上 下
13 / 13

13 これから

しおりを挟む
「氷室くん大丈夫?」

 後ろから心配そうな声がかけられる。そんなに鬼気迫った状態に見えただろうか。

「大丈夫です。すみません、もう少し待っていてください」
「僕は大丈夫だから、そんなに慌てなくていいよ」

 そう言ってくれた類は、興味深げに編集部のあちらこちらを見て回っている。

(なんでよりにもよって今日……)

 今朝になって、会社から電話がかかってきた。いわく、特集の取材先から紹介の文言を再訂正させてくれと──ちなみに校了は昨日の予定で、慌てて印刷所に連絡を取ってみれば責了に入るぎりぎりだった。
 昨日が校了だと思ったからこそ、今日は休みを取って類と水族館へ行く約束をしていたのだ。

(……せっかく……デートだと思ったのに)

 午前中から水族館を見て回り、午後もゆったりと見た後にショッピングでもして夕食を一緒にとって……というプランだったが、午前中のプランはすっかり消えてしまった。
 山斗の他にもうひとりの担当が来ていたが、やはり同じように鬼の形相で組版を微妙に直していた。今一息ついているのは、先方のチェック待ちだからだ。もし再度訂正がくれば、また微調整に入る。編集長からはふたりに任せるというありがたいお言葉をいただいていたので、この雑誌ではふたりきりの作業だ。隣の部署では別の班が作業しているから静かではないが、集中していれば気にならない。
 類はふたりの邪魔をしないように、かつ物を触らないように、他部署の邪魔をしないようにしながら編集部内のあちこちを見て回っているようだった。打ち合わせで使う応接室は入口の脇にあるから、滅多にこっちまで入ることはない。だから物珍しいのだろう。
 ポン、とメーラーが受信の通知を寄越す。慌てて開封すると、待ち望んでいた先方からのOKだ。

「沢田さん、オッケー出た!」
「印刷所に送ります!」

 すぐに送信できるように準備はしていたらしい。沢田が送信の後で印刷会社と電話連絡を取り、よろしくお願いします、で締めくくって電話を切る。その間に取材先へお礼のメールを送ってしまってから、沢田とふたり、顔を見合わせて溜息を吐いた。

「終わったあ……」
「お疲れさまっした……」

 ぐだ、と机に突っ伏した沢田をよそに立ち上がり、背伸びをする。その様子を見たらしい類が戻ってきた。

「終わったの?」
「ええ、終わりました。ずいぶんお待たせしちゃって、すみません」

 脇に置いていたバッグを手に立ち上がると、忍び寄る影がひとつ。

「すっかり仲良しだなあ、おまえら」

 類の後ろから姿を見せたのは大井だった。

「貞宗」
「大井さんも仕事ですか」
「ああ、ちょっと進行が押しててなあ。先生たち、こだわるのはいいんだけど……」

 苦笑している大井はだいぶくたびれているようだ。ひとつ伸びをすると、山斗と類の顔を交互に見てくる。

「……なんですか?」
「編集と作家、兼、いい友達か?」
「まあ……そうですね」

 他に何と表現していいのかわからない。まさか恋人とも言えなかった。
 山斗の内心に気付かない大井はふたりを見比べる。

「これからどっか行くのか」
「うん。水族館だよ」
「休日の水族館とかカップルでいっぱいじゃねーか。物好きだなあ」

 まさか、こっちもカップルですとは言えない。そうですね、などと適当に茶を濁し、会社を出るタイミングを計る。

「……あ、大井さん、山本さんがこっち見てます」

 山本とは大井の所属している学術班のリーダーだ。慌てた大井は「じゃ、またな!」と寄越し、そそくさと部署へ戻っていく。たぶん目を盗んで自主的な休憩代わりに来ただけなのだろう。
 そんな大井の後ろ姿を見送ると、ふたりで顔を見合わせて笑う。

「……じゃ、行きましょうか。ちょっと予定は狂っちゃいましたけど……お昼食べてからにしましょう」
「うん。どこで食べるの」
「この近くで食べちゃいましょうか。ナンカレーの美味しい店があるんですよ。たしか土曜もランチやってるはずなんで」
「じゃあそこで」

 ビルを表口からではなく裏口から出る。すっかり冷気を孕んだ風が首筋を撫でていった。なのに類ときたら薄着で、見ているほうが寒さを感じる。
 せめて、と自分に巻いていたストールをほどくと類の首にかけてやった。

「……氷室くん?」
「寒くないようにしてください。風邪を引きますよ」
「ありがとう。……あったかいね、これ。氷室くんみたい」
「…………あまりそういうことを言わないでください……」
「? どうして?」
「わからないならいいです。……店、そっちのほうですから行きましょう」

 左の道を指すと歩き出す。すぐに隣へ類がついてきた。
 ずっと一緒に、たまにこうやって遊びに出られたらいい。
 手を繋ぐのを我慢しながら、類とふたりで晩秋の路を歩いた。
しおりを挟む
感想 0

この作品の感想を投稿する

あなたにおすすめの小説

隠れSubは大好きなDomに跪きたい

みー
BL
⚠️Dom/Subユニバース 一部オリジナル表現があります。 ハイランクDom×ハイランクSub

家事代行サービスにdomの溺愛は必要ありません!

灯璃
BL
家事代行サービスで働く鏑木(かぶらぎ) 慧(けい)はある日、高級マンションの一室に仕事に向かった。だが、住人の男性は入る事すら拒否し、何故かなかなか中に入れてくれない。 何度かの押し問答の後、なんとか慧は中に入れてもらえる事になった。だが、男性からは冷たくオレの部屋には入るなと言われてしまう。 仕方ないと気にせず仕事をし、気が重いまま次の日も訪れると、昨日とは打って変わって男性、秋水(しゅうすい) 龍士郎(りゅうしろう)は慧の料理を褒めた。 思ったより悪い人ではないのかもと慧が思った時、彼がdom、支配する側の人間だという事に気づいてしまう。subである慧は彼と一定の距離を置こうとするがーー。 みたいな、ゆるいdom/subユニバース。ふんわり過ぎてdom/subユニバースにする必要あったのかとか疑問に思ってはいけない。 ※完結しました!ありがとうございました!

いっぱい命じて〜無自覚SubはヤンキーDomに甘えたい〜

きよひ
BL
無愛想な高一Domヤンキー×Subの自覚がない高三サッカー部員 Normalの諏訪大輝は近頃、謎の体調不良に悩まされていた。 そんな折に出会った金髪の一年生、甘井呂翔。 初めて会った瞬間から甘井呂に惹かれるものがあった諏訪は、Domである彼がPlayする様子を覗き見てしまう。 甘井呂に優しく支配されるSubに自分を重ねて胸を熱くしたことに戸惑う諏訪だが……。 第二性に振り回されながらも、互いだけを求め合うようになる青春の物語。 ※現代ベースのDom/Subユニバースの世界観(独自解釈・オリジナル要素あり) ※不良の喧嘩描写、イジメ描写有り 初日は5話更新、翌日からは2話ずつ更新の予定です。

病気になって芸能界から消えたアイドル。退院し、復学先の高校には昔の仕事仲間が居たけれど、彼女は俺だと気付かない

月島日向
ライト文芸
俺、日生遼、本名、竹中祐は2年前に病に倒れた。 人気絶頂だった『Cherry’s』のリーダーをやめた。 2年間の闘病生活に一区切りし、久しぶりに高校に通うことになった。けど、誰も俺の事を元アイドルだとは思わない。薬で細くなった手足。そんな細身の体にアンバランスなムーンフェイス(薬の副作用で顔だけが大きくなる事) 。 誰も俺に気付いてはくれない。そう。 2年間、連絡をくれ続け、俺が無視してきた彼女さえも。 もう、全部どうでもよく感じた。

社畜だけど異世界では推し騎士の伴侶になってます⁈

めがねあざらし
BL
気がつくと、そこはゲーム『クレセント・ナイツ』の世界だった。 しかも俺は、推しキャラ・レイ=エヴァンスの“伴侶”になっていて……⁈ 記憶喪失の俺に課されたのは、彼と共に“世界を救う鍵”として戦う使命。 しかし、レイとの誓いに隠された真実や、迫りくる敵の陰謀が俺たちを追い詰める――。 異世界で見つけた愛〜推し騎士との奇跡の絆! 推しとの距離が近すぎる、命懸けの異世界ラブファンタジー、ここに開幕!

本日のディナーは勇者さんです。

木樫
BL
〈12/8 完結〉 純情ツンデレ溺愛魔王✕素直な鈍感天然勇者で、魔王に負けたら飼われた話。  【あらすじ】  異世界に強制召喚され酷使される日々に辟易していた社畜勇者の勝流は、魔王を殺ってこいと城を追い出され、単身、魔王城へ乗り込んだ……が、あっさり敗北。  死を覚悟した勝流が目を覚ますと、鉄の檻に閉じ込められ、やたら豪奢なベッドに檻ごとのせられていた。 「なにも怪我人檻に入れるこたねぇだろ!? うっかり最終形態になっちまった俺が悪いんだ……ッ!」 「いけません魔王様! 勇者というのは魔物をサーチアンドデストロイするデンジャラスバーサーカーなんです! 噛みつかれたらどうするのですか!」 「か、噛むのか!?」 ※ただいまレイアウト修正中!  途中からレイアウトが変わっていて読みにくいかもしれません。申し訳ねぇ。

魔界最強に転生した社畜は、イケメン王子に奪い合われることになりました

タタミ
BL
ブラック企業に務める社畜・佐藤流嘉。 クリスマスも残業確定の非リア人生は、トラックの激突により突然終了する。 死後目覚めると、目の前で見目麗しい天使が微笑んでいた。 「ここは天国ではなく魔界です」 天使に会えたと喜んだのもつかの間、そこは天国などではなく魔法が当たり前にある世界・魔界だと知らされる。そして流嘉は、魔界に君臨する最強の支配者『至上様』に転生していたのだった。 「至上様、私に接吻を」 「あっ。ああ、接吻か……って、接吻!?なんだそれ、まさかキスですか!?」 何が起こっているのかわからないうちに、流嘉の前に現れたのは美しい4人の王子。この4王子にキスをして、結婚相手を選ばなければならないと言われて──!?

美貌の騎士候補生は、愛する人を快楽漬けにして飼い慣らす〜僕から逃げないで愛させて〜

飛鷹
BL
騎士養成学校に在席しているパスティには秘密がある。 でも、それを誰かに言うつもりはなく、目的を達成したら静かに自国に戻るつもりだった。 しかし美貌の騎士候補生に捕まり、快楽漬けにされ、甘く喘がされてしまう。 秘密を抱えたまま、パスティは幸せになれるのか。 美貌の騎士候補生のカーディアスは何を考えてパスティに付きまとうのか……。 秘密を抱えた二人が幸せになるまでのお話。

処理中です...