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第二章
第一話
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「ここがうちよ」
瓦葺きの土塀に両開き門。
旗本か。
門番は居ないから石高はそう高くない。
稽古が行われてるらしく、門の向こうから木刀を叩く音や気合いを入れる声などが聞こえてくる。
「あら、花月ちゃん」
若い女の声がして振り向くと、花月と同い年くらいの武家の娘が立っていた。
「あ、お唯ちゃん。今お裁縫の帰り?」
お唯と呼ばれた娘はしとやかそうな娘だった。
声も静かで落ち着いている。
「ええ。そちらは?」
お唯が光夜に優しい視線を向けてきた。
「新しい弟子よ。菊市光夜って言うの。光夜、お隣の藤崎家のお唯ちゃんよ」
「そう。菊市さん、よろしくね。またね、花月ちゃん」
「うん」
花月は唯に手を振ると潜り戸を開けて中に入り光夜を手招きした。
「こっちこっち」
花月はそう言って稽古場の横を通って母屋へ向かう。
玄関を開けると、
「只今戻りました」
と言って家に上がった。
「お帰りなさいませ」
中年の男が出てきて頭を下げる。
「この子は菊市光夜、内弟子になったから今日の夕餉からこの子の分も用意するよう、お加代さんに伝えておいて。光夜、中間の弥七よ」
花月は弥七に光夜を紹介すると家の中へ入っていく。
光夜が玄関口に立っていると花月が手招きをしたので後に続いた。
先に立って歩いていた花月が廊下の途中で止まった。
襖を開けると脇へ避けて光夜に中を見せた。
六畳ほどの広さだ。
「ちょっと狭いけど、ここがあんたの部屋よ」
「…………」
武家は屋敷だけは広いと聞いていたが、これが「狭い」部屋なのか……。
俺が浜崎のおっさんと二人で住んでた部屋より広いじゃねぇか……。
「この部屋で何人寝るんだ?」
「あんたの部屋って言ったでしょ」
「……俺一人か?」
「一人じゃ寂しい?」
「いや、そうじゃなくて……」
浜崎と長屋に住んでいた頃は元より伍助の家でも使用人達と雑魚寝だった。
それももっと狭い部屋で。
一人部屋なんて使った事が無かったので戸惑ったのだ。
「他には誰が居るんだ?」
光夜は話題を変えるように訊ねた。
「お父様とお兄様と、今の弥七と下働きのお加代さん」
「勝手に俺を弟子にして良いのかよ」
使用人が二人しかいないと言うことは内証――家計状態は良くないのだろう。
この屋敷の大きさならあと数人はいなければならないはずだ。
将軍直属の武士を直参と言うが、直参の武士というのは役職などにより雇わなければならない使用人が決まっている。
牢人ほどではなくても旗本や御家人も生活が苦しいという話は聞いていた。
だから本来は雇用していなければいけない使用人が必要になると臨時で雇うらしい。
「平気平気」
花月は気にした様子もなく言った。
「さっきのお唯ちゃんね、お兄様に想いを寄せてるの。お兄様も満更じゃないみたいだし、きっとお唯ちゃんが将来のお義姉さんよ。あんたも仲良くしときなさいよ」
その日が来るまでここにいるか分からなかったので廊下を歩いていく花月に随いていきながら曖昧に頷いた。
「そういえば流派聞いてなかったわね。どこ?」
「さぁ? 聞いた事ねぇな」
「そうなんだ」
格好こそ男みたいだが……。
話し方や内容を聞いていると中身は普通の娘なんだな。
「なぁ、あんたの話し方、武家ってより町娘みたいだな」
さっきから疑問に思っていたことを訊ねてみた。
「私の母さんは上野の不忍池の近くの水茶屋で働いてたの」
花月の母親が流行病で亡くなった五歳の時まで町中で育ったため未だに武家言葉に慣れず話し方が町娘のようになってしまうのだという。
未だと言っても五歳の時からなら十年くらいは経ってるだろうに。
ちなみに、さっきの「お祖母様」は父方の祖母らしい。
夕餉の支度が出来る頃、花月の父・弦之丞紘空と兄・宗祐紘陽が戻ってきた。
「お帰りなさいませ」
花月が迎えた。
光夜も花月の後ろで頭を下げた。
弦之丞も宗祐も背が高い。
鍛練を重ねた身体はがっちりしていた。
弦之丞は気難しそうで厳めしい顔付きをしている。
宗祐の方は精悍な顔立ちで中々男前だ。
半分とは言え花月と血が繋がっているだけはある。
けど……。
二人ともかなりの遣い手だ。
真剣で何度も人を斬り殺したことのある目をしていた。
それも一人や二人ではない。
真剣で人を斬り殺した経験があるかないかの差は大きい。
光夜も自分ではそこそこ遣えると思っていたが弦之丞や宗祐に比べたら赤子も同然だ。
「うむ」
弦之丞は頷くと光夜に視線を向けた。
殺気はない。
しかし全てを見透かすような目で見詰められると射竦められたように身体が強ばった。
「その者は?」
「新しい弟子で菊市光夜と申します。住むところがないので内弟子にして下さい」
え……。
やっぱ許可が必要なんじゃねぇか……。
それなのに先に部屋だの夕餉を用意しろだの勝手なことをして叱られないのか?
弦之丞は見るからに厳しそうな顔付きだ。
女子供でも容赦なく怒鳴り付けそうに見える。
光夜が固唾を飲んで様子を見ていると、
「また拾ってきたのか」
宗祐が苦笑した。
また?
弦之丞は、
「お前の男か?」
と大真面目な顔で花月に訊ねた。
え……?
光夜は思わず耳を疑った。ついでに目も。
厳格そうで、少しでも軽口を聞いたら張り飛ばしてきそうな外見からは予想も付かない言葉だった。
「違います」
花月は動じた風もなく済まし顔で答えた。
宗祐も平然としているところを見るとどうやらこの手のことを言うのはいつもの事らしい。
弦之丞は頷くとそれ以上何も言わずに奥に入っていった。
「精進するように」
宗祐もそう言うと弦之丞の後に続いた。
瓦葺きの土塀に両開き門。
旗本か。
門番は居ないから石高はそう高くない。
稽古が行われてるらしく、門の向こうから木刀を叩く音や気合いを入れる声などが聞こえてくる。
「あら、花月ちゃん」
若い女の声がして振り向くと、花月と同い年くらいの武家の娘が立っていた。
「あ、お唯ちゃん。今お裁縫の帰り?」
お唯と呼ばれた娘はしとやかそうな娘だった。
声も静かで落ち着いている。
「ええ。そちらは?」
お唯が光夜に優しい視線を向けてきた。
「新しい弟子よ。菊市光夜って言うの。光夜、お隣の藤崎家のお唯ちゃんよ」
「そう。菊市さん、よろしくね。またね、花月ちゃん」
「うん」
花月は唯に手を振ると潜り戸を開けて中に入り光夜を手招きした。
「こっちこっち」
花月はそう言って稽古場の横を通って母屋へ向かう。
玄関を開けると、
「只今戻りました」
と言って家に上がった。
「お帰りなさいませ」
中年の男が出てきて頭を下げる。
「この子は菊市光夜、内弟子になったから今日の夕餉からこの子の分も用意するよう、お加代さんに伝えておいて。光夜、中間の弥七よ」
花月は弥七に光夜を紹介すると家の中へ入っていく。
光夜が玄関口に立っていると花月が手招きをしたので後に続いた。
先に立って歩いていた花月が廊下の途中で止まった。
襖を開けると脇へ避けて光夜に中を見せた。
六畳ほどの広さだ。
「ちょっと狭いけど、ここがあんたの部屋よ」
「…………」
武家は屋敷だけは広いと聞いていたが、これが「狭い」部屋なのか……。
俺が浜崎のおっさんと二人で住んでた部屋より広いじゃねぇか……。
「この部屋で何人寝るんだ?」
「あんたの部屋って言ったでしょ」
「……俺一人か?」
「一人じゃ寂しい?」
「いや、そうじゃなくて……」
浜崎と長屋に住んでいた頃は元より伍助の家でも使用人達と雑魚寝だった。
それももっと狭い部屋で。
一人部屋なんて使った事が無かったので戸惑ったのだ。
「他には誰が居るんだ?」
光夜は話題を変えるように訊ねた。
「お父様とお兄様と、今の弥七と下働きのお加代さん」
「勝手に俺を弟子にして良いのかよ」
使用人が二人しかいないと言うことは内証――家計状態は良くないのだろう。
この屋敷の大きさならあと数人はいなければならないはずだ。
将軍直属の武士を直参と言うが、直参の武士というのは役職などにより雇わなければならない使用人が決まっている。
牢人ほどではなくても旗本や御家人も生活が苦しいという話は聞いていた。
だから本来は雇用していなければいけない使用人が必要になると臨時で雇うらしい。
「平気平気」
花月は気にした様子もなく言った。
「さっきのお唯ちゃんね、お兄様に想いを寄せてるの。お兄様も満更じゃないみたいだし、きっとお唯ちゃんが将来のお義姉さんよ。あんたも仲良くしときなさいよ」
その日が来るまでここにいるか分からなかったので廊下を歩いていく花月に随いていきながら曖昧に頷いた。
「そういえば流派聞いてなかったわね。どこ?」
「さぁ? 聞いた事ねぇな」
「そうなんだ」
格好こそ男みたいだが……。
話し方や内容を聞いていると中身は普通の娘なんだな。
「なぁ、あんたの話し方、武家ってより町娘みたいだな」
さっきから疑問に思っていたことを訊ねてみた。
「私の母さんは上野の不忍池の近くの水茶屋で働いてたの」
花月の母親が流行病で亡くなった五歳の時まで町中で育ったため未だに武家言葉に慣れず話し方が町娘のようになってしまうのだという。
未だと言っても五歳の時からなら十年くらいは経ってるだろうに。
ちなみに、さっきの「お祖母様」は父方の祖母らしい。
夕餉の支度が出来る頃、花月の父・弦之丞紘空と兄・宗祐紘陽が戻ってきた。
「お帰りなさいませ」
花月が迎えた。
光夜も花月の後ろで頭を下げた。
弦之丞も宗祐も背が高い。
鍛練を重ねた身体はがっちりしていた。
弦之丞は気難しそうで厳めしい顔付きをしている。
宗祐の方は精悍な顔立ちで中々男前だ。
半分とは言え花月と血が繋がっているだけはある。
けど……。
二人ともかなりの遣い手だ。
真剣で何度も人を斬り殺したことのある目をしていた。
それも一人や二人ではない。
真剣で人を斬り殺した経験があるかないかの差は大きい。
光夜も自分ではそこそこ遣えると思っていたが弦之丞や宗祐に比べたら赤子も同然だ。
「うむ」
弦之丞は頷くと光夜に視線を向けた。
殺気はない。
しかし全てを見透かすような目で見詰められると射竦められたように身体が強ばった。
「その者は?」
「新しい弟子で菊市光夜と申します。住むところがないので内弟子にして下さい」
え……。
やっぱ許可が必要なんじゃねぇか……。
それなのに先に部屋だの夕餉を用意しろだの勝手なことをして叱られないのか?
弦之丞は見るからに厳しそうな顔付きだ。
女子供でも容赦なく怒鳴り付けそうに見える。
光夜が固唾を飲んで様子を見ていると、
「また拾ってきたのか」
宗祐が苦笑した。
また?
弦之丞は、
「お前の男か?」
と大真面目な顔で花月に訊ねた。
え……?
光夜は思わず耳を疑った。ついでに目も。
厳格そうで、少しでも軽口を聞いたら張り飛ばしてきそうな外見からは予想も付かない言葉だった。
「違います」
花月は動じた風もなく済まし顔で答えた。
宗祐も平然としているところを見るとどうやらこの手のことを言うのはいつもの事らしい。
弦之丞は頷くとそれ以上何も言わずに奥に入っていった。
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宗祐もそう言うと弦之丞の後に続いた。
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