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しょうかんの章
第百三話:召還の儀式
しおりを挟む異形化兵の肉片が散らばるソーマ城の玉座の間。カラセオス達によってヴァイルガリンの死亡が確認され、簒奪者の討伐は成し遂げられた。
玉座の間に併設されている奥の部屋には、異形化兵の素材として処置された者達の生き残りがおり、ヴァイルガリンの術が解けた事で意識の混濁から回復した彼等も無事に保護された。
戦いの痕跡が深く残る玉座の間では落ち着かないので、呼葉達はエントランスを通り抜けて城の外まで引き揚げる。
玉座の間は空気の入れ替えと浄化が必要そうであった。
大きな戦いは一段落したが、ヒルキエラ国にはこれから処理しなくてはならない問題が山積みである。
今回共闘した各『地区』代表の族長達は、城の会議室に詰めて朝までに必要な書類を用意する等、今後カラセオスが暫定魔王としてヒルキエラを治める旨を告知する準備を進めている。
首都ソーマ内では穏健派の各族長達が傘下の『地区』に通達を出して混乱を抑え、ヒルキエラ国から各国には『縁合』の諜報網や魔導通信なども駆使してその一報が届けられた。
簒奪の魔王ヴァイルガリンの死没により、魔族国からの侵攻は全面停止。魔族軍とその関係者は全ての占領地を放棄し、直ちに帰国の途に就く事となる。
元々ヴァイルガリンが全軍に『帰投命令』を出していたので、各地からの引き揚げはスムーズに行われそうであった。
首都ソーマに残るヴァイルガリン派の残党処理や、今後各国より寄せられるであろう友好を結ぶ申し入れの他、戦争被害の損害賠償請求等の対応も含め、戦後処理はこれからである。
ソーマ城の聳える崖丘の麓まで下りて来た聖女部隊一行。
馬車に揺られる呼葉達は、ジッテ家の屋敷に向かいながら、いつまでに帰国の準備を整えようかと話し合っていた。
「もうこっちでやる事もないだろうし、後は真っ直ぐ帰ればいいかな?」
「そうですね。恐らく十数日も経てばクレアデス領の中央街道も混んできそうですし、早い方が良いでしょう」
「ルーシェント国は復興中なので王都シェルニアには立ち寄らず、ルナタスを経由してクレアデス国の王都アガーシャで補給を済ませるルートを考えています」
オーヴィス国までの道程について、アレクトール達が立てた帰国スケジュールに耳を傾けていた呼葉は、ピクリと何かに反応するように顔を上げた。
「コノハ様?」
「どうしました? コノハ嬢」
「……んー、ごめん。カラセオスさんの屋敷に戻ったら、そこで召還の儀やってくれる?」
聖都サイエスガウルには帰らず、首都ソーマから元の世界に還りたいという呼葉の突然の申し出に、アレクトールとザナムは何事かと顔を見合わせる。
「フォヴィス様が何か企んでるみたいだから」
「それは、どういう……」
さらに、ここでフォヴィス王子の名が出て来た事に、ますます困惑する二人。呼葉は、先程フォヴィス王子とその周りの人間に与えていた祝福が外れた事を告げて説明した。
実は神殿や王宮周りの強い権力を持つ人物に与えた祝福には、こっそり特殊条件を仕掛けてあった。
それは『呼葉の元の世界への帰還を邪魔しない』というピンポイントなもの。
この条件を付けたフォヴィス王子達の祝福が外れた感覚が、先程伝わって来たのだ。恐らく、ヴァイルガリン討伐の報が届いて直ぐ何らかの行動を起こそうとしたのだろう。
「今頃慌ててるだろうね」
呼葉をこの世界に留まらせるべく、色々策を巡らせていたと思われる。何かと敏いフォヴィス王子なら、祝福が外されたその意味にも直ぐ気付く筈だ。
もたもたしていると、呼葉の思いもよらない方向から絆し掛けて来るかもしれない。そうなる前にとっとと還らせてもらう事にした。
「何か急でごめんねー?」
「いえ、コノハ様がお気に病む事はありません」
「我々六神官は常にコノハ嬢の味方ですよ」
ジッテ家の屋敷で召還の儀式を行うべく場所を借りる。
今はカラセオスが城に詰めているので、呼葉が還った後の事については、ルイニエナから話を通しておいてもらえるよう頼んでおく。
呼葉が元の世界に還れば、聖女の祝福は消えてしまう。
六神官と聖女部隊の帰国の旅は、それなりに厳しいものになるだろう。なので、道中の安全を確保できるよう暫定魔王代理にも便宜を図ってもらうのだ。
聖女部隊のほぼ全員が揃ったエントランスホールにて、呼葉は共に旅をして来た仲間達と向かい合う。
救国の六神官アレクトール。ザナム。ソルブライト。ネス。クライン。ルーベリット。クレアデスの王国騎士団長クレイウッド。パークス達傭兵部隊。
オーヴィスのクラード元将軍と兵士隊。大神殿からの派遣神官。給仕や料理人、作業員など雑用係の使用人達。
普段はいつも隠密状態にあるシドも、宝珠の外套を羽織ったまま今は姿を晒している。
総勢五十五人。ここまで支えてくれた皆に労いと感謝の言葉を贈る呼葉。
「みんな今日までありがとう。一人も欠けずにここまで来られた事を嬉しく思います」
感慨深げに頷いているクラード指揮補佐と兵士隊。珍しく照れくさそうな顔をしているパークス達傭兵部隊。
六神官の皆も、『召喚の儀』が行われた時から今日までの日々を振り返り、無事に任務を果たせた事を喜んでいた。
「何か、みんなには色々気をつかわせちゃったけど……あんまり応えてあげられなくてごめんね」
聖女の籠絡を目的に、異性としての関係も進展させるよう言われていたであろうにも拘わらず、彼等は呼葉の意向を尊重して一定以上の距離に踏み込んで来る事は無かった。
「いいえ、コノハ様。貴方には十分よくして頂きました」
「コノハ嬢は立派に勤めを果たしています。これ以上を望むなど傲慢というもの」
「全部こっちの都合で人類の命運に付き合わせたんだ。悪かったな」
我々の事はお気になさらぬようにと、アレクトールやザナムに労われる。
ソルブライトなどは、ヴァイルガリンが指摘していた聖女召喚に思う所があったのか、少しバツが悪そうにしていた。
それから呼葉は、宝珠シリーズの詰まった鞄を下ろすと、宝杖フェルティリティも鞄に加える。服の内に着込んでいた『宝珠の甲冑の一部』も既に鞄の中だ。
「宝具は今貸し出してる分はそのまま譲渡するわ。残りも預けるから、必要な人達に配ってね」
宝珠の大剣、宝珠の盾、宝珠の外套はそれぞれパークス、クレイウッド、シドに譲渡すると告げ、残りの宝具は全て六神官に託された。
最後の別れに、呼葉は皆と順に抱擁を交わす。
パークス達傭兵部隊は、引き続き六神官と聖女部隊の護衛を引き受け、オーヴィスに帰国するまで付き合うという。クレイウッド団長も聖女部隊の解散まで参謀役をやってくれるそうだ。
「我が王からも言い付かっておりますので」
「この剣の代金分はきっちり働かせてもらうさ」
「ありがとう。みんなの事よろしくね」
クラード指揮補佐からは特に言葉は無かったが、彼が呼葉に向ける眼差しは、戦友や孫に対するような信頼と慈しみの籠もったものになっていた。
使用人の皆とも手を取り合ったり抱き合ったりしながら、帰りの道中の無事を祈る。
「シド君」
呼葉の腰にギュッと抱き着いたシドは、ただ一言、寂しげに告げた。
「楽しかった」
「そっか。私もシド君が居てくれて色々助かったよ」
こくりと頷いたシドが静かに離れると、儀式の準備を済ませた六神官の代表でアレクトールが厳かに告げた。
「それでは、これより召還の門を開きます」
いよいよその時がやって来た。円陣を組むように並んで祈りに入る救国の六神官。その中心に立つ聖女呼葉から、召還魔法陣が浮かび上がる。
「みんな、元気で」
永遠の別れだが、今回は死に別れではない。呼葉はその事に肩の荷が下りたような思いを感じながら、開いた召還の次元門へと吸い込まれていった。
召還の儀で開かれた次元門に吸い込まれた呼葉は、真っ白い光の道を流れるように進んでいた。
召喚された時は意識に残らず、時間を遡った時は一瞬で見えなかった異次元の通り道を、今回ははっきり認識できる。
様々な色が混じって黒く染まったような、混沌を感じさせるトンネル状の空間に、奥へと続く白い光の道の先。
遥か遠くに、懐かしい現代世界の近代的な部屋が見えた。途中、覚えのある廃都の景色が眼下に流れる。
跳躍した時間軸まで逆戻り、一瞬だけ廃都に現れた呼葉は、召喚魔法陣のあった座標から更に次元の道を進んで行く。
「ん……」
やがて夢から覚めるかの如く、トンネル状の空間が消えてなくなると、呼葉はあの日テレビを見ていた自宅の部屋で目覚めた。
誰かの話し声が聞こえる――と思ったら、それはテレビから流れる音声だった。
もうずいぶん遠い記憶になってしまったが、確かにあの世界に喚ばれた時に見ていた番組だと思い出す。
「……帰って、来た?」
温度管理されて調えられた空気。電気による明るい照明。時計の音やら冷蔵庫など家電製品の駆動音。外から聞こえる車の音等々、意外と雑音に溢れる現代世界。
「ああ……帰って来た~~」
実感した途端、身体中の力が抜けた呼葉は、これもまた懐かしい畳の上に敷かれた絨毯に全身を投げだした。
こちらの世界では恐らく十秒も経っていないであろう、一年近くに及ぶ異世界での冒険が終わり、『聖女コノハ』はようやく『琴乃羽 呼葉』に戻る事が出来たのであった。
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