バッドエンド・ブレイカー

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限界集落ツアー編

 三周目・其の三

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「このまま行けば、杵島さんは離婚に追い込まれる可能性が高い。その場合、今の仕事も失うかもしれません。城崎さん、貴女は全てを失った杵島さんを支えていく覚悟はありますか?」

 ケイは城崎に不倫の清算を説き、高確率でこうなるという例を挙げると、その上で杵島を支えられるのか覚悟を問う。
 離婚したからとて、前の奥さんやその家族との繋がりが切れる訳ではない。破局から離婚、失職。子供との面会。慰謝料や養育費の支払いは大変だ。その状態で、彼を愛し続ける事が出来るのか。

「杵島さんは、精神的に幼い部分が残っている。あの年齢で人生を踏み外すと、自力では立ち直れないまま、ずるずる堕ちて行く可能性も高い。貴女は、彼を最後まで支えてやれますか?」

 ――そんな美談調にする事で、城崎の気持ちを『二人で困難を乗り越える』方向へ奮い立たせるようコントロールする。

「わ、私は……」

 城崎の目が泳ぐ。背水の陣で挑んだこの不倫旅行。恐らく『恋愛の成就か、さもなくば心中』の二択しか考えていなかったであろう彼女は、現実的な『その先の生き方』について示された事で、気持ちが揺れているのだろう。
 そう推察するケイは、慎重になりながらも城崎の背中を押すべく一言を紡ぐ。

「昔からよく言うじゃないですか『人は死ぬ気になれば何でも出来る』って」
「っ!」

 死という表現は城崎が計画している心中を連想させるので避けたいキーワードだが、ここは敢えて鼓舞する目的で口にした。動揺による揺さぶり効果も狙っての判断だ。
 城崎は、ハッとした表情を見せた後、何かを考え込むように沈黙した。そのまま暫く俯いていた彼女は、やがて顔を上げる。

「分かりました……」

 そう呟いた城崎からは、どこかほっとしているような雰囲気が感じ取れた。

(……彼女自身、自分の決意に追い詰められていたのかもしれないな)

 城崎の呟きに覚悟を決めたものと頷いて応えたケイは、今後の杵島との接し方を少し話し合った。アドバイスという形で、従順に振る舞って見せるよう伝えて部屋に戻らせる。彼女が立ち去った後、ケイも時間をずらして旅館に足を向けた。
 時刻は既に0時を回っている。これにより、三日目に起きていた『恵美利の死』と杵島、城崎による『心中事件』、それに洞穴で起きていたであろう『梨絵と清二の事件』も防ぐ事が出来た。

(よし、一先ずこれで様子を見よう。石神様は……明日でいいか)

 今夜はもう何も起きないとは思うが、万が一、今この瞬間までに何か不都合な事件などが起きていた場合、本当に取り返しが付かなくなる。
 石神様の祠には、明日の朝、全員の生存を確認してから祈りに行く事にした。


「ただいまー」
「おかえり相棒」

 201号室に戻って来ると、まだ作業を続けていた哲郎が伸びをしながら出迎えてくれた。ケイは一階の自販機で買って来た缶コーヒーを奢り返したりしつつ、座椅子に腰を下ろして一息吐いた。

「ふーやれやれ」
「お疲れ。用事は済んだのかい?」
「ああ、一通りはね。留守中、何か変わった事は?」
「不良カップルがちょっとバタバタしてた以外は特に無しかな」

 寛ぎモードに入っていたケイは、それを聞いて一気に緊張モードに切り替わる。思わず身を起こしながら訊ねた。

「哲郎、それ何時頃だ?」
「え、さ、三十分くらい前だったと思うけど……」

 ケイの剣幕に気圧されながらそう答える哲郎。彼の話によると、ドアが乱暴に開かれる音がして「おいっ! リエ!」という清二らしき怒鳴り声が響き、誰かが廊下を走り去って行ったらしい。
 足音の感じから、恐らく牧野梨絵ではないかとの事だ。

「廊下を駆け抜けていったのは梨絵だけか?」
「た、多分……その後も暫く耳を澄ませてたけど、特に物音とかも聞こえなかったし……」

 つまり、ケイと城崎の話し合いが終盤に差し掛かっていた頃、牧野梨絵と戸羽清二の間に何かがあって、梨絵が部屋を飛び出して行くという出来事が起きていた、という事だ。

「スマン哲郎、ちょっと出掛けて来る。遅くなると思うんで先に寝ててくれ」
「わ、分かった」

 ケイは念の為、昨日も使った備え付けの懐中電灯を手にとると、上着を羽織り直して部屋を後にした。

(既に日付は変わってるけど、問題の三日目はまだまだ平穏には終わりそうにないな……)

 廊下に出たケイは、梨絵と清二が泊まっている204号室の様子を探り、梨絵が戻っていないか確かめる。扉の前で耳を澄ませるが、特に物音は聞こえない。

(ここは戻っていない事を前提に動くか)

 一階まで下りて来たケイは、とりあえずサロンや食堂を見て回る。いずれの部屋も消灯していて、梨絵の姿は見当たらない。どういった理由や状況で部屋を飛び出したのかは不明だが、旅館内には居ないのかもしれない。
 外を探す事にしたケイは、玄関を出た所で一旦足を止めた。まず何処へ向かうべきか考える。

(雑木林は……明かりも無しに入って行けるような場所じゃないな)

 哲郎の話に聞くその時の様子を考えると、わざわざ明かりを用意して出て行ったとは思えない。着の身着のままで飛び出したなら、寒さも凌げる場所として洞穴辺りが一番可能性が高い気がした。

(中まで入らなくても、出入り口付近なら月や星の明かりでどうにか見えるし、行ってみるか)


 もうすっかり通い慣れてしまった海岸沿いの田舎道を小走りで駆け抜け、崖の上の丘方面と洞穴方面への分かれ道にある電柱の街灯下までやって来た。
 洞穴方面に続く道を進もうとしたケイは、ふと香水の匂いがした気がして風上に視線を向ける。

(……丘の上に人影? 梨絵か?)

 そこでピンと来る。清二は高所恐怖症であの丘の上まで来られない。それを見越して、あそこに陣取っているのではないか。
 ケイは周囲を見渡し、他に人影が見当たらない事を確認すると、丘に続く道を登り始めた。

 朝方撮影会をした場所まで登って来ると、しゃがんで震えている梨絵が振り返った。その姿に、二周目の最後に見た光景が重なる。

「何だ、あんたか……」

 梨絵は疲れた表情でそう呟くと、海の方へと向き直った。ノースリーブのワンピース姿は流石に寒そうだ。ケイは黙って上着を掛けてやり――

「うおーさっぶ!」

 ここは風が寒過ぎるので下りようと促した。

「……ぷっ、何やってんのよ」

 格好つけて上着を貸しておいて寒がっているケイに、吹き出した梨絵は肩を震わせて笑う。とりあえず、街灯の所まで下りて来る二人。
 ケイの上着を羽織った梨絵は、両手でその襟を寄せながら、おもむろに口を開いた。

「あんたさあ、さっき土手の所で……」

 梨絵は丘に向かう途中、旅館からは死角になる土手の裏側で、ケイと城崎が向かい合っている姿を目撃したと言う。

「あの人と、何してたの?」
「ああ、不倫の清算とその後の人生について相談に乗ってました」

 ケイはこの状況を『梨絵が抱える問題を聞き出す最大のチャンス』と考えた。
 単に口の軽い人間と思われては不味いが、梨絵の秘密を聞き出す為に、敢えて杵島と城崎の関係を少し明かす。杵島が既に詰んでいる状態にある事までは話さない。

「へ~、あの二人って、やっぱ不倫だったんだ?」
「ちょっと込み入った事情があるから、少なくともここにいる間は話題にしちゃダメですよ?」

 一応このツアーが終わるまで誰にも喋っちゃダメだと釘を刺したケイは、梨絵が自分の事を話し易くなるよう、彼女が今現在直面しているであろう問題をストレートに訊ねた。

「で、そっちは何があったんです?」
「……そう言えばあんた、相談に乗ってくれるって、言ってたよね」

 二日目の夜、サロンでケイが仕掛けた策が効いて来たようだ。梨絵は、遠くに視線をやりながら独り言のように呟くと、軽く息を吐いておもむろに語り始めた。

「あたしの、友達……親友の話なんだけどさ――」

 家庭に問題があった為に早くに家を出て、夜の店で働いていたその親友は、常連客だった悪い男に騙されて捨てられ、自ら命を絶った。
 その男は、親友に対して法的に罪を問えるような事はしていない。しかし、己が原因で自殺した親友の事を侮辱した。それがどうしても赦せないので復讐したいと思っている。
 梨絵はそこまで語って一息吐くと、ケイに向き直って言った。

「あたしの復讐を手伝う気、無い?」

 少し軽い調子でそう言いながら、羽織っていた上着を半脱ぎ状態っぽくずり下ろして見せた梨絵は、両腕で寄せた胸元を強調しつつ上目遣いのポーズで囁いた。

「手伝ってくれるなら、何でもしてあげる」

(そう来たか。しかしこれは……)

 誘惑という手段に出た彼女だが、その肩が微かに震えているのは寒さからか、緊張からか。少し自棄になっているようにも見える。
 復讐の協力依頼などという、なかなか物騒な相談事を持ち掛けられたケイだったが、いたって冷静に問い質す。とりあえず、今の話に出て来た復讐したい相手が、戸羽清二である事を確認した。

「その男の人って、戸羽さんという事で良いんですよね? 具体的には?」
「具体的?」

 ケイの反応があまりにも平然としていた事に戸惑ったのか、梨絵は若干素に戻って小首を傾げた。ケイは、そんな彼女の表情を注意深く観察しながら、復讐の例を挙げる。

「単に酷い目に遭わせたいとか、反省させたいとか。あるいは――殺したいとか」
「っ……」

 思わずといった様子で、息を呑んだ梨絵の表情が強張る。暫しの沈黙後、彼女は絞り出すように呟いた。

「……出来るなら、殺してやりたいとも、思ってる……」
「ふむ……」

 誘惑の演技も忘れて視線を落としている梨絵を観察した限り、その復讐心は根深そうではあるが、それほど強い殺意までは感じられない。
 恐らく梨絵は、清二を明確に殺そうとまでは思っていないのだろう。それを確かめるべく、ケイはもう少し詳しい背景を聞き出そうと質問を続ける。

「そこまで恨んでる相手と、どうしてこんな場所まで旅行を?」
「……人に見られたくなかったのよ」

 邪魔が入らないように考えたという梨絵のシンプルな答えに、ケイはなるほどと納得する。今の梨絵は、戸羽清二に気に入られる為に『傍若無人な不良娘』を演じているのだ。
 自殺したという彼女の親友が余程遠い町で働いていたならともかく、家が近かったり、地元の町での出来事だった場合は、梨絵の他の友人や知り合いに見つかる危険性が高い。
 梨絵と清二の事を知る者がおらず、手っ取り早く親睦も深められる環境を求めるなら、なるべく人の少ない閑散とした観光地に旅行するのは中々悪くない方法だと思えた。

 復讐目的で清二に近づき、自分に十分惚れさせてからこっ酷く振る。梨絵の復讐計画はその程度の内容だったのかもしれない。
 しかし、このツアー中に心中事件や、事故死に見せ掛けた殺人を目の当たりにして、本気で清二の殺害を考えるようになった――恐らくそんなところだろうと、ケイはループした前二周の流れから分析した。

(梨絵の犯行は、元々誰かに協力を求めるパターンだった? その相手が、これまでは加奈だった、という事か?)

 今回は心中事件も恵美利の事件も起きていないので、加奈のスタンガンは梨絵の手に渡らず、清二を洞穴に誘い出す計画も立てられる事が無かった。
 代わりに、清二と何らかのトラブルを起こして一人で飛び出した梨絵は、こうしてケイに協力を求めている。
 ケイは更に詳しく、何があって部屋を飛び出して来たのかを問うた。すると梨絵は、半脱ぎにしていたケイの上着を羽織り直しながら、少し顔を赤らめて言い難そうに説明する。

「あいつ……その、求めて来ちゃったから……それであたし」
「あー……」

 なるほどねとケイは察した。これまで三日目の夜に梨絵が動いていたのは、清二に身体を求められたからなのだろう。
 旅館内では声が部屋の外に漏れるので嫌だ、洞穴でしようよ等と言って誘い出し、そこで加奈に借りたスタンガンを使っていた。今回は求められ、追い詰められた梨絵は、逃げ出した。

 何事も無く平穏に、とはいかないようだが、完全に新しい流れが出来ている。死者を出す事無く全員無事にツアーを終えるという目標に向けて大きく前進した。
 ケイはそう確信する。

(それなら、多少面倒事を引き受けても構わないかな? せっかく記念撮影会で和んだ空気を崩す事になるけど……)

 梨絵にも一度殺されているケイとしては、復讐心を燻らせた梨絵をそのままにしておく方が危険だと判断した。条件さえ調ってしまえば、梨絵も殺人という行為を選択してしまえる人間なのだ。勿論これは梨絵や加奈、城崎達に限った話ではないが。

(哲郎に説明しておくのは当然として、杵島さんと城崎さん、加奈や恵美利達にも根回しが必要になるかもしれないな。まあ、とりあえず今やるべき事は――)

 ケイは梨絵の復讐がなるべく穏便に終わるよう画策し始めた。

「内容次第では手伝う事もやぶさかでは無いけど、復讐の着地点は決めてるんですか?」
「え……? ち、着地点?」

 何それ? と戸惑いを浮かべた梨絵に、ケイは手慣れた風を装いながらじっくりと説明する。

「どういう状態をもって復讐を完了とすべきか、その線引きですよ」
「そ……そんな事言われても、よく分からないわよ……」

 梨絵との会話で完全に主導権を握ったケイは、このまま思考を誘導する。

「例えば、旅行先で女を取られた情けない男という惨めな状況を作るとか、修羅場を演出して皆の前で彼が振られる形にする事でプライドを圧し折るとか、そういう具体的な方針や内容です」

 分かり易く説明しながら参考例を並べる事で、復讐内容が穏便なものになるよう選択肢を絞っていく。やるなら効果的にやった上で、後腐れの無いようきっちり終わらせる。
 尾を引くと、後々拗れて厄介な事にもなり兼ねない。

「実行中はお互いに身の安全も図らなくちゃならないし、旅館の従業員や他のツアー客にも迷惑が掛からないようにしないと」

 それを聞いてハッとなった梨絵は、神妙な表情で頷いた。

(やっぱり根は善人なんだな)

 なりふり構わず周囲の事など顧みない、という行動に出られない辺り、やはりこちらは加奈や城崎と違って、『殺意有りき』では無かったのだろう。ケイは改めてそう確信した。

「じゃあ、この後旅館に戻ってからの行動と、明日からの活動について、ある程度の方針と計画を立てておきましょう。とりあえず、私物はいつでも持ち出せるよう纏めておいてください」
「わ、わかったわ」

 テキパキとしたケイの取り仕切りにすっかりお任せモードとなった梨絵は、ケバさも目立つ『傍若無人な不良娘』な見た目とは裏腹に、とても従順な『ささやかな復讐を狙う娘』と化していた。





 丘の上から戻る道中、梨絵には旅行に来るまでの流れも詳しく聞いておいた。清二とは、ここに来る三日前に知り合った事になっているようだ。
 清二がよく訪れる繁華街などで待ち伏せして、ナンパを誘発。まんまと乗って来た清二にツアー旅行の相手を探していると偽って誘った。

「そんなあっさり誘発とか出来るもんなの?」
「ゲームセンターとかで目が合っただけで声かけて来たわよ?」

 クレーンゲームの前で所在無さげに立っているだけで、複数のナンパ師が寄って来るそうな。
 梨絵は親友関係で清二の事を知っていたが、清二は梨絵とはその時が初対面。実質、知り合って一週間も経っていない関係という事になる。

 それなら、『即席カップルが旅行先で破局した』、くらいの出来事に収められる。清二が梨絵にストーカー並みに執着しなければ、後々拗れる事もないだろう。
 ――というのが、ケイの見解であった。


 丑三つ時な深夜過ぎ。広場の祠で手を合わせるケイ。石神様が響いたのを確認すると、梨絵に声を掛けた。

「じゃあ行こうか」
「何か御利益でもあるの?」

 梨絵はハテナ顔で問う。

「まあ、願掛けみたいなもんだよ」

 ケイはそう言って歩き出すと、梨絵に次の行動を促した。
 旅館内に戻った二人は、梨絵と清二が泊まっていた204号室の前までやって来る。頷き合い、梨絵はケイに借りた懐中電灯を手に、こそーっと部屋に入って行く。
 やがて、私物を持った梨絵がそそくさと出て来た。清二は寝ていたそうだ。

「よし、それじゃあ部屋に行こう」

 とりあえず、梨絵を連れて201号室に戻ったケイは、彼女を部屋へ招き入れた。

「おじゃましまーす……」

 部屋の寝室側では哲郎が寝ているので、奥のソファーがある小部屋に案内する。時刻は午前3時を回っていた。このまま夜明けまでの数時間を過ごす。
 ケイは仮眠を取っていたので平気だが、梨絵は昨日から起きていたので眠そうだ。

「布団と毛布はこれつかって。ソファーで大丈夫?」
「うん、ありがと」

 そうして、梨絵はケイ達の部屋で朝まで眠る事になった。


 明けて翌朝。
 今日は珍しく早起きな哲郎が、寝ぼけ眼で挨拶する。

「おはよー相棒――え、なんで居るの……?」
「おはよう哲郎。ちょっと事情があってな」

 朝起きたら部屋に梨絵が居た事に、びっくりの哲郎。ケイは哲郎にも協力してもらうべく、まだソファーで眠っている梨絵の事を説明する。
 彼女の親友が昔、清二と付き合っていたのだが、女癖の悪い清二に裏切られて酷く傷付けられた。梨絵はその報復目的で正体を偽り、清二に近づいた、という内容にしておく。
 梨絵の親友が自殺したという部分は伏せた。

「そんな訳で、ちょっと戸羽さんと揉める可能性があるんだけど」
「な、何かドラマみたいだなっ」

 哲郎はそう言いながら、協力する事に快く了承してくれた。この後、加奈と恵美利にも根回しして協力して貰う予定だ。
 流石に男二人の部屋に寝泊まりさせるわけにもいかないので、彼女達の部屋に泊めて貰えるよう頼む方針で考えていた。
 そんな話をしていると、梨絵が目を覚ました。

「おはよう」
「あ……おはよ~」

 毛布に包まったままソファーから起き上がった梨絵が「はふぅ」と欠伸を出しながら伸びをする。単なる寝起きの一コマでしかないのだが『若い女性の寝起き姿』に耐性の無い哲郎が緊張していた。

 そろそろ恵美利達が部屋から出て来る頃かと、ケイは廊下に出て待機に入る。すると予想通り、お隣の203号室から加奈が現れた。

「加奈ちゃん」
「あ、曽野見さん、おはようございます」
「おはよう。ちょっといいかな」

 加奈に声を掛け、恵美利も出て来たところで二人を自室に呼び込む。
 ケイに「部屋で話したい事がある」と誘われた加奈と恵美利は最初、戸惑っている様子だったが、ケイ達の部屋に梨絵が居るのを見て『一体何事か』と思ったらしく、話し合いに応じてくれた。
 そうして、二人にも哲郎にしたのと大体同じ内容の事情を手早く説明し、協力を求める。

「へぇー、牧野さんにそんな事情が……分かった、あたしも手伝うよ」
「……私も、かまいません」

 恵美利は「ケイ君には借りもあるし」と言った具合に、結構ノリノリで手伝いを申し出た。加奈も何か思うところあってか、協力する事に反対はしなかった。

「じゃあ、みんなで朝食に行こうか」
「賛成ー」

 こうして加奈と恵美利を味方に付けたケイ達は、揃って食堂へと向かうのだった。


 食堂にやって来ると、杵島と城崎が既に席に着いていた。戸羽清二の姿は無い。ケイはこれ幸いと、年長組みの二人にも事情を話して根回しをしておく。
 配膳に来た食堂のおばちゃんも、ケイの話に興味津々で耳を傾けている。おばちゃんに情報を与えておけば、そこから旅館の他の従業員達にも伝わるだろう。
 この時、梨絵はおばちゃんに先日までの非礼を詫びていた。

「この前は、失礼な態度を取ってすみませんでした。今回また、ご迷惑をお掛けしますが……」
「いいのよー、大丈夫よー、そんな気にしなくても。癖の悪い男は懲らしめてやんないとー」

 事情を聞いた杵島が若干、引き攣っている。城崎は昨日までとはうって変わって穏やかな様子。二人ともケイ達の活動に協力する事を約束してくれた。
 といっても、杵島と城崎には特にこれという役割は無い。大人グループである彼等には、事情を知った上で見守ってくれていれば十分だ。

 その時、食堂に清二がやって来た。梨絵を見つけると、険しい表情を浮かべながら足早に近付いて来る。
 梨絵の両隣は加奈と恵美利、城崎で固められ、対面にはケイと哲郎、それに杵島が座っている。テーブルで一塊となった、グループバリアーとも言うべき全員の視線が清二に向けられる。
 そんなプレッシャーを物ともせず、清二は梨絵を連れ出しに掛かった。

「リエ、ちょっと来い」
「いかない」

 梨絵はぷいっとそっぽを向いて拒否する。すると清二は、梨絵の腕をつかんで強引に連れて行こうとした。

「いいから来いって!」
「ちょっと――放してよっ」

 力付くで席を立たせようとする清二に抵抗する梨絵。隣に座っていた加奈達が小さく悲鳴を上げて身を縮める。
 これはまずいと思ったケイが宥めに動こうとした時、杵島が立ち上がって横から清二の腕をつかんだ。

「およしなさい」
「ぁあ?! んだくらぁ!」

 俄かに物々しくなる食堂。杵島と清二の膠着した睨み合いで緊張が高まっていく。そこへ、旅館の従業員を纏める爺さんが、若い衆と共に現れた。おばちゃんに呼ばれたらしい。

「お客さん、暴れられっと困るけぇ、落ちつきゃんせ」
「……ちっ クソが」

 流石に分が悪いと悟ったのか、清二は悪態を吐きながら食堂を出て行った。緊張が解かれ、皆がほっとした様子で肩の力を抜く。

「えっと……皆さんありがとうございました」

 梨絵は、自分を庇ってくれた皆に感謝を述べた。
 恵美利と加奈は「どきどきしたねー」と手を取り合ってはにかみ合い、哲郎は「連帯感が半端無かった」と興奮気味に緊張していた。食堂のおばちゃんも「青春だわー」などと楽しそうだ。
 城崎が杵島に「素敵だった」と褒めると、杵島は満更でもなさそうに照れながらも得意になっている。家に帰れば、彼には破滅が待っている事を知るケイは、少し微妙な気分になったが。

 ともあれ、不良女の演技を辞めた梨絵の、清二との最初の接触は無難に乗り越えられたようだ。食事を済ませたケイ達は、梨絵の荷物を取りに一度201号室に集合すると、これからの事を相談し合う。
 現在201号室には、ケイと哲郎の他、梨絵と加奈、恵美利がテーブルを囲んでいる。大人組の杵島と城崎は自室に戻っている。
 部屋の女性率の高さに哲郎が緊張しているが、それはさておき――

「とりあえず、戸羽さんにはこのまま振られ男になって貰うか」

 今後はなるべく清二と顔を合わせないように立ち回る事で、相手を刺激しないよう気を付けつつ、残りの日程を平穏に終えるという方針を掲げるケイに、梨絵や加奈と恵美利、哲郎も賛同した。
 梨絵が外出する時には、必ず集団行動を心掛ける。最終日まで加奈と恵美利の部屋に泊めて貰える事になっているので、今日からは女性三人組で行動する。
 加奈と恵美利に都合が付かない時は、ケイや哲郎、もしくは杵島と城崎に頼る。

「後で杵島さん達にも話を通しておこう」
「何から何まで……お世話になります」

 梨絵はそう言って恐縮しきりだった。
 その後、今日はこれからどうしようかと予定を話し合っていると、私物の整理をしていた梨絵が怪訝な表情を浮かべて鞄の中をごそごそし始めた。気になったケイが声を掛ける。

「どうしたの?」
「え? ああ、ちょっとね……」

「何か無くなってるとか?」
「う、うん……」

 どうやら昨晩、梨絵が部屋を出て行った後、清二は梨絵の荷物を漁ったらしい。隣で聞いていた恵美利が、思わずといった感じで毒吐く。

「うわ、それさいてー」

 女性陣からの評判がますます下がっている清二。何が無くなっているのかケイが訊ねるも、梨絵は詳細をはぐらかした。

(まあ、個人の持ち物とかあまりプライバシーに突っ込むのも良くないか)

 それが生死にかかわる重要アイテムだったりするなら話は別だが、と、ケイは梨絵の無くなった私物について無理に聞き出す事をやめた。

 結局、今日は外出を控えようという話になり、皆で部屋に籠もって過ごす事に決まった。哲郎のPCにボードゲーム系のソフトも入っているので、それを使って遊ぶ。

「それじゃあ一度解散しよう。俺達は下の風呂に入って来るから、また後でここに集合って事で」
「うん、分かった」

 梨絵の事をよろしく頼むケイに、加奈と恵美利は快く引き受けてくれた。梨絵は今日からツアー最終日の明々後日まで、二人の部屋に泊めて貰う。
 加奈、恵美利、梨絵の三人がケイ達の部屋を後にすると、ケイは哲郎と連れ立って入浴道具片手に一階の大浴場へ向かった。

「いや~、この旅行で相棒と知り合えてほんとに良かったわ~」

 哲郎は「今まで生きて来た中で最も充実した時間を送れている気がする」と上機嫌だ。
 これまでは家でも旅行先でも一人で行動するのがほとんどで、女性グループと同じ部屋でゲームをして楽しむなど、もはや別世界の領域だという。

「まさかのリア充デビュー! 持つべきは高レベルコミュスキル持ちの友!」
「ははは、でもあんまり浮かれて羽目外し過ぎると、スベるぞ~?」
「それは怖い」

 そんな調子で哲郎と会話を楽しみつつ、ケイは久方ぶりにゆったりした時間を満喫出来た。何せ、ループを含めてここ数日、ずっと気を張り続けていたのだ。流石に精神的にも疲労が溜まる。
 ようやく一段落つけたという事で、少々長湯をして大浴場を後にした。


 ケイと哲郎が大浴場から戻って来ると、恵美利と加奈がケイ達の部屋の前でうろうろしていた。加奈がこちらに気付き、隣に立つ恵美利に声を掛ける。

「恵美利、曽野見さん達戻って来たよ」
「ああ、ケイ君!」
「加奈ちゃん、恵美利、どうしたの?」

 少し焦っている様子の二人に、ケイは嫌な予感を覚える。そして、その予感は当たっていた。

「牧野さんが――」

 梨絵が清二に連れ出されたらしい。恵美利の話によると、部屋で梨絵を含め三人で過ごしているところへ、清二が訪ねて来たという。
 応対した梨絵と何事か小声でやり取りをした後、二人で出掛けて行ったそうだ。加奈がその時のやり取りを少し聞いていた。

「微かにですけど、『お前、ヤナセの――か?』と訪ねているのが聞こえました」
「ヤナセ……? 人の名前か何かかな」

 覚えの無い名称が出て来た事に、ケイは困惑する。

(もしかして、梨絵の自殺した親友の名前とか……?)

 何れにせよ、あまり良い状況とは思えない。ケイが後を追う事を告げると、加奈と恵美利が手掛かりを教えてくれた。

「二人は海岸線の道を真っ直ぐ進んでました」
「あたしら、外の階段から見張ってたの」

 梨絵が連れ出された後、恵美利達は非常階段の踊り場からこっそり見張っていてくれたそうだ。足取り情報に礼を言ったケイは、入浴道具を哲郎に預けて直ぐさま駆け出した。


 旅館を出たケイは、二人が向かう先を推察する。丘の上には登れない筈なので洞穴、もしくは海岸沿いの道の、右側に広がる雑木林か。

 砂浜海岸には人影が無い事を確認しながら洞穴まで行ってみたが、誰も居なかった。
 ならば雑木林かと海岸沿いの脇道から踏み入り、旅館前までの小道を辿って来たものの、二人の姿は見つからなかった。
 もう一度雑木林の小道を戻り、奥に踏み入れられそうな場所が無いか探して歩く。

(確か、城崎さん達が心中してた場所がある筈だ)

 ケイの推測では、一周目の心中事件の現場で恵美利が死んでいたのは、加奈と恵美利がその場所を見つけたからだと見ている。つまり、二人が見つけられる程度には分かり易い道がある筈だと考える。
 小道の右側に注意しながら進んでいると、海岸線の脇道から入って直ぐの場所に、獣道のようになっている部分を見つけた。先程は小道の先ばかり見ていたので見落としていたようだ。
 よく観察して見れば、道を覆う背高草が所々折れている。人が通った痕跡のようだった。獣道に分け入り、薄暗い雑木林の奥へ進んで行くにつれて、何処からか生臭いニオイが漂って来る。

(……血のニオイか?)

 暗澹たる気分になりながら草を掻き分け、進む事しばらく。少し奥まった辺りで、開けた空間に出た。

(居た……けど――)

 そこには、血濡れでうつ伏せに倒れている梨絵の姿があった。ゆっくりと近付き、周囲を見渡す。清二の姿は見当たらない。近くに潜んでいる可能性もあるが、ケイは特にそちらは警戒せず、梨絵の容態を調べた。

「ひどいな……」

 既にこと切れている梨絵は、頭部が砕かれており、凶器に使われたと思われるソフトボール大の石がめり込んだままになっている。
 大きく争ったような跡は見られないが、梨絵の遺体の周囲には幾つか小物が散乱していた。梨絵の手元に、財布か手帳のような物が落ちている。

(ん、これは?)

 よく見れば、それは定期入れだった。表面には『藍澤愛美』と名記されている。開いて中を確かめると、都内の電車の定期券の他に、仲良く並ぶ姉妹のような女性二人の写真。
 片方は梨絵によく似ているが、写真には『愛美&絵梨香お姉ちゃん』と書かれている。

(姉……家族の写真? しかし藍澤?)

 他に何か書かれていないか調べてみたが、定期券とこの写真の他には特に何も見つからなかった。"ヤナセ"というキーワードも見当たらない。

(どういう事だ?)

 梨絵はなぜこの場所まで清二に付いて来たのか。何を聞いて連れ出されたのか。そもそも、ここまでのループで見てきた限り、清二は意外と小心者である印象が強かった。
 例え梨絵が報復目的で近づいていた事を知ったとしても、それで腹いせに殺人を犯すような人間だとは思えない。それも、ここまで残虐な方法で。

(突発的な行動、と考えられなくもないが――)

 ケイがそこまで考えた時だった。背後で茂みが揺れる音がして落ち葉を蹴る足音が迫り、後頭部に衝撃が走った。相手は確かめるまでもない。
 避ける気も無かったケイは、そのまま前のめりに倒れる。その際、足元に見えた靴やズボンから、背後の襲撃者が清二だと確認出来た。

「お前もっ! お前が――」

 錯乱や狂乱と言えるような清二の喚き声を聞いたのを最後に、ケイの視界が暗転した。


 意識が遠退く。

 石神様が木霊する。

 混濁した意識が覚醒を始め、暗闇に浮かび上がる無数のぼんやりとした光は、やがて枝葉の隙間から見上げる星空に定まる。微かな夜風と、月明かりに照らされる冷えた地面の感触。
 その時、頭上から梨絵の声が響いた。

「ちょっと!? どうしたの、大丈夫!?」

 突然倒れたケイに、驚いた梨絵が駆け寄ったのだ。ここは三日目の深夜過ぎに訪れた、広場の祠前である。

「ああ、大丈夫」

 とりあえず起き上がったケイは、頭に付いた落ち葉を払いながら考える。
 梨絵と清二の関係の他に、梨絵のプライベートな人間関係についても、把握しなければならない情報があるようだ。

「じゃあ行こうか」
「え? う、うん……あんた、ほんとに大丈夫なの?」

 梨絵に心配されたりしつつ、彼女の私物を確保しに204号室へと向かうケイは、この後の行動予定を再構築すると、梨絵を救う為のシミュレートを始めていた。




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