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04 知っていこう、あなたのこと
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数日後、山斗は駅から徒歩三分のアパートの前に立っていた。
手に提げた大きなビニール袋は、地下鉄高架下にあるスーパーで購入した食材だ。ポロシャツの下に穿いたチノパンが少し泥で汚れているのは、スーパーを出てすぐにご主人様を待っていた柴犬に懐かれた跡。
泥をはたいてから玄関のチャイムを鳴らす。前回と違い、しばらく待つとドアが開かれた。少し低い位置にある類と目が合う。
「……ええと……」
「あ、お世話になっております、山松書房の氷室です」
「ああ……」
名乗ると誰だかわかってくれたらしい。さすがに一度で顔と名前を覚えてもらうのは難しかったか。
「もうそんな時間だったんだ。……どうぞ」
「お邪魔します」
靴を脱いで上がり框にあがると、何の気なしに台所を見る。見覚えのある片手鍋が水に浸かっていた。
「食事、ちゃんとされてたんですね」
ほっとしながら言うと、
「ああ……お粥、美味しかったよ。ありがとう」
「いえ、それほどでも……、……?」
返された言葉に首を傾げた。
(まさか……)
そんなはずは、と思いつつ口を開く。
「あの……昨日は何を食べたんですか?」
「お粥が最後に残ってたから、それ」
「……お粥作ったのって四日前ですよね……」
「うん。痛まなかったよ」
がくりと肩を落とす。会話が噛み合っていないのはこの際、目をつぶる。
そんな気はしていた。していたが、裏切ってほしかった。
「一応訊きますが、今日は何を食べたんですか?」
「今日? 昨日は食べたけど……ああ、貞宗が持ってきてくれた固形の栄養食は一箱食べたかな」
あとは水、と何でもないように言う。
山斗は溜息を飲み込み、買ってきた食材を取り出してシンクサイドに並べる。興味を惹かれたのか、類が後ろから覗きこんできた。
「それ、何?」
「できれば不要だったらいいなと思っていた、シチューの材料です」
「シチュー」
手元の材料から、山斗の顔を見上げてきた。思いがけない至近距離にどきりとする。
(……やっぱり、きれいな顔をしてる)
そして思い出の中の人と一致する気がした。
「シチューって、作れるの」
「作れますよ。というか、シチューやカレーは材料切ってルゥで煮込むだけですよ」
大雑把な説明をすると、類は「ふぅん」とわかったようなわからないような反応をする。本当に、今までどうやって生きてきたのだろう。
実際、シチューやカレーは手軽だからよく作って食べる。野菜と肉が同時に食べられるのはありがたいし、これだけで栄養が摂取できている気がするからだ。
部屋で待っていてくれるように言うと、ひとつ頷いておとなしく部屋へ引き上げていく。そんな類の背中を見ながら、ますます不安な気持ちになる山斗だった。
あの様子だと主食はコンビニの弁当やスーパーの出来合いのものやレトルトなのだろう。
それすらちゃんと食べているか怪しいが、栄養が偏るどころか体に悪い。山斗もそういったものを食べる時もあるから否定はしないけれど、自炊はできたほうがいいに決まっている。
(……鍋、大きいほうがいいんだけどな)
前に探した時に見かけた気がする、とシンク下の扉を開ける。ほとんど使われていないだろうそこの、奥のほうに四人分くらいは作れそうな鍋を発見した。これを使わせてもらうことにして、早めに作って食べてもらって打ち合わせをしよう、と決意を固めた。
食後、作品傾向のことやこれからの進行について一通り話すと、ノートをバッグにしまう。そこに月城の著作が入っていて、ふと疑問が口をついた。
「そういえば……新作のプロット、いつ頃にいただけそうですか?」
「…………」
類が俯き、黙る。どうやら今のところネタのストックはないらしい。
「普段はどうやってネタを出してるんですか?」
「……好きな子がいる時」
「好きな……?」
実体験を元に、というところか。
(……ん? いや、待てよ……)
類が言っていた言葉を思い出した。
──人を好きになったことがないから。
そう聞いた。たしか初対面の時だ。
「……月城さんが好きなタイプって、聞いてもいいですか」
「そうだね……どんな子も好きだけど」
うーん、と首を傾げて考える素振りをする。なんだか子供っぽくてかわいらしい。大井と同期なら年上のはずなのに、そんなことを少しも感じさせない。
「強いて言えば……顔つきが優しくて、毛並みのいい子かな……」
やはり。
毛並み、なんて人間に対する表現としてはおかしいから、やはり動物のことを言っているのだ。
「……最近、好きになった子はいないんですか?」
「……アパートの裏の、鈴木さんの、三毛」
「…………」
やはりそうだったか。
内心でがくりとうなだれるが、気を取り直す。
「その子に失恋しちゃった、とか……?」
「ううん。……死んじゃったんだ。十八歳くらいだって言ってたから、寿命だと思うんだけど」
途端、類の表情が曇り悲しそうな顔になる。
(……地雷、だったかな……)
慌てて話を少し変えようと話題を振る。
「そういえば、月城さんはそれだけ動物が好きなら、飼ったことは?」
「ううん。家に余裕がなかったし……母子家庭だったんだけど、母が動物嫌いで。近所の犬猫と遊ぶのは好きだったよ」
懐かしそうに目を細める。一瞬また別の地雷を踏んだかと思ったが、そうでもなかったらしい。
手に提げた大きなビニール袋は、地下鉄高架下にあるスーパーで購入した食材だ。ポロシャツの下に穿いたチノパンが少し泥で汚れているのは、スーパーを出てすぐにご主人様を待っていた柴犬に懐かれた跡。
泥をはたいてから玄関のチャイムを鳴らす。前回と違い、しばらく待つとドアが開かれた。少し低い位置にある類と目が合う。
「……ええと……」
「あ、お世話になっております、山松書房の氷室です」
「ああ……」
名乗ると誰だかわかってくれたらしい。さすがに一度で顔と名前を覚えてもらうのは難しかったか。
「もうそんな時間だったんだ。……どうぞ」
「お邪魔します」
靴を脱いで上がり框にあがると、何の気なしに台所を見る。見覚えのある片手鍋が水に浸かっていた。
「食事、ちゃんとされてたんですね」
ほっとしながら言うと、
「ああ……お粥、美味しかったよ。ありがとう」
「いえ、それほどでも……、……?」
返された言葉に首を傾げた。
(まさか……)
そんなはずは、と思いつつ口を開く。
「あの……昨日は何を食べたんですか?」
「お粥が最後に残ってたから、それ」
「……お粥作ったのって四日前ですよね……」
「うん。痛まなかったよ」
がくりと肩を落とす。会話が噛み合っていないのはこの際、目をつぶる。
そんな気はしていた。していたが、裏切ってほしかった。
「一応訊きますが、今日は何を食べたんですか?」
「今日? 昨日は食べたけど……ああ、貞宗が持ってきてくれた固形の栄養食は一箱食べたかな」
あとは水、と何でもないように言う。
山斗は溜息を飲み込み、買ってきた食材を取り出してシンクサイドに並べる。興味を惹かれたのか、類が後ろから覗きこんできた。
「それ、何?」
「できれば不要だったらいいなと思っていた、シチューの材料です」
「シチュー」
手元の材料から、山斗の顔を見上げてきた。思いがけない至近距離にどきりとする。
(……やっぱり、きれいな顔をしてる)
そして思い出の中の人と一致する気がした。
「シチューって、作れるの」
「作れますよ。というか、シチューやカレーは材料切ってルゥで煮込むだけですよ」
大雑把な説明をすると、類は「ふぅん」とわかったようなわからないような反応をする。本当に、今までどうやって生きてきたのだろう。
実際、シチューやカレーは手軽だからよく作って食べる。野菜と肉が同時に食べられるのはありがたいし、これだけで栄養が摂取できている気がするからだ。
部屋で待っていてくれるように言うと、ひとつ頷いておとなしく部屋へ引き上げていく。そんな類の背中を見ながら、ますます不安な気持ちになる山斗だった。
あの様子だと主食はコンビニの弁当やスーパーの出来合いのものやレトルトなのだろう。
それすらちゃんと食べているか怪しいが、栄養が偏るどころか体に悪い。山斗もそういったものを食べる時もあるから否定はしないけれど、自炊はできたほうがいいに決まっている。
(……鍋、大きいほうがいいんだけどな)
前に探した時に見かけた気がする、とシンク下の扉を開ける。ほとんど使われていないだろうそこの、奥のほうに四人分くらいは作れそうな鍋を発見した。これを使わせてもらうことにして、早めに作って食べてもらって打ち合わせをしよう、と決意を固めた。
食後、作品傾向のことやこれからの進行について一通り話すと、ノートをバッグにしまう。そこに月城の著作が入っていて、ふと疑問が口をついた。
「そういえば……新作のプロット、いつ頃にいただけそうですか?」
「…………」
類が俯き、黙る。どうやら今のところネタのストックはないらしい。
「普段はどうやってネタを出してるんですか?」
「……好きな子がいる時」
「好きな……?」
実体験を元に、というところか。
(……ん? いや、待てよ……)
類が言っていた言葉を思い出した。
──人を好きになったことがないから。
そう聞いた。たしか初対面の時だ。
「……月城さんが好きなタイプって、聞いてもいいですか」
「そうだね……どんな子も好きだけど」
うーん、と首を傾げて考える素振りをする。なんだか子供っぽくてかわいらしい。大井と同期なら年上のはずなのに、そんなことを少しも感じさせない。
「強いて言えば……顔つきが優しくて、毛並みのいい子かな……」
やはり。
毛並み、なんて人間に対する表現としてはおかしいから、やはり動物のことを言っているのだ。
「……最近、好きになった子はいないんですか?」
「……アパートの裏の、鈴木さんの、三毛」
「…………」
やはりそうだったか。
内心でがくりとうなだれるが、気を取り直す。
「その子に失恋しちゃった、とか……?」
「ううん。……死んじゃったんだ。十八歳くらいだって言ってたから、寿命だと思うんだけど」
途端、類の表情が曇り悲しそうな顔になる。
(……地雷、だったかな……)
慌てて話を少し変えようと話題を振る。
「そういえば、月城さんはそれだけ動物が好きなら、飼ったことは?」
「ううん。家に余裕がなかったし……母子家庭だったんだけど、母が動物嫌いで。近所の犬猫と遊ぶのは好きだったよ」
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