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第二幕 旅の始まり

二人だけの夜

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 森林地帯に入ってしばらくすると急に道が荒れ出した。

 路面のあちこちに大きな石が飛び出しており、歩きにくいことこの上ない。道の真ん中に雑草や低木が平気で生えてるし、倒木が道を遮っていて、腰を屈め下をくぐらないといけないような個所もある。

 道が荒れるのは人が通らないからだ。一応街道としては地図に載ってるんだが、みんな南回りのルートに行って、こっちを通る人間はいないんだろうな。定期馬車だって南回りのルートに行くわけだ。

 周囲の木立は濃く、陽が傾いてきたせいもあって、森の中は薄暗い。山の裾野にさしかかってきたのだろう、道はぐいぐい上っていく。もうこれは街道というより登山道だ。

 この道、ちゃんとナジャの街までつながってるんだろうか? どこかが崩れて通行禁止とか、そんなことになってないだろうか? すごく不安になってきた。



 そしてもう一つ不安なことがある。

 歩くうちに気付いたが、この森は異様に静かだ。

 ニコの家の裏にも森があったが、いろんな鳥のさえずりが響きわたり、リスやウサギなんかがその辺をうろうろしていて、結構にぎやかだった。

 ところがこの森には小動物の気配がまるでない。ただ風で木立がざわざわ揺れる音がするだけだ。何か変だ。



 ちょうどその時、ニコが口を開いた。

「ソウタ、何かどこかから見られてるような気がするの」

「え! そうなのか?」

「うん。誰がどこから見てるかは分からないけど」

「なるほど。俺も何か変だとは思ってた」

 ニコは人間関係の中で空気を読むのは苦手だが、決して鈍感な子ではない。何かの気配を感じたり環境の変化に気付いたりする面ではむしろ非常に敏感だ。

 昨夜、黙呪兵が来た時も、いち早く異変に気付いて目覚め、ジゴさんナギさんを起こしたのは彼女らしい。彼女の感覚は信頼できる。やはりこの森は何か変だ。

 どこかに黙呪兵が潜んでいるのか。それとも魔物か。このまま進むべきか、引き返すべきか。どうする? 

 しかし今からあの集落に引き返すと、また半日以上ロスすることになるし、もう追っ手が来てるかもしれない。

 南回りのルートを歩いて行くのはさらにハイリスクだ。あんな張り紙がされてたんじゃ、すれ違う人みんなが敵だ。常に気を張ってビクビクしながら進んで行くことになる。

 やっぱり一か八かこの道を進むしかないだろう。

 誰も通らないというのは、追われる身としてはかえって好都合だ。この森に何があるかは分からないが、地図に載ってる道を進んでいるだけだ。何かあったら地図の発行元に文句を言ってやろう。まあ生きてナジャにたどり着けたら、の話だが。



 そこからあまり歩かないうちに周囲がさらに暗くなってきた。日没まではまだ少し時間があるが、もう前に進むのはここら辺りが限界だろう。

 ちょうど少し木立の中に入ったところに、大きな樹の生えていない平坦な場所がある。すぐ近くにチョロチョロ小川も流れている。今日はここで野宿だ。まだ少し陽の光が残ってるうちに準備をしてしまおう。



 しかし地面には雑草や低木がいっぱい茂っている。このままでは寝起きどころか火も焚けない。まずこの下生えを刈り取る必要がある。

 もちろん草刈りに必要な道具なんて持ってない。歌術を使うしかないんだが……ここで歌術を使って大丈夫か? またあの黒い鳥女みたいなのが来たら今度こそ助からないぞ。

 念のため、使う歌術は、左右同時に放つ震刃だけにしておこう。これなら魔物に感知されまい。



 俺は自分の前方に向かって両の人差し指を突き出した。そして頭の中で重く速いメタルのようなリズムを刻んだ。

 その上でハイスピードのラップを口にしながら、すーっと両手を左右に広げて行く。もちろんニコは背後に避難させている。

「んっ来いや、来いや、来いや、来いやっ」

「んっ断てや、断てや、断てや、断てやっ」

 左右の人差し指にビリビリした振動を感じる。それと同時に指された方向にあった雑草や低木はバサバサと音を立てて刈られていく。これを2回ほどやればきれいに円形の広場ができた。

「すごーい! 便利だね、歌術って」

 ニコは感心してくれるが、本当に魔物が来ないかどうか俺はしばらくドキドキ、キョロキョロだった。



 できた広場の真ん中に石をいくつか積み上げ簡単なかまどにする。ニコに乾いた枯れ葉や枯れ枝を集めてきてもらいこれで火起こしの準備はできた。

 本当は彼女の炎歌で火を出してもらえば楽だし、その方が彼女も喜びそうだが、普通の歌術だと魔物を呼んでしまう可能性がある。もったいないけどこちらでは貴重品のマッチを使って火を着ける。

 しかしこの世界のマッチはまだ発明されて日が浅い初期のもののようで、なかなか発火しにくい上にすぐ消えてしまう。1本、2本使ってもまだ枯れ葉に燃え移らない。

 そうだ、良い物を持ってることを思い出した。ジゴさんに渡された武器……本当に武器なのかどうか怪しいが、あの中に木製のパイプみたいなのが入ってたよな。あれでフーフー火を吹こう。火吹き竹っていうのか? まあ本来の使用法じゃないとは思うけどな。

 普段、文明社会の中で生きていればこそ、大自然の中でテントを張ったり火を起こしたりするのも風情があるんだろうが、こちとら生きるか死ぬかの状態ではそれどころじゃない。正直必死だ。



 よし、どうにか火は着いた。しかしすぐに燃やす物が無くなってくる。

 仕方ない。ちょっとその辺の樹を切らせてもらおう。近くにある立ち枯れた木を両手を使った震刃で切り倒し、さらに細かく切り分けて大量の薪を作った。これぐらいあれば一晩は保つだろう。

 その間、ニコは鍋を出して来て何やら料理の準備をしてくれている。持って来た乾燥食材だけじゃなく、その辺に生えてる草やキノコなんかも入れてるけど、大丈夫なんだろうか? お腹壊したりしたら大変だぞ。

 俺たちがごそごそやっていても相変わらず森の中は静かだ。時々その静寂がこちらに迫ってくるような圧迫感を感じるが、慣れてきたのか、最初の時ほどの違和感は感じない。ニコも、もうあまり周囲を気にしていないようだ。俺たちさすがにちょっとビビり過ぎてたのかもしれない。



 しばらくすると鍋から美味しそうな匂いが漂ってきた。これはよくナギさんが作ってくれたシチューの匂いだ。

「ソウタ、晩ご飯できたよ!」

「あいよっ!」

 俺はわざとジゴさんの真似をして返事をした。

「美味しい! 美味しいよ、ニコ」

 マジで美味い。ニコって何気に女子力高いんだな。

「ふふふ、これまでもね、お母さんが忙しい時にはよく私がシチュー作ってたんだよ。気付いてなかったでしょ」

「え、そうだったの? 全然気付いてなかった」

「お母さんと笑ってたの。ソウタ、全然気付かなかったね、って」

 そうだったのか。こっ恥ずかしい。でも二人が俺をネタに笑ってくれてたなんてちょっと嬉しいな。だって、美人母と美少女の娘がキッチンで仲よさげにくすくす笑ってる姿なんて、すごく微笑ましいじゃないか。



 しかしそこで何となく会話が途切れてしまった。黙ってシチューを口に運び、固いパンをかじる。

 周囲はもう真っ暗だ。焚き火の明かりが届かない森の奥の方は完全な闇だ。気温も下がってきて、また吐く息が真っ白になる。何だか心の中もすーっと温度が下がってきた。

 それにしてもジゴさん、ナギさん、大丈夫だろうか。どこに連れて行かれたんだろう。酷い目に遭ってないだろうか。心配だ。

 そんなことを考えていたら急に

「お父さんは強いから大丈夫よね?」

 ニコが尋ねてくるのでびっくりした。ちょうどニコも両親のことを考えてたんだな。

「ああ、ジゴさんは強い。歌術もいっぱい知ってるし」

「お母さんも強いよね?」

「ああ、ナギさんは奏術が得意って言ってたから、ジゴさんとナギさんが一緒にいたら絶対に大丈夫だ」

「大丈夫よね……大丈夫だよね」

 ニコは自分に言い聞かせるように大丈夫、大丈夫と唱えている。ニコも本当は不安なんだな。そリゃそうだろう。

「だから俺たちもちゃんとナジャの街まで行って、お父さんの知り合いと合流して、お父さんお母さんを助けに行くんだぞ」

「うん」

 俺はニコだけでなく自分自身にも確認するように断固とした口調で言った。



 その時だった。

『パキッ』

 右手の闇の中で小枝が折れるようなかすかな音がした。俺は飛び上がりそうになった。隣に座っていたニコはもう既に俺の腕にしがみついている。

 俺はゆっくり立ち上がってそっちを睨み付けた。また心臓がバクバクいっている。

 しかし闇は闇のままだ。目の前の焚き火以外には何の音もせず、周囲はシーンと静まり返っている。俺はもう一度腰を下ろした。何か小動物でもいたのかもしれない。

「ニコ、何か感じるか?」

「うーん、分かんない。でもやっぱり何かに見張られてるみたいな感じはする」

「そうか」

 やはりここはリラックスできる場ではないな。何か変な感じがする。妙な緊迫感が漂ってる。

 とりあえず荷物はきちんとまとめておいて、いつでも逃げ出せるように準備はしておこう。せっかくニコと二人きりの初めての夜だけど、ロマンチックな雰囲気は皆無だな。残念だ。



 それでもとりあえず睡眠はとらないといけない。まず先にニコに寝てもらい、俺がどうにも眠くて起きていられなくなったらニコを起こして交代、ニコがまた眠くなったら俺を起こして交代、そういう風にすることにした。

 しかしいきなり寝ろと言われてもニコはなかなか寝付けないようだった。枯れ枝を敷き詰めて作ったベッドの上でごそごそ寝返りを繰り返している。

「ソウタ、あのね、ソウタにもたれて寝てもいい?」

「ああ、いいよ」

 結局、俺のすぐ隣に寄ってきて俺の肩にもたれた姿勢になった。

 でもそれが一番寝やすかったんだろう。ニコはまもなくすーすー寝息を立て始めた。昨夜あんまり寝てなかったからな。眠かったはずだ。

 そのうち彼女は本格的に眠りに落ちたのだろう、身体の力が抜けて、それなりにずっしりした重みが俺の肩にかかってきた。

 これが電車のシートで隣のオッサンに寄りかかられてるんだったら肘で小突いてやるところだが、今、俺の肩で眠っているのは可憐な美少女だ。俺は身動きもせず、ひたすら彼女が良い夢を見られることを祈った。



 しかし昨夜あまり寝てないのは俺も同じだ。眠い。強力に眠い。でも、ニコも今さっき寝入ったばっかりだ。まだ交代するわけにはいかない。もうちょっと寝かせてやらないと可哀想だ。

 寝ちゃいけない、寝ちゃいけないと思いつつ、だんだん俺のまぶたも下がってきた。

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