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第八幕 奸計の古城

抱擁

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 外に出るともう日がだいぶ傾いていた。

 城の建物はすっかり崩れてしまって原形を留めていない。これで一気に荒廃が進み、しばらくすれば周囲の森にのまれてしまうだろう。

「えらいことなってもうたなあ。地獄の扉もクソもないわ。城自体が崩れてもうた」

 ナラさんが振り返って言う。

「本当ねえ。まさかこんなオチになるとは思ってなかったわ」

 ハルさんも言う。



「あの、ちなみに例のフラグってどうなるんでしょうね?」

 気になってることを訊いてみた。

「地獄歌はお前が書いた『ガクフ』でいくらでも後世に伝えられるからな。もう扉もないのに黙呪王の所に行ってリセットもあらへんし、放っといてええんちゃうか」

「別に黙呪王とケンカしなくてもいいんですよね」

「おう。お前がケンカしたいんやったら道案内するけどな」

「いや、遠慮させていただきます」

「ま、明日から、隠れ家探しの続きやな」

「ですよね。ホッとしました」

「ガクフなんて、そんな便利な記録方法があるとはねえ。さすが異世界人だわ」

 ハルさんは感心してるが、いや、これまで楽譜を残そうとした歌い手がいなかったことの方が不思議だ。



「うーん……ソウタ……」

 その時、ナラさんの背中でアミが苦しげな声を出した。

 ハルさんのツタでぐるぐる巻きにされ、ニコに眠歌をかけてもらって眠っているが、まだ俺の夢でも見てるんだろうか。

「それより問題はこの子ねえ……」

「ちゃんと治るの?」

 ニコが心配そうに彼女の顔をのぞき込む。

「おお。元々健康やった人間は、だいたい数日以内には正気に戻りよる。一生治らんかったとか、自殺してしもたとかいう奴は、最初からちょっとメンタル病んどったんやろ」

 アミは精神的には健康……だったよな。ちょっと無理してるところはあったけど。

「でも……アミはソウタのこと、あんなに好きだったのね……」

 ニコがしんみりした調子で言う。

「いや、あれは狂歌でおかしくなってたからだろ」

「ううん。アミは真剣にソウタのこと好きなんだよ」

 首を振って否定される。

「あなた、まだそんな鈍感系でいくわけ? この子、イズの町を出てからあなたと再会するまで3ヶ月間、ずーっとあなたのこと心配して、あなたのことばっかり話してたのよ」

 ハルさんも言う。

「ワシもすぐに分かったで。この子、辛い恋しとるなあて」

 つ、辛い恋って……ナラさんまでそんなこと言うのか。

 しかしあの蛇女も『狂歌は心の奥にある欲を暴く』って言ってたな。アミは本気の本気で俺のことが好きなんだろうか。いや、俺はあの滝裏の部屋で誘惑された時にはっきり断ったよな。それでも諦めきれなかったというのか。

 アミは苦しげな顔をしている。閉じたままの目から涙が一筋流れた。

 可哀想だ。強烈に可哀想だ。こんな良い子が、こんな可愛い子が苦しんでいる。何とかしてあげたい。でもどうしたらいいんだ。

 みんなもジト目でこっちを見てる。俺はどうしたらいいんだ。



「アミちゃんを抱いてあげて、ソウタ」

 有無を言わさぬ調子でニコに言われ、卒倒しそうになった。

「だ、だ、抱いてあげてって……」

「あ、でもエッチなことしたらダメだよ」

 な、なんだ。それはダメなのか。

「抱くって、抱きしめるってことかよ」

「キスぐらいならしてもいいけど……」

「そうや、その通りや。狂歌から回復させるんは、そいつの欲求をかなえてやるのが一番なんや」

 ナラさんも言う。でもこんな可愛い子を抱きしめてたら、俺の欲求の方が問題になってくるじゃないか。

 その時ちょうど、昨夜キャンプした場所に戻ってきた。

「じゃあアミのお世話はソウタにお願いするわね。今晩は一緒のテントで寝てあげて」

 ハルさんにとどめを刺された。助けを求めるべくニコを振り返るが、彼女もうんうんとうなずいている。もうどうなっても知らないぞ。



 さて夕食後。

 俺は本当にアミと2人、小さなテントの中に押し込まれてしまった。

『抱いてあげて』とは言われたが、本当に抱っこするわけにもいかず、俺も彼女の隣で横になって、ぼんやり寝顔を眺めていた。

 山猫娘というのは俺の命名だが、ツタを解いてもらい、毛布の上で丸くなってすやすや眠っているその姿は、まんま猫だ。その寝顔も、目鼻立ちがくっきりハッキリした素晴らしい美人で、ちょっと猫っぽい。

 しかし、よく気がつくし、頭の回転速いし、口が悪くても根は優しいし、小柄だけどスタイル良いし、料理の腕前はプロだし、他にもいろいろ女子力高くって、文句なしのハイスペ女子だ。

 そんな子が、俺のことを好きだという。苦しんでいるという。

 何で俺なんか。もったいない。実にもったいない。もっと良い男がいくらでもいるだろうに。



「ソウタ……」

 また寝言で俺の名を呼んでる。

「何だ、ここにいるぞ」

 意味ないが、返事してやった。すると、彼女の目がうっすら開いた。

「あ、ソウタ……」

「おお! 目が覚めたか」

 しかしその目はすぐに伏せられた。そして静かに涙がこぼれた。

 いきなりまた服を脱ぎ出したらどうしようかと思ったが、あの時の興奮はもうすっかり鎮まったようだ。

「大丈夫か? どこか痛いのか?」

 ふるふると弱々しく首を振る。

「起きて水でも飲むか?」

「……ううん、要らない」

 首を振る。

「食べてないからお腹減ってるだろ? 何か食べるか? せめて水だけでも飲めよ」

「もう、いいって!」

 怒られてしまった。だいぶ正気に戻ってきてるようだ。

「私に構わないで……悲しくなるから……」

 しかし、そう言いながらぽろぽろ涙をこぼす姿は、見てるこっちの方が悲しくなってくる。

「ごめん……」

 謝るしかない。



 しばらくしてちょっと落ち着いたのだろう。アミは弱々しい声で話し始めた。

「昔ね、どうして不倫なんてしたのって母さんを問い詰めたことがあるの。そしたら『好きになっちゃいけない人を好きになっちゃうこともあるのよ』って言ってたけど、そんなバカは母さんだけ、って思ってたの」

「うん」

「でもね、気がついたら、私も同じことだなと思って……私は母さんほど神経が図太くないから、他の人から奪おうなんて思わないし、自分から退いてしまうけど」

「……」

 俺からは何も言えない。

「あのね、ソウタ」

「何だ?」

「あんたがイズ川に流された時ね、何でニコよりも先に飛び込まなかったのか、って私、今でも思うの」

 ああ、ニコが『女の意地』って言ってたやつか。

「あの時、私の方が先に飛び込んでたら、あの指輪をしてるのは私だったかもしれない……なんてことはないと思うけど、でも、もうちょっと違う展開になったのかな、なんて思うの」

 ニコも言ってたよな。あの崖下のビーチで俺とアミが仲良く暮らしてたかも、って。それはそれで悪くはないんだが、でも、ちょっと違うんだよな。

 俺の気持ちが分かるのか、アミはフッと笑った。

「そうなのよ。私じゃないの、結局。ニコはどうするのかなってチラ見した瞬間に、もうニコが飛び込んでたの。ああ、気持ちの強さ、愛情の深さってこういう所に現れるんだなってこと。あんたを幸せにするのは、私じゃなくってニコなのよ」

 寂しそうに笑った、そのままの頬に、また涙が伝った。

「私、ニコもあんたと同じぐらい好きだし大事だから、2人を見守ろう、応援しよう、そう思ってるのよ。それなのに時々悲しくなっちゃうの。母さんと同じ。ダメなのに好きなの……」



 何だか俺も涙が出てきた。

「アミ、でも俺はお前のこと好きだぞ。ニコと比べてどうとかは言えないし、言わないけど、でもお前はお前で好きだ。正直言えば、お前とも、ずっと一緒にいたい!」

 言ってしまった。

 俺を見上げているその顔が真っ赤になった。何か言おうとしているが、言葉にならないようでモゴモゴしてる。可愛い。あまりに可愛すぎる。

 気がついたら俺は彼女の華奢な身体を抱きしめていた。

「……ちょ、ちょっと……あんた、私なんかハグしたらダメなんじゃないの?」

「いや、いいんだ。キスまではしてもいいことになってる」

「え? え?」

 驚いて混乱してる所を捕まえ、素早く唇を合わせた。俺の腕の中で彼女の身体がゆっくり融けていった。



「……キスまではいいって言われてても、本当にキスしたらダメじゃん」

 ギロッと睨まれた。そ、そうだよな。やっぱダメだよな。

「すまん」

「私に謝ってもしょうがないでしょ」

 しかしもう彼女の表情は明るい。

「でも、いいよ。私、ニコとも『ずっと一緒にいようね』って約束してるから、邪魔者になるまでは一緒にいてあげる」

「……うん、頼む」

「でも間違えたらダメよ。あんたが一番大事にすべきなのはニコよ。あの子を悲しませるようなことしたら、私、怒るからね」

「ああ、分かってる」

 アミは俺の頬を張り飛ばすフリをした。そのふくれっ面はもうすっかりいつもの山猫娘だ。



 翌日の朝食は、ボス戦の勝利とアミの回復を祝った豪勢なメニューだった。

 朝からたらふく食ってだらだらしてる男3人を尻目に、アミとニコはずーっと2人で話し込んでる。時々クスクス笑いながら盛り上がってる様子は本当の姉妹みたいだ。

 ニコもきっといろいろ思うところはあるはずだが、俺には何も言わなかった。大人になったんだなあ。いよいよ子供は俺だけか。



 河の流れも正常化していた。

 ハルさんが城の近くで見つけたイカダに乗って、俺たちはいったんレミの街に戻ることにした。3人の子供たちについて、きっちり話をしないといけないからな。
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