音痴の俺が転移したのは歌うことが禁じられた世界だった

改 鋭一

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第七幕 崖の下の住人

崖の下にも20年

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 元の世界なら、壊れた楽器を直す時には接着剤を使うだろう。しかしこの世界にはそんな物は無い。

「ニカワを使うんや。普通は動物の骨とか皮を煮詰めて作るんやけど、魚からもええニカワとれるで」

 というナラさんの言葉により、昼間は小屋作り、夜になったら浜に出て深夜まで夜釣り、というのが俺の当面の日課になった。

 狙う獲物はニベという魚だ。その浮き袋を集めて煮詰めると良質かつ強力なニカワができるらしい。夜釣りであれば浜からの投げ釣りでもかかり、釣り上げるとグーグーと声をあげるのですぐに分かる。



 釣り竿や釣り道具は船にあった。

 エサのゴカイは自分で調達しないといけない。しかし何を隠そう俺はこういう長細くてモゾモゾ動く系の生き物が超・苦手だ。

 ミミズでも既にかなり無理だが、ゴカイみたいにモシャモシャしててしかも水の中に棲んでるとか……うわ! 考えただけでも寒気がする。

 ところが、ニコはこういうのは平気なんだ。だからゴカイの採集と、針にゴカイを着けるのはニコがやってくれることになった。

「ニコ、よくそんなの素手で触れるよなあ」

「え? だって水の中にいるもんだから汚くもないし、頭を持てば噛まれないし、そもそも噛まれても大して痛くないじゃん」

「いや、そういう問題じゃなくって、その存在そのものがキモいじゃん」

「そうかなあ。まあ別にカワイイってこともないけどね」

 美少女はそう言いながら素手でぶちっとゴカイを引きちぎって釣り針に刺してくれた。

「ありがと」

「どういたしまして」

 女の子って意外に神経図太いところあるからなあ、などと失礼なことを考えながら竿を振り回し、びゅんと音を立てて沖へ投げ込む。仕掛けが沈むのを待って糸巻きを少し回し、海底のごつごつを感じる。



 すぐには当たりが来そうにないな。

 どっこいしょ。砂の上に座り込んであぐらをかく。隣でニコも腰を下ろした。

『ざざざ……ちゃぷちゃぷ……』

 今日は波も穏やかだ。波打ち際で可愛らしい音を立てている。それ以外は何の音もしない。



 静かだ。ニコの息づかいが聞こえてきそうなぐらいだ。

 目の前の夜空には北斗七星が下向きになって横たわっている。星の配列は元の世界と同じなのかもしれない。



 静かだ。平和だ。つい数日前のイズの出来事がウソのようだ。

 夕食の時のナラさんの言葉が頭に蘇ってくる。

「お前ら、黙呪王と戦おうとか絶対に思うなよ。もうずっとここにいとけ。黙呪王はな、人間が勝てるようなモンやない。歴代の歌い手で最強と言われたキョウですら、王の間から戻って来れんかったんや。戦うな。ここで平和に暮らしとけ」

 ナラさんはそう何度も繰り返した。

 ジゴさんもハルさんも「逃げなさい」と言ってくれてたし、アミも「黙呪王なんかと戦っちゃダメよ」って言ってくれたよな。

「なあ、ニコ」

 俺はニコに尋ねてみた。

「ニコは、これからどうしたい?」

「ソウタとここで暮らすよ。ずうっと」

 即答だ。

「俺たち本当に黙呪王と戦わなくってもいいのかな?」

「いいじゃん、そんなの。だってここにいたら戦いようもないし」

 そりゃまあ、そうか。別に自分らでここに逃げ込んだわけでもない。誰かに問答無用で連れて来られたんだ。不可抗力だ。そしてここから出る方法は、今の所、ない。

「ここでゆっくりしてていいのかなあ……」

「いいよ。ここにいてたらいいんだよ」

 しかし俺の脳裏には、レジスタンスの人たちの熱い眼差しが浮かぶ。彼らは命を投げ打ってもこの世の中を変えたいと願ってた。

 ナジャの防具屋のオッサンを思い出す。妻と幼い娘二人を奪われた彼は、黙呪王に報いるため、究極の防具を作ることに人生をかけた。それを今、俺が着ている。

 みな俺に大きな期待をかけていた。その俺がここで遊んでていいのか。

 それにもう一つ気にかかるのはハルさんのことだ。

 あの人も熱い人だ。きっと今頃イズの滝を下りて必死で俺たちを探そうとしてくれてるに違いない。途中で事故ったり転落したりしないだろうか。すごく心配だ。

 アミも、せっかく退屈な生活から飛び出そうとしてたのにガッカリしてるだろうな。

 俺は、本当にここでぼうっとしてていいんだろうか。



 浮かない顔の俺にニコは言った。

「私ね、とりあえずここに20年いたらいいかなって思うの」

「20年? なんで20年なの?」

「だって20年経ったらきっと次の歌い手が召喚されて、ソウタはお役御免になってるでしょ」

「そうかな」

「きっとそうよ。それにね、20年経ったら子供たちはもう大きくなってるでしょ。ナラさんはもういないかもしれないけど」

「子供たちって?」

「私たちの子供よ」

 でえええええっ! 俺たちの子供!?

「子供は3人よ。それが20年後には上から19歳、17歳、15歳になってるの」

「もう、産むタイミングも決まってるのか」

「そうよ」

 はああ、ニコってやっぱり女性だな。ここに来て数日でもう遠い将来の設計までしてるんだ。男とは全然違う。

「でね、それぐらいの年齢になったら、子供たちもそれぞれどうしたいか自分で考えて決められると思うの。そこでね、ちょうど20年経ったところで、家族5人で多数決するの」

「ああ、だから子供が3人なのか」

「そうよ。子供が2人だと割れてしまうかもしれないでしょ」

 なるほどなあ……そこまで考えてるのか。

「もしここを出ようっていう結論になったら、2人では難しくても5人で協力すれば出られるかもしれないでしょ」

 まあ、それはそうかもしれない。



 いや、しかし! そもそも俺は、ニコと子供を作るなんてできるんだろうか。

 いつも彼女とエッチな雰囲気になると鼻血が噴き出してくる。

 キスはできるし、身体にちょっと触れたりぐらいはできるようになった。でもそれ以上先に進もうとすると決まって鼻血が邪魔をする。いつか慣れてくるもんなんだろうか。鼻血が出なくなる日が来るんだろうか。

 確か子供って産まれるまで約1年かかるんだよな。20年後に子供が19歳ってことは、彼女の方はもう今すぐにも子作りに入りたいっていうことだよな……むふふふふふ。

 いやいやいや!

 そ、そんなのダメだよ。無理だよ。エメさんじゃないけど、ちゃんと結婚してからだよ、それは。

 ちょうど同じことを考えていたのだろう。ニコは妙なことを言いだした。

「あのね、ソウタの鼻血を回避するための方法があるの。恥ずかしいけど言うから聞いてね」

「あ、うん」

「ほら、この前、イズの町で古本屋さんに行ったでしょ? あそこで何冊か旅人本を買ったじゃない」

「うん、買ってたな」

「あの中にね、1冊だけヘンな本が混じってたの、気がつかずに一緒に買っちゃったの」

「ふうん。ヘンな本って、どんなの?」

「えっとね、あのね……男の人と女の人が子供を作るためにすること、あるでしょ?」

「あ、ああ」

「そのね、方法っていうか……いろいろな、あの……細かいやり方が書いてあって……身体の向きとか動き方とか……もう! やっぱり恥ずかしくって言えないよ」

「いいよいいよ、だいたい言わんとしてることは分った」

 要するにいろんなエッチ技法のハウツー本ってところだな。この世界にもそんなのがあるんだ。

「あのあのあの、誤解しないでね。その本を買おうって思って買ったんじゃないからね。たまたま他の本に混じってただけだからね」

 焦って言い訳する姿がまた可愛い。

「分った分った」

「でね……それでね……それを読んで考えたんだけど……」

 暗いから分らないが、たぶん顔を真っ赤にしてるんだろうな。っていうかこっちも何だか下半身の血流がヘンになってきた。

「ソウタは目をつぶって横になってるだけでいいから。後は全部、私がするから。それだったら鼻血、大丈夫でしょ?」

 消え入りそうな声で言う。

 それを聞いて俺は自分が情けなくなった。こんな美少女にそんなことを言わせるのか。そんなことをさせるのか。ダメだろ。男としてそれはダメだろ。

 俺はニコのすぐ横に座り直した。

「ニコ、そこまで言ってくれてありがとう。でも、せっかくニコと愛し合うんだったら、ちゃんと積極的にしたいから、そんなマグロ男みたいなことはしないよ。俺もっとがんばるよ」

「え? マグロ男?」

「あ、いやいや、そこは気にしなくてもいいから。むしろニコの方が目をつぶって横になってるだけでいいから」

「でも、それだとマグロ女じゃないの?」

「いやいや、だからもうマグロは気にしなくてもいいから」

「いいの? 私、がんばるよ?」

「いや、大丈夫。俺の方がもっとがんばるから」

「うん、分った」



 はああ、勝手にため息が出る。

 可愛いな。ニコって本当に可愛いな。

 俺のためにそこまで言ってくれるのか。そういえば、俺を助けようとして、泳げないのにあの濁流に飛び込んでくれたんだよな。

 大好きだ、ニコ。本当に大好きだ。

 俺の心の中でニコへの愛しい気持ちが膨れ上がってどうにも制御不能になってきた。

「ニコ」

「ん?」

 俺は左手で彼女の肩を抱き寄せ、思い切りキスをした。彼女も俺にもたれかかって身体を任せてくれる。

 気持ちは煮えたぎっているのに不思議と頭は冷静だった。良い感じだ。今なら鼻血を出さずに先に進めるかもしれない。俺は釣り竿を置いて彼女の身体に手を伸ばそうとした。



 しかしその時、ちょうどその時、釣り竿がぶるぶるっと震えた。

 ちっ! 何でだよ。何でこんなタイミングで来るんだよ。

「魚がかかっちゃったよ」

「えっ! そうなの」

 仕方なく彼女と離れて立ち上がり、竿を大きくしゃくってアワセをする。針にかかった魚が暴れている感触が伝わってくる。

 かまわずにリールを巻いていき、波打ち際まで来た魚をそのまま引っ張り上げる。4、50センチはありそうな立派なニベだった。釣り上げられたことに抗議するかのようにグーグー鳴いている。

「よし、これで5匹目だ」

「10匹要るって言ってたから、ちょうど半分だね」

「そうだな。今晩はもうちょっと粘ろうか」

「うん!」

 美少女はゴカイがうじゃうじゃ入った容器に躊躇なく手を突っ込み、だらんと1匹つまみ上げたかと思うと、ぶちっと引きちぎった。そしてそれをまた上手に釣り針に刺してくれる。俺は竿を振り回し、びゅんと音を立てて沖へ投げ込んだ。

 ニコ……生き物にはみな優しいのかと思ってたけど、ヒルとかゴカイとかこういう生物に対しては冷酷無比だな。でもそれがまたお茶目というか、微笑ましいというか、ちっともイヤじゃない。むしろこの子の意外な側面を知れば知るほど、好きで好きでしょうがなくなっていく。

 ニコとだったらこの崖の下で20年でも30年でも余裕で一緒にいられる。

 子供だって作れるさ。時間はたくさんあるんだ。きっと鼻血も出ないようになる。
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