音痴の俺が転移したのは歌うことが禁じられた世界だった

改 鋭一

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終幕 歌のあふれる世界へ

暴走

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「小僧、久しぶりだな」

 まさか。

 眷属って、こいつかよ。

 門の前にどっしり腰を下ろしているのは頭が3つある巨大なライオン……ベロスだ。

 よりによって何でこいつが首都の門番をやってるんだよ。大陸の南側に出張してんじゃなかったのか。しかも、どうせそうだろうとは思ってたが、俺が吹っ飛ばした真ん中の頭はきっちり再生し、たてがみもフサフサしている。

 その真ん中の頭がニヤリと笑った。

「いつだったかの借りを返してやろう、と言いたいところだが……」

 ん? 何だ?

「勝ち目のないケンカはせぬことにしている」

 え? 勝ち目? ああ、俺がこいつと戦っても勝ち目がないってことか。そりゃそうだよな。お礼言っとこう。

「ありがとうございます。そう言っていただけると助かります」

 ぺこり、頭を下げる。しかしライオンは怪訝な顔をした。

「何か勘違いをしてるようだが……」

 へ? 勘違い?

「勝ち目がないのは、俺の方だ」

 え? 何で?

「今の俺の力では黒髪を2人相手にすることはできん」

 あ、ああ、ニコがいるからか。

「しかも何だ? その大勢の仲間メンバーは。何で人間嫌いのゴブリンが一緒にいる? 何でハーピーの一族が飛んできてる? 一番分からんのは、お前らの周りにいる無数の黙呪兵だ。何でお前らに付いて来てる? 何で一緒に歌ってる? ワケが分らん」

「あ、あの、それは……」

 そんなこと訊かれても……何て説明したらいいんだ?



「まあいい……」

 右側の頭がぎょろっと目を剥いてこっちを見た。

「俺はこれまで4人の歌い手と戦った。うち1人は俺が殺した。弱かったからだ。黙呪王様の手を煩わすまでもなかったからだ」

 そんなこと言われたら怖いんですけど。ライオンさん。

「しかしこれまで黒髪が2人そろって来たことはなかった。こんなにたくさんの仲間を連れて来た奴もいなかった。お前らはこれまでの歌い手とは違う。間違いなく強い。老いた俺に勝ち目はない。それに加えて……」

 左側の頭が言葉を継いだ。

「俺は昔、親衛隊と取り引きをした。大陸南端にある我が森が大勢の人間に荒らされていた時、黙呪兵の力で森を守ってもらう、その代わり眷属として俺の力を貸す、そういう約束をした」

 ああ、また人間VS森の民の話か。

「しかし長年の間に状況は変った。森の周囲はみな人間の住処になり、川の流れも変わり、水を奪われた森は結局、枯れてしまった。だから俺も、もう古の約束を守る義理はない」

 そうだったのか……このライオンも被害者だったんだな。3つの頭はそろって寂しそうな表情になった。

「ケンカは終わりだ。ここは開けてやろう。黒髪の歌い手よ、黙呪王様に会って、自分たちの力を試すと良い」

 そう言って腰を上げ、本当に門の脇に寄って座り直した。



「あ、あの、ライオンさん」

 ニコが声をかける。ん? 何だかイヤな予感がするぞ。

「これからどうされるんですか?」

 な、何でそんなこと訊くんだよ。

「ふん、守るべき物を失った俺に行く場所はない。その辺で適当にくたばるさ……ん!?」

 話の途中で彼は驚いたような顔をした。どうしたんだ?

「そう言えば、思い出したぞ。千年に一度、黒髪の女神が異世界から遣わされるという言い伝えだ。女神は光を操り、様々な種族を統べ、この世の悪を正すという。しかも女神は鹿に乗って来るとも言われている」

 ヌエさんも言ってたな。千年に一度、光の女神が召喚されるって。でも、鹿に乗って来るなんて話は初耳だぞ。

「あの……ライオンさん、私たちと一緒に来ませんか?」

 ちょちょちょ、ちょっと! 何でこんなヤツ勧誘してんだよ、ニコ!

「なに? この俺に、一緒に来いと、仲間になれというのか?」

「はい」

「……くくくく……うはははは……うわっはっはっは!」

 3つの頭が時間差で笑った。そりゃ、笑いますよね。いくらなんでも言うことがKY過ぎだ、ニコ。女神の暴走だ。

「いいだろう。一緒に行ってやろう」

 いいのかよ!

 右側の頭が言う。

「俺も乗りかかった船だ。事の顛末を見届けることにしよう。で、お前らは今からすぐに黙呪城に乗り込むのか?」

「いえ……」

 彼女はちらっと俺たちを振り返り、はっきり言った。

「先に、大掃除をします」

「大掃除? 街のゴミをか?」

 意味が分らずベロスは戸惑っている。



「いえ、違います。えと……人の心には暗い部分があります。怒り、恐れ、恨み、妬み……良い心ではありません。できれば目を背けたいものです。でも、それも心の一部です。私の心の中にだって、それはあります」

 ニコは続ける。

「でも世の中にはそういう、人の心の暗い部分を煽って、利用して、悪いことをする人間がいます。彼らは人と人を争わせ、他の種族を踏みつけ、自分たちの利益のためには何でもします。私はそういう人間を許せないんです。だからこれから、そういう人間を懲らしめに行きます。それが大掃除です」

 彼女は胸を張って言い切った。

 鹿の背にまたがり、手元にゴブリンの少女を抱き、様々な種族の仲間を従え、草原を埋める黙呪兵すら味方につけ、堂々としたその様は本当に『女神』だった。田舎の村でいじめられ、引きこもっていた、弱々しい少女はもうそこにはいなかった。

「驚いたな……」

 ベロスは3つの頭を全部こちらに向けてニコを凝視していた。

「光の女神は、民衆の心の暗闇に光を当て、正しい方向に導くと聞いた。俺なんぞ暗闇だらけの存在だ。眩しくってしょうがないぞ、女神よ」

 3つの頭がそろってニヤリと笑った。

「しかし、心躍る話だ。光の女神の世直しに立ち会えるとはな。長生きはするもんだ。ふふふ……」

「ライオンさん。みんな。さあ行きましょう」

「おう!」

 ニコの言葉でベロスは腰を上げ、身体をぶるぶるっと震わせた。

 暴走する女神には抗えない。鹿に乗った彼女を先頭に、俺たちも街の門をくぐった。



 しかし、街の中は混乱状態だった。

 あちこちで火の手が上がり、人々は逃げ惑い、そして至る所に犠牲者の遺体が転がっていた。

「何だ? これは」

 ベロスですら驚きの声をあげている。

「あっ! こいつはタルのレジスタンス仲間だ。大丈夫か?」

 ジゴさんが抱き起こしたのはチェーンメイル姿のオッサンだ。幸いまだ息がある。アミが駆け寄って癒歌をかけた。

「どうしたんだ? 何があったんだ?」

「ああジゴか。すまん、俺もよく分からんのだ……数日前ここに着き、宿で潜伏してたんだが、突然、身体の黒い不気味な男たちが、街のあちこちで暴れ出したんだ。市民を見境なく殺し、止めようとした親衛隊の連中すらやられてた。何なんだ、あいつら」

「身体の黒い……ソウタ、ひょっとして……」

 俺はジゴさんにうなずいた。

 間違いない。ニルの研究施設で行われていた、人体を黙呪兵化する研究。それによって身体が黒くなった男たち。そして、その筆頭がゾラだ。

 あいつらが街で暴れてる……何でだ? レジスタンスの革命とは関係ないだろ。何が目的なんだ? 



 その時、物陰から何かが飛び出してきた。

 慌てて震刃で振り払う……しかし、効いてない。姿勢を立て直し、再び剣を振りかぶって切り込んでくる。

 親衛隊の格好をしているが、顔のちょうど半分が真っ黒だ。黒い男たちの1人だな。

 アミが曲刀で受けた。しかし腕力は向こうが上だ。押される。危ない! ハルさんのツタがしゅるしゅるっと伸びて男の身体に巻き付く。その隙にアミが離れる。

「があああっ!」

 しかしツタの本数が足りなかったのだろう。男は馬鹿力でツタをぶち切ってしまった。何だ、こいつ! ゾラと同じく人間離れした能力を持ってる。やばいぞ。

 その時、

「みんな、目をつぶって!」

 ニコの声が響いた。みな慌てて目をつぶる。その瞬間、目を閉じててもまぶたに残像が残るほどの強い閃光が走った。

「うがあっ!」

 獣のような叫び声におそるおそる目を開けると、男が光の矢で射貫かれ地面にころがっていた。

 そうか、やはりこの黒い男たちに対抗できるのが光の歌術なんだな。それにしても、さっき習ったばかりで、いきなり実戦で光の歌術を使いこなせるっていうのは、まさに光の女神ならではだな。何だか後光が射して見える。



  しかし、感心しているヒマはない。続けてもう1匹、今度は突然、背後から俺に風刃を飛ばしてきた。

 首筋を狙われたようだ。幸い俺には属性耐性がある。首にチリっと痛みは感じたが、大事には至らなかった。しかしこれが普通の人間ならばっさり頸動脈を切られていたかもしれない。

「この野郎っ!」

 こいつは俺が片付ける。まず倍返しで乱風刃をお見舞いしてやったら、着ていた鎧が壊れて吹っ飛び、男の裸の上半身が現れた。

 不気味だ。その個体によって黒くなり方も違うのだろう。こいつは、首から上は全部真っ黒なのに、胴体の右半分は普通の肌色をしている。

 よし! 右胸だ。

 狙って撃った震貫はきっちり男の胸を捉えた。一点に絞った震動が身体を突き抜け、男の背中に血潮を噴き出させた。

「ぐわああああああっ!」

 やはり黒くなっていない肌色の部分には歌術が効くようだ。地面でもがき苦しんでるところを、ハルさんが念入りに縛り上げる。

「おいっ、答えろ! お前もニルの地下墓地で魔物の血を受けたのか? 何を目的に暴れてるんだ?」

 ジゴさんが男を問い詰めるが言葉が通じない。意味不明のうわごとをつぶやいているだけだ。

「ダメだ。もう知性すら失ってる。暴走状態だな」

「研究員のノートにあった通りね。ある程度まで黙呪兵化が進むと暴走し始めるって」

 ナギさんが暗い表情で言う。

「ああ。しかし、こんなにたくさんの親衛隊員が黙呪兵化の処置を受けてたんだな」

「黙呪王の力を手に入れる……そんなことできるわけないのに……馬鹿な男たち」

「ううん、世の中が荒れてくると、若者はとにかく力を欲しがるのよ。この子たちも、ある意味、被害者ね」

 ハルさんの言う通りかもしれない。『心の暗い部分』を煽られ、利用された、愚かな被害者だ。可哀想といえば可哀想だが……でも今はこいつらを倒すしかない。



『うむ、身体の黒くなってない部分を狙えば良いのだな?』

 ゴブリン戦士たちにも戦略を伝える。

 その時、また1匹、黒い男が奇声をあげながら襲いかかってきた。ちょうどゴブリン戦士たちの隊列に飛び込んでいったが……弱点を集中的に突かれ、すぐに倒された。

『黒い人間、恐るるに足らず! 行くぞ戦士たちよ!』

『おうっ!』

 勢いづいた戦士たちはときの声を上げると、わーっと走り出した。

「おいおいっ! そっちじゃないぞ!」

 慌ててジゴさんが声をかけるが、全然聞いてない。あらぬ方向に突進していく。そうだ。実はこいつらも暴走状態だというのを忘れてた。

「ふふん、見てられんな。俺が止めてやる」

 ベロスがそう言ってひとっ跳び、ふたっ跳びでゴブリン戦士たちの前に立ち塞がった。

「がおおおおおおおんっ!!」

「うおおおおおおおおっ!!」

「ぐおおおおおおおおん!!」

 3つの頭が同時に吠えた。

 ものすごい迫力だ。鼓膜がビリビリするような吠え声に、さすがのゴブたちの足も止まった。

「みなさんっ! 敵はこっちじゃありません! 鹿に乗った女神から離れないで下さい!」

 俺が声をかけると、こっちにすごすご戻ってきてくれた。

「ベロスさん、助かりました。ありがとうございました」

「ふふん、小僧の手助けをする日が来るとは思ってなかったぞ」

 真ん中の頭がニヤリと笑った。いや、俺もこの真ん中の頭とこんな会話をかわす日が来るとは思ってなかったよ。
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