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08 もうこない
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今度こそ聞き間違えだと思ったが、やはりそんなことはなかった。
「あったかいから、どんな感じなのかなって思って」
無邪気にそんなことを言わないでほしい。
(けど……断ったら)
悲しい顔をさせてしまうだろうか。
だが本当は類を気遣っているようで、自分も抱きしめたいと思っている。だからこれは渡りに船で、言い訳ができたと喜ぶところだろう。
「……じゃあ……失礼します」
おそるおそる、類の背に腕を回す。
予想通り、体は薄かったし細い。女の子のように弾力があるわけでもないし、このまま強く抱きしめれば折れてしまうのではないかと思った。
(男同士で……何をしているんだろう……)
思っても、嬉しさを感じているのは事実だし、理性の箍をぎりぎりと締め付けなければ暴走しそうでもある。こんなに自分は我慢が利かなかったか。
良い匂い、と思ったのはやはり、シャンプーの香りだ。髪はあまり手入れしていないのかぼさぼさとしていたが、どうにも触れたくてたまらない。
「すごいねえ……あの子たちよりずっと大きくってたくましい」
類の声は楽しげで、山斗の背や肩や胸を細い手で触ってくる。
「……あの、放してもいいですか」
理性の堤防を越えそうで、なるべく平静を装って腕を解こうとした。
それなのに。
「まだ、だめ」
狙っているのなら性質が悪いし、狙っていないとわかっているからなお性質が悪い。
「そんなこと言わずに……」
「だって、なかなかないだろう? こんな風に触れる機会って」
たしかにない。これが初めてで、最後になるはず──だから、放しがたいと思っているのも事実だ。
けれど、これ以上は。
「あのっ……放し、ますねっ」
「え?」
類の肩を押しのけるように身を放す。少し呆然とした顔。
「……何か、気に障った?」
「いえ、そうじゃないんです」
「違います、そうじゃなくて……」
ぎゅっと拳を握る。
類が悪いわけではないと、自分が一番よくわかっている。
「これ以上、触れていたら……ちょっと、自分に自信が持てないので」
「?……どういうこと?」
「……、…………」
躊躇った。
けれど回りくどく説明しても、きっとわかってもらえない。それに理性の糸はこげつき悲鳴を上げ、堤防はほとんど決壊しそうだった。
「俺は……月城さんのことが、好きなんです」
「……すき?」
「だから、あまりくっつかれると……これ以上に触れたくなるし、あなたが望まないようなことをしてしまうので……」
「どういうこと?」
小首を傾げる動作はかわいらしい。それで最後の何かが切れてしまった。
一度放した細い体を引き寄せ、腕の中に閉じこめる。そうして顎を掬って上向かせると、薄いくちびるに自分のくちびるを強引に重ねた。
顔を放すと、類の薄茶の目が驚きに見開かれている。
「氷室、くん……?」
「……俺が月城さんのことを好きなのは、こういう意味です。好きだから、触れたいし抱きしめたい、キスもしたい。……欲情するから、抱きたくなる」
一度切れてしまったものを結び直すのは難しい。言っても仕方がないとわかっていても、言葉は止まらなかった。
「あなたが俺のことをただの担当としてしか見ていないことはわかっています。だから……、……もう、来ません」
バッグを持って立ち上がる。勢いのまま、類のアパートを出た。
類がどんな表情をしていたのかは、こわくて振り返ることができなかった。
山斗が帰ってからしばらくしても、類は身動きができなかった。山斗に何を言われたのか、されたのか、すぐに頭が処理できなかったからだ。
「……好き……?」
感情の名前は知っている。
動物たちに幾度か抱いては散った感情と同じものだ。
けれど山斗が口にした言葉たちは、類が知っている感情と同じものなのか。
(ええと……)
なんと言われたのだったかと思い返す。
(好きで……触りたくなる、のはわかる)
子犬や子猫など特に、見ているだけで触れたくなったことは何度でもあるし、チャロにも触れたかった。だから理解できる。
(欲情、とか……抱きたくなる、とか……)
大型犬をぎゅっと抱きしめることとは違うことだとはわかる。抱きしめられた腕もキスも、なにもかもが彼らとは違った。
山斗が自分より背が高い、とはわかっていた。けれど腕や胸、肩も自分よりずっとたくましいなんて意識したことはなかったし、手のひらだって大きかったし、くちびるがあんなに柔らかいだなんて知らなかった。
けれどそれ以上に類へ衝撃を与えたのは、山斗の「もう来ません」という言葉だ。
彼が類の担当である以上、打ち合わせやメールでのやりとりはあるはずで、完全に縁を絶つのは難しいと思う。けれど彼が言ったのはそういうことではなく、この家に来てご飯を作ってくれたり、チャロのことや、たくさんの他愛のないこと、類の話を聞いてくれたりだとか──そういった些細なやりとりを拒否する、ということだろう。機微に疎い類でもそのくらいのことは想像ができた。
「あったかいから、どんな感じなのかなって思って」
無邪気にそんなことを言わないでほしい。
(けど……断ったら)
悲しい顔をさせてしまうだろうか。
だが本当は類を気遣っているようで、自分も抱きしめたいと思っている。だからこれは渡りに船で、言い訳ができたと喜ぶところだろう。
「……じゃあ……失礼します」
おそるおそる、類の背に腕を回す。
予想通り、体は薄かったし細い。女の子のように弾力があるわけでもないし、このまま強く抱きしめれば折れてしまうのではないかと思った。
(男同士で……何をしているんだろう……)
思っても、嬉しさを感じているのは事実だし、理性の箍をぎりぎりと締め付けなければ暴走しそうでもある。こんなに自分は我慢が利かなかったか。
良い匂い、と思ったのはやはり、シャンプーの香りだ。髪はあまり手入れしていないのかぼさぼさとしていたが、どうにも触れたくてたまらない。
「すごいねえ……あの子たちよりずっと大きくってたくましい」
類の声は楽しげで、山斗の背や肩や胸を細い手で触ってくる。
「……あの、放してもいいですか」
理性の堤防を越えそうで、なるべく平静を装って腕を解こうとした。
それなのに。
「まだ、だめ」
狙っているのなら性質が悪いし、狙っていないとわかっているからなお性質が悪い。
「そんなこと言わずに……」
「だって、なかなかないだろう? こんな風に触れる機会って」
たしかにない。これが初めてで、最後になるはず──だから、放しがたいと思っているのも事実だ。
けれど、これ以上は。
「あのっ……放し、ますねっ」
「え?」
類の肩を押しのけるように身を放す。少し呆然とした顔。
「……何か、気に障った?」
「いえ、そうじゃないんです」
「違います、そうじゃなくて……」
ぎゅっと拳を握る。
類が悪いわけではないと、自分が一番よくわかっている。
「これ以上、触れていたら……ちょっと、自分に自信が持てないので」
「?……どういうこと?」
「……、…………」
躊躇った。
けれど回りくどく説明しても、きっとわかってもらえない。それに理性の糸はこげつき悲鳴を上げ、堤防はほとんど決壊しそうだった。
「俺は……月城さんのことが、好きなんです」
「……すき?」
「だから、あまりくっつかれると……これ以上に触れたくなるし、あなたが望まないようなことをしてしまうので……」
「どういうこと?」
小首を傾げる動作はかわいらしい。それで最後の何かが切れてしまった。
一度放した細い体を引き寄せ、腕の中に閉じこめる。そうして顎を掬って上向かせると、薄いくちびるに自分のくちびるを強引に重ねた。
顔を放すと、類の薄茶の目が驚きに見開かれている。
「氷室、くん……?」
「……俺が月城さんのことを好きなのは、こういう意味です。好きだから、触れたいし抱きしめたい、キスもしたい。……欲情するから、抱きたくなる」
一度切れてしまったものを結び直すのは難しい。言っても仕方がないとわかっていても、言葉は止まらなかった。
「あなたが俺のことをただの担当としてしか見ていないことはわかっています。だから……、……もう、来ません」
バッグを持って立ち上がる。勢いのまま、類のアパートを出た。
類がどんな表情をしていたのかは、こわくて振り返ることができなかった。
山斗が帰ってからしばらくしても、類は身動きができなかった。山斗に何を言われたのか、されたのか、すぐに頭が処理できなかったからだ。
「……好き……?」
感情の名前は知っている。
動物たちに幾度か抱いては散った感情と同じものだ。
けれど山斗が口にした言葉たちは、類が知っている感情と同じものなのか。
(ええと……)
なんと言われたのだったかと思い返す。
(好きで……触りたくなる、のはわかる)
子犬や子猫など特に、見ているだけで触れたくなったことは何度でもあるし、チャロにも触れたかった。だから理解できる。
(欲情、とか……抱きたくなる、とか……)
大型犬をぎゅっと抱きしめることとは違うことだとはわかる。抱きしめられた腕もキスも、なにもかもが彼らとは違った。
山斗が自分より背が高い、とはわかっていた。けれど腕や胸、肩も自分よりずっとたくましいなんて意識したことはなかったし、手のひらだって大きかったし、くちびるがあんなに柔らかいだなんて知らなかった。
けれどそれ以上に類へ衝撃を与えたのは、山斗の「もう来ません」という言葉だ。
彼が類の担当である以上、打ち合わせやメールでのやりとりはあるはずで、完全に縁を絶つのは難しいと思う。けれど彼が言ったのはそういうことではなく、この家に来てご飯を作ってくれたり、チャロのことや、たくさんの他愛のないこと、類の話を聞いてくれたりだとか──そういった些細なやりとりを拒否する、ということだろう。機微に疎い類でもそのくらいのことは想像ができた。
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