駅で死神と会う

改 鋭一

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再び、駅で

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 もう1日だけ、生きる。その日のこと、今日のことだけ考える。

 その言葉を杖に1日1日をつなぎ合わせて半年ほど。電車に飛び込むことなく、何とかやって来られた。

 しかし3ヶ月後に迫った未来が容赦なく今日に侵入してくる。成績は伸びない。それでも受験校は決めないといけない。母親からは毎日叱咤激励の電話やメッセージが来る。

 夜は眠れない。といって昼に寝てる場合じゃない。一日中常に心拍数は高く、ハアハアと浅い呼吸だ。一時は元気を取り戻した私だったが、未来に浸食され、またじりじりと病んできた。

 あの時もらったお茶のペットボトルは、綺麗に洗って机の前に置いてある。お守り代わりだ。

「死神さん、やっぱり私、無理かも」

 目に涙を浮かべながらペットボトルに話しかける……決めた。明日また駅に行こう。



 あの時と同じパーカーでフードを深くかぶる。ホームの一番先のベンチに座り、うつむいたまま待つ。

 お願い。死神さん、来て。来てくれないと私、また特急に飛び込みたくなる。お願い、来て。

 泣きそうになりながら待つこと1時間ぐらい。

「あれ? 君、前にも会わなかった?」

 懐かしい声がした。白髪交じりの頭。細い目の笑顔。来てくれた。死神さんだ。良かった。また会えた。

 その途端、どっと涙があふれ出してしまった。違う。違う。泣くために来たんじゃない。

「隣、座っていいかい?」

 返事をしようとするけど声がかすれてる。コクコクとうなずく。

「大丈夫?」

 目の前にポケットティッシュが差し出される。いや、ティッシュなら持ってる。慌てて自分のを引っ張り出し涙を拭う。

「残念ながら今日も君はリストに載ってない。死なせるわけにはいかないよ」

 うん。それは分ってる。もう一度コクンとうなずく。

「前に会ったのはいつ頃だったっけ?」

「……5月20日です」

 何とか声を絞り出す。

「おお、よく覚えてるね。じゃあもう半年か。その間は何とかやってたんだね」

「はい、あの、言われた通り、1日1日、その日のことだけ考えて」

「難しかったかい?」

「はい」

「そうか。でも半年ってことは30日×6で180日。君は180回も辛い1日を乗り切ったんだ。よくがんばったね。それだけでも十分偉いよ」

「……」

 そんなこと言われるとまた涙がこみ上げてくる。

「で、今日はどうしたんだ? また死にたくなっちゃったの?」

 首を横に振った。

「でも結構ヤバい状態?」

 うなずく。

「そうかあ」

 死神さんはふうとため息をついた。



「君は確かそこの寮の予備校生さんだったよね。ということはお医者さん志望かい?」

 う、いきなりそこを突いてくる?

 確かに私が通ってるのは医学部進学をうたう全寮制の予備校だ。私が返事をできずにいると、死神さんはさらに答えにくいことを尋ねてきた。

「それは自分自身の志望? それとも誰かの意向?」

 私の父親は勤務医だが家庭のことには無頓着で、一人娘が医師になろうと何になろうとどうでもいい人だ。一方、元看護師の母親は、是が非でも私を医師にしたいらしく、幼い頃から教育虐待まがいの育て方をされてきた。

「あの、お母さんが……」

 口にするだけで、何故か恐怖感が襲ってくる。

「そうかあ」

 死神さんはそれだけで全て察したようにうなずく。

「君自身は別に医者なんかなりたくもない、でもお母さんに強力にプレッシャーをかけられて、ってとこか」

 その通りです。コクンとうなずく。

「お医者さんに、絶対なりたくない?」

「……そこまで嫌じゃないです」

 弱々しく首を振る。

 医師になりたくないってこともないが、正直、それほどの憧れもこだわりもない。メリットがあるとしたら、女医なら何かの理由で一人になってもどうにか生きて行けるかな、っていうぐらいだ。

 ただ、どっちにしても今の私の成績じゃ、ド田舎の地方医大でも合格は難しい。といってさすがに私立の医大に行くほどのお金はない。それにこんなメンタル弱くてダメな人間が医師になってやって行けると思えない。むしろ医師になっちゃいけない奴だと思う。

 だけど医学部以外は許されない。勝手に受験学部を変えたりしたら母親の方が電車に飛び込みかねない。この春、落ちた時だって散々泣かれたんだ。

 つまり医学部なんて行きたくもないけど、行かないといけない、成績足らないけど、合格しないといけない、ちゃんとした医師になる自信なんて全然ないけど、ならないといけない。幾重にも圧をかけられがんじがらめの状態だ。

「死神の私からするとね……」

 しかし彼は私の目を見て言った。

「君みたいな人にこそ、お医者さんになって欲しいなあと思うんだ」

 え? 私に? 何で?



「最近はねえ、死ぬ予定じゃないのに勝手に死んじゃう人が多くて、死神としても困ってるんだよ。ちょうど半年前の君みたいにね」

 それを言われると返す言葉もない。

「死ぬ予定じゃない人を止めるのは、本来はお医者さんの仕事だろ? 死神からすると、お前ら何やってんだよ! って気にもなるよね。例えば、君の周囲のお医者さんや医学生を思い浮かべてごらん」

 言われて自分の父親を思い出す。現役で医学部に行った同級生たちを思い浮かべる。

「彼らに、死にたい気持ちを、心の悩みを、打ち明けようと思うかい?」

 私は首を横に振った。

 父親は基本、他人に無関心だ。死にたい人を止めるなんて、そんなこと決してしない。断言できる。同級生たちも、みんな成績は優秀だけど、今ひとつ親しみを持てない。むしろうちの父親に近い人種だ。他人の悩みなんて笑顔でスルーするだろう。

「だろ? もし私がお医者さんにかかるとしたら、失敗も挫折も知らないエリート先生よりも、駅のホームで特急とにらめっこした経験のある先生の方に行くよ。ところが最近はどうだ。成績が良いから医学部に行く、食いっぱぐれがないから医者になる、そんな奴ばっかだ。痛みや苦しみを知らない奴に人の死を止めることはできないよ。だからね」

 死神さんはまた私の顔をのぞき込んで言った。

「君みたいな人こそ、お医者さんになるべきだ。泣きながら過ごした1日1日の積み重ねを患者さんのために使うべきだ。君ならきっと良いお医者さんになる」

 何故かまた涙がにじんでくる。

「……そ、そんなこと、何で分かるんですか」

「そりゃ、私は死神だからね。私のリストには君が将来助けるたくさんの患者さんの名前も書いてある」

「……あの、そのリスト、見せてもらってもいいですか?」

「あ、うっかり地獄に置いて来ちゃったよ。ふふふ」

 笑ってはぐらかされてしまった。

「……私だって、お母さんに言われるまま医学部受けてるだけで、食いっぱぐれがないとか思ってるし、人を助ける覚悟もないし、メンタル弱いし、そんな人間が医者になっても」

 そうだ、私なんて医者になったらダメなんだ。

「いや違うよ。今、君はそうやって悩み、苦悶してるだろ。それで十分だ。悩まない奴はダメだ。泣くほど辛い1日を180回も繰り返してきたんだ。今の君には十分、良いお医者さんになる資格があるよ」

「ううん……すいません。ちゃんと勉強しなかった日もありました。だらけてた日もありました」

「それそれ。そういう正直なところが君の良いところだ。評価高いよ。もし私が面接官だったら高得点つけるな」

 笑ってる。でもそれ、受験生には冗談にならないんですけど。



「それにね、もう一つ、君がお医者さんを目指すべき理由がある」

 何? それ。

「ここで君が諦めて別の道に進んだりしたら、きっとお母さんはずっと恨み言を言って君を縛るだろ? そして君はお母さんに罪悪感を植え付けられ、ずっと従属し続けるだろ? そこから逃げるのは大変だ」

 うん、確かにそうだ。きっとそうなるだろう。浪人しただけでもこんなに罪悪感を持たされてる。

「あと3ヶ月だけ、また1日1日、自分のベストを尽くしてごらん。そうすれば、結果はどうあれ、お母さんの呪縛から逃れるきっかけをつかめると思うよ」

 そうなんだろうか? 今の私にはイメージが湧かない。



 それでもしばらく死神さんと話すうち気分が楽になった。

 私は初めて、お医者さんになってもいいかな、お医者さんになってみたいかな、という気持ちになった。私が、こんな私が、誰かの役に立つかも……それは新鮮な考えだった。

「ありがとうございます」

 丁重にお礼を言って改札のところで別れた。死神さんは、前回と同じように、目を細めて手を上げ、そのまま雑踏に消えて行った。
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