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限界集落ツアー編
三周目
しおりを挟む三回目となるツアー初日。ケイは予定通り旅館側のミスで哲郎と相部屋になると、201号室に向かいながらこれから取るべき行動を思案していた。
今回のツアーは、思った以上に訳ありの人々が集まってしまった、ややこしい状況なのかもしれない。
(前回、前々回の流れではダメだ)
恵美利、加奈の二人とはもっと親しくなって、彼女達の間に潜む問題を探り出す。同時に、不良カップルとも接触の機会を増やし、特に"リエ"についての詳しい情報が必要だ。歳の差カップルの事情も知っておかなければならないだろう。
社交的な参加者を装い、全員と最低一回の会話を試みる。帳簿から名前なども把握しておき、覚えている限りの情報を参考に、効率よく接触して周る。
そうして各人の行動に思い切った干渉をする事で、違う流れを作り出す。
(とりあえず、この方針で行くか)
ケイの記憶と経験の上では、既に六日余りが経過する。すっかり通いなれた201号室の扉を開けながら、まずは初対面の哲郎と挨拶を交わすのだった。
「おおー、PCで旅の日記ですか。良いカメラお持ちですね、高そうだ」
「え、ええまあ……一応、二十万クラスです」
最初からフレンドリーに話しかけ、ネット環境をネタに会話を繋ぎ、デスクトップの壁紙を褒めて好感度アップ。手早く哲郎との親睦を深めていく。
ふと窓の外に視線を向けると、砂浜海岸へ向かう道に歳の差カップルを見つけた。夕方までにはまだ時間がある。
(初日で会える人には全員に会っておくか)
ケイは「ちょっと他のツアー客と親睦を深めて来るぜー」と言って部屋を出る。哲郎は「行動派だなー」と面白がっていた。
砂浜海岸に下りる土手までやって来ると、歳の差カップルの言い争うような声が聞こえてきた。ケイは土手を挟んだ向かい側に潜んで、そっと耳を欹てる。そこでは男女の修羅場が繰り広げられていた。
「来る前にちゃんと約束したじゃないか」
「別れたくない」
「だから、ちゃんと話しただろう?」
「別れるのはイヤ」
彼等のそんなやり取りから、ケイは大体の事情を推察した。どうやら、この旅行を最後に別れる約束をしていたが、女性側がそれを反故にしようとしているらしい。
女性、城崎志津音の『別れたくない』の一点張りに、男性、杵島幸浩は『約束が違う』と困っているようだ。
「奥さんと別れればいいじゃない!」
「だから、それは出来ないと言ってるじゃないかっ」
前々回から不倫旅行疑惑はあったが、これで確定した。
(なるほど。この二人は、初日から人気の無い場所でこんな風に揉めていたのか……)
食堂に見る彼等の奇妙な様子や、三日目に起きる心中という結末の裏事情に納得する。二人の噛み合わないやり取りにしばらく耳を傾けていたケイは、会話が途切れて沈黙したのを見計らい、ぶらりと歩み出た。
件の二人は、人が来た事でさっきまでの痴情のもつれ感を取り繕おうとする雰囲気が見られる。ケイは先程のやり取りの印象から、与し易そうな男性の方に話しかけた。
「ツアーの方ですか?」
「え? ああ」
男性は急に話し掛けられて戸惑いながらも会話に応じ、女性は『誰だろう?』といった雰囲気の視線で様子を窺っている。
「そうですか。俺、今日の昼に到着したんですよ。ここは静かで良い所ですねー。何もないですけど――」
適当にまくし立てるように喋って二人の気を引いたケイは、去り際に自分を印象付けるべくネタを仕込んでいく。
「それじゃあ杵島さん、俺は先に戻りますんで」
「え? どうして僕の名前を……」
「おっと、ふふ」
「……っ!?」
ニヤリと笑みを返したケイに、杵島は『まさか!』という表情を浮かべて動揺した。城崎はそんな杵島を見て小首を傾げている。
(この反応から察するに、杵島さんは俺を興信所とか探偵の関係者と思った可能性があるな)
ケイは目標の人物に対して、何でも良いから自分に注意が向くようにする事で、接触の機会を増やそうと考えていた。
最初の広場でのやり取りで恵美利には『怪しい』と思われているが、加奈には『社交的』という印象を植え付けた。哲郎には『行動派』のイメージを持たせている。
歳の差カップルには、今後『興信所関係者?』を匂わせる言動で気を引く事になりそうだ。
(不倫関係の知識がもう少し必要だな)
旅館に戻ったケイは、他に声を掛けられそうな相手は居ないかと玄関ホールを見渡した。
(不良カップルはうろついてないな)
"リエ"と"セイジ"との接触は夕食時とそれ以降になりそうだ。階段前までやって来ると、恵美利が廊下の自販機でジュースを買っていた。これ幸いと、ケイは早速アプローチする。
「やあ」
「……」
軽く声を掛けるも、あからさまに無視された。今はまだ『怪しい人』と思われているので、恵美利の態度は想定内。まずは彼女の気を引く一言を放って反応を見る。
「初心者の引率、お疲れさん」
「!?」
恵美利は、無視をするために繕っていた無表情を崩すと、『えっ?』という驚いた顔で振り返った。前回、恵美利と加奈から聞いた台詞――
『こういうツアーには以前から興味はあったんですけどね。私、一人で旅行とかしたことなくて』
『……加奈が、熱心にパンフレット見てたから。あたしに出来る事をしてあげたいなって、思ったのよ』
――あの言葉を参考にしたケイの一言は、恵美利がこのツアーに参加した経緯をピンポイントで突くものだった。思いのほか良い反応が得られたので、ケイは固まっている恵美利に謎の『余裕の笑み』を返して食堂へと向かった。
恐らく恵美利の頭の中では、ケイの言葉の意味について疑問が渦巻いている筈だ。自分と加奈の姿は、傍から見れば旅行初心者の加奈を自分が引率しているように見えるのか。あるいは、自分が知らない間に加奈とケイに話す機会があって、加奈から何か聞いていたのか。
もしくは、実はケイは以前から自分達を観察していたストーカーで、旅行先まで追って来た危険人物か――等々。
(まあ、最後の例ほど飛躍はしないだろうけど)
これで、恵美利はケイが何者なのか気になり始めるという寸法だ。加奈とも話し合うと思われるので、二人の注意をこちらに向ける事が出来る。
勿論、好印象を持たれた方が良いに決まっているのだが、今回はこのツアーで死亡者を出さない事を第一目標にしているので、悪印象でも構わない。
皆が無事に帰れるように、ここ六日分の記憶と経験を参考に、ケイは身近な他者の人生に介入する。
食堂にやって来たケイは、おばちゃんにツアー客は全部で何人いるのかなど、適当な話題を振って会話の糸口を掴むと、雑談に持ち込んで親睦を深めた。
歳の差カップルの不倫疑惑についても、先程の砂浜海岸で見た言い争いの情報をちらっと明かす事で、疑惑に信憑性を増してやる。そういった噂話に目のないおばちゃんの、ケイに対する好感度はうなぎ昇りに上がっていった。
そうして、口の軽くなったおばちゃんから色々と情報を引き出すのだ。
「そう言えば、もう一組の若いカップルとはまだ会ってないですが、名前は何て言うんです?」
「ああ、戸羽さんと牧野さん? あの人達はね~――」
といった具合に、不良カップルの正確な名前が明らかになった。
(戸羽 清二さんと牧野 梨絵さんか……今日はこんなもんかな)
おばちゃんとの親睦も深められたし、ツアー客全員の名前も把握したので、ケイはそろそろ雑談を切り上げて部屋に戻る事にした。
「おっと、大分話し込んじゃいましたね。それじゃあまた、夕食の時はよろしく」
「はいはい~、おいしい料理つくったげるわよ~」
良い話し相手が出来て上機嫌なおばちゃんと別れ、ケイは201号室に戻って来た。
「おかえりー。随分遅かったね?」
「ああ、何かいきなり男女の修羅場に出くわしたよ」
哲郎に砂浜海岸での出来事を掻い摘んで話し、あのカップルは不倫旅行なのかもしれないと説明すると、哲郎は「まじでー」と話に乗りつつ、PCを弄り始める。ケイは、前回や前々回の記憶から、哲郎との交流の中で聞いた有用な情報を思い起こしていた。
(確か、哲郎のPCには修羅場スレとやらのログが入っていた筈だ)
「そう言えば哲郎、ネットに"訳ありの人達"の体験談を纏めたサイトとかがあるんだってな」
「ああ、修羅場スレとかそういうのがあるよ。いくつか面白かった記事はオフラインで読めるように保存してあるけど、読んでみる?」
「読む読む」
哲郎が保存していたネットサイトのログから、主に不倫関係の記事を読む。慰謝料の話や不倫を働いた者に訪れる破滅。再構築する者や離婚する者達などの知識を得る。
(この情報はもっと早く知っておくべきだったかな)
もしまた次のループに入るような事になった場合に備えて、ケイは色々な参考知識を頭に入れておこうと、それらのログを読み漁った。そんな記事の中には、本当に復讐をしてやったという項目などもあった。
いじめへの復讐、もてあそばれた女の復讐、浮気相手への復讐。様々な恨みを持つ人々の悲壮と憤怒が入り混じった復讐劇が綴られていた。
(ふむ、復讐か……)
やがて夕刻になり、ケイは夕食を取りに行くべく哲郎と部屋を出る。
「随分熱心に読んでたなぁ」
「ああ、中々面白いな、あのサイトの記事」
「でしょ、でしょ? 自分が体験したいとは思わないけど、やっぱノンフィクションって部分で惹きつけられるよ」
「確かにね」
中には創作も多分に含まれているであろうが、まさに"事実は小説より奇なり"のことわざの如し。リアルな体験談は面白いと哲郎は語った。
そんな話をしながら食堂にやって来ると、まず加奈と恵美利が視界に入った。ケイに気付いた加奈がこちらを向く。その視線につられて、恵美利も振り返った。二人とも『あっ』という表情だ。
ケイが片手をあげて挨拶すると、加奈は静かに会釈する。恵美利には困惑顔を浮かべられるも、無視はされなかった。
「あれ、ケイってあの子達と知り合い?」
「んにゃ、ちょっと挨拶しただけ。単なる同じツアー客ってだけだよ」
適当な席に着いたケイは、歳の差カップルからも視線を向けられている事に気づいた。なので、そちらにも片手をあげて微笑む。彼等は二人とも会釈を返した。ケイは声を潜めつつ、隣に座る哲郎に囁く。
「さっき話してた修羅場の二人な」
「ケイってコミュ力高いのなー……」
哲郎が何だか感心している。不良カップルはまだ傍若無人な振る舞いを見せていないので、哲郎にリア充カップル認定されていた。
(あの二人に近づくのは、今夜か明日辺りからだな)
イチャついているところへ割り込んで親睦を深めるのは難しい。先にどちらか片方と知り合いになる必要があるだろう。
そんなこんなで時刻は18時になろうかという頃。夕食を終えたツアー客は、それぞれ自分達の部屋へと引き揚げる。ケイは、部屋へ戻る哲郎に『旅館の施設巡りをするから』と言って、一人で行動を開始した。
(今日の内に出来る事はやっておかないと)
ケイは誰かと遭遇する事を期待しながら、しばらく旅館内を歩き回る。ついでに前回、前々回で利用しなかった施設など、旅館のまだ見ていない場所にも足を運んで建物の情報を補完しておく。
(ここは従業員も使えるトイレか)
二階のトイレはお客様専用で、高級ホテルにあるような落ち着いたデザインの内装だったが、一階の共用トイレは学校施設のトイレそのままな雰囲気だ。
突き当たりにある奥の窓から外を窺うと、旅館の裏口と繋がる小道が雑木林まで伸びている。広場側にある多少整備された散歩道に比べれば、いかにも田舎道といった趣があった。
現在時刻は18時50分。すっかり陽も暮れており、街灯の無い小道の先は真っ暗で何も見えない。
(人目を避けて雑木林に出入りできそうな道だな……)
と、その時、誰かが階段を下りて来る足音が聞こえた。急いでトイレを出たケイは、階段の方を窺う。下りて来たのは、歳の差カップルの男性、杵島 幸浩だった。女性の姿は見えない。
サロンに入って行ったのを確認したケイは早速、彼との接触を試みた。
「こんばんは。気晴らしですか?」
「あ……やあ、まあ」
カウンターの席でグラスを傾けていた杵島は、ケイに声を掛けられて一瞬目を見開くと、曖昧に答えた。どこか戸惑うような、警戒しているかのような雰囲気を纏っている。
ケイはそんな彼の様子を注視しつつ、サロン内を見渡して他に客が居ない事を確かめると、他愛無い話題を続けた。ここのバーはお酒もセルフサービスなので旅館の従業員も居らず、誰かに会話を聞かれる心配は無い。
「ここはバーと兼用なんですねー」
「……何か、飲みますか?」
「いえ、これでも未成年なもので。それに――」
杵島が会話に応じる姿勢を見せたところで、ケイはカマかけの言葉を紡ぐ。
「酔って判断を誤ると、家族を泣かせる事にも成り兼ねませんからね……」
「……っ」
その言葉に、杵島は一瞬ギクリとした反応を見せた。そして若干、声を震わせながらケイに問い掛ける。
「なぜ、僕の名前を?」
「たまたまですよ。特に調べたわけじゃないです。ある人に教えて貰った、と言えるかもしれませんけどねぇ」
ケイの煙に巻くような答えに、業を煮やした杵島はストレートに訊ねてきた。
「……妻ですか……? それとも、妻の両親とか……」
「うん? 何の話です?」
「とぼけないで下さい! あなた興信所の人でしょう? 僕と、彼女の事を調べに――」
「杵島さん、落ち着いてください」
ケイは、今ので自分が彼にとって『不倫関係を知る人物』になったと内心でチェックを入れると、この情報を活用して彼等の『理解者』という立場を確保するべく画策する。
「杵島さんの事情は何となく分かりましたが、俺は探偵じゃありませんよ。それに、興信所の人間が調査する相手に話しかけたりするわけ無いじゃないですか?」
「あ……そ、そう、ですよね……すみません」
杵島を落ち着かせたケイは、今日の昼間に砂浜海岸で見た『城崎 志津音』とのやり取りについて話題を振った。
「何かトラブルが起きているなら、問題解決に向けて相談に乗りますよ?」
「相談、ですか」
戸惑う杵島に対し、ケイはまずインパクトのある忠告をする事で彼の関心を引き付け、主導権を握る。
「とりあえず、城崎さんと二人きりの時は、あまり人気の無い場所へは近づかないようにした方がいいですね」
「え、そ、それは……どういう」
いきなり不穏な事を言われて困惑する杵島。ケイは哲郎のPCで読んだログの内容を参考に、あくまでもうろ覚えの知識、聞きかじりだと主張しながら、不倫に纏わる様々な『実例』を語って聞かせた。いずれにしても、過ちは清算しなくてはならないとも諭す。
「城崎さんがその気になれば、杵島さんの御家族に隠し通すのは難しいでしょうし」
「でも、彼女も初めはただの遊びだって言ってたんですよ……なのに何でこんな」
この旅行を最後に別れる約束だったのに、別れてくれない。家庭にも知られたくない。どうしたらいいんだろう。杵島はそれを繰り返すばかりで、自身の問題に向き合っていないように感じる。
(あまりいい印象は抱かないな……)
ケイは若干呆れつつも、とりあえず『人気の無い場所へ二人きりで近づかないように』と、繰り返し釘を刺しておく。
「雑木林みたいな場所は思いつめて変な気を起こし易いから、特に気をつけて下さい。なるべく近くに人が居る場所で過ごすようにしましょう」
「わ、分かりました」
これで三日目の心中を防げるかは分からないが、ケイはひとまず『杵島 幸浩』の相談に乗る事で、確定している悲劇の一つを取り除く下地を作った。後は『城崎 志津音』とも話す事で、彼等の心中の完全回避を目指す。
まだしばらく晩酌を続けるという杵島と別れ、ケイはサロンを後にして部屋へと戻った。
「おかえりー、今回もまた随分遅かったね」
「ただいま。ちょっとサロンで人生相談やってたんだ」
「え? なにそれ」
「実はさ――」
哲郎に土産話を聞かせつつ、ある程度の情報を知っておいて貰う。今後、他の人達とも交流を通じて様々なトラブルが予想される。確実に味方と判断できる相方が居た方が動き易い。
こちらの都合で協力者の立場に引っ張り込むのは心苦しいが、このループツアーの中で最も信頼できる相手が哲郎しか居ないのだ。
ただ無事に帰るというだけなら、杵島達の心中や恵美利の死、そして恐らく不良カップルにも起きるのであろう何らかの事件を全て無視して、我関せず大人しくしていればいい。
(だけど、自分に出来る事がありながら、何もせず後悔するのはゴメンだ)
自分にしか出来ない事、この『時を繰り返す能力』で、出来うる限りの事はやっておきたい。昔、この能力を明確に自覚した時に誓った"想い"だった。
「哲郎は明日からどうする?」
「ボクは砂浜海岸とか洞穴を撮影して回る予定だよ」
「そっか、じゃあ俺も付き合っていいか?」
「おーけーおーけー、何も問題なっしんぐ」
哲郎と明日の撮影に付き合うところまで話を進めたケイは、予め「洞穴から回ろう」と提案しておく。『二周目』の時と同じく、理由には『出会いの予感』を挙げた。
今回は哲郎に『行動派』と認識させ、特に人と接する機会作りに積極的な姿を見せていたので、違和感無く受け入れられた。
こうして、ケイは明日からの悲劇回避と問題解決、幾つかの謎の解明に向け、下準備的に動き回る長い初日を終えたのだった。
二日目。
「哲郎ー、朝飯に行くぞー」
「うー……いま行くー……」
恒例の低血圧な哲郎起こしで始まる二日目の朝。これから食堂に向かうべく、時計を確認して部屋を出たケイは、廊下で恵美利を待っている加奈に軽く声を掛ける。
「やあ、おはよう。君達も今から朝食?」
「あ……お、おはよう、ございます。これから食堂に、向かうところです……」
加奈はおっかなびっくり、ケイのアプローチに応じる。と、そこへ、狙い通り恵美利が遅れて現れた。
「はにゃー? あひゃひのふりっふひら――……っ!?」
髪留めのゴムをくわえ、頭の後ろに髪を纏めていた恵美利が、ケイを見てギクリと固まる。
ケイはそんな恵美利に対し、若干目を細めながら軽く表情を緩める、という『見守るような微笑み』を意識して作りつつ、おはようの挨拶をした。そうして恵美利が戸惑っている間に、部屋から出て来た哲郎と連れ立って食堂へ向かう。
二日目最初の恵美利達との接触ポイントを無難に回収したケイは、哲郎に『さっきの女の子達と仲良くなれるかもしれないぞ』等と吹き込んでおく。ここは前回の流れを参考にした。
哲郎が彼女達と仲良くなる事に期待と興味を持ってくれれば、これからの活動で恵美利達と行動を共にする理由も作りやすい。そんな風に下地を整えながら、次の接触ポイントとアプローチ内容を模索する。
(さて、今日は初日以上に忙しくなるな。気を抜かずに行こう)
食堂では焼肉を所望する清二と梨絵が旅館の食事を貶し、哲郎に不良カップル認定された。この辺りは今まで通りの流れだ。
ケイは席に着きながら食堂内を見渡し、ツアー客全員の様子をざっと確認。歳の差カップル改め、不倫カップルの姿を見つけると、こっそり彼等を窺った。観察した限り、前回までのような奇妙な雰囲気は感じられない。杵島は至って普通にしており、むしろ城崎の方に戸惑いの色が見られた。
やがて食事を終えて席を立ったケイは、杵島と目が合ったので軽く会釈する。すると、杵島も少し笑みを返した。
(やっぱり例の変な雰囲気は消えてるな)
恐らく、前回までは前日から昨晩や今朝に掛けて、杵島を萎縮させるような修羅場が城崎との間であったのかもしれない。今回は杵島に『ケイ』という『秘密を知る相談相手』が出来た事で、杵島の気持ちに余裕があるのだと思われる。
ケイのそんな推察を裏付けるように、ケイと杵島のやり取りを見た城崎が訝しむような表情を浮かべた。
(あの様子だと、城崎さんから何らかのアプローチが仕掛けられる可能性もあるな)
いきなり刺される事は無いと思いたいが、彼女と話す時は杵島と同じく、人気の無い場所は避けた方がよいだろう。ケイはそんな事を考えながら、哲郎と連れ立って部屋へと戻る。そして食堂から出る直前に、ちらりと恵美利達の様子を窺った。
「っ!?」
ぼーっとケイの姿を目で追っていた恵美利は、ケイと目が合ってしまい一瞬硬直する。この食事中、ケイは彼女達にあえて視線を向けずにいた事で、向こうからこちらを長く観察するよう仕向けておいたのだが、上手く噛み合ったようだ。
ケイは、固まっている恵美利にニコッと笑みを向けてから食堂を後にした。
(一応、こっちの事は気になってるみたいだな……とりあえず、次は洞穴でのイベントだ)
今回は恵美利、加奈との触れあい方が、前回までとはかなり違っている。洞穴で会っても恵美利が直ぐに離れるかもしれないので、逃がさないようにしなければならない。
自身に対する心証が、良い方と悪い方のどちらに寄っているか。好印象であろうが、悪印象であろうが、とにかく『何か気になる』と思わせられれば、付け入る隙は見出せる。
部屋に戻ったケイは、さっそく哲郎と出掛ける準備を済ませた。
「よーし、じゃあ撮影にいくか」
「おーう」
哲郎には昨晩の内に『撮影する場所に関連する画像を用意しておけば、そこで出会った人と親睦を深めるアイテムになるぞ』と提案して、洞窟画像をカメラに仕込ませておいた。
上手く前回の流れに入る事が出来れば、役に立つ筈だ。
砂浜海岸を見渡せる土手の上の道を進み、崖上に続く分かれ道を過ぎて洞穴の入り口に到着。辺りを見渡せば、道を挟んで反対側に雑木林が広がっている。
(一度、ここから旅館までのルートも調べておいた方がいいかもな)
撮影を始めた哲郎の後に続き、波の打ちつける音が響く洞穴に入る。崖の下を砂浜海岸側に向かって、ぐるりと回り込むように伸びる洞穴は、海側や天井付近にも横穴が空いているので、入り口から奥まで、結構明るい。
横穴から外の景色を見ていたケイは、一番奥まで来たところでふと、天井の穴から崖の先端が見えているのに気付いた。
(そう言えば……前回は、あそこから落ちたんだな)
梨絵にスタンガンを当てられ、あの時『謎の光』の正体を見たと確信したのだが、前回の時も前々回の時も、部屋から見えた光の位置はもっと下だった。
(洞穴の中でスタンガンを使った?)
その光が、洞穴の横穴から漏れた、という事なのかも知れない。ケイが後で検証してみようと考えたその時――
「わー、もっと真っ暗かと思ったけど、こういうのもいいね」
「なんだか抜け道みたいね」
洞穴内に恵美利達の声が響いた。
(来たか……上手くやらないとな)
ケイは軽く深呼吸をすると、振り返って彼女達が現れるのを待つ。やがて、恵美利が壁や天井を見渡しながら、この最奥の空間にやって来た。
「ここって、一番奥は――あ……」
「やあ、来たね」
と、ケイはここで二人と遭遇したのは当然の事であるかのような態度を装いつつ、話し掛ける。問答無用で逃げられないようにするためには、こちらに対する興味や疑問を懐かせて、答えを欲する状況を作り出せば良い。
「君達が来るのは分かっていた」
「え? ど、どうして……?」
まるで、映画やドラマのワンシーンのようなシチュエーション。インパクトを狙い過ぎて気味悪がられてしまっては元も子もないが、恵美利の性格を把握しているケイは、初日のアプローチで自分の事が気になるよう関心を引く下地を作っておいた。
彼女の好奇心を刺激し、興味と疑問で警戒心を塗りつぶして会話の糸口をつかむ。恵美利と加奈の中で、『彼は何者なのか』という気持ちが膨らんでいく。
一方、女の子二人組との突然の遭遇で『本当に出会いが!』とテンパっていた哲郎も、ケイが何を言い出すのか注目していた。
ケイはこの微妙に高まった緊張感を感情の揺さぶりに利用するべく、オチを放って突き崩す。
「だって、ここって砂浜海岸か洞穴くらいしか観光するところ無いからね」
「……へ?」
「ぶっ」
そんなオチだったのかと哲郎が吹き出すと、一瞬ぽかんとなっていた恵美利達も肩の力が抜けたらしく、和んだ空気を醸し出している。気が緩んだ今がチャンスと、ケイは二人を会話の流れに引き込んだ。
「君達二人は……クラスメイトかな? 幼馴染っぽい感じもするなぁ」
「え!? すごいっ 両方当たってる……」
思わず目を丸くする恵美利に、ケイは少しおどけて場の空気をさらに軽くする。
「え!? 俺すごいっ 適当に言ったのに」
「ちょっ……」
今ので、恵美利はケイに対して『別に自分達の事を知っている訳ではないらしい』と認識した。それによって恵美利が気持ちに抱えていた幾ばくかの不安が軽減し、警戒心が緩和される。
「もしかして……あの事も適当に言ったの?」
「うん? どの事?」
「その……引率って」
昨日、ケイが自販機前で仕掛けたアプローチがかなり効いていたらしい。恵美利はあれからずっと気になっていたようだ。
(よし、上手く会話が繋がった)
ケイは、ここまでとにかく彼女達の気を引く事を前提に行動していたが、ここからは親睦を深めていく方針にシフトする。相手をリラックスさせられるよう、おどけた振舞いを続けた。
「あー、うん、ふふん、いや、あれはどうかなぁ」
「……絶対テキトーだ」
どうやら恵美利は、ケイが『自分と加奈の関係を知っている人物かもしれない』事を不安に思っていたらしい。ケイの対応からその可能性が否定されて、安堵しているように感じられる。
(やっぱりこの二人のプライベートに触れる時は、慎重に進めないとな)
とりあえず、ケイは哲郎と相部屋になった経緯をネタに、哲郎と加奈も会話に引っ張り込んだ。ケイと恵美利が話している間、大人しい加奈は黙って成り行きを見ていたし、女の子と話す機会に恵まれない哲郎はオロオロしていたので、自発的なコミュニケーションは期待出来ない。
互いに自己紹介を済ませた後は、哲郎のカメラに仕込んでおいた洞窟画像の閲覧も含めて、前回と大体同じ流れになった。
その後、洞穴を観光する恵美利達と別れたケイ達は、砂浜海岸の撮影に向かう。
「いや~相棒マジすげーわ。カメラに画像仕込んどく策とかバッチリ決まってたし、尊敬するわ」
「ははは……今回はたまたまだよ」
哲郎は「これが高レベルコミュスキルか」と感嘆していたが、ケイは内心で罪悪感にも似た感傷を覚えていた。
(どちらかというとこれ、チートにあたるんだよなぁ)
既に二回もやり直して三回目なのだから、上手くいく率は高くて当然なのだ。だからこそ、悲劇を回避して、このツアーを穏便に終わらせたい。
ケイは気持ちも新たに、次の行動を模索する。
(次は昼食後だな。撮影会の誘いはどうするか……今回は他の人とも接する必要があるし……)
今回は恵美利と加奈にばかり集中するわけにはいかない。あまり予定を入れると、柔軟に動けなくなる。自身の行動枠を固定してしまわないよう、上手く調整していくしかないだろう。
そうして昼頃には旅館に戻り、昼食を済ませて哲郎は部屋でPC作業中。取り合えず部屋を出たケイは、ここからの行動を選択する。
前回は遊戯室の窓から広場を散歩している恵美利を目撃し、その後、大浴場の出入り口でお風呂上りの加奈と遭遇、話をして部屋まで送った。
(あの時は、加奈と仲良くなれたと思うけど、特に有意義な情報は得られなかったよな)
前回の、加奈の恵美利に関する言動が、前々回の時と違っていた事も気になる。その辺りの情報の正否を明確にしておくためにも、今回は恵美利から情報を得ようと考えた。
お風呂上りの加奈はスルーする方針で、ケイは大浴場のある廊下を避けて裏口から表に出ると、旅館前の広場に向かった。
落ち葉の積もる広場をぶらぶら歩く恵美利に近づいたケイは、さっそく声を掛ける。
「恵美利」
「あ、ケイ君……」
背を反らすように首を向けて肩越しにケイを認めた恵美利は、後ろ手に結んで立ち止まりながら、くるりと振り返った。斜めに崩した姿勢が女性独特のラインを描き、可愛らしさを醸し出している。
「散歩?」
「うん、まあ。……ケイ君ってさ、誰でも名前で呼ぶの?」
少し目を逸らしながら訊ねる恵美利に、ケイは一瞬、内心で『しまった、馴れ馴れし過ぎたか』と焦るも、恵美利に対する二つの認識を明確にするチャンスかと思い直す。
すなわち、『男癖が悪い』のと『男っ気が無い』、どちらが正しい恵美利像なのか。
「名前で呼ばれるのは嫌?」
「別に嫌じゃないけど、何か照れくさいよ」
「ふむ」
それなら呼び方を変えようかと、試しにちゃん付けで呼んでみる。
「恵美利ちゃん」
「……なんか、ちがう?」
「だね、違和感が半端無い。"加奈ちゃん"は違和感ないのに」
「あははっ、加奈は確かに……――」
言いかけて出てこない恵美利の言葉を、ケイが補足する。
「子供っぽい? もしくは可愛いか。いや、両方かな?」
「なぁに? ケイ君、加奈に気があるの?」
「ははは、そういう訳じゃないけど。しっかりしてそうに見えて、ちょっと危なっかしい感じもするんだよね、あの子」
「危なっかしい?」
小首を傾げる恵美利に、ケイは例の『引率』をネタにして話に引き込む。
「引率って言い方したのはさ、恵美利は慣れてる感じがしたからなんだ」
「え?」
「昨日、自販機の前で言った事だよ。朝の洞穴の時はちょっと濁したけど」
初日に広場の祠前で初めて会った時、加奈は自分に対して無用心に声を掛けていた――と、あの時、警戒を怠らなかった恵美利の判断を褒めて持ち上げる。
前回の洞穴内の会話では、ケイが倒れた事に加奈が気付いてくれたと持ち上げたが、見事に逆のパターンになった。
「あー、あれは……ケイ君が急に倒れるところを見た加奈が心配して……加奈は、優しいから」
褒められる事に慣れていないのか、少し顔を赤らめた恵美利は、シドロモドロになりながらあの時の状況を説明する。そして、加奈の行動を擁護してみせた。
ケイの脳裏に、前回の食堂での出来事がよぎる。『大事な友達だから』恵美利はそう呟いていた。しかし、その直後に加奈が見せた微笑は、目だけ笑っていない異質なものだった。
一周目の時から二人に感じていた違和感が、ケイの頭の中で形を成していく。恵美利は加奈に対して、普通に友人としての好意を持っている。
(でも、加奈の方は……?)
恵美利と加奈の関係について、ケイがつらつらと考えを巡らせていると、ふいに恵美利が話し掛けてきた。
「ねえ、ケイ君」
「うん?」
「ケイ君って、人付き合い多そうだし……人間関係とか、色々な人生経験も豊富そうだよね?」
「うーん、まあ、そこそこかなぁ」
曖昧に答えたケイは、何か知りたい事でもあるのだろうかと訊ねてみた。すると恵美利は、言い難そうにモジモジしながらも、折り入って相談したい事があるという。
「俺に相談?」
「うん……えっと、その……加奈の事、なんだけどさ……」
ここで、ケイは恵美利が加奈との関係について話す時、学校の話題を避けようとしていた事などを思い出す。
「もしかして、学校の事とか?」
「っ!? ど、どうしてわかったの?」
「何となく」
驚く恵美利に軽く答えたケイは、内心で情報を整理していく。恵美利が避けようとした学校の話題を加奈が口にした時、恵美利は最初、驚きと戸惑いの表情を浮かべていた。
前回のあれは、単なる照れ隠しなどではなかった可能性。その後の、どこかほっとした様子から察するに、恵美利にとって学校の話題は、加奈絡みのタブーに触れるものだったのかもしれない。
やはり、この二人には何かある。ケイはそう確信した。
「俺でよければ何でも相談に乗るよ」
「よかった、ありがとう」
長話になるので、二人きりでゆっくり話せる時間と場所が欲しいという。ケイはいつどこで話すのが良いかと、恵美利との予定を考える。
(三日目の朝以降は危険だな……重要な情報は出来るだけ早く回収した方がいいだろう)
「じゃあ今日の夕食後にでも、サロンで待ち合わせて広場か砂浜海岸で話そうか」
「うん、分かった」
こうして、ケイは今日の夕方過ぎに恵美利の相談に乗る約束を取り付けたのだった。
もう少し広場の散歩を続けるという恵美利と別れたケイは、哲郎の待つ部屋へと戻る。途中、二階の廊下でお風呂上りの加奈と出くわした。
(あれ? 少しタイミングがずれてたかな)
前回は一階の廊下で加奈と立ち話をしてから二階へ向かった。今回は広場で恵美利と結構長く話し込んだので、加奈が前回と同じタイミングでお風呂を上がったなら、とっくに部屋に帰っているだろうと思っていたのだ。
(休憩所で一息ついてたのかもしれないな)
ケイはこれ幸いと加奈にも何かアプローチを考えるも、加奈はケイが声を掛ける前に話し掛けてきた。
「恵美利と、何を話してたんですか?」
「え?」
一瞬、ケイの心臓がドキリと跳ねる。
(みられてた……?)
思わず加奈の表情を観察してみると、普段と変わらないすまし顔を装っているが、目は猜疑に満ちているような雰囲気を感じた。
「別に、他愛の無い雑談だよ。気になる?」
「……ええ、少し」
下手に『相談を受けている事』などを漏らすと、部屋で色々画策されて恵美利と話す機会がつぶれるかもしれない。
(加奈には一度殺されてるからな……警戒はしておいたほうがいいかも)
ここは慎重にいこうと、ケイは恵美利と話した最初のネタを挙げて話題を逸らす事にした。
「実は恵美利に、誰でも名前で呼ぶのか聞かれて、加奈ちゃんはちゃん付けがしっくり来るって話してたら、加奈ちゃんに気があるのかと突っ込まれました」
「え、な、何ですかそれは」
「はははっ、いや本当にしっくり来るって話で他意はなかったんだけどね。恵美利ってそういうのに鋭いのかな? 男性経験豊富とか?」
「そ、そんな事ないですよ。恵美利は、男の人と付き合ったりって話、ほとんど聞きませんし」
加奈の言葉を聞いた瞬間、ケイは心の中で小さくガッツポーズを取った。恵美利に彼氏が居ないからという話ではない。今ので、加奈が語った恵美利に関する情報の正否が、ほぼ明確になった。
恵美利は『男っ気が無い』の方で正解だ。それはつまり、一周目の心中事件で恵美利が死んだ時、加奈は嘘を吐いた事になる。
(まだ断定は出来ないけど、ほぼ間違い無いだろう。加奈は、なぜあんな嘘を吐いたのか……)
なにか、二人の秘密に近づいているような感触を覚えたケイは、とりあえずこの場を繕って部屋に戻る事にした。
「それじゃあ、また夕食の時でも」
「あ、はい……お引き止めして、ごめんなさい」
ケイは「いいよ、いいよ」と手を振って自分の部屋の扉を潜る。去り際にちらりと様子を窺うと、加奈はじっとこちらを見つめていた。
部屋に戻って来たケイは、哲郎に記念撮影会の話を持ち掛けた。加奈と恵美利に限定した撮影会では行動が制限されるので、ツアー客全員を対象にした記念撮影というイベントの下地を作る。
「記念撮影かー、でもなー」
哲朗は提案に乗る事にはやぶさかではないのだが、果たしてこのツアーでそんなイベントが可能なのだろうかと懐疑的な様子だ。
現時点でケイ達と交流を持っているのは、旅館の従業員を除けば恵美利と加奈の二人だけ。不良カップルとは接点無し。不倫カップルとも特に会話があるわけではない。
「他はこれからアプローチしてみるよ。不良カップルだって今は印象悪いけど、話してみたらいい人かもよ?」
「うーん、相棒ならやれそうな気がしてきた」
ケイはとりあえず、夕食の席で恵美利達に持ちかけてみるので、良い返事が貰えたなら他の人達も誘い、最終的に記念撮影の対象者をツアー客全員に広げるという計画を挙げた。
「このバラバラなツアーを最後に一つにして、全員で記念の集合写真を撮影するんだ」
「おおー」
何か面白そうと、哲朗も乗って来た。ケイはこれで全員と話す理由が一つ出来たと、次の予定を思案する。記念撮影計画はあくまでも話し掛けるための口実なので、返事が芳しくなくとも良い。
そうして夕食時。哲朗と共に食堂へとやって来たケイは、恵美利にこっちこっちと呼ばれたテーブルに着くと、早速、記念撮影の話を持ち掛ける。
「明日一緒に行動してさ、景色のいい場所でパチリと」
「ケイ君って積極的だよね……記念撮影かぁ、どうしよっかなぁ~」
前回同様、恵美利は満更でもなさそうな反応で加奈に相談し、少しくらいならと同意を得た事で、ケイ達は二人との撮影会の約束を取り付けた。
「出来れば記念撮影会には他のお客さん達も誘おうと思ってるんだ」
「あ、相棒が、最後に全員で、纏めて記念にツアー客皆でって」
哲朗が頑張って話の輪に入り、フォローに動く。かなり噛み噛みだったが、言わんとする内容は伝わったようだ。クスリと笑った恵美利が「そういうのも良いね」と、『皆で記念撮影計画』に理解を示した。
「それじゃあ、明日は一緒に行動するという事でよろしく」
「うん、分かった」
目的を達成したケイは、今回は恵美利と加奈、二人の関係を探る雑談はせず、夕食を済ませれば直ぐに席を立った。この後、恵美利と会う約束をしているので、その事を加奈に気取られないためにも、早めに退散する。
恵美利と加奈は、まだしばらく食堂でゆっくり過ごすらしい。ケイは哲郎と食後のコーヒーを買いに自販機へ向かう途中、ざっと食堂の中を眺めた。
不良カップルは前回、前々回と変わらず、隅の席でイチャイチャとちちくり合っている。彼等との接触は、どちらか片方が一人になったところを見計らうので、もう少し後になりそうだ。
不倫カップルの様子を観察すると、やはりあの重苦しい奇妙な空気は無く、杵島は変わらず落ち着いている。城崎はそんな杵島を前に戸惑いを浮かべながら、ケイにちらちらと視線を向けてくる。
(だいぶ気になってるみたいだな)
彼等に記念撮影の話を持ち掛けようかとも考えたが、この二人が一緒に並んだ写真が残るのを、杵島は嫌がるだろう。城崎は喜ぶかもしれないが。
ケイは、城崎と話す内容も、既に幾つか考えてある。だが――
(今はまだやめておこう。城崎さんからの接触を待つか、もう少し様子を見てからだ)
彼女に対しては、こちらからのアプローチは先延ばしする事にした。今回の杵島と城崎は、前回までのような深刻な状態に陥っていない。不穏な動きが無いのなら、そのまま何事も無くツアーを終えるという手もある。
始めから殺意有りきで旅行に来ているのでもなければ、心中などそうそう起きない筈だ――と、そこまで考えたケイは、ふと引っ掛かる。
(……殺意有りき?)
最初から殺す目的で、あるいはそれを視野に入れてここに来ているのだとすれば……そんな仮説を思い浮かべた。そしてこの仮説は、不倫カップルに限った話では無いのではないか。
ケイは前回、三日目の夜に部屋で色々と考えていた時、恵美利の死について加奈に猜疑を懐いた事を思い出す。
「……」
「相棒、どうした? 難しい顔して」
缶コーヒーを片手にハテナ顔で覗き込む哲朗に『何でもないよ』と答えたケイは、新たに浮かんだ『あまり考えたくは無い可能性』について考えながら、部屋へと戻るのだった。
(早急な判断は危険だ。まずは恵美利から話を聞かないとな)
その後しばらく経った頃。ケイは散歩に行って来ると言って部屋を出ると、恵美利との待ち合わせ場所である一階のサロンに足を運んだ。それから少しして、恵美利は直ぐにやって来た。
「ケイ君、おまたせ」
「やあ。じゃあ行こうか」
恵美利と合流したケイは、裏口から砂浜海岸に続く道へ向かう。初日に不倫カップルが修羅場を演じていた場所なら、うまい具合に土手で死角になっているので目立たない。
「ここなら人も来ないだろう。それじゃあ相談に乗ろうか。学校と加奈ちゃんの事だっけ」
「うん……あのね、実はあたし――」
ポツポツと語り始めた恵美利の話によると、加奈は小学校、中学校と、いじめグループから嫌がらせを受けていたらしい。
「ていうか、加奈にはあたしがその主犯格だと思われてるんだけどね……多分」
「それは、恵美利が加奈ちゃんをいじめてたって事?」
「……うん。正確には……イケニエにしてたの」
「生贄?」
恵美利の話を纏めると、恵美利達のクラスにはいじめグループがあって、恵美利はそのグループの表向きのリーダーとされていた。
しかし実態は、そのグループのリーダーが他の取り巻き達と一緒に『恵美利の取り巻き』を装い、恵美利にいじめのターゲットや内容を指定させていた。
学校で問題視された時に、責の大部分を恵美利に押し付ける魂胆だったのだろう。
「あたし、自分がいじめられるのが怖くて……あの子達の言いなりになってたんだ」
高校に入ってからは、そのグループとも学校が別になって離れられたが、恵美利は当時の事を酷く後悔しているという。
「高校で同じクラスになって……ずっと謝りたいと思ってるんだけど、中々言い出せなくて……」
そんな折、加奈が教室で旅行のパンフレットを熱心に読んでいるのを見掛け、思い切って声を掛けた。恵美利は、この旅行で加奈にきちんと謝罪をして、仲直りしたいと思っているそうだ。
「ふむ……加奈ちゃんは、恵美利の事情をどこまで知ってるの?」
「ん~、多分あんまり突っ込んだところまでは知らないと思う」
なるほどねと相槌をうって頷いたケイは、前々回の時に見た加奈の恵美利に対する、あの突き刺すような嫌悪の眼は、中学時代の問題を起因にした怨恨の類だったかと理解した。そして今回、恵美利がケイに対して抱えていた不安の内容も、何となく分かった。
恵美利にとって、ケイが『自分と加奈の関係を知っている人物』だった場合、自分が加奈をいじめていたグループに居た事を話題に出されるかもしれないと、恐れたのだ。
(あれ、まてよ? という事は……)
ケイの脳裏に過る、繰り返されたここ八日間分の光景。その中で、恵美利と加奈に関する記憶が目まぐるしく浮かんでは消える。
「ケイ君……?」
急に深刻な表情になって黙り込んだケイに、恵美利は不安気な表情を浮かべながら声を掛けた。今の話を聞いて、軽蔑されてしまったのではと思ったのだ。
そんな恵美利の気持ちを察したケイは、じっくり考えるのは後回しにして、まずは予防策を図る。少し早急かもしれないが、恵美利になるべく加奈と二人っきりにならないよう忠告しておいた。誰かしら第三者の目がある場所に居る事を心掛けるように、と。
「明日の朝、洞穴に行く時も、俺達と一緒に行動するようにしてくれ」
「え? え? (ていうか、何で明日の朝に洞穴に行くつもりだった事、知ってるの?)」
突然の忠告に戸惑う恵美利に、ケイは今し方の話題を繋いで続ける。
「恵美利は、加奈ちゃんに謝りたいんだろ?」
「う、うん」
「俺達で何とかその機会を作るから」
「……分かった」
ケイの真剣な説得に、恵美利は困惑した様子ながらも頷いたのだった。
その後、ケイと恵美利は時間をずらして旅館に戻る為、一旦ここで別れる。ケイは砂浜海岸方面から遠回りし、恵美利は広場の前を通って部屋へと向かう。
砂浜海岸から旅館前に続く道を歩きながら、ケイは恵美利と加奈の事を考えていた。
(多分、上手くいっても、加奈はそう簡単に赦してはくれないだろうな)
しかし少なくとも、ケイ達の前で加奈が恵美利に謝罪を受けたという事実を作れば、ひとまずは恵美利の安全を確保出来る。ケイはそう推測していた。
理想としては、加奈からも本音の気持ちや認識を聞き出し、彼女の胸の内に深い恨みや復讐心があったならそれを鎮め、二人を和解に持っていきたい。
(慎重にケアするようにしないと、加奈の恨みがこっちに向く可能性もあるからな)
既に何度も殺される経験をしてきた自分はそんな修羅場も割と平気だが、ごく普通の一般人である哲朗をあまり巻き込まないようにしなければと、ケイは今後の行動指針を考えるのだった。
旅館に戻って来たケイは、そのまま部屋には戻らず、食堂に寄っておばちゃんとの交流に努めた。今回は初日から色々と話をしておいたので、おばちゃんのケイに対する友好度は非常に高い。
おかげで不倫カップルや不良カップルについて、いくつかの新しい情報を得る事が出来た。おばちゃんは彼等の部屋に食事を届けるなどもしており、その時の彼等の様子を聞き出せたのだ。
その話の中で、ケイは不良カップルの女性、牧野梨絵に対するおばちゃんの評価に興味を抱いた。
おばちゃんの見立てによれば、彼女は根は気立ての良い素直な娘ではないかとの事だった。部屋に届け物に行った際の梨絵の対応が、不良男と居る時に比べて別人のようだったという話。
「きちんと挨拶やお礼もしてくれてね、それがすごく自然に出てる感じだったのよ~。やっぱり好きな男の人の前では、その人好みになろうとしてるのかしらねぇ」
しっかり身に染みついた作法は、無意識に出てしまうものだからと語るおばちゃん。彼女に関しては、ケイも『根は良識人ではないか』と思った覚えがある。
不倫カップルについては、女性の荷物がちょっと少ない気がしたとの事だった。これについても、ケイは食堂から戻る時に浮かんだ『殺意有りき』の可能性を考えると、しっくりくる気がした。
城崎が始めから心中するつもりでいたなら、身辺整理的な意味で旅行に持って来る荷物が少なくなったと考えられる。
(まあ、あくまで可能性でしかない。とにかく慎重に判断するようにしないとな)
おばちゃんとの雑談を終えたケイは、部屋に戻ろうと食堂を後にする。そこでふと、廊下に人影を見つけた。
(ん? あれは……)
それは、隣のサロンに入って行く牧野梨絵だった。どうやら酒を持ち出しに来たようだ。ケイは『チャンス!』とばかりに、彼女の後を追ってサロンに足を踏み入れた。
「こんばんは」
「っ!?」
薄暗いサロンにて、棚の酒瓶を物色している梨絵にケイが声を掛けると、梨絵はビクリと肩を揺らしてゆっくり振り返った。
「……何か用?」
梨絵は、胡乱げな目で睨みながら煩わしそうな態度を取って見せる。ケイは気にせず話し掛けた。
「良いお酒は見つかりました?」
「別に」
ぷいっと棚の方へ向き直る梨絵。その背に一歩近づき、ケイは続ける。
「手伝いましょうか?」
「い、いいわよ別に……」
手に取った酒瓶を胸に、慌ててケイから距離を取った梨絵は、棚を背にじっと様子を窺っている。その表情には、警戒の色が浮かんで見える。
「まあ、俺は未成年なんでお酒飲めないんですけどね」
「そう……」
ケイは前回、崖の上でスタンガンを握り締め、泣きながら詫びていた梨絵の姿を思い出しつつ訊ねた。
「牧野さんは、このツアーにはどうして参加を?」
「あ、あんたには関係ないでしょ」
ふいっと目を逸らして、酒瓶を抱えた手の指をもじもじさせている梨絵。無意識にやっているのであろうそんな仕草からも、彼女が緊張している事を読み取れる。
「このツアーの参加者って、みんな何かしら訳ありみたいなんですよねー」
「ふ、ふーん……そういう事もあるんじゃないの」
こんな調子で梨絵と話して分かった事。
(この人、やっぱり演技してるな)
横暴な態度を取ろうとしているが、緊張の度合いから見ても、それが自然に振る舞えているとは言い難い。彼女が清二と一緒にいる時に見せるあの傍若無人な振る舞いが、身に着いた自然な行動であったなら、今も彼女にとって煩わしいであろうケイを怒鳴りつけて威圧したり、無視する事だって出来たはずだ。なのに、こうしてわざわざ返事をして会話に応じてしまっている。
それはつまり、『不良女の梨絵』は演技で、上辺を繕った偽りの姿。本来の梨絵は、こうして誠実に話し掛けられると無下にも出来ない、根は優しい人だ。ケイはそう結論付ける。
(なるほど、おばちゃんの見立て通りだ)
とにかく、やっと得られたアプローチの機会。ケイはこの機を逃さず、梨絵にも恵美利に仕掛けた時と同様の手を使って、自分に興味が向くよう働き掛ける事にした。
「今は周りに誰もいませんよ」
「? 何のこと?」
梨絵は意味が分からないという表情で訝しむ。ケイは今し方出した結論の検証も兼ねて、梨絵に揺さぶりを掛ける。
「無理に悪い人を演じなくても大丈夫って事です」
「っ!」
一瞬ハッとなった梨絵は、若干声を上擦らせながら悪態を吐く。
「な、なに言ってんのアンタ、ぁ頭おかしいんじゃない?」
「そんな申し訳なさそうな表情で悪態吐かれても」
とケイは苦笑を返す。もちろん、梨絵はそんな表情はしていない。これは揺さぶりのカマ掛けだ。すると、梨絵はギクッとなって自分の顔に手をやる。
「っ!? そ、そんな顔してないしっ!」
動揺を浮かべつつ、少し赤面した頬を抑えながらムキになる梨絵。これで、ケイは彼女に対する『根は良い人説』を確信した。『傍若無人な不良女』は、こんな反応をしないだろう。
(さて、それじゃあ……今ここで次の布石を打っておくかな)
前回、崖から落とされた時の梨絵の様子を考えるに、彼女も何か深い事情を抱えていると思われる。
「なにか悩みがあるなら、相談に乗りますよ」
「は、はあ!? な、何なのよあんた……さ、さっきから、わけの分からない事ばっかり言って!」
困惑と動揺で混乱する梨絵に、ケイは優しく諭す言葉を掛ける。
「あまり、一人で思いつめないようにね」
「……っ」
静かに去って行くケイに、今度は梨絵からの悪態は出てこなかった。
サロンを後にしたケイは、部屋に戻りながらこれからの事を考えていた。全員が抱えている問題を解決する訳ではない。出来るとも思わない。だが少なくとも、このツアーを誰一人死なせずに終わらせる事くらいは出来るかもしれない。それでいい。ケイはそう考える。
その為にも、自分の手が届く範囲で出来る事はやっておく。
(今日はまだやれる事が残ってるな)
201号室に戻って来たケイは、明日、三日目の夜に見える光について検証する為、さっそく哲朗に手伝いを依頼した。もちろん検証の内容や目的は伏せている。
「ここは哲朗だけが頼りなんだ」
哲朗に予備の小型カメラを借り、いつも持ち歩いている動画撮影機能付きのカメラで部屋の窓から見える景色を撮影してもらう。
「この方角で哲朗も一緒に見張っててくれ。戻ったら位置の確認をするから、メモも頼む」
「カメラのフラッシュで現在地を調べるのか。よく分からないけど、分かったよ」
どんな意味があるのかは分からないけれど、ケイのする事だから何か理由があるのだろうと納得する哲朗は、ケイの検証作業の手伝いを引き受けた。
互いの時計の時間を合わせて、哲朗は窓の前に待機。ケイは部屋に備え付けの非常用懐中電灯を手に、上着を羽織りながら部屋を出ると、まずは砂浜海岸へと向かった。
(こんな時、トランシーバーでもあれば便利だったんだけどな)
時間を確かめながらカメラをお腹の辺りに構えてフラッシュを焚く。これはスタンガンを手にしている事を想定した位置取りだ。砂浜海岸を端まで歩き、岩壁の辺りでまた一枚撮って海岸線の道へ戻る。
そうして崖の上に続く道と、洞穴に向かう分かれ道までやって来ると、ここでも一枚。
「さて、ここからが本番だ」
洞穴はまだ水没していない。ケイは手早く済ませようと、懐中電灯のスイッチを入れて洞穴内に踏み入った。入り口から少し入った場所でパシャリ。さらに奥へ進んだ場所でもパシャリ。
そして最奥の辺りでもパシャリと、それぞれ時間を確かめながらカメラのフラッシュを焚いた。
「これでよし。後は部屋に戻って確認だ」
上手く行けば、三日目の夜に見える光が、どの位置で発せられたのかを特定出来る。ケイの推測では、梨絵が持っていたスタンガンの光だろうという事になっているが。
「ただいまー、ほいコーヒー」
「おかえりー、さんきゅー相棒」
急ぎ足で部屋に戻って来たケイは、階段前の自販機で買った缶コーヒーを哲朗に渡しながら、さっそく検証に取り掛かる。
哲朗に撮影してもらった窓の景色の動画を確認しつつ、フラッシュを焚いた時間と場所のすり合わせを行う。
結果、明日の時間にケイが目撃していた光は、洞穴の最奥より少し手前付近にある横穴から漏れた光であった事が分かった。
(あそこは、反対側が海と繋がってた場所だな)
つまり、梨絵はあの時あの場所でスタンガンを使った。相手は恐らく、戸羽 清二だ。
(洞穴の中でスタンガンを使って気絶させた? その後、洞穴が水没すれば……)
ふと、ケイは恵美利の溺死の件を思い出す。あの時、恵美利はどこで溺れたのか。
洞穴内に海と繋がっている個所はいくつかあるが、そうそう足を滑らせて落っこちたりするような場所ではなかった。
もし、恵美利が事故ではなく、故意に海に落とされるなどして殺害されたのだとしたら……
(前回、恵美利が洞穴に行ってた時間帯は……)
ケイは食堂で浮かんだ『殺意ありき』の可能性を念頭に少し考えようとしてみたが、アリバイの有無を含め不確定要素が多過ぎて、今の段階ではまだ推論が立てられないという結論に至った。
(やっぱり、もう少し色々な情報が必要だな)
こうして、ケイの三度目となるツアー二日目の長い夜は、静かに過ぎて行くのだった。
翌日。
ツアー三日目の朝。前回よりさらに早く起き出したケイは、まだ眠っている哲朗を横目に手早く着替えを済ませると、部屋を出て非常階段に向かった。哲朗には起きたら食堂に向かうよう昨日の夜寝る前に伝えてある。
階段の踊り場に出て旅館の周辺を見渡す。広場で落ち葉を掃除している従業員の姿が見える他は、海岸沿いの道や旅館前の通りにも人影は見えない。
(よし、まだ全員が旅館内にいるな)
ケイは今日、ツアー客の全員に声を掛けて記念撮影を持ち掛ける予定を立てていた。昨日までの工作の成果も見定める。
旅館の出入り口を見張れる玄関ホールの休憩所にやって来たケイは、ソファーに陣取って人の出入りを監視し始めた。
それからしばらくして、最初に客室から下りて来たのは恵美利と加奈だった。休憩所にいるケイを見て「あら?」と反応を示す。
「二人ともおはようさん」
「おはよー、ケイ君」
「おはようございます」
とりあえず挨拶を交わしたケイは、二人の様子をさっと観察する。恵美利はいつもと変りなく、元気そうだ。加奈は昨日、部屋の前で別れた時のような奇妙な雰囲気は、今のところ感じない。
「ていうか、ケイ君はここで何してるの?」
小首を傾げた恵美利が問う。
「ちょっと食堂でサプライズを考えててね。その下準備」
「え……サプライズって……」
一瞬、強張った表情を浮かべた恵美利に対し、ケイは『皆で記念撮影計画』の事だよと明かして、恵美利が今『心に懐いたであろう不安』を解消した。
(昨日の今日だし、恵美利は多分、加奈に対する謝罪の機会について思い浮かべたんだろうな)
あからさまに『なぁ~んだ』と安堵して見せる恵美利の隣で、加奈はキョトンとしている。こうして並んでいる姿は、本当に仲の良い友達に見える。
「今日はまた後で一緒に洞穴を見に行こうな~」
「うんっ。それじゃあたし達は先に食堂行くね」
恵美利は小さく会釈した加奈と連れ立って食堂へと向かった。それから5分ほどが経過し、次に下りて来たのは不倫カップルだった。
ケイに気付いた杵島が、にこやかに挨拶をして通り過ぎる。彼の後ろに続いていた城崎はケイに何か言いたそうな雰囲気を残しつつも、会釈して去って行った。
(もうそろそろ接触して来そうだな)
出来るだけこちらのペースに巻き込むようにしなければと、ケイは城崎と話す時のネタを頭の中で反芻する。正直なところ、不倫カップルに対するケイの立場は、双方どちらの味方にもなり得ない。どう転んでも良い結末に至れるとは思えないアドヴァイスをする事になるが、今はこのツアーを平穏無事に乗り切る事を優先すると決めていた。
不倫カップルを見送って直ぐ後に、哲朗が下りて来た。
「あれ? 相棒、何してるんだ?」
「ちょっとな、例の計画の事で思案中」
恵美利と加奈も食堂に居るので、二人と同席しててくれと席の確保を頼んでおく。哲朗は緊張でギクシャクした歩き方になりながらも「わ、わかった」と頷いて食堂へ向かった。
それからさらに数分が経った頃。ペッタンペッタンとスリッパを鳴らす足音と、男女の駄弁る声が廊下に響いた。
「なんだよー、まだアタマ痛いのかよー?」
「んー……二日酔いだと思う……」
朝から騒々しい雰囲気の不良カップル、牧野 梨絵と戸羽 清二が最後に下りて来た。梨絵は昨晩深酒をしたらしく、調子が悪そうにしている。
休憩所のソファーに座っているケイを見て、一瞬ギクっとなる梨絵。清二はそんな梨絵の様子に気付く事も無く「俺のペースに合わせたせいかもなー」と、自分の酒の強さをアピールしている。
二人が通り過ぎた後、ケイはゆっくりとソファーから立ち上がると、彼等の後に続いて食堂に向かうのだった。
ケイの積極的な行動により、今回の三日目の朝は、全員が食堂に集まっていた。
恵美利と加奈は、前日に恵美利がケイと朝から一緒に行動をする約束をしていたため。
杵島と城崎は、杵島が部屋以外では二人きりになる事を避ける行動を取ったので、城崎が杵島を雑木林に誘えなかった。そしてケイの事が気になる城崎は、一人で部屋に残る事はしなかった。
梨絵と清二は、昨晩の件で動揺した梨絵が、不安を打ち消そうと飲み過ぎて二日酔いに。二人が予定していた早朝の散歩には出られなかったようだ。
食堂の出入り口に立ったケイは、全員が揃っているその光景を見渡して、ふと足を止める。
(そうだ、ここを区切りにしよう)
恵美利達と向かい合わせに座っている哲朗が、こちらに気付いて手を振っているが、ケイは哲朗に『ちょっとスマン』というゼスチャーをして足早に食堂を後にした。
玄関を出て旅館前の通りを走り抜け、広場にある古い小さな祠にやって来たケイは、石神様にお呪いの言葉を念じる。
(この状態で石神様に念じておけば、次に何かあってもここから始められる)
"石神様が響いた"のを確認したケイは、食堂に急ぎながら現時点で感じ取れた、一つの可能性について考えていた。
今日、三日目に死亡者を出さずに乗り切れば、何とかなるんじゃないかという予感。タイミングや原因に多少の違いはあれ、死者が出るのは決まって三日目だった。
この旅行で殺人を計画していた者が居たと仮定して、事前に下見をするなど、よほど念入りに計画を立てていたのでもなければ、初日や二日目は近辺の地理なども覚えなくてはならないし、事を起こすには早急過ぎると考えられる。
(恐らく、迷いもあったはず)
もし、計画は立てていたが踏ん切りがつかず、なかなか実行に移せずにいた場合。現場に慣れ、迷いを断ち切って行動を起こすとすれば、三日目は丁度良い頃合いだったのではないか。
明確な裏付けは無いが、これまでの経験の記憶と集めた情報の欠片から勘でそう判断した。
食堂にやって来たケイは、哲朗の隣の席に着いた。既に料理も用意されている。
「おかえり相棒。何か朝から忙しそうだね」
「いやー悪い悪い、ちょっと野暮用を済ませて来た」
哲朗に軽く詫びたケイは、朝食に口を付けながら食堂全体の様子を窺う。恵美利と加奈は対面の席で静かに食事中。不倫カップルは城崎がこちらを気にしている以外は、いつもと変わりない。不良カップルも普通に食事をしている。
(あの二人が普通に飯食ってる姿は珍しいかもな。……さて、それじゃあ――)
全員の様子を確認し、一つ深呼吸をしたケイは、考えていた"サプライズ"を実行に移す事にした。おもむろに立ち上がって食堂全体を見渡せる窓際まで移動すると、皆に向かって一言告げる。
「みなさん、食事中失礼します。そのままでいいので少し聞いてください」
全員の注目を集めたケイは、記念撮影の話を持ち掛けた。
ツアーも三日目で約半分を過ぎ、残すところ四日となりました。こうして同じツアーに参加し、同じ旅館で一緒に食事を取っているのも何かの縁。お急ぎの用事が無ければ、今日はみんなで一緒に記念撮影をして回りませんか? ――そんな内容を語る。
「友人がカメラマンをやってくれる事になっているので」
そう言って哲朗を指し示すと、哲朗はキョドリながらも頷いて見せた。ケイはそのまま恵美利と加奈には既に了解を得ている事も付け加える。
「今のところ、樹山さんと御堂さんが参加してくれる事になってます。皆さんもどうですか?」
と、ケイはここで戸羽 清二に視線を向けながら言った。これまでの言動から考えて、彼は目立ちたがり屋タイプだと思われる。撮影会のようなイベントになら、乗って来る可能性が高いと判断した。そしてそれは当たっていた。
「おー、面白そうじゃね? 俺らも参加すっべ」
「じゃあ、戸羽さんと牧野さんも参加で。杵島さん、城崎さんもどうですか?」
すかさず二人の参加を決定したケイは、気が進まなさそうな顔をしている梨絵から異論が出る前に、不倫カップルに話を振った。こちらは杵島が城崎と一緒に写るのを嫌がって参加は見送られるかもしれない。
だが、今回の杵島は城崎と二人きりで人気の無い場所に行かないように注意しているので、心中の発生は避けられる。城崎も旅館内で凶行に及ぶとは思えない。
心中を断念した城崎が一人で首を吊るという可能性も無くは無いが、『殺意ありき』はまだ限りなく正解に近いであろう『仮定』に過ぎないのだ。あまり推測で悩んでも仕方がない。
と、そんな事をつらつら考えていたケイだったが――
「いいですね、ぜひ参加させてもらいますよ」
意外にも、杵島が撮影会に賛成した。城崎も反対する理由は無いようだ。これにより、ツアー客の全員が今日の記念撮影に参加する事となった。
「それじゃあ9時頃に皆で玄関ホールに集合するという事でいいですか?」
特に異議も上がらず、記念撮影会の予定が決まった。ケイが自分の席に戻って来ると、哲朗が見ているだけで緊張したと言って『相棒スゲーわー』を連発していた。恵美利達もうんうんと頷いて同意を示す。
「あんな風に仕切るの、自分には絶対無理だわ……」
「ははは、馴れれば結構どうにかなるもんだよ」
その後、朝食は平穏に進み、食べ終えた人から順に部屋へと戻って行く。時刻は8時を過ぎた頃。食後のお茶で一息吐いていたケイは、席を立ちながら食堂内を見渡して現状を確認した。
哲朗は撮影準備のため、先に部屋へと戻った。恵美利と加奈も既に食堂を後にしている。そして今し方、不良カップルの清二と梨絵が出て行った。
食堂に残っているのはケイと同じく、お茶で一息吐いていた不倫カップルの杵島と城崎だけだ。やがて、城崎が一人で席を立ち、やはりケイの事を気にする素振りを見せながら食堂を後にした。ちらっと聞こえた二人の会話内容から、着替えの準備のために先に部屋へ戻ったらしい。
丁度良い機会だと、ケイは杵島になぜ撮影会の参加に賛成したのか訊ねてみる事にした。
「杵島さん」
「ああ、どうも曽野見さん」
ケイが声を掛けると、杵島はにこやかな挨拶で応じた。やけに上機嫌な様子を訝しみつつ、ケイは疑問に思った事を訊ねる。
「持ち掛けておいて何ですけど、撮影会の話、良かったんですか?」
彼女と一緒の写真を撮られるのは不味くないんですか? と聞いてみたところ、杵島は含み笑いをしながら声を潜めると、城崎の変化について語った。
杵島は、ケイにアドバイスを受けた夜から、城崎と行動する時は常に人の居る場所を選んで移動するようにしており、必然的にどこへ行くにも杵島が行き先を決めるようになっている。
その影響なのか、城崎が『以前のように』素直になって来たという。
「志津音は付き合い始めた頃は、僕の言う事を何でも聞いてくれるいい子だったんですよ」
最近の彼女の我儘は、少し甘やかしていたせいかもしれないと笑う杵島。どうやら彼は城崎との関係で主導権を握った気分になって、少々浮かれているようだ。
杵島が自分から動く事でそれが自己主張という形になり、城崎は彼の決定に従う。杵島は、その状態を『志津音が自分に従順になった』と勘違いしているらしい。
「これも曽野見さんのアドバイスのおかげですよ。今の志津音なら、僕も彼女の事をちゃんと愛してやれます」
「そ、そうですか……」
「おっと失礼、いい歳をしてちょっと惚気過ぎちゃったかな。はははっ」
城崎が大人しくなった事に気分を良くして、また今までのように愛人関係を続けられると思っているようだ。
(ダメだこの人……)
これはもはや擁護出来ないと判断するケイ。死なれるのは寝覚めが悪いので、心中は回避させる方針で進める。だが今後、不倫カップルとの交流で有利になりそうな情報を吹き込むのは、城崎の方にしようかと考えるケイなのであった。
(さて、俺も撮影会に向けて部屋に戻るか)
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