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5巻ダイジェスト

ダイジェスト版5

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 魔王の脅威が去ったエイオアの首都ドラグーンの復興が進められる中、コウは朔耶の功績についてエイオア評議会にしっかり伝えると、グランダール領へ撤収するガウィーク達と共にアルメッセまで戻り、そこから一足先に王都トルトリュスへと飛んでアンダギー博士の研究所を訪れていた。

 「なんと! そんな面白そうな事になっておったのかっ!」
 「けっこう凄かったよ」

  実際は"結構凄かった"どころではなかったのだが、ドラグーンで繰り広げられた魔王との戦いの様子を聞いた博士は『ワシも行っときゃよかったー』と地団駄を踏んだりしている。
 近日中に『戦女神サクヤ』がここを訪れるであろう事を伝えたコウは、『邪神ユ―スケ』の能力によって新たに追加された複合体の新機能について説明したり、他にも朔耶から聞いた世界渡りの条件について博士に話しておいた。

 その後、来訪した朔耶と改めて世界渡りについて話し合い、博士の発想から人工精霊のボーを使えば、朔耶の協力を得る事で安全に世界を渡れる可能性を見出せた。

 沙耶華も交えて地球世界へ帰還する時期の選定や、帰還前に朔耶が両家の家族と接触を図るなど、沙耶華と京矢の帰還に向けて細かい打ち合わせも行われる。
 そうして、まずは双方向にビデオレターで生存確認と事情説明をしておく事になった。

「じゃあ、先に沙耶華ちゃんのビデオレター撮っとくから、適当にメッセージ考えておいてね」
「は、はい……うーん、何て伝えよう?」

 世界を隔てて一年以上離れていた家族に、いざ自分の生存と現状を伝えようと考えるも、中々良い言葉が浮かんでこない。
 悩む沙耶華に、コウが『難しく考えなくてもいいのでは?』とアドバイスする。

「普通に、生きてるよーだけで良いんじゃないかな」
「コウ君……それは」

――間違ってはいないんだけど、何か違うと思うぞ――
『えー? そう?』

 心の奥から京矢にも突っ込まれて小首をかしげている"ヒトナラザルヒト"なコウなのであった。


**


 帝国に戻ったコウは、早速スィルアッカとヴェームルッダ大使との会談に出席し、大使の内面を読む事でスィルアッカを補佐した。
 この会談でスィルアッカは、ヴェームルッダ側が抱える不義、マーハティーニの前国王レイバドリエードの悪行に加担した背信行為を巧みに利用する事で、ヴェームルッダ側に寛容と名誉を示して自分の側に付くよう説得し、成果を得られた。
 今後、帝国中にヴェームルッダの治安警備隊が派遣される運びとなったところで、帝国にも朔耶が訪れた事が、京矢からコウを通じてスィルアッカに伝えられる。

 「では、良い返答を期待している。詳細はまた追い追い詰めていこう」
 「そうですな、では今日のところはこの辺で」

 ヴェームルッダ大使との会談を終わらせたスィルアッカは、コウとターナを伴って離宮に向かう。

「心配しなくても、勝手に連れて帰ったりしないよ?」
「う、うむ」

 スィルアッカが内心に抱えている不安を読んだコウがフォローする。京矢も朔耶もちゃんとスィルアッカやエッリアの事情を分かっているので、黙って去ってしまうような事はしないと。
 コウが知りえた情報は直ちに京矢の知る所となる為、流石にそんな不安の気持ちを懐いていた事を京矢に知られたのは恥ずかしかったらしく、スィルアッカはバツが悪そうな顔で窓の外に視線をやったりしている。
 途中、廊下でメルエシードと顔を合わせた。

「スィル姉さま」
「……やはり、気になるか」

 二人はもう以前のように表面だけを取り繕うギスギスした付き合い方ではなく、互いに本音で話が出来るまでの関係になっていた。
 立場は違えど同じ気持ちと不安を有する者同士、通じ合う部分もある。想い人を遠い世界へ連れて行ってしまうかもしれない異世界からの来訪者と会う為、スィルアッカはメルエシードも伴い離宮へと足を向けた。


「お疲れさん」
「こんにちはー」

 離宮の奥部屋にて、テーブルで向かい合って何事か話していた京矢と朔耶に出迎えられる。部屋の隅に控える修行中のウルハが、ぺこりと礼をした。

「さて、京矢を元居た世界に還すという事だったが」

 コウがエッリアに帰ってくる前に京矢から朔耶の話を聞いていたスィルアッカ達は、元の世界に還った京矢がまたこちらに戻って来られるのかについて訊ね、今後の予定など話し合った。
 京矢もまずは生存報告のビデオレターを撮る事になっている。京矢が確実に戻って来るよう説得工作をしようとしたスィルアッカが、意図せず告白染みた言葉を口にした為、奥部屋は少しばかり騒がしくなっている。

 とりあえず、持って来たビデオカメラで撮影準備をしながら、痴話喧嘩が終わるのを待つ朔耶。コウは興味深げに「それなに~?」とカメラのレンズを覗き込んでいる。

 「コウ君は何時もと変わらないね」
 「ボクはまいぺーすだよー」

  カメラの最初の動画には、姦しい女性の話し声をバックにコウのドアップが映っていたそうな。


**


 デジタルビデオカメラの小さなモニターにビデオレターの内容が流れる。スィルアッカもターナもメルエシードも、小さな窓に映し出された京矢の話す様子に釘付けになっていた。
 先程カメラを前に、家族に向けて撮影した生存報告のチェックをしているのだが――

「あはは、そんなに画面の前に集まってたら見えないよ」
「あ、す、すまぬ」
「ご、ごめんなさい」

 苦笑する朔耶に指摘され、恥ずかしそうに身を引くスィルアッカとメルエシード。そんな二人をフォローするように、京矢が朔耶に元世界関連の話題を振る。

「沙耶華さんの方もチェックし終わってるんでしたね」
「うん、博士のボー研究もかなり進んでて完成間近だって言ってたよ」

 朔耶はいよいよ地球世界で京矢と沙耶華の家族と接触する予定だと言う。

「何から何までお世話になります」
「いえいえ」

 同郷のよしみですよーと穏やかに笑い掛ける朔耶であった。


 それから数日の時が経ち、ナッハトームではヴェームルッダの治安警備隊を帝国中に輸送する計画が始まっていた。
 そんな中、コウは沙耶華の地球世界への帰還に立ち会うため、グランダールの王都トルトリュスを訪れていた。

 アンダギー博士の研究所に設けられた転移室にて、人工精霊ボーの調整を行っているアンダギー博士と助手のサータ。数人のボー研究者。転移後の打ち合わせをしている朔耶と沙耶華。それに、沙耶華の帰還を見届けに来たレイオス王子も同席している。割と物々しい雰囲気に包まれる転移室。
 世界渡り担当の朔耶が『そんなに構えなくてもいいのに』と苦笑している。

 ボーを沙耶華と重ねて肉体と魂と精神を保護させると、朔耶が隣に立って転移態勢に入った。コウは、エッリアの離宮でスィルアッカ達と話している京矢に交信で実況を開始した。

 『こちらはアンダギー博士の研究所、いよいよ正規のシュンカンです、じっきょうはコウがおおくりします』
――"世紀の"な。つーか、何だそのレポーター喋りは――

 京矢の記憶と沙耶華の意識から読み取った『こういう瞬間に立ち会った時のお約束』を披露するコウに突っ込みが入る。

「じゃあ沙耶華ちゃん、博士、準備はいい?」
「はい、大丈夫です」
「ボーの動作は良好じゃ、何時でもよいぞ」

「オッケー、それじゃあまた一週間後くらいにでも」

 ボーに包まれた沙耶華と寄り添うように立つ朔耶がそう言ってひらひらっと手を振ると、二人の姿は忽然と消え失せた。
 魔力が溢れるだとか、光を放つなどの分かり易い予兆を全く見せない異世界への転移は、立ち会った者達が次のリアクションを起こすまでに若干の間を要した。

「うーむ……なんちゅうか、実にあっけないのう」
「観測装置にも僅かな魔力変動しか感知されてませんし、魔導技術での再現は難しそうですね……」

 博士達は朔耶の世界渡りと、凶星騒ぎの時に集められた転移装置の観測データを元に、安定した転移技術の確立などを目指しているようだが、中々道は険しそうであった。
 沙耶華の帰郷を見届けたレイオス王子は終始黙ったまま、静かに王宮へと戻って行った。

『いじょう、現場からコウがおつたえしましたっ』
――みじかっ つーかホントにあっけなかったな――
『次はキョウヤの番だね』
――だな。なんか実感あるような無いような感じだったけど、お前の実況でちょっとドキドキしてきたよ――

 今から家族と再会する時の事を想像して緊張すると京矢は言う。先に家族から返信されるビデオレターを受け取る事になるが、期待と不安が入り混じる思いだそうな。
 沙耶華が再びこちらの世界へやって来るまでに、京矢も地球世界への帰還を果たす予定なので、コウはレオゼオス王から帝国に向けた親書を受け取って直ぐ、エッリアへと戻った。


 それから数日が経ち、京矢が地球世界に帰る日がやって来た。今の京矢には色々と立場がある為、帰還する場所には休戦協定の調印式も行われた国境の砦が使われる事になった。
 エッリアから京矢達が機械化輸送戦車で、トルトリュスからはアンダギー博士達が魔導船で国境の砦にやって来る。スィルアッカもウルハを連れて京矢に同行している。

 コウはスィルアッカの留守に合わせてガスクラッテ帝に近付こうとする輩がいないか監視する為、エッリアの宮殿に残って宮殿内の人物を探る任務に就いていた。

「スィル姉さまも酷よねー。キョウヤが元の世界に帰る日に、キョウヤの分身のあなたを宮殿で働かせるなんて」
「ボクとキョウヤは繋がってるから平気だよ?」

 異次元倉庫内に広げた人物リストをチェックしながら宮殿内を順に回っていくコウは、暇だからと言ってくっ付いて来ているメルエシードと雑談など交わしながら廊下を行く。コウの役割や正体、京矢との関係まで深く把握している者は、この宮殿内ではまだ少ない。
 メルエシードはマーハティーニの政変以後、人質という形で宮殿に滞在し、凶星の魔王騒ぎなどを経て京矢やスィルアッカと真に交流を重ねていった。そうして親睦を深めるうちに、コウから味方判定を出されるまでに至っている。

 「キョウヤの経験はあなたの経験、あなたの知識はキョウヤの知識、だっけ?」
 「うん。ボクらはちゃんと独立して存在してるけど、根っこは同じなんだよ」

 「それって常にお互いの考えてる事が分かるのよね。煩わしくないの?」
 「遮断しようとおもえばある程度は伝わらないように出来るし、キョウヤもそんなに気にならないみたいだよ。あ、そろそろ転移するみたい」

  国境の砦にある一室にて、ボーに包まれて朔耶と並び立った京矢から期待と不安の入り交じった感情が流れ込んで来る。

『いよいよだね』
――ああ、緊張して来た――
『いってらっしゃい』
――行ってくる、後は任せた――

 その直後、京矢との交信にカーテンが掛けられたような感覚があり、急に声が遠くなった。

「キョウヤが元の世界に帰ったよ」
「ほんと? そう……良かった、無事に帰れて。あなたは何ともないの?」

「今のところいつも通りみたい」

 マーハティーニの王女と皇女殿下の従者が親しげに会話を交わしながら並び歩く姿は、詳しい事情を知らない者が傍から見れば何処かスキャンダルめいた雰囲気も醸し出している。メルエシードと連れ立ってホールに入ったコウは、そこに居る人達の中にチェックする人物がいないか、異次元倉庫内で広げている人物リストを参照しようとして――

「あれ?」
「? どうしたの?」

 異次元倉庫内に僅かな異変が起きているのを見つけた。今まで無かったモノがある、というか見える。それは一筋の線のようにも見えるし、穴のようにも見える。細長い紐状のナニカが、異次元倉庫の中心である自分自身から何処か遠くまで伸びているのだ。

「……ちょっと急用ができたから、離宮に戻るね」
「え? あ、ちょっと――」

 くるりと踵を返して廊下を戻っていくコウ。メルエシードはスィルアッカと一緒でなければ離宮には入れない決まりになっているので、ホールの出入り口から戸惑いがちにその背中を見送る。

「もう……なんなのよ」

 初めて会った時から、打ち解けた今でも、コウには振り回されてばかりいる気がすると溜め息を吐くメルエシードなのであった。


**


 離宮の奥部屋まで戻って来たコウは、意識を集中してウルハの事を強く想い浮かべる。以前朔耶から習った、精霊術士達が使うという『意識の糸』による疎通法での遠距離交信で、国境の砦に滞在しているウルハとの交感を試みた。

――……だれ?――
『あ、つながった』
――! ……コウくん?――
『ぼくだよー』

 ウルハの高い交感能力に加え、コウも京矢との交信で感覚を掴んでいた事もあってか、意外とあっさり『交感を繋ぐ』事に成功した。もっともこれは、精神体であるコウだからこそ"交感の深度"といった制約を無視して繋げられているのであって、通常は精霊術士でも真似の出来ない使い方だ。
 当然、国境の砦にいるウルハ側からエッリアの離宮にいるコウに交感を繋ぐのは、能力的にも不可能である。今は休憩中だったらしいウルハは最初こそ驚いていたものの、相手がコウだと分かると直ぐに安心して、使い慣れた念話の要領で話し掛けて来た。

――どうしたの?――
『ちょっとボクの状態を視てほしいんだ』

 祈祷士の才を持つウルハなら、リンドーラほどの解析力は無くともある程度は状態を見通せる筈だと考えたコウは、自分の身に起きている異変を調べて貰う事にした。どんな異変が起きているのか、よく分からないまま活動を続けるのは危険との判断からだ。

 結果、コウから伸びている『線』は京矢に繋がっている事が分かった。線に意識を合わせると、どこかの景色が見える。この『線』を通じて見えた光景は、恐らく今現在、京矢が見ている異世界の景色だろうと推測出来る。
 京矢と記憶を一部共有しているので、向こうの世界の事もある程度知っているコウは、朔耶から得た知識も加えてそう結論づけた。
 同一の存在でありながら独立して存在するコウと京矢は、京矢が元の世界に戻った事で世界を隔てて存在する状態となっている。
 京矢との繋がりを示すこの『線』からコウが異世界の情報を垣間見られたように、京矢側もこの『線』を通じてコウの見ている光景を見られるようになると思われる。眠っている間にこの『線』と波長が合う事で、朔耶の言っていた『夢内異世界旅行』の状態になるのだろう。

 とりあえず、『線』の存在自体に問題は無い事は分かった。『今度色々試してみよう』と予定を立てたコウは、中断していた"怪しい動きをする人物チェック"の仕事に戻る事にした。

――もう、いいの?――
『うん、助かったよ。ボクはこれからお仕事に戻るけど、ウルハも頑張ってね。スィル達にもよろしく』
――ん、伝えとく……お話できて、嬉しかった――

 まだ幼い年齢とも言えるウルハ。スィルアッカ達と一緒とはいえ、異国の地での慣れない仕事に少なからず不安を懐いていたようだ。コウは『ウルハの"けあ"と"ふぉろー"もしなくちゃなぁ』等と思いながら、離宮を出て宮殿のホールへと向かうのだった。


 それから三日後。国境回廊の砦から帰還したスィルアッカに調査報告をしたコウは、仕事の話の合間にウルハの待遇について話題を振り、彼女がまだ幼い子供である事を考慮するよう促した。

「ウルハはボクみたいに相手の考えてるコトが分かるけど、ボクほどそれを平気に思ってるわけじゃないからね?」
「……ああ、そうだな。その辺りの配慮はちゃんと考えるようにしよう」

 スィルアッカも、これから育ててゆく優秀で稀な才能を持つ貴重な側近候補を、使い潰してしまわないよう気をつける事を約束した。

「それとね、もし時間ができたらちょっと試したいことがあるんだけど、何日か留守にしてもいい?」
「なんだ? 纏まった休暇が必要ならやれなくも無いが」

 人材選定の作業も一段落しているので、コウにしか出来ない特殊な諜報や危険の伴う仕事は、今の所無い。そんな訳で、まとまった休暇を貰えたコウは、京矢との繋がりの線を使ってある実験を試す事にした。


 その日の深夜。京矢との繋がりの線から微かに感じ取れる感覚より、京矢が眠っている事を確認したコウは、肉体の干渉が低下して若干活発になっている京矢の精神に向かって、離宮の奥部屋から呼び掛けた。

『キョウヤーキョウヤー』
――コウ……?――
『あ、つながった』

 コウは京矢の視点が自分の視点と重なっている事を意識して奥部屋にある鏡を覗き込む。京矢の視点から自分の姿が見えているのが分かる。まるで合わせ鏡のような状態。

――ああ、これって……例のアレか――
『うん、多分、朔耶の言ってた"異世界夢内旅行"なんだと思うよ』

 コウは、京矢が地球世界に戻ってから身体に起きた異変について説明した。コウと京矢の繋がりを示す『線』の存在。その『線』に波長を合わせる事で、京矢の視点から地球世界の風景が見えた事など。

『へー、そんな風になってたのか』
――それでね、この線を辿っていけばキョウヤの所に行けるかもしれないんだ――
『マジか』
――朔耶とも直ぐ会えるみたいだし、ちょっと試してみるね――
『え、試すって……』

 少年型の召喚を解除したコウは、異次元倉庫内から繋がりの線を辿って本体京矢の方へ寄せて行く。普段、精神体の状態になったコウは、宿主となる身体がなければその場から動けない。だが、京矢の"蓋開け"で引き寄せられるように、繋がりの線を精神の通り道として意識する事で、一方向にだが動けるようだ。

『じゃあ、これを辿ってそっちに行ってみるね』
――いやいやいや、こっち来るとか……そっちの仕事どーすんだ――
『スィルになら言ってあるよ? 休暇も貰ったし、数日ならあけても大丈夫だってさ』
――もし戻れなくなったらどーすんだ――

 地球世界に来られたとして、朔耶に会える事は確実だが、特殊な在り方をしているコウを他の人間や物と同じように運べるとは限らない。

『その時はその時で』
――んな大雑把な……――

 そんなやり取りをしている間にも、コウは京矢との距離が近付いているのを感じていた。しかし、途中で何かに引っ掛かってそれ以上近づけなくなった。世界の壁なのか、人格境界線の"蓋"なのかは分からない。

『キョウヤー』
――どうした?――
『なんか引っかかってうごけなくなった』
――おいおい――

 コウが"ひっぱってー"と要請すると、意識を集中させた京矢が眠りから覚めたのを感じた。そして蓋開けによって引き寄せられる感覚。

『抜け出たっ』
――お、直ぐ傍にいるな?――

 すぐ目の前に京矢の姿を確認したコウは、さっそく少年型召喚獣を喚びだして憑依した。少しタイミングがずれて、起き上がろうとしていた京矢の上に落ちてしまったが。

「コウ……」
「えへへ~、来ちゃった」

 『いや、来ちゃったじゃないだろう』と交信で突っ込みが入る。その時、部屋の外から京矢の両親らしき年配の男女の声が響いた。

「京矢! どうしたの!?」
「大丈夫か!」

 隣の部屋にいた彼等は、京矢の驚くような声と不審な物音を聞いて駆け付けたようだ。彼等にとって京矢は『異世界に迷い込んでいたらしい』等という、凡そ信じられないような経緯を経て奇蹟の生還を果たし、一年半ぶりに再会出来た大事な息子。
 飛行機事故に遭遇した拍子に世界を渡ってしまった息子が、また何かの拍子に異世界へ行ってしまうのではないかと心配したのだ。

 そうして部屋へ踏み入れてみれば、薄暗い中、少し浴衣を乱した息子の布団の中に、どう見ても子供にしか見えない黒髪の少女(に見える)が横たわっているという状況。

「……」
「……」
「あ、あら……」
「こんばんはー」

 上から順に、まずこの状況を何と説明しようかと言葉を詰まらせた京矢。思わず言葉を失う父。口元に手を当ててちょっと頬染める母。マイペースなコウ、である。
 年の功なのか、数瞬の硬直で衝撃から立ち直った京矢の両親は、戸惑い混じりで遠慮がちに声を掛けた。

「き、京矢、その……向こうではどうだったのか知らんが……」
「流石に、ちょっと若過ぎるんじゃないかしら?」

 概ね京矢が予想していた通りの誤解が生じており、その事で京矢は返って冷静になれたようだ。

「キョウヤのご両親って事は、ボクの両親って事にもなるよねっ」
「そうだねっ」

 コウがとりあえずコメントしてみると、笑顔の京矢からコメカミをグリグリされたのだった。


**


 フラキウル大陸のある異世界から魂の繋がりの『線』を伝って地球世界へと渡って来たコウは、京矢のご両親に「初めまして」と挨拶する。京矢の布団の上に転がったまま。

「とりあえず、起よう――かっ」
「わぁっ」

 そいやっ! と京矢が布団を捲り上げ、その勢いで起こされたコウがたたみに座る。京矢からコウの事を説明された両親は、直ぐにコウを受け入れた。
 息子の分身であるなら、実質自分達の子供と変わりないという認識を持ったらしい。京矢の弟として、家におきたいくらいだと考えているようだ。

 コウが来た事で読心能力が働き、京矢は両親の胸の内を知る事が出来た。実は互いに上手く気持ちを伝えられず、少し余所余所しい雰囲気になっていたらしい。

 とりあえず今日はもう夜も遅いので、また明日から積もる話でもしようという事になり、京矢達はそれぞれの部屋に戻って寝床に就いた。
 眠る必要の無いコウはこの地球世界の旅館周辺を探索するべく、現代日本でも違和感の無い、ちょっと上品な余所行きの服っぽい見た目になって部屋を出た。


 国内の観光リゾート地としてまだ開発が始まったばかりの島。旅館の周辺は地元の町明かりも遠く、閑散としている。だが、フラキウル大陸の小さな街や集落に比べれば、これでも格段に明るい。
 よく手入れされた芝生の公園を抜け、海の見える堤防突堤ていぼうとっていまでやって来た。階段を上って堤防部分の上に出ると、潮風がコウの頬を撫でて前髪を靡かせた。
 等間隔に並んだ街灯の近くに、夜釣りを楽しむ地元民の姿が見える。

 ――ふと、視線を感じたコウは振り返って後ろを見た。すると、旅館の駐車場を囲む垣根の陰からこちらの様子を窺っている人影を見つけた。顔の前に何かをあてがい、明確に観察の意識を向けている。
 暗闇でも昼間のように見通せるコウは、集中すれば視点を対象に寄せる事も出来る。じぃ~っと、その人影に視点を寄せてみると、顔の前に構えているのは朔耶が持っていた"カメラ"という、音や映像を記録する機械だと分かった。

『ボクを写してるのかな? でもどうして隠れてるんだろう?』

 気になったコウは、堤防突堤を下りて観察者の視界から外れた所で物陰に隠れ、少年型の召喚を解除。近くを飛んでいた蛾に憑依すると、観察者が隠れている垣根の所まで飛んでいく。コウを見失った観察者は、垣根の陰から身を乗り出してキョロキョロしている。
 駐車場に停めてある大きな箱型の車観光バスの裏で少年型を再召喚したコウは、垣根の下を潜ってそっと観察者に近づいた。

「あれー……、あの子どこ行っちゃったんだろう?」

 中腰になって堤防突堤の辺りを見渡している観察者。フード付きで袖の無いもこもこした上着に厚布のズボン、茶色のブーツ、大き目のウエストポーチを下げた若い女性。その直ぐ後ろに音も無くしゃがみ込んだコウは、彼女の思考を読んで正体と目的を探る。

『あやつじみすず、ふりーのじゃーなりすと? 諜報員とは違うのかな』


「あーあ、完全に見失っちゃった……可愛い子だったなぁ。女の子かしら? 格好は男の子っぽかったけど」
「ボクは男の子だよ」

 突然、独り言の呟きに答えを返された美鈴は、跳び上がる勢いで驚きながら振り返る。

「こんばんは。ボク、コウって言うんだ」

 とりあえずコウは、驚いて尻餅をついているフリーの女性ジャーナリスト彩辻美鈴に、夜の挨拶を向けるのだった。


**


 美鈴に自販機のジュースを買い与えられたコウは、隣に設けられているベンチに並んで腰掛け、手帳とペンを用意した美鈴から京矢達の事を訊ねられていた。しかし――

「それでね、京矢君の事なんだけど――」
「美鈴はキョウヤに興味があるの?」
「え? ああ、ええっとそうね、色々知りたいわ」
「キョウヤとお話した事ある?」

 美鈴の質問をはぐらかしながら逆に色々と聞き出すコウ。彼女の内面を読み取りながらその目的を探り出す。その結果、彼女は『フリージャーナリスト』という情報の売買を生業にしている事が分かった。
 ここには『スクープ』を狙ってやって来たらしい。沙耶華や京矢の生還について何か不自然な部分に気付き、その謎を探りに来ているようだ。

 幾つかの質問で美鈴の人となりを観察したコウは、彼女に悪い人では無いという判定を下した。美鈴が『取材』をしたい相手には朔耶も含まれているようだが、どうやら朔耶は美鈴を避けているらしく、美鈴の内心から『何故か会えない』という情報が探り出せた。

「朔耶に会ったら美鈴のこと相談してあげようか?」
「え?」

「多分、美鈴の事避けてると思うから、会ってくれるかどうか分からないけど」
「え、えと……それじゃあお願いしちゃおう、かな?」

「うん、わかったー」

 ひょいとベンチを飛び降りたコウは、そろそろ旅館に戻る事を告げる。『またねー』と手を振って去って行くコウを、美鈴は何だか狐につままれたような様子で見送っていた。


 翌朝。大きな湯浴み場で泳いでみたり、ゲームコーナーを見て回ったりと旅館の中を探索していたコウは、京矢が目覚めたのを察知して部屋へと戻った。

「おはよー」
「おはよう。なんかウロウロしてたみたいだな」
「うん、けっこう面白かったよ?」
「つーか、筐体の中のコイン勝手にリサイクルしちゃダメだぞ」

 ゲーム機の不正操作を叱る京矢に、『はーい』と素直にゴメンナサイするコウ。精神体を機械の中に突っ込んで異次元倉庫を使えば、中身の一部を抜く事も出来るのだ。まだこちらの常識に疎いコウはこうしてマナーやルールを学んでゆく。


 その後、両親との団欒を済ませて部屋に戻って来た京矢に、コウは美鈴の事を相談した。ちなみに、団欒の席にコウを同伴させていなかったのは、読心能力無しで両親と普通に話したかったからである。

「都築さんは今日は昼過ぎに来る予定だけど、その彩辻って人、会わせるのか?」
「いちおう相談だよ」

「まあ……お前が敵判定出して無いなら大丈夫な人なんだろうけど、メディア関係とか向こうとは勝手が違うからなぁ」

 異世界の事を知られたからとて、別にどうなる訳でも無いけれどと思いつつ、京矢は『そう言えば――』と世界渡りについて話題を振る。

「来たはいいが、戻れるのか?」
「試したけど、やっぱり自力じゃ戻れないみたい。多分キョウヤが向こうに戻れば、こっちに来た時と同じ方法で移動できると思う」

「ふむ、どっちみち都築さん頼りになるのか」


 そんなこんなで昼過ぎ、朔耶が旅館にやって来た。裏口の業者用搬入路からしれっと荷物に紛れて、直接ロビーに現れる。正面玄関を使わないのは、駐車場の出入り口付近に張り込んでいる某ジャーナリスト対策だ。

「やほー朔耶」
「やほーコウ君、京矢君」
「こんちゃー」

「で、どうしてまたこっちに来たの?」

 何時ものようにフランクな挨拶を交わした朔耶は、コウが居る事に驚いた様子も見せずそう訊ねた。旅館に入る前から、朔耶と契約している精霊がコウの存在を感知していたらしい。
 こちらの世界にやって来た理由は『好奇心から』というコウの答えに、『そっか』で済ます。

「え、それで済ませるんですか?」

 何と言って説明しようかと悩んでいた京矢が、思わず驚きと戸惑いの声を上げる。コウの本質をよく理解しているのに加え、実は朔耶も似たような所を持ってるので、あまり人の事は言えないというのが本音のようだ。

 コウは早速、『彩辻美鈴』の事について話した。

「彼女と話ししたんだ? 何か探ってるみたいだったから避けてたんだけど、どんな事考えてたの?」
「えーとねー――」

 彼女はただ、京矢達の奇蹟の生還劇に感じる不自然な部分の裏が知りたいらしい。ついでにそれがスクープなら美味しいという程度の認識で、真相・・を探っているのだと説明する。ある意味、これもコウや朔耶に通ずる"好奇心"と言える。

「悪い人じゃないみたい」
「うーん、それならぶっちゃけ作戦でいこっか」

 異世界について隠す事なく、また求められない限り詳しい説明のフォローを入れる事もなく、全てをぶっちゃけてしまう方法。
 『関わってはイケない人達だ』と判断して離れていくか、逆に興味を持って身内の輪に加わるか。あるいは、変な事を言ってはぐらかしに掛かっていると判断されるかもしれない。
 だが、個人で取材に来たジャーナリストという肩書きの人間を味方に出来るなら、それも悪くない。今回の『奇蹟の生還劇』に纏わる『不自然な部分』に、良い『落とし所』を見つけて上手く『オチ・・』をつけてくれれば、こちらも助かる。

「じゃあ、とりあえずあたし達だけで話してみるという事で、いい? 京矢君」
「そうですね、それで問題無いようなら後で両親も交える方向で」

「ボク、呼んでくるねー」

 "彩辻美鈴"の案内を引き受けたコウは、そう言って部屋を後にした。


**


 コウが旅館前の駐車場付近にやって来ると、美鈴が地元民らしき若者に囲まれていた。別に取材をしている訳ではないようだ。

「美鈴ー」
「あ、コウ君」

「朔耶が呼んでるよ、今から京矢の部屋でお話しようって」
「えっ ホント!?」

 思わず声を弾ませる美鈴の思考から、喜びと安堵の気持ちが読み取れる。どうやらこの三人組に絡まれていたらしい。美鈴は『此れ幸い』と彼等の包囲を突破しようとしたが、白服の若者に腕を掴まれた。

「おぃ! ちょう待ちぃーや」
「俺ら無視すんなや」

「は、放しなさいっ、警察呼ぶわよ! セクハラで訴えられるんだからっ」

 強い口調で拒絶の意思を示した美鈴に、三人組がいきり立つ。

「あぁ? 呼べや」
「呼んでみろや」
「なめてんのかコラ」

「ち、ちょっと……痛い! 放してっ」 

 掴まれた腕を振り解こうとするも、彼女の腕力ではビクともしない。握る力を強められて呻く美鈴は、コウに人を呼んで来て貰おうと視線を向けた。
 その様子を観察していたコウは、三人組の思考を読んで彼等の目的を探ってみたが、『都会から来た可愛い子ちゃんとひと夏のアバンチュール』という、よく分からない内容が読み取れた。
 とりあえず、美鈴が嫌がっているのは確かなので、救出するべく歩み寄った。


 約十秒後。美鈴の腕を掴んでいた若者は垣根に頭から突っ込んでおり、彼の仲間はそれぞれ離れた場所に一人がうつぶせで倒れ、コウの足元にも一人が仰向けに倒れて気絶していた。

「あれ?」

 一人当たり三秒で片づけたコウは、『なんか思ったより弱かった』と小首を傾げる。すると心の奥から『向こうのゴロツキと一緒にすんな』という京矢からのツッコミが入った。
 てっきり傭兵崩れのような輩だろうと思っていたコウは、対応が大げさだったと頭を掻いた。

大人気おとなげないことしちゃったなぁ』
――その姿で言われても解せんだろうな――

 京矢と交信でそんなやり取りをしている所に、美鈴が駆け寄って来た。

「こ、コウ君っ、大丈夫?」
「ボクは平気だよ」

 心配そうな表情の美鈴にそう言って安心させたコウは、更に一言。

「美鈴を守るのはボクの役目だからね」
「え……」

 不覚にも、ちょっとキュンキュンしてしまう美鈴。そんな彼女の手をとって旅館へと向かうコウの内心には、京矢からツッコミが入っていた。

――お前、今の狙ってわざと言っただろ――
『ねんれい別誤解を招きそうな言い回し、チキュウ編』
――だから、妙なリスト作るのやめいっ――

 コウ達が己が分身と交信漫才をやっているとは露知らず、戸惑いながら手を引かれている美鈴はコウに伸された三人組の有り様を振り返り、おもむろに尋ねる。

「コウ君って、格闘技とか習ってるの?」
「戦闘訓練なら受けたことあるよ? ボク、傭兵団のメンバーだったから」

「よ、傭兵?!」

 予想外の返答に『やっぱり海外の? 民間軍事会社とか?』と困惑を深くする美鈴は、コウの事を『普通の子供じゃない』と認識した。


 その後、"御国杜様"の名札が掛けられた部屋にて、美鈴は"都築朔耶"と"御国杜京矢"から裏事情に当たる説明を受けていた。
 一年半も行方不明だったのは、事故の直後から別の世界に迷い込んでいたから。最近ようやく世界を渡って還って来る事が出来たので、生還者として生存報告をしたという話。

「……ごめんなさい、ちょっとお話の意図が分からないです」
「まあ、予想してた反応よね」

 テーブルを挟んで向かい合う三人。猜疑心のこもった目で警戒感も露にする美鈴に、朔耶は頷いてお茶を一啜りすると説明を続ける。ちなみに、コウは部屋に備え付けられているテレビで地方ニュースを観ている。

 朔耶は今回、美鈴に異世界の話をしたのは、今後も似たような動機で『事件の裏』に探りを入れてくる者が出てこないように、話題の風化を早めるべく『オチ』をつけて貰う為だと説明している。

「それって、私を利用するって意味ですか」
「うん」

 さらっと肯定されて二の句が継げない美鈴。あまりに突飛な話に、ひたすら戸惑っているようだ。

「そんなに深く考えなくてもいいと思うけどなぁ。取材記事で適当にそれっぽいオチをつけてくれれば、あたし達も助かるし、あなたも真実を知れて満足できるでしょ?」

 そんな調子で交渉と話し合いが続けられ、結局、美鈴は詳しい裏事情を教えて貰えるのと引き換えに、この提案を受け入れる事になるのだった。


**


 京矢が再びフラキウル世界へ渡るまでの間、地球世界の町を見物したいコウは、しばらく美鈴の元に預けられる事になった。
 美鈴はコウを預かる事を了承する際、コウの持つ能力で仕事を手伝って貰う事を条件にあげた。そのくらい"コウという存在"を受け入れている。この辺り、柔軟性と適応力の高さは『流石はジャーナリストか』と京矢や朔耶も感心していた。

 美鈴の取材の仕事を手伝いながら地球世界で過ごすコウは、ちょっとした事件に巻き込まれたりしながらこの世界の町並みを堪能していた。

「今日はスクーターで行くの?」
「ええ、今回は近場で日帰り出来るし、取材も直ぐ終わる予定よ」
「この前のツアーはたいへんだったもんねー」
「もうあんな事件は懲り懲りだわ……」

 美鈴の取材記事を買ってくれる雑誌の編集部から新たに取材の仕事を貰って来た美鈴は、そう言って溜息を吐くのだった。


 コウが美鈴との同居生活を始めてしばらく経った頃、京矢から交信による連絡が届いた。

『そっか、沙耶華はもう向こうに戻るんだね』
――俺達もあと一、二週間で戻る準備するぞ。それから、都築さんがその事でそっちに顔出すかもしれないってよ――
『わかったー、美鈴にも言っとくね』

 夕方、アパートの部屋で夕飯の支度を進める美鈴に異世界への帰還時期を話したコウは、近く朔耶が会いに来るかもしれない事を告げる。

「そうなの……? そっかあ、コウ君が来てからもう一ヶ月くらいになるのねぇ」

『コウ君が居なくなったら、ちょっと寂しくなるかな』と素直な心情を吐露する美鈴に、コウはまた遊びに来るよと応えるのだった。


 それから数日後。ゴシップ週刊誌の隅を飾る小さな記事の取材から帰ってきた美鈴とコウは、自宅アパートの前で待っていた都築朔耶と再開した。

「やほーコウ君、彩辻さん」
「やほー朔耶」
「こ、こんにちはー」

 美鈴が朔耶と顔を合わせるのは、例の観光リゾート地として開発中の島で会って以来となる。
 やはりこうして改めて会ってみると、"都築朔耶"の纏う独特の雰囲気には何か得体の知れない気配が感じられて、美鈴は若干萎縮してしまう。

「この前は大変だったみたいね、怪我がなくて何よりだわ」
「コウ君が居てくれたお陰で助かりました」

 銀行強盗犯によるバスジャック事件に巻き込まれた事を気遣う朔耶に、美鈴は苦笑しながら答える。アパートの前で立ち話も何なのでと、三人で美鈴の部屋に移動する。招かれた朔耶は、出されたお茶にお礼を言いながら早速本題に入った。

 先日、"遠藤沙耶華"が異世界はフラキウル大陸、グランダール王国の王都トルトリュスへと渡った。近くコウの本体"御国杜京矢"も、ナッハトーム帝国の帝都エッリアへと渡る予定だという。

「京矢君が向こうに渡った後で、コウ君が自力で戻れるかどうか分からないから、場合によってはまた迎えに来る事になるわ」
「そうなんですか?」

 朔耶の話に美鈴が応えると、コウは『大丈夫だと思うけどなぁ、たぶん』と輪に加わる。

「あたしも多分大丈夫だとは思うんだけど、ちょっとコウ君がこっちに来た時と条件が変わりそうなのよね」
「条件?」

 何か問題が起きているのだろうかと小首を傾げるコウ。朔耶の説明によると、実は先に戻った沙耶華の身にある変化が起きている。人工精霊ボーが混ざった影響で、治癒術が使えるようになっているのだ。というか、常時近くに居る者に癒し効果を与えているらしい。
 それほど強力なものではないが、沙耶華の傍にいるだけで疲れが取れる。本人にもその効果はあるらしく以前より疲れ難くなったという。アンダギー博士が詳しく調べており、今のところは問題無しと判定されているそうな。

 京矢も同じ状態になる事が予想されるが、彼の場合は魔術関連の力を全く持っていなかった沙耶華と違い、コウとの繋がりで人格境界線の"蓋"を開いてコウを呼び寄せるという、特殊な力を扱えるので、その辺りにどんな影響が出ているか分からない。
 現在は自宅で両親と大事なお話中の京矢が、向こうに戻った後コウが異次元倉庫内から京矢との繋がりの"線"を辿ってきちんと戻れるかどうかを確かめ、その後の対応を決めるそうな。

「そっかあ、じゃあキョウヤも魔法とか使えるようになるかも?」
「そうねぇ、京矢君はコウ君繋がりで術の扱いも"覚え"ちゃってるかもね」

 コウと京矢は互いの知識や経験を、殆どそのまま自身の記憶として流用出来る。コウは魔力を視認出来る事によって魔術の習得や扱いにも長けているので、その記憶を参考にすれば、人工精霊の魔力を宿した京矢もそれなりに扱えるようになりそうだ。
 何だか一気に内容がファンタジックになって話題に入っていけない美鈴は、お茶を啜りつつ二人のやり取りに耳を傾けていた。
 ともあれ、コウは残り数日となった地球世界での滞在生活を満喫するつもりのようであった。

 その後は特に大きな事件に巻き込まれたり、問題が起きたりする事もなく、平穏な日常が過ぎていった。時折訪ねて来る朔耶と帰還時期の打ち合わせをし、引き揚げのタイミングを計る。
 そうして月を跨いだ最初の週末。

「それじゃあ、おせわになりましたっ、元気でねー美鈴」
「うん……またね、コウ君」

 美鈴のアパートの前で、迎えの車を背にペコリと頭を下げてお別れの挨拶をするコウ。美鈴は何だかしんみりしたような笑顔で手を振って応えた。
 やがてコウ達を乗せた車はゆっくりと走り出す。入り組んだ住宅地なので、見送る美鈴の姿も直ぐに見えなくなった。

「また遊びにきたいなー」
「良い友達になれたみたいね?」


 朔耶の実兄らしき男性が運転する車で一旦御国杜家に向かうコウは、気さくに話し掛けてくるそのお兄さんから召喚獣について質問を受けていた。

「コウ君! 奉仕用女性型召喚獣について詳しくっ、お値段は如何ほど?」
「えーとねー」
「くらっ自重しろバカ兄! コウ君も答えなくていいのっ!」

 運転中は物理的なツッコミ禁止なので、ここぞとばかりに突っ走る朔耶の兄。コウは『楽しい人だなぁ』と、彼を観察した。そしてふと気づく。

「お兄さんって、異世界むこうの人と付き合ってるんだ?」

 彼から、オルドリア大陸の精霊神殿に所属する女性騎士と親密な関係にある、という情報が読み取れた。都築家は定期的に家族旅行で異世界の別荘を訪れているらしく、その時に知り合ったらしい。

「いや、う~ん……付き合ってるというか、師弟の関係というか」

 コウの指摘に目を泳がせながら、正式に男女関係的なお付き合いをしている訳ではないと説明する重雄に、半目の朔耶が突っ込む。

「あれだけあからさまにデートしてる癖に、何を今更……」
「……効率的な体捌きとか、特殊な歩法の工夫とか語り合うのをデートとは認めんぞ、妹よ」

 少し遠い目をしながら突っ込み返す重雄。どうやら複雑な関係らしい――と、コウは認識するのだった。


 昼過ぎ頃、コウ達は御国杜家に到着した。京矢の両親に出迎えられた三人は挨拶もそこそこに居間へと通されると、早速打ち合わせに入った。異世界への転移は夜間に行う予定である。
 京矢が両親も交えつつ朔耶と今後の打ち合わせをしている間、コウは庭で重雄に稽古をつけて貰っていた。車での移動中に聞いた『異世界に格闘術の弟子を持つ』という話から、コウが何か教えて貰おうと頼み込んだのだ。

「聞いた限り、コウ君の玉砕スタイルには牽制技が無いと見た」
「うん、けんせいは魔術とか使ってるけど、あんまり威力も出ないんだ」

 魔物に憑依して戦う機会が多かったせいか、魔術の扱いに有利な性質を持っているにも関わらず、割とぶん殴り系格闘戦寄りな戦闘スタイルのコウ。
 重雄は少年型のコウでも効果の望めそうな技、ローキックを伝授した。

「何はともあれローだ、ローを制する者は世界を制する」
「なるほどー」

「ローッ」 ビシィ
「ろーっ」 ビシィ

 重雄が見せた手本に習って右のローキックを繰り出すコウは、『そう言えば足技って殆ど使った事無かったなぁ』と、自分の戦闘スタイルを振り返る。複合体の時もパンチが主体だった。

「捻り込むように、ロー!」
「ろー!」

 庭でローロー言いながら蹴りの素振りをするコウと重雄。二人の鍛錬は朔耶から『打ち合わせに交ざれ』と呼ばれるまで続いた。この日の指導により、コウは重雄のローキックで崩して朔耶の稲妻ビンタに繋ぐというコンボ技を習得したのだった。

「攻撃力アーップ」


**


 ナッハトーム帝国の帝都エッリア。地球世界に帰っていた京矢が、朔耶に連れられ、深夜の離宮に出現した。前日に朔耶から知らせを受け、離宮の奥部屋で待っていたスィルアッカやターナ、メルエシード達が出迎える。
 少し間を置いて、召喚の光と共に現れる少年型のコウ。

「ただいまー」
「おお、コウも戻ったか」

 無事に戻って来てくれて嬉しいと、京矢の手など握っていたスィルアッカが、更なる喜びと安堵の表情を浮かべる。数日空ける程度の予定だったのに、数十日経っても帰って来ないので、少なからず不安を募らせていたのだ。
 一方、京矢は約一ヶ月ぶりに再会したスィルアッカの扇情的な格好と、美しい顔立ちを改めて認識させられ、少し剣凧が出来ている柔らかい手の感触に、思わず赤面している。
 そんな彼の隣では、京矢と人工精霊ボーの融合状態を観察していた朔耶が、コウの異次元倉庫からの世界渡りに問題がない事を確認して頷いた。

「ん、特に問題なかったみたいね」
「だねー」

 こちらの世界から地球世界へ渡った時は途中でつっかえていたのだが、こちら生まれの人工精霊と本体京矢が融合した事で"道"が出来たのか、随分とスムーズに移動出来るようになったようだ。

「さて、早速だがここ最近の情勢を話しておこう。ターナ」
「はい」

 ひとしきり再会を喜んだスィルアッカ達は『これからの事を話し合わねばならん』と、ここ一ヶ月間の帝国の内情や周辺国との情勢を語りだす。京矢との再会の抱擁を狙っていたメルエシードが『くっ』と悔しそうに抗議の視線をスィルアッカに向けた。
 しれっと流す皇女殿下スィルアッカ。戻って来て早々のプチ修羅場に、京矢は『勘弁してくれ』な心境で項垂れた。

 帝国内はマーハティーニ方面で旧王党派残党がまだ活動を続けており、現国王ディードルバードの糾弾を叫ぶ彼らとマーハティーニ正規軍との散発的な衝突が起きている。
 宗主国であるエッリアを始め、ナッハトーム帝国内の各有力国の王族から、ディードルバード王子の王位継承を容認する声明が公式に出された。これにより、ディード王は晴れてマーハティーニ国王として認められた。
 先日、帝国中に派遣されたヴェームルッダの治安警備隊がマーハティーニにも配備されたので、旧王党派問題も間もなく片付くだろう。
 グランダールとの関係も、徐々にではあるが交易を拡大させる事で帝国の民に友好国として印象付ける効果が出てきているという。

「まあ、こちらはまだ父上の横槍が問題なのだが」

 帝国内にも規模は小さいものの、冒険者協会の支部が建てられるようになった。しかし、グランダールの本部から派遣される人員には監視が付けられたり、一部冒険者の雇用が制限されるなど、非公式ながらガスクラッテ帝の指示によると思われる露骨な反グランダールの姿勢が見られた。

「以前コウが洗い出した、私の留守中に父上に近づいた者の中に、何人か有力な者が居てな」
「あー……」

 スィルアッカの説明に大体の状況を察した京矢が唸る。『皇帝陛下や帝都の有力者に睨まれては敵わん』と、冒険者協会を呼び込みたい各支分国や商人達の間に萎縮を招いており、その影響もあってか、協会の利用者数も伸び悩んでいるそうだ。

 ガスクラッテ帝と志を同じくする、グランダールへの雪辱を願う者。個人的な復讐心をたぎらせる者。戦いの場に身を置きたい者。皇帝に取り入る為に同調している者などなど、今の帝都とエッリア宮殿には様々な思惑が渦巻いている。

「ただの取り巻きは兎も角、信念持って動いてる相手は厄介そうだなぁ」
「ああ、だが民の支持はこちらにあるからな、説得出来そうな所から切り崩していく予定だ」

 その為にも、コウやウルハが持つ読心の力が必要なのだとスィルアッカは語った。そんなこんなで再会の挨拶と現状報告も一段落。京矢は今後も機械化兵器開発の顧問という立場のまま、こちらで暮らしていた時から自室として与えられているこの奥部屋で過ごしていく事になった。

「ああ、その事なんだけどさ。ちょっと色々持ち込みたいモノがあるんだけど、いいかな?」
「京矢の世界の私物という意味か? 特に問題は無いと思うが」

 色々とかさばる上に準備も整えなくてはならないので、数日後にもう一度元の世界に戻ってから持って来ると言う京矢は『とりあえず今日はこれだけ』と、機械化兵器開発の参考にするべく近所の本屋で買った現代兵器図鑑を持参した。
 こちらの世界に強い影響を与えそうな知識や道具など、地球世界のモノを色々持ち込む事は朔耶の理念や価値観とは相容れないが、そこは人それぞれで事情もあるからと、朔耶も理解を示してくれている。
 その朔耶がそろそろ御暇おいとまする事を告げてソファーから立ち上がった。

「さて、それじゃあまた明後日にでも様子を見に来るわ。そんじゃね、京矢君、コウ君」
「ありがとう、よろしくお願いします」
「またねー」

 京矢が会釈し、コウは手を振って応える。朔耶はスィルアッカ達にもひらひらっと手を振って挨拶すると、唐突にスッと掻き消えた。元の世界へと転移したらしい。分かっていても一瞬ドキリとしてしまう瞬間。
 奥部屋に集まっていた面々は、静かに息を吐くのだった。

「ふう……じゃあ俺達もそろそろ休もうか」
「そうだな。その書物も、明日またじっくり見せてもらうとしよう」

 京矢の提案に頷いたスィルアッカはそう言ってこの場の解散を告げた。こうして、フラキウル世界に戻って来たコウと京矢は、ナッハトーム帝国での新たな生活の日々を迎えたのだった。


**


 翌日から離宮の奥部屋に活動拠点を構築するべく動き出した京矢とコウは、地球世界から持ち込んだノートパソコンや太陽光発電装置などを設置して、帝国データベースの作成を始めた。
 大容量記憶装置でもあるPCを使えば、平凡な能力しか持たない自分でも情報の蓄積量や整理による検証などで貢献が出来ると考えた京矢のアイデアだ。そしてそれらの情報はコウの読心能力も含めた諜報活動で集められるので、精度も極めて高い。

 京矢が帝都エッリアで能動的に活動を始めてから数日。スィルアッカの私室に呼ばれたコウは、これから出席する御前会議での役割などについて打ち合わせをしていた。
 今回スィルアッカは、グランダールとの関係改善という目的を秘めた帝国の経済発展政策を推し、今後の国策に絡めていく計画を立てている。

「帝国の発展、繁栄という部分に焦点を向けさせ、父上の反グランダール志向による干渉を抑える」

 あくまでも帝国を更なる発展、繁栄に導く交易政策であり、その為にはグランダールとの今以上の深い交流も已む無し、という結論に持っていく。

「父上の反発次第では、こちら寄りになっていた官僚にも日和見する者が現れるだろう」

 それを牽制する意図も兼ねて、スィルアッカの帝位継承について話題に触れるので、コウにはガスクラッテ帝の考えを読み取って貰い、そこから継承時期などを見定める。

「将来スィルが皇帝になるから、従ったほうがいいって思わせるんだね」
「そういう事だ」

 現在、機械化兵器開発の成功により、帝国とグランダールの軍事力はほぼ拮抗している。帝国が強くなり過ぎても、グランダールが優位なままでも、両国の間に和平を実現するのは難しい。その最大の理由が、ガスクラッテ帝の反グランダール志向にあった。

「帝国が強かったら、攻め込んじゃえって言うもんね?」
「そうだ。逆にグランダールが優位なままなら、和睦の申し入れや受け入れを相手の軍門にくだる事だと見なされる」

 グランダール側の次期国王となるであろうレイオス王子は、今のところ将来の友好関係を期待出来る相手だ。しかし、後の時代に世界の情勢がどう変わっているか分からない。
 未来志向で帝国との和睦にも前向きなレオゼオス王の治世の内に、グランダールとの真なる和平を築き、両国の関係を深めておく。今はその絶好の時期なのだ。

「では行くか。頼むぞ、コウ」
「はーい」


**


 エッリア宮殿の上層階、皇帝の間にて行われる御前会議にて、スィルアッカは皇帝陛下や居並ぶ官僚達を前に今後の政策と展望を説明する。

「先日の報告によれば、マーハティーニは内乱で閉鎖されていた鉱山も再開し、各種鉱石のエッリアへの輸送ルートも復興したそうです」

 ヴェームルッダの派遣部隊が帝国中に配備され、マーハティーニの旧国王派も制圧されて帝国内の情勢も安定してきた。

「つきましては、バッフェムトに食糧生産の拠点を設け、冒険者協会の物流網も利用して各国の商隊を呼び込む事で、交易による経済の更なる活性化に繋ぎたいと考えます」

 冒険者協会の支部を逸早く受け入れていた地域では既にその成果が出ており、収益が前年比の三倍から五倍に至る所もあった。

「ほう……」
「それは素晴らしい」

 その報告内容に、中立派の官僚達から感嘆のざわめきが上がる。彼らの反応に手応えを感じながら、スィルアッカはこの情勢を安定させて維持していく為にも、エイオア国、グランダール国との早期首脳会談が必要であるとの政策案を主張した。
 この案に皆が関心を持って耳を傾け、政策が実行される事を前提とした議論の流れが形成され始めたその時、ガスクラッテ帝がおもむろに口を開いた。

「して、グランダールに攻め込めるのは、何時だ? そろそろ頃合なのではないか?」

 その一言で、景気のよい話に浮つき気味だった会議の空気が変わる。内心で『不味いな』と舌打ちしたスィルアッカは、流れを引き戻すべく提案した政策について、踏み込んだ説明を始めた。

「父上、今はグランダールとの交戦よりも、まず帝国の総合的な発展を目指すべきだと考えます」

 帝国、エイオア、グランダールとの三国間で同盟関係を樹立し、人材交流を図りながらエイオアとグランダールの技術も吸収して機械化技術の更なる発展に繋げる。
 そうして帝国の国力を増していけば、いずれ戦わずしてエイオア、グランダールの両国をナッハトームの傘下に組み入れる事も可能になるかもしれない。

「徒に兵や財を消費するよりも、次代も見据えた長期的な戦略を――」
「ならん! エイオアはともかく、グランダールとの同盟なぞ考えられぬ」

 スィルアッカの言葉を遮り、強い反発を見せるガスクラッテ帝は、早く戦の準備を進めよと促す事で、休戦協定を破棄して再侵攻する事を示唆する。皇女殿下の掲げる政策に乗り気だった中立派官僚も、皇帝の機嫌を気にして曖昧な態度になり始めた。

「父上、戦で勝つ事だけが帝国の勝利では無い筈です。永劫に栄える豊かな国づくりこそが、我々の役目ではありませんか」

 そう言って説得するスィルアッカ。"グランダールとの和睦"この一点だけ受け入れてくれれば、他に大きな対立点や問題は無い。しかし――

「スィルよ、ワシはお前に帝位を譲るつもりでいる。だが、そんな軟弱な策を弄しているようでは、このナッハトーム帝国を担って行けぬ。お前に一つ、試練を与えよう」

 ざわめく会議場。ガスクラッテ帝は、スィルアッカの帝位継承に『グランダールとの戦に勝つ事』を条件として上げた。

「お待ち下さい、父上!」
「我が帝国は代々武勲によって栄え、称えられてきた。武勲こそ帝国の真理、帝国の正義。武勲なくしてナッハトームの支配者たりえない。これ以外の条件は認めぬ」

「ですが……っ」

 サッと手を翳してスィルアッカの異議を制したガスクラッテ帝は、玉座から立ち上がると居並ぶ官僚達に告げた。

「さあ、会議は終わりだ! 皆持ち場に戻るがよい。スィルよ、お前の武勲を期待しているぞ」

 ガスクラッテ帝は、そう言うと早々に引き上げてしまった。会議の参加者達は戸惑い交じりのざわめきを残しながらも席を立つと、皇女殿下に礼を向けつつ皇帝の間を後にする。やがて最後の官僚が退出すると、一人佇むスィルアッカの元にターナとコウが歩み寄った。

「……スィル様」
「面倒な事になった……コウ、父上のアレはどこまで本気なのだ?」
「えーとねー」

 コウが会議中に読み取ったガスクラッテ帝の内面について報告しようとした時、ターナが周囲に視線を巡らせながら割って入る。

「スィル様、場所を変えましょう。ここでは些か――」
「ああ、そうだな」

 諌められてハッとなるスィルアッカ。帝位継承の試練として示されたあまりに恣意的な条件に、流石の彼女も若干動揺していたようだ。気を取り直し、コウの報告を聞くべく一旦離宮へ戻る事にした。


 離宮の奥部屋までやって来たスィルアッカは、京矢も交えてコウに報告を促す。そして、コウの口から語られるガスクラッテ帝の本心。

 彼は、実は娘になら討たれても良いと考えている。ガスクラッテ帝は重鎮達の中にいる交戦派、スィルアッカの政策に否定的な考え持つ有力者達を自分が囲う事で一纏めにし、スィルアッカが事を起こした際に討ち易くなるよう画策していた。
 ガスクラッテ帝は、自分の古いやり方、武力に頼った政策に限界が来ている事を分かっていた。帝国の未来の為、自分の代で帝国の古い体質を終わらせるつもりでいるのだ。

「そんな事を、思っていたのか……」

 ルッカブルク卿から"民の憂いなき平和な世界"という願いを読み取った時と同じく、コウが『ガスクラッテ帝はそう考えている』と示したのなら、それは間違いなく本心である。
 スィルアッカは、父帝がそんな覚悟を以って今回の"試練"を仕掛けて来ていた事に、驚きと戸惑いを覚える。いずれにせよ、これは簡単に答えを出せる問題ではない。どう対処していくかはまた後日考えようと、今日のところはこれで解散する事になった。


 この問題には、ルッカブルク卿が色々と動き回って穏便な解決を模索した。スィルアッカが早急な決断を下さないよう手を回し、ガスクラッテ帝にも自身の名でコウを派遣して更なる深層の思惑を探り出して貰い、対策を練り始めた。

 ガスクラッテ帝と直接話をして内心情報を読み取ったコウは、より正確にその真意を把握した。老いた皇帝は彼自身だけでなく、これから作られる新しい帝国に必要とされないであろう人々を引き受け、その命と誇りを背負うつもりでいるのだ。
 戦乱の時代からこれまで、共に戦い、支え合い、このナッハトーム帝国を築き上げて来た者達の願いや気持ちを汲んでの方策。
 武勲に生きる事に全てを捧げて来たが故に、他の生き方を知らず、戦い無き世界に居場所を見出せない前世代の戦士達。
 新たな時代を迎えようとしている世界から置き去りにされ、ただ緩慢に朽ち果てようとしている彼等に、せめて最期は皇帝の軍兵として華々しく散れる舞台を用意してやりたいという想い。

――この人、やっぱり初めからスィルアッカに討たれる気マンマンじゃないか……――
『だよねー』

 コウを通じてガスクラッテ帝の狙いと本心を把握した京矢も、何とか出来ないものかと考える。

――いさぎよいとも言えなくはないんだけど、無責任な気もするんだよなぁ――

 新しい時代を迎えたとて、それで何もかもが全て新しくなる訳でもない。新たな問題も多々起きるであろうし、これまでに燻ぶっていた問題も消えて無くなる訳ではないのだ。
 戦いに明け暮れる日々を生き抜いて来た者達の助言や指導が必要になる時だってあるはず。これからの帝国の担い手を導いて行く事は出来ずとも、見守って支えになる事は出来る。
 それら国の営みの一部でもある責任を放り出して、自分達だけさっさと退場しようとするのは、結局、問題解決を放棄した思考停止とも言えるのではないか。京矢はそんな風に思った。

 とはいえ、スィルアッカの政策に賛同出来ない彼等が帝国の重鎮にいる限り、改革も進まないのは事実。当人達に歩み寄る気が無いのならば、何らかの形で権力者の座から下りて貰わなくてはならない。
 スィルアッカに討たれて終わるガスクラッテ帝の計画は、まさに心中。一纏めになって最後に盛大な花火の如く散るつもりらしい彼等に対し、京矢は『もっとスマートに解決出来ないか』と考える。

『べーむるっだみたいに上手く話し合うのは?』
――ヴェームルッダか……、確かにあれも似たような経緯だったよな――

 時代に取り残される事を恐れ、消え去る事を良しとしない心情をマーハティーニの前国王レイバドリエードに付け入られて、反乱軍の片棒を担ぐに至った古い精強軍事国。
 彼等は帝国中に派遣部隊を展開して各国の治安を護るという役割を与えられた事で、スィルアッカの後ろ盾となる事を受け入れ、精強軍国家としての誇りを取り戻した。

――ガスクラッテ帝につく全員の望みとか妥協案とか訊いて回る訳にもいかないしなぁ――
『どうして?』
――え?――

『みんなに訊いて回っちゃダメなの?』
――いや、ダメって事はないだろうけど、それは……――

 コウの素朴な疑問に、京矢は『非現実的だから』と返しかけてふと、思い至る。
『全員に訊いて回る』彼等一人一人の望み、考え、状況、事情を把握し、対処する事など不可能だ。数も多いし複雑過ぎる。そんな事は考えるまでもないと思っていたので、考えていなかった。しかし――

――いや、いいのか? 出来るのか――
『キョウヤが考えてるアレなら、出来るんじゃないかなぁ、多分』
――そう、だよな……うん、やって出来なくもないよな――

 京矢の頭の中に、物凄い勢いで構築されていく『この問題の解決案』。光明を見出した事で加速して行くような京矢の思考を、コウは心の奥から感じ取っていた。


**


 スィルアッカが離宮の奥部屋へやってくると、大きな執務用机に向かう京矢が例の"ノートパソコン"という機械を弄っていた。異界の紋様が刻まれている沢山並んだボタンを、カタカタとリズミカルに叩いている。

「キョウヤ」
「ああ、おはよう」

「コウと何か始めたそうだが」
「うん、昨日の会議アレの件でちょっと思い付いた事があってさ」

 京矢はキーを打つ手は休めず、スィルアッカに自分の計画を説明した。ノートパソコンと自分とコウの能力を使って、帝国データベースの中に相関図を構築する。
 手っ取り早く血を流して解決する方法以外の、じっくり時間を掛けて粘り強く解いていく方法の提案。打ち込みに一段落つけた京矢は、相関図作成計画の意味をそう説明した。

「ガスクラッテ帝側につく人間全員のデータを分析して、ヴェームルッダの時みたいに納得の妥協案で落ち着いて貰うんだ」
「父上につく者全員? エッリア上層の重鎮だけでも二十人は下らないぞ、支分国の者も入れると優に百人は超えると思うが……」

 軍関係者でもガスクラッテ帝に同調する将軍は少なく無い。下士官以下の者は省くとして、兵を動かせる人間を数えるとかなりの人数になるはず。国策として一纏めに対処出来るヴェームルッダとは事情も状況も異なる。

「うん、その全員の望みとか願いみたいなものを調べて分析して、一人一人説得していくって計画だよ」
「それはまた……随分と壮大で気の遠くなる計画だな」

 ノートパソコンを横から覗き込んで読めない文字の羅列を眺めていたスィルアッカは、そう言って息を吐きながら肩を竦めつつ呆れてみせる。実現性の乏しい計画は提案というより、もはや希望や願望の類だと。
 しかし、京矢はスィルアッカに真っ直ぐ向き直ると、これは実現性の高い現実的な方法だと語った。

「俺とコウの力があれば出来る」
「……」

 計画の概要を説明していた京矢は、コウからの交信が来たのでパソコンに向き直ってカタカタとキーを叩き始めた。
 コウの役回りは、宮殿関係者からの聞き取り調査による工作の下地作り。スィルアッカの政策に賛成しない者を中心に、彼等一人一人が内に秘める理由を探り出して、対策を考える。
 この膨大で複雑な人事、個々の状況や思惑、事情など、コウからダイレクトに送られて来る情報を元に相関図を作り、パソコンを駆使して整理する。

「人と人との繋がり経由で探れば、必ず穏便に解決出来る筋道が見つかると思うんだ。だから暫らく俺とコウに任せてみてくれ」

 そしてこの計画に協力して欲しいと要請する京矢。スィルアッカには断る理由はなかった。


 説得工作を進めていく上で、まずは何処から手をつけるべきかと話し合ったコウと京矢は、影響力の強い人を説得できれば、それに倣う人や随従する人も出てくるだろうと考え、宮殿上層の重鎮の中でも、部下を多く持つ軍関係者辺りから当たっていく方針に定めた。

 今日接触した相手は宮殿衛士長を務めるヴァンモース卿。旧エッリア軍の元将校で、ガスクラッテ帝のナッハトーム帝国理念に同調する宮殿官僚の中でも、武勲至上主義筆頭のような重鎮である。彼の内面を読み取りながら説得工作を仕掛けるコウは、かつての戦乱の時代を話題に対話を続ける。

「その頃の儂は、国境回廊から南の森林地帯に深く切り込む部隊を指揮しておってなぁ」

 グランダール側の防衛拠点となる街、アリアトルネを攻略する部隊の援護を兼ねた陽動部隊だが、トルトリュスとグリデンタからの援軍を足止めし、引きつけておくという中々に重要で危険な役回りだった。

 後の大会戦にて、魔導兵器を導入したグランダール軍に大敗を喫したナッハトーム軍が全面撤退を決断するまで、ヴァンモース隊長の率いる陽動部隊はアリアトルネとグリデンタ間の森を中心に国境回廊沿いで転戦を重ねていた。

「"不敗のヴァンモース"って呼ばれてたんだね」
「ほほうっ! よく知っておるな。今はもう、その名を知る戦士は……一人も残っておらん」

 昔の異名に懐かしむ気持ちと照れた様子も見せつつ、当時の戦いを振り返り、還らぬ部下達に思いを馳せるヴァンモース。そんな彼にとって、ライバルとも呼べる存在がグランダール側にも居た。ヴァンモースの陽動に釣られながらも、ことごとくその策を打ち破ってヴァンモース部隊を退けていたグランダール正規軍の騎士団に所属する遊撃部隊。

「敵の騎士部隊にバスクレイという切れ者の隊長がおってな、彼奴とは何度もやりあったものだ」

 当事の戦場を懐かしむヴァンモースの話に、知り合いの名前が出てきた事でコウが反応した。

「あ、その人知ってる"常勝のバスクレイ"だね」
「ほほう、本当によく調べておるなぁ。あの頃の話をする機会は、最近はあまり無いというのに」

「バスクレイのおじいちゃんとは、バラッセの防衛戦で知り合ったんだよ」
「ほほう? この前の機械化兵団お披露目の戦の時か。そういえば、お主はグランダール側に付いた傭兵団に所属する冒険者だったな」

 ヴァンモースは、コウがガウィーク隊の一員である事を挙げて自分の情報網と精度を誇示して見せつつ、バスクレイというかつてのライバルがグランダールの王都トルトリュスから随分と離れた辺境の地にいる事を気にする。『彼奴は元気にしていたか』などとさりげなく訊ねた。

「街軍の指揮官をやってたよ。最初見た時は戦車に剣で突っ込んで行こうとしてたけど、次の日の防衛で落とし穴使ってやっつけてた」
「なにっ! あやつは未だ現役でやっとるのか!?」

 コウの返答に思わず驚愕を露にするヴァンモース。その瞳には期待と憧憬の念も垣間見られる。

――コウが帝国に来る前の話か……そのネタを突破口に出来ないかな――
『やってみる』

 先のナッハトーム帝国によるグランダール侵攻作戦。エッリアの機械化兵器が、実際どこまでグランダールの魔導兵器に通用するのか。
 そんな実証も兼ねた先の作戦で、海路を使ってグランダールの背後を突いたナッハトームの遠征軍。その機械化兵器部隊による猛攻からバラッセの街を防衛したバスクレイ総指揮について。
 コウは現在のバスクレイと、彼があの街で軍事顧問の地位に就き、非常事態で街軍の総指揮を執るに至るまでの流れを、直接本人から聞いた話と、その内面より読み取った内容も交ぜつつ掻い摘んで語った。

 老騎士隊長"常勝のバスクレイ"の軌跡。
 手塩に掛けた腹心の部下に裏切られた事にショックを受け、王宮群の中庭で倒れてからずっと、霞がかった意識の中で過去の記憶を彷徨うように生きていた彼は、バラッセ防衛の戦いの中でかつて憧れた騎士の姿を思い出し、自分を取り戻した。
 隠居後の今は、街軍の若い士官に指導を行いながら、穏やかに過ごしている。

「そうか……」

 かつての好敵手が辿った数奇? な運命とその後の顛末を聞いて、ヴァンモースは静かに唸る。ナッハトーム帝国にとって歴史的な大敗を喫したグランダールとのあの大会戦に、バスクレイが立案した戦略が使われていたという裏話にも感じ入るモノがあったようだ。
 "常勝のバスクレイ"は今なおその卓越した戦略手腕を、グランダールの新たな担い手となる世代に受け継がせている。ヴァンモースの心に、自分はこのままで良いのか? という疑問が生まれた。

 帝国の新しい時代を生きる若者に、伝えていくべきモノは無いか。今まで見えなかった、この先の時代を生きる自分の姿が見えてきたような気がするのだ。祖国の繁栄を眺めながら、穏やかに果てるのも悪くないのではないかという考えが。

――手応え有り、だな――
『雰囲気が変わったね』

 コウと京矢による説得工作計画、帝国データベース作りは、こうして順調な滑り出しを見せたのだった。


**


 コウと京矢が説得工作を始めてから数日。最初の読みと目論み通り、ヴァンモース卿の説得が成功した事によって彼の下にいた者達やその関係者が軒並み皇女殿下スィルアッカ寄りの姿勢を見せ始めた。
 表立って皇帝陛下ガスクラッテ帝の方針を批判したりはしないし出来ないが、冒険者協会への出資や説明会に積極的に参加するなど、皇女殿下の政策を支持する意向を示している。

 元々スィルアッカの融和政策は重鎮達の多数に歓迎されており、慎重派の声こそ有れ明確に反対の立場を表明する者は少ない。
 軍関係者の間でも、未曾有の脅威となった凶星の魔王討伐で共闘したグランダールとの戦には、否定的な考えが占めている。そんな事情もあってか、宮殿上層には良い流れが出来つつあった。

『さて、こっちはこれで良いとして、問題はこの前のあれだな……』
――今夜中にでも探ってみる?――
『うーん、俺もなるべくリアルタイムで把握したいから、直接接触するのは明日辺りで頼む』
――わかったー――

 コウと京矢の暗躍による説得工作。宮殿上層でガスクラッテ帝の旧体質の牙城を崩す、という名目の救済処置が順調に進んでいる中、ガスクラッテ帝の件とは別で一つ問題が発生していた。


 宮殿の私室で政務に励むスィルアッカは、執務机の端に置かれた書類に視線を向けつつ溜め息を吐いた。皇女殿下"スィル将軍"宛ての質問状。差出人はエッリアのとある中堅貴族が主導する民衆組織『遺族連合』であった。
 スィルアッカの政策や方針に懐疑的な態度を示す彼等は、宮殿外での活動を主として商人との結びつきが強く、帝都民衆の代表という立場を取っている。

「宮殿の上層にばかり目を向けていると、思わぬところで足元をすくわれ兼ねんな」
「わざわざこの時期に質問状を送り付けて来たのは、スィル様の立場を見越しての事でしょうね」

 帝位継承の条件問題で、上は宮殿官僚の重鎮から下は一般兵士まで多くの注目を浴びている。今なら、手っ取り早く邪魔者を排除する、というような目立つ行動は取れないと見て、質問状の提出に踏み切ったのであろう。ターナはそう分析する。

「まるで私が粛清の鬼と言わんばかりだな」
「彼等にとっては、あながち間違った認識ではないのかもしれません。大きな誤解である事は、違いありませんが」

 と、フォローも入れるターナに、『心外だ』と愚痴るスィルアッカ。質問状の内容は、先の機械化兵器部隊によるグランダール領侵攻作戦にて、国境回廊の砦を攻める陣地で処刑されたとされる兵士達について。処刑理由の明示と、その正当性を問うものであった。

 "――何故、彼等は処刑されなければならなかったのか"

 処刑された兵士については"軍規に違反した為"との報告書で処理しており、遺族に対する説明でも詳細は伏せてある。
 捕虜の婦女に対する集団での性的暴行および子供の殺害(実際は死んでいなかったが)という不名誉な罪状をそのまま告げるのも忍びない。それまでに帝国軍人として戦ってきた功績や、戦場で精神的に疲弊していた事も斟酌しんしゃくしての、配慮だった。

「正式な軍の裁きに掛けた訳では、ありませんでしたからね」
「まあ、私刑と言われても否定はしないが……」

 とはいえ、軍法会議に掛けていれば罪を犯した兵士本人だけでなく、彼等の親族も周囲から誹りを受ける事態になっていただろう。
 エッリアの威信を賭けて開発された機械化兵器の部隊。そのお披露目も兼ねた大事な戦。皇帝陛下から更なる信を得るべく、スィル将軍が直々に指揮を執っていた。その陣地内でやらかした事も大きい。兵士の行いは、現場に居た指揮官の責任にも繋がる。
 民衆からの支持も高いスィルアッカ皇女だが、民衆に植え付けた"魅力的で品行方正なスィル将軍"のクリーンなイメージを維持する上でも、彼等の行いに寛大な処置を下す訳にはいかないのだ。
 神聖な戦場を汚したとして、公に裁いても極刑は免れない。

「しかし、教えたとて素直に信じると思うか?」
「どうでしょうね……彼等の目的如何によるでしょう」

 もし、スィルアッカ皇女の帝位継承に反対する事を活動の根底に敷いているなら、処刑された兵士の所業を明かしても、その場での処刑は行き過ぎだったなどと抗議を向けて来るだろう。
 単に、不名誉な死の真相を知りたいという純粋な身内の感情だったとしても、対応を誤れば民衆代表の立場を取る有力家集団との関係に遺恨を残し兼ねない。

「コウとキョウヤ達もこの件で動くそうですから、慎重に見極めて対処しましょう」
「……そうだな」

 ターナの言葉に頷きながら、冷めたお茶に口をつけたスィルアッカは静かにそう呟いた。


 翌日、遺族連合の主導者の屋敷にやって来たコウは、京矢と交信で話しながら探り出す内容を確認する。まずは何故、遺族連合はスィルアッカの政策に懐疑的なのか。主導者の意図を探り、組織の実態を明らかにするのだ。

「本日はお忙しい中、ようこそお越しくださいました」
「こちらこそ、きゅうな申し出にこたえて頂きまして感謝です」

 まずは無難な口上を交わすと、コウは本題に入る前に主導者の女性の内面を探って敵味方の判定を下す。この女性はスィルアッカに対する敵意や悪意を持っていない。コウが判断する限り、彼女はスィルアッカの敵では無いようだ。

――じゃあ事情説明して終了って単純な話コースかな?――

 京矢から問題の即日解決を期待する心境が交信越しに伝わって来る。しかし、コウは彼女の内面から読み取れた意識の中に、深く複雑でかなり強い疑惑の念がある事を気にした。

『敵意は無いけど、凄く疑ってるっぽい』
――そう簡単にはいかないか……とりあえず始めてくれ――
『わかったー』

 コウの遺族連合に対する聞き取り調査が始まり、京矢の"帝国データベース"に組織を構成する人物の情報が纏められていく。
 そうしてこの場に集う人達を大まかにカテゴリ分けした結果――真相を知りたい人。お金が欲しい人。何がしたいのか分からない人。付き合いでの参加。興味本位。などに分類された。

――とりあえず付き合いとか興味本位の人は除外で、分かり易いところから順に片付けていこう――
『そうだね』

 問題を掘り下げて解決に導くべく、コウは遺族連合との対話を深めていくのだった。


**


 遺族連合の中でも多数を占める『お金が欲しい人』は、単に儲けたいという性質のモノではなく、稼ぎ頭が死んでしまった事で収入が無くなり、生活に困窮している遺族が大半のようだ。

「戦死扱いにはならないので殉職手当てもつかず、軍人恩給も貰えず、遺族連合の皆さんからの援助に支えられて、どうにか食べ繋いでいる有様で……」
「なるほどー」

――それこそ冒険者協会の斡旋を使うのが効果的なんじゃないか?――
『そうだね、今ならまだ登録してる人も少ないから優遇されるかも』

 ここぞとばかりにコネを使おうという京矢の主張に賛成したコウは、更に踏み込んで希望者をエッリアの冒険者協会支部に雇わせる提案を出す。エッリア支部の従業員はまだ人手不足で、グランダールからの派遣員に頼っている部分がある。
 今後の安定した営業と事業拡大も見据え、冒険者協会の仕事が出来る人員の確保も急務な現状を考えれば、これは丁度良いタイミングだったかもしれない。従業員として働く能力が無くとも、一般人枠として冒険者の簡単な仕事を斡旋して貰える。

 金銭目的の人達への対処法をある程度固めたコウと京矢は、次に『何がしたいのか分からない人』について考察を始めた。
 彼等は明確な目的を持っていない、というよりも、大事な人との死別にまだ心の整理がついていない状態にあり、流されるまま組織の方針に従っているような雰囲気が感じ取れた。

『何かしてないと不安に押しつぶされそうって感じてるみたい』
――なるほどな……それでとりあえず組織の活動に参加してる訳か――

 それぞれ事情は違えど親しい人を失った者達同士、慰め合えるような効果もあるのだろう。如何にケアしていくか、京矢は地球世界からそういった方面の書物でも漁ってみようと考えていた。

――素人が本の知識だけで下手に踏み込んじゃ拙いだろうから、こっちの専門家に託すみたいな感じでいいよな――
『そうだね。冒険者協会にもそういうの担当してる人がいたよ』

 遺族の心のケアに対しては、悩み多き地球現代社会で洗練された『心の回復プログラム』をこちらの専門家に提供する事で、この世界に適応したものに昇華して貰う。

――翻訳が大変そうだけど……――
『がんばれー』

 こうして順番に対処していく計画が組まれていき、やがて一番根が深そうだと判断した主導者の女性との対話に入る。彼女がスィルアッカに疑念を持つ理由。

「どうしてスィルさまの事が信用できないの?」
「あら、殿下を信用しないだなんて、そんな事はありませんわ。ですが、そうですね……少し気になる噂がありまして――」

 コウの仕掛けた『相手の意表を突く直球ど真ん中な質問』に戸惑った様子も見せず、彼女は以前、エッリアの魔導技術研究施設が反乱軍によって占拠された事件の噂について触れた。

"スィルアッカ皇女は帝国内での自らの地盤を強固なモノにする為に、自国の兵士や研究員を犠牲にした"

 そんな噂を耳にしたと語る主導者の女性。あくまでも噂を聞いて不安を覚えたという立場を装っているが、実質スィルアッカに対する彼女の疑惑を表した例えなのだろう。

『この人と結婚の約束してた恋人が、この前のメルが狙われた施設で死んじゃってるみたい』
――あー……あれか――

 以前、マーハティーニの前国王レイバドリエード王が仕掛けた謀略。エッリア領内で反乱兵による国賓の王族殺害という不名誉を着せ、立場を弱くしたエッリアから賠償交渉などを通じて機械化兵器技術の支援を引き出そうとした企み。
 これら一連の事件の裏側は公にはされておらず、ガスクラッテ帝ですら真相を知らされていない。マーハティーニの策略があった事を知る者は、宮殿上層の者でもごく僅かだ。

 遺族連合の主導者をはじめ、魔導技術研究施設で犠牲になった研究者や警備兵の関係者達は、事件が起きた当日のスィルアッカの動きが不自然なほど迅速であった事などから、あの事件はスィルアッカの陰謀策略で行われたモノではないかと疑っていた。

――反乱つーか、襲撃が起きてから直ぐ駆けつけてくれたもんな、それで疑われてんのか――

 当事、まだ稼動準備中だった魔導技術研究施設には、帝都エッリアと即座に情報を伝え合えられるような設備は無かった。
 にも関わらず、スィルアッカ皇女は施設の異変を察知し、会議を中断して機械化戦車隊で救出に向かったのだ。コウと京矢の関係を正確に知る者はまだ少ない。当然、二人の以心伝心について知る者も少ない。

『あと、恋人の死因も関係してるみたい』

 主導者の女性の恋人は、火炎砲に撃たれて死んでいる。事件が起きた研究施設には配備されていなかった筈の携帯火炎砲が使われていた事も、彼女がスィルアッカに疑念を持つに至った理由の一つであった。

――なるほどな……。施設の生き残りって、俺とメルだけだったもんな……――

 "異世界人キョウヤ"の事も疑っているらしい事を読み取ったコウを通じて、京矢は主導者の女性の気持ちに理解を示した。これらの疑念の払拭と、説得には中々骨が折れそうだと内心で溜め息を吐く。

 結局、この日は遺族連合側の訴えを一通り聞いて置くだけに留め、後日改めて話し合いを進める方針で合意した。


 夕刻過ぎ。昼間の政務を終えたスィルアッカが、ターナと共に離宮の奥部屋へとやって来た。遺族連合に対する調査結果を聞く為だ。

「どうだ? 彼等について何か分かったか?」
「ああ、いい所に」
「おつかれさまー、待ってたよー」

 遺族連合の主導者の女性が強く懐く疑惑について、どう解いていこうかと話し合っていたコウと京矢は、スィルアッカ達に遺族連合の実態と、特に厄介な部分となっている問題や、割とあっさり解決できそうな事情などを説明する。

「なるほどな……問題は例の反乱軍絡みの事件の方か」
「処刑された兵士の関係者については、コウとキョウヤが考えた提案で直ぐに片付きそうですね。ですが、その場合――」
「うむ、まずはその主導者をどうにかせねば始まらんな」

 ターナの指摘にそう頷いて続けたスィルアッカは、一介の貴族婦女が遺族連合なる組織を纏め、ここまで情報を調べ上げて真実を追及しようとしている姿に、同じ女性ながら大したモノだと感心を示す。

「先の戦から魔導技術研究施設の事件を含め、コウの働きについてもよく調べてある」
「味方につけて損はありませんね」

 問題は何をどう説明して納得させるか。メルエシードが狙われた例の事件の真相をそのまま話す訳にはいかない以上、何かシナリオを考えなくてはならない。

「ここは本人達にも協力してもらうかって、コウとも話し合ってた所なんだ」
「本人? メルを話し合いに同席させるのか?」

「ディード王に資料をもらうんだよ」

 京矢の言葉に小首を傾げたスィルアッカに、コウが伝書鳥のぴぃちゃんを肩に乗せながらそう答えた。


**


 遺族連合の主導者がスィルアッカに対していだく疑惑を解消するべく、コウと京矢が相談して考え出した策。ルッカブルク卿からもアドバイスを貰い、スィルアッカ皇女とメルエシード王女の連名で極秘文書が作成された。

「これでよろしいでしょう。後は資料が届いてから打ち合わせですな」
「うむ、その時はまた頼む。貴方が手伝ってくれて助かった」

 スィルアッカの謝意に、ルッカブルク卿は「それが私の務めですから」と謙遜を見せつつ退室していった。

「メルも、また辛い事を思い出させてすまぬな」
「ううん、大丈夫よスィル姉さま。もう過ぎた事だわ」

 メルエシードは、そう言って控えめな笑みを返す。マーハティーニの現国王ディードルバード宛の内密な手紙。反乱軍やその首謀者とされているマズロッドに関する調書など、資料の提供を求める内容が記されている。

「じゃあ行ってくるね」
「おう、頼んだ」

 手紙を預かって異次元倉庫に仕舞ったコウは、京矢から送り出しの言葉を受けながら少年型の召喚を解除して伝書鳥に憑依すると、一路マーハティーニを目指して帝都エッリアを飛び立った。


 その後、ディード王から必要な資料を受け取ったコウは、京矢の裏技"蓋開け"でエッリアまで一っ飛びに帰還した。持ち帰った資料を有効活用すべく、離宮の奥部屋でルッカブルク卿も交えた打ち合わせを行う。
 
 今回用意された資料は、かつてバッフェムト独立解放軍を名乗って帝国内を荒らしていた反乱軍組織の首謀者で、後に凶星の魔王トゥラサリーニに付いて討伐隊の前に立ちはだかった人物、マズロッド将軍を取り調べた調書の写しであった。
 勿論、調書の内容は虚実を交えてスィルアッカ達に都合の良い内容になっている。ここから更に追加シナリオを組み上げ、ディード王とも示し合わせた『隠された真実』を練り上げる。
 その内容は、全てが出まかせの捏造という訳ではない。例えば、前国王レイバドリエードが反乱軍に資金援助をしていた事や、ヴェームルッダがその策略に一部協力していた事などを、無かった事にするといった具合だ。

「今回はこの情報を流出させましょう。ディード王政権への援護にもなりますからな」
「ふむ、マーハティーニの情勢安定にも繋がるし、ヴェームルッダにも更に恩を売れるわけか」

 ルッカブルク卿の説明と提案に、スィルアッカがなるほどと感心する。この辺りの情報工作は、流石に一般人である京矢やコウにも埒外というか敷居が高過ぎるので、基本的にシナリオ製作はルッカブルク卿に丸投げ状態である。

「真相は闇のまた闇とはよく言ったもんだよなー」

 一連の流れを時系列に纏めながらノートパソコンに入力している京矢が呟く。遺族連合の反皇女姿勢を説得する過程で、少しだけ明かされる『魔導技術研究施設襲撃事件』の真相。
 が、その『隠された真相』ですら、今回の問題解決の為に造られたモノで、本当の真相を知る者は両手で数えられる程しかいないという事実。

 関連する複数の問題を、一つの工作で同時に片付けつつ、各方面との強化も図る。京矢達がルッカブルク卿の策略手腕の凄さを実感していたその時、ある意味そういった工作すらも通用しなさそうな人物がやって来た。

「やほーコウ君、京矢君」
「やほー朔耶」
「こんちゃす、相変わらず唐突すね」

 京矢達の様子を見に定期訪問に訪れた朔耶は、コウに少し協力して欲しい事があると告げた。
 一方、この厳重な警備で固められた超極秘会議が行われている奥部屋にしれっと現れた朔耶を見て、ルッカブルク卿が唖然としていた。スィルアッカは、彼女の事は気にしなくていいと、ターナが淹れたお茶を勧めて休憩を促す。
 そんな彼等にもひらひらっと手を振って挨拶した朔耶は、現在オルドリアで進めているという事業について説明する。

「今向こうフレグンスで水鏡っていう精霊術使った通信具でテレビもどきの開発してるのよ」
「テレビですか」
「あれか~」

 オルドリア大陸のフレグンス国にある水鏡は、主に国政に関する情報のやり取りを行う遠距離通信施設として、各衛星国の首都など、拠点となる街の精霊神殿に設置されている。映像と音声による双方向通信が可能な装置。
 従来、使用するには精霊と意思の疎通が可能な程度の交感能力を持つ神官が、水鏡に宿る精霊に呼び掛けるという儀式てじゅんが必要だった。
 オルドリアでは「知の都」ティルファと呼ばれる国の研究者達によって、精霊が行っていた遠方の映像を投影する仕組みが一部術式として解析され、魔術式投影装置の試作品が出来ているという。

「それがコレです」
「ぶっ」

 おもむろに鞄から取り出して見せる朔耶に、京矢が「態々持ってきたんすか」と思わず吹き出す。朔耶はこの装置の動作実験をコウにやって貰いたいのだと語った。

「アンダギー博士とかに見せたら喜んで手伝ってくれそうですね」
「うん、実はここへ来る前に博士の所にも立ち寄って来たの」

 魔術式投影装置の稼動には、必要な魔力量が他の魔導具より多くなる。朔耶がオルドリアで普及させている"サクヤ式"の魔力集積装置では出力が足りず、魔力も続かないので高出力且つ安定した魔力の供給を行える魔導器のノウハウが欲しいと、博士に技術支援を頼んで来たらしい。

 博士によると、コウならその基礎部分の実験を行えるのではないか、との事。魔導器を接続するにしても、その装置を安定稼動させる為の調整が必要になる。
 魔力を視認出来るコウなら、簡単に試作装置に必要な魔力の波長を合わせていけるので、コウのレポートを元に魔導器の出力を調整すれば確実。
 そんな訳で、コウに実験を依頼するのは、博士に推奨されたのだという。

「なるほどね、それなら――」

 協力していいかな? と訊ねるようにスィルアッカの方を窺う京矢に、ルッカブルク卿と向かい合ってお茶で休憩していたスィルアッカは、構わないと頷く。彼女自身も朔耶が持ってきたオルドリア製の魔導製品に興味があるようだ。

 装置を観察していたコウは、精霊石のパーツという部分に何か集合意識の欠片のような存在が宿っているのを感じ取っていた。

『これが精霊石に宿る精霊か~』

 コウは装置の魔力を供給する部分に集めた魔力を送り込みながら、以前ウルハと意識を繋げた感覚で交感を試してみた。すると、精霊石のパーツ部分上部付近に、装飾魔術にも似た幾重もの光の帯が浮かび上がった。
 光の帯は互いに重なり合って何かを象り始め、次々形を変えながら出鱈目なオブジェを描き出す。朔耶の説明によれば、普通に交感を繋いだダケでは、人の意思イメージをそのまま精霊に送った状態になるという。表層意識と深層意識、視覚情報、知覚情報、嗅覚情報。
 無意識に思っている事や肌で感じた事など、あらゆる情報が整理されずに表示されるのでこうなるらしい。何かを意識する度に、映像は色んな色彩をかき回したような状態になってしまうのだ。

 コウが装置との交感を解くと、朔耶が交感を繋いで実例を見せてくれた。朔耶と重なる精霊が、装置の精霊に送るイメージを一つの情報に纏める事で、今朔耶が見ているこの部屋の光景が映し出される。

「なるほど~」

 以前、京矢の生存報告ビデオの撮影作業で見た、ビデオカメラでのリアルタイム映像のようだと、コウは納得した。同時に、ビデオカメラの画面に映し出していたように、撮影した"過去の記録"を表示する事は出来ないのだろうかと考える。

『ちょっとやってみよう』

 精神体のコウは特定の記憶にのみ直結して、他の情報をシャットアウトする事が出来る。従って、記憶の中から、必要な映像情報だけを引き出す事も可能であった。

「できた」

 この実験で、コウは自身の記憶にある"地球世界の街並み"を装置で投影して見せた。

「わおっ! そういえばコウ君って、意識が記憶に直結してるって言ってたわね。普段から装飾魔術使ってるし、魔術の制御が完璧なら精霊みたいに自力で記憶の投影が出来るかも……これって凄い事だよ」
「えへへ~」

 将来性が半端無いと賞賛する朔耶に、照れるコウ。部屋の奥から二人のやり取りとコウの記憶映像を見たスィルアッカとルッカブルク卿、それに京矢も加わり、三人は声を揃えての一言を放った。

「「「それだ!」」」


**


 コウがマーハティーニから持ち帰った反乱軍に関する資料を基に、ルッカブルク卿が『隠された真実』を用意。『魔導技術研究施設で起きた事件の真相』を組み上げた。
 さらに、朔耶が持ってきた開発中の試作・魔術式投影装置で記憶映像の投影に成功したコウは、朔耶に装置の実験に協力する事を条件に装置を一日貸して貰い、遺族連合との二度目の話し合いで成果を上げる事が出来た。
 資料と記憶映像によるインパクトを以て彼等の疑惑を払拭し、遺族連合は正式にスィルアッカの政策支持を表明すると約束した。
 そうして、帝都の民衆代表を標榜している中堅貴族層に対する憂いも片付いたのだった。

――お疲れ。何とかなったみたいだな――
『うん、後は冒険者協会の紹介状とか渡して終わりだよ』
――ああ、そうだな……――

 上手く片付きはしたものの、結局は遺族連合を利用すること前提で作り上げた『偽りの真実』で欺いての和解。それだけに、彼等の殊勝な態度を見せられると、利用する事への罪悪感で素直に喜び難いといった様子の京矢。コウはそんな京矢にフォローを入れた。

『京矢はさ』
――うん?――
『ボクと繋がってるから、色んな人の本音とか真相とか知り過ぎて、慣れちゃってるんだよ』
――それってどういう……ああ、そういう事か。……まあ、確かにな――

 コウとの交信で会話を交わしながら、直接コウの言わんとする内容を読み取り、京矢は納得する。確かに今回の計画では、遺族連合を過去の政争や陰謀の後始末に利用したが、彼等が知りたがっていた情報には偽りは無い。
 京矢は、あらゆる隠し事を暴いてしまうコウと繋がっている事で、真相を知る事が当たり前になっていた。全てを知った上で前に進めるのは、周囲に支えてくれる人々が居た事は勿論だが、京矢にはコウという強力な一心体の味方がいる。
 内側から心を支えてくれる存在がいるからこそ、他者のあらゆる本音や、真相を知っても前を向いていられるのだ。その事に慣れてしまっているが故の、偽る事に対する罪悪感。京矢は『我ながらまだちゃんと覚悟が出来てなかったか』と自身の気持ちを省みる。

――そうだな、知る必要の無い事ってのも、場合によっちゃ必要なのかもな――

 ともあれ、気持ちを持ち直した京矢は、今回のような駆け引きが今後も起こりうる事を想定して、帝国データべース作りの中に備考を加える事にした。
 表向きの真実と、隠された裏の真実、どのような狙いでどう仕掛けて、どう治めたか。そしてどんな成果があって、どんな弊害をもたらせたのかも、細かく記録していくのだ。
 これにより、京矢のデータベースには策略に関する情報も蓄積されていく事となった。

――何か一気にデータが増えたな……ノートパソコンの記憶容量は十分だけど、作業量が半端無いぞこれ――
『がんばれー』

 入力がしんどいとボヤく、割と自業自得気味な京矢に、エールを送っておくコウなのであった。


**


 冒険者協会エッリア支部の従業員に地元のエッリア人が入った事で、今まで冒険者協会の仕事に興味はあれど、勝手が分からず敷居が高いという意識から躊躇していたという層も、気軽に利用できる環境が整った。
 遺族連合の動きに呼応する形で、大衆が積極的に冒険者協会の仕事を請けている。特に簡単な採取の仕事は、小遣い稼ぎにも良いと人気であった。採取の仕事が多くこなされた効果により、地味にエッリアとグランダール、エイオア間の交易量が増えて景気も上向きだ。
 そしてヴァンモース卿を始め、皇帝派の有力者達が軒並みスィルアッカ皇女の政策に肯定的な姿勢を取り始めた事で、宮殿関係者達も気兼ねなく利用できるようになった。導入を躊躇していた大小の支分国も冒険者協会の呼び込み、支部の設立を進めるようになっている。その資金を援助する事で、エッリアの、延いてはスィルアッカの帝国掌握は更に深く、順調に伸びていった。


 月明かりに照らされる夜のエッリア宮殿。その最奥にある皇帝の自室にて、ガスクラッテ帝は今し方ルッカブルク卿から明かされた、マーハティーニ、ヴェームルッダ、反乱軍に関する『本当の真相』について、静かに呟いた。

「そうであったか……マーハティーニとヴェームルッダがのう……」

 スィルアッカの皇帝即位を穏やかなモノにするために、ルッカブルク卿は皇女殿下の働きを正確に伝え、ガスクラッテ帝には真相を語る必要があると判断した。それから最近の帝国の流れと今後の展望について話し合う。
 今宵はヴァンモース卿にも協力を要請し、同席して貰っていた。

「しかし内密にそこまで進めていたとは、さすが我が娘だ」

 ガスクラッテ帝は、ヴェームルッダに裏切りがあった事と、その原因に気を病みつつも、スィルアッカの手腕を評価した。
 そして何か思案顔になって沈黙するガスクラッテ帝に、ヴァンモース卿が話し掛けた。

「陛下……儂は、陛下と共に帝国の礎となるべく、砂漠の肥やしになるつもりでおった。しかし今は、明日の帝国を担う若人を支えてやりたいと思うておりまする」
「ふむ。新たな生き様を、見つけたということか」

 宮殿の内外で、ヴァンモース卿と同じようにスィルアッカの側に付く者達が増えている。ガスクラッテ帝の目論見は、新しい時代に不要となるであろう同志を連れて往く事。将来の凋落を憂いて時代の狭間に没しようとしていた者達が、新時代の中で生きる希望を見出せたのなら、それは喜ばしい事なのだ。

「ならばもう、スィルへの試練は撤回してもかまわぬか……」

 月明かりの射し込む窓から夜空を見上げたガスクラッテ帝は、そんな言葉を口にする。皆がそれを望んでいるのであれば、と。しかし、彼の予想に反して、ルッカブルク卿がその言葉に意を唱えた。

「いえ、恐れながら、陛下には今しばらく、現状を維持して頂きたく存じます」
「なに?」

 意外に思ったガスクラッテ帝は、真意を問おうと振り返る。そこに、厳しい顔に複雑な表情を浮かべたヴァンモース卿と、深い眼光を携えたルッカブルク卿の表情を見て、直ぐにその意図を理解した。

磐石ばんじゃくの新体制を敷くために、現皇帝ワシをも利用するか。ふっふっ、良いぞ良いぞ、それでこそよ」

 ガスクラッテ帝は、スィルアッカが古参の重鎮達も傘下に収め、着実に帝国を掌握している事を喜ぶのだった。

 その後、これからの展望を話し合い、グランダール、エイオアとの三国同盟に同意する時期などを慎重に見定める。表向きはスィルアッカの政策に懐疑的な立場を取って対立する姿勢を装うので、主な連絡役はルッカブルク卿が行う。
 スィルアッカ陣営が進めていた『皇帝に取り入ろうとする者達』の洗い出しも、ガスクラッテ帝自身が秘密裏に協力するのだから、かなりの成果が期待できる。単なる事大主義者なら捨て置き、権威を傘に私腹を肥やそうとする輩は粛清も視野に対処していくのだ。

「帝国の、真なる夜明けは近い」

 ガスクラッテ帝はそう呟く。皇帝の自室で行われた三者による密談は、明け方まで続いたのだった。


 それから数日後。ルッカブルク卿からの報告を受けたスィルアッカは、父帝ガスクラッテとの事実上の融和政策を進める事となった。表向きはほぼこれまで通りの関係を装う。
 しかしながら、今までも表面上はガスクラッテ帝とスィルアッカ皇女の関係は悪くなく、対グランダール政策の一点でのみ意見の相違があるように見えていたので、外からでは本当に今までと何ら変わりなかった。
 ガスクラッテ帝の娘に対する気持ちも、これまで通り変わらない。変化があったのは寧ろスィルアッカの内面の方であった。

「まさか、父上に"父親"を感じる日が来るとは思わなかった」

 離宮の奥部屋でソファーに腰掛けながらボンヤリと呟く休憩中のスィルアッカに、データ入力作業中の京矢が応える。

「なんだかんだ言っても親は親だよ。父親として娘を大事に想ってたんじゃないかな」
「ふむ……」

 呻るスィルアッカの脳裏に、ふとマーハティーニの前国王の事がよぎる。自らの担うべく帝国の未来の為に、かの者が最も信を置いていたであろうディードルバード王子を使って謀殺したが、レイバドリエード前国王にも父親としての本懐があったのだろうかと。

「私は、自分で思っている以上に恵まれているのかもしれないな……」

 スィルアッカは、ポツリとそんな言葉を呟いた。


 帝国の将来に向けてスィルアッカが進める体制作りも磐石になりつつある今日この頃。離宮の奥部屋に現れた朔耶に、コウはアンダギー博士に提出する投影装置の魔力調整レポートを提出し、投影装置を使った遺族連合との話し合いの様子を語って聞かせた。

「そっか。上手くいってよかったね」
「映像の力ってすごいね」

 博士もビデオカメラのような映像を記録したり映したりする機械には関心を持っているらしく、今後そういった技術が発展すれば、色々な場面で活用されるようになるかもしれない。

 それからの活動は順調に進み、休戦状態にあったナッハトーム帝国とグランダール王国は、エイオア国を通じての三国同盟を締結した事により、二国間の戦争は事実上の終結を迎える。

 冒険者協会を中心に交易が盛んになり、様々な商品や人材が三国間を行き交う。国同士の結びつきが深まっていくにつき、グランダールやエイオアにとって、ナッハトームの中枢近くで活動する京矢の存在は以前にも増して注視されるようになっていた。
 エッリアでその存在が明かされたばかりの頃は、一般兵からスィル将軍絡みで嫉妬混じりの悪意を向けられ、侮りから誹られたりする事もあった。
 だが、今や帝国のあらゆる情報に通じ、機械化兵器開発顧問としても敬される重要人物。将来皇帝となるスィルアッカが『冒険者ゴーレムの従者コウ』と共に深く信を置く『異界の賢者キョウヤ』を誹謗する声は、めっきり聞かれなくなった。

 そんな平穏な日々が続いたある日、コウは京矢に相談を持ちかけた。

「レイオス王子の冒険飛行か……そういや前にも言ってたな」
「うん、そろそろ準備も整うんだって」

 近隣国との情勢もかなり安定した事により、レイオスは以前から準備を進めていた魔導船団によるオルドリア大陸に向けての冒険飛行を、遂に実施するという。
 この冒険飛行にはガウィーク隊も参加するらしい。三隻の魔導船で数隻の魔導艇を曳航する船団を組んで行くそうだ。

「ガウィーク隊のみんなも一緒だから、ボクも行きたいなと思って」

 また皆と一緒に冒険するのは約束だからね、とコウは言う。

「そっか。わかった、俺からも説得してみるよ」

 そうして、この日の夜。PC講座を受けに奥部屋を訪れたスィルアッカに、京矢はコウの今後について相談する。コウも、ガウィーク隊への復帰と、レイオス王子の冒険飛行に参加したい旨について話した。

「ふむ……そうだな。本音としては、ずっとわたしの傍に居て欲しいのだが、これまで十分に尽力してもらっているからな」

 今の安定した情勢であれば、大きな問題も起きそうに無い。もうコウの暗躍がなくても大丈夫だろうと判断出来る。京矢はこれからも帝国こちらに居るのだから、何かあれば何時でも裏技でコウを呼び戻す事も可能だ。

「スィルが皇帝にそくいする時は、戻ってこれるようにするよ」
「ふふっ、そうか」

 その時は冒険飛行の土産話でも聞かせて貰おうと、スィルアッカは少し寂しげに微笑んだ。

 翌日。スィルアッカ皇女殿下の直属という立場ながら、ほぼ単独での特殊任務が主な活動だったコウは、仕事の引き継ぎ処置などといった作業もなく、即日帝国を発つ準備が整った。
 一応、宮殿周りの関係者達には『冒険者ゴーレムのコウは、スィル将軍との契約を完遂した』という名目で、ガウィーク隊に復帰する旨が伝えられる事になっている。

 宮殿を巡り、皆にお別れの挨拶をして回ったコウは、最後に離宮の屋上で待っていたぴぃちゃんに憑依してエッリアを飛び立つ。

『さあ、ガウィーク隊のみんなの所へ帰ろう』
「ピュイピュイ」

 こうして、ナッハトーム帝国での"長い冒険"を終えたコウは、次なる冒険に向けて王都トルトリュスを目指すのだった。


**


 フラキウル大陸から東へ、レイオスの魔導船団は現在オルドリア大陸に向けて航行中である。巡航速度の魔導船団。コウは魔導船の甲板から周囲一面に広がる大海原を眺めていた。
 バッフェムトの港街や地球世界の離島で広大な海の景色は見た事があったが、前後左右どこを見ても地平線まで続く海という光景は初めてだ。

「コウ君」
「あ、沙耶華」

「また海を見てたの?」
「うん、さっき下にでっかい魚がいたよ」

 コウの隣に並んで海を見下ろす沙耶華。彼女は冒険飛行のメンバーではなく、普段は地球世界の実家で生活している。一週間に一度くらいの間隔で朔耶に連れられて魔導船の中に転移してくるのだ。冒険飛行に出る前、レイオスと朔耶とも話し合って決めたという。
 沙耶華には、世界渡りで人工精霊ボーと融合した効果により、自分の周囲一定範囲を常に癒し続けるという特殊能力が備わっているので、定期的に現れる回復要員として重宝されていた。

「今で半分くらいなんだってね」
「うん、朔耶の話だと、あと五日くらいでオルドリア大陸が見えて来るかもって」

 魔導船団の事は、朔耶を通じてオルドリア側の各国にも連絡が行き届いている。朔耶がフレグンスの高官として、公式に魔王討伐に協力していた関係で、最初はフレグンス王国と接触する予定であった。

 しばらく沙耶華とオルドリア大陸について雑談をしていると、レイオス王子がやって来た。彼の後ろからカレンがパタパタ駆けてくる。

「サヤカ、貨物整理の乗組員が怪我をしたようなのだが、治癒の応援に行ってやってくれないか」
「あ、はい」

 船倉で荷崩れが起きて数人の怪我人が出たらしい。沙耶華はコウに『じゃあまた後でね』と声を掛けると、レイオスと連れ立って船倉に向かった。入れ替わりにカレンが甲板に飛び出して来る。

「コウちゃーーん」
「走ると危ないよー」

 と、言ってる傍からよろけてダイブしてくるカレン。コウは二つの豊満なふくらみを顔面キャッチしながらしっかり踏ん張り、コケたカレンを受け止めた。そして、そのままペタンと座ったカレンにとりあえず抱っこされる。

「カレンは本当にくっつくの好きだね」
「えへへー、だってこうしてるとホカーってするんだよー?」

 ホカーがどういう感覚なのかはよく分からないが、カレンが楽しそうに和んでいるので、コウも特に追求はしない。

「きょうはハレてるねー」
「そうだねー」

 甲板に座って空を眺めるコウとカレン。コウはオリドリア観光を楽しんだ後は、京矢の定期的な帰省に合わせて地球世界に遊びに行く予定を立てている。
 カレンと緩い時間を過ごしていると、意識の奥から京矢の交信が来た。

――今こっちに都築さんが来てるんだけどさ、投影装置の件でまた近い内に相談したい事があるってさ――

 それと、沙耶華が着替えの一部を実家に置き忘れていたようなので、後で持って行くとの事。

『わかったー、沙耶華にも言っとくね』
――おー、頼むなー――

 伝言を終えた京矢は朔耶との会話に戻ったらしく、交信の声や意識が遠くなった。すると、コウが交信中の時はそれを感じ取って静かにしているカレンが話しかけて来る。

「キョウヤくん?」
「うん、後で朔耶が来るって」
「そっかー、あたしサクヤちゃんも好きだよ」

 朔耶が居ると、何だかブワーとなって元気が出るそうだ。カレンのフィーリングトークに和んでいるところへ、ガウィークが少し急いだ様子でやって来た。

「コウっ、大至急お前の力が借りたい」
「どうしたの?」

 ガウィークの話によると、荷崩れを起こした船倉にネズミっぽい小動物が複数入り込んでいる可能性があるという。どうやらこの前立ち寄った無人島で忍び込んだらしい。荷崩れはその小動物が固定ロープを噛み切ってしまったから起きた事故のようだ。
 一匹捕獲してあるので、動物に憑依してその動物の意識から情報を読み取る事が出来るコウの出番という訳である。

「わかったー」

 沙耶華にも忘れ物が届く事を伝えるべく、コウはカレン、ガウィークと共に船内へと戻る。コウが挑む次の冒険は、船内探索による密航動物の燻り出し作戦に決まった。

 何処までも続く大海原。
 遥か上空を行く魔導船団。
 ネズミ退治から魔王の討伐まで、コウの冒険はまだまだ続いていく。

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