音痴の俺が転移したのは歌うことが禁じられた世界だった

改 鋭一

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第三幕 抗う者たち

素足のままで

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 ニコの癒歌の効果は抜群だ。鼻血はピタリと止まった。

 俺は礼もそこそこに浴室から逃げ出した。

 まだ頭がくらくらする。ガラスの前に座り込み、時々俺の名を呼ぶ彼女の声に返事をしながら考える。

 あれで裸であることに気付いてないっていうのはあり得ない。彼女は分かってて俺に身体を見せてたんだ。

 何で? 誘惑してるのか?

 それならそれですごく嬉しいが、彼女はいつも通りのあどけない様子で、そんな色っぽい雰囲気は皆無だった。

 俺なんか、裸を見られても何でもない、空気以下の存在なんだろうか?

 悲しい。そんなの悲しい。でもさすがにそれはないだろう。少なくとも俺に好意ぐらいは持ってくれてるはずだ。じゃなきゃわざわざお風呂に乗り込んできて傷を治療してくれないだろうし、俺と再会してあんなに喜ばないだろう。

 じゃあ、こういうことか。

 彼女は、失礼ながら田舎の純朴な少女だ。しかも引きこもってたし、性に関して詳しくはないだろう。『交尾』の意味にもなかなか気付かなかったぐらいだ。

 だから男が自分の身体に対してどういう反応をするか知らないんだ。俺が興奮して鼻血を出した理由も分かってないかもしれない。

 でもそうだとすると危ないな。ニコは極めて魅力的な女の子だ。そして世の男は俺みたいなヘタレばかりじゃない。むしろ彼女の肌を見たらよだれを垂らして襲いかかるような奴ばっかりだろう。

 危ない、危ない。肌なんか見せたらダメだ。ちらっと見せるだけでも勘違いされる。ダメ、絶対。ちゃんと俺から教え込んでおかないといけない。後でお兄ちゃんからお説教しておこう。



「ソウタ、もう大丈夫?」

 ニコが髪を拭きながら出てきた。子供っぽいパジャマを着ているが、それがまた何とも言えず可愛い。しかもさっき見てしまった裸体のビジョンがそこに重なってしまって、パジャマの中身を想像して……いかん、いかん。そんなこと想像してはいかん。また鼻血が出そうだ。

「ニコ、ちょっと聞いてくれ」

 俺はニコに、不用意に男に肌を見せないように注意した。あまり説教口調にならないように気を付けたが、彼女はちょっと気分を害したようだ。途中からプッとふくれっ面になってしまった。

「分ってるわ、そんなこと。私、ソウタ以外の人に身体見せたりしないもん」

「だったらいいんだけど……」

「あのね、私、お母さんにいつも言われてたの。男の人には笑顔を見せちゃいけない、肌を見せちゃいけない、って」

 ああ、そりゃそうか。ちゃんとナギさんに教育されてるんだ。

「勝手に笑っちゃう癖があるから笑顔の方は難しかったけど、肌はこれまで誰にも絶対見せてないわ。ただ、お母さんが言うには例外があって、それは……」

「それは?」

「それは……ソウタ、今日、日付が変わった今日は、何の日か分る?」



 はい?

 突然の話題変更に俺の頭はついて行けなかった。今日は11月の……何日だっけ。カレンダーがないからパッと分らない。何か特別な日だっけ? 覚えてない。

「うーん、ちょっと分らない」

「今日は私の誕生日よ」

 えっ!! そうだっけ!?

「ごめん! 忘れてた、ニコ。申し訳ない」

「いいよ、謝らなくても。別に何かするわけじゃないし。それと今日は、もう一つあるんだけど何の日か分る?」

 俺はニコの誕生日を忘れていたという失態で動揺し、さらに頭が回らなくなってしまった。何だったっけ?

「うーん、分らないや」

「あのね、ソウタは去年、私の15歳の誕生日にこっちの世界に来たんだよ。だから今日はソウタがこっちに来てちょうど1年の日でもあるの」

 ああ、そうか。今日でちょうど1年か……



 あれ? それがどうしたの?

「あの、ニコ。それとお母さんの言った例外とどういう関係が?」

「あのね、お母さんが例外って言ったのはね……15歳になったらもう結婚しても良い歳だから……」

「うん」

「1年間ずっと……」

 ニコは急にうつむいて赤くなってしまった。

「え? どうしたの?」

「……」

 俺はその次を聞きたくて身を乗り出していた。ナギさんが娘に言った、肌を見せてもかまわない男性の条件……気になるじゃないか。すごく気になるじゃないか。1年間ずっと何なんだ?



「……言えない」

「えっ!?」

 俺はたぶんすごく残念そうな声を出したと思う。ニコは慌てて言った。

「ううん、でもね、ソウタがその例外なの。ソウタは例外だから私がお風呂入ってるところを見ても大丈夫なの」

 ふうん。でも何だか俺は納得いってない顔をしてたんだろう。

「あの……ソウタは、私の身体を見たら嫌?」

「い、いや、その、あの、全然嫌じゃないよ」

「でもさっき、すごい嫌そうな顔して、目をそらしてたよ」

「いや、それは、その……」

「もしソウタが嫌だったら、なるべく身体を見せないようにするから」

 ご、誤解だ! そんなの嫌だ! 寂し過ぎる! こういう時にはどう言えばいいんだ。正直に言った方がいいのか。

「ニコ、あの、俺も普通に男性だから、君の身体を見ると嬉し過ぎて頭に血が上っちゃうんだよ。また鼻血が出ちゃうから、時々ちょっと見せてくれるだけで十分だよ」

「そうなの。嫌じゃないんだね。良かった。じゃあ、時々ちょっと見せるぐらいにしとくね」

「お、おう」

 しまった……今、俺は大失敗したんじゃないか。『時々ちょっと』じゃなくって『時々大胆に』と言っておくべきだったんじゃないのか? いやいや、またさっきみたいに大胆に見せられたら、今度こそ理性を保つ自信がない。ちょっとでいいんだよ、ちょっとで。



 それにしても、さすがにいろいろ疲れた。鳥女に眠らされて何時間か寝たはずなのに、俺はまた眠くなってきた。ちょっとベッドに横にならせてもらおう。

 ニコはまだ荷物を開けてごそごそしてる。そして何だかんだ俺に話しかけてくる。一緒にお泊まりするのが楽しくってしょうがないみたいだ。天真爛漫というか、無邪気というか、まだ子供なんだな。

 その時、ちょうど彼女の足、スリッパからはみ出したかかとの辺りが、目に入った。 そこには痛々しい傷があった。しかも両足とも。どうしたんだ? その傷。

 俺は起き上がった。

「ニコ、その足の傷、どうしたの?」

「あ、これ? ここに走ってくる時に靴ずれができちゃったみたい。普段あんまり走ったりしないのに一生懸命走ったから」

「ええっ! 痛くないの?」

「ちょっと痛いけど忘れてた……えへへ」

 そう言って照れたように笑うニコを見て、俺は胸がジーンと熱くなった。

 この子は、こんなケガをしながらも必死で走ってくれたんだ。そして自分の傷はそのままで、俺の傷や下らない鼻血を先に治してくれたんだ。きっとお風呂でもしみて痛かっただろうに……

 彼女の飾らないストレートな優しさとか、ひたむきさとか、純粋さとか、不器用さとか、いろいろなものが胸に迫ってきて、気がつけば俺は泣いてしまっていた。

「えっ!? どうしたのソウタ。何で泣いてるの?」

 その慌てる仕草もまた、たまらなく可愛い。

「ニコ……ありがとう」

 何でか知らないが、次から次から涙があふれてくる。恥ずかしいけど止まらない。ノドが詰まってうまく言葉が出てこない。

「どうして泣くの? ソウタ、悲しいの?」

「……ううん、悲しくはないけど……ニコのその足の傷を見てたら勝手に涙が出てくるんだ」

「あ、じゃあ、靴下履いとくね」

「いや、違うんだニコ。いいんだよ、素足のままで」

「そ、そうお?」



 俺の頭の中にはさっきニコが何度も歌ってくれた癒歌がリフレインしていた。今だったら歌えるかもしれない。俺は拳で涙をぬぐった。

「ニコ、俺に癒歌を歌わせてくれないか? その足の傷、治させてくれないか?」

「え? うん、いいよ」

 ニコはベッドに上がり、こちらに背中を向けてひざまずいた。俺の目の前に彼女の白い小さい足がそろえられている。しかしそのかかとの傷は赤黒くなっていて本当に痛そうだ。

「でも俺って下手だから、もし痛かったら言ってくれよ。すぐに止めるからな」

「うん、分かった」

 もうメロディーは十分頭に入っている。音程を合わせようとか考えるのは止めよう。頭の中でニコが歌ってくれている、そのまんまをなぞって歌ってみよう。

 俺は両手をニコのかかとの傷にかざし、そっと歌い出した。

「血潮よ、血潮よ、集まりて集まりて、傷を塞ぎ、痛みを癒したまえ~♪」

 音程を意識せず、この傷が痛くなくなりますように、この傷が治りますように、そういう気持ちを込めてメロディーをなぞった。正直音程は外れてたかもしれない。でも気にせず、最後まで歌い通した。



「あっ! ソウタ、もう痛くない。あっ! 治ってる。治ってるよ、ソウタ」

 良かった。どうやら無事に癒歌が発動したようだ。

 ニコは自分のかかとを触って傷が治ってることを確認し、俺に飛びついてきた。俺はたまらずベッドの上に倒れてしまい、自然とニコを腕枕するような体勢になってしまった。

「ソウタ、ありがとう。えへへ、ソウタが治してくれたんだ。嬉しい!」

「ニコこそ、ケガをしてまで一生懸命走ってくれて、本当にありがとう」

 俺は思わず彼女をハグしてしまった。彼女は最初はびっくりしたようで身体を固くしたが、すぐにハグし返してくれた。

「私……今すごい幸せ」

 ニコは俺の腕の中でうっとりした顔をしている。

 俺も……これは幸せなんだろうか。

 ふわっと良い気分で、それでいて胸はぎゅっと切ない感じ。安心感……いや、そこに鋭い不安感が混じってるような気もする。

 でも嫌じゃない。このままずーっとこうしていたい。ニコをもっともっとぎゅーっと抱きしめて、融けて一つになってしまいたいような気持ちだ。



 例のニコに捧げたオリジナル曲は『天使の旋律』というクサいタイトルだが、もうニコは天使なんかじゃない。もっと格上、つまり女神だ。『女神の旋律』とタイトルを変えないといけない。

「ニコ」

「なあに?」

 呼べば彼女が腕の中で答えてくれる。それだけでまた涙が出そうになる。

 俺はこのちょっとKYで無邪気な女神様に、本気で恋してしまったみたいだ。
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