音痴の俺が転移したのは歌うことが禁じられた世界だった

改 鋭一

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第三幕 抗う者たち

オネエ言葉に嘘はない

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 その頃の俺は、お昼前に起きて午後から自転車でウメコさんの店に行くのが日課だった。

 ウメコさんの店は隣町の駅の裏、けばけばしい看板が並ぶ通りにある。自転車を停めて鍵を3つかけ、雑居ビルの狭い階段を上がった2階、紫色の重たいドアを開ける。

「あらソウタ、今日も来たのね。いらっしゃい」

 濃い化粧をしたオバさんのようなオジさんが笑顔で俺を迎えてくれる。そう。ウメコさんはいわゆるオネエ言葉を話す人で、この店は『オバさんのようなオジさんたち』がお相手してくれる夜の店だ。元は俺の父親の行きつけだったらしいが、母親もウメコさんとは友達だ。



 たいていウメコさんも出勤したところで、いきなり一杯やりながらお昼のワイドショーを観てる。俺が行くとグラスにジンジャーエールを入れてくれて、後は俺の好きなようにさせてくれる。ああしなさい、こうしなさいは一切言わない。

 だから俺も、一緒にTV観たり、カウンターで勉強したり、お店のカラオケ歌わせてもらったり、ステージに置いてあるドラムセット叩かせてもらったり、好きなことしながら時間をつぶし、他のオジさんたちが出勤してきて開店準備で忙しくなる前には店を出て家に帰る。夕方になってしまうと帰り道で同級生に会うのが嫌だしな。

「そこのアコギ、お客さんがくれたやつだから好きに弾いてもいいわよ」

「ええっ、こんなの指が痛くなりそうでやだ。ドラムの方がいい」



 一時は家から一歩も出なかった俺が外に出られるようになったのはウメコさんのおかげだ。

「学校なんか行かなくていいけど、家の外に全然出ないのは良くないわよ。ウチのお店に遊びにいらっしゃい」

 そう言って、俺を引っ張り出してくれた。

 俺があんなに辛い目にあったのに歌や音楽を嫌いにならなかったのも、ウメコさんのおかげだ。決して俺の音痴を『矯正』しようなどとはせず、カラオケで好きなだけ歌わせてくれた。

「ウチのお客さんだってみんな音痴よ。でもたくさん歌ってるうちに自然と心に響く歌を歌えるようになるのよ。アンタ良い声してるし、そのうちきっと上手くなるわ。好きなだけ歌っていいわよ」



 そして俺にもっと積極的に音楽をやるようにけしかけてくれたのもウメコさんだ。ある時、お店で動画を見せてくれた。俺の父親のライブ映像だった。すげえ格好良くって感動しまくった。

「アンタもきっと素晴らしいミュージシャンになるわ。ベース弾いてみたらどう? まだ家にあるでしょ」

 その言葉で俺は初めて、父親が残していったベースを手に取った。自分を捨てた父親……俺にとっては遠い人だったのが急に身近になった。父親の動画を見て、ベースを弾いて、そして自分もいつか人前で演奏し歌いたいと思うようになった。

 そうだ、そのために、高校へ行って軽音に入ろう。となったら、やっぱり中学校には行った方が良いよなあ。

 ちっ、仕方ない。俺は歯を食いしばって学校に戻った。

 俺が高校に合格した時は、お店でお祝いのパーティーをしてくれた。オネエ言葉のオジさんたちはみな優しかった。人生の中でいろいろ苦労を重ねてきた人たちだ。俺の話を聞いて自分のことのように怒ったり、泣いたり、喜んだりしてくれた。



 でもあの頃の俺がウメコさんの店に足繁く通ってたのにはもう一つ理由があった。

「ウメコさん、今日はあの子は来ないの?」

「今日はお母さんと病院みたいよ」

「ああ、そうなんだ……」

 残念。がっかりだ。すごくがっかりだ。



 あれ? 『あの子』って誰だっけ?



 そこで目が覚めた。

 寝てたのか。何か懐かしい夢見てたな。



 しかし身体のあちこちの痛みが俺を現実に引き戻した。気がつくと全身傷だらけのボロボロだ。いててててて。

 後ろ手に手錠をかけられ、口には粘着テープを貼られ、ああ、足にも鎖がつながってる。えらく厳重だな。

 そうだ、俺はあのライオンのモンスターと戦ってて、横やりを入れて来た鳥女に眠らされたんだった。あれからどのぐらい時間が経ったんだろう。

 あ! そうだ、ニコはどうしたんだろう。無事だろうか。ちゃんとナジャにたどり着いたんだろうか。何よりそれが心配だ。すごく心配だ。ニコのことを思うとジッとしてられなくなる。



 ここはどこだ? 俺は身体を起こして周囲を見回した。

 ああ、牢屋か。3秒で分るぐらい典型的な地下牢の光景だ。

 汚れた石の床、石の壁、石の天井、そして通路に面した部分はお約束の鉄格子になっている。中は結構広い。鉄格子の向こうから少し光が入って来るが、牢の奥の方は真っ暗でよく見えない。

 通路をはさんだ向かい側にも同じような牢があり、その隣にも牢が並んでいる。しかし人影は見えないし、騒いでいる奴もいない。どこかに警備兵もいるんだろうがここからは見えない。辺りはしんとしている。



 逃げなきゃ。

 ここはちょっと歌っただけでも殺される世界だ。俺がやったことは死刑×数百回分にも値するだろう。黙呪王がどんな奴か知らないが、絶対にまともな奴じゃない。俺は必ず殺される。

 村を出て、少しだけ、少しだけだが俺は変わったと思う。

 かつての俺は何かあったら謝る方法しか考えられない人間だった。しかしここは謝って済むような世界ではない。そして今の俺には、歌術がある。俺の歌術……大したことはないが、狼の群れや黙呪兵を蹴散らすぐらいの力はある。あの巨大な化け物ライオンと戦って、とりあえず死なずに生きてる。

 俺はニコを守らないといけない。一刻も早くニコの所に戻らないといけない。

 そのためにはもう謝ってる場合じゃない。ビビってる場合じゃない。じっとしていても殺されるなら一か八か逃げよう。あの馬鹿でかいライオンと比べたら、牢屋の警備兵ぐらい何ていうことはない。死ぬ気で暴れまくったら逃げられるはずだ。

 よし、逃げよう。



 まずこの粘着テープを取らないと。俺は床に寝転がり、頬を石の床に擦りつけた。土下座しまくってるみたいで格好悪いが仕方ない。

 痛い、痛い。顔が痛い。でも何度もやるうちにテープの端が浮いてきた。どうだ。彫りの浅い平面顔だからできる技だ。ギリシア彫刻みたいな顔では鼻が邪魔してできないだろ、ざまぁ。

 もうちょっと、もうちょっと……よし、だいぶ剥がれてきた。後はベロで中から押して……口の端が唾液だらけになってしまったが、よし、これぐらいあれば小声で歌うことはできるな。

 歌術さえ使えるようになれば、後は楽勝だ。

 俺は後ろ手にされている両手首と人差し指をくっと曲げ、手錠の鎖に照準を合わせた。そして粘着テープのすき間からこっそり双震刃を歌った。暗い牢の中に俺がぶつぶつ歌う声が響き、やがてチャリンという音がした。

 よし、手が自由になった。口の粘着テープを剥がして投げ捨て、今度は足の鎖を切る。OK、両足もフリーだ。

 立ち上がって鉄格子のすき間から通路をうかがう。誰もいないな。俺は両手の人差し指を鉄格子に向け双震刃を歌った。

 あれ? 切れない。これくらいの金属棒、スパッと切れるはずなんだが。もう一度やってみる。切れない。指先には振動を感じてるのに、何で? ちょっと焦ってくる。



「あなたの歌、素晴らしい強さね。でもそれは震刃では切れないわよ」

 突然後から声をかけられて俺は30センチぐらい飛び上がった。

 俺の背後に立っていたのは、痩せてひょろっと背の高い……男だった。チリチリのアフロヘアで頭が膨れ上がっているが顔は小さい。女性的な風貌だが、よく見ればオッサンだ。

 顔が骸骨だったらあのキャラにそっくりだな、とか、有名なロックギタリストにこんなルックスの人いたよな、とか思いながら呆然としている俺に向かって、男は笑顔で続けた。

「その鉄格子はね、振動を両端に逃がしてしまうように作られてるのよ。だって震の歌術を使える旅人だったらみなすぐに脱獄してしまうでしょ?」

 ああ、なるほど。そりゃそうだ。

 っていうか、この人、オネエ言葉だな。こっちの世界でもオバさんっぽいオジさんっているんだな。あれ? そういえばさっきウメコさんの夢を見てたんじゃなかったっけ?



「アタシはハル、あなたがソウタね。その黒髪、エキゾチックなお顔、そしてその歌の強さ、間違いなく黒髪の歌い手様ね。あなたをお迎えに来たわ」

 男は握手の手を差し出した。

 この人も俺を歌い手と呼ぶのか。しかし、お迎えって何だよ。エキゾチックなお顔って、平面顔っていうことだよな? 俺はいろいろ戸惑いながらその手を握った。骨張っているが大きく温かい手だ。

「アタシたち、あなたがこの世界に現れるのをずっと待ってたのよ。お会いできて光栄だわ」

 え? それって、俺がこの世界に転移してくるのを待ってたっていうことか? 俺の異世界転移は偶然じゃないのか?

「ああ、どうしてアタシまでこの牢に入ってたのかって? それはまた後で説明するわ」

 いや、別にそんなこと訊いてないんですけど。

「話は後、後。とりあえずこの野暮な場所から出るわよ」



 ハルと名乗ったアフロ男は、まだいっぱい『?』を浮かべている俺を制して、鉄格子の根元の少し離れた2個所に何やら粒状のものをぱらぱらっと播いた。

「こういう鉄格子はね、こうやるのよ。ああ、歌い手様の目の前でやるのって緊張するわ」

 男は勝手に緊張しながら、両手の平をその鉄格子の根元にかざし歌い出した。細いが綺麗な声だ。

「芽を出し芽を出し、伸びて伸びて、たくましくなって、引張れ引張れ~♪」

 俺は目を疑った。妙に下ネタっぽい男の歌に呼応して鉄格子の根元から植物がにょきにょき生えてきたのだ。なるほどさっき播いたのは植物の種だったのか。

 しかもそいつはツタのように鉄格子に巻き付きながら見る間に大きく太くなり、鉄棒を左右に引っ張ってぐにゅうううっと曲げてしまった。あっという間に鉄格子が拡がって通り抜けられるぐらいの隙間ができていた。すごいな。こんな歌術もあるのか。

「見てくれた? アタシの得意技。アタシにとってはこんな鉄格子、出入り自由よ。さあ、行きましょ」



 男はさっさと鉄格子の外に出て、こっちに手を差し伸べている。

「早く。ここを出るわよ」

 俺は一瞬、躊躇した。こんなワケの分からん奴を信用していいのか? そもそも鳥女に一瞬気を許したために眠らされてこんなところへ放り込まれたんだ。まただまされてさらに窮地に陥れられるんじゃないのか?

 いやいや。どう考えたって、もう既にこれ以上の窮地はないだろう。このままじっとしてたら確実に死が待ってる。俺自身、さっきここから逃げ出そうとしてたんじゃないか。とにかくニコの所に行かないと。

 それに俺にはオネエ言葉に対する親近感と信頼があった。オネエ言葉。それは人生の辛酸をなめ尽くした者たちの共通言語だ。オネエ言葉に嘘はない。オネエ言葉を話す人に心からの悪人はいない。

「行きます!」

 俺はもう一度、アフロ頭でオネエ言葉のオッサン、ハルさんの手をしっかり握って鉄格子の隙間をくぐり、牢の外に出た。
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