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娼婦とヤバいキス

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 ザイクスの腕の中で彼の服にしがみつくようにして子供のように泣いてしまった。声は何とか押し殺したものの、しゃくりあげたり鼻水が出たりと本当に子供のように泣いてしまった。
 こんなに泣いたのは久しぶりだ。娼婦の時に演技で泣いたことはいくらでもあるけれど、本気で泣いたのは本当に何年ぶりになるだろうか。
 目が腫れぼったくて頭がぼうっとしているのは酒のせいではなくて、泣いたためだと断言できる。

 結局ザイクスは宿の部屋に入るまで私を抱えたままだった。しかも安宿ではなく、この港町で一番じゃないかというくらいの高級な連れ込み宿に私を運び込んだ。金持ちが愛人と情事を交わす、一見連れ込み宿とはわからないような立派な建物。壁も厚く、何と風呂までついている。一泊するだけで金貨一枚もする宿なのに、数日分を前払いしたザイクスの金銭感覚がわからない。安宿なら銀貨一枚でも数日泊まれるというのに。

 傭兵稼業は意外と儲かるのか。

 あれから二人で寄り添うようにして少し眠ったため、夜はすっかり明けている。お風呂を頼めば、朝だというのにすぐに風呂に熱いお湯が満たされた。さすが町一番の高級宿だ。
 宿代を出しているザイクスが先に使うべきだと主張したが、後でいいと言われて先に使った。体と髪を洗えば、昨日の疲れもとれ、酒気も残っていない。
 鏡の前で丁寧に髪を梳かし、置いてある香油を肌に塗り込む。風呂で磨いた肌は香油によくなじみ、甘い香りを周りにまき散らす。この香油も使い放題で、もうこんなに上等な香油は使えないかもしれないと思って、これでもかと肌に塗りたくった。

 全身に塗り終わってバスタオル一枚だけを体に巻き付ける。そうしてベッドに腰かけてザイクスを待っている状況だ。
 手持無沙汰で部屋を見回す。 
 さすが一泊金貨一枚の高級宿。広い部屋には小さな鏡台とテーブルと椅子が二脚ある。部屋の隅には仕切りがあり、その奥にお風呂がある。今はじゃぶじゃぶと音をさせてザイクスが風呂を使っている。大きなベッドはふかふかで、掛けてあるシーツすらパリッと糊がきいていてさらりとした手触りだ。

 暗く狭い部屋にギシギシと音が鳴るようなベッド、粗末なシーツが敷いてあるような安宿とは全く違う。だいたい、安い宿はお風呂など用意してくれない。庭にある井戸で水を浴びるか、部屋まで運んでもらったタライの水で体を拭くかしかない。

 まさかの好待遇に笑みがこぼれる。

 そうして待っていると、ザイクスが風呂から出てきた。傭兵だからか男だからか、ザイクスが風呂に入っていた時間はごくごく短かった。なのにしっかりと髪まで洗ったようで、ざんばらの濡れた前髪を、面倒くさそうに太い指でかき上げる。そうすると眉と額があらわになって、その精悍な顔立ちがよくわかる。

 じっと見ている視線に気が付いて、ザイクスはニヤリと笑うとベッドに腰かける私の前に立つ。腰にタオルを一枚巻いただけの姿。そんなザイクスの頭から足先までを見つめた。

 濡れた黒いザンバラ髪、顔半分を覆う髭面。眉は太く目は鋭い。太い首、筋肉の張った肩。丸太のような腕。立派な大胸筋に割れた腹筋。太い足、筋肉の発達したふくらはぎ。
 その美しいとさえ思える肉体には、多くの傷跡があった。戦歴を表すかのような太刀傷や矢の刺さった跡。

「体中傷だらけね」
 思わず言葉にしてしまうほどの傷跡。しまったと思ったが、出てしまった言葉は取り消せない。気にしているだろうかと伺ってみれば、ザイクスはとびきりの笑顔を見せていた。
「俺にとっては勲章だ。この傷一つ一つが、幾度となく戦い勝ってきた証のようなものだからな」
 気にしているどころか、どの傷も自慢であるらしい。鼻歌でも歌いそうなほど上機嫌に傷跡を見せつけてくる。
「負け戦を勝ちに導いたこともある。この傷はその時のもので、こっちは百人切りをした時の跡だ。ロジーはこんな傷跡は嫌か?」
「別に私は気にしないわ。どちらかといえば気になるのは髭ね。色男が台無しだわ」
「髭が嫌か」
「嫌じゃない。ただもったいないと思っただけよ」
 眉や目元、鼻筋などを見れば、精悍な顔立ちをしているのがわかる。髭を剃ればもてるに違いない。
「髭がないと女どもがうるさいから剃ってないだけだ。俺は別に女が欲しくて男をやってるわけじゃない」
 妙な言葉にくすりと笑って立ち上がる。ザイクスに歩み寄れば自然と腰に手が回されて引き寄せられた。

「溜まってどうしようもなくなったら娼婦を買うが、それ以外は右手でこと足りる」
「私は右手の代わり?」
 おどけて聞けば、怒ったような瞳が真正面から私を捕らえた。
「違う。ロジーは自分から抱きたいと思った初めての女だ」
「そうれは光栄ね」
 ずいぶんと高く買ってくれているのだと思い微笑んで見上げれば、ザイクスはすうっと目を細めて私の頬に手が添えた。剣を握る傭兵の、硬く筋張った手だ。
「なに?」
「いや。ロジーは笑ってる方が可愛いと思って」
 言葉に目を丸める。私を表す言葉は大抵が美人や妖艶と言ったもので、可愛いと言われたことは一度もない。言われ慣れない言葉に思わず視線を逸らした。けれどすぐに顎に指がかかり上向かされる。黄色の瞳と間近で視線が絡み合う。
「そうやって笑ってろよ。ずっと」
「口説き文句みたいね」
「みたいじゃなくて、口説いてるんだ」
「私は簡単に口説かれるような安い女じゃないわよ」
「知ってる」
 ニヤッと笑って見せたザイクスに、私もにこりと笑んだ。するりと髭を撫でる。ザイクスが笑みを深め、自然と唇が近づいた。

 ゆっくりと合わさった唇。柔らかく、けれど口の周りを髭がもぞもぞと動いてくすぐったい。唇が重なって離れ、また重なる。優しくかすかな触れ合い。腰の回された腕に力が入る。私もザイクスの首に腕を回して抱き着いた。

「やばいな」
 口づけの合間にザイクスが呟く。
「何が?」
「キスだけでも気持ちいい。やめられねえ」
「やめなくていいじゃない」
「ほう。本当にいいのか?」
 一段と低い声が漏れ出てドキリとする。黄色の瞳が私を捕らえて放さない。頬から首筋に指が滑り降りていき、その仕草に背筋にぞくりと快感が走る。
「勝負に負けたんだから、何をされても文句は言わないわ」
「そりゃよかった。じっくりと楽しめそうだ」

 獰猛な笑みを浮かべたザイクスは、それこそ獲物を捕らえた猛獣のような瞳で私を見下ろし、再び口づけた。




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