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外伝
望月
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人気の絶えた夜のビル街に祥顕の足音が響く。
目指すビルまであと少しだ。
不意にビルの入口を目指して走っている祥顕の横から狐のような顔をした人のような者が飛び掛かってくる。
祥顕はとっさに身構えようとしたが、素早く祥顕と狐の間に眼帯をした男が割り込み刀を一閃させた。
斬られた狐が塵になって消える。
「お急ぎ下さい!」
早太の言葉に祥顕はそのまま走る。
夜のオフィスビルはどこも扉が閉まっている。
しかし早太の仲間が入れるようにしているはずだ。
そう思ってビルに向かっていると、建物の間の路地から男がこっちだというように手で合図をしていた。
そちらへ足を向けた時、どこかから現れた狐が男に飛び掛かった。
「――――!」
男が狐を避けて道に転がる。
祥顕は男に駆け寄った。
右手に重みを感じる。
手の中に太刀が現れたのだ。
祥顕に気付いた狐が向かってくる。
それを太刀で狐に斬り付ける。
真っ二つになった狐が塵になって消える。
いつものことだが消える度に人間を殺したのではないと思って内心ホッとする。
高校生で前科者になるなど冗談ではない。
祥顕が近付く前に男が身体を起こした。
「大丈夫か?」
祥顕が声を掛ける。
「はい」
男はそう答えると路地に向かった。
祥顕が男に随いて路地に入る。
男は裏口らしき扉の前に立つとキーパッドに暗証番号を打ち込んだ。
鍵の開く音がする。
男は扉を開けて中に入った。
祥顕が後に続く。
男の案内で祥顕は最上階に上がった。
エレベーターから降りると隣のエレベーターの扉が開くところだった。
早太がエレベーターから降りてくる。
「こちらです」
今度は早太が先に立って歩き出した。
屋上の端で早太が西の空を指した。
遠くまで続くビルの向こうの彼方に見える山脈に月が沈もうとしている。
「あと三分で月が沈みます。沈みきる前に闇の者を射貫いていただきたいのです」
早太の言葉に眼下に広がるビルの海に目を走らせた。
ビルの窓明かりが暗闇の中で地上の星座を作っているが――。
何も見えない……。
「……どこにいるんだ?」
祥顕がそう訊ねると早太の仲間らしき男が月を指す。
「月まで届くような矢を放つのは無理だと思うが」
祥顕の弓は太刀と同じく必要な時だけ現れる特殊な物だが、矢を引いている祥顕は普通の人間なのだ。
人間の力で三十八万キロも矢を飛ばせるとは思えない。
「月の方向に姿を隠しているというだけです。月が沈むのは三分後ですが……」
男が口を噤んだ。
山脈の上には雲が掛かっている。
沈むのは三分後でも雲に隠れるのはそれより早い。
姿が見えているうちに射ろという事だろう。
祥顕が雲に沈み欠けている月に視線を向けると目の前に和弓が現れた。
同時に右腰が僅かに重くなる。ベルトに胡簶が付いたのだろう。
胡簶というのは腰に付ける矢筒である。
男が早くしろというように腕時計に目を落とす。
「三分って、そこまで正確な時間が分かるものなのか?」
「彼は陰陽師です」
早太が答えながら男に目を向けた。
「陰陽師って、呪文を唱えたり式神とかを使ったりする、あれか?」
「そういう事もしますが、陰陽師というのは星を見て暦を作ったりするのも仕事です」
「暦?」
祥顕が首を傾げると、
「カレンダーには旧暦が載っているでしょう。春分の日とか冬至とか。ああいうのは国立天文台が作っているんです」
早太が言った。
「……陰陽師と何か関係があるのか?」
「陰陽寮が廃止されて国立天文台が出来た時、陰陽師達が天文台の職員になったのです。元々暦の作成をしていましたので」
「え、陰陽師がブラックホールの研究とかしてるのか?」
「いえ、そういうのは天文学の専門家がやっています」
天文台……。
祥顕の脳裏を親が亡くなったために高校をやめたクラスメイトの酒井がよぎった。
酒井は日食を見るために学校をサボろうとしたくらい星が好きだった。
だが今は仕事を探していて星を見ている余裕がないと言っていた。
「あの……」
男――陰陽師が苛立ったように西の空に目を向けた。
既に月の大半が雲に隠れている。
間もなく完全に見えなくなるだろう。
そしてすぐに山の下に沈む。
「なら、陰陽師は天文学の専門家じゃないけど国立天文台で働いてるって事だな」
「彼のように陰陽師として動いている者は天文方ではありません」
「早太殿」
陰陽師が早太にいい加減にしろというように声を掛けた。
「……いいだろう」
祥顕は頷いた。
「なら、お前達の頼みを聞く代わりに俺の友人を国立天文台で雇ってくれ」
「素人など……」
「陰陽師が専門家じゃなくても雇われてるなら職員としてじゃなくても何か仕事はあるだろ」
祥顕は陰陽師を遮って言った。
「分かりました」
早太が、陰陽師が口を開くより先に答えた。
「見事やり遂げて頂いた暁にはご友人をお雇い致します」
「よし」
祥顕は目の前に浮かんでいる和弓を掴んだ。
「射抜けるんですかね」
陰陽師が腹立たしげに言った。
月は完全に雲に隠されてしまったので姿は見えないが山にもその大半が沈んでしまっているだろう。
胡簶には矢は一本しか刺さってなかった。
もう時間は残っていない。
外しても二矢目は撃てないのだ。
祥顕は矢を胡簶から抜くと弓を構えた。
矢をつがえて限界まで引き絞る。
酒井の就職が掛かっているのならしくじる訳にはいかない。
〝夕月夜 沈まば沈め 沈むとも 山のあなたの かいをいるらん〟
祥顕はそう呟いて手を放した。
一拍おいて手応えを感じた。
同時に遠くから微かな叫び声が聞こえてきた。
数秒後、早太のスマホの着信音が鳴った。
「的中したそうです」
早太がスマホの画面に目を落として言った。
「ご友人というのは酒井紀明という少年ですか?」
知ってたのか……。
「ああ」
祥顕が頷くと、
「では手配致します」
早太が答えた。
「頼んだ」
祥顕は踵を返すとエレベーターホールに向かった。
「ところで俺は何を撃ったんだ?」
「鵺です。白浪が飛行機に衝突させて墜落させようとしていたのです」
早太がそう言った時、スマホの着信音が鳴った。
祥顕と早太が同時に早太のスマホ画面に目を向ける。
画面に表示された時間が深夜であることを示していた。
明日も学校だから早く帰らないと……。
祥顕は家に向かって歩き出した。
***
掛詞:
あなた=「彼方」と「貴方=撃った敵」
かい=「峡(山の峰)」と「怪」
いる=「入る」と「射る」
「夕月夜」はここでは枕詞ではありません。
意味があって訳に入れるものは枕詞ではないので。
枕詞では「夕月夜」はあります(掛詞は「いる」「入佐の山(地名)」など)。
目指すビルまであと少しだ。
不意にビルの入口を目指して走っている祥顕の横から狐のような顔をした人のような者が飛び掛かってくる。
祥顕はとっさに身構えようとしたが、素早く祥顕と狐の間に眼帯をした男が割り込み刀を一閃させた。
斬られた狐が塵になって消える。
「お急ぎ下さい!」
早太の言葉に祥顕はそのまま走る。
夜のオフィスビルはどこも扉が閉まっている。
しかし早太の仲間が入れるようにしているはずだ。
そう思ってビルに向かっていると、建物の間の路地から男がこっちだというように手で合図をしていた。
そちらへ足を向けた時、どこかから現れた狐が男に飛び掛かった。
「――――!」
男が狐を避けて道に転がる。
祥顕は男に駆け寄った。
右手に重みを感じる。
手の中に太刀が現れたのだ。
祥顕に気付いた狐が向かってくる。
それを太刀で狐に斬り付ける。
真っ二つになった狐が塵になって消える。
いつものことだが消える度に人間を殺したのではないと思って内心ホッとする。
高校生で前科者になるなど冗談ではない。
祥顕が近付く前に男が身体を起こした。
「大丈夫か?」
祥顕が声を掛ける。
「はい」
男はそう答えると路地に向かった。
祥顕が男に随いて路地に入る。
男は裏口らしき扉の前に立つとキーパッドに暗証番号を打ち込んだ。
鍵の開く音がする。
男は扉を開けて中に入った。
祥顕が後に続く。
男の案内で祥顕は最上階に上がった。
エレベーターから降りると隣のエレベーターの扉が開くところだった。
早太がエレベーターから降りてくる。
「こちらです」
今度は早太が先に立って歩き出した。
屋上の端で早太が西の空を指した。
遠くまで続くビルの向こうの彼方に見える山脈に月が沈もうとしている。
「あと三分で月が沈みます。沈みきる前に闇の者を射貫いていただきたいのです」
早太の言葉に眼下に広がるビルの海に目を走らせた。
ビルの窓明かりが暗闇の中で地上の星座を作っているが――。
何も見えない……。
「……どこにいるんだ?」
祥顕がそう訊ねると早太の仲間らしき男が月を指す。
「月まで届くような矢を放つのは無理だと思うが」
祥顕の弓は太刀と同じく必要な時だけ現れる特殊な物だが、矢を引いている祥顕は普通の人間なのだ。
人間の力で三十八万キロも矢を飛ばせるとは思えない。
「月の方向に姿を隠しているというだけです。月が沈むのは三分後ですが……」
男が口を噤んだ。
山脈の上には雲が掛かっている。
沈むのは三分後でも雲に隠れるのはそれより早い。
姿が見えているうちに射ろという事だろう。
祥顕が雲に沈み欠けている月に視線を向けると目の前に和弓が現れた。
同時に右腰が僅かに重くなる。ベルトに胡簶が付いたのだろう。
胡簶というのは腰に付ける矢筒である。
男が早くしろというように腕時計に目を落とす。
「三分って、そこまで正確な時間が分かるものなのか?」
「彼は陰陽師です」
早太が答えながら男に目を向けた。
「陰陽師って、呪文を唱えたり式神とかを使ったりする、あれか?」
「そういう事もしますが、陰陽師というのは星を見て暦を作ったりするのも仕事です」
「暦?」
祥顕が首を傾げると、
「カレンダーには旧暦が載っているでしょう。春分の日とか冬至とか。ああいうのは国立天文台が作っているんです」
早太が言った。
「……陰陽師と何か関係があるのか?」
「陰陽寮が廃止されて国立天文台が出来た時、陰陽師達が天文台の職員になったのです。元々暦の作成をしていましたので」
「え、陰陽師がブラックホールの研究とかしてるのか?」
「いえ、そういうのは天文学の専門家がやっています」
天文台……。
祥顕の脳裏を親が亡くなったために高校をやめたクラスメイトの酒井がよぎった。
酒井は日食を見るために学校をサボろうとしたくらい星が好きだった。
だが今は仕事を探していて星を見ている余裕がないと言っていた。
「あの……」
男――陰陽師が苛立ったように西の空に目を向けた。
既に月の大半が雲に隠れている。
間もなく完全に見えなくなるだろう。
そしてすぐに山の下に沈む。
「なら、陰陽師は天文学の専門家じゃないけど国立天文台で働いてるって事だな」
「彼のように陰陽師として動いている者は天文方ではありません」
「早太殿」
陰陽師が早太にいい加減にしろというように声を掛けた。
「……いいだろう」
祥顕は頷いた。
「なら、お前達の頼みを聞く代わりに俺の友人を国立天文台で雇ってくれ」
「素人など……」
「陰陽師が専門家じゃなくても雇われてるなら職員としてじゃなくても何か仕事はあるだろ」
祥顕は陰陽師を遮って言った。
「分かりました」
早太が、陰陽師が口を開くより先に答えた。
「見事やり遂げて頂いた暁にはご友人をお雇い致します」
「よし」
祥顕は目の前に浮かんでいる和弓を掴んだ。
「射抜けるんですかね」
陰陽師が腹立たしげに言った。
月は完全に雲に隠されてしまったので姿は見えないが山にもその大半が沈んでしまっているだろう。
胡簶には矢は一本しか刺さってなかった。
もう時間は残っていない。
外しても二矢目は撃てないのだ。
祥顕は矢を胡簶から抜くと弓を構えた。
矢をつがえて限界まで引き絞る。
酒井の就職が掛かっているのならしくじる訳にはいかない。
〝夕月夜 沈まば沈め 沈むとも 山のあなたの かいをいるらん〟
祥顕はそう呟いて手を放した。
一拍おいて手応えを感じた。
同時に遠くから微かな叫び声が聞こえてきた。
数秒後、早太のスマホの着信音が鳴った。
「的中したそうです」
早太がスマホの画面に目を落として言った。
「ご友人というのは酒井紀明という少年ですか?」
知ってたのか……。
「ああ」
祥顕が頷くと、
「では手配致します」
早太が答えた。
「頼んだ」
祥顕は踵を返すとエレベーターホールに向かった。
「ところで俺は何を撃ったんだ?」
「鵺です。白浪が飛行機に衝突させて墜落させようとしていたのです」
早太がそう言った時、スマホの着信音が鳴った。
祥顕と早太が同時に早太のスマホ画面に目を向ける。
画面に表示された時間が深夜であることを示していた。
明日も学校だから早く帰らないと……。
祥顕は家に向かって歩き出した。
***
掛詞:
あなた=「彼方」と「貴方=撃った敵」
かい=「峡(山の峰)」と「怪」
いる=「入る」と「射る」
「夕月夜」はここでは枕詞ではありません。
意味があって訳に入れるものは枕詞ではないので。
枕詞では「夕月夜」はあります(掛詞は「いる」「入佐の山(地名)」など)。
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