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5巻
5-3
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いつもの発作を起こした藍香の口にカニカマボコを突っ込んで黙らせた実穂は、声を潜めながら確認するように一言。
「オルドリアの事?」
「っ!」
なんで!? という表情で固まる朔耶に、実穂はまず、決して詳しい内容を知っている訳ではないと断りを入れる。
『オルドリア』が何を指すのか、特定の場所なのか、それとも団体や組織なのか、誰か個人を指すのか、実穂は全く知らない。ただ、独自に朔耶の事を調べていた彼女が、朔耶に近しい人物の会話をたまたま耳にした際に出てきた固有名詞だったのだ。
「ごめんね。わたし、どうしても最近の朔耶ちゃんの事が気になって」
実穂は朔耶に対し、周辺を嗅ぎ回るような真似をした事について謝った。そして困った顔をしている朔耶に、どうしても自分達が立ち入ってはイケナイ事なのかと問う。
「ううーん……イケナイというか何というか……、実穂と藍との間にある一般人としての日常を壊したくないというか」
「え、なにソレ! 朔ちゃん裏の住人になっちゃったの? マジで、それってどんな、え? でもちょっとヤバくない? イヤでも最近の朔ちゃ……もぐもぐ」
藍香の二度目の発作を一口ハンバーグで鎮めた実穂は、それじゃあ一つだけと人差し指を立てる。こういう可愛い系のポーズは、一見ポヤッとしている実穂がやると本当に似合うなぁなどと思いつつ、朔耶は頷いた。
「朔耶ちゃん、またわたし達の前から急に居なくなったりしない?」
ある日突然、朔耶が消えてしまったのが半年前。約束のキャンプ場で待てど暮らせど現れず。連絡も付かず、街に下りて朔耶の家に電話を入れて、そのまま週末が過ぎ、平常通りに学校が始まっても朔耶は姿を見せなかった。
その後、失踪事件として大捜索が行われ、夏に入り、何の手がかりも得られないまま捜索の打ち切りと捜査体制の縮小が告げられ。そして居なくなった時と同様、ある日突然、帰って来た。
朔耶の失踪中、実穂と藍香は二人で居る事が多かったが、遊びに行く事は一度も無かった。特に藍香は、自分がキャンプに誘った事が原因かと一時期酷く落ち込み、そんな藍香を実穂が支えている、という状態だったのだ。
「……そっかぁ。二人にも随分心配かけてたんだよね。ごめんね? 藍」
「えっ! いや、あたしはホラッ、朔ちゃんが無事なら無問題だし!」
ぶんぶんと両手を振って顔を赤らめる藍香は、実穂に話題の転換を図れと合図を送るも、軽く流された。
「んー、確かに二人に隠してる事はあるけど……いつか教えられる時期が来たら教えてあげる」
最近の朔耶が時折見せる、深みのある、落ち着いた笑み。そんな表情を二人に向けながら朔耶は続ける。
「もう勝手に居なくなったりはしないから、そこは安心して?」
「朔ちゃんっ!」
「朔耶ちゃん……」
瞳を潤ませた実穂と藍香は、分かったと頷いた。
昼休みの教室で机を寄せてお弁当を広げながら、何故か手を取り合い見つめ合っている朔耶達に、クラスメイトは微妙~な視線を送っていたという。
――そんなやりとりを交わしたのが、約一週間ほど前。
詳細は話せないが、朔耶はその『オルドリア』の事で少々問題が発生しているのだと伝える。
「まあ、あたしが悩んでどうこうなる問題でもないんだけどねー」
「朔ちゃん、相談できるところまではあたし等にも相談してよ?」
「わたし達は朔耶ちゃんの味方だからね?」
「藍……、実穂……。うん、ありがと」
教室の端で、いつぞやのように手を重ね合い見つめ合う朔耶達。
今回はクリスマス前で浮き立っているクラスメイト達も似たような事をやっていたので、特に注目を浴びる事はなかった。
地球世界の人間でオルドリアについて話し合える兄の重雄と弟の孝文、それに幼馴染の拓朗。朔耶のブレーンとも言える三人に現在の問題について相談した朔耶は、皆から揃って「お前が気にする事じゃない」と言われた。
朔耶は自分の権限の範囲で動き、それでたまたま見つかったモノの中に鉱山の情報があったというだけの話。たとえそれで三国が揉めたとしても、それはあくまで三国の問題なのだ、と。
「その魔族の本拠地ってのが見つかってなきゃ、もっとひどい事になってたかもしれないんだろ?」
「鉱山の権利を手に入れる決定を下したのは各国のトップだからな。国ってのは利益を求めて揉めるモンなんだよ」
「朔耶が動いた事でキトと魔族との関係が明るみになった訳だ。むしろ良い方向に進んでるとも言えるんじゃないか?」
「そうなのかなぁ」
満場一致で「気にするな」と励ます三人の気持ちを受け入れ、朔耶は気持ちを切り替える事にした。
「まあ、俺が前に言った『お前は人々を導く女神にもなれれば、世界を破滅させる悪魔にもなれる』ってのが頭に残ってたから、そこまで気に病んだのかもな」
「なんだ、お兄ちゃんのせいか」
「ちょっ! 切り替え早っ」
都築家の居間のコタツで、向かい合ってミカンを食べながらオルドリアの今後について話し合う朔耶達。未開地の魔物について話が及ぶと、拓朗が「ついに武器を開発する時が来た!」と拳を振り上げる。コタツに入ったままで。
元ミリオタの拓朗は、以前現代兵器の概念を取り入れたサクヤ式の武器の製作を提案して、朔耶と孝文に却下された事がある。
「武器ねぇ」
「要は、特定の人間にしか使えないシステムにすれば良いんだよ」
武器の動力部分を分離し、支給制にして武器だけ手に入れても使えない仕様にする。その上で動力部分を特定の集団にのみ持たせるようにすれば、武器の拡散や犯罪利用は防げるはずだと拓朗は主張した。
実は以前から『武器開発の解禁』を狙って考えていた理屈である。軍隊仕様の大量破壊を目的とした『兵器』ではなく、個人仕様の『武器』と規模を小さくしているところに自重の形跡が見られた。いずれにせよその道具の運用は軍に任せる事になるのだから、実質的な差異の無い、建前的な配慮だが。
「『精鋭』で通るプロの傭兵がヤバイって言うくらい危ない地域なんだろ?」
「防具より武器の方が作りやすいからなぁ。味方の生存率を上げるって意味でならいいかもな」
今回は孝文も拓朗の意見に肯定的だった。本当は危険な事には関わるなと言いたかったが、どうせ聞きゃしないのだからと、少しでも安全を図れるようにと考えての事だ。朔耶の周囲の人間を護る事で、朔耶が傷つかないようにするという打算もある。
「でも、どんなモノ作る気なの?」
「最初は銃にしようと思ってたんだけど、向こうの人間がちゃんと使える武器で、生産性とか使用制限を考えるなら近接武器の方がいいかなって」
朔耶からキト制圧の話を聞いた拓朗は、攻撃の要であり、援護にも回る事の出来る魔術士の数の少なさとその能力の高さを考慮して、武器の概要を導き出した。
魔術士達を護る壁役となる前衛の騎士や傭兵に、魔術にも引けをとらない攻撃力を持たせる。前衛が即座に対処できれば、不意に始まる遭遇戦が主体となるであろうアーサリムでの進撃にも有利に働く。
となると、小回りが利いて、混乱した状況でも同士討ちなどの事故が起こりにくいモノが望ましい。以前拓朗が考案していた魔力石コイルガンは、本体から圧縮反発力によって発射された弾丸を、砲身部分に並べた反発力ユニットでさらに加速させるという多重圧縮反発力式の射出機だった。構造上どうしても大型になるので、持ち運びも使い勝手も悪い。
なので今回は飛び道具は諦め、圧縮反発力を使った殴り系の武器にするという。
「EBは当てっ放しにしてれば角材が切れるぐらいの威力はあるけど、あれで斬りつけても瞬間的な威力はせいぜい市販のスタンガン程度しか無い。だからあれは見た目での牽制や鎮圧用に使うとして、前に朔耶が作ったって言う篭手を参考にしようと思う」
圧縮反発力による衝撃波を撃ち出し、対象を吹っ飛ばす篭手。あれならば、朔耶から譲り受けた騎士が改良の加えられたモノをサムズ動乱の折に使って成果を上げている。加えて帝国のガルブレック密偵隊長も元皇帝側近と対峙した際に使用しており、新しい武器でありながら信頼性が高い。
拓朗曰く、朔耶が作ったそのままの仕様ではなく、もう少し武器としての威力を上げるべく工夫を凝らすつもりらしい。
「『アンバッスさんの拳骨』かぁ」
そのネーミングはどうなんだ? と、居間が微妙な沈黙に包まれた。空気を変えるように重雄が話題を振る。
「そういや最近、親父も工場の仕事が終わった後で何かやってるな」
「ああ、なんか得体の知れないモノ作ってるみたいだ」
「お父さんが? へぇ~」
「小父さん、なに作ってるんだろうな?」
居間のコタツ会議は籠のミカンが無くなるまで続くのだった。
「来週から冬休みか……」
すっかり冷え込むようになったこの時期。
薄暗い早朝、霜が降りる庭に出た朔耶は、とりあえず王都を目指して転移した。孝文と拓朗による武器の開発はまだ始まったばかりなので、今日持っていくのはレイスへのお土産のみだ。
王都からアーサリムへ向けて王国騎士団が派遣されて二日目。工房にやって来た朔耶は、衛兵から「ティルファより屋形船完成の報が届いている」と聞いて城に急いだ。
一応ほぼ確定した婚約者同士であるレティレスティアと近衛騎士団長イーリス。なかなか進展しない二人の仲を後押しするべく、朔耶が立案した極秘作戦『愛の屋形船作戦』の舞台となるのがこの屋形船だ。
今日はその屋形船用の備品を持って、先日朔耶から事業を引き継いだ若い官僚と共に、ティルファへ船の引き取りに向かおうと考えていたのだが――
「え、使えない?」
「はい、アーサリムに兵と物資を運ぶので、しばらくは……」
城で朔耶を迎えた若い官僚は申し訳なさそうに告げる。
今現在、二頭立ての竜籠一台が先発隊を乗せ、サムズ経由でアーサリムに向かっている。残りの四頭の飛竜もこれから二頭立て竜籠での物資と兵の輸送にフル稼働する事になるため、カースティアへの屋形船運搬は事態が落ち着くまで延期になった。
遠方への部隊派遣で、城中がピリピリした緊張感と忙しない空気に包まれている。
「そっかぁ……それじゃあ仕方ないよね」
若い官僚を労った朔耶は、単独でティルファに飛んでしばらく船を運べない旨をドマックに伝えに行く事にした。
「……その前にレイスにコレだけ渡して行こっと」
宮廷魔術士長の執務室にやって来た朔耶は、扉をノックしてノックして、もう一度ノックして待つことしばし。こそっと顔を出したフレイが入室を促してから執務室に入った。
何となくフレイから拗ねたような気配を感じるが、朔耶は気にしない。
「おはよーレイス」
「やあ……おはようございます」
なんだか『助かった』というような表情をしているレイスを見なかった事にした朔耶は、ウエストポーチから荷物を取り出す。
「今日はレイスにお土産持ってきたよ」
「ほう……なんでしょう?」
こちらの世界には無い、色鮮やかなラベルの付いた小瓶が執務机の上に並べられると、疲れた様子のレイスは興味を引かれたようだ。
朔耶は服用上の注意を教えながらレイスに栄養ドリンクをプレゼントするのだった。そしておもむろにフレイに向き直る。
「いや~、まさかフレイにこれを言う事になるとは」
「な、なんでしょう?」
ぽんぽんと肩に手を置き、朔耶は以前レイスに投げかけた台詞をフレイに贈った。
「程々にしておかないと、レイスが倒れちゃうよ?」
「はうあう~」
フレイに自重を促して王都を飛び立った朔耶は、昼前にはティルファに到着。そのままドマックの造船所を訪ねると、船の引き取りがしばらく先になる事を説明した。
「未開地か。うちでも似たような状況じゃわい」
ティルファには竜が二頭しか居ないので、二頭立て用の竜籠も予備を含めて二台しかない。その竜籠も最近はキトとの往復によく使われている。
今の段階ではまだ、ティルファが直接アーサリムに関わる様子は無さそうだ。だが、いずれ何らかの形で関わっていく事になるだろうと、ドマックは髭を掻きながら中央研究塔に向かって遠い目をする。
屋形船の中でドマックと軽くお茶など飲みながら船の出来栄えを確かめた朔耶は、保管と管理を頼んで今度は帝国へと翼を向けた。
夕方頃には帝都上空に到着し、そのまま城の竜籠発着場に降り立った朔耶は、普段と違う雰囲気を感じて訝しんだ。作業をしている人が多い割に、何故だか閑散としている。
その内に、この視界の広さは、いつもなら壁際にたくさん並んでいる竜籠がほとんど見当たらないからだと気付いた。
「ねえ、竜籠は?」
「ハッ、予定していた竜籠は昼までに全て出発済みであります!」
近くにいた衛兵に聞くと、そんな答えがキビキビ返ってくる。
朔耶は以前の経験から、『自分が来訪しても衛兵たちが大騒ぎしないように』とバルティアに取り計らってもらっていた。なので気軽に声をかけたのだが、衛兵達はあくまで朔耶を帝国上層部の人物として扱う。
そのため、竜籠の所在を尋ねたつもりが任務の進行具合を答えられるという多少のズレはあったものの、概ねスムーズに対話が交わされた。
帝国でも、キトとの往復とアーサリム地方への兵や物資の輸送に、竜籠はフル稼働状態。朔耶は『帝国も出兵が決まったのかー』と微妙な気持ちになる。
夕闇の迫る帝国領の山脈を一度振り返った朔耶は、城内から外庭工房へと移動した。
「バ~ル~」
「おおっ……サクヤではないか」
外庭工房で随分と形になってきたサクヤ式自動四輪を弄っている黒の作業着姿のバルティア。そこに声をかけた朔耶は、その反応にやや遠慮が混じっている事を感じ取った。
何となく『らしくない』のだ。
「何よ、元気ないわね」
「む? そうか? 余はいつも通りのつもりだが……」
「いつもならここらで、がばーっと抱き締めに来たりするじゃない」
「余はそこまでがっついてはいなかったと思うが、……サクヤがそう望むのであれば!」
がばーっと抱き締めに来たバルティアをひらりと躱して、自動四輪の出来栄えを確かめる朔耶。前のめりにすっ転ぶ漢バルティア。
朔耶は「お約束、お約束」などと呟きながら、古い映画に出てくるクラシックカーのようなデザインに関心を示す。
「では、これもお約束か?」
瞬間復活したバルティアが背後から朔耶を抱き締める。
そのままよく手入れされた滑らかな黒髪に顔を埋めるようにして首筋の体温を唇で感じ取り、同時に電撃に備えて身構えた。
「……」
「……?」
電撃なり肘打ちなりが来ると思っていたバルティアは、朔耶から反応が無い事を訝しむ。
思わず不安になって手を離すと、その細い肩を掴んで振り向かせる。そして朔耶の顔を覗き込もうとして――
「ほらね? いつもの反応が無いと不安になるでしょ?」
カアアァン
身構えてないところに不意打ちで時間差の電撃が来た。
「……この扱いは、何気に酷くはないか?」
「お約束、お約束」
帝都城外庭の訓練場に敷いた走行コースを、サクヤ式自動四輪に乗って一緒に軽くドライブする。出せる速度は自転車の立ち漕ぎ程度だが、それでも一般の馬車並み。
パワーに特化させてある四石筒魔力石モーターエンジンは、土のコース上にもかかわらず、朔耶とバルティアを乗せた自動四輪の車体をしっかりとした足回りで走らせていた。
「やっぱりサスペンションが無いと振動がひどいね。これじゃあすぐにガタが来そう」
「バネは取り寄せている最中なのでな、工房に届き次第組み込むつもりだ」
夜の訓練場コースをぐるりと回り、外庭工房の前に自動四輪を停めたバルティアは、ハンドルを握ってコースの先を見つめたまま、何かを決意するように言葉を紡いだ。
「……フレグンスと衝突するような事にはならんだろう」
「うん?」
帝国の懐事情は相変わらず良いとは言えず、アーサリムの鉱山は一部でも確保したい。そのため、今回バルティアが派遣する部隊の規模はそこそこ大きなモノとなっていた。その部隊は竜籠に乗って既に出発済みである。
『フレグンス側から明確に拒否された』という事実を作らないためにも、フレグンスには事前交渉も通告も無く精霊石鉱山へと乗り込む事になるが、交渉の窓口は常に開いているので、現地で何かトラブルでもあればすぐに対話の場を設けられる。
そういった配慮をしてはいるものの、バルティアとしては最初に同盟を持ちかけた以上、裏切り行為をしたような後ろめたさがあるのだ。ましてやバルティアから見れば朔耶は異世界出身のフレグンス人であるから、その胸の内を吐露せずにはいられない。
この辺り、皇帝として政を担うにはまだ若さが目立つ。国益を考える以上、外交で誠実さを見せる事が必ずしも良い結果をもたらす訳ではない。
「なーんだ、そんなコト気にしてたのかぁ」
「そんな事と言えるほど、軽い問題ではないと思うのだが……」
「大丈夫だよ、カイゼルさん達も帝国とは半々で採掘する事になるだろうって考えてたし。それに――」
自動四輪を降りながら、朔耶は笑って言った。
「帝国に居る時のあたしはただの朔耶だよ」
この前のように大使として来る時は親書でも用意するよと、冗談めかしたウインクで優しい笑みを向ける朔耶。同時に艶のある黒髪がふわりと舞うのを見て、バルティアは堪らなくなった。
もう一度捕まえようと懲りずに一歩踏み出したところで、密偵が報告にやって来た。
「……アーサリムの報告か。聞こう」
「ハッ、しかし……」
発着場の衛兵達と違い、朔耶をフレグンスの高官として見ているのだろう。密偵の気にするような素振りに、朔耶は席を外そうとするが、バルティアが引き止めた。
「構わぬ、話せ」
「ハッ……では――」
密偵の報告は、アーサリムのササに滞在しているフレグンス第二王女ルティレイフィアに、不穏な動きが見られるとの内容だった。
ササの街に建てられた大集会場。大型テントを補強したような造りだが、五十人近く収容できる。ここがササ周辺、すなわちアーサリム西部一帯に住む部族の部族会議の場である。
この一帯には約八十の部族が散らばって、それぞれ集落を形成している。
四~八人の家族単位で一つの部族を名乗っている場合もあるが、数ある部族の中でも数百人規模の部族民を持つ中心部族が二十ほど。その中心部族の配下に属する部族や、独立して存在する数十人規模の中堅部族が約四十。それら多種多様な部族を束ねている部族が、ブレブラバントを族長に持つ『ブブ族』である。
ブブ族の前族長でブレブラバントの父、『バンガラバンダ・アッサム』が、それまで多少の小競り合いをしながら吸収、分離、合併を繰り返していたこの辺りの部族を纏め上げたのだ。
彼等は大きな問題が持ち上がると、このササの大集会場に集まって部族会議を開く。
ここに参加できるのは、中心部族や中堅部族合わせて三十の部族長。
中でも発言権を持つのは、大族長と呼ばれるブブ族の族長をはじめとして、他九つの高位部族の族長達。腰丈ほどの円柱に布袋を被せて作った椅子が並び、彼等はそこに胡坐で座る。
残りの内の十部族長はそれぞれの高位部族を支援する野次係。後の十部族長はここには参加できない小粒の部族に決定事項を伝える役割を担って参加を許されていた。彼等は地べたに布を敷いて座っている。
円陣を描くように座る彼等の中心に、大族長ブレブラバントが座り、向かい合う形で客人として呼ばれたルティレイフィアが立っている。
会議は紛糾していた。
「やはり余所者はこの地に入れぬ方が良かったのだ!」
「何を今更……そんな話は五十年も前に語り尽くされている」
「左様。今はこの問題をどうするかを話し合う時じゃ」
「大体その女は、フレグンスとやらの王の娘だと聞くぞ」
「だから何じゃ? 我等が話し合わねばならない事は、その者が知らせてきた災いに対すべき方法じゃ」
「侵略者の言う事など信用できんと言うておるのだ!」
「止めんかっ! 大勢の兵が向かって来ておるのは事実だ!」
「もはや信用するしないの話ではない!」
ルティレイフィアは祖国からアーサリムへの部隊派遣の報を受けた後、すぐにフレグンスの衛星国家サムズ領内まで戻って情報を集めた。
部隊派遣の目的は精霊石鉱山の採掘のための調査との事だが、このアーサリム地方を領土に組み入れる事も視野に入れていると言う。
フレグンスにおいて新しい土地の攻略や制圧に派遣されるのは王国騎士団であるが、彼らはいずれも精鋭揃いだ。魔獣や魔物相手であれば慣れていない分多少手こずるであろうが、対人戦闘においては、アーサリムの部族戦士ではまず太刀打ちできない。
ササの街に戻ったルティレイフィアはブレブラバントにその旨を伝えると、代表部族を集めてこのアーサリムの地を一国家として主張する事を提案した。
そしてフレグンスや帝国と国交を開き、鉱山の採掘権を掲げて同盟交渉するよう勧めたのだ。
上手くすれば、採掘権と引き換えにフレグンスと帝国の戦力を借りて、ポルモーンからアーレクラワ、スンカ山とアーサリム地方一帯に棲む魔獣、魔物の類を一掃する事が出来ると。しかし――
(彼等はまだ、国としての体裁を保てるほどに成熟してはいなかったか……)
この会議の中で、各族長達は部族単位の視点でのみモノを見、考え、発言していた。部族の掟、部族の誇り、そういったモノを前面に出しての主張は、その場限りの応急策。戦って追い返せば良いという意見が広まっていく。
「貴殿等に忠告しておくが、今回派遣される部隊は斥候も兼ねた少数の先発隊だ。たとえ追い払えても、次は遠征軍本隊が来るぞ?」
族長達の主張の応酬にルティレイフィアが口を挟む。
調査目的の先発隊と一度刃を交えてしまえば、次は討伐目的で編成された騎士団が派遣されてくる。『調査』ではなく『討伐』だ。
そうなれば、アーサリムが国家として立つ事は絶望的になる。フレグンスと帝国の手で分割統治されるだろうと説いた。
「黙れ! お主に発言は許可されておらん」
「じゃが、この者の言う事も一理あるぞ?」
「そもそも女が戦いに口出しするような国の戦士が、どれほどのモノだと言うのだ?」
「ふっ、部族の掟だけでは国は立ち行かないぞ」
侮りを口にした族長に、鋭い視線交じりの笑みと諭すような口調で忠告するルティレイフィア。それを挑発と取った族長が「我等を愚弄するか!」と円柱台から立ち上がる。
「各々方! 彼女はその国の王女である。ルティレイフィア殿、貴女も客人として呼ばれているのだ、慎まれよ」
ブレブラバントの仕切りにより、紛糾は一旦収束したかのように見えた。だが、族長の一人が放った一言が会議の流れを思わぬ方向へと導く。
「王女がこちらの手にあるなら、向こうは手出しできないのではないのか?」
強気な発言をしていた者も含めて、族長達は皆、内心では不安に苛まれていた。北部からやってくる傭兵や商人達の持つ洗練された武器に防具、織物や陶器、立派な馬車。自分達とは違うはるかに進んだ文明圏に住む人々。
「オルドリアの事?」
「っ!」
なんで!? という表情で固まる朔耶に、実穂はまず、決して詳しい内容を知っている訳ではないと断りを入れる。
『オルドリア』が何を指すのか、特定の場所なのか、それとも団体や組織なのか、誰か個人を指すのか、実穂は全く知らない。ただ、独自に朔耶の事を調べていた彼女が、朔耶に近しい人物の会話をたまたま耳にした際に出てきた固有名詞だったのだ。
「ごめんね。わたし、どうしても最近の朔耶ちゃんの事が気になって」
実穂は朔耶に対し、周辺を嗅ぎ回るような真似をした事について謝った。そして困った顔をしている朔耶に、どうしても自分達が立ち入ってはイケナイ事なのかと問う。
「ううーん……イケナイというか何というか……、実穂と藍との間にある一般人としての日常を壊したくないというか」
「え、なにソレ! 朔ちゃん裏の住人になっちゃったの? マジで、それってどんな、え? でもちょっとヤバくない? イヤでも最近の朔ちゃ……もぐもぐ」
藍香の二度目の発作を一口ハンバーグで鎮めた実穂は、それじゃあ一つだけと人差し指を立てる。こういう可愛い系のポーズは、一見ポヤッとしている実穂がやると本当に似合うなぁなどと思いつつ、朔耶は頷いた。
「朔耶ちゃん、またわたし達の前から急に居なくなったりしない?」
ある日突然、朔耶が消えてしまったのが半年前。約束のキャンプ場で待てど暮らせど現れず。連絡も付かず、街に下りて朔耶の家に電話を入れて、そのまま週末が過ぎ、平常通りに学校が始まっても朔耶は姿を見せなかった。
その後、失踪事件として大捜索が行われ、夏に入り、何の手がかりも得られないまま捜索の打ち切りと捜査体制の縮小が告げられ。そして居なくなった時と同様、ある日突然、帰って来た。
朔耶の失踪中、実穂と藍香は二人で居る事が多かったが、遊びに行く事は一度も無かった。特に藍香は、自分がキャンプに誘った事が原因かと一時期酷く落ち込み、そんな藍香を実穂が支えている、という状態だったのだ。
「……そっかぁ。二人にも随分心配かけてたんだよね。ごめんね? 藍」
「えっ! いや、あたしはホラッ、朔ちゃんが無事なら無問題だし!」
ぶんぶんと両手を振って顔を赤らめる藍香は、実穂に話題の転換を図れと合図を送るも、軽く流された。
「んー、確かに二人に隠してる事はあるけど……いつか教えられる時期が来たら教えてあげる」
最近の朔耶が時折見せる、深みのある、落ち着いた笑み。そんな表情を二人に向けながら朔耶は続ける。
「もう勝手に居なくなったりはしないから、そこは安心して?」
「朔ちゃんっ!」
「朔耶ちゃん……」
瞳を潤ませた実穂と藍香は、分かったと頷いた。
昼休みの教室で机を寄せてお弁当を広げながら、何故か手を取り合い見つめ合っている朔耶達に、クラスメイトは微妙~な視線を送っていたという。
――そんなやりとりを交わしたのが、約一週間ほど前。
詳細は話せないが、朔耶はその『オルドリア』の事で少々問題が発生しているのだと伝える。
「まあ、あたしが悩んでどうこうなる問題でもないんだけどねー」
「朔ちゃん、相談できるところまではあたし等にも相談してよ?」
「わたし達は朔耶ちゃんの味方だからね?」
「藍……、実穂……。うん、ありがと」
教室の端で、いつぞやのように手を重ね合い見つめ合う朔耶達。
今回はクリスマス前で浮き立っているクラスメイト達も似たような事をやっていたので、特に注目を浴びる事はなかった。
地球世界の人間でオルドリアについて話し合える兄の重雄と弟の孝文、それに幼馴染の拓朗。朔耶のブレーンとも言える三人に現在の問題について相談した朔耶は、皆から揃って「お前が気にする事じゃない」と言われた。
朔耶は自分の権限の範囲で動き、それでたまたま見つかったモノの中に鉱山の情報があったというだけの話。たとえそれで三国が揉めたとしても、それはあくまで三国の問題なのだ、と。
「その魔族の本拠地ってのが見つかってなきゃ、もっとひどい事になってたかもしれないんだろ?」
「鉱山の権利を手に入れる決定を下したのは各国のトップだからな。国ってのは利益を求めて揉めるモンなんだよ」
「朔耶が動いた事でキトと魔族との関係が明るみになった訳だ。むしろ良い方向に進んでるとも言えるんじゃないか?」
「そうなのかなぁ」
満場一致で「気にするな」と励ます三人の気持ちを受け入れ、朔耶は気持ちを切り替える事にした。
「まあ、俺が前に言った『お前は人々を導く女神にもなれれば、世界を破滅させる悪魔にもなれる』ってのが頭に残ってたから、そこまで気に病んだのかもな」
「なんだ、お兄ちゃんのせいか」
「ちょっ! 切り替え早っ」
都築家の居間のコタツで、向かい合ってミカンを食べながらオルドリアの今後について話し合う朔耶達。未開地の魔物について話が及ぶと、拓朗が「ついに武器を開発する時が来た!」と拳を振り上げる。コタツに入ったままで。
元ミリオタの拓朗は、以前現代兵器の概念を取り入れたサクヤ式の武器の製作を提案して、朔耶と孝文に却下された事がある。
「武器ねぇ」
「要は、特定の人間にしか使えないシステムにすれば良いんだよ」
武器の動力部分を分離し、支給制にして武器だけ手に入れても使えない仕様にする。その上で動力部分を特定の集団にのみ持たせるようにすれば、武器の拡散や犯罪利用は防げるはずだと拓朗は主張した。
実は以前から『武器開発の解禁』を狙って考えていた理屈である。軍隊仕様の大量破壊を目的とした『兵器』ではなく、個人仕様の『武器』と規模を小さくしているところに自重の形跡が見られた。いずれにせよその道具の運用は軍に任せる事になるのだから、実質的な差異の無い、建前的な配慮だが。
「『精鋭』で通るプロの傭兵がヤバイって言うくらい危ない地域なんだろ?」
「防具より武器の方が作りやすいからなぁ。味方の生存率を上げるって意味でならいいかもな」
今回は孝文も拓朗の意見に肯定的だった。本当は危険な事には関わるなと言いたかったが、どうせ聞きゃしないのだからと、少しでも安全を図れるようにと考えての事だ。朔耶の周囲の人間を護る事で、朔耶が傷つかないようにするという打算もある。
「でも、どんなモノ作る気なの?」
「最初は銃にしようと思ってたんだけど、向こうの人間がちゃんと使える武器で、生産性とか使用制限を考えるなら近接武器の方がいいかなって」
朔耶からキト制圧の話を聞いた拓朗は、攻撃の要であり、援護にも回る事の出来る魔術士の数の少なさとその能力の高さを考慮して、武器の概要を導き出した。
魔術士達を護る壁役となる前衛の騎士や傭兵に、魔術にも引けをとらない攻撃力を持たせる。前衛が即座に対処できれば、不意に始まる遭遇戦が主体となるであろうアーサリムでの進撃にも有利に働く。
となると、小回りが利いて、混乱した状況でも同士討ちなどの事故が起こりにくいモノが望ましい。以前拓朗が考案していた魔力石コイルガンは、本体から圧縮反発力によって発射された弾丸を、砲身部分に並べた反発力ユニットでさらに加速させるという多重圧縮反発力式の射出機だった。構造上どうしても大型になるので、持ち運びも使い勝手も悪い。
なので今回は飛び道具は諦め、圧縮反発力を使った殴り系の武器にするという。
「EBは当てっ放しにしてれば角材が切れるぐらいの威力はあるけど、あれで斬りつけても瞬間的な威力はせいぜい市販のスタンガン程度しか無い。だからあれは見た目での牽制や鎮圧用に使うとして、前に朔耶が作ったって言う篭手を参考にしようと思う」
圧縮反発力による衝撃波を撃ち出し、対象を吹っ飛ばす篭手。あれならば、朔耶から譲り受けた騎士が改良の加えられたモノをサムズ動乱の折に使って成果を上げている。加えて帝国のガルブレック密偵隊長も元皇帝側近と対峙した際に使用しており、新しい武器でありながら信頼性が高い。
拓朗曰く、朔耶が作ったそのままの仕様ではなく、もう少し武器としての威力を上げるべく工夫を凝らすつもりらしい。
「『アンバッスさんの拳骨』かぁ」
そのネーミングはどうなんだ? と、居間が微妙な沈黙に包まれた。空気を変えるように重雄が話題を振る。
「そういや最近、親父も工場の仕事が終わった後で何かやってるな」
「ああ、なんか得体の知れないモノ作ってるみたいだ」
「お父さんが? へぇ~」
「小父さん、なに作ってるんだろうな?」
居間のコタツ会議は籠のミカンが無くなるまで続くのだった。
「来週から冬休みか……」
すっかり冷え込むようになったこの時期。
薄暗い早朝、霜が降りる庭に出た朔耶は、とりあえず王都を目指して転移した。孝文と拓朗による武器の開発はまだ始まったばかりなので、今日持っていくのはレイスへのお土産のみだ。
王都からアーサリムへ向けて王国騎士団が派遣されて二日目。工房にやって来た朔耶は、衛兵から「ティルファより屋形船完成の報が届いている」と聞いて城に急いだ。
一応ほぼ確定した婚約者同士であるレティレスティアと近衛騎士団長イーリス。なかなか進展しない二人の仲を後押しするべく、朔耶が立案した極秘作戦『愛の屋形船作戦』の舞台となるのがこの屋形船だ。
今日はその屋形船用の備品を持って、先日朔耶から事業を引き継いだ若い官僚と共に、ティルファへ船の引き取りに向かおうと考えていたのだが――
「え、使えない?」
「はい、アーサリムに兵と物資を運ぶので、しばらくは……」
城で朔耶を迎えた若い官僚は申し訳なさそうに告げる。
今現在、二頭立ての竜籠一台が先発隊を乗せ、サムズ経由でアーサリムに向かっている。残りの四頭の飛竜もこれから二頭立て竜籠での物資と兵の輸送にフル稼働する事になるため、カースティアへの屋形船運搬は事態が落ち着くまで延期になった。
遠方への部隊派遣で、城中がピリピリした緊張感と忙しない空気に包まれている。
「そっかぁ……それじゃあ仕方ないよね」
若い官僚を労った朔耶は、単独でティルファに飛んでしばらく船を運べない旨をドマックに伝えに行く事にした。
「……その前にレイスにコレだけ渡して行こっと」
宮廷魔術士長の執務室にやって来た朔耶は、扉をノックしてノックして、もう一度ノックして待つことしばし。こそっと顔を出したフレイが入室を促してから執務室に入った。
何となくフレイから拗ねたような気配を感じるが、朔耶は気にしない。
「おはよーレイス」
「やあ……おはようございます」
なんだか『助かった』というような表情をしているレイスを見なかった事にした朔耶は、ウエストポーチから荷物を取り出す。
「今日はレイスにお土産持ってきたよ」
「ほう……なんでしょう?」
こちらの世界には無い、色鮮やかなラベルの付いた小瓶が執務机の上に並べられると、疲れた様子のレイスは興味を引かれたようだ。
朔耶は服用上の注意を教えながらレイスに栄養ドリンクをプレゼントするのだった。そしておもむろにフレイに向き直る。
「いや~、まさかフレイにこれを言う事になるとは」
「な、なんでしょう?」
ぽんぽんと肩に手を置き、朔耶は以前レイスに投げかけた台詞をフレイに贈った。
「程々にしておかないと、レイスが倒れちゃうよ?」
「はうあう~」
フレイに自重を促して王都を飛び立った朔耶は、昼前にはティルファに到着。そのままドマックの造船所を訪ねると、船の引き取りがしばらく先になる事を説明した。
「未開地か。うちでも似たような状況じゃわい」
ティルファには竜が二頭しか居ないので、二頭立て用の竜籠も予備を含めて二台しかない。その竜籠も最近はキトとの往復によく使われている。
今の段階ではまだ、ティルファが直接アーサリムに関わる様子は無さそうだ。だが、いずれ何らかの形で関わっていく事になるだろうと、ドマックは髭を掻きながら中央研究塔に向かって遠い目をする。
屋形船の中でドマックと軽くお茶など飲みながら船の出来栄えを確かめた朔耶は、保管と管理を頼んで今度は帝国へと翼を向けた。
夕方頃には帝都上空に到着し、そのまま城の竜籠発着場に降り立った朔耶は、普段と違う雰囲気を感じて訝しんだ。作業をしている人が多い割に、何故だか閑散としている。
その内に、この視界の広さは、いつもなら壁際にたくさん並んでいる竜籠がほとんど見当たらないからだと気付いた。
「ねえ、竜籠は?」
「ハッ、予定していた竜籠は昼までに全て出発済みであります!」
近くにいた衛兵に聞くと、そんな答えがキビキビ返ってくる。
朔耶は以前の経験から、『自分が来訪しても衛兵たちが大騒ぎしないように』とバルティアに取り計らってもらっていた。なので気軽に声をかけたのだが、衛兵達はあくまで朔耶を帝国上層部の人物として扱う。
そのため、竜籠の所在を尋ねたつもりが任務の進行具合を答えられるという多少のズレはあったものの、概ねスムーズに対話が交わされた。
帝国でも、キトとの往復とアーサリム地方への兵や物資の輸送に、竜籠はフル稼働状態。朔耶は『帝国も出兵が決まったのかー』と微妙な気持ちになる。
夕闇の迫る帝国領の山脈を一度振り返った朔耶は、城内から外庭工房へと移動した。
「バ~ル~」
「おおっ……サクヤではないか」
外庭工房で随分と形になってきたサクヤ式自動四輪を弄っている黒の作業着姿のバルティア。そこに声をかけた朔耶は、その反応にやや遠慮が混じっている事を感じ取った。
何となく『らしくない』のだ。
「何よ、元気ないわね」
「む? そうか? 余はいつも通りのつもりだが……」
「いつもならここらで、がばーっと抱き締めに来たりするじゃない」
「余はそこまでがっついてはいなかったと思うが、……サクヤがそう望むのであれば!」
がばーっと抱き締めに来たバルティアをひらりと躱して、自動四輪の出来栄えを確かめる朔耶。前のめりにすっ転ぶ漢バルティア。
朔耶は「お約束、お約束」などと呟きながら、古い映画に出てくるクラシックカーのようなデザインに関心を示す。
「では、これもお約束か?」
瞬間復活したバルティアが背後から朔耶を抱き締める。
そのままよく手入れされた滑らかな黒髪に顔を埋めるようにして首筋の体温を唇で感じ取り、同時に電撃に備えて身構えた。
「……」
「……?」
電撃なり肘打ちなりが来ると思っていたバルティアは、朔耶から反応が無い事を訝しむ。
思わず不安になって手を離すと、その細い肩を掴んで振り向かせる。そして朔耶の顔を覗き込もうとして――
「ほらね? いつもの反応が無いと不安になるでしょ?」
カアアァン
身構えてないところに不意打ちで時間差の電撃が来た。
「……この扱いは、何気に酷くはないか?」
「お約束、お約束」
帝都城外庭の訓練場に敷いた走行コースを、サクヤ式自動四輪に乗って一緒に軽くドライブする。出せる速度は自転車の立ち漕ぎ程度だが、それでも一般の馬車並み。
パワーに特化させてある四石筒魔力石モーターエンジンは、土のコース上にもかかわらず、朔耶とバルティアを乗せた自動四輪の車体をしっかりとした足回りで走らせていた。
「やっぱりサスペンションが無いと振動がひどいね。これじゃあすぐにガタが来そう」
「バネは取り寄せている最中なのでな、工房に届き次第組み込むつもりだ」
夜の訓練場コースをぐるりと回り、外庭工房の前に自動四輪を停めたバルティアは、ハンドルを握ってコースの先を見つめたまま、何かを決意するように言葉を紡いだ。
「……フレグンスと衝突するような事にはならんだろう」
「うん?」
帝国の懐事情は相変わらず良いとは言えず、アーサリムの鉱山は一部でも確保したい。そのため、今回バルティアが派遣する部隊の規模はそこそこ大きなモノとなっていた。その部隊は竜籠に乗って既に出発済みである。
『フレグンス側から明確に拒否された』という事実を作らないためにも、フレグンスには事前交渉も通告も無く精霊石鉱山へと乗り込む事になるが、交渉の窓口は常に開いているので、現地で何かトラブルでもあればすぐに対話の場を設けられる。
そういった配慮をしてはいるものの、バルティアとしては最初に同盟を持ちかけた以上、裏切り行為をしたような後ろめたさがあるのだ。ましてやバルティアから見れば朔耶は異世界出身のフレグンス人であるから、その胸の内を吐露せずにはいられない。
この辺り、皇帝として政を担うにはまだ若さが目立つ。国益を考える以上、外交で誠実さを見せる事が必ずしも良い結果をもたらす訳ではない。
「なーんだ、そんなコト気にしてたのかぁ」
「そんな事と言えるほど、軽い問題ではないと思うのだが……」
「大丈夫だよ、カイゼルさん達も帝国とは半々で採掘する事になるだろうって考えてたし。それに――」
自動四輪を降りながら、朔耶は笑って言った。
「帝国に居る時のあたしはただの朔耶だよ」
この前のように大使として来る時は親書でも用意するよと、冗談めかしたウインクで優しい笑みを向ける朔耶。同時に艶のある黒髪がふわりと舞うのを見て、バルティアは堪らなくなった。
もう一度捕まえようと懲りずに一歩踏み出したところで、密偵が報告にやって来た。
「……アーサリムの報告か。聞こう」
「ハッ、しかし……」
発着場の衛兵達と違い、朔耶をフレグンスの高官として見ているのだろう。密偵の気にするような素振りに、朔耶は席を外そうとするが、バルティアが引き止めた。
「構わぬ、話せ」
「ハッ……では――」
密偵の報告は、アーサリムのササに滞在しているフレグンス第二王女ルティレイフィアに、不穏な動きが見られるとの内容だった。
ササの街に建てられた大集会場。大型テントを補強したような造りだが、五十人近く収容できる。ここがササ周辺、すなわちアーサリム西部一帯に住む部族の部族会議の場である。
この一帯には約八十の部族が散らばって、それぞれ集落を形成している。
四~八人の家族単位で一つの部族を名乗っている場合もあるが、数ある部族の中でも数百人規模の部族民を持つ中心部族が二十ほど。その中心部族の配下に属する部族や、独立して存在する数十人規模の中堅部族が約四十。それら多種多様な部族を束ねている部族が、ブレブラバントを族長に持つ『ブブ族』である。
ブブ族の前族長でブレブラバントの父、『バンガラバンダ・アッサム』が、それまで多少の小競り合いをしながら吸収、分離、合併を繰り返していたこの辺りの部族を纏め上げたのだ。
彼等は大きな問題が持ち上がると、このササの大集会場に集まって部族会議を開く。
ここに参加できるのは、中心部族や中堅部族合わせて三十の部族長。
中でも発言権を持つのは、大族長と呼ばれるブブ族の族長をはじめとして、他九つの高位部族の族長達。腰丈ほどの円柱に布袋を被せて作った椅子が並び、彼等はそこに胡坐で座る。
残りの内の十部族長はそれぞれの高位部族を支援する野次係。後の十部族長はここには参加できない小粒の部族に決定事項を伝える役割を担って参加を許されていた。彼等は地べたに布を敷いて座っている。
円陣を描くように座る彼等の中心に、大族長ブレブラバントが座り、向かい合う形で客人として呼ばれたルティレイフィアが立っている。
会議は紛糾していた。
「やはり余所者はこの地に入れぬ方が良かったのだ!」
「何を今更……そんな話は五十年も前に語り尽くされている」
「左様。今はこの問題をどうするかを話し合う時じゃ」
「大体その女は、フレグンスとやらの王の娘だと聞くぞ」
「だから何じゃ? 我等が話し合わねばならない事は、その者が知らせてきた災いに対すべき方法じゃ」
「侵略者の言う事など信用できんと言うておるのだ!」
「止めんかっ! 大勢の兵が向かって来ておるのは事実だ!」
「もはや信用するしないの話ではない!」
ルティレイフィアは祖国からアーサリムへの部隊派遣の報を受けた後、すぐにフレグンスの衛星国家サムズ領内まで戻って情報を集めた。
部隊派遣の目的は精霊石鉱山の採掘のための調査との事だが、このアーサリム地方を領土に組み入れる事も視野に入れていると言う。
フレグンスにおいて新しい土地の攻略や制圧に派遣されるのは王国騎士団であるが、彼らはいずれも精鋭揃いだ。魔獣や魔物相手であれば慣れていない分多少手こずるであろうが、対人戦闘においては、アーサリムの部族戦士ではまず太刀打ちできない。
ササの街に戻ったルティレイフィアはブレブラバントにその旨を伝えると、代表部族を集めてこのアーサリムの地を一国家として主張する事を提案した。
そしてフレグンスや帝国と国交を開き、鉱山の採掘権を掲げて同盟交渉するよう勧めたのだ。
上手くすれば、採掘権と引き換えにフレグンスと帝国の戦力を借りて、ポルモーンからアーレクラワ、スンカ山とアーサリム地方一帯に棲む魔獣、魔物の類を一掃する事が出来ると。しかし――
(彼等はまだ、国としての体裁を保てるほどに成熟してはいなかったか……)
この会議の中で、各族長達は部族単位の視点でのみモノを見、考え、発言していた。部族の掟、部族の誇り、そういったモノを前面に出しての主張は、その場限りの応急策。戦って追い返せば良いという意見が広まっていく。
「貴殿等に忠告しておくが、今回派遣される部隊は斥候も兼ねた少数の先発隊だ。たとえ追い払えても、次は遠征軍本隊が来るぞ?」
族長達の主張の応酬にルティレイフィアが口を挟む。
調査目的の先発隊と一度刃を交えてしまえば、次は討伐目的で編成された騎士団が派遣されてくる。『調査』ではなく『討伐』だ。
そうなれば、アーサリムが国家として立つ事は絶望的になる。フレグンスと帝国の手で分割統治されるだろうと説いた。
「黙れ! お主に発言は許可されておらん」
「じゃが、この者の言う事も一理あるぞ?」
「そもそも女が戦いに口出しするような国の戦士が、どれほどのモノだと言うのだ?」
「ふっ、部族の掟だけでは国は立ち行かないぞ」
侮りを口にした族長に、鋭い視線交じりの笑みと諭すような口調で忠告するルティレイフィア。それを挑発と取った族長が「我等を愚弄するか!」と円柱台から立ち上がる。
「各々方! 彼女はその国の王女である。ルティレイフィア殿、貴女も客人として呼ばれているのだ、慎まれよ」
ブレブラバントの仕切りにより、紛糾は一旦収束したかのように見えた。だが、族長の一人が放った一言が会議の流れを思わぬ方向へと導く。
「王女がこちらの手にあるなら、向こうは手出しできないのではないのか?」
強気な発言をしていた者も含めて、族長達は皆、内心では不安に苛まれていた。北部からやってくる傭兵や商人達の持つ洗練された武器に防具、織物や陶器、立派な馬車。自分達とは違うはるかに進んだ文明圏に住む人々。
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