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「氷室くん大丈夫?」
後ろから心配そうな声がかけられる。そんなに鬼気迫った状態に見えただろうか。
「大丈夫です。すみません、もう少し待っていてください」
「僕は大丈夫だから、そんなに慌てなくていいよ」
そう言ってくれた類は、興味深げに編集部のあちらこちらを見て回っている。
(なんでよりにもよって今日……)
今朝になって、会社から電話がかかってきた。いわく、特集の取材先から紹介の文言を再訂正させてくれと──ちなみに校了は昨日の予定で、慌てて印刷所に連絡を取ってみれば責了に入るぎりぎりだった。
昨日が校了だと思ったからこそ、今日は休みを取って類と水族館へ行く約束をしていたのだ。
(……せっかく……デートだと思ったのに)
午前中から水族館を見て回り、午後もゆったりと見た後にショッピングでもして夕食を一緒にとって……というプランだったが、午前中のプランはすっかり消えてしまった。
山斗の他にもうひとりの担当が来ていたが、やはり同じように鬼の形相で組版を微妙に直していた。今一息ついているのは、先方のチェック待ちだからだ。もし再度訂正がくれば、また微調整に入る。編集長からはふたりに任せるというありがたいお言葉をいただいていたので、この雑誌ではふたりきりの作業だ。隣の部署では別の班が作業しているから静かではないが、集中していれば気にならない。
類はふたりの邪魔をしないように、かつ物を触らないように、他部署の邪魔をしないようにしながら編集部内のあちこちを見て回っているようだった。打ち合わせで使う応接室は入口の脇にあるから、滅多にこっちまで入ることはない。だから物珍しいのだろう。
ポン、とメーラーが受信の通知を寄越す。慌てて開封すると、待ち望んでいた先方からのOKだ。
「沢田さん、オッケー出た!」
「印刷所に送ります!」
すぐに送信できるように準備はしていたらしい。沢田が送信の後で印刷会社と電話連絡を取り、よろしくお願いします、で締めくくって電話を切る。その間に取材先へお礼のメールを送ってしまってから、沢田とふたり、顔を見合わせて溜息を吐いた。
「終わったあ……」
「お疲れさまっした……」
ぐだ、と机に突っ伏した沢田をよそに立ち上がり、背伸びをする。その様子を見たらしい類が戻ってきた。
「終わったの?」
「ええ、終わりました。ずいぶんお待たせしちゃって、すみません」
脇に置いていたバッグを手に立ち上がると、忍び寄る影がひとつ。
「すっかり仲良しだなあ、おまえら」
類の後ろから姿を見せたのは大井だった。
「貞宗」
「大井さんも仕事ですか」
「ああ、ちょっと進行が押しててなあ。先生たち、こだわるのはいいんだけど……」
苦笑している大井はだいぶくたびれているようだ。ひとつ伸びをすると、山斗と類の顔を交互に見てくる。
「……なんですか?」
「編集と作家、兼、いい友達か?」
「まあ……そうですね」
他に何と表現していいのかわからない。まさか恋人とも言えなかった。
山斗の内心に気付かない大井はふたりを見比べる。
「これからどっか行くのか」
「うん。水族館だよ」
「休日の水族館とかカップルでいっぱいじゃねーか。物好きだなあ」
まさか、こっちもカップルですとは言えない。そうですね、などと適当に茶を濁し、会社を出るタイミングを計る。
「……あ、大井さん、山本さんがこっち見てます」
山本とは大井の所属している学術班のリーダーだ。慌てた大井は「じゃ、またな!」と寄越し、そそくさと部署へ戻っていく。たぶん目を盗んで自主的な休憩代わりに来ただけなのだろう。
そんな大井の後ろ姿を見送ると、ふたりで顔を見合わせて笑う。
「……じゃ、行きましょうか。ちょっと予定は狂っちゃいましたけど……お昼食べてからにしましょう」
「うん。どこで食べるの」
「この近くで食べちゃいましょうか。ナンカレーの美味しい店があるんですよ。たしか土曜もランチやってるはずなんで」
「じゃあそこで」
ビルを表口からではなく裏口から出る。すっかり冷気を孕んだ風が首筋を撫でていった。なのに類ときたら薄着で、見ているほうが寒さを感じる。
せめて、と自分に巻いていたストールをほどくと類の首にかけてやった。
「……氷室くん?」
「寒くないようにしてください。風邪を引きますよ」
「ありがとう。……あったかいね、これ。氷室くんみたい」
「…………あまりそういうことを言わないでください……」
「? どうして?」
「わからないならいいです。……店、そっちのほうですから行きましょう」
左の道を指すと歩き出す。すぐに隣へ類がついてきた。
ずっと一緒に、たまにこうやって遊びに出られたらいい。
手を繋ぐのを我慢しながら、類とふたりで晩秋の路を歩いた。
後ろから心配そうな声がかけられる。そんなに鬼気迫った状態に見えただろうか。
「大丈夫です。すみません、もう少し待っていてください」
「僕は大丈夫だから、そんなに慌てなくていいよ」
そう言ってくれた類は、興味深げに編集部のあちらこちらを見て回っている。
(なんでよりにもよって今日……)
今朝になって、会社から電話がかかってきた。いわく、特集の取材先から紹介の文言を再訂正させてくれと──ちなみに校了は昨日の予定で、慌てて印刷所に連絡を取ってみれば責了に入るぎりぎりだった。
昨日が校了だと思ったからこそ、今日は休みを取って類と水族館へ行く約束をしていたのだ。
(……せっかく……デートだと思ったのに)
午前中から水族館を見て回り、午後もゆったりと見た後にショッピングでもして夕食を一緒にとって……というプランだったが、午前中のプランはすっかり消えてしまった。
山斗の他にもうひとりの担当が来ていたが、やはり同じように鬼の形相で組版を微妙に直していた。今一息ついているのは、先方のチェック待ちだからだ。もし再度訂正がくれば、また微調整に入る。編集長からはふたりに任せるというありがたいお言葉をいただいていたので、この雑誌ではふたりきりの作業だ。隣の部署では別の班が作業しているから静かではないが、集中していれば気にならない。
類はふたりの邪魔をしないように、かつ物を触らないように、他部署の邪魔をしないようにしながら編集部内のあちこちを見て回っているようだった。打ち合わせで使う応接室は入口の脇にあるから、滅多にこっちまで入ることはない。だから物珍しいのだろう。
ポン、とメーラーが受信の通知を寄越す。慌てて開封すると、待ち望んでいた先方からのOKだ。
「沢田さん、オッケー出た!」
「印刷所に送ります!」
すぐに送信できるように準備はしていたらしい。沢田が送信の後で印刷会社と電話連絡を取り、よろしくお願いします、で締めくくって電話を切る。その間に取材先へお礼のメールを送ってしまってから、沢田とふたり、顔を見合わせて溜息を吐いた。
「終わったあ……」
「お疲れさまっした……」
ぐだ、と机に突っ伏した沢田をよそに立ち上がり、背伸びをする。その様子を見たらしい類が戻ってきた。
「終わったの?」
「ええ、終わりました。ずいぶんお待たせしちゃって、すみません」
脇に置いていたバッグを手に立ち上がると、忍び寄る影がひとつ。
「すっかり仲良しだなあ、おまえら」
類の後ろから姿を見せたのは大井だった。
「貞宗」
「大井さんも仕事ですか」
「ああ、ちょっと進行が押しててなあ。先生たち、こだわるのはいいんだけど……」
苦笑している大井はだいぶくたびれているようだ。ひとつ伸びをすると、山斗と類の顔を交互に見てくる。
「……なんですか?」
「編集と作家、兼、いい友達か?」
「まあ……そうですね」
他に何と表現していいのかわからない。まさか恋人とも言えなかった。
山斗の内心に気付かない大井はふたりを見比べる。
「これからどっか行くのか」
「うん。水族館だよ」
「休日の水族館とかカップルでいっぱいじゃねーか。物好きだなあ」
まさか、こっちもカップルですとは言えない。そうですね、などと適当に茶を濁し、会社を出るタイミングを計る。
「……あ、大井さん、山本さんがこっち見てます」
山本とは大井の所属している学術班のリーダーだ。慌てた大井は「じゃ、またな!」と寄越し、そそくさと部署へ戻っていく。たぶん目を盗んで自主的な休憩代わりに来ただけなのだろう。
そんな大井の後ろ姿を見送ると、ふたりで顔を見合わせて笑う。
「……じゃ、行きましょうか。ちょっと予定は狂っちゃいましたけど……お昼食べてからにしましょう」
「うん。どこで食べるの」
「この近くで食べちゃいましょうか。ナンカレーの美味しい店があるんですよ。たしか土曜もランチやってるはずなんで」
「じゃあそこで」
ビルを表口からではなく裏口から出る。すっかり冷気を孕んだ風が首筋を撫でていった。なのに類ときたら薄着で、見ているほうが寒さを感じる。
せめて、と自分に巻いていたストールをほどくと類の首にかけてやった。
「……氷室くん?」
「寒くないようにしてください。風邪を引きますよ」
「ありがとう。……あったかいね、これ。氷室くんみたい」
「…………あまりそういうことを言わないでください……」
「? どうして?」
「わからないならいいです。……店、そっちのほうですから行きましょう」
左の道を指すと歩き出す。すぐに隣へ類がついてきた。
ずっと一緒に、たまにこうやって遊びに出られたらいい。
手を繋ぐのを我慢しながら、類とふたりで晩秋の路を歩いた。
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