9 / 46
第三章
第一話
しおりを挟む
次の日、午前の稽古の前に光夜と信之介は宗祐に呼ばれた。
昨日の試合を見ていた弦之丞と宗祐は、光夜と信之介を宗祐が指導している組に入れても良いと判断したのだ。
上の組の稽古は今まで以上に楽しかった。
光夜は更に剣術の稽古にのめり込んでいった。
宗祐の組では年数の関係で信之介と組むことが多かった。
ちなみに信之介は十四歳だそうだ。
光夜も信之介も宗祐の組に入ったとは言っても入門したばかりに変わりはないので雑巾がけは他の新人と一緒にやっている。
「菊市殿」
稽古の後の雑巾がけが終わり、後片付けをしていると弟子の一人が話し掛けてきた。
十七、八歳くらいだ。
山田って言ったっけ……?
「何?」
「いや、菊市殿は内弟子なので存じておるのではないかと」
「何を?」
光夜は山田を見た。
「その……、花月さんは決まった人がおられるのだろうか」
見ると周りにいる弟子達も聞き耳を立てている。
「そんなの本人に聞けよ」
「いや、それは……」
口ごもっている山田をその場に残し、後片付けを終えると光夜は母屋へ戻った。
花月は何かを縫っている。
その前に光夜の分の握り飯が用意されていた。
「なぁ」
光夜は握り飯に手を伸ばしながら花月に声を掛ける。
「なぁに?」
花月は繕い物をしながら答えた。
「花月は想い人ってヤツいるのか?」
「気になるの?」
花月は手を止めて顔を上げると可笑しそうに微笑んだ。
「いや、山田に聞かれたから。自分で聞けって言ってやったけど」
「そう言うことはね、本人には聞き辛いものなの。私には特にね」
花月はまた手元に目を戻すと繕い物を再開した。
「なんであんたは特別なんだ?」
「許嫁がいたのよ。死んじゃったけど」
花月の顔が曇った。
「なんで?」
「その人のお父様がね、お酒の席で同僚に斬り殺されたの。それで仇を討たなきゃならなくなって……。仇討ちにいって返り討ちに遭ったの」
「そいつのこと、好きだったのか?」
花月が目を伏せた。
「……私が好きだったのはその人の従兄」
「そいつは?」
「その人も亡くなったわ」
「もしかして花月を取り合って決闘とか?」
「まさか」
花月は微笑った。
悲しそうな瞳で。
花月の許嫁は優しい人だったが剣術はさっぱり駄目だった。
とても仇討ちなど出来る腕ではなかった。
その為その従兄が同行する事になった。
その従兄の剣術の腕はかなりのものだった。
だから、どうしてその従兄の方を許嫁にしてくれなかったのかと父を恨んだりもした。
「罰が当たったのかな。二人とも死んじゃった」
もう二年も前の話だけどね、と付け加えた。
未だ忘れられないのか……?
とは聞けなかった。
聞きたかったけれど、聞いてはいけないような気がした。
その話はそれきりになった。
ある日、光夜と信之介が雑巾がけをしていると桶が倒れる音がした。
零れた水が床の上を広がっていく。
振り返ると同じ宗祐の組の弟子二人がにやにやしながら倒れた桶の横に立っていた。
確か麻生と武田、だったな……。
「悪いなぁ。足が引っ掛かっちまったよ」
麻生が嗤いながら言った。
「ざけんな! わざとだろ!」
光夜が食って掛かった。
「何だぁ、兄弟子に向かってその口の利き方は」
武田が光夜の胸ぐらを掴んだ。
光夜はその腕を捻り上げる。
「いててて……!」
「貴様!」
麻生が殴り掛かってくる。
光夜が武田の腕を掴んだまま足払いを掛けると麻生は床に転がった。
「この……!」
麻生が起き上がって壁に掛かった木刀に手を伸ばした時、
「何をしている!」
花月が稽古場に入ってきた。
横に信之介がいる。
信之介が花月を呼んだようだ。
「こいつらが桶を倒したんだ」
「わ、わざとでは……! なのに菊市が言い掛かりを……」
「なんだと……!」
「やめなさい!」
花月が口論になりかけた二人の間に入った。
「光夜、その手を放しなさい。武田さんと麻生さんは帰るように。村瀬さんと光夜は掃除を終わらせてから母屋へ」
「花月!」
光夜が抗議しようとしたが花月は無視して母屋へ帰ってしまった。
「ちゃんと掃除しとけよ」
麻生はせせら笑うと武田と帰っていった。
「くそ!」
信之介が余計なことをしなければあの二人をのして遣れたのに……。
光夜は腹を立てたまま掃除を終えた。
昨日の試合を見ていた弦之丞と宗祐は、光夜と信之介を宗祐が指導している組に入れても良いと判断したのだ。
上の組の稽古は今まで以上に楽しかった。
光夜は更に剣術の稽古にのめり込んでいった。
宗祐の組では年数の関係で信之介と組むことが多かった。
ちなみに信之介は十四歳だそうだ。
光夜も信之介も宗祐の組に入ったとは言っても入門したばかりに変わりはないので雑巾がけは他の新人と一緒にやっている。
「菊市殿」
稽古の後の雑巾がけが終わり、後片付けをしていると弟子の一人が話し掛けてきた。
十七、八歳くらいだ。
山田って言ったっけ……?
「何?」
「いや、菊市殿は内弟子なので存じておるのではないかと」
「何を?」
光夜は山田を見た。
「その……、花月さんは決まった人がおられるのだろうか」
見ると周りにいる弟子達も聞き耳を立てている。
「そんなの本人に聞けよ」
「いや、それは……」
口ごもっている山田をその場に残し、後片付けを終えると光夜は母屋へ戻った。
花月は何かを縫っている。
その前に光夜の分の握り飯が用意されていた。
「なぁ」
光夜は握り飯に手を伸ばしながら花月に声を掛ける。
「なぁに?」
花月は繕い物をしながら答えた。
「花月は想い人ってヤツいるのか?」
「気になるの?」
花月は手を止めて顔を上げると可笑しそうに微笑んだ。
「いや、山田に聞かれたから。自分で聞けって言ってやったけど」
「そう言うことはね、本人には聞き辛いものなの。私には特にね」
花月はまた手元に目を戻すと繕い物を再開した。
「なんであんたは特別なんだ?」
「許嫁がいたのよ。死んじゃったけど」
花月の顔が曇った。
「なんで?」
「その人のお父様がね、お酒の席で同僚に斬り殺されたの。それで仇を討たなきゃならなくなって……。仇討ちにいって返り討ちに遭ったの」
「そいつのこと、好きだったのか?」
花月が目を伏せた。
「……私が好きだったのはその人の従兄」
「そいつは?」
「その人も亡くなったわ」
「もしかして花月を取り合って決闘とか?」
「まさか」
花月は微笑った。
悲しそうな瞳で。
花月の許嫁は優しい人だったが剣術はさっぱり駄目だった。
とても仇討ちなど出来る腕ではなかった。
その為その従兄が同行する事になった。
その従兄の剣術の腕はかなりのものだった。
だから、どうしてその従兄の方を許嫁にしてくれなかったのかと父を恨んだりもした。
「罰が当たったのかな。二人とも死んじゃった」
もう二年も前の話だけどね、と付け加えた。
未だ忘れられないのか……?
とは聞けなかった。
聞きたかったけれど、聞いてはいけないような気がした。
その話はそれきりになった。
ある日、光夜と信之介が雑巾がけをしていると桶が倒れる音がした。
零れた水が床の上を広がっていく。
振り返ると同じ宗祐の組の弟子二人がにやにやしながら倒れた桶の横に立っていた。
確か麻生と武田、だったな……。
「悪いなぁ。足が引っ掛かっちまったよ」
麻生が嗤いながら言った。
「ざけんな! わざとだろ!」
光夜が食って掛かった。
「何だぁ、兄弟子に向かってその口の利き方は」
武田が光夜の胸ぐらを掴んだ。
光夜はその腕を捻り上げる。
「いててて……!」
「貴様!」
麻生が殴り掛かってくる。
光夜が武田の腕を掴んだまま足払いを掛けると麻生は床に転がった。
「この……!」
麻生が起き上がって壁に掛かった木刀に手を伸ばした時、
「何をしている!」
花月が稽古場に入ってきた。
横に信之介がいる。
信之介が花月を呼んだようだ。
「こいつらが桶を倒したんだ」
「わ、わざとでは……! なのに菊市が言い掛かりを……」
「なんだと……!」
「やめなさい!」
花月が口論になりかけた二人の間に入った。
「光夜、その手を放しなさい。武田さんと麻生さんは帰るように。村瀬さんと光夜は掃除を終わらせてから母屋へ」
「花月!」
光夜が抗議しようとしたが花月は無視して母屋へ帰ってしまった。
「ちゃんと掃除しとけよ」
麻生はせせら笑うと武田と帰っていった。
「くそ!」
信之介が余計なことをしなければあの二人をのして遣れたのに……。
光夜は腹を立てたまま掃除を終えた。
0
お気に入りに追加
3
あなたにおすすめの小説
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/essay.png?id=5ada788558fa89228aea)
独裁者・武田信玄
いずもカリーシ
歴史・時代
歴史の本とは別の視点で武田信玄という人間を描きます!
平和な時代に、戦争の素人が娯楽[エンターテイメント]の一貫で歴史の本を書いたことで、歴史はただ暗記するだけの詰まらないものと化してしまいました。
『事実は小説よりも奇なり』
この言葉の通り、事実の方が好奇心をそそるものであるのに……
歴史の本が単純で薄い内容であるせいで、フィクションの方が面白く、深い内容になっていることが残念でなりません。
過去の出来事ではありますが、独裁国家が民主国家を数で上回り、戦争が相次いで起こる『現代』だからこそ、この歴史物語はどこかに通じるものがあるかもしれません。
【第壱章 独裁者への階段】 国を一つにできない弱く愚かな支配者は、必ず滅ぶのが戦国乱世の習い
【第弐章 川中島合戦】 戦争の勝利に必要な条件は第一に補給、第二に地形
【第参章 戦いの黒幕】 人の持つ欲を煽って争いの種を撒き、愚かな者を操って戦争へと発展させる武器商人
【第肆章 織田信長の愛娘】 人間の生きる価値は、誰かの役に立つ生き方のみにこそある
【最終章 西上作戦】 人々を一つにするには、敵が絶対に必要である
この小説は『大罪人の娘』を補完するものでもあります。
(前編が執筆終了していますが、後編の執筆に向けて修正中です)
魔斬
夢酔藤山
歴史・時代
深淵なる江戸の闇には、怨霊や妖魔の類が巣食い、昼と対なす穢土があった。
その魔を斬り払う闇の稼業、魔斬。
坊主や神主の手に負えぬ退魔を金銭で請け負う江戸の元締は関東長吏頭・浅草弾左衛門。忌むべき身分を統べる弾左衛門が最後に頼るのが、武家で唯一の魔斬人・山田浅右衛門である。昼は罪人の首を斬り、夜は怨霊を斬る因果の男。
幕末。
深い闇の奥に、今日もあやかしを斬る男がいる。
2023年オール讀物中間発表止まりの作品。その先の連作を含めて、いよいよ御開帳。
旧式戦艦はつせ
古井論理
歴史・時代
真珠湾攻撃を行う前に機動艦隊が発見されてしまい、結果的に太平洋戦争を回避した日本であったが軍備は軍縮条約によって制限され、日本国に国名を変更し民主政治を取り入れたあとも締め付けが厳しい日々が続いている世界。東南アジアの元列強植民地が独立した大国・マカスネシア連邦と同盟を結んだ日本だが、果たして復権の日は来るのであろうか。ロマンと知略のIF戦記。
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/history.png?id=c54a38c2a36c3510c993)
永き夜の遠の睡りの皆目醒め
七瀬京
歴史・時代
近藤勇の『首』が消えた……。
新撰組の局長として名を馳せた近藤勇は板橋で罪人として処刑されてから、その首を晒された。
しかし、その首が、ある日忽然と消えたのだった……。
近藤の『首』を巡り、過去と栄光と男たちの愛憎が交錯する。
首はどこにあるのか。
そして激動の時代、男たちはどこへ向かうのか……。
※男性同士の恋愛表現がありますので苦手な方はご注意下さい
吼えよ! 権六
林 本丸
歴史・時代
時の関白豊臣秀吉を嫌う茶々姫はあるとき秀吉のいやがらせのため自身の養父・故柴田勝家の過去を探ることを思い立つ。主人公の木下半介は、茶々の命を受け、嫌々ながら柴田勝家の過去を探るのだが、その時々で秀吉からの妨害に見舞われる。はたして半介は茶々の命を完遂できるのか? やがて柴田勝家の過去を探る旅の過程でこれに関わる人々の気持ちも変化して……。
鎌倉最後の日
もず りょう
歴史・時代
かつて源頼朝や北条政子・義時らが多くの血を流して築き上げた武家政権・鎌倉幕府。承久の乱や元寇など幾多の困難を乗り越えてきた幕府も、悪名高き執権北条高時の治政下で頽廃を極めていた。京では後醍醐天皇による倒幕計画が持ち上がり、世に動乱の兆しが見え始める中にあって、北条一門の武将金澤貞将は危機感を募らせていく。ふとしたきっかけで交流を深めることとなった御家人新田義貞らは、貞将にならば鎌倉の未来を託すことができると彼に「決断」を迫るが――。鎌倉幕府の最後を華々しく彩った若き名将の清冽な生きざまを活写する歴史小説、ここに開幕!
江戸の夕映え
大麦 ふみ
歴史・時代
江戸時代にはたくさんの随筆が書かれました。
「のどやかな気分が漲っていて、読んでいると、己れもその時代に生きているような気持ちになる」(森 銑三)
そういったものを選んで、小説としてお届けしたく思います。
同じ江戸時代を生きていても、その暮らしぶり、境遇、ライフコース、そして考え方には、たいへんな幅、違いがあったことでしょう。
しかし、夕焼けがみなにひとしく差し込んでくるような、そんな目線であの時代の人々を描ければと存じます。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる