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限界集落ツアー編

一周目

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 意識の奥に、鐘の音のような響きが木霊する。既に感じ慣れた不思議な響き。混濁する意識が覚醒を始め、薄すら白くぼやけていた視界に、色と輪郭が戻る。
 樹木の枝葉に縁取られた水色の朝空と、まだらに浮かぶ灰色の雲。それらの風景を覆い隠すように、彼の頭上から現れる人の顔。

「あの、大丈夫ですか?」

 心配そうな表情で声を掛けた少女が、仰向けに倒れている青年の様子を覗き込む。肩まで伸びる栗色の髪をそっと抑える何気ない仕草が、少女の愛らしさをかもし出している。
 艶のあるサラサラとした髪は、よく手入れされている事が分かる。少しおっとりした感じの彼女を視界に認める青年。彼がまず最初に思い浮かんだのは、疑問だ。

「……なぜだ?」
「え?」

 唐突な問い掛けに、少女は戸惑いを浮かべる。その時、彼女の隣に居たもう一人の少女が、その腕を取って引き離しに掛かった。

「何やってんのよ、加奈! 危ないから離れなさいってっ」
「え、でも……」

 警戒感を露にするその少女は、少し癖のついた明るい茶色の髪をポニーテールでまとめている。良く言えば活発そうだが、初対面の相手に配慮の無い視線を向けるその態度は、少々ガサツと言えなくもない。
 加奈と呼ばれた少女は、祠のそばに倒れていた青年の事を気にしつつも、連れの少女に腕を引かれて急かされるように去って行く。
 半身を起こした青年は、そんな彼女達の後ろ姿を目で追いながら一人呟いた。

「理由はなんだ……?」

 少し落ち葉の混じる地面から立ち上がった青年は、一つ溜め息を吐いて土を掃うと、直ぐそばに立つ灯篭風の古い小さな祠に手を合わせた。

「……とりあえず、旅館に戻るか」

 先ほどの少女達が去って行った方向に歩き出す。疎らに並ぶ木々の向こうに木造の旅館が見える。今居る場所は、古い祠がポツンと立っているだけの、旅館の前に設けられた小さな広場であった。


 限界集落と呼ばれる地域がある。
 過疎化と高齢化が進み過ぎて、社会的共同生活を維持するのが困難になってしまった集落を指すのだが、そういった地域の中にも、再生に向けて活性化の事業を試みている集落が存在する。
 ここはそんな限界集落の一つで、山奥にありながら海辺にも近いという特徴的な土地柄を活かし、自然観光を売りにした旅館を経営している。
 地域活性化事業の一環として、旅行会社を通じたツアー客を呼び込んでいるのだ。

 広場の出口までやって来た青年、『曽野見そのみ ケイ』は、所々に新しい改修の痕跡が残る旅館を見上げて目を細めた。

 今年で十八歳になる彼は、実際の年齢より二年ほど長く生きている。
 彼には、時間を遡って同じ期間をやり直す機会が何度かあった。そのやり直した時間の総計が、おおよそ二年分になるのだ。
 肉体の年齢は十八歳のままだが、やり直した記憶が保持されているので、実質二十歳相当になる。彼がこの能力に目覚めたのは、幼少の頃だった。

「まずは、部屋の確保からだな」

 これからどう行動すべきかを考えながら旅館の玄関に向かって歩き出したケイは、ついさっき、目を覚ますまでの出来事を思い起こしていた。


 * * *


 海と山に囲まれた限界集落の自然を満喫しよう。そんな一風変わったキャッチフレーズに惹かれ、連休を使って参加した国内旅行ツアー。
 このツアーの為だけに走っている旅行会社のバスに揺られ、舗装もされていない山奥の道を進んで着いたのは、古めかしい旅館が一軒だけ立つ小さな集落。他に民家らしき建物は見え無い。
 旅館の周辺には落ち葉で埋め尽くされた白樺の雑木林と、子供の背丈ほどの古い小さな祠しか無い広場。パンフレットの案内によると、旅館の裏の土手を下れば砂浜海岸や洞穴があるらしい。

 バスを降りたケイは、今日から一週間ほどお世話になる旅館を右手に見上げながら玄関に向かおうとして、ふと覚えのある波動を感じ、そちらに足を向けた。

「これか……」

 旅館前の広場にぽつんと佇む古い小さな祠。ここに『石神様』の波動を感じる。石神様は、ちゃんとした社や祠、お地蔵さんに埋め込まれている場合もあるが、ただの岩の下や古い家の庭先など、何でも無い所にあったりもする。
 石神様に関する由来など、詳しい事まではケイにも分からない。ただ、その恩恵を受ける為の能力と、使い方を知っている。ケイは祠に手を合わせると、幼少の頃に田舎のお婆ちゃんから教わった、おまじないの言葉を強く念じた。
 すると、意識の奥に一瞬の耳鳴りにも似た、透き通るような鐘の音が響いた。

「これでよし。さて、旅館の受付に行こうかな」

 "石神様が響いた"のを確認したケイは、そう呟いて広場の祠を後にした。

 元は小学校だったという木造の旅館。彼方此方に修繕や増改築の跡が見られるが、これはこれで中々趣を感じられる。しかし、着いて早々トラブルに見舞われた。

「はいはい、曽野見 景さんね~。お連れの方はもう部屋にいらっしゃいますよ~」
「え? 俺、連れ居ませんけど?」
「えっ?」

 受付のおばちゃんは、ケイの言葉に驚いた様子で予約客の名簿と睨めっこを始めると、聞いた事の無い名前を挙げて確認を取る。

「栗原さんとは……お知り合いじゃ……?」
「知らないです。ていうか、俺今日は一人で予約取ってる筈ですけど」
「えー、ちょ、ちょっと待ってね」

 おばちゃんは慌てた様子で電話の受話器を耳に当てると、内線ボタンを押して誰かと話し始めた。そのまま待つこと暫く、申し訳なさそうな表情を浮かべたおばちゃんから事情を説明される。
 どうやら旅館側のミスで先ほど名前の出てきた栗原という人とのペア客として登録してしまっていたらしい。他の宿泊客も皆がペア客だったので、勘違いがあったようだ。
 そしてさらに困った事に、空き部屋がもう無いという。

「申し訳ないですけど、ここは相部屋という事に……」

 両手を合わせて平謝り状態のおばちゃんの提案に、ケイは相手方がいいのであればと了承する。
 よく当て所も無い一人旅を楽しむケイは、飛び込みで安宿に泊まる時など、他の旅人や外国人のバックパッカー達と相部屋になる事も、珍しくなかった。
 受付のおばちゃんは早速、内線電話で栗原さんに連絡を入れると、相手からも了承が得られたと部屋番号のついた鍵を渡してくれた。

「201号室か……」

 この旅館の客室は全て二階にある。鍵を持って階段を上がり、最初の客室が201号室だ。
 ちなみに、二人部屋である201号室、203号室、204号室、206号室は海に面した部屋で、土手を下った先にある小さな砂浜海岸と洞穴のある丘が見渡せる。
 それらの部屋と対面にある202号室、205号室は家族客や団体客用の大部屋である。

 コンコンと一応ノックしてから扉を開ける。部屋の真ん中辺りに茶色で光沢のある横長の卓子と座椅子があり、相部屋となる栗原さんらしき人物が座っていた。
 ケイと同い年くらいで、少々恰幅の良い眼鏡の若者。銀色のノートPCを開いて作業中のようだった彼は、部屋に入って来たケイに気付くと、少し顔を上げて会釈する。

「あ、どうも……」
「こんばんは」

 ケイは挨拶をして部屋を見渡した。二人用とはいえ結構広く、四人くらいで使っても手狭に感じる事はなさそうなほど余裕がある。奥は障子を挟んで板の間の空間にテーブルとソファーが並び、一面ガラス戸の向こうには海が見える。
 荷物(といってもリュックサックだけだが)を置いて一息ついたケイは、先ほどからノートPCのキーをプチプチと叩いている栗原さんに声を掛けてみた。

「お仕事ですか?」
「え? あ、いえ……旅日記というか、ちょっと今日の分のレポートを」
「あ~日記でしたか。という事は、ブログとか?」
「ええまあ、ただここってネット環境がないんで……携帯も圏外だし」

 リアルタイムで記事を上げられないので書き溜めているという。圏外と聞いたケイは自分の携帯を取り出し、圏外表示を確認して納得した。

「本当だ、パンフレットには書いてなかったような」
「だよねっ、書いてなかったよねっ! いくら限界集落つっても、今時無線LANくらいはあると思ってたからもうビックリしちゃってさっ、ツアーの申し込みとか旅行サイトでやったのに旅館のオーナーがネットの事よく分かってないとかマジで唖然だったよー」

 急にまくし立てるようにそう語った栗原さんは、デジカメを取り出してPCに繋いだ。写真つきの旅行ブログなので、道中の風景なども画像ファイルとして保存しているという。
 最初は人見知りにも感じられた彼だが、根は社交的で、共通の話題を持つと饒舌になるようだ。
 ちなみに、見せて貰ったPCのデスクトップには複数の女の子アニメキャラが大集合している。自分で作った壁紙らしく、リアル時間に合わせて背景も朝、昼、夕、夜と変化するそうな。
 ケイが『よく出来てるなぁ』と感心すると、彼はとても喜んでいた。趣味を同じくする友人以外からはほとんど興味を持たれる事もなかったので、褒められたのは嬉しかったらしい。

 栗原くりはら哲郎てつお、18歳。行動派オタを自称する彼と親しくなったケイは、旅先のエピソードや友人の話などで互いに親睦を深めあった。

「いや~、ケイって名前が女の子っぽかったからさ、てっきり若い娘と相部屋になるのかと思って緊張したよ」
「なんだそれ、もしかして哲郎があっさり相部屋OKしたのって、そこか」
「いやいや~そんなコトハナイヨ」
「なぜ後半棒読み」

 割と気の合う二人であった。

 今回のツアーは六泊七日。この旅館では朝食は取るも取らないも自由。昼食は部屋に届けて貰う事も出来る。夕食は全員が食堂で取る事になっていた。
 ツアー客は朝と昼の送迎バスで各々がバラバラにチェックインしている。観光コースなどは特になく、限界集落の自然を各自が好きに計画を決めて楽しむ内容になっているので、夕食の時に皆が顔を合わせる事になる。

 現在時刻は16時30分を回るところ。ケイは哲郎と連れ立って一階の食堂に向かっていた。

「で、そいつの妹さんがまた黒髪ショートの美人さんでさー、巫女衣装のコスプレ写真とかすげー可愛いでやんの」
「へー」

 駄弁りながら食堂にやって来ると、他のツアー客らしき若い女の子二人組みが端っこの席で食事を取っていた。女子高生くらいだろうか、艶のある栗色セミロングの大人しそうな子が、ケイ達に気づいて会釈する。
 彼女の対面に座る少し癖のついたポニーテールの子がちらっと振り向き、そのまま興味無さそうに食事に戻った。そしてセミロングの子に何やらヒソヒソと話しかけている。

 ケイ達も適当に席に着こうと移動する間、哲郎がこそっと耳打ちした。

『ポニテ感じ悪い。セミロングの子かわゆす』
『ははは』

 その後、食堂にはいかにも遊び人風なチャラい格好の男女や、一見すると親子にも見える初老の男性と若い女性のカップルがやって来て席に着く。

『リア充カップルと歳の差カップル』
『この場合、どっちもリア充じゃないの?』
『いやあ、片方は枯れかけてる風だし』
『ひでぇ』

 哲郎とそんな話をぼしょぼしょ交わしつつ夕食を終えたケイは、食後の腹ごなしにパンフレットに載っていた旅館の施設を、適当に見流して歩く事にした。哲郎はそのまま部屋へと戻った。

 旅館の施設には食堂の隣にバーと共用のサロンがあり、大浴場の向かい側に遊戯室もある。古いゲーム機や卓球台が置いてあった。一階と二階の階段脇には値段高めの自動販売機。
 小さいエレベーターも設置されていて、これは車椅子や杖をつく年配者に配慮した設備らしい。一通り見て回ったケイは階段を上って部屋へと戻る。

「おかえりー」
「ただいまー」

 哲郎は備え付けの冷蔵庫に入っているジュースを飲みながら、ノートPCで今日の日記を纏めている。彼の向かい側に座ったケイは、メモ帳を取り出してテーブルに広げた。就寝前に明日以降の観光計画を立てるのだ。

「どこを観て回ろうかな、哲郎の予定は?」
「ボクは砂浜海岸と洞穴の写真から撮るつもりだよ」

 それぞれ昼と夜、満潮時と干潮時も撮る予定なのだそうだ。小さな入り江になっている砂浜海岸は、潮が引いてる時は入り江の入り口付近まで砂浜が伸びるらしい。
 洞穴は横穴も多く、それほど密閉された空間ではないので、蝙蝠などは生息していない。

「洞穴は満潮時に水没するらしいから、今回は海岸がメインかな」
「面白そうだな」

「一緒する?」
「そうだな。邪魔じゃなかったらついて行こうかな」

 哲郎は『ノーボッチ、イエスフレンド!』とか言って歓迎している。長閑な田舎の自然を一人で観て回るのも趣きはあれど、せっかく親しい友人が出来たのだから一緒に歩くのも悪くない。

 そんな訳で、明日は哲郎と砂浜海岸と洞穴を観て回る事にした。



※ ツアー二日目。



「哲郎~朝飯にいくぞ~」
「すぐ行くー……」

 低血圧を自称する哲郎は、未だ眠そうにしながらモソモソと服を着替えている。

「先に行くぞー」
「うー……」

 返事だか呻きだか分からない声を返す哲郎に一声かけて廊下に出たケイは、昨日食堂で見た女の子二人組みの片方と鉢合わせた。栗色セミロングの子だ。

「おはよーございまーす」
「あ、おはようございます……」

 ケイが気軽な挨拶をすると、その子は控えめにお辞儀をしながら挨拶を返す。その上品な立ち振る舞いに育ちの良さがうかがえる。
 その時、一つ隣の部屋の扉が開いてポニーテールの子がバタバタと飛び出して来た。

はにゃ加奈ー? あひゃひあたしふリッふクリップひらにゃ――」
「あ、恵美利えみり……」

 髪留めのゴムを口にくわえ、頭の後ろで髪を纏めながら廊下に踏み出した恵美利は、はたと立ち止まって目の前のケイを見上げた。しばし無言で見詰め合う。
 顔が近いからか、無防備な姿を見られたからか、恵美利の頬が仄かに赤面する。とそこへ――

「やー、わりーわりーお待たせー……うん?」

 やっと着替え終えた哲郎が現れ、廊下でお見合いをしているケイと恵美利に首を傾げる。ハッと振り返った恵美利は、くわえていた髪留めで手早くポニーテールを結うと、加奈の手を引いて歩き出す。

「いこ、加奈」
「え? あ、うん」

 そうして二人が立ち去るのを見送ると、隣にやって来た哲郎が何だか自分が出て来た途端に移動されると、避けられているみたいで気分悪いと悪態をつく。

「やっぱりポニテ感じ悪い」
「ははは……」

 数字の3を反転させたような口にしてぶつぶつ言っている哲郎を宥めながら、ケイ達も食堂へと向かうのだった。


 食堂に入ると、昨日よりも若干賑やか――というより、少しざわついているような雰囲気だった。何事かと食堂内を見渡したケイ達は、直ぐにその原因が分かった。

「なんかしょべーよなー」
「キャハハッ はっきり言うー?」

 哲郎がリア充カップル認定していた二人組みが、食事の内容に文句を言っているらしい。食堂のおばちゃんが困ったような愛想笑いで応対している。

「ニク無いのかよニクー」
「パックの焼肉でも買っときゃ良かったねー」

「うーん、調理の人に言っといてみるね~。あ、ここ禁煙だから吸う時はサロンでお願いね~」

 おばちゃんはなかなか手馴れた感じであしらっていた。喫煙を注意された若い男は、テーブルの上に煙草の箱を置いて、その横でライターをカンカン鳴らしながら舌打ちする。
 若いカップルの傍若無人な態度に、他の客達も目は合わさないが眉を顰めているようだ。哲郎が旅館の料理を擁護しながら、件の二人をリア充カップルから不良カップルに認定した。

『山菜のおひたし美味しいのになー』
『同意する』

 彼等の居る席を避けるようにして隅の座ったケイと哲郎は、今日の撮影予定などを話し合いながら朝食を済ませたのだった。

「それじゃあ撮影に行こうか」
「ああ、海岸からだっけ?」

 哲郎と食堂を出ようとしたケイは、視界の端に違和感を覚えてふと隣のテーブルに視線を向ける。そこには哲郎認定の『歳の差カップル』の姿があった。
 テーブルで向かい合っている二人は、特に会話も無く、黙々と食事を続けているようなのだが、若い女性の方はどこか恍惚とした表情で、じっと初老の男性の顔を見つめている。初老に見える男性の方はと言えば、殆どうつむき加減で機械的に箸を動かしている感じだ。
 食欲旺盛でがつがつ食べる彼氏の姿に見惚れている彼女のような構図、と捉えられなくも無いが、二人の様子はそんな微笑ましい空気とは程遠く感じられた。
 何だか奇妙な雰囲気だなと思うケイだったが、あまりジロジロ見ている訳にもいかない。他人の観察はさっさと切り上げ、海岸の撮影に出掛ける哲郎の後に続いたのだった。

 砂浜海岸で写真を撮り終え、次は洞穴へ向かおうとデコボコ道を歩いていたケイと哲郎は、途中で少女の二人組みと遭遇した。彼女達は洞穴を見に行った帰りらしい。
 会釈してそのまますれ違おうとしたケイ達だったが、意外にもポニーテールの子が話し掛けてきた。

「やっ、君達も洞穴いくの?」
「え? ああ、うん」

「へぇー、洞穴好き?」
「ああいや、特別好きって訳じゃないけど、観光で……」

「そっかぁ、あたし洞穴とか廃墟とか好きなんだー。そう言えば、君の名前は?」

 これまであまり友好的とは言い難い立ち振る舞いだったので、突然のフレンドリーな接し方には少々面食らってしまう。
 どうやら彼女は廃墟や洞穴が好きらしく、ここの洞穴を見て回った事でテンションが上がっているらしい。

「あー、俺は曽野見そのみケイ
「あ、ボ、ボクは栗――」
「ケイ君って言うんだ? あたし樹山きやま恵美利えみり。よろしくねっ」

 とりあえず名乗るケイ。哲郎も名乗ろうとしたが、被せられた。樹山 恵美利と名乗ったポニーテールの子は、彼女が『加奈』と呼んでいるセミロングの子に行こうと促して去って行く。
 セミロングの子は苦笑しながらケイ達に会釈すると、恵美利の後を追っていく。その時――

(うん……?)

 ケイは一瞬、彼女の表情に違和感を覚えた。加奈が恵美利の方を振り返る僅かな瞬間に垣間見えた、鋭く、突き刺すような視線。嫌悪の眼。
 海岸の方へと去って行く二人の後姿を見送りながら、ケイは今し方感じた違和感について哲郎にも話を振ってみようとして――

「何やってんだ哲郎?」
「エア・カベドン」

 何か槍の中段付きみたいな事をやっている哲郎。『ドンする壁がなかったんだ……』とか言っている。

「なんだそりゃ」

 二人で御馬鹿なネタで笑い合う内に、少女達の違和感の事も忘れてしまった。
 その後、道なりに進んで洞穴にやって来ると、中を探索しながら写真を撮る。所々に開いた穴から外の景色が窺える。

「水流が強くなければ、水没中にダイビングとか楽しめそうだな」
「ちょっと怖いけどな」

 洞穴での撮影を終えて外に出ると、そのまま出入り口の隣にある緩い坂を登り始める。洞穴の上の崖には、少し開けた空間があるのだ。丘のような斜面を登り、やがて天辺まで辿り着く。

「風つえー」
「でも気持ちいいな、ここ」

 ここからは砂浜海岸と旅館、周辺の林や山などが一望出来る。周囲には民家を含め、建物らしき施設が何も無い。山に囲まれたこの一帯が如何に辺境であるかを実感出来た。
 崖の上から海岸を見渡していると、さっきの少女二人組みが旅館に戻る道を歩いてるのが見えた。ケイと哲郎もそろそろお昼なので戻るかと、緩い斜面を下り始める。

「昼飯食ったら、夕方また撮影にくるぞー」
「おうー」

 旅館に帰って来たケイと哲郎は、一度部屋に戻って荷物を置くと、昼食を取りに食堂までやって来た。他に客の姿は無く、食堂に昼食を取りに来たのは二人だけのようだ。

「あらー、二人分ねー? 直ぐ用意するからねー」
「あ、お願いします」

 食堂のおばちゃんは厨房に入ると、食器を並べて鍋の間を行ったり来たりしている。折角なので食堂のおばちゃんと談笑しながらの食事にしようと、用意された昼食の席について誘ってみる。

「あらそ~う? じゃあ一緒しようかしら~」

 おばちゃんはケイ達の申し出に嬉しそうに応じると、向かいの席に座った。『賄い』程度の食事を用意してニコニコと話し相手になってくれる。
 この辺りの土地について、色々な話を聞かせて貰えた。

「あの海岸はいい雰囲気ですよね」
「そうーでしょー? 夏なら泳げたのにねぇ」

 砂浜海岸の一帯は洞穴やその上の岸壁など、絶景ポイントが一纏めになっている珍しい観光の地として、地元の人にとっても自慢の場所らしい。

「でも、洞穴とか上の崖を歩く時は気をつけてね?」

 少し声を潜めたおばちゃんは、その昔、洞穴で人身事故があった事なども教えてくれた。水没する時は水が満ちるのも結構早いので、満潮時には近づかないようにした方が良いと言う。

「夜中に探検しにいって、水没に巻き込まれちゃったりねー」
「あー、それは怖いですねー」
「暗いし波の音が結構大きいから、水が入ってくる音にも気づき難いんですかねー」

 旅館周辺の雑木林は、夏場など不埒なカップルが夜な夜な如何わしい行為に及んだりして、その後始末をするのが大変だとか。

「ちゃんと持って帰ってくれればいいんだけどねー、そのままにしてあるからもうー」
「ははは……」
「色んな意味で迷惑ですねー、それ」

 旅館前にある広場の祠は、ここに集落が出来るまえからあったモノらしいという。建物は何度か建て替えられているそうだ。
 あの祠が歴史あるものだという事は、ケイは石神様の関係で深く理解していた。

「ずーっと昔には、巫女祭りがあったんだけどねぇ」
「うわー、その祭り見てみたかったー」
「祭りじゃなくて巫女さんを、だろ?」

 ケイがツッコミを入れると、哲郎は『祭りも込みでこそ衣装は生きる』などと謎の力説をする。何故かおばちゃんがうんうんとニコニコ顔で頷いていた。多分、意味は分かっていないだろう。
 そんな調子で楽しく昼食の時間を過ごしたケイ達は、夕方まで適当に時間を潰そうと、それぞれ部屋でPCに取り込んだ写真画像の編集を行ったり、広場を散歩したりと別行動をとった。

 その後、陽が翳って来た頃に部屋へ戻ると、準備万端で待っていた哲郎と夕方の撮影に出かけた。夕日に染まる海岸や岸壁は、昼間の青々とした雰囲気とはまた違った優美な趣き感じさせる。

「これは、いい絵が撮れそうだなっ」
「ああ、なかなか綺麗な景色だね」

 ケイと哲郎は海岸と岸壁を行ったり来たりしながら、陽が沈む頃まで撮影を続けたのだった。


 星の瞬き始めた時間。旅館に戻って来たケイ達は、部屋に荷物を置いて夕食をとりに食堂へ向かう。

「ちょっと遅くなっちゃったな」
「太陽が沈みきるまで撮ってたもんな」

 食堂にやって来ると、既に他の客達は食事を始めていた。割と広い食堂でペア毎に固まり、バラバラに座ってそれぞれの空間を作っている印象だ。

 初日の時は皆、特に交流は無くとも普通に旅行仲間という雰囲気だったが、今は何か壁があるような、妙な空気が感じられる。
 どこに座ろうかと見渡していると、ポニーテールの娘、恵美利が手を振り振り声を掛けてきた。

「ケイくーん、こっちこっち」

 恵美利は対面の席に座るよう促している。哲郎と顔を見合わせたケイは、別に断る理由も無いかと、彼女達の対面に座る事にした。昼間に少し話をしたので、顔見知りカテゴリに入ったのかもしれない。
 食堂のおばちゃんが、「直ぐ持って行くね~」と厨房から顔を出す。

 彼女達の席へ移動中に他の客達の様子を窺うと、不良カップルは端っこの方でイチャイチャとちちくりあいながら何か駄弁っている。彼等には近寄りたくないし、彼等も他の客達と馴れ合おうとする気はないようだ。

 歳の差カップルは何だか空気が重い。初老の男性は相変わらず黙々と食べており、若い女性はそれを眺めている。が、やはり二人の姿に微笑ましさは感じない。不良カップルとは別の意味で近寄り難いものがあった。

 そうこうしている内に、少女二人組が待つテーブルの対面に到着。席に着くなり、恵美利が話し掛けてきた。

「ねー、あんた達ってずっと写真撮ってるじゃない?」
「あーうん、俺達というか、哲郎がね」

 ケイがそう言って哲郎に話題を投げると、哲郎は慌てて写真の事を説明しようとした。

「え? ああ、ブログに、旅の記録で――」
「でもさー、おんなじ風景何枚も撮っても意味なくない?」

 しかしまた言葉を被せられ、『あうっ』となっている哲郎。中々失礼なお嬢さんだが嫌味っぽくは無く、サバサバした性格なのだろう。ケイは恵美利の事をそう認識した。

「何枚も撮った中で、最高の一枚を見出せるのが良いんじゃないか。な、哲郎」
「そ、そうそう、サンプルは多い方がいいっていうし」

 微妙にズレた哲郎の返答。女の子二人と食事という慣れないシチュエーションに、テンパっているようだ。とりあえず、ケイは『がんばれ、哲郎』と内心で応援などしておいた。
 そんな感じで、この日の夕食は少しぎこちないながらも、若者同士の親睦を深めたのだった。


 その夜。ケイが風呂上りに部屋の窓際で涼んでいると、飲み物を買いに出ていた哲郎が一時間くらいして戻って来た。

「おかえり、遅かったな」
「ああ、ちょっと食堂のおばちゃんと駄弁ってた」

 何でも今回のツアー客は気軽にお喋り出来る相手がおらず、噂好きなおばちゃんとしては話し相手が欲しかったらしい。

「不良カップルは論外だし、女の子二人組みはあんまり話題が合わないし、歳の差カップルは何か訳有りっぽくて近寄り難いんだと」
「訳有り?」

 旅館のおばちゃんによると、歳の差カップルは夫婦かと思っていたら違っていたそうで、きっと訳有りだろうなぁという事らしい。

「推定年齢やら苗字が違う事から、親子でもなさそうだし、不倫旅行とかかもしれないってさ」
「発想豊かだな……でも、あんま他人の詮索するのも良くないな」
「それもそうだし、もし訳有り旅行なら下手に首突っ込まないが吉だよ」

 ケイの懸念に哲郎も同意する。哲郎の話では、何かネットにその手の話を集めたまとめサイトがあって、そういう人達の体験談記事を読むと、かなりドロドロしてるらしい。

「そんなサイトがあるのか……」
「帰ったらお勧めサイトのアドレス、まとめて紹介するよ」

 ここはネット環境がないからなぁと、哲郎は今日の出来事をPCの旅日記に記していた。



※ 翌日、ツアー三日目。



「哲郎ー、朝食に行くぞー」
「お、おう~……もうちょっと」

 昨日と同じようなやり取りをするケイと哲郎。若干、哲郎の覚醒が早いのは、昨日の夕食時に女の子二人組みと親睦を深められたので、朝食も一緒しようと気合で血圧を上げているらしい。

「よ、よし、準備おっけー」
「じゃあ行くか」

 期待に胸膨らませる哲郎と連れ立って部屋を出る。食堂に向かう廊下で彼女達と鉢合わせる事は無く、食堂にも居なかった。他の客の姿も無い。代わりに食堂のおばちゃんが出迎えてくれた。

「あら、おはよう曽野見さん、栗原さん」
「おはようございます」
「おはよう、おばちゃん。あの……女の子二人組はまだ?」

 哲郎がさりげなく訊ねる。おばちゃんによれば、あの二人なら三十分は早く食事を終えて出かけたとの事だった。

「マジでー」
「まあ、七時起きくらいは普通だろうな」

 そう言って納得したケイは、脱力している哲郎の肩をポンポンしながらテーブルに着くのだった。その後、朝食を済ませて部屋に戻ったケイ達は、今日の予定を話し合う。

「砂浜と洞穴は結構撮ったと思うけど、今日は何処に行く?」
「今日は旅館の写真を撮っておこうかと思う」

 周辺の景色は十分に撮影出来たので、遅ればせながら趣のある旅館の建物も撮影するという。昨日は散々歩き回ったので、それもいいなと、ケイは今日も付き合う事にした。

 哲郎が旅館の置物や廊下などを撮影している間、ケイは建物の外に張り出した形で設置されている非常階段の踊り場から、外の景色など眺めていた。
 ここからだと、海岸と洞穴の上の崖に続く道がよく見える。

「ん? あれは、樹山さん達か」

 洞穴のある岩場の道に件の少女二人組、恵美利と加奈を見つけた。ふと見ると、同じ道を砂浜海岸に向かう不良カップルの姿もあった。あのカップルは昨日、一昨日と殆ど部屋に居たようだ。
 二組のペアの様子を何となく眺めているところに、旅館前の落ち葉を掃除する音が聞こえて来た。階段の手摺にもたれながら階下を見下ろせば、広場の付近を歳の差カップルが歩いている。彼らの向かう先には白樺の雑木林。
 ケイは同じツアーの客が、ここまでバラバラに行動するのも珍しいかもしれないなと思いつつ、哲郎に声を掛ける。

「哲郎、雑木林の撮影はしないのか?」
「うーん、なんか写りこみそうで怖いんだよなぁ、あの林」
「はははっ、確かに雰囲気はあるけど」

 しかしそれなら洞穴も結構そういうのがありそうじゃないかと振ってみると――

「いや、あっちは海水の塩が清めてくれてそうな感じするじゃないか」
「ええ~~何だそれー」

 ツッコミどころ満載の答えが返って来た。二人でそんなお馬鹿話をしながら、旅館の各所を回っている内にお昼になった。

「今日は画像の編集したいから、昼飯は部屋で食べよう」
「分かった。哲郎の分も持って行くから先に戻っててくれ」
「おっ、わるいな」

 昨日の飲み物の借りだよと、ケイは哲郎を部屋に帰して自分は食堂に向かう。食堂のおばちゃんに昼食を運ぶ為の岡持ちを用意して貰いながら周囲を見渡すと、廊下を一つ挟んだ食堂の隣にあるサロンで、駄弁っている不良カップルを見つけた。

「えーっ、それはちょっと意外ていうか、男としてどうかだよー」
「いやマジ苦手なんだって、だいたい行くイミねーじゃん」

 なにやら男性に苦手なモノがある事が分かって、女性が軽く幻滅している、というような雰囲気のやり取りが聞こえる。

(そういえば、昼前は砂浜海岸の方に行ってたよな。船虫でも出たのかな?)

 海辺の生き物は、割とグロテスクな見た目のモノも多い。普段から釣りなどで慣れていなければ、都会の若者には生理的に受け付けないという事もあるだろう。ケイはそんな事を考えつつ、岡持ちを受け取って食堂を後にした。
 部屋に戻る途中、二階への階段を上がったところでパタパタというサンダルの足音に振り返ると、恵美利と加奈が一階の廊下を横切って行った。二人は食堂に向かうようだ。

(哲郎、みごとに擦れ違ってるな)

 部屋に戻ったケイが、件の二人組は食堂で昼食を取っている事を教えてやると、PCに向かって作業をしていた哲郎はそのまま横にゴロンと一度転がって、今の心境を表した。

「七転八倒?」
「七転び八起きっ」

『一文字ちがーう!』と抗議しながら作業を続ける哲郎をイジって遊ぶケイ。哲郎曰く、夕食時には全員が揃う事になるので、その時また御呼ばれする事を期待しようとの事だった。
 哲郎の随分と受身なアプローチ策に、ケイは能動的なアプローチを勧めてみる。

「あの二人、しょっちゅう洞穴を見に行ってるみたいだから、一緒に撮影とか誘ってみたら?」
「頼む、相棒」
「ええっ、そこは哲郎が誘わないと」
三次元リアルの女の子誘うとか無理」

 ならば偶然を装って二人が洞穴に赴いたタイミングで撮影に行くか、などとアイデアを出しては作戦を考えたりする。
 本格的に彼女を作ろうとか、ナンパしようとか言う話ではないが、同年代の友人とこういったやり取りをするのも、なかなか楽しいものだ。

 この日の昼間は、部屋で哲郎の作業を手伝ったり邪魔したりつつ、雑談などしながら過ごしたのだった。


 西の空が茜色に染まり始めた頃。部屋も暗くなってきたので、電気を点けて夕食に向かう準備を始めるケイと哲郎。

「しかし三日目で撮り尽くすと、残りは何もする事が無くなるな」
「ああー、本来ならツアー客同士の交流とかで色々イベントがありそうなんだけどな」

 今回のツアー客の面子で親睦を深め合っている場面など、想像がつかない。本当に各ペアそれぞれがバラバラに行動している。唯一、少女二人組とはそれなりの交流が持てそうな所が救いだ。

「じゃあ残りの滞在期間を退屈な日々にしない為にも、頑張ってアプローチだな」
「頼む、相棒」
「うをいっ」

 そんなやり取りで談笑しながら、ケイと哲郎は食堂に向かった。
 二人が食堂にやって来ると、不良カップルが何時ものテーブルの端に陣取り、サロンから持ち出したらしき酒をちびちびやっている。彼らの他に客の姿はなく、少女二人組も歳の差カップルも見えない。今日は自分達が早く来過ぎたのかなと、適当なテーブルに着く。
 暫くすると、少女二人組みの片方、セミロングの加奈が一人でやって来た。近くに座ったので、ケイが声を掛けてみる。哲郎が小声で『いいぞ、相棒』とか言っているが、スルーしておく。

「御堂さん一人? 樹山さんは?」
「あ……恵美利とは昼食の後にまた洞穴に出かけたんですが、急用を思い出したとかで――」

 先に戻ると言われてそこで別れたのだが、夕方前に加奈が部屋に帰るも、姿が無かったという。着替えや小物の入ったバッグもそのまま手付かずだったので、部屋には戻っていない様子だったとか。

「そうなんだ? って事は、まだどっか出歩いてるのかな」
「そうかも、しれません」

 その後、夕刻17:00を回っても恵美利はやって来る気配が無かった。彼女の他にも、歳の差カップルが二人とも食堂に顔を出していない。
『どうしたんだろうね?』と、気に掛けるケイや哲郎に加奈、それに食堂のおばちゃんも交え、呼びに行くべきか、館内アナウンスを使おうかと話し合う。

「おーい、イイから先に食おうぜ」
「オナカ空いたよねー」

 不良カップルが酌に使っていたグラスを御つまみのナッツでチンチン叩く。時刻は17:20分を過ぎた頃だ。確かにあまり遅くなっても料理が冷めてしまうという事で、この場は先に頂く事にした。
 昨日もケイと哲郎が遅れて食堂にやって来た時は、既に皆箸に手をつけていたのだから、夕食は全員揃って、という取り決めにも今更感がある。

 そんな訳で、自然にケイと哲郎、加奈が一つのグループになって夕食を始めたが、加奈はあまり食欲が無いらしく、少しだけ口をつけて部屋に戻ってしまった。

「なんか顔色悪かったな」
「体調崩したとか?」

 心配そうに見送る哲郎の言葉にケイも同意する。あまり活発そうな娘ではなさそうだし、元気な恵美利に引っ張りまわされて疲れが出てるのかもしれないと。

「あ、もしかして、それで気を使って一人で動いてるとか?」
「うーん、それじゃあ夕食にも帰って来ない理由にはならんだろう」

 哲郎の推測にツッコミつつ、夕食を終えたケイ達も部屋へと戻った。途中、二階の廊下で歳の差カップルを呼びに来ていたおばちゃんと会った。

「ごちそーさまでした。どうでした?」
「あら、お粗末さまでした。いやそれが居ないみたいなのよー」

 ケイが夕食のお礼を言って件のカップルの様子を訊ねると、おばちゃんもそれに応える。恵美利と同じく、こちらの二人もまだ帰って来ていないらしい。
 ふと、昼間に歳の差カップルが雑木林に向かって歩いていた事を思い出したケイは、何となく聞いてみた。

「ここの雑木林って、奥まで入ったら迷ったりします?」
「うーん、そうねぇー、夜中に山の近くまで行くと、ちょっと迷っちゃうかもねぇ」

 しかし相当距離がある上に途中でかなり道が険しくなるので、迷いそうな所まで踏み入るのは大変だろうとの事だった。

「でもそうねぇ、暗くなるとちょっと入った所でも、迷う人はいるかも……」

 何せこの辺りで建物と言えばこの旅館くらいしかないので、日が落ちる頃には雑木林の中は真っ暗になるという。明かりになるモノでも持っていなければ、立ち往生してしまうかもしれない。
 おばちゃんは、旅館の放送用スピーカーで周辺に呼び掛けてみる事も検討すると言って、一階の管理室へ相談に下りて行った。

「旅館の近くだと結構木の間隔とか広く見えるけど、やっぱり奥に行くと旅館の明かりも見え難くなるのかな」
「そうかもしれないな」

 ケイと哲郎は『俺達も撮影に行く時は気をつけないとな』というような事を話しながら、部屋へと戻った。


 ――それから暫く経った頃。
 旅館の中が俄かに騒がしくなった。外で誰かが叫んでいるようだ。時刻は20:30分過ぎを指している。部屋で駄弁っていたケイと哲郎は、その声に顔を見合わせると、部屋を出て非常階段の踊り場から声のしている方向を注視した。
 懐中電灯を手にした旅館の男手従業員が数人、雑木林の方から大声で何か叫んでいる。

「何て言ってるんだろう?」
「うーむ……たいやっちゃ、たいやっちゃ?」
「訛りかな? けあうにれんらく?」
「けあうにれんらく……けえさつに連絡、か?」

 ケイの翻訳に、哲郎が『それだ!』と指を指す。しかし警察に連絡しなければならない事態とは穏やかじゃ無いなと、二人して下の様子を見守った。

 そのうち雑木林の奥から戻って来た男手従業員が、旅館の玄関前で現状を報告し合っていたので、ケイ達もそれに耳を傾ける。

「三人じゃ」
「三人? 三人ともか」
「三人ともじゃ。一人吊ってる。女の方。んで二人刺されとる。男の方と女の子」
「熊じゃないんか?」
「違う。ありゃ違う」

 そんなやり取りが聞こえた。ケイと哲郎が一階のホールに下りると、食堂のおばちゃんが居たので詳しい話を聞いてみた。
 おばちゃんの話によれば、件の三人が夜になっても帰って来ないので、旅館の人が付近の捜索に出ていたらしいのだが、雑木林の奥でその三人の遺体を発見したのだそうだ。

「えぇーマジすか……」
「今刺されてるとか聞こえたんですけど、まさか殺人ですか? 事故とかじゃなく?」

 愕然としている哲郎とは対照的に、ケイは更なる詳しい情報を求める。もし殺人事件なら、付近に危険な犯人がいる事になる。
 顔見知りに降りかかった突然の死という事態に、驚くよりもまず状況確認をしようとするケイ。それは特異な能力を持つが故に、これまで色々な経験を積んで来たケイの、身についた習慣だった。

「いやー、それが……どうも心中じゃないかねって話でね――」

 声を潜めるおばちゃんの言葉に、ケイは歳の差カップルに感じていた違和感を思い出す。先日も訳有りらしいという話が出ていた。だが、もし二人が心中したのだとして、そこに恵美利が絡む理由が分からない。

(心中に巻き込まれた?)

 先ほどの男手従業員達の会話内容からは、女性一人が首を吊っており、男性と女性が刺されて死んでいるという状況が読み取れる。そして、刺された女性の方を"女の子"と表現していた。
 そこから推測出来るのは、歳の差カップルの女性が恵美利と初老の男性を刺した後、自ら首を吊った、という流れだ。

(男性を刺すところを、樹山さんが目撃したとか?)

 その時、哲郎が軽くケイの腕を突いた。振り返ると、階段を下りて来る加奈の姿。外の騒ぎを聞きつけたらしく、不良カップルの二人もその後ろから下りて来ている。

「御堂さん……」
「こんばんは。あの、恵美利は……?」

 どこか不安気な表情で訊ねる加奈に、ケイは哲郎、おばちゃんと顔を見合わせると、とりあえず今現在で分かっている情報を掻い摘んで説明するのだった。



※ 三日目、夜。



 その後、加奈は恵美利と思われる少女が本人かどうかを確認する為に、旅館の関係者数人と現場まで出掛けた。部外者は同行出来ない。
 ケイと哲郎は、何となく部屋には戻らず、一階ホールにある休憩所で加奈達の帰りを待っている。ホールの休憩所には不良カップルの姿もあった。
 彼らの男の方は、何かニヤニヤへらへらした態度ではあったが、それらは動揺から出ているのがケイには何となく分かった。女の方は男のつまらない冗談に相槌を打ちながらも、どこか上の空で、普段より大人しい感じがする。

「はい、お茶でもどうぞ」
「あ、ども」
「すんません、いただきます」

 食堂のおばちゃんが休憩所に屯しているケイ達ツアー客や、旅館の従業員にお茶を出して回る。一息ついた気分で一緒に添えられていたお茶菓子など齧っていると、おばちゃんがケイ達のところにやって来て、今回の事件について少し話してくれた。

「大きな声では言えないけど……何でも、女の子の方は格好が乱れてたらしくて」
「え」

 おばちゃんの話によって、痴情の縺れである可能性も示唆された。


 それから暫く、受付の窓上に設置されている時計が21:00過ぎを指す頃、旅館の男手従業員と加奈が現場から戻って来た。
 おじさん達が話している内容を聞いた限り、歳の差カップルが心中したらしき現場で死んでいた少女は、恵美利で間違い無いようだ。

 加奈は顔色も悪く、おばちゃんに支えられるようにしながら廊下の奥へと消えた。部屋に一人で帰す前に、食堂の方で少し休ませるらしい。
 ケイは哲郎と『どうしようか?』と顔を見合わせると、ちょっと様子を見に行く事にした。

 食堂では、俯いて座っている加奈の傍におばちゃんが付いている。が、元々あまり加奈達とは喋っていなかったので、おばちゃんは少しでも二人と接点のあったケイ達に慰め役を託した。
 何か暖かい飲み物を淹れて来ると言って席を外したおばちゃんの代わりに、ケイと哲郎が加奈の対面に腰掛ける。

「御堂さん、だいじょうぶ?」
「……」

 気遣うケイ達に、黙って俯いていた加奈は、やがてポツリポツリと話し出す。

「いつか、こんな事になるんじゃないかと思ってました」

 実は恵美利は、昔から男の人にだらしないところがあって、よくトラブルを起こしていたのだと言う。今回の旅行でも、ケイや歳の差カップルの男性に目をつけていたらしい。

「でも、あの男の人って結構歳いってそうだったけど……」

 哲郎が何気なく疑問を口にすると、加奈は軽く息を吐くような調子で『そうですよね』と呟いて、微かに自嘲するような笑みを浮かべた。

「ありがとう、私もう部屋に戻ります。ごめんなさい、変な話聞かせちゃって」
「いや、気にしないでいいよ」

 部屋へ戻る加奈を見送り、ケイ達はそのまま食堂でおばちゃんと話をする。警察が来るのは明日の朝になるという。何せ山奥も奥の辺境なので、直ぐには来られないとの事。
 男手従業員達は現場の保存などで、立ち入り禁止用のロープを張りにまた出掛けているそうだ。

「多分、あなた達もお話聞かれると思うけど……」
「でしょうね、大丈夫ですよ」
「事情聴取か~、何か緊張するな」

 ケイは諸事情で慣れているが、哲郎のような普通の一般人にはあまり馴染みの無い経験だろう。『相棒、肝座ってるなぁ』とか感心されつつ、ケイ達も部屋へと戻った。食堂の時計は22:40頃を指していた。


 廊下の自販機で買った缶コーヒーなど啜りながら部屋で話を続けるケイと哲郎。

「大変な事になったなぁ」
「だな。歳の差カップルの二人は、何となく違和感はあったけど……」

 まさか心中騒ぎに至るとはと、ケイも哲郎に同意する。

「でも貴重な体験だよ。これなら修羅場スレに書き込めそうだし、今のうちにまとめておこう」
「修羅場スレ?」

 聞けば、人生の修羅場とも言える経験をした人々が、その時の体験談を書き込む匿名サイトがあるのだそうな。中には創作もあるが、人に言えない秘密を抱えていたり、誰かに聞いて欲しい人達が色々な体験を綴っているらしい。

「そんなサイトもあるのか……」
「それにしても意外だったよ。やっぱ現実リアルの女性は理解不能だわ」
「うん? 何が?」
「樹山さんのこと」

『死んだ人を悪し様に言うのはアレだけど』と前置きしながら、哲郎は彼女に感じていた印象について語る。

「ちょっとツンツン態度だったけど、身持ち堅そうに思えたのに……まさか男癖悪かったとは」
「ふむ……。確かに、あんまり遊んでるって雰囲気は無かった気もするな」

 まあ彼女に限らず、人は見掛けによらないモノなのだろうと、二人でそんな結論に至る。PCに向かっている哲郎と背中越しに話ながら、ケイは部屋の奥のソファーに身を沈めた。

 そうして、窓からほとんど見えない海辺の夜景を眺めていた時だった。

「ん?」
「どうした?」

 ケイは、遠くに何か青白い光が浮かぶのを見た。ほぼ一瞬だったが、カメラのフラッシュにしては光の位置が限定的で、拡散してない割りに結構な光量だったように思える。

「今なんか、向こうの方に光が見えた」
「旅館の人じゃないの?」
「いや、懐中電灯とかの明かりじゃなかった。何か青白くて丸い大きめの光」
「何それ、超常現象?」

 人魂とかじゃあるまいなと、奥のスペースにやって来た哲郎に、あの辺りだと窓向こうを指差す。人魂のイメージにあるようなボンヤリした光ではなく、やけにハッキリとした光だった印象がある

「あっちは確か、洞穴のある場所だと思うけど」

 洞穴には照明設備などは無かった。昼間でも横穴からの光で十分中を見渡せるし、そもそも水没するのだから、危険なので夜は立ち入り禁止になっていた筈だ。

「何か気になるな……ちょっと見てくるよ」
「レポートよろ」
「はいはい」

 哲郎から『相棒、やっぱ肝座ってるなぁ』とか言われつつ小型のカメラを預かり、ケイは上着を羽織って部屋を後にした。


 ここ三日の間に結構通い慣れた感のある、海岸沿いの田舎道。砂浜海岸と洞穴に続く暗い夜道を小走り気味に駆けて行く。
 やがて洞穴方面に向かう道と、洞穴の上の崖に続く分かれ道までやって来た。道の脇にぽつんと立つ電柱には、申し訳程度の街灯の明かり。殆ど真下しか照らせていないが、目印にはなる。

「光は結構低い位置だったから、洞穴の方だな」

 洞穴に向かう道へ進んでいると、前方に人影が見えた。不良カップルの片割れで、女の方だ。
 明かりは持っておらず、暗いせいか足元を見ながらボンヤリ歩いている様子だった彼女は、ケイの姿に気付くと立ちすくむように足を止めた。

(こんな時間にこんな場所で何を……?)

 さっきの光は、彼女達が花火か何かでもやっていたのだろうかと考えるケイだったが、見たところ一人のようだ。とりあえず、このままお見合いをしていても仕方ないので声を掛けてみる。

「こんばんは」
「え? あ、うん、こんばんは……」

 何だか酷く動揺している様子に、幽霊でも見たのだろうか? などと思っていると、彼女は一瞬息を呑むように肩を竦めながら、驚いた表情を浮かべてケイの後方に視線を向けた。
 ケイが何事かと振り返ると、何かが身体にぶつかって来た。

「え?」

 タックル気味な勢いでケイの胸に飛び込んで来たのは、加奈だった。ふわりと舞うセミロングの髪から、シャンプーの香り。腹部に焼けるような痛み。鈍く光る銀色の刃物が刺さっている。

「あ、あんた何やってんのさ!」

 不良カップルの彼女が叫んでいる。身体から力が抜けたケイはその場に倒れ込んだ。微かに見上げた視界には、血塗れの包丁を手に見下ろす加奈の姿。彼女の表情は、翳っていて分からない。

 意識が遠のく。鐘の音のような響きが木霊する。混濁する意識が覚醒を始め、薄すら白くぼやけていた視界に、色と輪郭が戻る。
 樹木の枝葉に縁取られた水色の朝空と、まだらに浮かぶ灰色の雲。それらの風景を覆い隠すように、頭上から現れる人の顔。

「あの、大丈夫ですか?」

 加奈が、心配そうな表情で覗き込んでいる。ケイはそのまま疑問を口にした。

「なぜだ?」
「え?」

 唐突な問いに戸惑いを浮かべる加奈。その時、彼女の隣に居た恵美利が、加奈の腕を取って引き離しに掛かった。

「何やってんのよ、加奈! 危ないから離れなさいってっ」

 彼女達のやり取りを聞きながら、ケイは理解する。

(ああ……)

 やはり戻っていたかと。ここは三日前、ツアーの初日に訪れた、旅館前にある広場の祠。石神様が奉ってある場所だ。

「理由はなんだ……?」

 半身を起こしたケイは、去って行く彼女達の後ろ姿を目で追いながら一人呟いた。少し落ち葉の混じる地面から立ち上がり、溜め息を吐いて土を掃うと、直ぐ傍に立つ石神様の祠に手を合わせる。

「……とりあえず、旅館に戻るか」

 まずは哲郎と親睦を深める所からやり直しだ。



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