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限界集落ツアー編
二周目
しおりを挟む「お仕事ですか?」
「え? あ、いえ……旅日記というか、ちょっと今日の分のレポートを」
旅館側のミスで相部屋になり、そこで栗原哲郎と出会う。一日目は概ね前回の流れをなぞるように辿った。哲郎と親睦を深め、明日は一緒に撮影に行く。
(問題は二日目からだな)
恵美利との距離を縮めて、彼女の死亡を回避する。そうする事で、歳の差カップルにもトラブルは起きないだろう。ケイは今後の流れをそう推測した。
加奈が自分を刺した理由は分からないが、飛躍した推理をするなら、不良カップルが恵美利や歳の差カップルの死に関わっていて、それを知った加奈が復讐を決意。暗かったので不良カップルの男と間違えた、という可能性などが挙げられる。
(まあ、正確な情報も無い内に色々考えても、際限無いだけで無意味だな)
まずは目の前の問題から対処する。各人の行動が大きく変わらないように、出来る限り前回と同じ流れを作るのだ。
翌朝。
「先に行くぞー」
「うー……」
眠そうにモソモソと服を着替えている哲郎に一声かけて、返事だか呻きだか分からない声を聞きながら廊下に出たケイは、計算通り、丁度廊下に出て来ていた加奈と鉢合わせた。
「おはよう」
「あ、お、おはよう、ございます……」
ケイが挨拶をすると、加奈は若干、戸惑いながら挨拶を返した。昨日の朝、祠の前に倒れていて、謎の問い掛けをして来た得体の知れない人物から当たり前のように声を掛けられれば、戸惑いもするだろう。
だが、同じツアーの客同士。朝の挨拶をしても特におかしい事は無い。彼女達と親睦を深める為、ケイはその辺りから積極的に話し掛ける方針を取っていた。
その時、隣の部屋の扉が開いて恵美利がバタバタと飛び出して来る。
「はにゃー? あひゃひのふりっふひらにゃ――」
「あ、恵美利……」
髪を頭の後ろで纏めながら髪留めのゴムをくわえている恵美利が、はたと立ち止まる。目の前のケイを見上げてしばし固まっている恵美利に、強く印象を与えるべく、ケイは行動に出た。
「クスッ」
「っ!」
ケイに『面白い子だな』というような視線と笑みを向けられ、動揺を浮かべた恵美利の頬が仄かに赤面する。そこへ、予定通り哲郎が登場。
「やー、わりーわりーお待たせー……うん?」
「よーし、朝飯に行こう」
廊下でお見合い状態のケイと恵美利に哲郎が首を傾げたが、ケイはここで恵美利が動き出す前に哲郎を連れて食堂へと移動を始めた。今回は哲郎にも恵美利には良い印象を持って貰う必要がある。
哲郎が恵美利のツンツンに悪印象を持つ前に、彼女達に興味と期待を懐くよう誘導するべく、一言吹き込んでおく。
「哲郎、上手くやればさっきの子達と仲良くなれそうだぞ」
「えっ、ケイって女の子口説いたりするの?」
「別にナンパ師みたいな事はしてないさ。旅慣れると、普通に人と話して仲良くなれるだけだよ」
「な、なるほど……」
食堂では、哲郎にリア充カップル認定されていた二人が不良カップルに認定された。問題の歳の差カップルも前回と変わりなく、奇妙な雰囲気を醸し出している。
(とにかく心中騒ぎの切っ掛けを潰してしまえば、このツアーは平穏に終わるはずだ)
一つ向こう隣のテーブルについている加奈と恵美利達の様子も窺いつつ、ケイは次の接触ポイントでのアプローチを考えていた。
食事を終え、この後の撮影予定について哲郎と話し合う。
「それじゃあ撮影に行こうか」
「哲郎、海岸は後回しにして先に洞穴に行こう」
「へ? なして?」
「出会いの予感がする」
ひそひそと声を潜めて告げるケイに、哲郎も声を潜めながら『マジでー』とノリで返す。洞穴から回る事には特に異存はないらしく、それじゃあ準備しようと一旦部屋に戻る。
食堂を出る際、ほんの一瞬視線を向けて視界の端に捉えた恵美利は、チラチラとこちらを窺っている様子だった。
出発前、哲郎にはカメラに廃墟とか洞窟関連の画像を入れておくようアドバイスをしておいた。撮影に行く洞穴と同じカテゴリの画像を用意しておけば、そこで出会った人と共通の話題が出来る。
わざわざ洞穴を見に来る人は、そういうのに興味がある人だろうから話題になると。
「なるほどー」
と感心した哲郎は、PCから他の旅行先などで撮影した洞窟の写真を、カメラのメモリに移していた。そうして撮影を始めて暫く経った頃――
「わー、もっと真っ暗かと思ったけど、こういうのもいいね」
「なんだか抜け道みたいね」
恵美利が加奈と連れ立ってやって来た。
「ここって、一番奥は――あ……」
「やあ、君達も洞穴を見に来たんだ?」
加奈とお喋りをしながら奥までやって来た恵美利が、ケイ達を見つけて足を止める。すかさず声を掛けたケイは、そのまま会話をする流れへと持っていく。
「二人は友達? あ、もしかして姉妹とか」
「クラスメイトだけど……あたしと加奈ってそんなに似てる?」
「いや、全然」
「ちょっ……」
前回、僅かながらも恵美利と加奈とはコミュニケーションを交わしていたので、そこから覚えている限りの、恵美利が好む話題の振り方、会話の繋ぎ方を駆使して興味を引く。
哲郎はカメラを胸に『出会いが』『マジで』とオロオロしていて使えないので、全面的にケイがリードしていくのだ。
「俺と哲郎は旅館の手違いで相部屋になってさ。結構気が合ったんで、結果的には良かったよ」
「え、そんな事ってあるんだ?」
旅先でのハプニングが良い結果に転がった、というような話に良い反応が得られる。恵美利も旅行にはよく出かける方らしい。加奈と旅行に来たのは今回が初めてのようだ。
「へ~、中学からの友達なのかー」
「うん……まあね。そういえば、ケイ君ってなんであんなところで寝てたの?」
ケイは恵美利と加奈の関係を話題にして親睦を深めようと試みたが、恵美利は昨日の広場での話を振って来た。ケイが石神様が奉っある祠前で目覚めた時の事だ。
恐らく一周目の時は、二人は祠前で手を合わせているケイの姿を見ていたと思われる。二周目の今回、倒れているケイを見つけて加奈が声を掛けた。
もしくは、石神様に記憶を運ばれたケイがあの時間に戻った瞬間、その場に倒れた筈なので、倒れるところを見て駆け寄って来たのかもしれない。
「んー、寝てたというか何というか――」
ケイは答えながら、ちらっと加奈に視線を向けた。「ん?」と、ケイの視線を追って恵美利が加奈を振り返る。あの時の事についてコメントを求められていると感じた加奈は、自分が見たままを語った。
「えっと……曽野見さんが、急に倒れるのを見たから」
「あれ? そうなんだ?」
加奈はあの時、恵美利に腕を引かれながら、さっきの人(ケイ)が突然倒れた事を訴えようとしたが、恵美利は『怪しいから近づいちゃダメ』と言って部屋まで引っ張って行ったのだ。
今回のファーストコンタクト時の正確な状況を上手く聞き出せたケイは、早速その情報に基づいて話を作りつつ、恵美利達と親睦を深めるネタにする。
「酸素が濃かったのか、寝不足だったせいか、急にフラ~となってね。しかしそうか~、加奈ちゃんが気付いてくれたのに、恵美利はスルーしたのかー」
「えっ! あ、いや、だって何か怪しかったじゃんっ」
「基準が分からん」
そんな会話で盛り上がりつつ、ケイは哲郎が置いて行かれないようネタを振って、恵美利が話題逸らしに使うように誘導する。
「そういや哲郎、あの祠は撮影するのか? 何か"廃墟"っぽい絵になりそうだけど」
「え? あ、ああ、あの辺りも後で、旅館と纏めて撮るつもりだよ」
「哲郎君て、廃墟とかも写してるの?」
「う、うんまあ、一応」
狙い通り、廃墟好きな恵美利が話題逸らしも兼ねてそのネタに食い付く。恵美利は、哲郎がブログ用に旅行先で色々と撮影している事を聞いて、興味を懐いた。
「軍艦島とか行った事ある?」
「む、昔、ツアーで行った事あるかな」
「恵美利って、そういうの好きなのか」
「うん、あと洞窟とか」
上手く話題が繋がった、と内心でガッツポーズなど浮かべたケイは、ごく自然な流れで仕込んでおいたネタへと導く。
「あーそれで洞穴に。そういえば、哲郎のカメラに洞窟の画像とか入ってたよな?」
「え? どこの洞窟? 見せて見せて」
恵美利に急かされるようにしながら、カメラのウインドウに洞窟画像を呼び出した哲郎は、ケイに尊敬の眼差しを向けた。ケイは軽く目配せしてそれに応える。
洞穴で洞窟の画像を閲覧するという、妙なコミュニケーション。しかしこれで一気に、恵美利、加奈達と親睦を深める事が出来た。
(よし、明日も一緒に行動すれば、歳の差カップルとのトラブルも防げる筈だ)
ケイは目論見通り事が進んでいる状況に、ひとまずホッとする。恵美利と歳の差カップルの男性に間違いが起こらなければ、突発的な殺人や心中も発生しない。
後は無事にツアーが終われば、同年代の気の良い友達が増えて平穏な日常に戻れる筈だ、と。
その後、ケイ達は洞穴の上にある岸壁や砂浜海岸を一緒に回りながら撮影を続け、昼頃には旅館へと戻った。食堂で昼食も一緒に済ませると、哲郎は部屋で画像の整理、ケイは旅館の施設巡りなどで夕方までの時間を過ごす。
(ん? あれは恵美利か)
ケイは一階にある遊戯室の窓から、旅館前の広場をぶらぶら歩いている恵美利を見かけた。彼女達も今は別行動をしているようだ。
哲郎の様子でも見に部屋へ戻ろうかと廊下を歩いていると、大浴場の出入り口前で加奈と出くわした。こちらはお風呂に入っていたようだ。
「あ……」
「やあ」
ケイが軽く手を振って声を掛けると、加奈は着替えなどが入った鞄を胸に小さく会釈する。少し湿った髪が揺れ、微風に乗ったシャンプーの香りがケイの鼻孔をくすぐる。
一瞬、加奈に刺された時の事を思い出したケイは、前回の加奈に感じた違和感の事を考えた。
加奈が恵美利を振り返る僅かな瞬間に浮かべた、あの突き刺すような視線、嫌悪の眼。今回はまだ、あの時の表情を見ていない。
(単なる見間違いか……あるいは、向けられた対象が俺だったか)
「?……あの?」
急に黙り込んでじっと顔を見つめて来るケイに、加奈は戸惑いながら小首を傾げる。
「ああ、ごめん。ちょっと考え事してた」
「か、考え事ですか……」
人の顔を凝視しながら考え事というのもおかしな行動である。加奈に不信感をもたれないよう、ケイは探りも兼ねたフォローを入れてみる。
「正確には、君に見とれてた、かもしれない」
「な、なに言ってるんですか急に」
ふわっと、加奈の首元が上気したのは、お風呂上りで体温が上がっている為か。少なくとも、冷たい視線を向けられる事は無いようだ。
「はっはっは、冗談冗談」
「もう……曽野見さんって、実は結構軽い人なんですか?」
ちょっと"警戒の眼差し"で上目遣いにそう訊ねて来る加奈。今回は前回とは状況が違っているので、一概には断定できないが、やはりあの時の視線は恵美利に向けられたモノと考えて良いのかもしれない。
「フレンドリーなだけさっ」
「ふふっ 確かに、曽野見さんってお話し易いですね」
(……ま、前回の記憶ってアドバンテージがあるからなぁ)
相手が好む話題や、安心する距離というものを最初から知っているので、第一印象を最良のものにする事が容易だ。
風呂上りに廊下で長話するのもなんだからと、部屋に帰る途中だったケイは加奈と連れ立って客室のある二階へ移動。部屋の前で別れた。
部屋に戻ると、哲郎がカメラを繋いだPCの前で作業を続けていた。
「ただいまー」
「おかえり、ここともー」
「何それ?」
「心の友よの略」
哲郎の妙な造語に、略す必要があるのかそれはと突っ込むケイ。恵美利や加奈達と仲良くなれた事で、哲郎のテンションが上がっているようだ。
「なぜ略した……それより哲郎、夕食の時に多分、恵美利達と一緒になると思うから、明日の予定について打ち合わせしておくぞ」
「明日の予定?」
明日も一緒に行動するよう話を持ちかける。今日は主に風景の写真を撮ったので、明日は"ツアーで知り合った友人"という名目で恵美利や加奈を被写体にするのだ。
「撮影OK貰えたら、昼から一緒に行動。ダメ元で誘ってみよう」
前回の記憶では、明日の加奈と恵美利は、かなり早い時間に起きて活動していた。そして昼食時には、二人で食堂に向かっていた。朝が弱い哲郎は起きられない可能性がある。よって、確実に接触出来る昼の時間を狙うのだ。
(歳の差カップルとの接触も、出来るだけ阻止するようにしないとな……)
ケイは前回、恵美利が歳の差カップルの男性と問題を起こしたのは、三日目の昼過ぎから夕方にかけて、加奈と別れた後だと推測していた。
したがって、今回は哲郎の編集作業を早めに終わらせ、明日の昼に時間を作って、恵美利達と行動出来るよう画策する。
「朝は旅館の撮影、昼からは上手くいけば恵美利や加奈ちゃんをモデルに撮影会だ」
哲郎は『おおうー』と、どこか緊張気味に感嘆した。
「わ、わかった。ここともに任せる」
「……"相棒"にしないか?」
やはり"こことも"は違和感があると、前回の呼び名を提案するケイなのであった。
§ § §
夕食時。ケイと哲郎が食堂にやって来ると、恵美利がこっちこっちと手を振っている。前回の時よりも親しくなっているので、ごく自然に彼女達と対面のテーブルに着いた。お茶を配っていた食堂のおばちゃんが「すぐ用意しますねー」と厨房に入って行く。
恵美利達と互いに「そう言えば何処から来ているのか」と言うような話題で雑談を交わしつつ、ケイは明日の昼から撮影会をやらないかと持ち掛けた。
「旅の思い出的な感じでさ、出会った人の写真も記念に撮っておきたいじゃないか」
「うーん、どうしよっかな~」
恵美利は満更でもなさそうにしながら、加奈に「どうする?」と相談している。ツアー客同士で記念撮影をするなどの交流は、特に珍しい訳でもない。加奈も少しくらいならと、撮影される事には同意した。
「あ、写真画像は、後で纏めて、ネット環境が……」
「なるほど、アドレス交換しておけば後でメールで送って貰えて便利だな」
哲郎のたどたどしい提案をケイがフォローする。恵美利と加奈は、昼間の洞穴での画像鑑賞で哲郎がPCを使ってカメラの画像を編集している事も聞いていた。その為、特に躊躇する事もなく連絡用のアドレスを教えてくれる事になった。
「そう言えば、二人はクラスメイトだっけ?」
「う、うん……」
(……ん?)
少し言いよどむ恵美利の様子に、ケイは洞穴で話した時も同じような反応を見た事を思い出した。学校の話題を避けたいのなら、別の話題に切り替えようとするケイだったが――
「小学生の頃から一緒の学校だったんですよ」
加奈が、そう言って割と長い付き合いである事を明かす。恵美利は、若干の戸惑いを浮かべながら加奈の顔を窺っている。二人は確か、中学の頃からの友達だったと聞いていた。
「へ~、じゃあ小学校の頃も顔を会わせる事はあったわけだ。一応、幼馴染になるのかな」
「ま、まあ、そんなとこかな」
ケイは二人の表情を注意深く観察してその心情を探り、慎重に言葉を選ぶ。恵美利が学校の話題を避けるのには、何か事情がありそうだ。加奈の様子を窺う恵美利の表情からは、何かを気遣っているような雰囲気が感じ取れた。
「なんか、いつも加奈ちゃんが恵美利に振り回されてる図が浮かぶ」
「そ、そんな事無いわよ」
「ははは、でも一緒に旅行が出来るような友人がクラスメイトに居るのはいいね」
ケイがそう話を振ると、加奈が今回の旅行は恵美利が自分に付き添ってくれたようなものである事を明かす。
「こういうツアーには以前から興味はあったんですけどね。私、一人で旅行とかしたことなくて」
「へえ、そうだったのか」
「……加奈が、熱心にパンフレット見てたから。あたしに出来る事をしてあげたいなって、思ったのよ」
恵美利は少し照れるように視線を逸らしながら、「大事な友達だから」と呟いた。ケイは、なるほど照れ隠しの類だったかと内心で推察する。それなら無理に話題を避ける必要も無い。
「いい友達を持ったね」
「……そうですね」
ケイの言葉に微笑む加奈。
(……?)
一見すると照れているようにも見えるが、ケイは直感的に加奈の表情に違和感を覚えた。恵美利の表情からは、どこかほっとしたような心情が読み取れる。しかし、加奈の微笑みは、目だけ笑っていない。
ケイは、二人のプライベートに触れる話題には今後も注意が必要だなと、心のメモ帳に刻んでおくのだった。
「じゃあまた明日」
「うん、またね」
夕食を終え、まだしばらく食堂でゆっくり過ごすつもりらしい恵美利、加奈達と分かれたケイと哲郎は、自販機で食後のコーヒーなど買って自分達の部屋へと戻る。
「相棒、やっぱすげーわー」
「そうか? 哲郎もいいタイミングの提案だったと思うぞ?」
哲郎は、ケイのフォローで恵美利と加奈のメールアドレスをゲット出来たと、心底感心している。自分一人だったら彼女達と仲良くなれる機会さえ無かっただろうと。
「何にせよ、明日も平穏に過ぎるよう楽しもう」
「ボクにとっては平穏どころか刺激に満ちてるよ」
そう言ってニコニコしている哲郎は、就寝するまでずっとご機嫌な様子だった。
三日目。
何時もより少し早起きした哲郎と共に、朝から旅館を撮影して回る。ケイは前回より早めに非常階段の踊り場に出ると、そこから周囲を見渡した。
恵美利達が砂浜海岸から洞穴への道を移動しているのが見える。そして、旅館前の道を不良カップルが下りて行く姿があった。これから砂浜海岸に向かうのだろう。
(なるほど、この日の恵美利達は最初、砂浜海岸を見に行って、その後洞穴に向かったのか)
恵美利達と、ついでに不良カップルの正確な足取りを確認したケイは、広場の方を見下ろした。そこには、歳の差カップルが旅館前の小道を歩いている。あの二人はこの後、雑木林へ向かう筈だ。
(……大丈夫だよな?)
一抹の不安も覚えつつ、ケイは散歩する彼等を見送った。
早めに旅館各所の撮影を済ませた哲郎は、昼の撮影会に間に合わせるべく部屋でPCに向かって編集作業に入っている。
ケイは作業の邪魔をしないよう部屋を出ると、非常階段の踊り場から周囲を見渡して各人の動きを観察する。前回、この時間はまだ撮影をして回っていた。
広場の一角には、掃除で集められた落ち葉の山が幾つか並んでいる。歳の差カップルの姿は既に見えない。今は雑木林の中を散歩している頃だろうか。
海岸の方を見れば、不良カップルの女が洞穴方面の崖上の道を下りて来ている。男の方は旅館に戻る道のずっと先を、時々女を振り返りながら一人で歩いていた。
(そういえば、前回の夜のあれは何だったんだろう?)
前回、深夜に見た謎の光。夜道で遭遇した不良カップルの彼女から話を聞く前に、加奈に刺されて戻って来てしまった。なので、あの光の正体や不良カップルがあの時間、あそこで何をしていたのかは分からず仕舞いだ。
(まあ、単なる"カップルの不埒な行為"なら、特に気に掛ける必要もないだろうけど)
食堂のおばちゃんに聞いた"夏場の不埒なカップル"という困った客のカテゴリに入るだけだろう。
(ああ、そうだ。今回はおばちゃんとあまり交流してないから、今の内に適当に喋っておくか)
他の客達に関する貴重な情報源だ。親睦を深めておけば、重要な情報も聞き出し易い。あの事件が起きた夜に色々詳しい事情を知れたのも、おばちゃんの話し相手になっていたからこそである。
部屋の哲郎に一声かけて食堂に向かったケイは、昼食の下準備を済ませて一休みしているおばちゃんに、サロンなど施設の使い方を訊ねながら雑談に持ち込む。旅館の歴史や困った客の話など、概ね前回哲郎と共に昼食を一緒しながら聞いた内容が殆どだった。
哲郎が夜中に飲み物を買いに行った時に聞いたという、歳の差カップルの不倫疑惑についても、若干詳しい内容を聞く事が出来た。
(男性の方は、杵島 幸浩、43歳。女性の方は、城崎 志津音、23歳――か」
『杵島さんは五十代くらいに見えたけどなぁ』などと考えつつ、おばちゃんとの雑談を終えたケイは食堂を後にした。そろそろ昼前になる。
「おや?」
部屋に戻ろうと廊下を歩いていたケイは、階段前まで来たところで、玄関脇の休憩所に加奈が一人で居るのを見つけた。一応、声を掛けてみる。
「加奈ちゃん、一人?」
「あ、曽野見さん。はい、恵美利はまだ洞穴にいるみたいです」
先に帰って来たという加奈は、何だか肩の力が抜けているような、妙にスッキリとした表情をしている気がした。
「そうなんだ? 恵美利は本当に洞穴好きなんだなぁ」
「そうですよね」
微笑んで同意する加奈。ケイは、前回とは随分違う流れだが、今日までの経緯が色々変わっているのだから、行動も変化して当然だろうと考える。
「恵美利が、お昼からの撮影会を楽しみにしてましたよ?」
「そっか、哲郎にも言っておくよ」
良い流れになったのなら問題無い。ケイはそう納得しておいた。
正午になる頃。そわそわと落ち着きがない哲郎と連れ立って食堂にやって来たケイは、食堂内を見渡して恵美利達を探した。が、まだ二人とも来ていないようだ。先に席についておこうと、いつものテーブルへ向かう。
ふと見れば、向かいのサロンに不良カップルの姿があった。前回、昼食を受け取りに来た時は、男に何か苦手なものがあり、女がそれを軽く詰るなどのやり取りが見られた事を思い出す。
「それでよー、オレがそいつに言ってやったんだよ」
「へぇ……」
今回は女の方がどこかぼんやりした雰囲気で、男の自慢話に適当な相槌を打っている。苦手なモノの話題はもう終わったのか、あるいはこれからなのか。
(ま、どうでもいいか)
特に気にする事でもないなと、ケイは不良カップルから意識を外した。
それから暫く経った頃。おばちゃんが持って来てくれた昼食を前に、ケイと哲郎は先に頂こうかと話しているところへ、加奈が食堂にやって来た。恵美利の姿は無い。
「あれ? 加奈ちゃん、こっちこっち。恵美利は?」
「あ、曽野見さん、栗原さん。それが、まだ帰って来ないんですよ」
困ったような表情をしながらテーブルまでやって来た加奈は、恵美利が直接食堂に来ているかもしれないと思って下りて来たのだそうだ。
「ど、どうしたんだろうね? まだどこか歩いてるのかな?」
「うーん、どうなんでしょう?」
頑張って会話に参加して来た哲郎の言葉に、加奈は呻りながら小首を傾げている。ケイは、そんな哲郎のフォローに回るよりもまず、食堂内を見渡して今現在、確認出来る人物を把握する。
そして加奈にもテーブルにつくよう促すと、そのまま席を立つ。
「哲郎、ちょっと厨房行って来るから後頼む」
「え? ああ、そっか、分かった」
哲郎は、ケイが加奈の昼食を用意してもらえるよう、食堂のおばちゃんを呼びに行くのかと納得して送り出す。
――ケイは、内心で嫌な予感を覚えていた。
(食堂には俺達だけ。サロンに不良カップル。恵美利は洞穴? 歳の差カップル――杵島さんと城崎さんはどこだ? まだ雑木林か?)
厨房の入り口にやって来たケイは、配膳の準備をしているおばちゃんに加奈が来た事を伝えると、恵美利と歳の差カップルの二人の事も訊ねてみる。
「あらあら、じゃあすぐ持っていくわねー。樹山さん? う~ん、朝食の後は見てないわねぇ~。杵島さん達は、今日は朝も食べに来なかったし」
「そうですか……」
食事を運ぶおばちゃんと一緒にテーブルまで戻ったケイは、とりあえず昼食を終えたら恵美利を探しに行こうと提案した。
「撮影会は中止だな。もしかしたら、どこか変な道に入って迷子になってるかもしれない」
「ああ、近道しようとして遠回りになったりとか」
「それじゃあ、行き違いにならないように私は部屋で待機してますね」
ケイの提案に哲郎と加奈も同意し、ケイと哲郎は洞穴から旅館方面に伸びる小道などが無いか付近を捜索。加奈は部屋で待つ事になった。
洞穴に続く道は向かって左側に砂浜海岸が広がり、反対側には雑木林が広がっているので、ケイはそちらを優先して探すつもりでいた。
今さっき哲郎が言ったように"近道"をしようとして雑木林に入った恵美利が、そこで歳の差カップルと遭遇する可能性もある。だが今回は早い段階から恵美利、加奈の二人と行動を共にしていたので、恵美利が歳の差カップルの男性、杵島さんにアプローチをする暇は無かった筈だ。
もし雑木林で遭遇しても、同じツアーの客として挨拶するくらいだろう。偶々、歳の差カップルの女性、城崎さんが席を外していて、僅かな時間に恵美利と杵島さんが意気投合し――などという事もありえなくはないが……。
今日の朝方、旅館前を行く歳の差カップルを見送った時に覚えた"一抹の不安"を改めて胸に懐きつつ、昼食を済ませたケイは、一度部屋に戻って準備を済ませると、哲郎と連れ立って洞穴方面へと出発した。
§ § §
ケイは雑木林方面を優先的に調べたかったが、一応近い場所から順番に見て回ろうと、砂浜海岸にやって来た。
そして、それを見つけた。
潮が引いて広くなった砂浜に、寄せては返す小波の音。小さな蟹が青白く濡れたうなじを這い、頬を伝って砂地へと下りて行く。
「あ……あ、相棒……あれ……あれって……」
「……」
立ち尽くすケイ達の、三メートルほど前方。砂浜にうつ伏せで横たわっていたのは、恵美利だった。衣服の濡れ具合や絡みついた海草などの様子から見て、海から砂浜に打ち上げられたらしい。
「哲郎、旅館に連絡して、人を呼んで来てくれないか。それと、カメラを貸してくれ」
「え? と、撮るのか?」
「警察の鑑識向けに現場写真を撮っておく」
「ああ、そ、そうか」
ケイの説明に「なるほど」と納得してカメラを預けた哲郎は、よたよたしながら旅館への道を戻って行く。砂に足を取られまくっているのは、動揺のせいもあるのだろう。
「足元に気をつけろよ?」
「う、うん」
哲郎を見送り、恵美利の遺体に向き直ったケイは、順番に写真を取り始めた。周囲に足跡などは無く、他の漂着物も見当たらない。離れた位置からぐるりと移動して全景を収めたケイは、恵美利の遺体にゆっくり近づいた。
一応、脈の確認も行ったが、やはり亡くなっているようだ。ぼんやりと目の見開かれた横顔は、石の彫刻のように冷え切っていた。
なるべく触れないように気をつけながら、全身を撮影していく。首筋に虫に刺されたような小さな赤い痣があるくらいで、特に外傷は見当たらない。服も乱れておらず、指先は爪も綺麗なままだった。
(事故か、事件か……)
色々考えているところへ、哲郎に通報を受けた旅館の人が駆けつけた。遺体を観察していたケイに、旅館の年配従業員が注意を促しながら走って来る。
「にいちゃん、触っちゃいかんよ!?」
「ええ、まだ触れてないですよ。脈は調べましたけど」
カメラを手に遺体の傍で佇むケイに、若い男手従業員達が訝しそうな目を向けるも、警察に提出する現場写真を収めていた事を説明すると納得していた。
地元で事故死した人を何人も見て来た経験を持つ年配従業員が、これは溺死だと死因を推定する。とりあえずここに置いておくとまた流されてしまうので、旅館まで運ぼうと担架が用意された。
仰向けになっても、恵美利の遺体にはこれといった外傷は無かった。その事から、崖から落ちたわけではないと推測される。
運ばれて行く恵美利。ケイは遺体を乗せた担架の後に続きながら、色々と考えを巡らせる。
(そういえば……今は潮が引いてるけど、今日の満潮は朝方で洞穴は水没していた? 洞穴の水没に巻き込まれた? それで、ここまで流されてきた?)
しかし、前回はそんな事は起きなかった。昼食時に加奈と一緒に帰って来ていたのだ。なぜ、今回は途中で別行動を取ったのか。
(今日も、朝から一緒に行動しておけばよかったかな)
ケイはそんな後悔を浮かべながら、旅館までの道程を歩いたのだった。
旅館に戻ると、入り口の所で哲郎が待っていた。入って直ぐの休憩所には、食堂のおばちゃんと加奈の姿もあった。既に事情は聞いているらしく、加奈は青い顔で担架を見つめている。
「加奈ちゃん……」
「……」
ケイが声を掛けると、加奈は静かに会釈した。そして、おばちゃんに支えられるようにしながら、恵美利の遺体が安置される別室へと、運ばれる担架の後に続いた。
今は話を聞ける状況ではない。そう判断したケイは、隣で所在無さ下げに立っている哲郎に部屋へ戻るよう促す。
「これ、中身PCに移してくれないか。あと、画像の確認もさせて貰えると助かる」
「あ、ああ、そうだね。警察が来るまでに纏めといた方がいいかも」
カメラを哲郎に返し、二人で部屋へと戻る。階段の上には不良カップルの姿があった。男の方は『何か事件が起きたらしい』という周囲の空気に、野次馬根性を出しているらしい。そわそわニヤニヤしながら何があったのか訊ねて来たので、ケイはツアー客の女の子が事故死した事を伝えた。
「砂浜に流れ着いてたのを見つけたんです」
「うぇーマジかよ、水死体かっ」
その配慮の無い物言いに、哲郎は眉を顰めると、そのまま黙って部屋へ向かった。女の方は一瞬はっとしたような顔を向けて来たが、何だか複雑な表情を浮かべて視線を一階ホールに戻す。
(……?)
ケイは、そんな彼女の様子に少し違和感を覚えた。これまで相方の男と、傍若無人な振舞いをしていた人物とは思えないような、憂いを帯びた雰囲気。
(そう言えば、前回の時も事件が起きた夜はやけに静かだったな……)
動揺がハイテンションになって表れていた男とは対照的だったので、印象に残っている。見た目はケバイ系だが、根は良識を弁えた普通の感覚を持つ人なのかもしれない。ケイは彼女に対して、そんな風に思った。
部屋に戻ると、哲郎がカメラを繋いだPCの前に陣取り、画像ファイルの転送を行っていた。専用フォルダを用意して、そこに恵美利の現場写真を纏めている。
「なんだあのドキュン男め」
藪から棒に不良カップルの男を非難する哲郎。
「ああ、あれは動揺してるんだと思うぞ」
基準がよく分からないプライドを守る為、自分を強く見せようと厳粛な場で不謹慎な言動を行う輩は珍しくない。ケイは憤懣やるかたない様子の哲郎にそう言って宥めながら、彼の隣に並んで座ると、纏められた画像をチェックする。
「……特に不審な所は見当たらないな」
「彼女、泳げなかったとか、だったのかな……」
昨日今日に知りあったばかりとは言え、楽しくお喋りもした相手に降りかかった、突然の不幸。哲郎はすっかり消沈している。
「明日の朝には警察が来るらしいから、詳しい事が分かるのはそれからだろう」
もっとも、少し親しくなった程度の関係でしかない自分達に、事故の詳しい内容が語られるとも思えないが。ケイはそう言って、画像のチェックを終えた。
夕方前。ケイと哲郎は、まだ少し早い時間だったが、夕食を取りに食堂へと繰り出す。
「あ」
食堂には、一人ぽつんと座っている加奈の姿があった。哲郎が食堂の入り口から踏み出せず躊躇してしまっている。ケイは哲郎を促しつつ、そのまま加奈の居るテーブルへと向かう。
「加奈ちゃん」
「……曽野見、さん」
「大丈夫?」
「はい……」
加奈は「部屋に一人で居るのが辛いから」と、食堂まで下りて来ていたらしい。恵美利の事故について、一人で先に帰って来た事を悔やんでいる様子だった。
ケイが加奈と話している間に、哲郎が食堂のおばちゃんとお茶を持って来てくれた。食堂のおばちゃんは『その子の事よろしくね』と言いたげな目配せをして、厨房へ戻って行く。
前回の時と同様、おばちゃんは加奈達とはあまり会話もしていなかったので、自分では彼女の力になれないと思ったようだ。傍について慰める役回りを、少しでも親しくしていたケイと哲郎に任せたらしい。
「恵美利のご家族には?」
「旅館の方が、連絡してくれました……明日、警察の方と一緒に来るそうです」
「そっか」
ゆったりと湯気の上がるお茶を前に、ほとんど会話も無く並び座る三人。無理に会話をする必要もないと、ケイはただ静かに加奈の傍らに寄り添い、哲郎もそれに倣った。
食堂の壁に設置されている時計は16時40分頃を指している。秒針の音がやけに大きく聞こえる。そんな食堂の静寂を破るように、無粋な声が響いてきた。
「おーい、サロンから酒持って来いよ酒、リエもやるだろ?」
「んー、あたしは今はいいよ」
不良カップルが夕食を取りに下りて来たようだ。彼等はいつものテーブルの端に陣取ると、男は女にサロンから酒を持って来させて、小さいグラスでちびちびやりはじめた。
ケイは、あからさまに不機嫌になる哲郎を宥めつつ、食堂内を見渡す。厨房では、おばちゃんが配膳の準備を始めている様子が窺えた。
(歳の差カップルが来てないな……)
朝方、旅館前の小道を散歩する歳の差カップルを見送った時に感じた、一抹の不安を思い出す。厨房の流し台の音と、不良カップルのぼしょぼしょ喋る声が響く食堂で、ケイは嫌な予感を覚えながら、一定のリズムを刻む時計の秒針を眺めていた。
やがて時刻は17:00を回った。歳の差カップルはまだ食堂に現れない。厨房のおばちゃんが内線電話で誰かと話している。その表情が驚きから困惑に変わったのを見て、ますます嫌な予感を募らせたケイはおもむろに席を立った。
「相棒?」
「ちょっと、おばちゃんと話してくる」
戸惑う哲郎にこの場を任せ、厨房の入り口に向かったケイは、おばちゃんが電話を終えるのを待って声を掛けた。
「杵島さんと城崎さんが、まだ来て無いみたいなんですけど……何かありましたか?」
「曽野見さん、いやそれがね、今内線で連絡があったんだけどね」
おばちゃんは声を潜めるように口元で手をパタパタさせながら、旅館の男手従業員が雑木林で大変なものを見つけたらしいと、連絡の内容を教えてくれた。
恵美利の件で警察が来るので、その事を知らせておくべく手の空いた従業員がツアー客全員に連絡を取って回っていたのだが、夕方になっても歳の差カップルの所在が掴めなかった。
部屋には帰っておらず、朝方に雑木林へ向かう姿が目撃されていたので、道に迷っているのではないかと探しに出かけた従業員が、奥まった場所で二人の遺体をみつけたのだという。
「なんかね……心中じゃないかって話でねー」
おばちゃんはそう言うと「まだ他のお客さん達にはナイショよー?」と人差し指を立てる。その時、食堂から苛立つような声が響いて来た。
「おーい、イイから先に食おうぜ」
不良カップルの男が、酌に使っていたグラスを御つまみのナッツでチンチン叩く。
夕食はツアー客全員で、という決まりだったが、実質、今食堂にいる者で全員揃った状態になっていた。おばちゃんや厨房の人達は、とりあえずこのまま夕食をとってもらう事にしたようだ。
ケイは加奈と哲郎の待つテーブルに戻りながら、内心で疑問を浮かべていた。歳の差カップルの心中は、恵美利と男性の浮気による突発的な事件ではなかったのか? と。
(恵美利の事故は、本当に事故なのか……?)
外傷は見当たらなかったと思うが、詳しく調べたわけではない。とりあえず席に戻ったケイは、夕食をとりながら加奈に恵美利の行動について聞いてみる事にした。
「加奈ちゃん、恵美利と一緒に行動していた時、彼女が他に誰か親しくしていた男性って知らないかな?」
「え? 男性、ですか……? さあ……」
加奈は覚えが無いといった感じで首を傾げた。質問の意図を測りかねている様子だ。ケイは、まさかとは思うが念の為に、不良カップルの男と話したりはしていないかとも訊ねる。
「あの人達とは話した事無いです……それに、恵美利はあまり男の人と親しくなりませんから」
恵美利は人と打ち解けるのは早いけれど、根は真面目で通しているので、男の友人はいても深い関係になる事は無く、クラスメイトからも男っ気が無いと言われていると、加奈は答えた。
(……あれ?)
ケイはその言葉に違和感を覚える。しばし言葉に詰まるケイに、加奈は訝しむような視線を向けると、静かに席を立った。
「あの……気分が優れないので、休んでいいですか」
「ああ、ごめん」
軽く会釈して食堂を後にする加奈の背中を見送るケイは、内心で疑問を浮かべる。
(男癖が悪いんじゃなかったっけ? 前回と言ってる事が違う……恵美利の名誉の為に黙ってる? いやしかし――)
「相棒~、今のは良くないよ……」
「ああ、そうだな。気をつける」
親しい友人を亡くしたばかりの相手に根掘り葉掘り聞くのはどうかという哲郎の指摘に、ケイも同意して反省して見せた。
その後、夕食の時間も終わって日が暮れた頃。旅館の玄関ホールがにわかに騒がしくなった。歳の差カップルの心中の件で、確認に出掛けていた従業員達が戻って来たのだ。
遺体を運ぶか、現場保存しておくかとういう相談を始めている。ケイは従業員のおじさん達が現場から戻って来るのを知っていたので、予め玄関ホールの休憩所で待っていた。
哲郎もケイに付き合ってこの場に居る。哲郎は「部屋で一人でいるのも息が詰まるから」と言っていたが、実は先程の加奈の事で、ケイに非難めいた言葉を投げかけたのを気にしてるが故の付き合いであった。ケイの様子が何となくおかしいのを誤認している。
おじさん達の話し声に耳を傾けると、やはり女性は首を吊り、男性は刺されて死んでいるようだ。騒ぎを聞きつけて休憩所に顔を出していた不良カップルの男が、呆然とした表情で呟く。
「マジかよ……どうなってんだよ、これ……」
(ああ、まったくだ)
動揺している不良男の零した言葉に、ケイは密かに同意した。
「哲郎、部屋に戻ろう」
「え、ああ、うん……」
今この場で得られる必要な情報を確認したケイは、哲郎を促して部屋へと戻る。哲郎は、少しだが親しく話した相手が事故死。交流は無かったが、同じツアーのカップルが心中。立て続けに不幸が起きてショックを受けているようだ。
部屋に戻ってきた哲郎は、修羅場スレ向けに今日の出来事を纏め始めた。何かしていないと気が滅入るといった様子だ。
必然的に会話も少なく、ケイは奥のソファーに身を沈めて色々と考察を深めていた。
(何かおかしい……)
洞穴。事故。心中。加奈に感じた違和感。前回、彼女に刺されたのは、洞穴前の道だった。
(まさか、加奈が?)
暗い窓の外を注意深く眺めながらそんな事を考えていたケイは、洞穴方面に例の青白い光が浮かび上がったのを見た。今回は初めから注視していたので、よりはっきりと見る事が出来た。やはりカメラのフラッシュのような、僅かに瞬く閃光のようだった。
ソファーから立ち上がったケイは、上着を手に部屋の扉へと向かう。
「相棒?」
「ちょっと出て来る。それと哲郎、警察が来るまで恵美利の画像ファイルは隠しておいてくれ。他の誰にも見せないようにな。後、絶対一人で行動するなよ? 加奈ちゃんが相手でもだ」
「え? な、なんだよそれ」
困惑する哲郎に、念の為だと言って納得させると、光の正体を調べに部屋を出た。加奈達が宿泊していた隣の部屋を見ると、扉の下の隙間に明かりは見えない。
既に眠っているのか、明かりを点けていないだけなのか。ケイは足音を立てないよう、そっと廊下を移動する。その隣にある不良カップルの部屋も静かだ。さらに隣の歳の差カップルの部屋は言わずもがな。玄関ホールの休憩所も、今は静まり返っている。
外から旅館の窓を見上げて見たが、やはりこの時間に部屋の電気が灯っているのは、ケイと哲郎が泊まる201号室だけのようだった。
ふぅっと一息、深呼吸して気持ちを整えたケイは、海岸沿いの夜道を駆け足気味に歩き出した。砂浜海岸に下りられる一帯を通り抜け、やがて目印となる電柱の街灯が見えてくる。
洞穴方面に向かう道と、洞穴の上の崖に続く分かれ道だ。呼吸を整え、一度後ろを振り返ったケイは、誰も居ない事を確認して再び歩き出す。
すると、街灯の下を不良カップルの女が歩いて来るのを見つけた。前回と同様、ケイの姿を認めた彼女は、一瞬息を呑むように立ち竦む。
「こんばんは」
「え? あ、うん、こんばんは……」
「こんな時間にどうしたんですか?」
「え……あっ、い、今、人をっ 人を呼びにいこうとしてたの! 彼が崖から落ちちゃってっ、途中にしがみついてて!」
ケイの問いかけで我に返ったかのように、彼女は酷く取り乱しながらそう訴える。
「ちょっと来て!」
そう言って走り出した彼女は、崖上に続く坂道を上り始めた。ケイは前回、彼女が洞穴方面から歩いて来ていたような気がしたが、とにかく後を追う事にした。一応、後ろを確認、加奈は来ていない。
「セイジ! 人を呼んで来たからっ」
洞穴の上の崖の端で、四つん這いになっている彼女は、崖から身を乗り出すようにして声を掛けている。
(男の名前は"セイジ"っていうのか。この人は"リエ"って呼ばれてたな)
ケイは"リエ"の隣に並んで崖下を窺うが、真っ暗で何も見えない。風と波飛沫の音が響く中、ケイがどの辺りに"セイジ"さんが居るのか尋ねようとしたその時――
バチバチッ
「ッ!?」
青白い閃光と共に、ケイの脇腹から全身に衝撃が走った。ぐらりと揺らぐ身体を両腕で支えながら脇腹に視線を向ければ、テレビのリモコンにも似た黒い箱状の物体が押し当てられている。先端には短い金属の突起。
(スタンガン? 光の正体はこれか?)
ケイは直感的にそう悟った。スタンガンを握り締めている両手は、微かに震えているのが分かる。その腕を伝うように視線を上げて、持ち主の顔を見上げると、必死の形相の彼女からもう一撃。
今度こそ完全にケイの身体から力が抜ける。崖から落ちる最後の瞬間、ケイが見た光景は――
「ごめん、ごめんなさい……」
スタンガンを握り締めて、震えながら泣いている"リエ"の姿だった。
意識が遠のく。
石神様の響きが木霊する。
やがて混濁した意識が覚醒を始め、白くぼやけていた視界に、色と輪郭が戻る。樹木の枝葉に縁取られた水色の朝空と、まだらに浮かぶ灰色の雲を見上げながら、落ち葉の匂いに包まれた。
(どういう事だ……?)
そして、頭上から現れる加奈の心配そうな顔。
「あの、大丈夫ですか?」
「ああ、問題ない」
ケイはそう言って身体を起こした。急に起き上がられて驚いた加奈が「きゃっ」と後ずさると、その腕を掴んだ恵美利が加奈を庇うようにしながらケイに警戒の視線を向ける。
既に痛みの感覚など無い脇腹を少し押さえながら立ち上がったケイは、そんな二人に声を掛けた。
「俺は曽野見 景。とりあえず、旅館に戻ろうか」
「え、あ……み、御堂 加奈、です」
「ちょっ、加奈、こんな怪しい人に名乗る事なんてないんだってばっ」
突然名乗られたので思わず名乗り返してしまった加奈に、恵美利が慌てて割って入る。そんな"仲の良い二人"の姿を見て、ケイは少し吹き出すように笑うと、旅館に向かって歩き出した。
(恵美利をどうにかするだけじゃダメだ。根本的に全体の流れを把握しないと、悲劇は避けられない)
今度は不良カップルと歳の差カップルとも接近して、彼等の事情なども知る必要がある。ケイはそんな事を思いながら、旅館の扉を潜るのだった。
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