4 / 5
俊恵、頼政を語る
しおりを挟む
「歌は優れた句が思い付けたとしても前後の句をふさわしくするのが難しい」
俊恵はそう言って二つの歌を上げた。
〝なごの海の 霞の間より ながむれば 入る日を洗ふ 沖つ白浪〟- 藤原実定
〝住吉の 松の木間より ながむれば 月落ちかかる 淡路島山〟- 源頼政
「〝入る日を洗ふ〟や〝月落ちかかる〟という句は素晴らしいのに第二、第三句が上手くないのが残念だ」
俊恵が言った。
「それは本人達には言ったんですか?」
「まさか」
俊恵がとんでもない、という表情で首をはげしく振る。
「なぜです」
「怖いからに決まっているだろう」
俊恵が真顔で言った。
「は?」
「頼政卿を知らないのか」
「え?」
俊恵は人に聞かれていないか確かめるように辺りを見回してから声を潜めた。
「以前、内裏の門に大軍が押し寄せたとき、頼政卿はたった三百騎で返り討ちにしたそうだぞ」
「あ、その件なら……」
「とにかく私はまだ死にたくないんだ」
「…………」
頼政が大軍を三百旗で追い払ったというのは嘘ではないが戦ったわけでもない。
大軍を率いてきた首謀者達を上手く言いくるめて追い払っただけなのだ。
頼政が弓の名手で武芸に秀でているというのは事実だが三百旗で大軍を追い返したときは実際には戦っていない。
だが、どうやら俊恵は尾ひれの付いた話を信じ込んでいるらしく聞く耳を持たなかった。
「二条中将が、歌の中にはこの言葉が無ければもっといいのに、と思うものがあると仰っていたんだが――」
〝月は知るや うきの世の中の はかなさを ながめてもまた いくめぐりかは〟- 源兼資
〝澄みのぼる 月の光に 横ぎれて 渡るあきさの 音の寒けさ〟- 源頼政
「〝浮き世の中〟の〝中〟や〝月の光に〟の〝光〟は余計だと……」
「なんで頼政卿が怖いのに卿の歌を引き合いに出すんですか?」
「卿は当代きっての歌人だけあって詠んでいる歌が多いからだ」
俊恵が答える。
確かに、三百騎の兵で大軍を追い返したときも、引き上げていった理由の一つは頼政が、
〝深山木の その梢とも 見えざりし 桜は花に あらはれにけり〟
という名歌を詠んだほどの歌道に秀でている歌人だからと言われている。
その話を聞いたとき『芸は身を助く』というのは本当なんだな、と感心したものである。
「それから大弐入道殿が言うには、伊豆守が〝ならはしがほ〟と詠んだことがあったが、そんな言葉を歌で使う人はどれだけ沢山の秀歌を詠もうと歌人とは呼べない、と仰っていた」
伊豆守というのは頼政の長男・仲綱である。
「頼政卿に恨みでもあるんですか?」
「滅多なことを言うものではない! というか、私が言ったわけではないぞ!」
最初の二種以外は。
藤原俊成が以前、
「俊恵は名人だが源俊頼には及ばない。そして源頼政は素晴らしい名人だ」
と言っていた。
おそらく俊恵としては頼政に思うところがあるのだろう。
そんな事を考えながら今日も俊恵の話に耳を傾けていた。
* * *
源俊頼=俊恵の父
出典:
鴨長明『無名抄』「仲綱の歌、いやしき言葉を詠むこと」「上の句劣れる秀歌」「歌言葉の糟糠」「俊成入道の物語」
俊恵はそう言って二つの歌を上げた。
〝なごの海の 霞の間より ながむれば 入る日を洗ふ 沖つ白浪〟- 藤原実定
〝住吉の 松の木間より ながむれば 月落ちかかる 淡路島山〟- 源頼政
「〝入る日を洗ふ〟や〝月落ちかかる〟という句は素晴らしいのに第二、第三句が上手くないのが残念だ」
俊恵が言った。
「それは本人達には言ったんですか?」
「まさか」
俊恵がとんでもない、という表情で首をはげしく振る。
「なぜです」
「怖いからに決まっているだろう」
俊恵が真顔で言った。
「は?」
「頼政卿を知らないのか」
「え?」
俊恵は人に聞かれていないか確かめるように辺りを見回してから声を潜めた。
「以前、内裏の門に大軍が押し寄せたとき、頼政卿はたった三百騎で返り討ちにしたそうだぞ」
「あ、その件なら……」
「とにかく私はまだ死にたくないんだ」
「…………」
頼政が大軍を三百旗で追い払ったというのは嘘ではないが戦ったわけでもない。
大軍を率いてきた首謀者達を上手く言いくるめて追い払っただけなのだ。
頼政が弓の名手で武芸に秀でているというのは事実だが三百旗で大軍を追い返したときは実際には戦っていない。
だが、どうやら俊恵は尾ひれの付いた話を信じ込んでいるらしく聞く耳を持たなかった。
「二条中将が、歌の中にはこの言葉が無ければもっといいのに、と思うものがあると仰っていたんだが――」
〝月は知るや うきの世の中の はかなさを ながめてもまた いくめぐりかは〟- 源兼資
〝澄みのぼる 月の光に 横ぎれて 渡るあきさの 音の寒けさ〟- 源頼政
「〝浮き世の中〟の〝中〟や〝月の光に〟の〝光〟は余計だと……」
「なんで頼政卿が怖いのに卿の歌を引き合いに出すんですか?」
「卿は当代きっての歌人だけあって詠んでいる歌が多いからだ」
俊恵が答える。
確かに、三百騎の兵で大軍を追い返したときも、引き上げていった理由の一つは頼政が、
〝深山木の その梢とも 見えざりし 桜は花に あらはれにけり〟
という名歌を詠んだほどの歌道に秀でている歌人だからと言われている。
その話を聞いたとき『芸は身を助く』というのは本当なんだな、と感心したものである。
「それから大弐入道殿が言うには、伊豆守が〝ならはしがほ〟と詠んだことがあったが、そんな言葉を歌で使う人はどれだけ沢山の秀歌を詠もうと歌人とは呼べない、と仰っていた」
伊豆守というのは頼政の長男・仲綱である。
「頼政卿に恨みでもあるんですか?」
「滅多なことを言うものではない! というか、私が言ったわけではないぞ!」
最初の二種以外は。
藤原俊成が以前、
「俊恵は名人だが源俊頼には及ばない。そして源頼政は素晴らしい名人だ」
と言っていた。
おそらく俊恵としては頼政に思うところがあるのだろう。
そんな事を考えながら今日も俊恵の話に耳を傾けていた。
* * *
源俊頼=俊恵の父
出典:
鴨長明『無名抄』「仲綱の歌、いやしき言葉を詠むこと」「上の句劣れる秀歌」「歌言葉の糟糠」「俊成入道の物語」
0
お気に入りに追加
0
あなたにおすすめの小説
江戸の夕映え
大麦 ふみ
歴史・時代
江戸時代にはたくさんの随筆が書かれました。
「のどやかな気分が漲っていて、読んでいると、己れもその時代に生きているような気持ちになる」(森 銑三)
そういったものを選んで、小説としてお届けしたく思います。
同じ江戸時代を生きていても、その暮らしぶり、境遇、ライフコース、そして考え方には、たいへんな幅、違いがあったことでしょう。
しかし、夕焼けがみなにひとしく差し込んでくるような、そんな目線であの時代の人々を描ければと存じます。
梅すだれ
木花薫
歴史・時代
江戸時代の女の子、お千代の一生の物語。恋に仕事に頑張るお千代は悲しいことも多いけど充実した女の人生を生き抜きます。が、現在お千代の物語から逸れて、九州の隠れキリシタンの話になっています。島原の乱の前後、農民たちがどのように生きていたのか、仏教やキリスト教の世界観も組み込んで書いています。
登場人物の繋がりで主人公がバトンタッチして物語が次々と移っていきます隠れキリシタンの次は戦国時代の姉妹のストーリーとなっていきます。
時代背景は戦国時代から江戸時代初期の歴史とリンクさせてあります。長編時代小説。長々と続きます。


軟弱絵師と堅物同心〜大江戸怪奇譚~
水葉
歴史・時代
江戸の町外れの長屋に暮らす生真面目すぎる同心・十兵衛はひょんな事に出会った謎の自称天才絵師である青年・与平を住まわせる事になった。そんな与平は人には見えないものが見えるがそれを絵にして売るのを生業にしており、何か秘密を持っているようで……町の人と交流をしながら少し不思議な日常を送る二人。懐かれてしまった不思議な黒猫の黒太郎と共に様々な事件?に向き合っていく
三十路を過ぎた堅物な同心と謎で軟弱な絵師の青年による日常と事件と珍道中
「ほんま相変わらず真面目やなぁ」
「そういう与平、お前は怠けすぎだ」
(やれやれ、また始まったよ……)
また二人と一匹の日常が始まる
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
晩夏の蝉
紫乃森統子
歴史・時代
当たり前の日々が崩れた、その日があった──。
まだほんの14歳の少年たちの日常を変えたのは、戊辰の戦火であった。
後に二本松少年隊と呼ばれた二本松藩の幼年兵、堀良輔と成田才次郎、木村丈太郎の三人の終着点。
※本作品は昭和16年発行の「二本松少年隊秘話」を主な参考にした史実ベースの創作作品です。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる