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第六章
第六章 第五話
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夕方、流と水緒は家に向かって歩いていた。
送り迎えをしていいというお墨付きをもらったから質問を考える必要はなくなったので黙って歩いていてもいいのだが、せっかくなのだから水緒と話がしたい。
しかし誰かと話をしようと思ったことがないから何を言えばいいのか分からない。
とりあえず、それを聞いてみるか……。
「前も送り迎えしてたんだろ」
「うん」
「いつも何を話してたんだ?」
「大抵は私がその日の水茶屋であったことを話してた」
「今日は何があった?」
「無理して聞かなくていいよ」
水緒が苦笑した。
「別に無理はしてない。質問が思い付かないが水緒と話がしたいから」
流がそう言うと水緒が嬉しそうに微笑った。
それから水緒は話を始めた。
記憶を失う前、近付くのを止められていなかった頃はいつもこういうやりとりをしていたのだ。
水緒の言葉に耳を傾けているだけで気分が良くなる。
人間の言う「楽しい」とか「嬉しい」とか言う言葉の意味がよく分からなかったが、これが「楽しい」とか「嬉しい」とか言うものなのだろう。
以前の流はこれが当たり前の毎日だったのだ。
一緒にいるだけでこんな気持ちになるのだから水緒から離れろと言われても無理に決まっている。
他の何かで「楽しい」とか「嬉しい」と思ったことはないのだから。
翌日も鬼の女――つねが路地からやってきた。
どういう知り合いだったのか探るために無視して素通りしてみた。
特定の話題があったのならそれを話すはずだし、そうでなくても親しかったのなら何か言ってくるはずだ。
そうでないなら以前の流も無視していたと言う事になる。
「毎日暑いね」
返事をしなくても女は何も言わなかった。
なら答える必要はないのだろうと判断して黙っていた。
女が流の後を随いてくる。
「このセミの鳴き声、ようやく慣れたよ」
つねが言った。
これはセミというものの鳴き声だったようだ。
母に教わったことがあったかどうかは分からないが流は知らなかった。
水緒か桐崎から教わったのかもしれないが覚えてない。
夏に聞こえてくる音の名前を知っている必要があるのかどうかよく分からないが。
帰りに水緒に聞いてみよう……。
「あたしが住んでたところにいたセミは鳴き声が違うんだよ」
それがなんだ、としか思えないので無視した。
「あの子……」
流が振り向いて睨み付ける。
つねは慌てた様子で、
「錦絵の話をしたかっただけさ。あんたが描いてもらえっていうから、あたしも描いてもらったんだよ」
と言った。
つねの言葉に流は眉を顰めた。
そんなやりとりをする程度には親しかったのか?
今でさえ興味ないのに以前の流が他の女にそんな事を言うだろうか。
この女はかなり馴れ馴れしい態度を取ってくるが、それは親しかったからなのか?
水緒や桐崎の知らないところで仲良くしていたのだろうか。
この女は鬼だし保科のことも知っていたようだから情報を得るために会っていたという事は考えられる。
だがそれを秘密にしておく必要があっただろうか。
桐崎は物忘れの前も他の鬼や妖と親しくしろと勧めていたと言っていた。
だとしたら鬼と会うことを隠したりする必要はない。
少なくとも桐崎には話していたはずだが、そんな知り合いがいるとは聞いていない。
水緒がいないところで会うような鬼がいると知っていたら桐崎は水緒に近付けないようにはしていないだろう。
この女のことを教えて、こいつと仲良くするようにと言っていたはずだ。
「あたしの錦絵が出ればあの店は閑古鳥が鳴くと思ったんだけどね」
つねの口調に微かな腹立ちが混じっている。
そういえば水緒の店の女も新しい錦絵が出たから客が減ると思っていたと言っていた。
新しく錦絵に描かれたのは、つねだったらしい。
確かに今でもつねの店より水緒の店の方が客が多い。
というか、水緒は描かせてほしいと言われたと話していた。
宣伝になるから店の方も快諾した、と。
頼めば描いてくれるものなのかどうかも後で水緒にする事の一つ質問として心に留め置いた。
流が返事をしなくても、つねは何か色々と話していて働いている水茶屋に到着すると店に入っていった。
夕餉の時、
「師匠、俺に鬼の知り合いを作れって勧めてたんだよな」
流は桐崎に訊ねた。
「そうだ」
「俺は鬼の知り合いの話をしたことがあったか?」
「保科とか言う鬼の事か?」
「江戸に住んでる鬼の女だ」
「いや、聞いてない。知り合いがいたのか?」
「私のお店の近くで働いている方で最可族に狙われているそうです」
水緒が言葉を添えた。
「水緒も知ってるのか?」
「以前、その方に話し掛けられたのですが流ちゃんに近付くなと言われたので詳しくは……」
「流が近付くなと言ったのなら身方ではないと言う事か」
「それは分かりません。流ちゃんはあの方を狙った最可族が襲ってきたとき側にいたら危険だからと言っていたので……」
水緒の言葉に桐崎は納得したような表情を浮かべてから、ふと首を傾げた。
「その女は何故最可族に狙われておるのだ?」
「混血だからって言ってた」
「では流を狙っているのも混血だからなのか?」
流に聞こうとして覚えていないという事に気付いた桐崎が水緒の方を向いた。
「流ちゃんが狙われている理由は聞いた事ありません」
水緒が申し訳なさそうに言った。
水緒に自分の事を全て話しておいていれば聞くことが出来たのだろうが、おそらく流は話をするのが苦手なのと水緒の話を聞く方が好きだったから詳しいことは何も教えていなかったのだろう。
次に物忘れした時に備えて今後は何かあったら全て話しておく方がいいのかもしれない。
送り迎えをしていいというお墨付きをもらったから質問を考える必要はなくなったので黙って歩いていてもいいのだが、せっかくなのだから水緒と話がしたい。
しかし誰かと話をしようと思ったことがないから何を言えばいいのか分からない。
とりあえず、それを聞いてみるか……。
「前も送り迎えしてたんだろ」
「うん」
「いつも何を話してたんだ?」
「大抵は私がその日の水茶屋であったことを話してた」
「今日は何があった?」
「無理して聞かなくていいよ」
水緒が苦笑した。
「別に無理はしてない。質問が思い付かないが水緒と話がしたいから」
流がそう言うと水緒が嬉しそうに微笑った。
それから水緒は話を始めた。
記憶を失う前、近付くのを止められていなかった頃はいつもこういうやりとりをしていたのだ。
水緒の言葉に耳を傾けているだけで気分が良くなる。
人間の言う「楽しい」とか「嬉しい」とか言う言葉の意味がよく分からなかったが、これが「楽しい」とか「嬉しい」とか言うものなのだろう。
以前の流はこれが当たり前の毎日だったのだ。
一緒にいるだけでこんな気持ちになるのだから水緒から離れろと言われても無理に決まっている。
他の何かで「楽しい」とか「嬉しい」と思ったことはないのだから。
翌日も鬼の女――つねが路地からやってきた。
どういう知り合いだったのか探るために無視して素通りしてみた。
特定の話題があったのならそれを話すはずだし、そうでなくても親しかったのなら何か言ってくるはずだ。
そうでないなら以前の流も無視していたと言う事になる。
「毎日暑いね」
返事をしなくても女は何も言わなかった。
なら答える必要はないのだろうと判断して黙っていた。
女が流の後を随いてくる。
「このセミの鳴き声、ようやく慣れたよ」
つねが言った。
これはセミというものの鳴き声だったようだ。
母に教わったことがあったかどうかは分からないが流は知らなかった。
水緒か桐崎から教わったのかもしれないが覚えてない。
夏に聞こえてくる音の名前を知っている必要があるのかどうかよく分からないが。
帰りに水緒に聞いてみよう……。
「あたしが住んでたところにいたセミは鳴き声が違うんだよ」
それがなんだ、としか思えないので無視した。
「あの子……」
流が振り向いて睨み付ける。
つねは慌てた様子で、
「錦絵の話をしたかっただけさ。あんたが描いてもらえっていうから、あたしも描いてもらったんだよ」
と言った。
つねの言葉に流は眉を顰めた。
そんなやりとりをする程度には親しかったのか?
今でさえ興味ないのに以前の流が他の女にそんな事を言うだろうか。
この女はかなり馴れ馴れしい態度を取ってくるが、それは親しかったからなのか?
水緒や桐崎の知らないところで仲良くしていたのだろうか。
この女は鬼だし保科のことも知っていたようだから情報を得るために会っていたという事は考えられる。
だがそれを秘密にしておく必要があっただろうか。
桐崎は物忘れの前も他の鬼や妖と親しくしろと勧めていたと言っていた。
だとしたら鬼と会うことを隠したりする必要はない。
少なくとも桐崎には話していたはずだが、そんな知り合いがいるとは聞いていない。
水緒がいないところで会うような鬼がいると知っていたら桐崎は水緒に近付けないようにはしていないだろう。
この女のことを教えて、こいつと仲良くするようにと言っていたはずだ。
「あたしの錦絵が出ればあの店は閑古鳥が鳴くと思ったんだけどね」
つねの口調に微かな腹立ちが混じっている。
そういえば水緒の店の女も新しい錦絵が出たから客が減ると思っていたと言っていた。
新しく錦絵に描かれたのは、つねだったらしい。
確かに今でもつねの店より水緒の店の方が客が多い。
というか、水緒は描かせてほしいと言われたと話していた。
宣伝になるから店の方も快諾した、と。
頼めば描いてくれるものなのかどうかも後で水緒にする事の一つ質問として心に留め置いた。
流が返事をしなくても、つねは何か色々と話していて働いている水茶屋に到着すると店に入っていった。
夕餉の時、
「師匠、俺に鬼の知り合いを作れって勧めてたんだよな」
流は桐崎に訊ねた。
「そうだ」
「俺は鬼の知り合いの話をしたことがあったか?」
「保科とか言う鬼の事か?」
「江戸に住んでる鬼の女だ」
「いや、聞いてない。知り合いがいたのか?」
「私のお店の近くで働いている方で最可族に狙われているそうです」
水緒が言葉を添えた。
「水緒も知ってるのか?」
「以前、その方に話し掛けられたのですが流ちゃんに近付くなと言われたので詳しくは……」
「流が近付くなと言ったのなら身方ではないと言う事か」
「それは分かりません。流ちゃんはあの方を狙った最可族が襲ってきたとき側にいたら危険だからと言っていたので……」
水緒の言葉に桐崎は納得したような表情を浮かべてから、ふと首を傾げた。
「その女は何故最可族に狙われておるのだ?」
「混血だからって言ってた」
「では流を狙っているのも混血だからなのか?」
流に聞こうとして覚えていないという事に気付いた桐崎が水緒の方を向いた。
「流ちゃんが狙われている理由は聞いた事ありません」
水緒が申し訳なさそうに言った。
水緒に自分の事を全て話しておいていれば聞くことが出来たのだろうが、おそらく流は話をするのが苦手なのと水緒の話を聞く方が好きだったから詳しいことは何も教えていなかったのだろう。
次に物忘れした時に備えて今後は何かあったら全て話しておく方がいいのかもしれない。
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