異界の魔術士

ヘロー天気

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4巻

4-2

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 昼からは、釣り船観光事業に参加、もしくは前向きに検討してくれている宿屋に挨拶をして回る。彼らには釣り船と連動し、客の釣った魚を料理して出してもらうつもりでいる。
 しかし他の客達との食事の作り分けや、釣り船上で怪我人が出た場合など不測の事態に対応できる体制作りには、手間やコストも掛かる。さらに経営に余裕があり、貴族も利用できるそれなりに立派な宿、という条件もなかなかに厳しいため、今になって尻込みするところもあった。それでも、協力してくれる宿にはサクヤ式コンロを提供する旨を伝えると、交渉もかなり進むようになる。

「お噂はかねがね聞き及んでおりました。実際に某貴族邸にて拝見した事もありますが、あれは良いものです」

 宿屋を回り終えると、次は湖周辺に向かい、今回協力してくれる漁師達の家を回る。夜の操業も可能か、何日連続で仕事が出来るかなど色々と話を聞き、給金の交渉なども行う。漁師達いわく、

「雨だろうが夜だろうが船は出せるけんどもよ、漁より儲からにゃあやってられんけんね」

 との事だった。契約は家族単位で結ばれ、船長、料理人、補佐といった乗務員の構成は家族内で行う。そうして漁師達にも協力を取り付けていった。


「ふう~、これで宿と人員は大体確保できたかなー」

 夕方頃、交渉を終えて街に戻って来た朔耶が本部に入ると、受付前で何やら悶着もんちゃくが起きていた。受付にガリウスの姿は無く、代わりに見知らぬ職員が詰めている。どうやら復帰した受付担当らしい。

「お願いします、もう明日の食べ物もないんです」
「ですから、こっちも資金に余裕がないんですよ」

 担当職員は、援助を訴えてカウンターにすがりつく女性を困った様子でさとしている。見れば女性は二十歳過ぎか、灰色にも似たくすんだ銀髪に薄い翠眼すいがんをして、ぎはぎだらけのローブをまとっていた。

「ねえ、どうしたの?」

 朔耶は声をかけてみる。振り返った担当職員は朔耶を見て一瞬顔を引き攣らせたが、なんとか気を取り直しこの騒動について説明する。

「じ、実はこちらの方が、騎士団に資金援助を訴えているのですが――」

 現状、この派遣騎士団本部に経済的な余裕は無く、むしろ不足している。そのため援助は不可能だと諭しているのだが、なかなか引き下がってくれないのだという。

「ふむふむ、貴女あなたのお名前は?」
「は、はい? えと……」
「あたしは朔耶。一応ここの関係者だから、あたしが話を聞くよ」
「はぁ……あの、わたしはこの街で孤児院を預かっているアマレストと言います」

 聞けば、彼女自身その孤児院の出身者であり、見よう見まねで覚えたつたない魔術を使って院長を手伝い、孤児院の子供達と共に石売りなどをして生計を立てていた。だが、高齢だった院長が亡くなってからは孤児院の経営も上手くいかず、院長が残してくれた蓄えも減る一方。
 そして先日、和平会談襲撃事件が起きた日の夜。押し入って来た武装集団によって院内は荒らされ、最後の蓄えが略奪されてしまった。それからは経営が完全に立ち行かなくなり、明日食べるものにも事欠く有り様だという。

「あの襲撃事件の後、両親を失った孤児達が大勢うちへ預けられました。でも……」

 孤児院への援助はほとんど無く、このままでは子供達を飢え死にさせてしまうと必死に窮状きゅうじょうを訴えるアマレスト。

「ふーむ、その孤児院の規模と状態は?」

 朔耶が職員にたずねる。以前、ガリウスが意見書の束を整理していた時に、孤児院への資金援助をうモノをちらっと見たような記憶がある。職員は書類を片っ端から引っくり返しながら「記録の担当が~」とか「要望申請書の控えが~」などとうなり始める。どうやら把握できていないらしい。

「じゃあ直接見に行きましょうか。アマレストさん、案内してくれる?」
「あ……、はい」

 がっくりと落ち込んだ様子でとぼとぼ歩き出すアマレスト。
 彼女は心中、失意と悲嘆に暮れていた。何とか子供達を助けてもらおうと、怖いのを我慢して騎士団本部に来たものの、結局援助は引き出せなかった。今日も子供達に食事をさせてやれそうにない。

(みんな、ごめんね……)

 職員の対応から見て、この異国風の少女はフレグンス貴族の令嬢か、あるいは騎士団本部の偉い人の縁者なのだろう。彼女が孤児院の現状を見てどこまで口添えしてくれるかは分からないが、少しでも情けをかけてもらえるよう精霊に祈る。そして『いよいよとなれば、もうこの身を売るしかない』と、アマレストは悲壮な覚悟をいだいていた。


 日暮れの街では、建物の窓明かりや、商店の入り口にあるランタンが通りを照らし始めている。繁華街は人通りも多く賑やかだ。アマレスト達の孤児院は、その表通りから外れた静かな区画にある。

「ここです……」
「え、ここっ?」

 アマレストが立ち止まり、見上げる視線で示した古い建物。
 そこそこ大きな屋敷ではある。だが入り口の扉は壊れ、中は真っ暗。しんと静まり返り、壁に開いた大きな穴がぎはぎの布で塞がれている。この建物が視界に入った時、ただの廃屋かと思っていた朔耶は面食らった。

「な、なんか、人の気配がしないんだけど……」
「皆おびえて奥にもっています。押し入ってきた人達に調度品やランプのたぐいまで盗まれてしまって……、わたしや子供達は地下に隠れていたので無事でしたけど」

 廃墟のような建物を哀しげに見つめながらそう説明するアマレスト。朔耶は意識の糸を伸ばして建物内を探り、奥の方に固まっている十数人の存在を確認した。

『これは……、建物の修繕費くらいなら支援しようと思ったけど、そんなレベルじゃないね』
 ナカノモノ ミナ ウエテオルナ

 自分の工房からどこまで支援できるかと、朔耶が考えていたその時。

「ん? サクヤじゃねえか。何やってんだ、そんなところで」

 よく知った声に振り返ると、カンテラをぶら下げたガリウスが、部下の面長騎士クランドルと連れ立って通りの向こうから歩いて来た。

「ガリウスこそ、何してんのよ?」
「見回りだ見回り。今くらいが一番治安が悪いんだ」
「最近、市場で盗みを働く者がこの辺りによく逃げ込むと聞いてな……」

 クランドルの言葉に、アマレストの顔が一瞬青ざめる。幸い、彼等の目は朔耶に向いていたので、気付かれる事はなかった。朔耶はガリウス達に孤児院の窮状きゅうじょうを話し、援助できないかとたずねる。

「申請はしてるんだがな。ホラ、この前サクヤに持たせた書類の束があったろ?」
「ああ、城に直接届けたやつ? あの中にあったんだ?」

 結果はこの通り、やっぱりなとばかりにガリウスは肩をすくめて見せる。そうして先程から不安そうにこちらの様子をうかがっているアマレストに声をかけた。

「つーわけだからよ、騎士団からの資金援助は無理なんだわ」
「あ、はい……そうでしたか……」
「まあ、俺んちは門閥もんばつなんで、俺が個人的にって手もあるんだが……」
「えっ! ほ、本当ですか」

 ぱっと顔を上げたアマレストは、すがるような瞳を向ける。
 ガリウスの実家は有名な門閥貴族ジャバール家である。ガリウス個人が騎士として稼ぐ資産など微々たるモノだが、実家に頼めば相当な額が用意されるだろう。ガリウス自身は普段思うところあって、そういった送金を拒否しているのだが。

「それなりの代償は、払ってもらう事になるぜ……?」

 そう言ってアマレストに近付いたガリウスは、彼女のあごをくいっと持ち上げる。思わず首をすくめたアマレストだったが、言葉の意味を理解すると、ゆっくり肩の力を抜き、涙を浮かべて頷いた。
 子供達のためだと自分に言い聞かせ、震えながら目を閉じる。既にそういう方面での覚悟も決めていた身だ。門閥貴族からの援助が受けられるなら、孤児院も安泰。アマレストは二十三年間、貧しくとも清く守り抜いた貞操を捧げようとしていた。

「うわーー! 待て待て! 冗談だ冗談っ冗談に決まってるだろーーが!」

 突然、恐怖の叫びをあげながら後退あとずさっていくガリウスに、アマレストは目を開きキョトンとする。そして後方から放たれる威圧感と周囲を照らし出す青白い光に気付き、振り返った。
 そこには、巨大な漆黒の翼に雷光をまとわせた悪魔が浮いていた。
 カカカアァアアン! 

「ぎゃーーーーっ」
「……アホだな」

 漆黒の翼から放たれた雷に打たれる不良騎士の悲鳴と、その部下の呟きを聞きながら、アマレストは意識を手放しバッタリ倒れた。


「んん……」

 孤児院の中庭にあるベンチに横たわっていたアマレストは、香ばしい匂いに空腹感を刺激されて目を覚ました。子供達のキャッキャッとはしゃぐ声。それを聞いて身体を起こし周囲を見渡す。

「あ! お姉ちゃん先生が起きたよー!」
「姉ちゃん先生ーっ先生もシチュー食べなよ!」
「すっごく美味しいんだよ! いっぱいあるんだ!」

 皆口々にそう言いながら、肉や野菜の浮く白っぽいシチューを持ってきてくれた。アマレストはボンヤリしたまま、孤児院には無かったはずの容器を受け取り、中のシチューを一口食べる。

「美味しい……」
「そりゃ良かったわ」

 呟きに応える声。ふと顔を上げると、黒髪の少女が微笑みながらそこに立っていた。その黒い瞳を見ていたら、次第に意識を失う直前の記憶が蘇り、アマレストは見る見るうちに青ざめていく。

「あ……、あわわっ悪魔が! 黒い悪魔が!」
「大丈夫、大丈夫だってば! ごめんね、脅かして」

 朔耶はアマレストをなだめて落ち着かせると、先程はガリウスのたちの悪い冗談に対し自分がお仕置きをした――ヤキを入れたとも言う――だけで危険は無いと説明した。さっきのアレが朔耶だと聞いてもピンと来ないアマレストは、とりあえず曖昧な返事をする。そこへ――

「おーい、追加分の保存食買って来たぞー。ったく……騎士に買い物行かせるか? フツー」
「魔力石と日用品はこれで十分だろう」

 食料と魔力石と日用品を大量に抱えたガリウスとクランドルが買い出しから帰って来た。わーっと彼等に群がった子供達が、荷物を受け取っては院内に運び込んでいく。

「ごくろうさまー」

 二人の騎士をねぎらった朔耶は、改めてアマレストと向かい合った。

「今回はあたしの方から支援しとくけど、あなた達も自力でどうにか出来るよう考えてみてね?」
「あの……サクヤさん、貴女あなたは一体……」

 アマレストが問いかけようとした時、朔耶がふと立ち上がり、慌てて中庭中央へと駆けて行く。

「あーーこらこらっそこに手をかけちゃダメ! お鍋が引っ繰り返っちゃう!」

 そう叫んで、楽しそうにはしゃぐ子供達を追い回す朔耶。その様子を見たアマレストは、感謝の念をいだきながらも、この少女がどういう立場の人間なのか不思議に思っていた。
 騎士達と親しく話し、それでいて彼等を従えるほどの権力を持つ少女。
 さらには何か怖いモノもび出していた事を思い出し、プルプル首を振るアマレスト。そこへガリウスが首を回しながらやって来た。ベンチに腰掛けて一息吐いた彼は、彼女の疑問に答えてやる。

「サクヤは王室特別査察官様だよ」
「王室……!」
「ふぅ~まったく、子供の相手は疲れるわ……む? ガリウス、また彼女にちょっかい出してないでしょうね」

 追いかけっこから戻って来た朔耶は、アマレストと並んで座るガリウスをジロリと睨む。

「疲れててソレどころじゃねー」

 ガリウスは買い出しのため、裏通りの外れにある孤児院と、街の中央通り市場との間を何度も往復させられてへとへとになっていた。ベンチから立ち上がったアマレストは、「計算通り!」とか言っている朔耶のもとに歩み寄ると、膝を突いて感謝の意を表す。

「わっちょっと、そんな事しなくていいから頭上げてよ」
「いえ、数々のご無礼をおゆるし下さい。王室所縁ゆかりの方からの孤児院への援助、感謝いたします」
「だーから、そんなかしこまらなくてもいいんだってばっ。大体この支援はあたしの自費だから王室云々うんぬんは関係ないし」

 ゆっくり顔を上げるアマレストに、朔耶は一つだけ忠告しておく。

「アマレスト達が自力でやっていけるようあたしも協力するからさ、だからさっきみたいに簡単に諦めて身体を許すなんて事はしないで」
「サクヤ、さま……」

 じわっと涙を浮かべたアマレストを、朔耶は「ね?」と言って優しく抱き締める。その途端、アマレストの感情があふれた。
 今までずっと苦労の連続で、それでもじっと耐えてきた。そんな中こうして優しくしてくれたのは、亡き院長先生以外では初めてだった。数年ぶりに心からの安堵を得たアマレストは、朔耶の胸に顔を埋めて子供のように泣いていた。
 そんなアマレストのくすんだ銀髪を優しくでてやる朔耶。ベンチに座って一部始終を見ていたガリウスは、おもむろに腕組みをすると難しい顔でうなる。

「何よ?」
「お前……同性嗜好って本当だったのか?」


 この日、騎士団本部の食堂では、目を据わらせ自分が決して同性を好む者ではない旨を懇々こんこんと説き続ける朔耶と、もう勘弁してくれと泣きを入れているガリウスの姿が夜遅くまで見られたとか。

「聞きなさい、だからね? あたしにそういうつもりが無くても誰かの行動が誤解を招いた結果、それを見ていた人が――」
「……頼むから、マジでもう寝かせてくれー」



   第二章 釣り船観光計画と魔力石モーター開発


 先日の孤児院での一件以来、朔耶はカースティアと王都の工房を行き来する日々を送っていた。
 度々アマレストのもとを訪れては街の噂話に耳を傾けたり、彼女の相談事について話し合ったりして親睦を深め、釣り船の備品を作る合間に作ったランプなどを持参したりする。いつも降り立つ派遣騎士団本部に詰める騎士や職員達も、数日おきに現れる朔耶に慣れてきたようだ。
 それどころか『ああ、今日はいらっしゃる日か』という具合に、朔耶のいる日は訓練や街の見回りに力を入れる『特別強化日』となっていた。強力な癒しの光で怪我も疲労も治してくれるので、少しばかり無理をしても大丈夫という訳である。朔耶が常に自然体で振る舞い、一般民のアマレストと親しく接している事も、騎士達から過剰な畏怖いふを拭い去る一因となった。
 そうして朔耶がカースティア観光事業に着手してから約一ヶ月。三そう分の船外機や備品が整い、釣り船乗り場などの施設も完成。従業員の採用や料金設定、仕事内容の打ち合わせも終わったその日の昼頃、王都の自分の工房にやってきた朔耶にティルファから釣り船一号艇が完成したとの報が届いた。

「よしゃーー! ティルファに飛ぶわよーー!」

 朔耶はすぐさま一艘分の船外機や備品を工房の倉庫から引っ張り出すと、特別に用意してもらった四頭立ての貨物用竜籠りゅうかごに積み込んでティルファに飛んだ。


「ドマックさーん!」
「来たか、早かったな……っておいおい! ここに降りるのかっ」

 夕方頃にはティルファの上空に到着。直接ドマックの造船所脇に竜籠を着陸させた朔耶は、作業員達と一緒に荷物を降ろしながら、船外機と備品の取り付けについて話し合った。

「全部取り付けて完成した状態にして、そのままこの竜籠で持っていこうと思ってるの」
「ふむ、それなら航行実験は今夜にでも行う事になるのう」

 ドマックは船を竜籠に積み込むためのクレーンを手配するよう部下に言い付けると、早速船外機の取り付け作業に掛かる。朔耶も船に上がってランプや魔力石コンロなどの備品を設置していった。
 船外機は手で直接動かすのではなく、船の中央部分にある一段高くなった操舵室そうだしつから操作する事になる。操舵室と船外機を繋ぐ仕掛けの調整も必要だ。

「一応釣り道具も持ってきてるから、航行実験の時は使ってみてね」
「ふふん、新型機械船で夜釣りとは悪くない。なかなか面白そうじゃ」

 そうして作業を進めていたところに、クレーンの手配に出かけていた作業員が声をかけてくる。

「サクヤさーん、表の竜達がなんか鳴いてますよー?」
「あ! いっけないっ忘れてた!」

 ひらりと船から飛び降りた朔耶は、着陸後放ったらかしにしていた竜達のところに走った。

「ごめんごめん! 厩舎きゅうしゃに移すの忘れてたよ」

 ぐでっと地面に伏せていた竜達から抗議の四重奏が響く。

「キューキュー」
「キョー……」
「ピー……」
「キュルー……」

 お腹空いたーと鳴いている竜達を連れて、朔耶はティルファの厩舎に移動した。ティルファにも街灯が導入されているが、湖のほとりにまでは設置されていない。それ故、厩舎のある湖周辺は夜になるとかなり暗い。その暗闇から四頭の竜を従えて現れた朔耶に、厩舎の世話係は飛び上がらんばかりに驚いたが、竜達がお腹を鳴らすのを聞いてすぐに餌の肉塊を用意してくれた。喉を鳴らしてかじり付く竜達。

「明日はかなり長く飛んでもらう事になると思うから、今日はゆっくり休んでね?」

 朔耶の言葉に、四重奏で返事する竜達であった。


「戻ったか、お前さんに客が来とるぞ」
「え?」

 朔耶が造船所に戻ると、ちょうど建物内に引かれた湖水面に船を降ろすところだった。そんな中、作業員達と慎重にロープを引きながらドマックがあごひげで指した場所に、見覚えのある人物が立っている。長い銀髪を背中で束ねた、魔術士風の男性。朔耶がその姿に気付くと、目を細めて微笑を向けてきた。
 中央研究塔所長、ブラハミルト・オードリン。ここティルファを治める最高責任者である。

「こんばんは、フレグンスの精霊女神殿」
「ブラハミルトさん……。こんばんは、どうしたんですか?」

 また通り名が更新されたかと密かに嘆きつつも挨拶を返し、わざわざ訪ねてきた用向きをく。

「いやなに、私も貴女あなたの船に興味があったのでね」
「そうなんですか? じゃあこれから航行実験なので一緒に乗ります?」
「もちろんですよ」

 朔耶は王都の革裁縫職人の工房で作ってもらったライフジャケットをブラハミルトに渡すと、それを身に着けるよう告げ、湖面に下ろされた釣り船一号艇に乗り込んだ。メンバーは朔耶とドマック、ブラハミルトの他、作業員二人とブラハミルトの警護で付いてきた衛士えいし二人である。
 船のランプを灯した朔耶は、操舵室そうだしつに上がって船外機を起動する。建物から湖に出ると、どこで聞きつけたのか数十人の見物人が集まっていた。
 衝撃のサクヤ式機械船推進器がお披露目され、朔耶の発注を受けたドマックが建造を始めた時から、この船には皆が注目していたのだ。機械船を前提としたフォルム、全長七メートル、幅三・五メートル程の船体がゆっくりと桟橋さんばし付近に近付いていく。
 魔力石ランプを元に作った十二個ものカンテラやランタンが煌々こうこうと船の周辺を照らし出し、近くで見ようと集まった見物人達の姿を浮かび上がらせる。そんな彼等に向かって、朔耶は折り畳んだライフジャケットを一着投げ込んだ。

「うわっ!」
「な、なんだっ」

 イキナリ何かモコモコした四角いかたまりを投げ付けられて、思わず飛び退く見物人達。一人逃げ遅れた若い発明研究家がそれを受け止めた。彼は『なんじゃこりゃ』と謎の物体を広げて観察する。

「そこのあなた! それを身に着けて。こんな風に羽織って前を結ぶだけだから、簡単でしょ?」

 朔耶は自分達が着用しているライフジャケットを指して使い方を教えた。若い発明研究家は、何だかよく分からないがサクヤ式の衣服らしい、という事でとりあえずそれを身に着ける。その間に朔耶は船を桟橋さんばしに寄せた。

「身に着けた? じゃあ、船に乗って」
「えっ!」

 驚愕した表情で固まる若い発明研究家。
 今回の船は八人乗りなので一人分枠が余っていた。だからもう一人、抽選で決めたと説明して彼に乗船許可を出す朔耶。かなり不意打ちで強引な抽選だが、おかげで混乱が起きなかったとも言える。
 言葉の意味を理解した彼は大喜びで、いそいそと釣り船一号艇に乗り込んだ。彼の近くで素早い身のこなしを見せた研究家達は、「何故あの時避けてしまったのだぁ!」と頭を抱えて悔しがっていた。

「それじゃあ適当に真ん中辺りまで進めたらゆっくり流すから、釣りの具合も確かめてみてね」

 独特の駆動音を響かせ、釣り船一号艇は湖の中央付近に向けて航行する。そして適当な位置で船を止めると、想定している客数の五人でとりあえず釣り糸を垂れた。
 航行から釣り具の管理、魔力石コンロの使用まで実際の営業内容に即した実験を一通り行い、問題無い事を確認する。もっとも、研究家やドマックは魔力石ランプやコンロに夢中で、メインの釣りはそっちのけだったが。
 小一時間ほどで岸に戻ると、釣り船を竜籠りゅうかごに載せる作業に入る。なかなか大掛かりでドマック造船所の作業員だけでは手が足りなかったが、ブラハミルトがティルファの陸軍に当たる都軍兵とぐんへいを動かしてくれたので、積載作業は順調に進んだ。

「カースティアにも建築作業用のクレーンがあるはずですから、それを使うといいでしょう」
「うん、ありがとね、ブラハミルトさん」


 作業を終えて一息ついた朔耶は、ブラハミルトから一緒に夕飯でもどうかと誘われて中央研究塔におもむいた。ドマック造船所の皆も招待され、一階中央のステージを会場に、ちょっとした立食パーティのようなものが行われる。
 皆でワイワイと食事をとりながら、朔耶はブラハミルトと色々な話をした。グラントゥルモス帝国の事や、フレグンス王国の事。先日のサムズ侵攻をあおったと思われる商人国家キトと、その使者ヨールテスの事。時折、ブラハミルトは朔耶の世界についてさりげなく聞いてくるが、朔耶が話さなければそれ以上たずねようとしない。紳士に徹したその態度は好感の持てるもので、朔耶は彼を『信用しても良い相手』と認めつつあった。

「なるほど、帝国ではそんな動きがありましたか」

 朔耶は、帝国内の政変の理由を『裏で帝国を牛耳ぎゅうじっていた者が討たれたから』とし、自分がグラントゥルモスの先代皇帝エイディアスを討った事はぼかしながら、その裏の支配者が〝発掘品〟による不老不死の研究をしていた事なども話す。
 古代魔法文明の遺物である〝発掘品〟の調査、研究は、かつてのティルファでも盛んに行われていた。古今東西、不老不死に関する研究に取り憑かれる者は絶えない。ティルファの研究者にも、帝国まで出向いて手を出していた者は少なからずいただろうと、ブラハミルトは表情をかげらせる。
 キトに関しては、帝国政変以後も、またサムズ動乱前後も特に変化は見られなかった。だが――

「やはり、あそこであの男を逃がしたのは私の判断ミスだったのかもしれない」

 朔耶から、ヨールテスが傭兵団陣地で戦いをあおっていた事を聞いたブラハミルトは、警戒はおこたらない方が良いとの自分自身へのいましめもめてそう語った。

『ヨールテスかぁ……今頃どこで何してるんだろうね』
 タシカニ アヤツカラハ ヒトニアラザル ケハイヲ カンジタ

 またどこかで『儲け話』でも企んでいるのかもしれないねーなどと、割と呑気のんきな事を考える朔耶なのであった。


 翌日。釣り船一号艇を積んだ竜籠りゅうかごに乗り込み、まだ夜も明けきらない内からティルファを飛び立った朔耶は、夕方頃にはカースティアに到着していた。これから湖に船を降ろす作業を始める。その作業をする労働者達が集まるまでの間に、一旦元の世界へと帰還する。

「ただいまーっ、ご飯ご飯ー!」
「お帰りを言う間もなくソレかよ」

 庭に降り立つなりバタバタとキッチンに駆け込む。そんな朔耶に、最近都築家に入りびたり、孝文と魔力石の加工アイディアを練り合っている拓朗が呆れたように声をかけた。

「ほあ? はふひゃんひへはお?」
「まあな。石の特性も分かったから、そろそろ俺も何か作るぜ」
「はひほほふひはん?」
「……とりあえず先にソレ食え」

 冷蔵庫にあったソーセージをくわえながらもごもごしゃべる朔耶と会話を試みた拓朗だったが、さすがに翻訳不能だったので、とっとと食えとばかりにソーセージを指で押し込む。

「んぐっ! けほっ……拓ちゃん酷い」
「あ、すまん」

 涙目になって抗議されるも、もぐもぐ食べながらなのでちっとも罪悪感が湧かず、苦笑を返すのみの拓朗だった。


「銃みたいな飛び道具にしようかと思ったんだけど、タカ君が反対するんだよな」
「そりゃあね。そんな物持ち込む意味が無いし、争いの元になるだけだと思うよ?」

 夕飯を食べながら拓朗の作ろうとしている物を聞いた朔耶はそう返す。銃のように強力で手軽な武器は、今のところあの世界には必要ない。

「そうかなぁ、なんか怪物退治とかそういうのは無いのか?」
「いるところにはいるみたいだけど、魔術と剣でなんとかなってるみたいだし」

 向こうの世界では朔耶にも銃など必要ないし、誰もが使えるように量産した場合、必ず悪人の手に渡るだろう。もしそうなったら何が起きるか……という話である。事故だって起きるかもしれない。

「サクヤ式で治安悪化! とか、あたし嫌だよ?」
「ああ、そうか……お前の名前が付くんだったよな」
「それもあるけど、街に住んでる一般の人達は荒事なんて望んでないの。平和に暮らしたい人達ばっかりなんだから」
「う……」
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