つよく分からない。
今までと何も変わらないのに、これを貰ったと言うだけで妬まれるというのも何か不思議な気がした。
ある日、稽古をしていると、
「頼もう!」
と言う声が聞こえてきて弟子達が一斉に戸口を振り返った。
髭も月代も伸ばし放題の大柄な男と、にやけた顔の痩せ気味の男、それに小柄な男が立っていた。
「桜井先生に一手ご指導願いたい」
髭の男が言った。
その言葉に弟子達は一斉に稽古場の壁際に寄って場所を空けた。
光夜も皆に習って花月の隣に行く。
「光夜、若先生の実力の一端が見られる良い機会よ。しっかり見ておきなさい」
花月が光夜に囁いた。
確かに光夜はまだ宗祐が戦っているところを見たことがない。
毎晩稽古で相手をしてもらっているが、花月と二人掛かりでも刀が擦りもしない。
宗祐は殆どその場から動いてないのに、である。
弟子達は黙って男達に目を向けている。
年長の者ほど男達を注視しているのは花月が言ったのと同じ理由だろう。
熟練した者ほど見取り稽古の大切さをよく分かっているのだ。
男達はその様子に互いに顔を見合わせる。
道場破りに来て弟子達に騒がれなかったのは初めてなのだろう。
それでも誰かが応える前に男達は稽古場に上がり込んできた。
「師匠」
宗祐が声を掛けると弦之丞が頷いた。
宗祐が木刀を手に取って立ち上がる。
「当家では木刀を使っているがよろしいか」
「こちらも木刀を持参した故」
髭の男はにやけた男に顔を向けた。
にやけた男が木刀を取り出した。
「して名前と流派は?」
「一刀流、織田草太」
と髭の男。
「同じく、新発田庄助」
にやけた男が名乗った。
「念流、浜田圭太郎」
小柄な男が呟くように言った。
宗祐と男達は稽古場の真ん中で向き合った。
宗祐が青眼に構えた。
織田も青眼に構える。
宗祐と織田はじりじりと間を詰めていった。
弟子達は息を飲んで見詰めている。
あいつも結構遣えるようだが若先生の敵じゃねぇな……。
光夜は織田の力量を見て取った。
相手の力がどれくらいかを正確に見極める。
それが生き残る秘訣だ。
相手の強さを見誤ると死に繋がる。
光夜は辻斬りを斬っていた経験から身を以て知っていた。
皆光夜を子供と見縊って死んでいった。
二人の間が一足一刀の間境の半歩手前まで迫る。
織田の額から汗が伝った。
「いやぁ!」
織田が裂帛の気合いを発すると、斬撃の間境を踏み越え木刀を打ち下ろした。
宗祐が弾いた。
二人はすかさず二の太刀を放った。
宗祐が突きを、織田が小手を。
織田の木刀は宗祐の手から離れたところで止まった。
宗祐の木刀が織田の喉元に突き付けられていた。
固唾を飲んで見詰めていた弟子達が一斉に息を吐いた。
次は新発田だった。
宗祐は男の木刀を左足を引いただけで躱し、そのまま振り下ろされた腕を狙って小手を打つ。
骨が砕ける鈍い男がした。
床に木刀が転がる。
「うあああああ!」
男が腕を抱えて倒れる。
小柄な男が無言で背後から打ち掛かった。
「若先生!」
新入りの弟子が声を上げた。
宗祐は僅かに体を開いて木刀を避けると振り返りざま胴を払った。
「ぐっ!」
男が木刀を落として蹲る。
「ちっ!」
舌打ちをして織田が掛かってきた。
逆袈裟に振り上げられた木刀を避けた宗祐は男の肩に木刀を振り下ろした。
肩の骨が砕ける音がした。
「ぐあああああ!」
男が肩を押さえて転げ回った。
「放り出せ」
弦之丞が静かに言うと弟子達が男を担いで稽古場の外に連れ出した。
「あの程度の腕で道場破りなど」
弟子の一人が鼻で笑った。
「あいつら、結構遣えたぜ」
光夜が言った。
花月が一端と言った意味がよく分かった。
宗祐はあれでも殺さないように大分手加減していた。
宗祐の実力はあんなものではない。
「その通り。若先生が強かったから弱く見えただけ。他の者だったら負けていたかもしれない」
花月が光夜の言葉を肯定した。
弟子が罰の悪そうな顔になる。
「慢心しないで精進すること。剣の道に果てはないのだから」
「はい」
弟子はそう返事をすると稽古に戻った。
稽古が再開されると光夜の頭から道場破りのことは消えてしまった。
0
お気に入りに追加
3
あなたにおすすめの小説
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/essay.png?id=5ada788558fa89228aea)
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/history.png?id=c54a38c2a36c3510c993)
あやかし娘とはぐれ龍
五月雨輝
歴史・時代
天明八年の江戸。神田松永町の両替商「秋野屋」が盗賊に襲われた上に火をつけられて全焼した。一人娘のゆみは運良く生き残ったのだが、その時にはゆみの小さな身体には不思議な能力が備わって、いた。
一方、婿入り先から追い出され実家からも勘当されている旗本の末子、本庄龍之介は、やくざ者から追われている途中にゆみと出会う。二人は一騒動の末に仮の親子として共に過ごしながら、ゆみの家を襲った凶悪犯を追って江戸を走ることになる。
浪人男と家無し娘、二人の刃は神田、本所界隈の悪を裂き、それはやがて二人の家族へと繋がる戦いになるのだった。
独裁者・武田信玄
いずもカリーシ
歴史・時代
歴史の本とは別の視点で武田信玄という人間を描きます!
平和な時代に、戦争の素人が娯楽[エンターテイメント]の一貫で歴史の本を書いたことで、歴史はただ暗記するだけの詰まらないものと化してしまいました。
『事実は小説よりも奇なり』
この言葉の通り、事実の方が好奇心をそそるものであるのに……
歴史の本が単純で薄い内容であるせいで、フィクションの方が面白く、深い内容になっていることが残念でなりません。
過去の出来事ではありますが、独裁国家が民主国家を数で上回り、戦争が相次いで起こる『現代』だからこそ、この歴史物語はどこかに通じるものがあるかもしれません。
【第壱章 独裁者への階段】 国を一つにできない弱く愚かな支配者は、必ず滅ぶのが戦国乱世の習い
【第弐章 川中島合戦】 戦争の勝利に必要な条件は第一に補給、第二に地形
【第参章 戦いの黒幕】 人の持つ欲を煽って争いの種を撒き、愚かな者を操って戦争へと発展させる武器商人
【第肆章 織田信長の愛娘】 人間の生きる価値は、誰かの役に立つ生き方のみにこそある
【最終章 西上作戦】 人々を一つにするには、敵が絶対に必要である
この小説は『大罪人の娘』を補完するものでもあります。
(前編が執筆終了していますが、後編の執筆に向けて修正中です)
旧式戦艦はつせ
古井論理
歴史・時代
真珠湾攻撃を行う前に機動艦隊が発見されてしまい、結果的に太平洋戦争を回避した日本であったが軍備は軍縮条約によって制限され、日本国に国名を変更し民主政治を取り入れたあとも締め付けが厳しい日々が続いている世界。東南アジアの元列強植民地が独立した大国・マカスネシア連邦と同盟を結んだ日本だが、果たして復権の日は来るのであろうか。ロマンと知略のIF戦記。
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/history.png?id=c54a38c2a36c3510c993)
永き夜の遠の睡りの皆目醒め
七瀬京
歴史・時代
近藤勇の『首』が消えた……。
新撰組の局長として名を馳せた近藤勇は板橋で罪人として処刑されてから、その首を晒された。
しかし、その首が、ある日忽然と消えたのだった……。
近藤の『首』を巡り、過去と栄光と男たちの愛憎が交錯する。
首はどこにあるのか。
そして激動の時代、男たちはどこへ向かうのか……。
※男性同士の恋愛表現がありますので苦手な方はご注意下さい
吼えよ! 権六
林 本丸
歴史・時代
時の関白豊臣秀吉を嫌う茶々姫はあるとき秀吉のいやがらせのため自身の養父・故柴田勝家の過去を探ることを思い立つ。主人公の木下半介は、茶々の命を受け、嫌々ながら柴田勝家の過去を探るのだが、その時々で秀吉からの妨害に見舞われる。はたして半介は茶々の命を完遂できるのか? やがて柴田勝家の過去を探る旅の過程でこれに関わる人々の気持ちも変化して……。
江戸の夕映え
大麦 ふみ
歴史・時代
江戸時代にはたくさんの随筆が書かれました。
「のどやかな気分が漲っていて、読んでいると、己れもその時代に生きているような気持ちになる」(森 銑三)
そういったものを選んで、小説としてお届けしたく思います。
同じ江戸時代を生きていても、その暮らしぶり、境遇、ライフコース、そして考え方には、たいへんな幅、違いがあったことでしょう。
しかし、夕焼けがみなにひとしく差し込んでくるような、そんな目線であの時代の人々を描ければと存じます。
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる