花のように

月夜野 すみれ

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第一章 花吹雪

第一話

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 暖かい春風が花の香りを乗せて通り過ぎていく。
 満開の桜からは花びらが、空に輝く太陽からは日差しが降り注いでいた。アスファルトの道路も花弁で桜色に染まっている。
 桜の根元では黄色い菜の花や紫色の花大根が競うように咲いていた。
 その中から紫の花菖蒲が一輪、飛び出していた。ここまで来る途中で、白い花菖蒲が何輪か咲いているのを見かけたから、季節外れというわけではないようだ。
 花から花へ、蝶や蜂が飛んでいる。

 花耶かやちゃんの嫌いな虫の季節になったな。

 桜井紘彬ひろあきは蜂を目で追いながら思った。
 紘彬は従弟の藤崎紘一こういちと映画の試写会へ行くために早稲田駅へ向かっていた。そこから地下鉄東西線で九段下へ行くのだ。
 紘彬は紺色のジャケットに、同じ色のスラックスを身につけていた。時折通り過ぎる風がジャケットの裾を揺らす。

「映画、花耶ちゃんとじゃなくて良かったのか?」
 紘彬は紘一に訊ねた。

 紘一は紘彬より八歳ほど年下の十七歳だが、身長はほぼ同じくらいである。顔つきももう大人に近い。青いジャンパーを着て紺色のスラックスをはいていた。

「この年になって姉ちゃんなんかと出掛けられるかよ」
 花耶は黒髪の美少女である。さらさらのまっすぐな髪を胸の辺りまで伸ばしている。
 従兄の目から見てもかなり可愛い。
「そうか。見終わったら神保町へ行こうな。おいしいコーヒーの店知ってるんだ」
 道の左手は戸山公園から伸びてきた幅一メートルほどの地面が続いていて、桜のほかに山桃や山茱萸さんしゅゆなどが植えられている。
 山桃も今は満開で濃いピンクや白い花を咲かせている。
 その向こう側は少し小高くなっていて、その上にも木々が植えられていた。この辺りは戸山公園の箱根山地区だ。
 右手は民家が続いている。今歩いている右側の民家は改装工事が終わったばかりで鉄パイプなどが敷地と道路との境に置かれていた。

 紘彬がのんびりと桜を見上げたとき、
「桜井警部補!」
 誰かが声を潜めて呼びかけてきた。警部補と呼ばれたと言うことは確実に仕事がらみだ。
 紘彬は顔をしかめた。

「兄ちゃん、あそこ」
 紘一が物陰に立っている制服警官を指した。
 二十代半ばくらいだろうか。
 紘彬より一つか二つ年下らしき警官が手招きをしていた。
 どこと言って特徴のない平凡な顔つきだ。
 制服警官の群れに紛れてしまえば見分けはつかなくなるだろう。

 今日はせっかくの休みである。
 出来れば関わりたくないと思いながらも、知らん顔をすることも出来ず、仕方なく警官の元へ向かった。
 警官が乗ってきたらしい自転車が民家の塀に立てかけてあった。

「どうした?」
「あれを」
 警官が十メートルほど離れた場所を指した。

 指された方向を見た紘彬は思わず目を見張った。
 そこには一人の男が立っていた。
 男は全身が赤黒く染まっていて服装も分からないほどだった。
 手にはやはり暗赤色の日本刀らしきものをひっげている。
 服が張り付いた身体は信じられないほど細かった。やせているなんてものではない。
 男と刀を染め上げているのは返り血だろう。
 抜き身の刃からは赤い雫が滴っている。

 桜吹雪の中に立つ、血まみれで日本刀を手にした男。
 とても現実とは思えなかった。

「なんだ、あれは」
「自分もたった今発見したばかりで……」

 春の日差しの下、満開の桜からは雨のように花びらが散っている。
 そんなのどかな住宅街に血まみれの男が立っているのである。
 しかも手に持っているのは日本刀だ。
 警官が戸惑うのも無理はない。
 まだ拳銃でも持っててくれた方が分かりやすい。
 男は虚ろな目で虚空を見つめていた。目が充血している。
 身体をわずかに前後に揺らしながら歩いていた。

「えっと……?」
 紘彬は警官を見た。
「中山敬吾巡査であります」
「応援は?」
 訊ねながら時計に目を落として時間を確かめた。
「今、署の方へ連絡を入れました」
 紘彬は男を見ながら考え込んだ。

 今日は休みの日だ。
 見なかったことにして行ってしまおうか。
 しかし、そのことがマスコミにバレたら叩かれるのは必至だ。
 きっとワイドショーのレポーター辺りがしたり顔で「職務怠慢」とか何とか言うに決まっている。
 マスコミは警察の悪いところばかり報じて良いところは黙殺する。
 人の悪いところをあげつらっていればいいのだから気楽な商売だ。
 この辺りをバックにレポーターに囲まれて質問攻めにされる自分が目に浮かぶようだ。
 顔が写されず、声が変えられたとしても紘彬を知ってる人ならすぐに分かるだろう。
 いや、顔を隠したり声を変えたりなんて配慮をしてもらえるかどうか……。
 マスコミは公務員ならいくら叩いてもいいと思っている。

 花耶ちゃんはがっかりするだろうか。
 紘一はどう思うだろう。
 でも、せっかくの休みなのに……。

 あの血刀男けっとうおとこに関わったら間違いなく報告書を書くために署に行かざるを得なくなる。そうなったら休みはお終いだ。

 紘彬は渋々もう一度男に目を向けた。
 刀は血まみれだ。あれだけ血にまみれていたらもう切れ味は鈍っているはずである。

「あんだけ血を浴びてるってことは、斬ったのは一人二人じゃないな」
「現場はどこでしょうね」
「そうだなぁ」
 不意に男が三人の方を見た。
 紘彬達を見つけると、ゆらりとこちらに足を踏み出した。
 刀が振り上げられる。

「やばい! 気付かれた!」
 そう言っている間にもゆっくり男が近付いてくる。リアルホラーだ。
 このままでは次の犠牲者は自分達になる。
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