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03 世話焼きの予感

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 新しい担当だと言って大井が連れてきた若い男は、氷室山斗と言ったか。
 イヤな感じはしなかった。

(じゃあ、きっといい人なんだろうな)

 類にとっての「いい人」というのは、少なくとも自分に対して害意や悪意がなく、積極的に言葉や暴力で傷付けてくるような部類の人間ではないということだ。
 おまけに、大井と違って粥まで作ってくれた。卵やネギが入ったものだ。大井だったらきっと、コンビニでそれっぽいものを買ってきてくれるだけだったろう。もちろんそれだけでも充分にありがたいことなのだけれど。
 昨日、山斗が作り置きしてくれた粥は今日の分も残っていた。ずいぶんたっぷり作ってくれたから、火を通せば明日まで持つかもしれない。何しろ類は一日に一食、よくて二食しか食べないから。
 優しい味、手作りの味はどれくらいぶりだろう。体に染み込むようで、類にしては珍しく、お腹がいっぱいになるくらいは食べた。鍋に蓋をすると、ノートパソコンを開く。固定電話とこのパソコンが、類と外の世界を繋ぐアイテムだ。
 メーラーを起動させてメールチェック。メールは入ってなかったが、お礼のひとつくらいは送ってもいいだろう。山斗が置いていった名刺は、まだテーブルの上だ。
 名刺に書かれていたアドレスを入力すると、本文を書く。
 ──氷室様。昨日はお世話になりました。お粥おいしかったです。
 簡潔な礼と、テンプレートにしている署名を入れて送信する。いくら浮き世離れしているとはいえ、挨拶と礼はきちんとしておくことに越したことはない。

「……うーん……」

 人の顔はあまり覚えないほうだが、山斗の印象は覚えている。なんとなく、大型犬のような雰囲気だった。たとえるならラブラドールレトリーバーだろうか。それなら好きなタイプの人種だ。大井はどちらかといえば中型犬で、犬は好きだから好きなほうだけれど、大型犬には負ける。山斗が料理ができるというなら、なおさら山斗に軍配が上がった。
 ごろんと床に仰向けで転がると、山斗の名刺を手に取って眺める。

「……ひむろ、やまと」

 名前くらいは覚えておこう。大井に渡していた合い鍵も引き継いでもらったことだし。
 なんとはなしに気分が良いから、今日は近所を散歩しようと決めて名刺をちゃぶ台に置いた。



   *******



 出社した山斗を見付けたらしい大井がすぐにやってきた。

「よう、おはよー」
「おはようございます」
「昨日、あの後どうだった? ちゃんと打ち合わせできたか?」
「……恨みますよ、大井さん」
「お? とりあえず話してみろよ」

 愚痴混じりに昨日大井が帰った後の話をする。
 話の途中から、大井は笑いをこらえる顔をしていたが、「以上です」と山斗が言うと耐えきれなくなったのかその場に崩れて笑い出した。意外と笑い上戸なのだ。

「……笑いすぎですよ」
「は、は……だっておまえ、これが、笑わずに……ふははっ、ちゃんと飯作ってやるあたりがおまえらしいっていうか……ほんとに面倒見いいんだな、おまえ」
「しょうがないじゃないですか、数日水以外食べてないっていう人間に、いきなり普通の食事を食べさせるわけにもいかないでしょう。吐かれても問題ですし」

 仏頂面になるのも仕方がない。
 結局あの後、山斗は近くのスーパーに買い出しに出かけ、くたくたのお粥を鍋に作って帰ったのだ。ちなみに鍋もなかったから、スーパーで安物を買った。

「この世にスマホがあったことをあんなに感謝したことはないです」
「なに、ネットで調べたの?」
「さすがに重湯やお粥を作ったことはありませんからね……」

 胃に優しいもの、と考えたらまずそのふたつが思い浮かんだが、どう作るのかは知らなかった。慌ててスマホから料理のレシピを公開しているサイトを調べ、なんとかそれらしいものを作った。黙って食べてくれたから、悪くはなかったのだろうと思いたい。
 説明すると大井はまたひーひーと笑い転げる。山斗はますます苦い顔になった。

「笑いすぎです」
「悪い……やっぱ、あいつの担当おまえにして正解だったわ」
「どういう意味ですか」
「世話焼き体質でないと上手くいかないだろ」

 咄嗟に反論の言葉が浮かばない。たしかに待ちの姿勢や世話嫌いの人間には、彼の担当は向かないと思う。

「上手くいくと思うんですか?」
「ほとんど知らない相手と、付き合い始める前から上手くいかないと思うのは、ちょっと気が早いんじゃないか? まあ、いよいよ手に負えなくなったら放り出してもいい」
「放り出してもって……」
「あいつも、もっと生きることに積極的になってくれればいいんだけどなー」

 まあ、それは担当の仕事じゃないけど、と苦笑する。それはたしかにそうだ。ただの仕事の繋がりで、そんなものを背負うには重すぎる。

「ま、とりあえずしばらくは頼むよ」

 ぽんと肩を叩かれる。その目が意外に真面目だったことに気付くと、山斗は不承不承ながらも頷いた。やはり任されると弱い。

「ところでさ」

 大井が視線を落とす。首を傾げるとズボンを指さされた。

「やたら毛がついてるけど、おまえって犬か猫飼ってるのか?」
「ああ……いえ、近所に大型犬がいるんですけど、朝の散歩中のその犬に絡まれまして。ちょっと遊んでたらこのザマです」
「へえ。動物に好かれるタイプか」
「割と好かれるほうですね」

 子どもの頃に犬を飼っていたこともあり、動物、特に犬は好きだった。
 散歩している犬に絡まれることもある。あれは犬好きのことをわかってやっているのだと、内心で思っていた。

「じゃ、あいつとも上手くやっていけるかもな」
「? どういう意味ですか?」
「あいつも動物好きっていうか、動物しか好きじゃないからな。そうとう度を超してるけど……共通の話題があるのは、いいことだろう?」
「そう……ですね。話題がないよりはいいことかもしれません」
「だろ? おっと、仕事しないと……」

 こちらを見つめる、というより睨む勢いの視線が飛んできているのに気付いて、大井が席に戻り、山斗は慌ててパソコンの電源を入れる。
 メールをチェックすると、業務連絡の社内メールの他に一件受信があった。類からだ。
 文面は短く簡潔。昨日の礼だった。
 続いてまたメールを受信する。送信者は大井。なんでメールが、と思いながら開くと、どうやらさっきの話の延長らしい。

「月城先生との打ち合わせは、後日改めて先方まで伺ってするように」

 少しかしこまった書き方のメール。

(まあ……仕方ない、かな)

 結局料理で終わった打ち合わせだから、ちゃんとしておくことに越したことはない。けれどまったく手の掛かる先生だ。よほどの売れっ子ならわかるが、大井は少し甘やかしすぎではないか。それもこれも昔からの仲のせいなのか。
 諦め気分で「了解しました」とだけ返信すると、小さく溜息を吐いた。類へは返信がてら日程を決めさせてもらうとしよう。
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