比翼の鳥

月夜野 すみれ

文字の大きさ
上 下
5 / 46
第二章

第一話

しおりを挟む
「ここがうちよ」
 瓦葺かわらぶきの土塀どべい両開りょうびらき門。
 旗本はたもとか。
 門番もんばんないから石高こくだかはそう高くない。
 稽古が行われてるらしく、門の向こうから木刀を叩く音や気合いを入れる声などが聞こえてくる。

「あら、花月ちゃん」
 若い女の声がして振り向くと、花月と同い年くらいの武家の娘が立っていた。
「あ、おゆいちゃん。今お裁縫さいほうの帰り?」
 お唯と呼ばれた娘はしとやかそうな娘だった。
 声も静かで落ち着いている。
「ええ。そちらは?」
 お唯が光夜に優しい視線を向けてきた。
「新しい弟子よ。菊市きくち光夜って言うの。光夜、お隣の藤崎ふじさき家のお唯ちゃんよ」
「そう。菊市さん、よろしくね。またね、花月ちゃん」
「うん」
 花月は唯に手を振るとくぐり戸を開けて中に入り光夜を手招てまねきした。

「こっちこっち」
 花月はそう言って稽古場の横を通って母屋おもやへ向かう。
 玄関を開けると、
只今ただいま戻りました」
 と言って家に上がった。
「お帰りなさいませ」
 中年の男が出てきて頭を下げる。
「この子は菊市光夜、内弟子になったから今日の夕餉ゆうげからこの子の分も用意するよう、お加代さんに伝えておいて。光夜、中間ちゅうげん弥七やしちよ」
 花月は弥七に光夜を紹介すると家の中へ入っていく。
 光夜が玄関口に立っていると花月が手招きをしたので後に続いた。

 先に立って歩いていた花月が廊下の途中で止まった。
 襖を開けると脇へけて光夜に中を見せた。
 六畳ほどの広さだ。
「ちょっと狭いけど、ここがあんたの部屋よ」
「…………」
 武家は屋敷だけは広いと聞いていたが、これが「狭い」部屋なのか……。
 俺が浜崎のおっさんと二人で住んでた部屋より広いじゃねぇか……。
「この部屋で何人寝るんだ?」
「あんたの部屋って言ったでしょ」
「……俺一人か?」
「一人じゃ寂しい?」
「いや、そうじゃなくて……」
 浜崎と長屋に住んでいた頃は元より伍助の家でも使用人達と雑魚寝ざこねだった。
 それももっと狭い部屋で。
 一人部屋なんて使った事が無かったので戸惑とまどったのだ。
「他には誰がるんだ?」
 光夜は話題を変えるように訊ねた。
「お父様とお兄様と、今の弥七と下働きのお加代さん」
「勝手に俺を弟子にしていのかよ」

 使用人が二人しかいないと言うことは内証ないしょ――家計状態は良くないのだろう。
 この屋敷の大きさならあと数人はいなければならないはずだ。
 将軍直属の武士を直参じきさんと言うが、直参の武士というのは役職などにより雇わなければならない使用人が決まっている。
 牢人ほどではなくても旗本や御家人ごけにんも生活が苦しいという話は聞いていた。
 だから本来は雇用していなければいけない使用人が必要になると臨時で雇うらしい。

「平気平気」
 花月は気にした様子もなく言った。
「さっきのお唯ちゃんね、お兄様に想いを寄せてるの。お兄様も満更まんざらじゃないみたいだし、きっとお唯ちゃんが将来のお義姉ねぇさんよ。あんたも仲良くしときなさいよ」
 その日が来るまでここにいるか分からなかったので廊下を歩いていく花月にいていきながら曖昧あいまいうなずいた。

「そういえば流派聞いてなかったわね。どこ?」
「さぁ? 聞いた事ねぇな」
「そうなんだ」
 格好こそ男みたいだが……。
 話し方や内容を聞いていると中身は普通の娘なんだな。
「なぁ、あんたの話し方、武家ってより町娘まちむすめみたいだな」
 さっきから疑問に思っていたことを訊ねてみた。
「私の母さんは上野の不忍池しのばずのいけの近くの水茶屋みずちゃやで働いてたの」

 花月の母親が流行病はやりやまいで亡くなった五歳の時まで町中で育ったためいまだに武家言葉に慣れず話し方が町娘のようになってしまうのだという。
 だと言っても五歳の時からなら十年くらいはってるだろうに。
 ちなみに、さっきの「お祖母様」は父方の祖母らしい。

 夕餉の支度が出来る頃、花月の父・弦之丞げんのじょう紘空ひろあきと兄・宗祐そうすけ紘陽ひろたかが戻ってきた。
「お帰りなさいませ」
 花月が迎えた。
 光夜も花月の後ろで頭を下げた。

 弦之丞も宗祐も背が高い。
 鍛練たんれんを重ねた身体はがっちりしていた。
 弦之丞は気難きむずかしそうでいかめしい顔付きをしている。
 宗祐の方は精悍せいかんな顔立ちで中々男前だ。
 半分とは言え花月と血がつながっているだけはある。
 けど……。
 二人ともかなりのつかい手だ。
 真剣で何度も人を斬り殺したことのある目をしていた。
 それも一人や二人ではない。
 真剣で人を斬り殺した経験があるかないかの差は大きい。
 光夜も自分ではそこそこつかえると思っていたが弦之丞や宗祐に比べたら赤子あかごも同然だ。

「うむ」
 弦之丞は頷くと光夜に視線を向けた。
 殺気はない。
 しかし全てを見透みすかすような目で見詰みつめられると射竦いすくめられたように身体がこわばった。
「その者は?」
「新しい弟子で菊市光夜と申します。住むところがないので内弟子にして下さい」
 え……。
 やっぱ許可が必要なんじゃねぇか……。
 それなのに先に部屋だの夕餉を用意しろだの勝手なことをして叱られないのか?
 弦之丞は見るからに厳しそうな顔付きだ。
 女子供でも容赦ようしゃなく怒鳴どなり付けそうに見える。

 光夜が固唾かたずを飲んで様子を見ていると、
「また拾ってきたのか」
 宗祐が苦笑した。
 また?
 弦之丞は、
「お前の男か?」
 と大真面目な顔で花月に訊ねた。
 え……?
 光夜は思わず耳を疑った。ついでに目も。
 厳格げんかくそうで、少しでも軽口を聞いたら張り飛ばしてきそうな外見からは予想も付かない言葉だった。
「違います」
 花月は動じた風もなくまし顔で答えた。
 宗祐も平然としているところを見るとどうやらこの手のことを言うのはいつもの事らしい。
 弦之丞は頷くとそれ以上何も言わずに奥に入っていった。
精進しょうじんするように」
 宗祐もそう言うと弦之丞の後に続いた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

【完結】風天の虎 ――車丹波、北の関ヶ原

糸冬
歴史・時代
車丹波守斯忠。「猛虎」の諱で知られる戦国武将である。 慶長五年(一六〇〇年)二月、徳川家康が上杉征伐に向けて策動する中、斯忠は反徳川派の急先鋒として、主君・佐竹義宣から追放の憂き目に遭う。 しかし一念発起した斯忠は、異母弟にして養子の車善七郎と共に数百の手勢を集めて会津に乗り込み、上杉家の筆頭家老・直江兼続が指揮する「組外衆」に加わり働くことになる。 目指すは徳川家康の首級ただ一つ。 しかし、その思いとは裏腹に、最初に与えられた役目は神指城の普請場での土運びであった……。 その名と生き様から、「国民的映画の主人公のモデル」とも噂される男が身を投じた、「もう一つの関ヶ原」の物語。

友達の母親が俺の目の前で下着姿に…

じゅ〜ん
エッセイ・ノンフィクション
とあるオッサンの青春実話です

あやかし娘とはぐれ龍

五月雨輝
歴史・時代
天明八年の江戸。神田松永町の両替商「秋野屋」が盗賊に襲われた上に火をつけられて全焼した。一人娘のゆみは運良く生き残ったのだが、その時にはゆみの小さな身体には不思議な能力が備わって、いた。 一方、婿入り先から追い出され実家からも勘当されている旗本の末子、本庄龍之介は、やくざ者から追われている途中にゆみと出会う。二人は一騒動の末に仮の親子として共に過ごしながら、ゆみの家を襲った凶悪犯を追って江戸を走ることになる。 浪人男と家無し娘、二人の刃は神田、本所界隈の悪を裂き、それはやがて二人の家族へと繋がる戦いになるのだった。

独裁者・武田信玄

いずもカリーシ
歴史・時代
歴史の本とは別の視点で武田信玄という人間を描きます! 平和な時代に、戦争の素人が娯楽[エンターテイメント]の一貫で歴史の本を書いたことで、歴史はただ暗記するだけの詰まらないものと化してしまいました。 『事実は小説よりも奇なり』 この言葉の通り、事実の方が好奇心をそそるものであるのに…… 歴史の本が単純で薄い内容であるせいで、フィクションの方が面白く、深い内容になっていることが残念でなりません。 過去の出来事ではありますが、独裁国家が民主国家を数で上回り、戦争が相次いで起こる『現代』だからこそ、この歴史物語はどこかに通じるものがあるかもしれません。 【第壱章 独裁者への階段】 国を一つにできない弱く愚かな支配者は、必ず滅ぶのが戦国乱世の習い 【第弐章 川中島合戦】 戦争の勝利に必要な条件は第一に補給、第二に地形 【第参章 戦いの黒幕】 人の持つ欲を煽って争いの種を撒き、愚かな者を操って戦争へと発展させる武器商人 【第肆章 織田信長の愛娘】 人間の生きる価値は、誰かの役に立つ生き方のみにこそある 【最終章 西上作戦】 人々を一つにするには、敵が絶対に必要である この小説は『大罪人の娘』を補完するものでもあります。 (前編が執筆終了していますが、後編の執筆に向けて修正中です)

旧式戦艦はつせ

古井論理
歴史・時代
真珠湾攻撃を行う前に機動艦隊が発見されてしまい、結果的に太平洋戦争を回避した日本であったが軍備は軍縮条約によって制限され、日本国に国名を変更し民主政治を取り入れたあとも締め付けが厳しい日々が続いている世界。東南アジアの元列強植民地が独立した大国・マカスネシア連邦と同盟を結んだ日本だが、果たして復権の日は来るのであろうか。ロマンと知略のIF戦記。

永き夜の遠の睡りの皆目醒め

七瀬京
歴史・時代
近藤勇の『首』が消えた……。 新撰組の局長として名を馳せた近藤勇は板橋で罪人として処刑されてから、その首を晒された。 しかし、その首が、ある日忽然と消えたのだった……。 近藤の『首』を巡り、過去と栄光と男たちの愛憎が交錯する。 首はどこにあるのか。 そして激動の時代、男たちはどこへ向かうのか……。 ※男性同士の恋愛表現がありますので苦手な方はご注意下さい

江戸の夕映え

大麦 ふみ
歴史・時代
江戸時代にはたくさんの随筆が書かれました。 「のどやかな気分が漲っていて、読んでいると、己れもその時代に生きているような気持ちになる」(森 銑三) そういったものを選んで、小説としてお届けしたく思います。 同じ江戸時代を生きていても、その暮らしぶり、境遇、ライフコース、そして考え方には、たいへんな幅、違いがあったことでしょう。 しかし、夕焼けがみなにひとしく差し込んでくるような、そんな目線であの時代の人々を描ければと存じます。

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

処理中です...