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第三章:身体と愛と涙味の……
(31)
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「……透さんだって……」
やりきれない思いが一気に押し寄せてきて、声が震えてしまう。俺は唇を噛み締めて、透さんを見上げた。
背中を向けて服の乱れを整えていた透さんが、ゆっくりと俺の方へ振り向いて……、それで漸く目が合った。
「……俺が、何?」
透さんの暗く冷えた眼差しと、抑揚のない冷めた声に、俺の心も凍りついていく。
「俺の事、好きでもないくせに……ッ」
本当はこんなこと、言いたくなかった。
自分の言った言葉に、胸が締め付けられる。
この感情が、怒りなのか、哀しみなのか、自分でも分からなかった。
「他に好きな人がいるのに、俺を抱いたくせにッ」
「……他に好きな人って?」
透さんは、一瞬考えるように眉根を寄せる。
「……いつも一緒にカフェに来ていた綺麗な人だよ! もう彼女は結婚したのに、まだ写真を部屋に飾ってて、昨日は腕を組んで歩いていたし……ッ」
そこまで言って言葉が続かなった。堪えていた嗚咽が漏れてしまいそうで。
ほんの数秒、二人の間に重い沈黙が流れた。
その空気を先に破ったのは、透さんだった。
「……直くん、あの子はそんなんじゃ……」
「だからっ!」
言い訳とか訊きたくなくて、なんか怖くて、気が付いたら透さんが言いかけた言葉を遮るように叫んでいた。
もう何がなんだか分からなくなってきて、さっき見た透さんの冷たい瞳で、これ以上何か言われるのが堪えられなくて。
俺はきっと臆病なんだ。子供なんだ。だから……もう……。
携帯を取り出して、透さんの連絡先を表示させる。
「……俺、もう、連絡しないっ、もう透さんには会わないっ」
透さんの目の前で 表示された連絡先を削除した。続いて受信履歴も全部消していく。
携帯を操作する俺の頭の上で、……わかった……と、小さく掠れた声が落ちてきた。
***
透さんが、コートを羽織り身支度をしているのを、俺は俯いたまま気配だけを追っていた。
「……ごめんね、直くん」
玄関で靴を履くと、透さんは俯いたままの俺に、静かに声をかけてきた。
「帰るね」
ドアのノブを回す音に、(ああ、行ってしまうんだ)って胸が苦しくなっているのに、顔を上げることも出来ないでいる。
外の喧噪が小さく聞こえてきて、ドアが少し開けられたのが分かる。
「直くん、最後に誤解だけは解きたいから言わせてね」
さっきまでの冷めた声じゃなくて柔らかい声音に、縋り付きたい衝動を抑えて、俺は更に俯いてしまう。
「……いつも一緒にカフェに行っていたのは、俺の妹だよ」
――え……?
聞き間違えたのかと、思わず顔を上げて、ドアから出て行く透さんを目で追った。
最後に俺の目に映ったのは、閉まる寸前のドアの隙間から見えた、透さんの憂いを含んだ瞳。
パタンと音を立ててドアが閉まってしまう。
立ち上がって、追いかけて、『今、なんて言ったの?』って、透さんの腕を掴んで引き留めたいのに……。
透さんの足音が階段を下りて段々小さくなっていくのを、俺は身動きもできずにただ耳で追っていた。
「ズボン……穿かなきゃ」
下半身に何も付けていない状態に、乾いた笑いが込み上げてくる。
立ち上がるとシンクに洗いかけの苺。
「一緒に食べようって思ったのに……」
ひとつ摘んで口へと運ぶ。
大振りの苺は一口では食べれない。
歯をたててかじると、甘い果汁が頬に飛んだ。
「なんかこの苺、しょっぱいよ、透さん」
指で摘んだ食べかけの残りを、口の中へ放り込む。
ポタポタと水滴が頬を伝って、シンクの中に落ちていった。
あれ?
俺、なんで泣いてんの。
哀しくなんてない。
哀しくなんてない、のに。
――透さんに貰った苺は、涙の味がした。
やりきれない思いが一気に押し寄せてきて、声が震えてしまう。俺は唇を噛み締めて、透さんを見上げた。
背中を向けて服の乱れを整えていた透さんが、ゆっくりと俺の方へ振り向いて……、それで漸く目が合った。
「……俺が、何?」
透さんの暗く冷えた眼差しと、抑揚のない冷めた声に、俺の心も凍りついていく。
「俺の事、好きでもないくせに……ッ」
本当はこんなこと、言いたくなかった。
自分の言った言葉に、胸が締め付けられる。
この感情が、怒りなのか、哀しみなのか、自分でも分からなかった。
「他に好きな人がいるのに、俺を抱いたくせにッ」
「……他に好きな人って?」
透さんは、一瞬考えるように眉根を寄せる。
「……いつも一緒にカフェに来ていた綺麗な人だよ! もう彼女は結婚したのに、まだ写真を部屋に飾ってて、昨日は腕を組んで歩いていたし……ッ」
そこまで言って言葉が続かなった。堪えていた嗚咽が漏れてしまいそうで。
ほんの数秒、二人の間に重い沈黙が流れた。
その空気を先に破ったのは、透さんだった。
「……直くん、あの子はそんなんじゃ……」
「だからっ!」
言い訳とか訊きたくなくて、なんか怖くて、気が付いたら透さんが言いかけた言葉を遮るように叫んでいた。
もう何がなんだか分からなくなってきて、さっき見た透さんの冷たい瞳で、これ以上何か言われるのが堪えられなくて。
俺はきっと臆病なんだ。子供なんだ。だから……もう……。
携帯を取り出して、透さんの連絡先を表示させる。
「……俺、もう、連絡しないっ、もう透さんには会わないっ」
透さんの目の前で 表示された連絡先を削除した。続いて受信履歴も全部消していく。
携帯を操作する俺の頭の上で、……わかった……と、小さく掠れた声が落ちてきた。
***
透さんが、コートを羽織り身支度をしているのを、俺は俯いたまま気配だけを追っていた。
「……ごめんね、直くん」
玄関で靴を履くと、透さんは俯いたままの俺に、静かに声をかけてきた。
「帰るね」
ドアのノブを回す音に、(ああ、行ってしまうんだ)って胸が苦しくなっているのに、顔を上げることも出来ないでいる。
外の喧噪が小さく聞こえてきて、ドアが少し開けられたのが分かる。
「直くん、最後に誤解だけは解きたいから言わせてね」
さっきまでの冷めた声じゃなくて柔らかい声音に、縋り付きたい衝動を抑えて、俺は更に俯いてしまう。
「……いつも一緒にカフェに行っていたのは、俺の妹だよ」
――え……?
聞き間違えたのかと、思わず顔を上げて、ドアから出て行く透さんを目で追った。
最後に俺の目に映ったのは、閉まる寸前のドアの隙間から見えた、透さんの憂いを含んだ瞳。
パタンと音を立ててドアが閉まってしまう。
立ち上がって、追いかけて、『今、なんて言ったの?』って、透さんの腕を掴んで引き留めたいのに……。
透さんの足音が階段を下りて段々小さくなっていくのを、俺は身動きもできずにただ耳で追っていた。
「ズボン……穿かなきゃ」
下半身に何も付けていない状態に、乾いた笑いが込み上げてくる。
立ち上がるとシンクに洗いかけの苺。
「一緒に食べようって思ったのに……」
ひとつ摘んで口へと運ぶ。
大振りの苺は一口では食べれない。
歯をたててかじると、甘い果汁が頬に飛んだ。
「なんかこの苺、しょっぱいよ、透さん」
指で摘んだ食べかけの残りを、口の中へ放り込む。
ポタポタと水滴が頬を伝って、シンクの中に落ちていった。
あれ?
俺、なんで泣いてんの。
哀しくなんてない。
哀しくなんてない、のに。
――透さんに貰った苺は、涙の味がした。
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