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4巻
4-1
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「ただいまー」
「おかえりー、お風呂沸いてるわよー」
庭先に帰還した朔耶を、母のノンビリした声が迎える。
近所の神社にいた精霊と契約を交わして以来、度々こうして異世界と地球を行き来するようになった朔耶。母もすっかり娘の異世界往来には慣れたらしい。
朔耶は居間に上がり、弟孝文とアイディアノートを弄りつつ兄重雄が帰宅するのを待つ。そして三人揃ったところで知の都と呼ばれる大国、ティルファでの顛末を語った。
「という訳で、船外機のお披露目は大成功でした!」
「おお~」
「やったなっ」
朔耶達の設計で作られた推進器、すなわち船外機をつけた機械船で、ティルファの水軍高速艇に勝ったという話。
先日、朔耶達は異世界の街、カースティアの観光事業の一環として特殊な釣り船観光を考案し、船三艘の手配を進めていた。
最初は機械船そのものの安全性を疑問視するティルファの船大工ドマックに、造船を拒否される。それでも食い下がる朔耶に、ドマックは『水軍の操る高速艇と競争して勝ったら造ってやる』という無茶な対戦を提案してきたのだ。結果は朔耶の圧勝だった。
オレンジジュースとコーヒーとビールで乾杯して喜び合う兄姉弟達。
「結果的に機械船の知名度は急上昇、観光事業でかなりの客寄せになるな」
「うん、タカ君のモーター、これからも期待してるからね」
さしあたって残り二艘分の船外機に使う魔力石モーターを作り、それから他にも色々な用途に使えるようにモーターの小型化についても試みる予定だ。とはいえ朔耶が見た限り、ティルファの研究者達も意外と早くモーターの類を自力で作り出しそうな勢いだった。
「多分、魔術式で似たようなのを作っちゃうんじゃないかなぁ」
「さすがに魔力石の細かい加工はまだ無理か」
「サクヤ式モーターの心臓部は魔力石使用の反発力ユニットだから、これが作れない限り朔姉の優位性は揺るがないな」
朔耶のような精霊と重なる者ならともかく、普通の人間には地球にある高性能の工作機械でも使わなければ魔力石の細かい加工は難しい。そのためティルファの研究者が自前の反発力ユニットを製造するには相当な時間が掛かる、と孝文は予測した。なので今の内に反発力ユニットを単品で売りに出す事も検討する。
「機械船みたいな乗り物に使えるレベルのモノは、しばらくは朔姉の工房でしか作れないって事で」
そのうち天才が現れるなり加工技術が進むなりして、向こうでもそこそこの物が作られるようになるだろうという結論に至った。
ひとしきりティルファの技術力談義をした後、朔耶は観光事業が軌道に乗った後の計画、『屋形船作戦』について切り出した。
戦後処理などで最近ずっと忙しくしている近衛騎士団長イーリスと、彼に構ってもらえず寂しそうにしているレティレスティア。そんな二人の間を何とか取り持ってやりたいと考えた朔耶の作戦だ。
「お姫様と護衛の騎士か~王道だな。そういう場合は切っ掛けさえあればダーーッと行きそうなんだけどな。例えば……
『イーリス? 何故ここに……』
『レスティア様が、逢引をしているという噂を耳にしまして……』
『まあ! 酷いっ、私の事をそんな風に見ていましたのね!』
『いえ、私はレスティア様を信じております。ですが、逢引は事実のようです』
『どういう、意味ですの?』
『……それは、こういう事です!』
『ああっ、イーリス……いけません、こんなところで』
ってな感じで――ん? どうした朔耶」
何やら覚えのあるシミュレーションにがっつり落ち込む朔耶を見て、首を傾げる兄殿。
「まあ、重兄の妄想シミュレートはともかく、忙しくて時間が取れないってのは仕事を任せられる部下がいないせいだと思うぞ?」
騎士団長としてまだ若いイーリスは、回ってくる仕事をほぼ自分一人でこなしているのだろう、仕事を任せられるぐらい優秀で信頼できる部下を養成するところから始めるべきだと話す孝文。
「なるほどー、さすがタカ君」
復活した朔耶は、ついでにカースティアの騎士達との関係について、何か良いアイディアが無いか訊ねてみた。カースティアの派遣騎士団の騎士達は、朔耶が本部の食堂に入れば途端に静まり返るし、廊下ですれ違う時など反対側の壁にぴったり寄ってこちらの様子を窺ったりするのだ。露骨なまでの警戒ぶりだった。
「ふつーに接してたらいいんじゃないかな」
「え~~、だって怖がって近付いて来ないんだよ~~?」
「だからって無理に近付けば逆効果だよ。自然に振る舞ってればそのうち向こうが慣れるって」
「そうなのかなぁ」
確かに朔耶は、カースティアに詰めている騎士達とはまだほんの数日、それもわずかな時間しか顔を合わせていない。とりあえず今度行く時は弟の言に従ってみる事にした。
「朔耶」
翌日、友人達と平穏で楽しい学校生活を過ごした帰り道、自宅近くで男の子に声をかけられて振り返る。
「あ、拓ちゃん」
幼馴染の男の子、鳥越拓朗。昔はよく兄と弟と一緒に、朔耶とつるんで遊んでいた。小さい頃から家族ぐるみの付き合いがあるので、ほとんど兄弟と変わらない存在だ。
改造好きの行動派であり格闘オタクな兄と、その発想力で兄の改造方針を支えた理屈屋の弟。そしてそれらの元ネタとなる様々な防犯グッズを提供してきたミリタリーオタクの拓朗。朔耶に多大な影響を与えた三人の内の一人である。ある意味、朔耶の必殺技『稲妻ビンタ』は、この三人とつるんだ経験の集大成とも言える。
最近は少し疎遠になっているが、会えば昔と同じく自然に会話が出来る、そんな関係である。
「どうしたの?」
「……お前、俺に何か言う事があるんじゃないのか?」
真剣な表情でじっと目を覗き込んで来る拓朗に、「んん?」と小首を傾げて惚ける朔耶。
「ちょっと来い」
「え、あ、ちょっとっ」
むんずと朔耶の腕を掴んだ拓朗は、そのままグイグイ自分の家へと引っ張り込む。玄関に入ったところで、居間にいた拓朗の母親みよさんが声をかけてきた。
「あらー朔耶ちゃんー久し振りねーー!」
「みよさん、ご無沙汰してますーって、ちょっと拓ちゃん待ってよ」
挨拶する母親を煩わしそうに見ながら朔耶を二階の自室へと引っ張っていく拓朗。この家の階段は急なので、腕を取られたままではバランスが取り辛い。朔耶は拓朗に抗議した。兄直伝のやり方で。
「やだ、痛いよ拓ちゃん……お願い、放して」
「ぶっ! お、お前な!」
懇願するような媚びた声色を使いつつ朔耶がしゃがみ込む。すると、「んまー!」と声を上げたみよさんが、パタパタとスリッパを鳴らしながら駆けて来る。
「んまーダメよ拓朗ちゃんー朔耶ちゃんには優しくしなきゃあ!」
拓朗は「うわちゃーっ」と天を仰いだ。
「みよさぁーん、拓ちゃんったら無理矢理あたしを部屋に連れ込もうとするんですぅー」
「んまーダメよねーイケナイわよねー無理矢理なのはよくないわぁー、でも男の子ならちょっと強引なくらいがいいわよねー?」
「あーーもうっ悪かったから! 俺が悪かったから母さんはすっこんでてくれ!」
「んまっ酷いわ拓朗ちゃん……」
おおむねこんな家族であった。
夕日の射し込む窓を背にしてベッドに腰掛けた朔耶は、「なんか前よりスッキリしたねー」と部屋を見渡し、それから、
「で? あたしに聞きたいことって?」
と拓朗を促す。
「シゲ君とタカ君に聞いた」
「ありゃま」
拓朗は朔耶の異世界旅行について都築家の兄弟から聞かされたらしい。そして何故自分には一言も話さなかったのかと問い質してくる。
「ん~、だって軽々しく言いふらせる内容じゃないっしょ?」
「だからって、黙ってる事はないじゃないか。俺だって話を聞いてれば色々協力できたのに……」
最後の方はごにょごにょと聞き取りにくい小声になる。つまりは家族も同然の仲なのに内緒にされた事が気に入らないようだ。
「ごめんね、拓ちゃん……拓ちゃんに迷惑かけたくなかったの」
朔耶はベッドのシーツを指で弄びながら、俯き加減でそっと枕を胸に引き寄せる。
「迷惑だなんて……」
「っていうのは建前で、あんま知ってる人増やすと面倒だからってのが本音です」
「……お前は……」
胸に抱えた枕を頭に載せてそんな事をのたまう朔耶に、こういう奴だったと脱力する拓朗。
事情をかいつまんで話した朔耶は、拓朗に対し、家族には明かさないようにと念を押した。
荒唐無稽な話だとしても、朔耶が先日約二ヶ月にわたって失踪していた事は事実なのだ。話が広まれば、色々と変な探りを入れてくる輩が出てこないとも限らない。枕で巨大リーゼントとかやりながら真剣に話す朔耶に、拓朗も理解を示す。
そして今後は彼にも、魔力石を使った道具の開発や、異世界への干渉についての相談メンバーに加わってもらうという事で話がまとまった。
「それにしても、拓ちゃんの部屋に来るのも久し振りだねー。随分大人しい雰囲気になったじゃない」
改めて〝幼馴染の男の子の部屋〟を見渡す。以前はモデルガンやらコンバットナイフやらが壁にたくさん飾ってあったが、今は上着とかカレンダーが吊ってある程度だ。
「まあな、俺もいつまでもミリオタやってる訳じゃないさ」
「ふぅ~ん、拓ちゃんも成長してるんだ?」
そんな返しに苦笑しながら、拓朗は朔耶と玄関まで一緒に下りる。そして明日にでも都築宅に行くと言って朔耶を見送ったのだった。
帰宅した朔耶は、とりあえず兄と弟にデコピンスペシャルをお見舞いしておいた。
「俺等なんでデコピン喰らったんだ……?」
「うーむ……謎だ」
第一章 孤児院の娘
まだ薄暗く、肌寒い空気の漂う夜明け前。
「今から行くのか?」
「うん」
今日は幼馴染の拓朗が転移の瞬間に立ち会うため、都築宅を訪れていた。
「それじゃ、行ってきまーす」
「おうー、気をつけてな」
いつもの動きやすい格好で自宅の庭先に出た朔耶は、不思議な光に包まれたりとか、派手な魔法陣を浮かべたりするでもなく、ただ静かにオルドリア大陸へと転移した。目の前で音もなくスッと消えた朔耶に、拓朗は一瞬目を瞠る。
「ほんとに、特殊効果も何もなしにいきなり消えるんだな……」
「帰ってくる時もイキナリだからな、あの円の中には入るなよ?」
重雄の指し示した先には、朔耶の転移場所の目印として円が描かれていた。
「ここはどこかな~?」
まだうっすらと星が見える朝焼けの空。陽光を受け金色に縁取られた雲が遠くに見える。立ち並ぶ街灯の先には、白亜のテラスと大きな階段。
『って、お城のそばじゃん!』
コンカイハ トクニ ケハイガ ツヨカッタ
前回と同じく、フレグンスの精霊の気配を目指して転移したところ、最もそれが強く感じられた場所がここだったという。王族の〝血〟と盟約を結ぶフレグンスの精霊が、城に近い場所にいてもおかしくはないが、今まではどこか街中に出るのが常だったため朔耶は驚く。とはいえせっかく来たのだからと少しばかり立ち寄る事にした。
いつも空から直接城の敷地内に下りてくる朔耶が、今日は珍しく入り口から現れた事に、衛兵が目を丸くする。
『おっはよーレティ、起きてる?』
――サクヤ? おはようございます、ちょうどお茶をいただいていたところです――
『そっか、これから祈りの儀式だっけ?』
――はい。最近はサクヤが重なっていた精霊も感じられるようになってきました――
なるほどそれで城の近くにいたらしい。フレグンスの精霊がレティレスティアと交感を繋ぐ日も近いかもしれない。
しばらく城内をぶらぶら歩いていた朔耶は、儀式のため地下神殿に向かうレティレスティアと合流する。朔耶が一緒という事で、いつもゾロゾロ付いて来る護衛の騎士やら神官達には外してもらった。普段なら粛々と進むだけの道程を、今日に限ってはお喋りしながら楽しく歩く。
途中、イーリスの話題になった。ああいう真面目で奥手な男にはこちらから積極的にならないと進展しない、だから迫っちゃえと嗾ける朔耶に、レティレスティアは「母様にも同じ事を言われました」と軽く溜め息を吐く。やがて地下へと下る二人。
「じ~~」
「もぅ、サクヤったらまた……そんなに見つめないで下さい」
儀式用の薄い衣に着替えたレティレスティアを、朔耶が『ええ身体しとるなぁ』とおっさん目線で見つめている。恥ずかしがるレティレスティアが抗議するも、その様子がいちいち可愛らしい。一度視られる事への羞恥を覚えてしまったためか、過剰に反応している。
「そういうとこイーリスに見せたら一発な気がするけどなぁ」
「そんなっ、こ、こんな格好で……無理です、恥ずかしいです」
「ふーむ、イーリスとレティにも、レイスとフレイの十分の一でいいから積極性があればなぁ……」
あの二人は人の目がなければあっちでイチャイチャ、こっちでイチャイチャ、イチャイチャ三昧だと評する朔耶に、レティレスティアも赤くなりながら小さく頷く。どうやら城内で二人のイチャイチャを目撃した事があるらしい。
そんな調子でからかい半分、可愛がり半分、楽しみながらレティレスティアを送った朔耶は、地下神殿の前で別れて地上に向かう。
今日もカースティア観光事業関連で色々と飛び回る予定であった。だが今のレティレスティアとのやり取りで、先にやるべき事が出来たので、朔耶は王宮区画にある兵舎に向かう。
「おー、訓練中かぁ」
兵舎近くの訓練場にて、合同訓練中の近衛騎士団と聖騎士団を見つけたので、そちらに足を向ける。
近衛騎士団よりも豪華な甲冑を纏う聖騎士団は、精霊神殿に属する騎士団で、王国騎士団並に高位の存在である。近衛騎士団と同じく指揮系統が独立しており、神殿の意向が最も尊重されるので、王権も無理には介入できない特殊な立ち位置だ。
ちなみに、王女であるレティレスティアは個人的に聖騎士団を動かせるが、それは彼女がその精霊術の才によって神殿内である程度の地位を築いているからだ。同じ理由で王妃アルサレナも聖騎士団を動かす事ができるが、その夫であるカイゼル王は神殿内では大口の寄付者という立場でしかないため、思いのままにとはいかないらしい。
「あ、いたいた」
模擬戦形式の訓練に勤しむ集団の中に、訓練用の槍を豪快かつ繊細に振り回しているイーリスの姿を見つけた。
回転運動から突きに転じて相手の武器を絡め取る繊細な槍捌き。一方対戦相手の聖騎士団長も盾を駆使して必死にそれを捌いていた。しばらく攻防は続いたが、訓練終了を告げる鐘の音を合図に両者は動きを止めた。聖騎士団長が息をつきながらイーリスに声をかける。
「今日はいつものキレがありませんでしたね」
「いや、そちらの腕が上がっているという事でしょう」
同じく息を整えながらそんな言葉を返すイーリス。兜を脱いだ聖騎士団長は、頬に張り付いた金髪を脇に寄せ、額の汗を拭った。
フューリ・テレシア聖騎士団長。女性ながら聖騎士団の中で唯一、近衛騎士団長イーリスとまともに打ち合える騎士で、少し彫りの深い凛々しい顔立ちをしている。
「随分上達されたと実感しますよ。私もうかうかしていられません」
イーリス団長の言葉にフューリ団長は、澄んだ青い瞳に敬意と喜びを籠めて微笑んだ。そこへ、小さく手を振りながら朔耶がやって来る。
「イーリス~」
大勢の騎士達が居並ぶ訓練場を、泥の塊を避けながらちょこまか歩く朔耶。近衛騎士達は朔耶と交流する機会も多かったので、「おー、サクヤ様だ」とか「相変わらず小さいな」などと囁いては和んでいた。一方、ほとんど面識の無い聖騎士団員達は、噂に聞く〝黒髪の戦女神〟の登場で緊張した空気に包まれた。
「サクヤ殿、どうなされました?」
「うん、ちょっとイーリスに話したい事があったの」
朔耶は、孝文が言っていた『仕事を任せられるぐらい優秀で信頼できる部下の養成』を勧めてみた。
「イーリスが忙しすぎるのは、何でもかんでも自分で背負い込んでるせいだと思うのよね」
「否定はしませんが……しかし、重要な仕事ですので」
「だからぁ、その重要な仕事を任せられる部下を養成する事から始めましょうって話よ」
「ですが、それは……」
複雑な表情で言いよどむイーリス。朔耶は彼の懸念を察して一言告げる。
「別にサボるために部下を使えって言ってる訳じゃないよ?」
するとイーリスは一瞬、ハッとした表情を見せた。なるほどこれは真面目の塊だと、朔耶は弟の読みの冴えに感心した。そうして決め手の口説き文句を放つ。
「もうちょっと、部下の事を信頼してあげたら?」
「っ!」
愕然として立ち尽くすイーリス。実際には信頼していない、などという事は無いのだが、その真面目さと責任感の強さゆえに『私は部下を信頼していなかったのか!』と衝撃を受けたらしい。
「そうですね……将来の事を考えれば、そういう上に立つ者としての能力を鍛えてやる事も必要でした」
助言を真摯に受け止めるイーリス。だがその様子を見ていると、今度は部下の養成にかまけてレティレスティアと会う時間を取らなくなりそうで心配になってくる。なので、レティレスティアの話題も少し振っておく事にした。
「レティって結構胸おっきいよね、肌も白くて綺麗だし」
「ぶふっ! い、いきなり何を……!」
上に立つ者としての在り方を示唆する言葉に深く感銘を受けていたところへ、唐突な話題転換。しかも王族を対象に性的な意味合いを含む、あり得ない話題にイーリスは声を詰まらせた。
「ゴホンッ。サクヤ殿には、もう少し慎みを持っていただきたい」
「ふ~~ん」
ぐぐっと目を覗き込んでくる朔耶に、イーリスはたじろぐ。
この黒真珠にも似た瞳に見つめられると、胸の内を見透かされているようで落ち着かない。今の話題転換で思わず想像してしまった事にも気づかれた気がして、ついつい目を逸らしてしまう。そんな葛藤中のイーリスからひょいと視線をずらした朔耶は、後ろに立つ女性騎士に声をかけた。
「イーリスと打ち合えるなんて、凄いね」
「え……い、いえ! 勿体無いお言葉です」
まさか声をかけてもらえるとは思っていなかったフューリは、慌てて背筋を伸ばして礼を執る。精霊の力をまるで精霊そのものであるかのごとく振るう朔耶は、精霊神殿にとって崇め讃えるべき存在であり、精霊術を駆使して戦う聖騎士達からすれば、まさに憧れの対象であった。
「さて……それじゃあ、あたしもう行くね」
二歩、三歩と下がってイーリス達から距離を取ると、朔耶は魔力のオーラを纏って漆黒の翼を噴出する。どよめく訓練場に光が溢れた。同時に訓練で酷使された騎士達の身体が癒されていく。
「以上、特別査察官からの特別サービスでした~」
そんな台詞を残して王都の空へと舞い上がった朔耶は、カースティアを目指して飛んでいく。
近衛騎士達は相変わらず気さくで面白い方だなぁと談笑し、聖騎士達は噂に聞く癒しの光を受けられた事と、その大きな治癒の力に感動していた。
「ポンプ、ちゃんと届いてるかなぁ」
三時間半ほどでカースティアに到着した朔耶は、騎士団本部の屋上に降り立つと、一階の受付を目指して建物内をてくてく歩く。先日、フレグンスの馴染みの工房で作ってもらった手押し式ポンプと革のホースを、こっちに運んでもらえるよう配送業者に依頼しておいたのだ。
途中すれ違う職員や騎士達が、不意に現れた朔耶に対し表情を凍らせて壁際に避けるなど、相も変わらずな畏怖っぷりを見せたが――
『なんか慣れたね~』
サクヤガ サキニ ナレテシマッタカ
騎士達が朔耶に慣れる前に、朔耶の方が騎士達の反応に慣れてしまった。
「ようサクヤ、相変わらず急に現れてんな」
「ガリウス、まだ受付に座ってんの?」
「あー、ここの担当が復帰するから俺は今日までだぜ」
臨時受付担当のガリウスが答える。先日起こったフレグンスの衛星国家サムズによるカースティア侵攻。それに先駆けた和平会談襲撃事件によって、派遣騎士団は壊滅状態に陥り人手不足が続いていたが、それも徐々に解消しつつあるらしい。
「そういや王都から荷物が届いてたぞ。なんだありゃ?」
そう言って、ガリウスはフロアの隅に積んである荷物を指した。朔耶は「よしよし」と荷物の中身を確認すると、早速食堂脇にある井戸にポンプを設置しようとする。
(ガリウスはどうせ面倒くさがって手伝わないだろうし、そもそも受付係は席外せないよね)
半分木製とはいえ、手押しポンプは結構な重さがある。一人で作業をするには少々辛いので誰か暇そうにしている者はいないかと周囲を見渡し、適当に目を付けた騎士に声をかけた。
「そこの人、ちょっと手伝って」
「じ、自分が、で……ありますか?」
おっかなびっくり朔耶の助手を務めた騎士は、最初こそやたらと緊張していたが、朔耶の気さくさに触れ、作業が終わる頃にはすっかり打ち解けていた。
「いいですね、これ」
「便利でしょ? 他の人達にも使い方を教えてあげてね」
一仕事を終えて一階のロビーに戻った朔耶達。出て行く時は緊張で顔色を失っていた騎士が、朔耶と談笑しながら戻って来た事で、他の職員や騎士達は一様に目を丸くしていた。
「終わったか? フランとスラントから観光事業の下準備の報告が上がってるが、……聞くか?」
「当然っ! で、どんな感じ?」
ガリウスは、朔耶が作業している間に纏めた観光事業関連の書類を手に、必要な人員の手配や施設建設準備の進行具合などを報告した。
「ふんふん……施設とかの建設は上手くいってるみたいだけど、人員の確保が滞っているわけね」
「まあ、儲かるかどうか分からねぇ内からほいほい協力してくれる奴はそういねぇからな」
「そうだね、その辺りはあたしが直接回って話をつけてみるよ」
「ほぅ、特別査察官殿自ら足を運ぶってか。今更だがお前、本当に変わってんなぁ」
からかうようにそんな事を言うガリウスに、朔耶はふと、彼に対するある人物の評価を思い出した。
「アンタもしっかり協力してよね、ルティも期待してたよ?」
「ルティ……? って、まさか……」
書類をひらひらさせていた手を止めて、怪訝な表情になるガリウス。
「ルティレイフィア第二王女様」
「げっ、姫さん帰国してんのか!」
あからさまに嫌そうな顔をするガリウスに、今度は朔耶が怪訝な表情になった。
ガリウス曰く、顔を見れば必ず手合わせを挑まれるらしい。しかも剣術がなかなかに達者で、魔術と精霊術も絡めてくる上に実戦慣れしているから本気で手強い。
「絶対囮に使った事を根に持たれてるぜ……」
数年前、王都に巣食っていた犯罪組織を壊滅に追いやった第二王女誘拐事件。一部の大物貴族達が組織の活動を黙認し、周りに圧力をかけていた事もあり、当時はカイゼル王やアルサレナ王妃の耳にも情報が届かなかったらしい。その誰もが手を出せなかった組織を潰すため、ガリウスは度々お忍びで街に出ていたルティレイフィアを利用したのだ。
どうにも苦手なんだよなぁと、ガリウスは眉をひそめながら頭を掻く。
「なんというツンデレ」
「なんだそりゃ?」
「こっちの話よ」
朔耶はガリウスがルティレイフィアを苦手としている事にも驚いたが、それよりもルティレイフィアの写真を渡して特徴を伝えただけで彼女のツンデレ属性を見抜いた実兄に驚いた。
朔耶のルティレイフィアのイメージでは、ガリウスの前に出れば普段の勇ましさや凛々しさが影を潜め、〝もじもじ乙女モード〟になると思われたからだ。そんな風に別の意味でガンガン攻めていたとは思いも寄らなかった。
「屋形船作戦にも第二案が必要かもね……」
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政略よりも愛を選んだ生活は思っていたのとは違っていた。「お幸せに」と微笑んだ元婚約者。結婚によって去っていた側近達。愛する妻の妃教育がままならない中での出産。世継ぎの王子の誕生を望んだものの産まれたのは王女だった。妻に瓜二つの娘は可愛い。無邪気な娘は欲望のままに動く。断罪の時、全てが明らかになった。王太子の思い描いていた未来は元から無かったものだった。後悔は続く。どこから間違っていたのか。
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