赤月-AKATSUKI-

月夜野 すみれ

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第一章 天満夕輝

第二話

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 目を開けると古い木製の天井が見えた。
 どこかおかしい。
 何か違和感があってよくよく見てみると、電灯がなかった。

 夕輝は身体を起こした。
 硬くて薄い布団に寝ていたせいか体中が痛い。
 上に掛けられていた、これまた薄くて古びた着物のような物をどけたとき、廊下を歩いてくるような足音がしたかと思うと襖が開いた。
 薄茶色っぽい色の着物を着て、髷を結った中年の女性が顔を覗かせた。

「起きたみたいだね」
「あの……ここはどこですか?」
「あたしんちだよ。って言っても分からないよね」
 女性が笑った。
朝餉あさげが出来てるよ。食べにおいで」
 そう言われて腹がすいているのに気付いた。

 女性の後について短い廊下を歩いて行くと、半分が畳で半分が土間になっている部屋についた。

 土間なんて初めて見た。
 いや、うちの玄関も靴で入るところは土間って言うのか? 土じゃないけど。

 畳の部分にはこれまた髷を結って着物を着た男性が二人と、やはり髷を結った地味な着物の太った中年女性がいた。

「おう、起きたのかい」
「よく眠れたかい」
 男二人が声をかけてきた。
「あ、はい……その、お陰様で」
 夕輝はよく分からないまま頭を下げた。

「おいおい、頭なんか下げんなよ」
「礼を言わなきゃなんねぇのはこっちだぜ」
「え?」
「なんだい、夕辺のこと覚えてねぇのかい?」
「夕辺……」
 夕輝はそのとき、少女の姿が見えないのに気付いた。
「あの、俺と一緒にいた女の子知りませんか?」
「女の子? いや、見なかったぜ」
「妹か誰かと一緒だったのかい?」
「いえ、知らない子です。迷子だったらしいので送っていく途中だったんです」

 あの子は無事に帰れたんだろうか。

 夕輝は改めて部屋を見回した。
 土間には時代劇で見るようなかまど(多分)があった。
 大きな茶色いかめ(多分)も置いてある。
 竈の上は格子のついた窓になっていて、ガラスが入っていないらしく、朝の冷たい風が吹いてきていた。
 そして、やはり電灯がなかった。
 ついでに水道もなかった。

 部屋の隅にある……あれ、ひょっとして行灯?

 女性二人は夕輝を男性二人の向かいに座らせると土間に降りていって食事の支度を始めた。

 夕輝が朝食を終えると、男性の一人が早速口を開いた。

「夕辺はあんがとよ」
「あんたは命の恩人だ」
「いえ、そんな大層なことは……」
 夕輝は慌てて手を振った。

「あんたの名前ぇ聞いていいかい? 俺ぁ平助ってんだ。こいつぁは伍助、日本橋辺りを縄張りにしてる御用聞きで、そっちにいんのが俺の女房のお峰と、お前ぇが助けた正吾の女房のお花」
「うちの人はまだ動けないんで代わりにお礼に来たんだよ」
 お花が言った。
「天満夕輝です」
 夕輝が誰にともなく頭を下げた。

「随分と礼儀正しい子だねぇ」
「育ちが良さそうだね」
「いえ、そんなことは……」
「けど、お前ぇ、月代さかやきってねぇな。もしかして無宿者むしゅくものかい?」
「無宿者……ってなんですか?」
「うちはあんのかい? 家族は?」
「家ならありますけど……家族は両親が……」
「それなら無宿者じゃぁないね」
 お峰が笑顔で言った。
 何故か少し緊張していたような様子だった平助と伍助がほっとした表情を見せた。

「あの、ここはどこなんですか?」
馬喰町ばくろちょうだよ」
 平助が答えた。
「馬喰町?」

 馬喰町なら都内だよな。

 夕輝は地下鉄の路線図を思い出そうとした。

「なんだ、馬喰町を知らねぇのか。『えど』だよ、『えど』。『えど』なら知ってんだろ」
「『えど』って、江戸時代の?」
「江戸時代? 何でぇそりゃ」
 伍助が不思議そうな顔をした。
「えっと、徳川幕府の……」
「徳川……幕府?」
「徳川って公方くぼう様のことだよな?」
 伍助が言った。
 平助が膝を叩いた。
「そうそう! ここは公方様のお膝元よ!」

 公方って確か将軍のことだよな。
 犬公方って将軍がいたもんな。

「東京……じゃないんですか?」
「何? 京? 京ならずっと西だぜ。東海道の一番向こう端だな」
「あれ、京に行きたかったのかい? 迷ったのかね?」
 お峰が言った。
「ずいぶん壮大そうでぇな迷子だな、おい」
「東海道、西に行くところを東に来ちゃったのかねぇ」
「何言ってやんでぇ。どこの世界に西と東を間違える馬鹿がいるんでぇ。お天道てんと様見りゃ、東と西の区別くらいつくだろうが」
 平助も伍助も早口で、確かにちゃきちゃきの江戸っ子という感じだ。

「あ、京都に行きたい訳じゃないです」
「じゃあ、どこへ行こうとしてたんだい?」
 お峰が優しく訊ねた。
「家に帰ろうと……」
「その家ってのはどこにあるんだい?」
「東京です」
「東京ってのはどこだい?」
「えっと……」

 なんか話が堂々巡りしてるような……。

「お前ぇ、一体どこから来たんでぇ」
「……もしかして異人さんとか? おかしな着物着て、髷も結ってないし」
「異人だったら言葉が通じねぇだろうが」
「確かに言葉は通じてるけど話は通じてないよ。言葉遣いもちょっとおかしいし」
「言葉はともかく、確かに頭は変だな。髷結ってねぇし」
 みんなの視線が夕輝の頭に集まる。
「髷を切り落とされたって感じでもないしねぇ」
「じゃあ無宿者とか」
「今、無宿者じゃねぇって分かったばかりだろ」
「どっちかってぇと坊主が髪剃るの怠けたみてぇに見えねぇか?」
 伍助が言った。

「あ、小僧さんかい? 修行がつらくて逃げ出したとか? 山奥のお寺にいたんなら『えど』を知らなくても不思議はないんじゃないのかい」
「お坊さんじゃないです」
 夕輝はようやく割り込む隙を見つけて言った。
「じゃぁ、どこから来たんでぇ」
「だから、東京……です」
「東京ねぇ。どこの国だい?」
「どこの国って……『えど』って……」

 自分が江戸時代の江戸にいるなんて、にわかには信じがたかった。
 しかし、この家には電灯がない。ガラスもない。
 都内の馬喰町ならビルが見えなければおかしいが、窓の外にビルは見えない。

 きっと何か誤解があるのだ。
 江戸時代に来るなんてあり得ない。
 自分は今どこにいるのだろうか。
 ちゃんと家に帰れるのだろうか。

 だんだん不安になってきた夕輝は、思わず家を飛び出した。
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