比翼の鳥

月夜野 すみれ

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第三章

第二話

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 光夜と信之介が母屋へ行くと花月が二人分の握り飯を用意して待っていた。
「ご苦労様。お腹空いたでしょ」
 花月がいつもの口調で言った。
 てっきり怒られるものだとばかり思っていた光夜は肩すかしを食らった気がした。
「村瀬さんはおうちの方が用意してるかしら?」
「いえ、御馳走になります」
 信之介は膳の前に座ると頭を下げた。
「ほら、光夜も」
 光夜は言われるままに座った。

「花月、さっきのは……」
「分かってるって」
「なら、なんで……!」
ねたまれてるのよ。あれくらいは仕方ないわね」
 急に声音こわねと口調が変わった花月を信之介が驚いた表情で凝視ぎょうししている。
「妬む? なんで?」
 花月と一緒に暮らしてるからか……?
初伝しょでんを飛ばして中伝ちゅうでんもらうという噂のせいであろう」
 信之介が言った。
「中伝? なんだそれ?」
 光夜は花月の顔を見た。
「あー、光夜は稽古場に通ったこと無かったんだっけ。ごめんごめん、説明忘れてた」
 花月が自分の頭を叩いた。

 大抵の稽古場では一定の技量に達すると伝位でんいが貰える。
 修行上の心得や流派の由来、精神などが書かれているものだ。
 まず初伝、更に腕が上がると中伝、奥伝おうでんとなり最後が皆伝かいでん、いわゆる免許皆伝である。

「まぁ、皆伝まで行くのに厳しい修行をして十年以上は掛かるわね。それだけやってもなかなか貰えないものよ」
 ちなみに宗祐は皆伝、花月がもうすぐ奥伝だそうだ。
 今、稽古場で師範代をしている者達が皆伝らしい。
 皆伝の上が印可いんかで貰うのは更に難しい。
 印可になると独立を許されるが皆伝から十数年以上修行しても貰えるかどうかだ。
「お兄様が指導しているのは初伝から奥伝までだから、その組に入ってるって事はもう初伝は貰ってるって事になるわけ」

 とは言っても実際はまだ貰っていない。
 伝位の伝授でんじゅには師匠が伝位を書き写す必要があるし、貰う側も謝礼を用意しなければならないから準備がいるのだ。

「じゃあ、嫌がらせされたのは……」
「あの二人の今の腕だと中伝までいけるかどうかなのよね。うちでは経済的支援による伝授はしてないし」

 経済的支援による伝授というのは文字通り金を払って皆伝などを伝授してもらうものだ。
 剣術にも素養そようが必要だ。
 中にはどんなに頑張っても皆伝まで行かれない者がいる。
 そういう者が金を払って皆伝をもらうのを経済的支援による伝授と言うそうだ。

「腕がともなってないのに貰ってどうすんだ?」
仕官しかん――つまり御役目に付けてもらえるかどうかを決める時なんか皆伝かどうかで違ってくるでしょ」
「ふ~ん、それじゃあ、仕方ねぇな」
 光夜の得意げな表情を見ると、
「光夜、喧嘩は禁止だからね。自慢げな態度を取って喧嘩になったら伝授は中止。い?」
 花月がくぎした。
「分かったよ。無視すりゃいんだろ」
「そういう事」

 花月と光夜のり取りを見ていた信之介が、
「花月さん、菊市殿は口のき方がなってないのではありませんか?」
 と言った。
 その言葉がかんさわったが、
「あ、そうよね」
 花月がばつの悪そうな表情になった。
「光夜、人前ではちゃんとした口をきなさい」
「へいへい」
「あのね、大人になるには大人らしい態度が必要なの。それが出来るようになるまでは何時いつまでも子供のままよ」
 花月が光夜の目を真っ直ぐ見て言った。
「分かったよ」
 面白くはないが花月の言う通りかも知れない。
 ではという事は普段は今まで通りでいのだろう。
「花月さん、御馳走様ごちそうさまでした。拙者はこれにて失礼致します」
「はい、お粗末様でした」
 花月はそう言うと信之介を送り出した。

「ね、光夜、村瀬さんのこと、どう思う?」
 信之介が帰ると花月が光夜に訊ねてきた。
「どうって?」
「年も近いし、仲良くする気ない?」
「なんで?」
「仲のい人がいる方がいでしょ。切磋琢磨せっさたくま出来る相手がいる方が腕が上がるわよ」
「う……」
 剣術のことを持ち出されると弱い。
 光夜はひそかに、いつかは弦之丞や宗祐よりも強くなりたいと思っているのだ。
「そういう事なら……」
「じゃ、決まりね」
 花月が嬉しそうに微笑わらった。

「菊市殿」
 午後の稽古の後、雑巾がけが終わり片付けを済ませると信之介が話し掛けてきた。
「なんだよ」
 素っ気なく答えてから花月に仲良くするように言われていたのを思い出して、
「な、何か用か?」
 言い直した。
「そこもとが良ければ一手いって所望しょもうしたい」
 花月が言ってた切磋琢磨ってのはこういう事か!
 思わず破顔はがんした光夜に信之介が目を丸くする。
「いいぜ。花月……さん、呼んでくるから待ってろ」
 光夜は母屋へ急いだ。

 花月は居間で縫い物をしていた。
「花月!」
「何?」
「審判やってくれよ。村瀬が試合したいって……」
「分かった」
 花月はすぐに布を置くと立ち上がった。

 稽古場に戻ると光夜と信之介は木刀を持って向き合った。
「始め!」
 花月の合図と共に二人は青眼に構えた。
 二人がじりじりとにじり寄っていく。
 これ以上進むと斬撃ざんげき間境まざかいに入る、と言うところで二人は止まった。
 二人が睨み合っていると、不意に木の枝に止まっていた小鳥が飛び立った。
 その瞬間、光夜は床を蹴って胴を放っていた。
 同時に信之介は面に打ち下ろしてきた。
 二人の木刀がはじき合った。
 返す刀で小手を放つ。
 信之介がそれを弾いてく。
 光夜は体を開いてけると抜き胴を放ち胴に当たる直前で止める。
 二人の動きが止まった。
「一本」
 花月が宣言した。

 二人は一旦離れると再び向き合った。
 互いに青眼に構えると、花月の「始め」という合図と共にり足で相手の間合いに進んだ。
 今度は止まらなかった。
 一足一刀の間境を越えると同時に信之介が上段に構えた。
 信之介が木刀を振り下ろす。
 光夜はそれを受け止めた。
 鍔迫つばぜり合いになった。
 渾身こんしんの力で互いに押し合う。
 こいつにだけは負けたくない。
 互いにそう思っているのが分かった。
 二人はそのまま動かなかった。
 このままではらちが明かない。
 光夜は木刀を思い切り押すと、その反動で後ろにんだ。
 信之介はその隙を逃さず、踏み込んで突きを放った。
 光夜の喉元で木刀が止まる。
「一本」
 くそ! 反撃する間がなかった。
 光夜は三度みたび信之介と向き直った。
 結局その日の勝敗は五分だった。

 この日以降、光夜と信之介は稽古が終わると試合をするようになった。
 勝ち負けはほぼ半々。
「菊市殿はここに来るまで稽古場に通ったことがなかったにしては強い」
「光夜でいいよ。育ての親が剣術の師範代だったからな」
「では拙者も信之介と。そうだったのか」
 稽古の後に試合をするようになるとそのあと話をするようになり、二人はすぐに意気投合いきとうごうした。
 信之介と話をするのは花月と話すのとは違う楽しさがあった。
 今まで親しくなったのは花月くらいだ。
 同性で仲の良い相手が出来たのは初めてだった。
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