同級生と余生を異世界で-お眠の美人エルフと一途な妖狐の便利屋旅-

笹川リュウ

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東の国

86.王城エスケープ

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 伸ばされた手を取らず離れたことを重盛は怒るだろうか。
 真紘は、両手を擦り合わせながら白い息を吹きかける。
 もし自分が重盛から避けられるようなことになったら、胸が痛むどころの問題ではないだろうと考えていたはずなのに、アルマの悲痛な願いに共鳴した結果、重盛の制止を聞き入れず悲しませているのだから、本末転倒である。
 そんな中途半端な覚悟のまま飛び出してきたためか、深紅の翼を見失った。

「リンさーん……。どこに行ったんだろう。この辺りでさっと隠れられる場所なんて――」
 建物がひしめく足元ばかりを探していた真紘は、お手上げ状態になり空を見上げる。
「リンさんにも仕事で来ているとアルマさんは言っていたし、この街から出ている可能性は低い。僕が追ってきているのも気付いていたみたいだから突発的に一時的に隠れたはずだ。探されている状況で、僕ならどこに身を寄せる……? 」
 自ずと視線はこの街で一番高い建物に移る。
 アテナの王城で初めての感情に戸惑い、独占欲を知り隠れた場所は、王城で一番高い屋根の上だった。
 飛べる者のみに許された景色。あそこならば見つかる可能性はほぼゼロに近い。
 これも自在に飛べる真紘と、力業で解決した重盛を除いたこと。
 真紘はリンに勘付かれぬように気配と魔力を遮断して近づく。
 土地勘のないこちらからすれば、下手に街中に逃げ込まれるよりもかえって好都合だった。

 リンまで残り三メートル。真紘は左手をスッと振って、光の拘束輪を輪投げのようにスポンと投げる。
「キュエ……ッ⁉」
 捕らえられたリンは悲鳴を上げる。
 三角屋根の下は人二人が縮こまって座れるくらいのスペースがあった。
 やはり城の上は風が強い。
 こんなことならば重盛に髪を結わえてもらえばよかった、と真紘は耳に引っ掛かった髪を手で払いながら思う。
「手荒な真似をして申し訳ないのですが、少しお話しよろしいでしょうか?」
「ちょっ、うわあん! なんなんこの輪っか、鬼~ッ! ボクが力負けするとか信じられへん! 悪夢や! これも世代交代ってやつなん⁉」
 真紘は、喚きながらもぞもぞと芋虫のように動くリンの上半身を起こして、その隣に膝を畳んで座った。
「では、お隣失礼します」
「どーぞなんて言うてへんのに!」
 話す許可がほしいと言いながら、ノーの選択肢を提示しない真紘の強引さに根気負けし、リンは抵抗することを早々に諦めた。
「逃げへんから、この輪っか解いてなァ……」
「うーん……。その言葉を信じられるほどリンさんを知っているわけではないですし――」
「ボクも救世主やで⁉ あ、先輩って知っとった?」
「はい、伺いました。ですが、救世主であることが逃げないと約束を守る保証になるかと言われると、また別の問題で……」
「ギャァー! ケチんぼ! もうボクもうおじいちゃんなんよ、優しくしてえ~」
「ふふっ、冗談です。僕も先ほどそれで場を治めてもらったので、特別ですよ?」
 真紘も、ハーヴィーの信頼を救世主であることで得たため、リンの主張を跳ね返すことはできない。指をパチンと鳴らして光の輪を消した。
「おおきに!」
 意外にもリンは逃げることなく、胡坐をかいて上半身をかがめ、両肘を膝に置いて頬杖をついた。逃げないという言葉は本当だったようだ。
「手荒な真似してごめんなさい。痛みますか?」
「ううん、再会の挨拶もなく逃げたボクが悪い。謝らんで。そこは解いてやったぞお! アーハッハッハーッでええんよ」
「あの、鉱山でお会いした時より何と言うか……。大先輩にこんなことを申し上げるのは失礼も承知ですが――」
「かわええやろ?」
「ええ、はい。もっとミステリアスな方かと思っていました」
 可愛いと日頃から言われ続けている真紘からすれば、他称であれ自称であれ、可愛いは身近にあるため〝可愛い〟は、感情の引き出しの手前の方に存在する。
 実際、隣に並んでみると、リンは座っていても真紘よりも小柄であることが分かる。
 獣人の中でも飛ぶことに特化しているためか、元からの体型なのか、同じ獣人であっても重盛よりも筋肉質という感じではないため、可愛らしいと言えよう。
 まじまじと見つめてくる真紘の顔面の美しさにリンは息を飲む。
「あ、あのお、シミズくん? そこは自分で言うんかーいってツッコんでくれへん?」
「そうだ、それですよ! チャコットから王都に帰った後に入籍しまして、志水も間違いないのですが、重盛とともにタルハネイリッカの名を授かりました。同姓になりますので、よろしければ、真紘とお呼びください」
「あーんボケもスルー。ちょっと天然ちゃんなん? 結婚もおめでとおなァ――……って、ハアァ⁉ けっけっけ結婚したんか‼ でもこっちの世界に来てまだ一年も経っとらんやろ、早ない⁉」
「天然と言われたことはないですよ。結婚に関しては僕も早いかなぁとは思ったのですが、家族であることを条件とする宿が他国には多いと知ったので、ならば旅をする上でも入籍した方が良いねという話になりまして」
「そんな事務的な感じなん?」
 不安そうに揺れる瞳は、危険信号が点滅しているようで、覚悟が決まっていない者が見つめられれば言葉に詰まってしまうだろう。
 しかし真紘は晴れやかな笑みを浮かべて答える。
「一番の理由は、重盛のことが好きだからです」
「ごふ……ッ!」
「この先の永い人生、ずっと隣で重盛の笑った顔を見たいと思ったからです。だけどプロボーズ直後の重盛は笑顔より泣いて――ふふっ、ここから先は秘密でもいいですか?」
「ま、眩しすぎるう……。こっちはまだ自己紹介も碌にしとらんのに剛速球の惚気やん。マヒロくんのこと大体わかった気がするわ。なあ、ボクのこと……あの人から、どれくらい聞いた?」
 リンが指すあの人とはアルマのことだ。
 真紘は、二人が恋人同士であること、文通をしているが直接会う約束はまだしていないこと、アルマはリンに会いたがっていること、をリンに伝える。

「しんどいな……」
 赤毛に紛れて生えている紫の小さな羽がみるみるうちにしょんぼりと萎れてしまった。
 真紘は足を崩して膝をリンの方に向け、リンの手を取った。指先はとても冷たく、ひどく乾燥している。
「改めて自己紹介をさせてください。僕は真紘・タルハネイリッカ。夫は同級生の重盛・タルハネイリッカ。好きなものは、松永さん家のコロッケと焼きたてのパンみたいな愛犬です。リンさんのことも教えてもらえませんか?」
「ボクのこと……?」
「はい。ここの空間を結界で覆ったので、手も直ぐに温かくなると思います。ゆっくりお話ししませんか? 実は僕、リンさんと一度お話ししてみたかったんです」
「ホントに?」
「本当ですよ。飲み物は紅茶とコーヒー。おすすめは、お手製のハーブティーです。それからクッキーにギモーヴ、ガレットオランジェといった、重盛が作ってくれたお菓子もたくさんあります。さあ、お茶会をしましょう!」
 早く重盛の元に帰らねばならないが、無理やり聞き出すことはしたくない。
 それにあちらはあちらで上手くやっているだろう。何たって自慢の夫は聞き上手だから、寡黙なアルマと対峙するならばきっと自分よりも適任だ。
「じゃ、じゃあ、ハーブティーで……」
 視線を彷徨わせて身を縮こまらせているリンは、アルマの言う通り小鳥のようであった。

「始めに確認なんですが、リンさんとアルマさんは恋人同士なんですよね? どうして会えないんですか? もし困っていることがあるなら僕たちがお力になります」
 門の前で会いたくなかったと叫んでいたリンは、顔を青くして今にも泣きそうな顔をしている。
「めっちゃ深刻な悩みがあって……」
「海より深い事情が……?」
 ゴクリと喉が鳴ったのはリンの方で、真紘は瞬きを忘れて告白の時を待つ。
「ボクな、ボクな――……アルマの顔を見るだけで、頭が真っ白になってパーンなるねん。顔まで真っ赤になったらいよいよトマトやん! リンゴやん! 恥ずかしい!」
 運命の糸が複雑に絡み合い、会うに会えない深い事情があるのかとばかり考えていた真紘は、乾いた目をぱちくりとさせた。
 そしてリンは両手で顔を覆いながらわんわんと泣き出した。
 ピイピイと鳴く姿は雛鳥のようで、とても三百歳以上も年上とは思えない。
「うっうぅ、呆れるやろ……こんなん……」
「大丈夫ですよ! ちょっぴり驚きましたが、僕も重盛の顔が近くにあると未だにドキドキして上手く言葉が出てこないこともありますし、気持ちはわかります」
「ほんまあ……? いや、ほんまか? ドキドキしとる子が半年で結婚するかァ⁉ 嘘やん! ボクなんかと全然ちゃうやんか!」
「うーん、本当なんですよ……」

 真紘は懸命に、リンの背中を擦って慰めた。
 そして突然ぴたりと泣き止み「ボクは一体何しとるんやろ……」と呟いた。鼻をズビズビと鳴らし、涙でぐしゃぐしゃになった顔を真紘から差し出されたハンカチで拭いて、ケタケタと笑い出す。
 なんとも喜怒哀楽がはっきりしている人だ。感情に思考が追い付くまで時間のかかる自分とは真逆のタイプのリンが羨ましくもある。
「ひゃ、きゃっはっは! ほぼ初対面の後輩の前でこんなアホみたいに泣いて。あ~あかん、おかしい!」
「僕はリンさんのことが知れて嬉しいですよ」
「マヒロくんは人たらしやなあ。でもボクらじゃロマンスは始まらへん」
「そうですね、アルマさん僕は全然違うタイプで――」
 リンは苦笑いを浮かべて首を振る。
「ちゃうちゃう! マヒロくんはシゲモリくんに可愛がってもらう方やろ? ボクもそっちなんよ」
「えっと、重盛は優しいし、背も高いし、声もカッコいいと思いますが、垂れた目尻が笑うとさらにふにゃっとして可愛いんです。僕も彼を可愛いと思うことは多いし、友人には、甘やかしすぎだと注意されることもあります」
「ええ~マヒロくんは惚気はさまんと死ぬんか? てか、これはシゲモリくんも苦労してそお……。こーゆー意味なんやけど?」
 リンは真紘のあごを片手で固定して、吐息を耳元に吹きかける。
「ひっ」
「ヒッやって、可愛ええ声。これはシゲモリくんも堪らんやろな~」
 先ほどまで子供のように泣き喚いていたとは思えないほど空気が艶めき、リンが婀娜っぽい目つきで迫って来た。だが、そこに真紘への劣情は一切含まれていない。
 困惑しながらも避けるように仰け反った真紘は、ようやくリンの言う意味を理解した。
「……僕たちは身体的にパートナーを受け入れる方、ということでしょうか」
「大せいかーい! にゃんこと小鳥じゃあ何もはじまらへんやろ?」
 ようやく初対面時の、リンに対する自身の警戒心の薄さに答えが出た。
 リンが真紘を同類と悟ったように、真紘も直感的に察したのだ。リンが自分より重盛を見ていた気がしたのは、おそらく同じ獣人として興味があったからだろう。
 納得すると同時に羞恥心で顔が赤らむ。
 あの頃は重盛とお付き合いを始めたばかりで、まだキスをするだけでも精一杯だったはずだ。それなのに悟られるなんて、自分は重盛に対してよほど蕩けた顔を向けているのだろうか――。
 真紘は顔を真っ赤に染めてリンに尋ねる。
「そんなにわかりやすい表情をしていましたか……? 確かに重盛とは体格差もありますし、純粋な力比べでは敵いません。それでも僕だって男ですよ! ちょっと触られるだけで、へなへなになってしまうのが駄目なんでしょうか⁉ 僕ってそんなに重盛に対して惚けた顔を向けているんでしょうか⁉」
 鬼気迫る真紘の告白に、リンは全身を真っ赤にして叫ぶようにして制止する。
「ん゛ぐぐッ、す、ストップ! あかん! こっちはキスもおろか対峙して会話するのもやっとなんに勘弁してえな! オーラは出てへんけど、なんか同類はわかるんよ、勘やァ!」
「そんな……。それでは対策のしようがない、どうしよう――って! リンさんもしたことないんですか……⁉ 初対面の僕らにやることやってないとかどうとか言ってたのに!」
「う、うるさーいッ‼ 半年で結婚して毎日ドロドロになってるエロエルフとエロ狐のバカップルにはボクの気持ちなんてやっぱりわからんッ! はあ~ほんまやらしいわあ!」
「ま、毎日なんてしてません!」
「嘘やん! 真っ白な首に真っ赤っかな痕付いとる!」
「えっ」
 真紘が首元を両手でさっと隠すと、リンは指差してゲラゲラと笑う。
「ヒャーッはッはッはッ‼ うっそぉーん! なあんだ、ほんまに毎日しとるん?」
「むぅ、うう~! してないです! 多くても二日置きですし、重盛は僕の体を労わって第一に考えてくれます! それにまだ最後までしてないですし、こちらはもういいのになって思っても、痛い思いをさせたくないから一緒に準備させてと真剣に諭されたら、こっちだって素直に頷くしかないじゃないですか!」
「わ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛! そそそそそこまで聞いとらん聞いとらん聞いとらん‼」
「いいですか、リンさんだって好きな相手に触られたらドロドロのへなへなになります! 救世主の、人生の先輩だと仰るのであれば、恋人がいる同士、そして受け入れる側である同志として、この先のご感想、並びにアドバイスをご教示ください。僕だってこの先に進むのは自分がどうなってしまうのか分からなくて怖いんですよ!」
「パニくっていらんことまで喋ってもうてるこの子! アルマと僕がセッ、セッ……ぎゃあああああ‼ 想像させんといてえ!」
 猫と小鳥の小競り合いは、相討ちにて終わる。
 肩で息をする二人は、顔を見合わせた。
「はあ、はあ……。他人のご自宅、しかも王様の屋根の上で僕は一体何を言っているんだ……」
「急に冷静にならんといてェ……。ハアァ、もう惚気アタックは食らいたない。肉体的な話しは一回忘れて、精神的な話しを聞いてくれへん?」
「はい……。もちろんです」
 火照った頬を冷ますため、真紘が結界の魔法を解くと、ビュンっと長い髪が横に流されるほどの強い風が吹き抜けていった。

「あんなあ、この世界に来てから約三百年。ボクから告白したのが三十年前くらい。長いながーい片思いを経てやっとアルマに気持ちを伝えた。だからこそ、ボクはボクのままじゃあかんの……」
「どうしてですか? アルマさんも仰っていましたが、僕もリンさんは可愛らしくて素敵な方だと思いました」
「それが間違いなんよ。アルマの好きなタイプが可愛い系だって知ってから、ボク、アルマの前だけ猫かぶっとったん。ほら、ボク頭も派手やろ? だから会う時は地味な洋服着て、中身もお淑やかに、慎ましくって、めっちゃ努力したんよ。せやからアルマは昔からボクを可愛くて小さい、小鳥ちゃんだと思っとる」
 懺悔のように真実を吐露するリンはなんだか小さく見える。
 アルマを想う瞳は切なく揺らめいていた。
「本当の自分を見せることは難しいですよね……。引かれないかな、嫌われないかな、大丈夫かなって、心臓が痛むほどに……」
「マヒロくんも? あのシゲモリくん相手に?」
 信じられないと口をあんぐりと開くリンが面白くて、真紘は両手で口元を覆って笑う。
「あの重盛くん相手って、あっは、ふふっ、あははっ! そんなに驚きますか? 確かに重盛からの好意は感じていましたが、それが親友としてなのか、恋愛としてなのかは、分からなかったんです。どちらにせよ、好意が無関心に変わるのは、怖かった」
「そんなら、なんで踏み出してみようって思ったん? きっかけは?」
 興味津々なリンには悪いが、お悩み相談に乗るつもりが、重盛との軌跡を白状させられているようで、むずかゆい。
 頬をピンクに染めながら、真紘はうーんと唸った。
「実は、僕も一度重盛から離れようとしたことがあって……。結果的に自棄になって告白まがいなことをしてしまったんですけど」
「じゃあ、行き当たりばったりってこと?」
「そうです。今までの人生では考えられないほど、感情が揺さぶられて、溢れてしまいました。当時の僕からすれば重盛は最初から自然体に見えていたのですが、実際は僕と同じで、親友という枠から一歩踏み出して関係性が変わってしまうのが怖かったのだと、勇気を出して心に秘めていた気持ちを打ち明けてくれたんです。嫉妬とか、悲しみとか、きっと見せたくなかった心の柔らかいところを僕にだけ。僕もそれに応えたいな、と思ったので、頑張りました。少し暴走はしましたが……。今でもありのままの自分は至らないところばかりで恥ずかしいけれど、重盛なら受け止めてくれると信じています。アルマさんだって、リンさんを受け入れてくれると思いますよ」
「でも、ボクはマヒロくんみたいに可愛らしくないし、綺麗でもない」
「そんなことありません! アルマさん本人から可愛くなければいけないと言われたわけではないのでしょう? 彼もあなたに会いたがっているのに、どうしてそこまで……」
 真紘が声を張ると、そういうことじゃないとリンは悲しそうに眉を下げて笑う。
「ほんまにええ子やな。心の底からそう思ってくれてるんがわかる。でもな、違うんよ。所作や雰囲気、生まれも育ちなんて望んだところで手に入るもんとちゃう。せやけど、座り方、笑い方、人の話を聞く姿勢まで、何もかもがちゃうねん。アルマには、こんなニセもんより、マヒロくんみたいな本物の可愛らしい子がお似合いなんよ」
「にせもの……?」
「この世界に来た時、救世主五人の中でボクだけ生まれた国が違うたんや。言葉も自動的に翻訳されて聞こえるけど、普通に喋っていても訛りだけは消えんかった」
 救世主に西洋や北欧の出身が多い中で、実験的に東洋の人間を一人だけ入れてみたと、姉の姿をした時の神は言っていた。
 地球よりも種族が多いこの星であっても、やはり一人だけ違うという孤独がリンを蝕んだのだろう。長命であり当時でも珍しい飛べる獣人は、想像以上に距離を置かれていたのかもしれない。
 周りと同じではないことを卑下するような言い方をするリンが悲しい。
 言葉に詰まる真紘にリンは続ける。
「眉毛がぺっしゃんこや。ボクのためにそんな顔せんといて? ひとりぼっちだった時、アルマだけがボクを笑わずに、同じ救世主の仲間として接してくれたんや。訛りを直したいボクの練習に根気強く付き合ってくれた。おかげで今も中途半端に訛っとるけど、昔よりマシになった。それも小鳥みたいで可愛い言うんよ、えへへ……っ。そんな優しい人に惚れるなって方がムリやん」
「そうですね。リンさんにアルマさんがいてくれて本当に良かった」
「うん……。だからな、もっと可愛らしくなって、アルマに見合う自分になれば、なったら、会いに行こうって思うてん。せやけど、結果はこの有り様で……。いつも泣いて喚いて、空回って、ぐっちゃぐちゃやねん。しかもボクはいつまでも逃げ回って、もう別れようって言ってもあげられへん……。みっともなく恋人って名前だけの関係に縋ってしまうんよ」
「リンさん……」
 瞳を閉じて過去を愛しむリンは、自身を偽っていることに罪悪感を持ち続けている。
「だって三百年も愛しとる、アルマ以外考えられへん。アルマを好きじゃないボクなんて、この世界に来てから一日もおらん」
 今のリンの姿は、タルハネイリッカの丘で、重盛を想って彼から離れようとしていた自身と重なる。あの時は、重盛が必死に手を伸ばして、言葉を尽くしてくれたから今に繋がっているのだ。
 勢いを勇気に変換できたのは、若さとも言えるが、時には必要なことだと、慎重派な真紘も身をもって学んできた。
 互いを想い合ってすれ違っているリンとアルマも、きっと素直な気持ちを打ち明けることができれば、今よりもずっと良い方向に進むだろう。

 力技で引き合わせることはできるが、自らの意志で思いの丈を打ち明けるのと、他人から強制されたとでは、どのような結末になっても心の底から納得はできないだろう。その場がまとまったとしても、遠かれ早かれ、いつかまた綻びが生まれる。その時にリンの側にいれる確証もないのに、無責任に関係を進めることはできない。
 一体どうすれば彼らの力になれるのだろうか――。
「うーん……」
「悩ませてごめんなあ。マヒロくんだってセンデルでやりたいことや行きたいところもあったやろ?」
「重盛は行きたいレストランがあるとは言っていましたが、僕はお土産を買いたいくらいで――……あああ!」
「なッ、なに⁉」
 真紘は追いかけて来たもう一つの理由を思い出した。
「大変ですリンさん……。アルマさんと話し合う機会をと思ったのですが、その前に解決しなければいけない問題があります」
「問題?」
「はい。西門前にあるモア・センデルというホテルをご存じですか?」
「え? ああ、知っとる。手紙にも書いた気ィするけど、アルマから聞いてへん? ボクもこっちに仕事で来とるんよ。人を探しててん」
 のんびりした答えから察するに、リンは事件があったことを知らない。疑っていたわけではないが、フローラ侯爵襲撃、ジルコンの盗難には無関係と判明し、真紘はほっと息をつく。
「落ち着いて聞いてほしいのですが、モア・センデルのスイートルームで、本日の早朝に殺人未遂事件と宝石の窃盗が発生しました。犯人は今のところ、飛行魔法を使用できるものか、翼があり、かつ自由に飛行できるものに絞られています。そして先ほど門番の方々に目撃証言を伺っていたところ、早朝に目撃されたのが――リンさんです」
「ふーん、そうなんやって……はああァ⁉」
「有力な犯人候補、容疑者筆頭なんですよ! 容疑を晴らさなければアルマさんと話し合うどころではなくなります!」
「なっ、なっ……なんでやねんッ‼」
 乾いた空にリンの叫びが響き渡る。
 これでは重盛どころか耳の良い衛兵たちにここにいることがバレてしまうだろう。
 罪状に王城への不法侵入も加わってしまうし、挨拶もせず王の頭上で茶会をしていたことも不敬罪に当たるだろうか。ホテルでの事件と違い、こちらは言い逃れようのない事実だ。
 一先ず急いでここを去らねばならない。
 真紘は、ピイピイと再び泣き出したリンを抱えて王城を飛び出した。

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