麗しき蝶は黄金を抱いて夢を見る

久遠縄斗

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娼婦と野獣

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 食事も葡萄酒も値段の割においしかった。さすがにこれだけ賑わっている店なだけはある。
 私が食事をしている間中もアームファイトの馬鹿騒ぎは続けられていて、そのどの勝負も筋肉男が圧勝という結果に終わっていた。今はさすがに筋肉男に勝負を挑むものがいなくなってしまったのか、あの低くて乱暴な声は聞こえてこない。

 少しでも静かに食事ができるのはありがたい。

 食後に残った葡萄酒を飲みながらちらりと振り返ってみれば、テーブルの上の銅貨の山が二つになっていた。一山五十枚は下らないだろう。私の今日の食事が銅貨二枚ということを考えれば、男がかなり荒稼ぎしたことがわかる。

「他にはいないのか? なんだ、つまらん。今夜はこれまでか」
 筋肉男はぶつくさと文句を言いながらテーブルの貨幣を袋へと入れていく。ようやく馬鹿騒ぎが終わったとほっと息をついて視線を戻し、また葡萄酒を口に含んだ。酸味が舌を刺すが、鼻に抜ける香りは豊潤で豊かな味わいがある。
 私は酒に強いから、よほどのことがなければ酔うことはない。お酒も好きだし本当ならもっと飲みたいところだけれど、収入の当てがないのに散財するわけにはいかない。
 舐めるように少しずつ口に含んで、葡萄酒の味を楽しむ。

「マスター、酒をくれ!」
 私が葡萄酒をほんの少量口に含んだのと、筋肉男がそう叫んだのは同時だった。ずいぶんと近くから聞こえたと振り返れば、すぐそばに筋肉男が立っていた。近くで見ると、男はまるで壁のように感じられた。私も背は低い方じゃないけれど、体格の違いもあって筋肉男と比べると子供のように感じてしまう。クマのような、という表現がぴったりなのかもしれない。

 近くで見ると余計に暑苦しい。早く離れてくれと願いながら見ていると、私の視線に気づいた筋肉男の黄色い瞳がこちらに向いた。

 目が合う。
 驚きで見開かれるた黄色の瞳がギラリと光ったように見えた。そして一瞬ですっとすぼまった。ぎらつく好戦的な眼差しはそのままに、血に飢えた猛獣のような瞳。獲物を見つけたと言わんばかりの視線を向けられて、無意識に身構える。

「俺と勝負しないか?」
「はあ?」
 唐突な挑戦に、私は眉を吊り上げた。
 先程までのアームファイトは見ていた。私より何倍も腕力がありそうな男どもを相手にして圧勝していたのに、細腕の私が勝てるわけがない。
 荒稼ぎのいいカモだと思われたのか。女だからといって、男の言いなりになるとでも考えているのか。どれほど腕の立つ傭兵かは知らないが、私が男に屈っするなどと一瞬でも思われたのが腹立たしい。

 私は男を睨みあげた。

「なに? 挑戦してくる男がいなくなったからって、今度は女相手に勝負をふっかけるの? 力で女に勝ち誇って嬉しがるなんて、下等な男のやりそうな事だわ」
「気の強い女だな。ますます気に入った」
 ニヤリと笑った筋肉男の威圧感に、負けてなるものかと目に力を入れて筋肉男を睨んだ。しかし、筋肉男はそんな私の眼力などものともせず、首を振って私の隣に腰掛けた。
「あんたにアームファイトを挑むつもりはない。勝負方法はコレだ」
 男はマスターが運んできた酒の入ったグラスを掲げる。どうやら腕力ではなく、飲み比べで勝負をするらしい。

 一杯の葡萄酒を少しずつ飲んでいるから、酒に弱いとでも思われたのだろうか。私は先ほどの怒りを収め、目を細めた。

 いいカモなのは彼の方だ。

 私は酒には滅法強い。そんじょそこらの酒飲みなど相手にならないくらいの酒豪だ。多少食べたくらいで酒が飲めなくなるようなことはない。さらに筋肉男のテーブルには食事をしたような形跡はなかった。空きっ腹の男に飲み比べで負ける要素はどこにも見当たらない。

「私が勝てば何をくれるの?」
「稼いだ金の半分」
 銅貨一山。ざっと見ただけだが五十枚は下らないはず。金貨に直せば二枚以上。なかなか美味しい話だ。しかし、うまい話には大抵裏があるものだ。ここで簡単に勝負を受けて、あとで泣きを見るのはごめん被りたい。
「ずいぶんと気前がいいのね。それで? あんたが勝ったら倍額を出せとでも言うの?」
「俺が勝てば、お前をもらう」
 唖然として目を瞬く。
 私の一日の稼ぎがだいたい金貨一枚。その二倍の値段で私を一晩買おうというのか。うますぎる話に私が睨みあげれば、髭面の唇に笑みが浮かぶ。黄色い瞳は先ほどからずっと私から外れない。獲物に狙いを定めた猛獣のような鋭い瞳。
「ずいぶんと私を高く買ってくれるのね」
「そりゃあ、目の前にいる女を逃したくないからな。金くらい、いくらでも積む」
「…………」
「信用出来ないか? なら、こうしよう。今言ったように、お前が勝てば俺の稼ぎの半分を渡す。それに勝負が終わるまで、俺はお前には指一本触れない。この二つを約束する。おい、お前ら聞いてたなっ!?」
 最後の問いかけは店中に響く声で言い渡され、あちこちから応の声が返ってくる。
「約束を破れば、俺はここにいる全員から半殺しにされる。荒くれ者ばかりだ。悪くすれば命に関わる約束事だ。絶対に守る。それでも信用ならないか?」
 私は店内を見渡した。この状況を楽しんでいる感が満載だが、その目は期待に満ちている。筋肉男に金を巻き上げられた男達は、私を応援する気満々だ。

 もう一度筋肉男に目をやった。その姿は粗野で乱暴な印象を与えるが、その瞳は真摯で嘘をついているようには見えない。娼婦として養われた目は確かで、間違いなく筋肉男は約束事を守る人間だ。

 しかし、こんな都合のいい勝負があるだろうか。私が勝てばお金をもらえて、たとえ負けても一晩筋肉男に付き合うだけ。処女の御令嬢ならともかく、私は男に散々抱かれてきた娼婦だ。男性遍歴が一人増えるくらいどうということはない。
 この男は私が処女だとでも思っているのか。
 どちらにしても失われるものはなく、得るものは大きい。もっとも私は負けるつもりなど毛頭ないが。

「ここにいる全員が証人になるのね。わかったわ。その勝負、受けましょう」
 私は静かに告げてうなずいた。

 私の言葉に筋肉男は壮絶な笑みを浮かべた。




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