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東の国

83.希望の朝だ

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 灰色の吹雪が木炭のような黒で見えなくなってきた頃には、真紘は布団の中で猫のように丸くなっていた。
「二十時か。知らない人とめっちゃ話して疲れてたし真紘ちゃんは寝ちゃうよな~。アルマは、ベッドと布団、どっちがいい?」
「布団に決まっているだろう。俺の重みでベッドまで壊してみろ、寝入った真紘を起こすことになる」
 手の平を下に向けてアルマは答えた。
「ベッドはそんな脆くないし、真紘ちゃんは一回寝たら自然に目覚めるまで起きないから大丈夫なのに」
 ほらね、と重盛は、真紘の頬をぷにぷにとつついて微笑む。
「そうであってもだ。むしろ手持ちの寝袋でいい」
「そんなのだめだめ! 朝起きた真紘ちゃんが、床に転がって寝てるアルマを見て顔面蒼白になるの目に見えてっから。のっぴきならない理由があって寝袋じゃなきゃ寝れない、かつ『重盛! どうしてお布団を出して差し上げなかったんだ!』って俺が真紘ちゃんに怒られてほしければ話は別だけど?」
「重盛は、真剣に真紘を中心に生きているんだな。ここまで来ると尊敬に値するぞ」
「へへっ、照れんね」
「では、ありがたく布団を借りるとしよう」
「ふふん、どうぞ~。なんなら床暖だからベッドで寝るより布団敷いて寝る方が温かいよ」
 まっぽけから布団を一式取り出すと、重盛は手際よくベッドの隣にそれを並べた。
「アルマにはちょい小さいか。もう一枚毛布いる?」
「いいや、これで十分だ。このユカダンというものは何だ? 地熱を利用したものか?」
「これも真紘ちゃんの魔法。元は俺らがいた地球の発明だよ」
「そうか、こんな魔法みたいなものが人工的に作れるとは、すごい時代になったものだな。地球は今、何世紀だ?」
「二十一世紀だね。アルマは何世紀の人なの?」
「十九世紀だ。だが、次に来た救世主とその次は二十世紀。この星の時間の流れと、地球の時間の流れは微妙に異なっているのかもしれないな」
「なるほどね。じゃあ次の百年後に来る人達は、もしかしたら二十四世紀とか、もっと進んだ時代から来るかもね。どんなやつでもいいけど、平和な人達だといいな~」
 アルマは布団にドスンと寝転がって頭の上で腕を組んだ。
「今までの救世主は穏やかなやつが多かったと思う。お前らもそうだ。時の神はその辺もしっかり選んでいるのだろう」
「そうだといいんだけどね」
 寝るには早い時間だが、アルマも疲労が溜まっているのか、うとうとし始めた。
 ベッドに腰かけていた重盛も瞼が重くなってきた。しかし、久しぶりの再会だ。もっと話したいことはある。
 眠い目を擦っていると、シャカシャカと背後から音がした。
「ん、どした? 真紘ちゃん珍しく起きちゃった……?」
 壁側で寝ていた真紘が寝返りを打ち、かすれた声で重盛の名を呼ぶ。そして溺れているかのように手を彷徨わせ始めた。
「う、ううん……」
「何? 怖い夢でも見てる?」
 重盛がそっと手を握ると、次第に真紘の眉間の皺は消え、ふにゃりと幸せそうに笑った。
「いつも隣で寝てるから、いるはずの俺がいなくて探してたんだ……」
「おい、顔が赤いぞ。幸せそうで何よりだ」
「うるせーぞ。ああ、幸せだよ。怖いくらい幸せだ。好きな人が隣にいるって最高だよ……。アルマも早く彼氏に会えるといいな」
「ありがとう。だけど俺が寝てる隣で乳繰り合うなよ」
「ぎゃははっ! しねーよ! したかったけど、おあずけくらってんだよ、こっちは!」
「ふっ、それは悪いことをしたな」
「ったく、いい性格してるぜ」
「本当に悪いと思っている。王都に着いたら存分にいちゃついてくれ」
「言われなくてもすっげーいちゃつくわ!」
 アルマはくつくつと笑いながら布団に潜る。
 重盛もベッドに入り、スヤスヤと気持ち良さそうに寝ている真紘を抱き込んだ。
「んじゃおやすみ、アルマ」
「ああ、おやすみ」
 魔石の灯りが消えて、暗闇に包まれる。
 雪の降る森の中は、世界で一番静かだった。


 三人の中で一番最初に目を覚ましたのは真紘だった。
 聞き慣れぬいびきが響いている。隣で寝ている重盛は普段から静かに寝るタイプであるため、不思議な朝だった。
 朝といってもまだ朝日は昇っていない。それもそのはず、時刻は四時半。外もまだ薄暗い。
 真紘は、ベッドから抜け出して、チェック柄のストールを寝巻の上から羽織る。そっとドアを開けると、冷気が流れ込んで来た。
 素早く外に出てドアを閉めると、時が止まったように森は静寂に包まれていた。まるで雪が全ての音を吸収してしまったかのようだ。
 生きものの気配もしない。
 大地から感じられるはずの魔力も微量。
 空にはミルク色の月らしきものと星々――。
 神木があるアテナ王国は、魔力に溢れていたのだと、地球に近い環境に身を置いて改めて気づかされた。
 魔法も何も使えない、ただの志水真紘に戻ったかのような錯覚に陥る。
 左手を空に翳すと、薬指の愛の証がどんな星よりも綺麗に瞬いた。
 指輪は、自分の居場所はこの星で、重盛の隣なのだと教えてくれる大切なものだ。
「真紘ちゃん」
 振り返ると、同じく寝巻姿の重盛が腕を組んでドアに寄りかかっていた。
 たまに気配を感じ取ることができないことがある。おそらくそれは故意的にやっていて、今が正しくそれだ。
 真紘が考え事をする時間をくれたらしい。
 自分の足跡を辿るようにして重盛の元に帰る。そしてストールの端と端をもって重盛ごと包み込むようにして抱き締めた。
「おはよう、重盛」
「おはよう。まあ、おはようにしてはちょっと早すぎじゃね? のう、ヒロじい?」
「早く寝た分、早く起きてしまうのは仕方のないことじゃろう……?」
「うははっ! じーさんノリで返してくるとは思わなかった。深呼吸してスッキリした? なんか静かな森って怖いけど、神聖な感じがしていいよね」
「おかげさまで頭も体もすっきりしたよ。アルマが起きるまで空中散歩でもする? 暗いから飛んでる人も鳥もいないだろうし、少しだけなら」
「うーん、魅力的なお誘いだけど、アルマもさっき起きたっぽいんだよなぁ。ま、ちょっとくらいならいいか」
「良くないよ、デートは延期だね」
「うわーん! 二度目のおあずけ……ッ!」
「そんな悲しそうな顔しないでよ」
 両手を握って口元を隠す重盛は完全に甘えモードだ。しゅんと先の折れた耳がいじらしく、真紘は苦笑いを浮かべる。
「仕方ないなぁ。目を閉じてみて。いいことがあるかも?」と囁くと、重盛は勢いよく目を閉じた。
 真紘は、踵を上げて重盛にキスをする。
 角度を変えて、相手の存在を確かめるみたいに、丁寧に触れていく。
「んん、ふ……っ、ン、んん~!」
 徐々に口づけが深くなり握っていたストールが落ちそうになったため、半ば強引に顔を引き離す。最後にちゅっと音を立てて唇を離すと、白い息がほうっと零れた。
「はあ、はあ……。朝からするやつじゃないでしょう! それで、満足した?」
「うー正直足らんけど、気持ちは満たされた」
「なるほど、体は満足していないんだ? ふふ、相変わらずスケベ」
「そうなんだよなぁ~」
 潔く認める重盛の背中を押して、室内に戻るとアルマはまだ布団の中にいた。
「あれ? アルマさん、まだ寝てるみたいだね?」
「起きてたと思ったんだけど、おーいアルマ?」
 重盛の呼びかけにアルマはぱちりと目を開ける。
「うおっ! なんだ、やっぱ起きてんじゃん! おはよ」
「……おはよう。厄介になってる身で悪いが、朝からお前らの仲睦まじい様子を扉越しに聞かせられて中てられた。世の中の夫婦はこれが当たり前なのか?」
「なっ、おお、お見苦しいところを……っ!」
「当たり前、当たり前! むしろ控えめな方よ!」
「そうか……。参考にしよう」
 目を白黒させる真紘を差し置いて、重盛は大きく頷く。
 アルマに間違った認識を教えてはいけないと真紘が焦るほど、重盛は真紘を可愛がる。いちゃつく理由ができて万々歳といったところだろう。
 せめてもう一人、ここにツッコミ役がいてくれたらと願わずにはいられない。
 心の中でアテナにいる友の名前を呼ぶが、脳内の彼はアニキが怖いと全力で首を振る。
遠い東の国からの願いは、大雪原に遮られて儚く散った。


 ふよふよとまだ暗い空を飛ぶ三人。
 厚手のコートに手袋、マフラーやネックウォーマーなどを装備して防寒対策はばっちりだ。
 人が活動するにはまだ早い時間帯だが、雪が止んでいる今が移動のチャンスと、真紘たちはタイニーハウスを片付けて、より直線的に王都を目指せる空路を進んでいた。
 魔法の絨毯ならぬ、魔法のカーペットに座って向かい合う。
 膝を抱え込んで丸くなる真紘、胡坐をかいて右手で頬杖をつく重盛。アルマは胡坐をかいているが、再びこくりこくりと首を振っている。やはり寝足りなかったようだ。
「いい風。空はまだ若干夜だけど、もう夜風って感じじゃねーな」
「うん。凛としていて、空気が透き通っている朝の風だね。肺に冷たい空気が流れ込んできて、浄化されてる気分かも」
「あー、それわかる。夏休みに通ってたラジオ体操の場所が近くの神社だったんだけど、そこの境内とかも同じ空気だった」
「もしかして駅の北側にある天満宮? ちょっと階段がきついところ」
「そう! 実はそこで真紘ちゃんのこと見つけたことあんの」
「色んな小学校から集まっていたし、すごい参加人数だったはずなのに、その中からよく見つけたね」
「はっはっは! これが愛の為せる業よ!」
 投げキッスを寄こす重盛の動作に合わせて、真紘はバットを振る仕草をする。
「打ち返すな! せめて投げ返せ!」
「あはは……っあ!」
 また二人の世界になっていたと、アルマの方を見るが、アルマは完全に寝入っていて、今にも後ろに倒れそうだった。
 このまま倒れると頭がカーペットからはみ出す。弾みで落ちたとしても真紘がいれば問題ないが、落下の浮遊感に襲われれば驚くだろう。
 重盛はアルマの左袖を引っ張り、そっと横に倒す。
「真紘ちゃんと同じくらい起きねーな」
「うっ、それを言われると……」
「じょーだんっ。ところで、アルマの彼氏って小鳥って言ってたよな。このままずっと空飛んでたら会えたりして」
「人がいない時間だからこうして飛んでいるんだよ。それにほら、もう見えて来た。あれがセンデルの王都だよ」
 西洋の国とはまた違った派手さがある獣人の国、センデル。
 色とりどりのアテナに比べて、シックな色合いの建物が多い。魔法による結界がない分、王都を取り囲む城壁はアテナの三倍近く高かった。

 城壁の上、見張りの望遠鏡らしきものが空の光を反射した。
 こちらを捉えられただろうか。
 何も不法侵入しようとしているわけではない。きちんと城門から入り、堂々と入城するつもりだ。いずれにしても王城に挨拶に行く前に問題は起こしたくない。
「結界の代わりに人員を多めに配置しているのかな? もしかしたら視力の良い獣人もいる? もう地上から向かうべきかも。重盛は歩けそう?」
「歩ける! アルマのこと担いで行ってもいいけど、もう片方の手は繋いで歩きたい」
 徐々にカーペットを降下させながら真紘は肩をすくめる。
「僕がアルマを浮かせるから、重盛は僕をおんぶしてほしいな」
「歩きたくねーの?」
「……ちょっとでもくっついていたいなって」
「うおっデレた! よっしゃ、アルマのことは置いて二人で行こう!」
「おい、待て」
 真紘の両手を握る重盛の頭をチョップするアルマはいつの間にか起きていたようで、深く大きなため息をついた。
「起こしてしまいましたか、ごめんなさい」
「いいや、まさか寝てしまうとは思わなかった。すまない。空を飛ぶのも久しぶりで、いい夢も見れた」
「久しぶりって、アルマさんも飛べるんですか?」
 アルマは首を横に振る。空を見上げると世界が一変したかのように闇に光が射しこんで来た。
「恋人に抱えられて飛んでいたんだ」
 この世界に来たばかりの真紘と重盛のように、アルマ達も小柄な方が恋人を抱えて飛んでいたらしい。
 懐かしそうに目を細めて微笑むアルマは、思い出の中にいるのだろう。
「きっとまた一緒に飛べますよ」
 真紘は重盛と視線を交わして微笑む。
 今日の朝日は幸運を引き寄せてくれる希望の光のような気がした。

 
 
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