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4巻
4-3
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拓朗は自分の浅はかな提案を詫びる。異世界や精霊、剣と魔術などといった話を聞くと、ついその世界で強力な現代兵器を使って活躍する場面ばかり思い描いてしまう。だが、そこに住む人々の日常という、本来最も尊重しなくてはならない部分への配慮を欠いてしまっていた。
「まあ、夢見がちな男の子だもんね」
「ははは……」
朔耶のフォローなのか追い討ちなのかよく分からない慰めに曖昧な笑いを返した拓郎は、また何か別の物を考えると言って自宅へと帰っていった。
夕食を終えた朔耶は、釣り船観光事業の総仕上げをするために、今日は夜中まで向こうで作業をする事を家族に告げて庭に出た。しかしふと考え込み、兄重雄を呼ぶ。
「ん? どうした」
「うん……、ちょっと手伝ってくれる?」
カースティアの湖近くに建てられた観光施設。釣り船乗り場には騎士団に雇われた労働者が集まり、竜籠から船を湖に降ろすための準備作業が進められていた。
既に辺りは暗くなっており、陸で篝火を焚いて明かりを確保しているが、真っ暗な湖畔での作業は困難を予想させた。篝火船も用意しようかと騎士達が話し合っているところに、空から黒い翼を広げて舞い降りてくる黒髪の少女。
どよめきと混乱。だが本部の屋上で何度も目撃した騎士達はさすがに慣れたモノで、うろたえる労働者達を落ち着かせ、作業の指示を仰ぐべく朔耶のもとに集まってきた。
「はーいっ、下がって下がってー、みんな下がってー」
朔耶は皆を下がらせると、地面に小枝で線を引き始める。なんだろうと覗き込む人々を余所に長方形を描き上げた朔耶は、その四隅に庭から持ってきた石を置いた。魔力が籠められたそれらの石は、ほのかに発光している。
「みんな絶対この中に入っちゃダメよ? 命に関わるからね」
そう注意を呼びかけた朔耶が忽然と姿を消す。そのまましばらく、ボンヤリとした石の光が薄れていく様子を眺めていた人々は、突如四角の中に現れた物体に仰天した。
四つの車輪をつけたソレは、傭兵団が使う装甲馬車のようにも見えた。御者台は無く、全面が艶のある金属で覆われている。四方には大きな窓があり、前に突き出た顔のような部分はまるで甲冑兜を纏った魔獣のようだ。
その金属車の扉が開いて朔耶が降りて来る。すると二度目の混乱はすぐに収束した。騎士達は金属車の中のもう一人、朔耶と同じ黒髪をした男性の存在を気にしながら、朔耶の周りに集まる。
「サクヤ様、これは一体……?」
「ああ、危なくないから大丈夫だよ。ちょっと作業の手伝いに呼んだの」
朔耶が振り返って男性、すなわち重雄に合図を送ると、金属車――ランドクルーザーのエンジンが掛かった。
聞いた事もないような嘶きと咆哮、そして生き物には見えないが生き物としか思えないような低い唸り声と脈動。その様を見た騎士達は『やはり魔獣の類か』と、思わず後退ってしまう。さらにその魔獣の目が強烈な光を放つ。労働者達は一斉に逃げ出しそうになったが、至近距離にいる騎士達がその場から動かず、なおかつ光を浴びても無事であるのを見て、どうにか踏み止まっている。
「はいはい、噛み付きゃしないから大丈夫よ。じゃあみんな、船を降ろす作業を始めるわよー!」
浮き足立っている騎士や労働者達に声を張り上げて、朔耶は作業開始を告げた。
こちらに転移する前、朔耶は以前ドマックの工房で船外機の取り付け作業を行った際に夜の暗さで結構苦労した事を思い出し、何か強力な照明はないものかと考えた。工事現場で使うような、広範囲を明るく照らし出せる照明は、さすがに家の倉庫にも置いてない。なので兄の車のヘッドライトを使う事にしたのだ。問題はあまりカースティアから離れた場所に転移してしまうと、作業に間に合わなくなってしまう事。そして神社の精霊と相談した結果、正確な座標に転移する方法として、特定の物質に強力な魔力を籠め、そこを目印に跳べば行けそうだという結論に至ったのだ。
地面は湖に向かって少し傾斜しているため、ヘッドライトの光はいい感じに作業現場を照らし出している。まるで昼間のような明るさに加え、労働者達がこの珍しい状況に興奮していた事もあってか、作業は順調に進んでいた。
そこへ、見回りに出ていたガリウスとフランが、街の人からの通報を受けて様子を見にやって来た。
「おー? なんだこりゃ、魔獣の類かあ?」
「凄い光だなぁ、これもサクヤちゃんの力なのかな?」
二人は物珍しそうにランドクルーザーを観察している。朔耶が関係していると知った時点で、何も心配はしていなかったようだ。
「あ、いいところに!」
「俺は見回り中。用事ならフランが引き受けるぜ」
朔耶の台詞を聞いてすかさず逃げようとするガリウス。どのみち観光事業の人事について詳しく知っている者にしか出来ない用事なので、朔耶はそのままフランに頼んだ。
「フラン君、観光事業で契約してる船長さん達と宿の主人さん達を呼んで来てくれる?」
朔耶は今日中に諸々の調整を済ませて明日からでも営業を開始したいと思っていた。そのための構想も、十四時間に及ぶティルファからの移動中に考えてある。〝思い立ったら即行動〟の家訓に従い、朔耶は練り上げた構想を現実化していく。
やがて、強力なヘッドライトに照らされた湖の畔で歓声があがった。船が無事、湖に降ろされたのだ。ふわりと宙を舞って船に乗り込んだ朔耶は、船のランプを全て灯すと、操舵室に上って船外機を起動させた。
独特の駆動音を響かせながら帆もオールも無しに動き出す船に、またもどよめきと歓声があがる。重雄も愛車のサンルーフから顔を出して、釣り船乗り場の桟橋に向かうサクヤ式機械船、釣り船一号艇の雄姿を感慨深く眺めていた。
少しして、契約している船長に料理人と補佐、事業を提携する一般宿と貴族用宿の主がフランに連れられてやって来る。そして釣り船に乗り込み、朔耶の説明を受けながらライフジャケットを身に着けた。
船長には船外機の機能と操作方法をレクチャーしつつ、補佐役にも航行中に客が釣りを楽しんでいる間や接岸時の役割を伝える。料理人には魔力石コンロの使い方を教え、足りない調味料などがあれば申請するよう言い添えた。
「あと二人乗れるけど、フラン君とガリウスも乗ってみる? あ、ガリウスは見回り中だっけ」
「乗る乗る!」
「見回りはさっき終わったぜ」
フランは嬉々として乗り込み、ガリウスは予想通りしれっとフランの後に続いた。ライフジャケットは騎士の甲冑の上からでも何とか着る事が出来たが、騎士達は非常に斬新で奇抜な姿となった。ぶっちゃけ、凄く格好悪い。
「これはひどい」
鎧の上から着てもそこそこ見られるデザインを考えようと本気で考える朔耶。実際、フル装備の騎士を今の仕様で浮かせられるのかという点にも不安が残る。
朔耶はとりあえず湖畔にいる兄に手を振り、ハイビームによる返答を確認してから船長に船を出すよう指示を出した。
一帯を照らすランドクルーザーの光が一段と輝きを増して、釣り船一号艇の姿を浮かび上がらせる。桟橋近くでは大勢の労働者や騎士達、それに野次馬達がこのイベントを見物していた。
「素晴らしい船だ!」
船長はすぐに船外機の動かし方を覚えてその性能を絶賛。このサクヤ式機械船で仕事が出来る事を喜び、釣り船観光事業の成功に向けて尽力する事を誓った。
宿の主人二人は、料理人と一緒になって魔力石コンロを弄っており、つまみで火加減を調節しては唸るという事を繰り返していた。補佐役は釣り客の世話の予行演習として、ガリウスとフランに釣り具を用意し、餌をつけ、網を持って待機する。船周辺や船内の様子に気を配る事も忘れない。
やがて釣り具を渡されたガリウスが大物を釣り上げ、早速料理人がコンロで焼いているところに、フランもそこそこの獲物を釣り上げた。二台のコンロを使って魚を焼けば、煙は船室に充満する事無く順調に排出され、改めて問題なしと判断できた。
「これなら、いけそうだね」
船を乗り場に戻してしっかり係留した後、朔耶は空になった竜籠が放置されている作業開始地点に戻る。そして見物人達を解散させて、労働者に報酬を支払うよう騎士達に指示を出した。竜籠は明日回収する事にする。
ぞろぞろ移動を始める労働者達と見物人達の視線の先では、未だ強力な光で湖面を照らす魔獣のような金属車に、召喚主の少女が乗り込むところだった。
「上手くいったみたいだな」
「うん! あ……お兄ちゃんも船、乗りたかった?」
釣り船に船外機を使おうと言った発案者は重雄である。その船関連でこちらの世界に連れて来ておいて、照明係をさせたダケというのは何やら申し訳ない。そう気に掛ける朔耶に、兄はまた次の機会で良いと笑った。
回収した庭の石を座席の足元に置いてシートにもたれた朔耶は、一息吐きながら神社の精霊に帰還を呼びかける。
『帰ろ』
ウム
騎士や労働者達が見守る中、朔耶と謎の人物を乗せた金属車が忽然と消え失せたが、今度は混乱やザワメキが起きる事はなかった。
「サクヤ様だからなぁ」
一人の騎士の呟きが、全員の心を代弁した。
翌日。カースティア観光事業の釣り船観光計画は最終段階に入った。祝日を利用し、今日も朝からオルドリア大陸にやって来た朔耶は、派遣騎士団本部の食堂で釣り船観光のビラを作っていた。
朔耶はこちらの文字を書けないので、考えてきた宣伝文を読み上げ、それをフランがビラの原版となる紙に綴っていく。料金や注意事項などは乗り場に掲げる大きな看板に記し、このビラは街中に撒く予定だ。
「うん、いい感じ。後はこれを増やして街中で配ればいい宣伝になるね」
「これ、結構字数が多いから複製するの大変だよ?」
「ちょっと反則するから大丈夫。フラン君は釣り船乗り場に行って営業開始の準備をしておいて。そこにある看板も忘れずにね?」
そう指示を出した朔耶は、出来上がった原版を持って一旦元の世界へ帰還する。慣れたとはいえ、たった今までテーブル一つ挟んで会話していた相手がいきなり消え失せるのは心臓に悪い。
「せめて消える前に何か予兆があればなぁ」
若干心拍数を高くしながら、フランは指示された看板を抱えて釣り船乗り場へと向かった。途中、ふと先程の会話を振り返って呟く。
「反則ってなんだろう……?」
自宅の庭に帰還した朔耶は、待っていた兄の車で父親の工場に向かうと、事務所に置いてあるコピー機を使ってビラを複製した。二百枚程度だが、カースティアの街で撒くには十分な量だ。作業を終え、折り返し自宅の庭に戻る。
「俺は今日はアッシー君か」
「うゎ…………古」
妹の〝会心の一撃〟に沈む兄を放置して、朔耶はとっととオルドリア大陸に転移した。
壁の穴や扉の修繕が済んですっかり見違えたカースティアの孤児院。その中庭に舞い降りた朔耶は、子供達に纏わり付かれながら、院内で内職をしていたアマレストにビラ配りを依頼した。
騎士達よりアマレストと子供達の方が威圧感もなくスムーズに配布できると考えたからだ。その上、報酬は孤児院の収入にもなる。喜んで引き受けるアマレストにビラ百五十枚を渡した朔耶は、残りのビラを持って騎士団本部へと飛んだ。
騎士団本部内の受付前の壁にもビラを貼り出し、さらに三十枚ほど受付カウンター脇に置いて行く。そして事業提携している宿を訪れ、ここでも目立つところに貼ってもらった。宿の従業員もある程度は事業内容を把握していたので、客に訊ねられた場合は勧めてくれるよう頼んでおく。
そしてこの日の昼、ついに釣り船観光の営業が開始された。
釣り好きな人の興味を引いたのはもちろん、機械船の珍しさもあって乗り場には十数人の見物客が集まっていたが、最初の客はこの日のためにわざわざティルファから足を運んでいた研究者だった。彼等は釣りよりも機械船に乗る事を目的にしていたので、魚は一匹も釣れなかったようだ。
営業は夕方までに二回、夜も一回行われる。二回目は釣り好きの老人と、集まっていた見物客等が乗船したが、特に問題も無く、釣りや簡単な調理を楽しんだ客達は満足気な表情で戻って来た。これから夜の部まで、船長以下乗組員は休憩に入る。
「どう、夜もやれそう?」
「もちろんですよ。まったく問題ありませんな」
朔耶に訊ねられた船長達は、船外機に使われた魔力石の補給交換作業を行いながら、今までやってきた漁の仕事に比べればトンでもなく楽、かつ誇りを持てる仕事だと笑って答えた。
夜の部は宿で釣り船観光について知った観光客が、珍しいサクヤ式機械船を記念に体験していこうという事で申し込みを入れてきた。本来彼等は温泉街バーリッカムに行く途中、ちょっとカースティアを経由するだけだった客だ。こういった旅行客からも口コミ効果が狙える。
「うん、これなら大丈夫だよね」
順調に動き始めた釣り船観光事業。朔耶は乗り場の従業員達に後を任せて、元の世界に帰還したのだった。
「ただいまー」
「お帰り。朔姉、ちょっとこっち来てくれ」
帰宅するなり孝文からお呼びが掛かったので居間に行ってみる。すると新聞紙が敷き詰められた畳の上で、後輪辺りに色々と改造を施されたキックボードが鎮座していた。
「これって?」
「モーターの小型化が出来たんで、車輪一体型の魔力石モーター搭載キックボード試作、の失敗」
「すごーって、失敗?」
「乗ってみ」
弟に促され、廊下にキックボードを持ち出して乗ってみる。ハンドル部分にある自転車の変速レバーを改造したモノが起動スイッチのようだ。とりあえずスイッチオン。
コロ……コロ……コロ……
「遅っ!」
「パワー不足でそんな感じなんだよ。ちなみに俺とか重兄が乗るとピクリともしない」
「ダメじゃん」
全面的に見直す必要があると言って、弟は疲れたように居間に転がった。今日は一日コレの製作をやっていたらしい。朔耶が帰ってくる前に失敗は確定していたのだが、せっかくだから如何に失敗だったか実体験させてあげようと、処分せずに待っていたそうだ。
「なんでまたわざわざそんな力抜ける事するかな……」
燃え尽きて伸びている弟と、進んでいるのが気のせいかと思う程に遅い〝車輪一体型魔力石モーター搭載キックボード試作〟の『コロ……コロ……』という走行音で、朔耶も大いに脱力した。
「ところでコレ何?」
部屋の隅っこを見た朔耶は、反発力ユニットと一緒に置いてあった筒を覗き込みながら訊ねた。筒の中には何か細かい線やら溝やらが走っている。
「新型魔力石モーターの試作品、の材料。まだちゃんと回るか分からないんだけどな」
「へぇ~新型かぁ~」
「ちなみにその筒、拓君がコイルガン作ろうとしてたやつな」
「拓ちゃんの武器が元ネタか」
拓朗が多重圧縮反発力を使ったコイルガンの構想を持ち掛けた時、彼は既にユニット設置用の溝と金具の入ったこの筒を仕上げていたのだが、弟と朔耶の反対でお流れになった。そしてそのまま工場に放置されていた筒を見て、筒型モーターのアイディアを思いついたのだと言う。
「要は回転軸に固定した歯車の径を縮めて縦に並べたようなもんなんだけど、面で回すからパワーが出やすいんだ」
「ほうほう」
「これにギアボックスを組み合わせれば、市販の電動スクーター並のパワーは得られると思うね」
「へぇー」
朔耶の分かってるのやら分かってないのやら微妙な相槌は気にせず、弟は得意気に新型モーターについて説明を続ける。実際のところ相槌が適当な感じになるのは、弟が理屈で説明しているのに対し、朔耶はそれを頭の中にホワホワホワッとイメージを浮かべて理解しているからなのだ。
「つーわけで、魔力石の追加、あと四袋くらい頼む」
「おっけー、明日にでも学校が終わったら買ってくるよ」
それから数日、朔耶は平穏な学生生活のかたわら、夢の中で精霊の視点を使って異世界を飛ぶ――すなわち『夢内異世界旅行』をしながらカースティアの釣り船観光事業の様子を確かめたりしていた。
そんなある日、テレビで工作キットを紹介しているのを見て閃き、孝文に相談を持ちかけた。
「いいんじゃないか? ユニット単品で売り出しても買う層が偏るだろうし、そういうところから色々発想が生まれるからな」
そう答える孝文。
朔耶が考えたのは、魔力石モーターとサクヤ式送風機のファンを使って簡単に組み立てられる、小型扇風機のようなモノの商品化。『サクヤ式送風機組み立てキット』の売り出しだ。
あらかじめ魔力石モーターで動く簡単な仕組みの箱型送風機を作り、それを分解して部品単位で他の工房に発注。仕上がってきた部品をまとめ、一セットいくらで売る。弟は新しい魔力石モーターの開発を進めるかたわら、朔耶のアイディアを半日で形にしてくれた。
『サクヤ式送風機組み立てキット』
反発力ユニット×4:朔耶手作り
サクヤ式風車×1:発注
軸×2:発注
固定式歯車(魔力石モーター部分)×1:発注
ベルト×1:発注
ベルト式原動車(魔力石モーター部分)×1:発注
ベルト式従動車(サクヤ式風車部分)×1:発注
送風機ケース×1:発注
格子裏蓋×1:発注
可動式羽付き表蓋×1:発注
――以上銀貨八枚で販売。
「多分、儲けは朔姉のユニット分だけになると思うけど、それ自体の値段が大きいから十分じゃないかな」
「ありがと~、さすがタカ君」
翌日、学校から帰って来た朔耶は早速オルドリア大陸へ転移し、そのまま急遽アクレイア家を訪ねてレイス達を驚かせた。
「お待たせしました。今日はどうしました?」
「ごめんねー、急に来ちゃって」
朔耶は、以前コースティン家の晩餐会にて中流貴族の貴公子達から工房運営への援助の申し出を受け、それら全ての管理をレイスに任せている。今回はその中から一般区に店を構えている者を選び出し、朔耶の工房の商品を店に置いてもらえるよう交渉がしたいと説明した。
「ふむ、商品の売り込みですか。しかし、サクヤの作る道具は希少価値が高すぎますからね……」
「今度のはコンロみたいな実用品じゃなくて、趣味とか娯楽品とかその辺りのモノだよ」
値段は魔力石コンロの高級型と廉価型の中間くらい。庶民が気軽に買えるような代物ではないが、少し金持ちの商人や貴族になら十分手が届く範囲の、ちょっと贅沢な玩具といったところだ。
『サクヤ式送風機組み立てキット』の概要を説明されたレイスは、なかなか興味深い試みだと感心していた。レイスは宮廷魔術士長の仕事があるので交渉に同行はできないが、代わりにフレイを一日付けると言って一旦席を立つ。そして朔耶の工房支援を約束した中流貴族の中から、一般区に店舗を持つ家をリストアップしてくれた。
「ありがとね、レイス」
「いえいえ、上手く行く事を祈ってますよ」
その後、王都で馴染みの工房に出向いてパーツを発注。最初は二十セットほど作り様子を見て、たくさん売れそうなら数を増やす。反発力ユニット以外のパーツ生産は全て任せる旨を伝えて工房主を喜ばせた。
そして週末がやって来る。
「そろそろ新しい写真たのむぞー」
「はいはい、行ってくるねー」
兄のエールに適当に答えた朔耶はいつものように自宅の庭から世界を渡ると、宮廷魔術士長の執務室でフレイと落ち合った。
「今日は久しぶりに一日よろしくね? フレイ」
「はいっ、サクヤ様! ではレイスさま、行って参ります」
「ああ、二人とも気をつけて」
フレイと連れ立ちアクレイア家の馬車で貴族街へと下りて来た朔耶は、移動中の車内で交渉内容などを纏め、どこから巡ろうかとリストを片手に話し合う。
「さて、まずはこの家からかな?」
「モラントン家ですね。工房と店を経営する事業家貴族ですが、日和見主義であまり信用のおけない相手です」
だが金払いは良いので、ちょくちょく資金を出させているという。
「な、なんか言葉に棘がない?」
「元はアクレイア家の派閥にいた家なんですよ。コースティン家の甘言に惑わされてあっさり寝返った挙句――」
当時アクレイア家の使用人だったフレイに目をつけ、フレイの身分が低いのをいい事に度々ちょっかいを掛けてきたらしい。
「あー……まあ、穏便にね」
「もちろんです。サクヤ様の邪魔になるような事はいたしません」
帝国による朔耶の拉致とフエルト卿亡命事件の混乱の後、レイスが宮廷魔術士長に就いた事もあり、以前アクレイア家の派閥を離れてコースティン家に与した貴族は、軒並みレイスの父であるアクレイア伯爵に詫びを入れている。モラントン家も例に漏れず、頭を下げに来たとのことだった。
「旦那様、商談をしたいと仰られるお客様が見えておりますが」
予定に無い来客を告げる執事に、サーバンス・モラントンは眉を上げて考える。
近頃は店の主力商品であった魔術式の触媒も売れ行きが安定せず、全体的に業績が落ちている。その原因は魔力石を使ったサクヤ式の台頭。それによって魔力石の需要が増えているので、今度自分のところでも専属の石売りを雇おうかと考えていたところだった。
本日は工房の視察以外特に予定も無かったので、良い儲け話でもあればとサーバンスは応接間に通すよう言い付ける。そして自身も適当に身だしなみを整えて応接間に向かった。しかし客人の姿を見た瞬間、硬直する。
「さ、さ、サクヤ様にフィレイヤ殿」
「アポ無しで急にゴメンナサイね?」
「ご無沙汰しておりました」
朔耶が愛想笑いで突然の来訪を詫び、フレイはすまし顔で挨拶をする。
「いえいえいえっ、ようこそおいで下さいました!」
サーバンスは慌てながら執事に最高級のお茶を出すよう指示して、朔耶達の対面に座る。執事は二人の来訪時から既に最高級のお茶を準備していたので、滞りなく客人と主人にそれを出した。
「そ、それで、今日はまたどのような?」
「えーとね……」
早速交渉を始めた朔耶は、最初から売り上げに対する店側の取り分を決めて示した。銅貨二百四十枚の商品が一つ売れるごとに、銅貨四十枚。棚に置いて販売するだけなので、店側に元手は一切掛からない。
サーバンスは考える。サクヤ式の商品なら売り上げが期待できるのはもちろん、店の宣伝にもなるだろう。だが『二百枚と四十枚ではいささか儲けに差が有りすぎるのではないか?』と、いつもの商売人感覚で考えてしまった。
「そうですなぁ……私どもといたしましては、せめて七十枚はいただきたいかと……」
「あら、ザンネン。フレイ、次行きましょう」
朔耶としては赤字は困るが、かといって儲けようという意識はほとんどない。だからかなり良心的な値段に設定しているのだ。よって、面倒な値段交渉など持ち掛けられたら『じゃあいいです』で帰るつもりだった。
「はい、サクヤ様。次は――」
「え? えええー! ちょ、ちょっとお待ちを!」
さっさと席を立とうとする朔耶達を慌てて引きとめるサーバンス。
よくよく考えてみれば、サクヤ式が商品として店に並ぶのは、サクヤ式が世に知れ渡ってから初めての事になる。せっかく自分のところへ売り込みに来た考案者の機嫌を損ねて余所に持って行かれるような事になれば、モラントン家は貴族の間でも商人の間でもいい物笑いの種だ。儲けがどうのなどと考えている場合ではなかった。
「その条件で結構です! その条件でいいですからぜひうちの店をご利用下さい!」
モラントン家が一般区に持つ店舗の数は四軒。それほど大量に売り出す訳ではないのでそのうちの一軒の棚を借りるという事で話が纏まった。それから朔耶は『サクヤ式送風機組み立てキット』の要となる反発力ユニットの製作のため、自分の工房へと向かう。
途中、パーツを発注した馴染みの工房から出来上がっている分を受け取り、フレイには組み立てキットを纏める作業を手伝ってもらう。朔耶が作った反発力ユニットとそれぞれのパーツを箱詰めしていくのだ。この日は朔耶も夜まで工房に籠もって反発力ユニットの製作に勤しんだ。
「ふぅ~~、コレだけ作ればしばらくは持つね」
「お疲れさまでした、サクヤ様」
「フレイもお疲れー」
朔耶がフレイの淹れてくれたお茶で寛いでいた頃、レイスが工房を訪ねて来た。
「まあ、夢見がちな男の子だもんね」
「ははは……」
朔耶のフォローなのか追い討ちなのかよく分からない慰めに曖昧な笑いを返した拓郎は、また何か別の物を考えると言って自宅へと帰っていった。
夕食を終えた朔耶は、釣り船観光事業の総仕上げをするために、今日は夜中まで向こうで作業をする事を家族に告げて庭に出た。しかしふと考え込み、兄重雄を呼ぶ。
「ん? どうした」
「うん……、ちょっと手伝ってくれる?」
カースティアの湖近くに建てられた観光施設。釣り船乗り場には騎士団に雇われた労働者が集まり、竜籠から船を湖に降ろすための準備作業が進められていた。
既に辺りは暗くなっており、陸で篝火を焚いて明かりを確保しているが、真っ暗な湖畔での作業は困難を予想させた。篝火船も用意しようかと騎士達が話し合っているところに、空から黒い翼を広げて舞い降りてくる黒髪の少女。
どよめきと混乱。だが本部の屋上で何度も目撃した騎士達はさすがに慣れたモノで、うろたえる労働者達を落ち着かせ、作業の指示を仰ぐべく朔耶のもとに集まってきた。
「はーいっ、下がって下がってー、みんな下がってー」
朔耶は皆を下がらせると、地面に小枝で線を引き始める。なんだろうと覗き込む人々を余所に長方形を描き上げた朔耶は、その四隅に庭から持ってきた石を置いた。魔力が籠められたそれらの石は、ほのかに発光している。
「みんな絶対この中に入っちゃダメよ? 命に関わるからね」
そう注意を呼びかけた朔耶が忽然と姿を消す。そのまましばらく、ボンヤリとした石の光が薄れていく様子を眺めていた人々は、突如四角の中に現れた物体に仰天した。
四つの車輪をつけたソレは、傭兵団が使う装甲馬車のようにも見えた。御者台は無く、全面が艶のある金属で覆われている。四方には大きな窓があり、前に突き出た顔のような部分はまるで甲冑兜を纏った魔獣のようだ。
その金属車の扉が開いて朔耶が降りて来る。すると二度目の混乱はすぐに収束した。騎士達は金属車の中のもう一人、朔耶と同じ黒髪をした男性の存在を気にしながら、朔耶の周りに集まる。
「サクヤ様、これは一体……?」
「ああ、危なくないから大丈夫だよ。ちょっと作業の手伝いに呼んだの」
朔耶が振り返って男性、すなわち重雄に合図を送ると、金属車――ランドクルーザーのエンジンが掛かった。
聞いた事もないような嘶きと咆哮、そして生き物には見えないが生き物としか思えないような低い唸り声と脈動。その様を見た騎士達は『やはり魔獣の類か』と、思わず後退ってしまう。さらにその魔獣の目が強烈な光を放つ。労働者達は一斉に逃げ出しそうになったが、至近距離にいる騎士達がその場から動かず、なおかつ光を浴びても無事であるのを見て、どうにか踏み止まっている。
「はいはい、噛み付きゃしないから大丈夫よ。じゃあみんな、船を降ろす作業を始めるわよー!」
浮き足立っている騎士や労働者達に声を張り上げて、朔耶は作業開始を告げた。
こちらに転移する前、朔耶は以前ドマックの工房で船外機の取り付け作業を行った際に夜の暗さで結構苦労した事を思い出し、何か強力な照明はないものかと考えた。工事現場で使うような、広範囲を明るく照らし出せる照明は、さすがに家の倉庫にも置いてない。なので兄の車のヘッドライトを使う事にしたのだ。問題はあまりカースティアから離れた場所に転移してしまうと、作業に間に合わなくなってしまう事。そして神社の精霊と相談した結果、正確な座標に転移する方法として、特定の物質に強力な魔力を籠め、そこを目印に跳べば行けそうだという結論に至ったのだ。
地面は湖に向かって少し傾斜しているため、ヘッドライトの光はいい感じに作業現場を照らし出している。まるで昼間のような明るさに加え、労働者達がこの珍しい状況に興奮していた事もあってか、作業は順調に進んでいた。
そこへ、見回りに出ていたガリウスとフランが、街の人からの通報を受けて様子を見にやって来た。
「おー? なんだこりゃ、魔獣の類かあ?」
「凄い光だなぁ、これもサクヤちゃんの力なのかな?」
二人は物珍しそうにランドクルーザーを観察している。朔耶が関係していると知った時点で、何も心配はしていなかったようだ。
「あ、いいところに!」
「俺は見回り中。用事ならフランが引き受けるぜ」
朔耶の台詞を聞いてすかさず逃げようとするガリウス。どのみち観光事業の人事について詳しく知っている者にしか出来ない用事なので、朔耶はそのままフランに頼んだ。
「フラン君、観光事業で契約してる船長さん達と宿の主人さん達を呼んで来てくれる?」
朔耶は今日中に諸々の調整を済ませて明日からでも営業を開始したいと思っていた。そのための構想も、十四時間に及ぶティルファからの移動中に考えてある。〝思い立ったら即行動〟の家訓に従い、朔耶は練り上げた構想を現実化していく。
やがて、強力なヘッドライトに照らされた湖の畔で歓声があがった。船が無事、湖に降ろされたのだ。ふわりと宙を舞って船に乗り込んだ朔耶は、船のランプを全て灯すと、操舵室に上って船外機を起動させた。
独特の駆動音を響かせながら帆もオールも無しに動き出す船に、またもどよめきと歓声があがる。重雄も愛車のサンルーフから顔を出して、釣り船乗り場の桟橋に向かうサクヤ式機械船、釣り船一号艇の雄姿を感慨深く眺めていた。
少しして、契約している船長に料理人と補佐、事業を提携する一般宿と貴族用宿の主がフランに連れられてやって来る。そして釣り船に乗り込み、朔耶の説明を受けながらライフジャケットを身に着けた。
船長には船外機の機能と操作方法をレクチャーしつつ、補佐役にも航行中に客が釣りを楽しんでいる間や接岸時の役割を伝える。料理人には魔力石コンロの使い方を教え、足りない調味料などがあれば申請するよう言い添えた。
「あと二人乗れるけど、フラン君とガリウスも乗ってみる? あ、ガリウスは見回り中だっけ」
「乗る乗る!」
「見回りはさっき終わったぜ」
フランは嬉々として乗り込み、ガリウスは予想通りしれっとフランの後に続いた。ライフジャケットは騎士の甲冑の上からでも何とか着る事が出来たが、騎士達は非常に斬新で奇抜な姿となった。ぶっちゃけ、凄く格好悪い。
「これはひどい」
鎧の上から着てもそこそこ見られるデザインを考えようと本気で考える朔耶。実際、フル装備の騎士を今の仕様で浮かせられるのかという点にも不安が残る。
朔耶はとりあえず湖畔にいる兄に手を振り、ハイビームによる返答を確認してから船長に船を出すよう指示を出した。
一帯を照らすランドクルーザーの光が一段と輝きを増して、釣り船一号艇の姿を浮かび上がらせる。桟橋近くでは大勢の労働者や騎士達、それに野次馬達がこのイベントを見物していた。
「素晴らしい船だ!」
船長はすぐに船外機の動かし方を覚えてその性能を絶賛。このサクヤ式機械船で仕事が出来る事を喜び、釣り船観光事業の成功に向けて尽力する事を誓った。
宿の主人二人は、料理人と一緒になって魔力石コンロを弄っており、つまみで火加減を調節しては唸るという事を繰り返していた。補佐役は釣り客の世話の予行演習として、ガリウスとフランに釣り具を用意し、餌をつけ、網を持って待機する。船周辺や船内の様子に気を配る事も忘れない。
やがて釣り具を渡されたガリウスが大物を釣り上げ、早速料理人がコンロで焼いているところに、フランもそこそこの獲物を釣り上げた。二台のコンロを使って魚を焼けば、煙は船室に充満する事無く順調に排出され、改めて問題なしと判断できた。
「これなら、いけそうだね」
船を乗り場に戻してしっかり係留した後、朔耶は空になった竜籠が放置されている作業開始地点に戻る。そして見物人達を解散させて、労働者に報酬を支払うよう騎士達に指示を出した。竜籠は明日回収する事にする。
ぞろぞろ移動を始める労働者達と見物人達の視線の先では、未だ強力な光で湖面を照らす魔獣のような金属車に、召喚主の少女が乗り込むところだった。
「上手くいったみたいだな」
「うん! あ……お兄ちゃんも船、乗りたかった?」
釣り船に船外機を使おうと言った発案者は重雄である。その船関連でこちらの世界に連れて来ておいて、照明係をさせたダケというのは何やら申し訳ない。そう気に掛ける朔耶に、兄はまた次の機会で良いと笑った。
回収した庭の石を座席の足元に置いてシートにもたれた朔耶は、一息吐きながら神社の精霊に帰還を呼びかける。
『帰ろ』
ウム
騎士や労働者達が見守る中、朔耶と謎の人物を乗せた金属車が忽然と消え失せたが、今度は混乱やザワメキが起きる事はなかった。
「サクヤ様だからなぁ」
一人の騎士の呟きが、全員の心を代弁した。
翌日。カースティア観光事業の釣り船観光計画は最終段階に入った。祝日を利用し、今日も朝からオルドリア大陸にやって来た朔耶は、派遣騎士団本部の食堂で釣り船観光のビラを作っていた。
朔耶はこちらの文字を書けないので、考えてきた宣伝文を読み上げ、それをフランがビラの原版となる紙に綴っていく。料金や注意事項などは乗り場に掲げる大きな看板に記し、このビラは街中に撒く予定だ。
「うん、いい感じ。後はこれを増やして街中で配ればいい宣伝になるね」
「これ、結構字数が多いから複製するの大変だよ?」
「ちょっと反則するから大丈夫。フラン君は釣り船乗り場に行って営業開始の準備をしておいて。そこにある看板も忘れずにね?」
そう指示を出した朔耶は、出来上がった原版を持って一旦元の世界へ帰還する。慣れたとはいえ、たった今までテーブル一つ挟んで会話していた相手がいきなり消え失せるのは心臓に悪い。
「せめて消える前に何か予兆があればなぁ」
若干心拍数を高くしながら、フランは指示された看板を抱えて釣り船乗り場へと向かった。途中、ふと先程の会話を振り返って呟く。
「反則ってなんだろう……?」
自宅の庭に帰還した朔耶は、待っていた兄の車で父親の工場に向かうと、事務所に置いてあるコピー機を使ってビラを複製した。二百枚程度だが、カースティアの街で撒くには十分な量だ。作業を終え、折り返し自宅の庭に戻る。
「俺は今日はアッシー君か」
「うゎ…………古」
妹の〝会心の一撃〟に沈む兄を放置して、朔耶はとっととオルドリア大陸に転移した。
壁の穴や扉の修繕が済んですっかり見違えたカースティアの孤児院。その中庭に舞い降りた朔耶は、子供達に纏わり付かれながら、院内で内職をしていたアマレストにビラ配りを依頼した。
騎士達よりアマレストと子供達の方が威圧感もなくスムーズに配布できると考えたからだ。その上、報酬は孤児院の収入にもなる。喜んで引き受けるアマレストにビラ百五十枚を渡した朔耶は、残りのビラを持って騎士団本部へと飛んだ。
騎士団本部内の受付前の壁にもビラを貼り出し、さらに三十枚ほど受付カウンター脇に置いて行く。そして事業提携している宿を訪れ、ここでも目立つところに貼ってもらった。宿の従業員もある程度は事業内容を把握していたので、客に訊ねられた場合は勧めてくれるよう頼んでおく。
そしてこの日の昼、ついに釣り船観光の営業が開始された。
釣り好きな人の興味を引いたのはもちろん、機械船の珍しさもあって乗り場には十数人の見物客が集まっていたが、最初の客はこの日のためにわざわざティルファから足を運んでいた研究者だった。彼等は釣りよりも機械船に乗る事を目的にしていたので、魚は一匹も釣れなかったようだ。
営業は夕方までに二回、夜も一回行われる。二回目は釣り好きの老人と、集まっていた見物客等が乗船したが、特に問題も無く、釣りや簡単な調理を楽しんだ客達は満足気な表情で戻って来た。これから夜の部まで、船長以下乗組員は休憩に入る。
「どう、夜もやれそう?」
「もちろんですよ。まったく問題ありませんな」
朔耶に訊ねられた船長達は、船外機に使われた魔力石の補給交換作業を行いながら、今までやってきた漁の仕事に比べればトンでもなく楽、かつ誇りを持てる仕事だと笑って答えた。
夜の部は宿で釣り船観光について知った観光客が、珍しいサクヤ式機械船を記念に体験していこうという事で申し込みを入れてきた。本来彼等は温泉街バーリッカムに行く途中、ちょっとカースティアを経由するだけだった客だ。こういった旅行客からも口コミ効果が狙える。
「うん、これなら大丈夫だよね」
順調に動き始めた釣り船観光事業。朔耶は乗り場の従業員達に後を任せて、元の世界に帰還したのだった。
「ただいまー」
「お帰り。朔姉、ちょっとこっち来てくれ」
帰宅するなり孝文からお呼びが掛かったので居間に行ってみる。すると新聞紙が敷き詰められた畳の上で、後輪辺りに色々と改造を施されたキックボードが鎮座していた。
「これって?」
「モーターの小型化が出来たんで、車輪一体型の魔力石モーター搭載キックボード試作、の失敗」
「すごーって、失敗?」
「乗ってみ」
弟に促され、廊下にキックボードを持ち出して乗ってみる。ハンドル部分にある自転車の変速レバーを改造したモノが起動スイッチのようだ。とりあえずスイッチオン。
コロ……コロ……コロ……
「遅っ!」
「パワー不足でそんな感じなんだよ。ちなみに俺とか重兄が乗るとピクリともしない」
「ダメじゃん」
全面的に見直す必要があると言って、弟は疲れたように居間に転がった。今日は一日コレの製作をやっていたらしい。朔耶が帰ってくる前に失敗は確定していたのだが、せっかくだから如何に失敗だったか実体験させてあげようと、処分せずに待っていたそうだ。
「なんでまたわざわざそんな力抜ける事するかな……」
燃え尽きて伸びている弟と、進んでいるのが気のせいかと思う程に遅い〝車輪一体型魔力石モーター搭載キックボード試作〟の『コロ……コロ……』という走行音で、朔耶も大いに脱力した。
「ところでコレ何?」
部屋の隅っこを見た朔耶は、反発力ユニットと一緒に置いてあった筒を覗き込みながら訊ねた。筒の中には何か細かい線やら溝やらが走っている。
「新型魔力石モーターの試作品、の材料。まだちゃんと回るか分からないんだけどな」
「へぇ~新型かぁ~」
「ちなみにその筒、拓君がコイルガン作ろうとしてたやつな」
「拓ちゃんの武器が元ネタか」
拓朗が多重圧縮反発力を使ったコイルガンの構想を持ち掛けた時、彼は既にユニット設置用の溝と金具の入ったこの筒を仕上げていたのだが、弟と朔耶の反対でお流れになった。そしてそのまま工場に放置されていた筒を見て、筒型モーターのアイディアを思いついたのだと言う。
「要は回転軸に固定した歯車の径を縮めて縦に並べたようなもんなんだけど、面で回すからパワーが出やすいんだ」
「ほうほう」
「これにギアボックスを組み合わせれば、市販の電動スクーター並のパワーは得られると思うね」
「へぇー」
朔耶の分かってるのやら分かってないのやら微妙な相槌は気にせず、弟は得意気に新型モーターについて説明を続ける。実際のところ相槌が適当な感じになるのは、弟が理屈で説明しているのに対し、朔耶はそれを頭の中にホワホワホワッとイメージを浮かべて理解しているからなのだ。
「つーわけで、魔力石の追加、あと四袋くらい頼む」
「おっけー、明日にでも学校が終わったら買ってくるよ」
それから数日、朔耶は平穏な学生生活のかたわら、夢の中で精霊の視点を使って異世界を飛ぶ――すなわち『夢内異世界旅行』をしながらカースティアの釣り船観光事業の様子を確かめたりしていた。
そんなある日、テレビで工作キットを紹介しているのを見て閃き、孝文に相談を持ちかけた。
「いいんじゃないか? ユニット単品で売り出しても買う層が偏るだろうし、そういうところから色々発想が生まれるからな」
そう答える孝文。
朔耶が考えたのは、魔力石モーターとサクヤ式送風機のファンを使って簡単に組み立てられる、小型扇風機のようなモノの商品化。『サクヤ式送風機組み立てキット』の売り出しだ。
あらかじめ魔力石モーターで動く簡単な仕組みの箱型送風機を作り、それを分解して部品単位で他の工房に発注。仕上がってきた部品をまとめ、一セットいくらで売る。弟は新しい魔力石モーターの開発を進めるかたわら、朔耶のアイディアを半日で形にしてくれた。
『サクヤ式送風機組み立てキット』
反発力ユニット×4:朔耶手作り
サクヤ式風車×1:発注
軸×2:発注
固定式歯車(魔力石モーター部分)×1:発注
ベルト×1:発注
ベルト式原動車(魔力石モーター部分)×1:発注
ベルト式従動車(サクヤ式風車部分)×1:発注
送風機ケース×1:発注
格子裏蓋×1:発注
可動式羽付き表蓋×1:発注
――以上銀貨八枚で販売。
「多分、儲けは朔姉のユニット分だけになると思うけど、それ自体の値段が大きいから十分じゃないかな」
「ありがと~、さすがタカ君」
翌日、学校から帰って来た朔耶は早速オルドリア大陸へ転移し、そのまま急遽アクレイア家を訪ねてレイス達を驚かせた。
「お待たせしました。今日はどうしました?」
「ごめんねー、急に来ちゃって」
朔耶は、以前コースティン家の晩餐会にて中流貴族の貴公子達から工房運営への援助の申し出を受け、それら全ての管理をレイスに任せている。今回はその中から一般区に店を構えている者を選び出し、朔耶の工房の商品を店に置いてもらえるよう交渉がしたいと説明した。
「ふむ、商品の売り込みですか。しかし、サクヤの作る道具は希少価値が高すぎますからね……」
「今度のはコンロみたいな実用品じゃなくて、趣味とか娯楽品とかその辺りのモノだよ」
値段は魔力石コンロの高級型と廉価型の中間くらい。庶民が気軽に買えるような代物ではないが、少し金持ちの商人や貴族になら十分手が届く範囲の、ちょっと贅沢な玩具といったところだ。
『サクヤ式送風機組み立てキット』の概要を説明されたレイスは、なかなか興味深い試みだと感心していた。レイスは宮廷魔術士長の仕事があるので交渉に同行はできないが、代わりにフレイを一日付けると言って一旦席を立つ。そして朔耶の工房支援を約束した中流貴族の中から、一般区に店舗を持つ家をリストアップしてくれた。
「ありがとね、レイス」
「いえいえ、上手く行く事を祈ってますよ」
その後、王都で馴染みの工房に出向いてパーツを発注。最初は二十セットほど作り様子を見て、たくさん売れそうなら数を増やす。反発力ユニット以外のパーツ生産は全て任せる旨を伝えて工房主を喜ばせた。
そして週末がやって来る。
「そろそろ新しい写真たのむぞー」
「はいはい、行ってくるねー」
兄のエールに適当に答えた朔耶はいつものように自宅の庭から世界を渡ると、宮廷魔術士長の執務室でフレイと落ち合った。
「今日は久しぶりに一日よろしくね? フレイ」
「はいっ、サクヤ様! ではレイスさま、行って参ります」
「ああ、二人とも気をつけて」
フレイと連れ立ちアクレイア家の馬車で貴族街へと下りて来た朔耶は、移動中の車内で交渉内容などを纏め、どこから巡ろうかとリストを片手に話し合う。
「さて、まずはこの家からかな?」
「モラントン家ですね。工房と店を経営する事業家貴族ですが、日和見主義であまり信用のおけない相手です」
だが金払いは良いので、ちょくちょく資金を出させているという。
「な、なんか言葉に棘がない?」
「元はアクレイア家の派閥にいた家なんですよ。コースティン家の甘言に惑わされてあっさり寝返った挙句――」
当時アクレイア家の使用人だったフレイに目をつけ、フレイの身分が低いのをいい事に度々ちょっかいを掛けてきたらしい。
「あー……まあ、穏便にね」
「もちろんです。サクヤ様の邪魔になるような事はいたしません」
帝国による朔耶の拉致とフエルト卿亡命事件の混乱の後、レイスが宮廷魔術士長に就いた事もあり、以前アクレイア家の派閥を離れてコースティン家に与した貴族は、軒並みレイスの父であるアクレイア伯爵に詫びを入れている。モラントン家も例に漏れず、頭を下げに来たとのことだった。
「旦那様、商談をしたいと仰られるお客様が見えておりますが」
予定に無い来客を告げる執事に、サーバンス・モラントンは眉を上げて考える。
近頃は店の主力商品であった魔術式の触媒も売れ行きが安定せず、全体的に業績が落ちている。その原因は魔力石を使ったサクヤ式の台頭。それによって魔力石の需要が増えているので、今度自分のところでも専属の石売りを雇おうかと考えていたところだった。
本日は工房の視察以外特に予定も無かったので、良い儲け話でもあればとサーバンスは応接間に通すよう言い付ける。そして自身も適当に身だしなみを整えて応接間に向かった。しかし客人の姿を見た瞬間、硬直する。
「さ、さ、サクヤ様にフィレイヤ殿」
「アポ無しで急にゴメンナサイね?」
「ご無沙汰しておりました」
朔耶が愛想笑いで突然の来訪を詫び、フレイはすまし顔で挨拶をする。
「いえいえいえっ、ようこそおいで下さいました!」
サーバンスは慌てながら執事に最高級のお茶を出すよう指示して、朔耶達の対面に座る。執事は二人の来訪時から既に最高級のお茶を準備していたので、滞りなく客人と主人にそれを出した。
「そ、それで、今日はまたどのような?」
「えーとね……」
早速交渉を始めた朔耶は、最初から売り上げに対する店側の取り分を決めて示した。銅貨二百四十枚の商品が一つ売れるごとに、銅貨四十枚。棚に置いて販売するだけなので、店側に元手は一切掛からない。
サーバンスは考える。サクヤ式の商品なら売り上げが期待できるのはもちろん、店の宣伝にもなるだろう。だが『二百枚と四十枚ではいささか儲けに差が有りすぎるのではないか?』と、いつもの商売人感覚で考えてしまった。
「そうですなぁ……私どもといたしましては、せめて七十枚はいただきたいかと……」
「あら、ザンネン。フレイ、次行きましょう」
朔耶としては赤字は困るが、かといって儲けようという意識はほとんどない。だからかなり良心的な値段に設定しているのだ。よって、面倒な値段交渉など持ち掛けられたら『じゃあいいです』で帰るつもりだった。
「はい、サクヤ様。次は――」
「え? えええー! ちょ、ちょっとお待ちを!」
さっさと席を立とうとする朔耶達を慌てて引きとめるサーバンス。
よくよく考えてみれば、サクヤ式が商品として店に並ぶのは、サクヤ式が世に知れ渡ってから初めての事になる。せっかく自分のところへ売り込みに来た考案者の機嫌を損ねて余所に持って行かれるような事になれば、モラントン家は貴族の間でも商人の間でもいい物笑いの種だ。儲けがどうのなどと考えている場合ではなかった。
「その条件で結構です! その条件でいいですからぜひうちの店をご利用下さい!」
モラントン家が一般区に持つ店舗の数は四軒。それほど大量に売り出す訳ではないのでそのうちの一軒の棚を借りるという事で話が纏まった。それから朔耶は『サクヤ式送風機組み立てキット』の要となる反発力ユニットの製作のため、自分の工房へと向かう。
途中、パーツを発注した馴染みの工房から出来上がっている分を受け取り、フレイには組み立てキットを纏める作業を手伝ってもらう。朔耶が作った反発力ユニットとそれぞれのパーツを箱詰めしていくのだ。この日は朔耶も夜まで工房に籠もって反発力ユニットの製作に勤しんだ。
「ふぅ~~、コレだけ作ればしばらくは持つね」
「お疲れさまでした、サクヤ様」
「フレイもお疲れー」
朔耶がフレイの淹れてくれたお茶で寛いでいた頃、レイスが工房を訪ねて来た。
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