音痴の俺が転移したのは歌うことが禁じられた世界だった

改 鋭一

文字の大きさ
上 下
1 / 123
第一幕 歌のない世界

序曲 ~走馬灯~

しおりを挟む
 つい、いい気になって歌ってしまったんだ。俺の悪い癖だ。おだてられるとすぐその気になってしまう。

 畑を耕しながら無意識に鼻歌を口ずさんでたら、横にいたニコが、元から大きい目をさらにパチクリさせて、

「えっ!? 今の何? もういっぺん歌って! もういっぺん歌って!」

 って、すごい食いつきだったからさ。つい新作のラブソングを披露してしまったんだ。

 俺は音痴だ。

 作曲や楽器の演奏センスはそんなに悪くないと思うんだが、歌はダメだ。本当は歌うことが大好きなのに、歌うと必ず音程を外す。前の世界では、この音痴のせいでいろいろ苦労した。

 しかしこっちの住人で歌というものを知らないニコには、俺が音痴だって分からないはずだ。現に今も、うっとりした表情で聴き入ってくれてる。

 すっかり良い気分になって、最初は小声で歌うつもりだったのにだんだん声が大きくなってしまった。

 久しぶりだ。誰かの前で歌うのは。ああ、やっぱり歌うって気持ちが良いな。



 しかし、ささやかな愉しみの代償は大きかった。

 Aメロ、Bメロからサビに入り1フレーズだけ歌ったところで、ごおっと冷たい風が俺の顔に吹きつけた。

 !?

 びっくりして歌うのを止めた。

 さっきまで晴れわたっていた秋の青空がにわかに黒雲に覆われ、周囲が暗くなったかと思うと、音を立てて大きな雨粒が落ちてきた。

 な、何だ? 何だ?

 辺りをキョロキョロ見回していると、いきなり、畑の端にある柿の木に大きな火柱が立った。

『どしゃあああああああああん!!』

 とんでもない閃光と轟音と地響き。

「きゃあああ!」

 ニコは悲鳴を上げてその場にうずくまった。

「大丈夫か!?」

 駆け寄ろうとしたが……足がおかしい。こむら返りを起こしたみたいに筋肉が強張ってる。駆け寄るどころか、足がもつれてニコの横にどうと倒れ込んでしまった。

 それでも土まみれの顔を上げて

「ニコ、大丈夫か!?」

 声をかけるが返事がない。

 その名の通りいつもニコニコと可愛いニコの顔が、恐怖で引きつっている。全身をがくがく震わせ、俺の背後の一点を見つめている。

 何だ? どうしたんだ?

 言うこと聞かない身体を無理矢理ねじって後を振り返った。そこには変な生き物がいた。



 人の背丈ほどもある大きな黒い鳥……いや、鳥じゃないな。

 黒い大きな翼を持ち、下半身も真っ黒な羽毛に覆われている。しかし、その上半身は人間だ。なんと、裸の美女だ。

 顔立ちはギリシア彫刻のような美人なのに、眉間にしわを寄せ、口元に嘲笑を浮かべたその表情は、見る者をなんとも言えず不快な気持ちにさせる。

 裸の胸には当然乳房があり、ちらっと見たところ結構な美乳なのだが、色っぽさは欠片も感じない。エロよりグロだ。不気味さが圧倒的に勝っている。

 何だこいつ。いつの間にこんな所に?

 その変な生き物は翼をたたみ、こちらに一歩二歩近寄りながら、甲高い声を出した。

「きひひひひ! 下っ手くそな歌と思ったら、何だガキか。親の教育がなってないね。どうせロクな大人になるまい。今のうちにこの世から消してやろう」

 そして何やら歌のようなものを一節歌った。

「来たれよ光 来たれよ光 走り走りて貫き通せ~♪」

 その途端にまた、

『ばっしいいいいいいいいいいん!!』

 すぐ至近距離でとんでもない閃光と轟音が響き、俺たちは悲鳴をあげて地面から数センチ飛び上がった。全身がびりびり痺れて動けない。

 そうか、これは魔法だ。

 こいつが、この気持ち悪い鳥女が、魔法で雷を落としてるんだ。歌……今の歌が魔法の詠唱みたいになってたのか?

 それにしてもこいつ……こいつは本物だ。本物の魔物だ。

 話には聞いてたが、本当にこんな奴がこの世界にはいたんだ。



 混乱する俺の横ではニコが、可哀想に、うずくまったまま泣いていた。何とか、何とか、この子を守らないと。

 強張った身体を無理矢理動かして、俺はニコの上に覆い被さった。意味はないかもしれない。でもちょっとぐらいは防御になるだろう。

 そして顔を上げて鳥女を睨み付ける。怖い。怖い。それに気持ち悪い。

「きひひひひ! お前何やってんだ? そのメスガキをかばうのかえ? きひひひひ! じゃあ仲良く一緒に黒焦げになりな!」

 そしてまたさっきの歌のようなものを歌い始めた。

 俺は死を覚悟した。

 走馬灯っていうのか? 観念して目を閉じた俺の頭の中を、この世界に来て1年の出来事が足早に駆け抜けて行った。



 そうだ。始まりもこの場所だったんだな。

 この世界に転移して畑の真ん中でぶっ倒れてた俺を、農家の一人娘であるニコが見つけてくれた。そして父親のジゴさんが、かついで家に連れて帰ってくれたんだ。

 すぐに意識は戻ったが、言葉も通じず、ここがどこかも分からない。自分が異世界に転移したと理解するまで、まる1日はかかったな。

 だって、神様がチート能力を授けてくれる場面とか、お約束のステ振りの場面とかあったらすぐに気付いたんだろうが、前の晩、普通にベッドで眠りにつき、目覚めたらもうこっちの世界だったんだ。



 俺はニコの家族と身振り手振りでコミュニケーションしながら、この世界のことを少しずつ知った。

 異世界かよ!

 当然ながら剣と魔法のファンタジー展開を期待した。そりゃもう、大いに期待してワクワクした。

 しかし。

 ここはいろいろと残念な異世界だった。異世界に当たりハズレがあるなら、ハズレだな。

 ここには魔法なんてない。剣はあるが普通の剣だ。魔物なんて、この1年見たこともなかった。

 ただ、電気やガスはないし、当然ネットもない。その辺だけは異世界のテンプレをきっちり押さえている。つまりファンタジーでもなんでもない、ただの中世ヨーロッパ風、田舎暮らしだ。

 そして俺にはチートどころか何の能力もなかった。

 いろいろやってみたさ。でも何をどうやっても魔法なんか使えない。手から水弾を出せるわけでもない。空を飛べるわけでもない。がっかりだった。



 ない、ない、ないのついでに、この世界にはもう1つないものがある。

 それは歌や音楽だ。

 いや、歌や音楽が『無い』というのは正確ではないな。歌や音楽は『禁じられて』いるんだ。

 この大陸を支配している悪しき王『黙呪王モクジュオウ』が、歌や音楽を奏でることを厳しく禁じており、大陸のどこであれ、歌ったり楽器を奏でたりすると、その地獄耳にキャッチされ、瞬時に魔物が放たれ殺されるという。

 歌うと殺される……人々のビビり方は尋常じゃない。音楽は絶対の禁忌だ。人はみな、どんな時でも歌うことを避け、息を潜めて生きている。

 実際にはちょっと鼻歌を歌ったぐらいでは何事も起こらないんだが、目の前でやると温厚なジゴさんや奥さんのナギさんでも「それだけは止めて!」と血相を変えるぐらいだ。

 歌や音楽がない世界。

 県立高校軽音部のトップバンド『ネイルヴェイル』のベーシスト、そしてソングライターだった俺、神曲奏太カミガリ ソウタにとってはあり得ない世界だ。

 何せ俺にとって音楽は空気みたいなものだ。物心ついた時から当たり前にそこに存在し、それを呼吸しながら生きてきた。俺にとって音楽抜きの生活なんか想像もできなかった。



 それでもこの世界に来て1年間。

 農作業だの家事だの、この家の手伝いをしながら、音楽抜きでやってきた。言葉もどうにか通じるようになった。

 音楽抜きの生活に耐えられたのは、ひとえにニコのおかげだ。

 童顔なので幼く見えるが、実際には15歳の立派なレディーだ。この世界ではもう結婚できる年齢らしい。

 ウェーブした茶色い髪にパッチリした大きな目。少し青みがかった灰色の瞳。真っ白で広い額にちょっと太い目の眉。上品な鼻と口。きゅっと締まった顎。

 ニコという名前は偶然の一致だろうが、本当に笑顔が最高に可愛い、癒やし系の美少女だ。ちょっと天然で空気の読めないところがあるが、そこがまたキュートだ。

 そんな女の子が何故かソウタ、ソウタと俺を慕ってくれる。

 一時期ちょっとホームシックになりかかったが、それもニコの笑顔を見てると吹き飛んでしまった。

 もういいかな。元の世界に戻らなくても。

 ちゃんとした音楽がないのは残念だが、鼻歌で我慢するか。

 何で転移したのか分からないが、別にそれを突き止めないといけないってこともないだろ。

 このままニコの家に婿入りして田舎のスローライフを満喫できるなら、その他もろもろは我慢できそうな気がする。

 母ちゃん、姉ちゃん、バンドのみんな、俺はこっちの世界で幸せになります……そんなことも考え始めてたんだがな……



 うっかり歌ってしまった。

 これまで鼻歌ぐらいなら大丈夫だったんで油断した。調子に乗って堂々と歌ってしまった。

 そうか。歌うとこんな恐ろしいことになるんだ。魔物が来て惨殺されるというのは本当だったんだ。だからみんなあんなにビビってたんだ。

 っていうか、やっぱりあるんだ、魔法。

 ひょっとしたら剣術の方でも、最強の魔剣とか、あるのかもしれない。

 馬鹿だな俺は。こんな訳の分からない世界で、魔法も剣術も何しに来たのかも分からないうちに死ぬのか。こんな気持ちの悪い化け物に殺されるのか。

 しかもニコを巻き込んでしまった。

 ニコ、ごめん。本当にごめん。助けられなくってごめん。何もできなくってごめん。

 ん?

 いや、待てよ。まだできることがあった。

 そうだ、謝罪と命乞いだ。

 もうこうなったらいい格好する必要もない。地面に張り付いて、土下座して、謝って、ニコの命だけでも助けてもらおう。歌ったのは俺だ。悪いのは俺だ。

 しかし土下座ってこっちの世界で通用するのか? わからない。でも、やれるだけやってみよう。とにかくまず謝るんだ。

 ……っていうか、あれ?

 長い走馬灯だな。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

能力値カンストで異世界転生したので…のんびり生きちゃダメですか?

火産霊神
ファンタジー
私の異世界転生、思ってたのとちょっと違う…? 24歳OLの立花由芽は、ある日異世界転生し「ユメ」という名前の16歳の魔女として生きることに。その世界は魔王の脅威に怯え…ているわけでもなく、レベルアップは…能力値がカンストしているのでする必要もなく、能力を持て余した彼女はスローライフをおくることに。そう決めた矢先から何やらイベントが発生し…!?

気づいたら美少女ゲーの悪役令息に転生していたのでサブヒロインを救うのに人生を賭けることにした

高坂ナツキ
ファンタジー
衝撃を受けた途端、俺は美少女ゲームの中ボス悪役令息に転生していた!? これは、自分が制作にかかわっていた美少女ゲームの中ボス悪役令息に転生した主人公が、報われないサブヒロインを救うために人生を賭ける話。 日常あり、恋愛あり、ダンジョンあり、戦闘あり、料理ありの何でもありの話となっています。

本当の仲間ではないと勇者パーティから追放されたので、銀髪ケモミミ美少女と異世界でスローライフします。

なつめ猫
ファンタジー
田中一馬は、40歳のIT会社の社員として働いていた。 しかし、異世界ガルドランドに魔王を倒す勇者として召喚されてしまい容姿が17歳まで若返ってしまう。 探しにきた兵士に連れられ王城で、同郷の人間とパーティを組むことになる。 だが【勇者】の称号を持っていなかった一馬は、お荷物扱いにされてしまう。 ――ただアイテムボックスのスキルを持っていた事もあり勇者パーティの荷物持ちでパーティに参加することになるが……。 Sランク冒険者となった事で、田中一馬は仲間に殺されかける。 Sランク冒険者に与えられるアイテムボックスの袋。 それを手に入れるまで田中一馬は利用されていたのだった。 失意の内に意識を失った一馬の脳裏に ――チュートリアルが完了しました。 と、いうシステムメッセージが流れる。 それは、田中一馬が40歳まで独身のまま人生の半分を注ぎこんで鍛え上げたアルドガルド・オンラインの最強セーブデータを手に入れた瞬間であった!

30代社畜の私が1ヶ月後に異世界転生するらしい。

ひさまま
ファンタジー
 前世で搾取されまくりだった私。  魂の休養のため、地球に転生したが、地球でも今世も搾取されまくりのため魂の消滅の危機らしい。  とある理由から元の世界に戻るように言われ、マジックバックを自称神様から頂いたよ。  これで地球で買ったものを持ち込めるとのこと。やっぱり夢ではないらしい。  取り敢えず、明日は退職届けを出そう。  目指せ、快適異世界生活。  ぽちぽち更新します。  作者、うっかりなのでこれも買わないと!というのがあれば教えて下さい。  脳内の空想を、つらつら書いているのでお目汚しな際はごめんなさい。

神々に見捨てられし者、自力で最強へ

九頭七尾
ファンタジー
三大貴族の一角、アルベール家の長子として生まれた少年、ライズ。だが「祝福の儀」で何の天職も授かることができなかった彼は、『神々に見捨てられた者』と蔑まれ、一族を追放されてしまう。 「天職なし。最高じゃないか」 しかし彼は逆にこの状況を喜んだ。というのも、実はこの世界は、前世で彼がやり込んでいたゲーム【グランドワールド】にそっくりだったのだ。 天職を取得せずにゲームを始める「超ハードモード」こそが最強になれる道だと知るライズは、前世の知識を活かして成り上がっていく。

夢幻の錬金術師 ~【異空間収納】【錬金術】【鑑定】【スキル剥奪&付与】を兼ね備えたチートスキル【錬金工房】で最強の錬金術師として成り上がる~

青山 有
ファンタジー
女神の助手として異世界に召喚された厨二病少年・神薙拓光。 彼が手にしたユニークスキルは【錬金工房】。 ただでさえ、魔法があり魔物がはびこる危険な世界。そこを生産職の助手と巡るのかと、女神も頭を抱えたのだが……。 彼の持つ【錬金工房】は、レアスキルである【異空間収納】【錬金術】【鑑定】の上位互換機能を合わせ持ってるだけでなく、スキルの【剥奪】【付与】まで行えるという、女神の想像を遥かに超えたチートスキルだった。 これは一人の少年が異世界で伝説の錬金術師として成り上がっていく物語。 ※カクヨムにも投稿しています

転生したら最強種の竜人かよ~目立ちたくないので種族隠して学院へ通います~

ゆる弥
ファンタジー
強さをひた隠しにして学院の入学試験を受けるが、強すぎて隠し通せておらず、逆に目立ってしまう。 コイツは何かがおかしい。 本人は気が付かず隠しているが、周りは気付き始める。 目立ちたくないのに国の最高戦力に祭り上げられてしまう可哀想な男の話。

転生したら死んだことにされました〜女神の使徒なんて聞いてないよ!〜

家具屋ふふみに
ファンタジー
大学生として普通の生活を送っていた望水 静香はある日、信号無視したトラックに轢かれてそうになっていた女性を助けたことで死んでしまった。が、なんか助けた人は神だったらしく、異世界転生することに。 そして、転生したら...「女には荷が重い」という父親の一言で死んだことにされました。なので、自由に生きさせてください...なのに職業が女神の使徒?!そんなの聞いてないよ?! しっかりしているように見えてたまにミスをする女神から面倒なことを度々押し付けられ、それを与えられた力でなんとか解決していくけど、次から次に問題が起きたり、なにか不穏な動きがあったり...? ローブ男たちの目的とは?そして、その黒幕とは一体...? 不定期なので、楽しみにお待ち頂ければ嬉しいです。 拙い文章なので、誤字脱字がありましたらすいません。報告して頂ければその都度訂正させていただきます。 小説家になろう様でも公開しております。

処理中です...