逢いたい人がゾンビになって出てくる世界にて 

ハル

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幕間。風見総司は今日も実らぬ想いを募らせる。

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 開けて今日。昨日頑張ったから今日は24時間完全にオフを上から言いつけられてしまったわけです。風見です。おはようございます。正直言えばかなり眠い。僕はオフィス街ド真ん中にも関わらず波に逆行しながら大あくびをした。うう、もう結構高い位置に来ている太陽の光が網膜にチカチカする位に眠い。
 そんなに重くないショルダーバッグをかけていながらもなんとなく重心を前に傾けてスマホを取るとしっかり遠野くんからの通知が入っていた。『何かあったら連絡するから安心して寝てねー☆』と、通知だけで全文が読める工夫が凝らされた優しさ溢れる文体に思わず口の端が緩んだ。
 僕は一応ここの正社員で、遠野くんはゾンビハンターという個人事業主だから僕には来なくても遠野くんには行く連絡がある。いやー流石ハンターの先輩だなあ。僕がどんなテイでも狩りに行く理解があるのは助かりがすごい。
 だから安心して休める。何かあれば絶対連絡が来るという方が精神的に安心出来る。というのが僕の思考回路だ。……まあ、遠野くんが現場のリークをくれるのを一ノ瀬さん当たりは知ってそうなんだけどね。ここは学生時代からのつきあいの長さがモノを言うものだ。一定許して欲しい。

「っと、そろそろオープンするぞ急がなきゃ」

 とはいえ折角のオフだ。オフと言われれば僕のすることは確実に確定して行く場所がある。ここ暫く仕事が立て込んでて中々顔を出せなかったから実質三週間ぶりになるかなあ。そこに行く為にここ周辺で一番おいしいと言われている洋菓子屋さんのオープン時間を狙って手土産を買い『そこ』に向かうんだぁ。それの為なら多少の眠気も問題ないってもんだよ。今日は何がいいかなあ。

「こんにちはー」
「いらっしゃ……ああ風見さんですね、いつもお疲れさまです」

 素敵な外装のお洒落なお店にオープン一番で入っていくと、いつもの店員さんが素敵な笑顔でお出迎えしてくれた。なんなら月2~3で通ってるし特別な日とかにはケーキも予約注文したりするから完全に僕を把握されてしまってる。しかも朝イチ、しかもそれが仕事明けだから覚えられる条件は十分に揃ってるとはいえやっぱりちょっと恥ずかしいかもしれない。

「あはは、なんか久しぶりになっちゃって」
「いえいえ、いつも急がしそうですもんね。今日はどうしますか?」 
「そうだなぁ……あ、新作とかあります?」
「そうそう、レモンやお抹茶のフィナンシェと……そうだ。他にはチョコミントケーキが期間限定で始まりましたよ」
「あーいいですねえそれ! それ全部入れて他お任せで4人分位ををお土産で包んでもらっていいですか?」
「はい、いつものですね」
「その通りです、はは」

 そう言うと店員さんはよりいい笑顔を見せてすっとケースの奥に移動していった。こんなフランクな会話でお任せまでしておいて覚えられてて恥ずかしいと思う方が烏滸がましいか。

「保冷剤、いつもより多めに入ってるので気をつけて下さいね」
「いつも有難うございます、また宜しくお願いします」
「ええこちらこそ、ではお気をつけて」

 結構大きなサイズになった箱を丁寧に受け取りって僕は店を出た。お買い物としての時間はほんの少しだった筈なのにそれだけで角度を変えた太陽が僕の顔面に強烈な光をぶつけてきて一瞬瞼を強めに閉じるくらいだった。なんか今日はもうこの時点で太陽が高くなってんの? しかもなんかじわじわ暑いまであるなあ? 
 まあいいや。徹夜明けの直射日光はいろんな意味で眩しすぎるけど、この美味しいと評判のお菓子を持っていればそれだけで心も身体も弾むってもんですよ。
 そう。僕は一日休みになれば大体『いつもの場所』にこのお土産を持って向かうのが定例になっている。いつもの場所といえばいつもの場所なんだけど、それこそその場所は学生時代からずっとお世話になっている場所だ。
  
「……しかしちょっと久しぶりだけど、先輩無事かなあ?」

 僕は直射を避ける様に、極力建物の影になる場所を狙って歩きながらふわふわとそんなコトを考えていた。うーん。自分という存在が先輩のあれやこれやの抑止力になるかなんて未だ解らないけど。ていうか、抑止力にならないという方にストレスまであるから僕は日光にも負けなかった筈の眉間に皺を寄せてしまう。
 僕が向かう場所。それは学生時代から通っている場所。……大好きな先輩が働いている場所。そこは当時から今も変わらずそこにあり、関わるメンバーも変わっていない、とても貴重な場所だ。全く。先輩が数奇な縁でそこの部署の人と関わって、僕も先輩から紹介してもらう形で関わって、遠野くんも一緒になって関わって。……そう考えると相当長い時間になったなあ。僕も自分の歳を考えるとそわそわする様になるもんだ。
 強いて変わった事と言えば僕たちは学校を卒業してから各々の道に進んだりした位だ。僕は学者兼アレだったり遠野くんは調理師兼配信者件アレだったり。……位かなあ。先輩はそこのバイトから正社員になり、先輩の上司にあたる人はそのまま昇進する形でどうこうだったりだから……ここはあまり変わらないか。
 ……ただ。どうしても変わってほしいのに変わってもらえていないものがあるのがずっと僕の心の中でチリチリと焦げ目を作ってくるから厄介厄介。どうしたもんかなあ。

「……っと」 

 そんな事を考えていたら着いていた。ふ、とひと息ついてそのビルを見上げた。ここは仕事先からも、今は無き母校からも程良く近い距離にある、大通りから一本ずれた場所に建つそこそこ老舗になってきた5階立てのビルだ。最近外装工事もあったお陰で見た目は新築そのもののそれは見上げるだけで迫力を感じる。
 中の構造といえば、一階がショーウインドウに映える管楽器や弦楽器と受付、二階にはよりランクの高い楽器、三階にはピアノに防音室、4階はバンド関係……という、結構ではなくかなり立派な楽器屋さんである。英才教育用や吹奏楽部も軽音楽部も対応可能な品揃えで常に何かしら誰かがいる場所だ。ていうか平日の昼前なのに制服姿のヤツがいるんだがいいのか?
 僕はもう知った顔でそのばかでかい自動ドアをくぐり、知った顔ですぐ隣にあるエレベーターの上ボタンを押す。するとすぐにチーンと機械音が鳴って目の前のドアが開く。ラッキーラッキー。意気揚々と中に入って『5』を押し、急かす気持ちで閉まるボタンを連打していた。

「久しぶりだなー楽しみだなー気に入ってもらえるかなー」

 そして。
 ……無事かな。
 あんまり連絡もマメじゃないその人の事を、僕は一生追いかけているんだ。
 けどここに来れば逢えるだけでもいいじゃないか。なんて仕事柄考えてしまうケースも多いんだけどね。あーあ。惚れた弱味。罪深い。誰が? 何が? なんだろうね。
 そんな事を考えるだけでエレベーターはノンストップで僕を5階まで運んでくれた。さっきと変わらずチーンという音と共にドアが開くと、また直ぐに大きな壁の様なドアが目の前に出てくる。その重厚なドアに縦に入った摺りガラスの向こうで人の気配を感じる。うん、今日もきちんと揃っていそうだ。
 防音設備が整ったそこは、所謂受注ミックスだったり音源制作だったりマスタリングだったりを一手に請け負うスタジオだ。最近じゃオリジナルCDを作る為のミックスよりも動画に使うカラオケ音源やオリジナルBGMを作る仕事が増えたそうで時代の流れを感じるよね。地味に遠野くんもここに何曲か依頼しているのを僕は知っている。
 立地や楽器屋としての知名度の割に価格もそんなに高過ぎる程もないのがいい所で、で学生でも頑張ればなんとかなる設定だから人の往来も結構あるけど今日は平日の午前中なのでそんなでもない、筈。
 さて。僕はその重いドアの取っ手を握り、一気に押し開ける。

「おはよーございます! お久しぶりです!」
「……あら」
「あ」 

 勢いよく入り込んだ僕。そこには2人。いつもの2人が僕を追視した。

「確かに一寸お久しぶりね、風見くん」

 一人は今日も背筋が伸びてて格好いいですね。シックなヒラヒラ服にアッシュグレイのショートカットと眼鏡がとても良く似合うお姉さま的存在、霧島深琴様様が小さく微笑みながら腕を組んで僕を観ていた。いや、正しく言うなら僕と僕の持ってきた箱かもしれない。
 そしてもう一人。……もう、一人。その人は今日もちゃんと『ここ』に居た。

「そうだな、一寸間があったけど……大丈夫だったか?」

 ソファに座ってノートパソコンを開いていたその人が僕を見上げる形でこっちを向いて首を傾げた。モノラル系のシャツとベストに身を包み、横をアシンメトリーに切り揃えた髪型に前髪を多めにとったその顔は折角整っているのに角度によればやや見えにくいんだああ勿体ない。やや切れ長の眼は僕を見つつもその色には余り生気が無いのも心配だしあとそのか細い身体はいつになったらもう少し脂肪をつけてくれるのかも不安になるんだ僕は。

「僕は大丈夫ですよ? なんにも心配ありませんって」
「じゃあこの前作って来たあの怪我はどうなってんだ?」
「あれはもう治りましたし、傷口もたいしたものでもないです」
「そうか? ホントに実験中の不慮の事故なのか疑いたくなったんだけど」
「それは先輩は心配するものじゃないですって、守秘義務含めちゃんとしてます」
「……まあ、それならいいんだけど……」

 当然だけど、僕はあくまでシエロ製薬のいち会社員として知られてはいるけど謎のイキカエリ事件含めたそっち関係は先輩方含め全一般人には一切伏せている。だから先輩にも、深琴さんにも僕の身体に変な生傷が絶えなくても実験中のなんやかんやだと誤魔化している。……時折無理がある怪我もあるけど、そんな時は多少ここに来るのを控えるなどしている。

「ま、それはいいですそれは。と言う訳でこちら差し入れですのでまた食べてください」
「……いつも有難、風見くん」
「新作も選んでもらったので、おやつに是非」

 僕はこれまた何時もの調子でお土産を深琴さんにお渡しする。というのもこの習慣は先輩の為というよりもここのボスでありフロアマネージャーであり先輩の上司様である深琴さんが大の甘いもの好きだから始まった習慣だ。ちなみに先輩は甘いものをあまり好まないタイプだけど深琴さんの影響や僕の差し入れの影響相まってそこそこ食べる様になったのでちょっといいもの買っていこうという僕の勝手な気遣いに拍車がかかったまである。
 まあ、それも大事な用ではあるんだけどね。大事なんだけど。

「で、寧ろ先輩はどうなんですか?」
「う」

 僕は両手がフリーになった事でさくさくと先輩の傍に歩いていく。まあこれも日常なんだけど、先輩は途端に顔が引きつった笑いを浮かべた。……またか?

「………………、まあ、見るまでもなさそうですけど。いつですか? 今回は」
「別に、お前には関係ないだろ」
「あるから言ってるんです、何回何年このやりとりしてると思うんですか」
「おいお前お前お」
 
 僕は先輩の前を意気揚々と超えて先輩の左側に強引に座り込んだ。三人がけのソファの真ん中に居た先輩をやや吹き飛ばす勢いでどっかり座って、そのまま先輩の左腕を軽く掴んだ。……もうね、それだけで解るのつらいよね。シャツの向こうに明らかに感じる包帯の気配。散々慣れてるとはいえど。

「待てってちょっとおい痛いって総司」
「痛い事自分でするからです。ちょっと見せてもらっていいです?」
「そんな深くはヤってねえって」
「とかいって、また縫合沙汰から逃げるつもりじゃないですか。何日前ですか?」
「…………、一昨日…………」
「はいはい。じゃあ見せてくださいねー」

 眉間に皺を寄せつつも、どこか全力で拒否する風じゃない先輩のシャツを少し強引に捲ると、手首の手前から肘にかけて約2周程巻かれた包帯が露呈した。血の滲んだ跡は無し。幾ら一昨日とはいえそれでも包帯貫通してる時もあるからここまでしないと先輩の状況は把握出来ないから困ったものなんだよね。
 僕は手際よく先輩が自分で巻いた包帯をひっぺがす。そこそこの長さのを剥いていけば…………、ああ、今回はカッターかな。まだうっすら血が滲んできそうな傷が10本程、そこそこの生々しさを持って現われた。一応多少手入れはしてあるっぽいけどテープ無しガーゼ無しのソレはあまりいい状況じゃない。全く。

「……まあ、貧血起こす程じゃないってところですね。後でケーキ食べて下さい」
「って、お前だってあれだけ傷作っておいて、何で俺のをそんな気に掛けるんだよ」
「僕はあくまで仕事の関係で傷を作ったりはしますが、先輩は自分で傷を作るんだから意味合いがまず違いますって。だから僕は気にしないでくれってあれだけ言ってるのに」
「……同じ傷だろ、こんなん」
「違いますー。ああでもここの傷少し深いからちゃんとテープしましょ」
「………………」

 全く全く。
 僕はバッグの中から『仕事』で使う消毒薬とガーゼ、そして抗菌剤付の医療用テープを取り出して先輩の傷の手当を行っていく。消毒が若干沁みるかもしれないけど、自分で傷を作る人からすれば些細な痛みでしょう。多少遠慮なく治療するのも…………そういえば
こういうやりとりだってどれ位前からだっけかな。
 か細い腕に浮く無数の白い傷跡、その傷跡の上にある赤い線、茶色い線、そこそこカラフルで凹凸のある腕を僕はそっと、マジナイでもかける様に手当をする。
 そうだね、先輩とはもう何年の付き合いになるっけな。社会人になって随分経つのに何故か先輩呼びが抜けない。
 この人……加賀誠先輩。
 僕と先輩の付き合いも長いけどその長さよりもっと長い間、この人はずっと自傷癖を持っている人だ。簡単に言えばメンヘラだ。世に言うところの死にたがりだ。
 更に言えば学生時代のあの時に比べればクリティカルヒットな傷は減ってきたけどどうにもヘキの文字面の様に悪習化しているのが正直いたたまれないでいる。……あまり出さないようにはしているんだけど。

「ていうか深琴さんからもなんか言って下さいってー」
「別に私は誠くんのクセには否定も肯定もしないわ。クライアントに見えない様にする気遣いさえあれば気にしないし、その方がいいって知っているから」
「……あはは、そうでしたね」
「そうだぞ総司。こういうのは下手に否定してくる方がよくないんだぞ」
「先輩がそれを言わないで下さい」
「ハイ」

 全く全くあー全くだ。
 ここのボスである深琴さんは当然先輩の癖は知っているし、なんなら先輩が『そう』だから、という縁があって学生時代にバイトで雇った経緯もあるそうだ。本当にこの世の中難しくも面白いって先輩の気分が明るい時に話していた事もある。
 ふと顔を上げると、深琴さんは僕が渡した箱を少し楽し気に事務所奥の冷蔵庫に仕舞っていた。ご自身の大好物である甘いものを持っている時だけほんのり嬉しそうな顔をするけれど、それ以外は仏頂面とも言える位に表情に変化がないのが凄いなと思う。
 とはいえこの深琴さんご自身の色々なことやプライベートな側面とかそういうの、実は僕はよく知らないままでいる。実際本人が語らないから聴かないだけなんだけど、そのクールな目元に素顔を隠す様な眼鏡の向こうでどんな事を考えているんだろうかと思う時は結構ある。音楽的な側面からの繋がりも深い先輩もこの人を師匠と崇めているし、僕も精神的な部分では全然頭が上がらないまである。不思議な人だ。うぬ。
 そして目線を先輩の左腕に戻す。いつもよりは確かにそこまでじゃないけどそれはあくまで本数なだけで、クオリティとしてよく見ればその深めのものがそこそこ深い。逆に言えば傷口からして恐らく市販のカッターで衝動にかられ……だろうけど、それで2本ここまで掘り込めるって相当なんですけど。
 つまり。……つまりってコトだ。寧ろ僕はそっちの方に嫌悪感を抱く。

「ていうか先輩。ちょっとデリカシー無い発言しますが、まさかまた何かありました?」
「自分でデリカシーって言うなって」
「だって、こういう傷があるって事はまた何か先輩を過敏にさせる様な事があったってコトでしょ」
「う」
「まさかまたアイツですか? アイツが何かしたんですか? 先輩が黙るならそっちで認識しちゃいますよ??」
「いやいや違う違う、気圧だ気圧。気圧鬱だ、たぶん」
「最近晴れ続きでしたけど? まあいいや、そういうコトにしてあげましょう」
「……ほんとお前、世話好きだな……」
「僕は先輩の色々を知っているからそう思うだけです」

 なんて交わしながらも、僕は内心だけで大きなため息をついていた。多分若干隠し切れない何かが鼻息になってしまった気がするけどまあ気にしないでいたい。
 だってさ。だってだよ? 多少わざとだけど『アイツ』というキーワードを持ちだした途端に、先輩の体温が上がったのを僕の掌が見逃す訳が無かった。嘘発見器なんか必要ないって位に先輩の挙動は何もかもを僕に教えてくれる。……あーもう。ほんとなんでなんだよ。素直に悪態をつきたくなる。なんでだよ。
 そんな内心の傷の様なものを想いながら僕は先輩の腕にある深い傷を引き寄せて閉じる形で二本テープ止めしてからハイドロコロイドパッドで覆う。今日は傷同士の間隔があるからコレが使えてラッキーだね。くそが。

「……総司、もしかしてキレてる?」
「怒ったら先輩のヘラみが悪化するって聞いたから今すごく我慢してます」
「素直だなお前……」
「…………、ええ、僕は素直なんです」

 他の傷にも同じように処置をして包帯を巻いていく僕は、今先輩がどんな顔をしているのかが怖くて見られなかった。……ああもう。なんて報われないんだ。多分先輩は今ちょっと顔を赤らめたりとかしたりしてるんだろ。解りやすすぎる人だから。
 なんとなくもやもやする感情を持て余す。この感情だって何年続いているんだろうね。
 なんて事を考えていると、嗅ぎなれている血と消毒液の匂いとは別にふわりと優しい匂いが間に入ってきた。

「風見くん、今紅茶を淹れたからそっちの処置が終わったら一緒にケーキ食べましょ。まだ次の予約まで時間あるから大丈夫よ」
「あ、ほんとですか。じゃあ頂きますー!」
「…………」

 ああこれが渡りに船か。多分そうなんだろう。深琴さんはそういう空気を読むのも上手い人だ。僕がなんとなくささくれ立った理由も原因も予測も多分『正解』だから気遣ってくれたんだろう。
 ほんとなんなんだろうね。僕は先輩の腕に包帯を巻きながら切なくなってきちゃった。
 僕は長いことこの人に恋をして。
 先輩は長いこと『アイツ』と呼んでる人間に恋をして。
 絶対に交わらない矢印関係をずっと続けている。
 全く。
 これに関しては遠野くんにもやや呆れられるレベルなんだけど、そもそも僕が遠野くんに今の仕事を紹介して貰ったきっかけにすら起因するからなんとも言えないもの、だそうだよ。それは僕本人が一番言いたい。
 互いが互いに報われない恋をしている。なんだこれ。

「ーーはい! 終わりましたよ! 今日はお風呂入っても2本分のパッドは剥がさないで下さいね! 予備は渡すので最高3日で交換してくださいね?」
「……はあい」

 僕が綺麗に丁寧に新品の包帯を巻き終わると、先輩は口を尖らせて袖を戻す。ややオーバーサイズが流行ってるのは知っているけど『そういう』意図で選ばれているのをデザイナーさんが知ったら多少は悲しんでくれるだろうかなー。手の甲までは伸ばさなかったから見事に隠れて下さった。僕ってどれだけ配慮のカタマリなんだろうね。

「さ、先輩もケーキたべましょ。無理になったら僕が貰いますから」

 そういえば紅茶の匂いで思い出したけど昨日の昼から固形物を食べていなかった事に気づいた。道理でお腹空いたって感じる筈だ。栄養補給ゼリーは2本位飲んでる筈だけどこういう時は歯で食べ物を感じたくなる。うーん僕って生きてるねー!
 僕がソファから立ち上がってフロア向こうにあるパーテーションの先に行こうとする。
 けど、何故か背中の気配が動かない。なんでェ。
 だから僕は振り向いた。どうしたんですかって言おうとした。

「総司」

 名前を呼ばれた。そこには今度はしっかり顔をあげた先輩いて。凄く珍しく真正面から目線を重ねる先輩のそのやや困った様な、神妙な面持ちの表情に僕の心臓が一回大きく跳ねた。待ってよここでもまたもう一回生を感じるじゃないですか。

「……な、なんですか、どうしました先輩。具合悪くなっちゃいました?」

 突然の生の実感に声が挙動不審になるも、僕はなんとか取り繕って首を傾げるとその表情はより陰る。なんでですかそれこそ。

「俺、あんまり伝わんないかもしれないけどお前の事きちんと心配してるからな」
「……え……?」
「今回のコレは本当に、自分の所為だから気にしないでくれ。……そしてお前も気を付けてくれな」

 そう言うと、先輩はすっと立ち上がって僕と並んだ。僕が学生時代の頃に追い抜いてしまった6センチメールの身長差で目線を合わせて、僕の腕をぽん、と軽く叩いてくれた。
 ……。
 先輩、僕を心配してくれてるの?
 いつも口うるさく自傷癖を叱咤叱責して先輩の想い人に良からぬ殺意のようなものとて持っている人間だよ? って。
 …………。
 ちょっとだけ、一瞬。
 泣きそうになった。

「…………っ、有難うございます。でも僕は大丈夫ですから。先輩を傷つけるものには凶暴になるかもしれませんけどね!」

 けど先輩にそんな顔は見せたくない。これは僕が絶対崩したくないプライドみたいなもんだ。色々と振り切って一気ににっこり笑ってそう言い切った。

「……まあ、それさえなけりゃいいんだけどな?」
「はは、性分です。だって僕は先輩を護る為に今ここにいる様なもんですから」
「ほんと総司は大袈裟だな……?」
「まあまあ、昔からそうじゃないですか」

 そう。このメンヘラの先輩を護る為に僕が僕であるんだよ。元を正せば僕が今の仕事に就いたのも『ソレ』が大本だ。……この人は、多分、覚えてないと思うんだけど。
 あの日、あの時、あの場所で起きた『惨劇』。
 こうしてみるとどこかで聴いたフレーズになるんだけど事実は事実なんだからしゃーなしでしょう?

「ほら、ケーキしましょケーキ。紅茶冷めちゃいますよ?」
「……ああ、そうだな」

 いっそここで手でも繋いでみる? なんて瞬間悪い想像なんかしちゃうところが僕のよくないところかもしれない。そんな事でもしたらまた先輩が余計な罪悪感とか抱えちゃう可能性があるからねお陰様ですっかりメンヘラの扱いには慣れてしまっているんですよハハ。だから僕はさっき先輩が触れてくれた箇所と同じ場所をそっと押して促す。

 ここには暖かい場所があって。暖かい人がいて。暖かい紅茶もお菓子もある。
 ……守りたいし、護りたい。それが大事なんですって。
 僕に促されて先輩も歩き出す。同じ部屋の移動でも隣合って歩ける幸せに浸りながら空腹感を癒す為に。ふたつみっつの幸せに穏やかな気持ちになりながら歩幅を合わせておいしいものを摂取しに向かった。


 
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