比翼の鳥

月夜野 すみれ

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第一章

第二話

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「おじさん、お蕎麦二つ」
 花月が注文すると、蕎麦屋はすぐに蕎麦を二つ出した。
 蕎麦が目の前に出される
 光夜は黙って受け取ると、あっという間に平らげた。
「おじさん、もう一杯」
 光夜が蕎麦を食い終える度に花月がお代わり注文する。
 結局光夜は蕎麦を五杯食べた。

 花月は蕎麦屋に金を払いながら、
「何日食べてなかったの?」
 と訊ねてきた。
「二日」
「ひょっとして、これが目的で助けようとしてくれたの?」
 花月が小首をかしげて訊ねた。
「それもあるけど……その格好、なんか訳ありかと思って」
理由わけが知りたかったの?」
「いや、訳ありなら用心棒とか助っ人とか必要だろ」
「雇い主探してたんだ」
「そういうこと」
 光夜は肩をすくめた。
「残念。この格好は大小だいしょうすため。女の格好じゃ差せないでしょ」
「そっか。それじゃ、御馳走ごちそうさん」
 当てが外れた光夜ははしを置いてきびすを返そうとした。

「用心棒や助っ人はらないけど弟子なら取ってるわよ」
「弟子?」
「うち、剣術の稽古場ってるの」
束脩そくしゅうなんか払えねぇよ」
 束脩というのは入門するときに支払う謝礼である。
「内弟子なら必要ないわよ」
「寝るとことめしに困らねぇって事か?」
「そういうこと。じゃ、行きましょ」
 花月は蕎麦屋に「御馳走様ごちそうさま」と言うと歩き出した。

「おい、いのかよ。そんなに簡単に決めて。俺のこと何も知らねぇだろ」
「じゃ、教えて」
 花月の問いに光夜は言葉にまった。
「言いたくないなら別にいわよ」
 くねぇだろ!
 子供とはいえ素性すじょうも知らない相手を住まわせるなんて不用心にも程がある。
 いくら光夜より強くても寝ている時などに不意をかれたら負ける事はあるだろう。
「隠すような事はねぇけど、どっから話たらいのか分かんねぇ」
「住むとこがないって事は親はないの? 今まではどうしてたの?」
「三年前までは浜崎って牢人に育てられてた」
 光夜はぽつぽつと話し始めた。

 浜崎が親ではないのは確かのようだった。
 長屋の連中の話を立ち聞きした事があって、それによると浜崎が光夜を連れてきたのは三、四歳くらいの時だったという。
 それまでは他の人間に育てられてたらしい。

「ま、俺としてはどっちでもいんだけどさ」
 裏店うらだな暮らしだったが剣術だけは仕込まれた。
 裏店というのはいわゆる長屋ながやの事である。
 通りに面している建物を表店おもてだなと言う。
 店という言葉が付いているが建物という意味で店舗とは限らなかった。
 四方を表店に囲まれた内側に裏店と呼ばれる長屋がある。
 通りに出る時は表店の脇にある路地を通らなければならない。
 浜崎は稽古場けいこば師範代しはんだいをして何とか食べていた。
 少なくとも光夜はそう訊いていた。

 しかし三年前、光夜が十歳の時、浜崎が殺された。
 ある日、光夜が空き地で素振りをしているとあわただしい足音が聞こえた。

「おい! 大変てぇへんだ! 牢人さんが大川端に……!」
 走ってきた大家おおやが息を切らして言った。
 大家はひざに両手をいて息を整えると、
「おめぇんとこの牢人さんが、そこの大川端おおかわばたで死んでるって……」
 と言った。
「本当に浜崎のおっさんなのか?」
 光夜は素振りをめて訊ねた。
 浜崎はうらぶれた姿の牢人だ。
 金目当てに襲うやつないだろう。
 それに稽古場で師範代をっているくらいなのだから簡単に辻斬つじぎりに負けるとも思えない。
 しかし夕辺帰ってこなかったのも事実だ。
「間違げぇねぇって、今、知らせが……。とにかく確かめに行ってきな!」
 大家の言葉に、光夜は長屋に木刀を置くと刀を差して大川端に出掛けた。

 長屋を出て大川に向かうと川岸に人だかりが出来ていた。
 光夜は人の間をうようにして前に出た。
 人垣を抜けた途端、浜崎の遺体が目に飛び込んできた。
 右腕は刀を握ったまま少し離れた場所に落ちている。
 肩から脇腹に掛けて袈裟けさに斬られていた。
 これが致命傷か……。
 仮にも剣術の稽古場の師範代を斬り殺したのだ。
 かなりのつかい手に違いない。

「どいた、どいた!」
 人混ひとごみが割れ、御用聞ごようききに先導せんどうされた武士が歩いてきた。
 黄八丈きはちじょう着流きながしに黒い羽織はおり
 八丁堀はっちょうぼり同心どうしんだ。
 御用聞きは浜崎の手首を十手じってで持ち上げたり懐を探ったりした後、同心と何やら話していた。
 同心はうなずくと、きびすを返してその場を後にした。
 残された御用聞きが野次馬に聞き込みを始めた。
 光夜もそこを離れると、そのまま二度と長屋には戻らなかった。

 浜崎は長屋の連中とは付き合いがなかったし、向こうも自分達を良く思っていないのは態度で分かった。
 井戸端でお喋りをしていても浜崎や光夜が通り掛かると黙り込むか、そそくさと自分の部屋へと戻っていった。
 それにみんな貧乏なのは同じ裏店うらだなに住んでるからよく知っている。
 なのに自分の子供に風車かざぐるまだのあめだのを買ってやっているのを見るとなんだか嫌な気分になった。
 だから、そんな連中の世話にはなりたくなかった。
 部屋の中に多少だがたくわえが置いてあったから、それで浜崎の埋葬まいそうくらいはしてくれるはずだ。
 仮に川に捨てられたとしても浜崎はもう死んでいる。
 土の中でも水の底でも同じだろう。
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