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新婚浮かれモード

71.安楽のワルツⅡ

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 翌日の早朝、昨晩預かったパーティー会場の鍵の受け渡しのため、眠い目を擦って二人はギルドへと足を運んだ。
 バロン家から抗議を受けたため、ボトルルフは監視付きで釈放され、自宅に戻るところだった。
 彼と少しだけ話をさせて欲しいと職員に頼むが、自分の一存では承諾できないと渋られ、暫く押し問答をしていると、どこからともなく現れた白衣の女性が自分の執務室に案内してやってくれと声を掛けてくれた。
 神官室に通された真紘と重盛は、憔悴しきった様子のボトルルフの向かい側のソファーに腰かける。
「ご婚約者を亡くし、容疑者扱いまでされて……。ご心労をお察しします。ですが、本当にボトルルフさんが無実ならば僕達に力を貸してもらえませんか?」
「私は確かにやっていないが、婚約者と言っても形式ばかりで、ブランシュと会ったのは数えるほどしかないんだ……。共同経営といっても、取引相手は彼女の御父上なのでね」
「ですが、ブランシュさんは白いドレス、ボトルルフさんは白いタキシードを着ていましたよね? お二人がご結婚の発表をされるのでは、と思わた方もいたそうです」
「ああ、洋服はベレッタ家が用意した物だったんだが、どうして白なのか聞いたら、記念すべき日だからだと。クルーズトレインの決起会ではあったし、彼女は衣服や装飾品に目がなくて、そこまで不思議には思わなかったよ……。ふ、はは……夜通し問い詰められた事と同じ事を聞かれるのかと思ったが、貴方が疑問に思うのはそこなのか」
「僕はおかしなことを聞いていますか?」
 いいや、とボトルルフは首を振った。
「恨むほど付き合いもない女性の事を聞かれても困っていたから、やっと答えられる質問が来てちょっと安心したよ」
「そうですか……。そういえば、昨日ボトルルフさんは、ベレッタ家は車掌のヴンサンさんや、料理長のレミーさんとも揉めていたと仰っていましたね」
「ああ、よく言い合いになっていたね。ベレッタ家の当主であるブランシュの御父上と」
「使用人とも揉めていたそうですが、それはどこで知ったんですか? ベレッタ家に招かれた際でしょうか」
「いえ、仕事の話は大抵、我が家だった。その時に、奥方の大事な指輪が盗まれたから若いメイドを一人クビにしたとか、お抱えの神官が辞めてしまったとか、よく愚痴っていたものでね」
「なるほど。一人と揉めていたわけではなかったのですね。ちなみに執事の方からブランシュさんが倒れたと聞いたのはいつ頃ですか?」
「秋ごろの話だったかな。お抱えの神官はかなり優秀だったが、こだわりも人一倍強い人物だったようで、ブランシュが倒れたことに責任を感じて辞職してしまったのだ、と御父上はよく嘆いておられたよ。まあ、それ以上に奥方の宝石の窃盗の話を何度もされたので、私からベレッタ家にダイヤの装飾品を贈ったのだけど」
「もしかして、昨日ブランシュさんがつけていた物が」
「そうだよ。去年の暮れに差し上げたんだが、奥方にはデザインが若過ぎたようで、ブランシュの手に渡ったようだ」
 結構貴重なダイヤモンドで気に入ってもらえると思ったのだけど、と眠気で半分閉じかけた目を擦りながらボトルルフは力なく笑った。
「贈ったダイヤモンドのアクセサリーはネックレスとティアラだけですか?」
「まさか、ティアラ、イヤリング、ネックレスの三点。山奥に住むドワーフが手掛けたものでね、同じものは存在しないはずだよ」
「……おかしいな。ブランシュさんは、昨日、イヤリングをつけていましたか?」
 目を光らせた真紘を見て、美人の真顔は迫力が違うな、と重盛はうっとりしている。
 蛇に睨まれた蛙のようになったボトルルフは、助けを求めるように血走った目をきょろきょろさせた後、勿論と答えた。

 ボトルルフが釈放された後、この部屋の主から話があると職員から引き留められた。
 出された紅茶を飲んでいると、木製のドアが勢いよく開き、テーブルのソーサーがカチャンと音を立てて跳ねた。
「大変お待たせ致しました」
 白衣を着た丸眼鏡の女性は一つに束ねた赤髪を後ろに払い退け、向かい側の椅子に腰かけると、検死結果の資料を広げた。
 母親と同じくらいの年代の彼女はミス・モントリーヴォと名乗った。
 神官でもあるモントリーヴォは、主に事件や病死等の検死を担当している。
 カソックを着用していたリーベ神官やキルタ神官とは違い、モントリーヴォは研究者が着用しているような白衣を纏っていた。
 手術衣のような柳色のシャツとスラックスに、口元を彩る深紅。
 神官はリアースにおける医師でもあるため、間違ってはいないが、今まで出会ってきた神官達のイメージとはかけ離れている。
 挨拶を終えると真紘は自分のニットを指さしてモントリーヴォに訊ねた。
「カソックの着用は義務ではないのですか?」
「ええ。私はギルドに在籍している神官なので、ある程度自由が許されています。冒険者達も服装は自由でしょう? 内勤の職員達は何故か堅苦しいシャツにスラックスですが」
「なんでギルドだけこんな緩いん?」
 失礼な物言いの重盛に対して、モントリーヴォはきょとんとした後、豪快に笑った。
「私以外にもカソックを着用していない神官は意外といますよ。むしろそちらの方が多いかもしれません。教会やギルドに属している神官以外は、基本的に雇われなんです。貴族のお抱え神官になったり企業の主治医になったり。その中でも王城の御付き神官はさらに厳しい試験があって、才能がある者しか採用されません。支給されるカソックも階級によって色が違います。なので、雇われ神官は普段着で仕事をしている事が多いですね」
「へぇ、リーベ神官ってチャラめのイケおじって見た目だったけど、そんな凄い人だったんだ。紅茶入れるのめっちゃ上手い記憶しかないわ。モントリーヴォ先生も私服だけど、王都のこんなデカいギルドの神官長だろ? 才能ありまくりじゃん」
「ふっふっふ。それは王城の御付き神官と違って、ギルド神官は不人気なのでお鉢が回って来ただけです。ただでさえ聖魔法が使える者は少ないのに、治療ではなく検死をやりたいなんて人は中々いなくて。でもお給料は高くて……」
「ぷはっ! 最後のが本音じゃね? で、そんなモントリーヴォ大先生の見立てはどう?」
 先ほどまでの和やかな雰囲気とは打って変わり、モントリーヴォの声のトーンが下がった。
「ブランシュ・ベレッタ氏の死因は毒によるものでした。腕から首にかけて赤く腫れていることから、蜂毒が原因かと」
「僕達が見た時は腫れてなかったよね」
「ああ、グローブの下に針が刺さっているのを確認した後、キルタ神官と俺とでテーブルクロスを遺体にかけたから、それまでは間違いなく赤くなってなかった。担架で運ばれて行った時は一瞬顔が見えた以外クロスで包まれていたし分かんないな……。死んでから時間差で腫れることってあんの?」
「蕁麻疹ができる原因は多岐にわたるため、断言できるほど解明されていません。ただ、今回は明らかに体内から二種類の毒物が検出されています」
「二種類? 針は一本ではなかったのですか?」
「針は一本、先端に塗られていたのは蜂毒です。刺されたのが二度目なら十五分もせずに命を落とします。今の時期に自力で手に入れることは困難なので、恐らく闇市で取引されたものでしょう。検出されたもう一方も珍しい成分で、神経毒というよりも強力な睡眠薬といったところでしょうか。こちらの毒は致死量に至っていなかったのか、仮死に近い状態になっていたのだと思います」
 麻耶とヴンサン夫人はブランシュが眠そうにしていたと証言していた。
 仮死状態になる薬を予め投与されていたと考えれば、ドレスと同じくらい血色が無くなるのも頷ける。
「つまり病死や自殺ではないということですね」
「えっ、真紘ちゃん、ブランシュさんが自殺したと思ってたの⁉」
「あくまで一つの可能性としてね。仮死状態になるほどの毒を自ら飲んでいたら、蜂毒を自分で刺すことは不可能だよね。そもそも仮死状態になる薬って何だろう。テトロドトキシンとか……?」
「てろろろどきしん?」
「テトロドトキシン。フグ毒だよ。ロミオとジュリエットでも仮死状態になる薬が登場するんだけど、一説ではそれじゃないかって言われている。僕は時代背景からアヘンに近い麻薬じゃないかと思っているのだけど――」
「ちょいちょい、そのフグ毒ってこの世界で手に入るの?」
 代わりに答えたのはモントリーヴォだった。
「この国では手に入れるのは難しいと思います。フグの生息地である西や南の国では、誤って食べる事故が頻繁に起きているため、獲れたらすぐに処分される決まりになっていますから、手に入れるなら蜂毒と同じく闇市でしょう」
「闇市とは?」
「残念ながら王都でも取り締まりが行き届いていない飲食店などを利用して表に出回らないような金品や違法な薬物の売買が行われているのが現状です。元罪人などが集まっているようで、摘発しようにも獣人が多いため戦闘力も高く、中々元締めまでに辿りつけないそうで……。も、申し訳ございません、重盛様も獣人で……」
「ん? ああ、俺もあんまり獣人って自覚ないんで気にしないでいいっすよ。むしろ闇市に潜入しやすいかも、ラッキー」
「潜入って、そんな簡単に見つかるわけがないじゃないか」
「物は試し、それっぽいアングラなところ回ってみよ!」
 重盛に引きずられるようにして真紘は朝の王都へと連れ出された。
 そして一時間も経たず、二人は何の変哲もないバーの前にいた。
「もしかして本当に見つけちゃった……?」
「もしかしなくてもマジで見つけちゃったと思うなぁ」

 朝食にパンをテイクアウトしながら街を歩いていると、重盛が「アイツ、なんか怪しい」と、猫の獣人を指さした。
 気配を殺して追いかけていく重盛に抱きかかえられながら、真紘は口いっぱいにブルーベリー味のベーグルサンドを頬張る。
「んもっ、もっ、もっ。あんれあらしいんらろ?」
「うははっ、ビックリするくらい可愛いのしか分かんねぇ。落ち着いて食えって。ほーら、ゲホゲホしちゃうから」
「たってたえうのにがえなんらろん」
「立って食べるの苦手なんだもん?」
 真紘は言われた通り食べることに専念し、口の中を空にした。
「何で怪しいと思ったの?」
「勘?」
「あの猫の人が、服装は布切れって感じなのにピアスや腕時計が見合わないほど上質な物だったから? 周囲を警戒しながら歩いていたから? 変な薬の臭いがしたから?」
「なんだ、真紘ちゃんも答え分かってんじゃん」
 地下へ続く階段の前には侵入を阻むように営業開始前の看板が立ち塞がっている。
 耳を澄ませた重盛が中から微かに人の声がするというので、看板をすり抜け地下へと降りた。
 バーの入口で二人は立ち止まる。
「ねえ、今日僕が着ている服ってどこで買った?」
「前にピンクのスラックス買ったとこ。気に入ってそうだったから青も買ったんだ。上に着てるグレーのニットは、いつもの仕立て屋のじーさんの奥さんが編んでくれたやつ」
「わあ、お礼言わなきゃ。というか、そういうのはもっと早く教えてよ! そんな貴重な物着て行けない。脱ぐ」
 ニットに手をかけると、重盛はその何倍もの力で制止した。
「バッカ! こんな外でストリップするやつがいるか!」
「だってこれじゃ入店すら許されないかも。逆に警戒されるよ」
「ダメ、動くな。いいな、手を挙げろ……。いい子だ、そう、そのままだぞ……」
 珍獣と同じ扱いを受けながら待っていると、重盛はまっぽけから旅用のローブを取り出した。こちらも上質な魔法が施されているが、見た目だけならば普通のローブと変わりない。
 顔が割れている可能性も考慮して、真紘は地球にいた頃の姿になり、頭からローブを被った。
 最後にワインレッド色の巾着を取り出す。
 ニィッと悪い顔の練習をしている真紘を見た重盛は、どこかの国の王子がお忍びで城を抜け出して来たみたいだと思った。
 とてもじゃないが盗品を売りに来た小悪党には見えない、と本音を言ってしまえば拗ねてしまうので、急いで鼻から下を黒いネックウォーマーで覆い、同じローブを羽織った。
「今年初の黒髪真紘ちゃん、縁起が良いね。てか、その巾着袋何?」
「縁起が良いのか分からないけど、これは飴だよ。如何にも宝石や薬を売りに来たっぽいでしょう? 僕達はタルハネイリッカ公爵家の元使用人って設定でいこう。これはお屋敷から盗んで来たお宝だよ」
「盗んで来たというか、じーさん執事に土産に持たされた糖分補給用の飴だけども。そこら辺の宝石よりも高いかもしんないけども」
「さあ、いざ参らん!」
「その突然古風になるところ嫌いじゃないぜ……」
 言葉の勢いとは正反対にそっと扉を開けると、ぶわりと葉巻の香りに包まれた。重盛の方を見ると開ける前から分かっていたようで、平気だと親指と人差し指でオーケーと合図した。

 店内にはテーブルに突っ伏して寝ている者が数名いた。ここの従業員なのか、見かけた猫の獣人と同じく、身につけている小物だけ上等なものである。
 カウンターに並んで座ると、酒臭い三十代くらいの男が声を掛けてきた。
「坊ちゃんたち、もう営業は終わったぜ」
「えー。ここ夜しかやってない系? どうするよハニー」
 足を組んで頬杖をついた重盛は小さく舌打ちした。
「おかしいな。不定休じゃないんだ。聞いてた話と違うね。ねえ、ダーリン、表にいた冒険者に他に良いお店がないか聞いてきてよ」
 カウンターに肘をついて両頬を手で包んだ真紘は退屈そうに呟いた。
「生意気なガキだな。見ねえ顔だがお前らどっから来た。俺はここの常連だぞ」
 東、とだけ真紘は答えた。
「東ってどこだ」
「東は東ですよ」
 飴の入った巾着を振る。
 ワインレッドはタルハネイリッカを象徴する色であり、巾着にはうっすら紋章も入っている。さらに東と聞けば分かる者はすぐにピンとくるはずだ。
 暗い照明の後押しもあって、飴玉の程よい重さと膨らみが宝石とも薬とも取れるような見た目になっていた。
「だからどこだって」
「話にならないね。酒を飲むならここじゃなくてもいい。行こうか」
 真紘が丸い背の高い椅子からストンと降りると、カウンターの中で作業していたバーテンダーの若い男が声をかけてきた。
 バーテンダーは黒い髪で、白が混ざった黒斑の耳が頭についている。
「お客様、何度も申し上げておりますがまだ営業前ですよ。ご退店ください」
「だとよ」
 ふんぞり返る酔っ払いの男と自分を交互に指さした重盛は「どっち?」とバーテンダーに訊ねた。
「そちら」とバーテンダーが酔っ払いの男を視線で示すと、男は慌て出した。
「まっ、お待ちください! いくら何でも早――」「おっしゃ、お疲れさん!」
 酔っ払いの男が反論する前に重盛が男の首根っこを掴んで店の外に放り出した。そして三言二言交わし、すぐに戻って来る。
「何を話していたの?」
「俺達何点だったって聞いてた」
「四十点くらい?」
「わはっ、相変わらず自己採点厳しい」
「百点ですよ。試すような真似をしたこと、お許しください。どうですか、別室で飲みませんか。お詫びに良い酒をお出しします」
 あくまで理性的な客を選んで通していると気付いたのは、酔っ払いの男が真紘達に声を掛ける前に一度だけバーテンダーとアイコンタクトを取っていたからだ。
 酔っ払いの男が声を掛けてきたのも、この店にとって利益になるのか見極める試験のようなものなのだろうと判断したのは重盛も同じであった。
「どうする?」
「そうだな、王都がどんなもんか、味見だけでもしてみようかね。でもいいの、こんな簡単に招き入れて。俺、こわーい獣人だよ?」
「私も獣人ですよ。それに、あれでもあの男も腕っぷしが強いんですよ。それを子猫のように持ち上げるなんて。勝てる勝負しかしない主義なんです」
「わはは、大丈夫~? 実は俺達、王騎士だったりしてぇ」
「ははっ、恐ろしい事を仰いますね」
 胡散臭い笑みを保ったまま、バーテンダーはカウンターの棚を横にずらして隠し扉を出現させた。

 扉の奥は想像していたよりも広く、バーよりも明るかった。壁に等間隔で付いているドアはどこか拘置所を彷彿とさせる。
 案内された部屋は、来客用のソファー、テーブル、デスク、観葉植物に大きな金庫と、窓がない事以外は普通の事務所だった。
「雀卓っぽい」と重盛は布が貼られた大きなテーブルを撫でる。
 真紘は麻雀をしたことがなかったので、そうなんだ、くらいの感想しか抱かなかったが、重盛は向こうで働いていた時の店長が好きだったのだと弁明した。
 バーテンダーは奥の椅子に腰かけると、両手を突き出すように組んで目を細めた。
「私はここの責任者である黒豹です。マスターとでも呼んでください」
「分かりました。僕達はそうですね、救世主とでも。どうです? エルフのような男と、狐の獣人の二人組、それっぽいでしょう?」
「あっはっは! 王騎士の次は救世主様とは、大きく出ましたね。なるほど、確かに美しいわけです。承知致しました。では、早速ですが、お求めの物とご提出いただける物を教えていただきたい。なんでもありのこの此処でも、唯一フェアであるのがこの瞬間ですから」
「そうですね。整合性がなければ取引は成立しない。僕達の目的は一つ、昨晩持ち込まれたアレですよ」
「アレ、と言いますと?」
 わざとらしく悪い顔をした真紘がまっさらな耳朶を指さすと、マスターはくっくと喉元で笑いを殺し、片手で目を覆った。
「ほう、驚きました。もうそんな情報が入っているんですか」
「僕も狙っていたもので。残念ながら先を越されましたが」
「確かに売りに来た男も見た瞬間から狙っていたようですよ。今までの中で一番の値が付くだろうと上機嫌でいらっしゃった。やはりこの部屋にご案内して正解でした。例の品もまだ後ろの金庫に保管したままです。お見せしましょうか」
 そしてマスターは鼻歌交じりに部屋の奥にある黒い金庫をいじり出した。何重にも鍵が掛かっているため時間がかかっているが、その間も無防備にも背中を見せている。
 殺気立った気配が部屋の至る所から漏れていて、街中で見かけた猫の尻尾が視界の隅で揺れ動いた。
 先ほどから重盛も機嫌良く真紘の手を揉んで遊んでいる。
 カマをかけただけで、ブランシュの物と思わしきイヤリングの存在が確認でき、さらにそれを売りに来た男が闇市の常連だと分かったのだから無理もない。
 豪運とも呼べる重盛の勘に報いるため、真紘は手の自由を彼に委ねた。
 席に戻って来たマスターは大きなダイヤモンドのイヤリングをトレーに乗せた。
 煌々と輝くダイヤモンドはブランシュのネックレスとティアラと同じ装飾が施されており、一目でボトルルフがベレッタ家に贈った物だと分かった。
「これのネックレスとティアラは?」
「流石、狙っていただけありますね。三点持ち込みの予定でしたが、回収できたのはイヤリングだけだったそうです。何やら想定していた以上に邪魔が入ったとかで」
 邪魔をしたのは恐らく捜査のため終始遺体の横から離れなかった自分達だ。
 わざとらしく眉を下げた真紘は渋ってみせた。
「うーん。セットで欲しかったのですが」
「申し訳ございません」
「では、このイヤリングだけでも購入させていただきましょう。あっ、ついでに仮死状態になる薬なんてあります?」
「ははっ。イヤリングを売って来た男と同じ事を仰るんですね。流行りなんですか?」
「これを持ち込んだ男、同業なんですけど邪魔なんですよね。これからは王都を拠点にしようと考えているので、ちょっとした牽制をしておこうかな、なんて言ったら呆れられます?」
「いいえ。むしろこちらとしても好都合です。本来なら顧客の情報を簡単に漏らすことはありませんが、あの男、近々王都を去ると言っていましたから、情報料欲しさに売られる前にこちらから売っておこうかと思いまして。ここだけの話、奴の昼の顔は高給取りなんですよ。それがこんなところに通うだなんて、本当に悪い男です。救世主様方が始末してくださるなら願ったり叶ったり」
 闇市のマスターに悪い男だなんて言われるほどの犯人を思い浮かべ、真紘は苦笑した。
「男の本業とは?」
「それはこれからご提示いただける品物次第ですね」
「失礼しました。何をお求めですか? 望む物なら何でも出しましょう。アレキサンドライト、エメラルド、サファイア、それともルビー?」
「ダイヤモンドと交換ですからねぇ……」
 手の平を上に向け、肩を上げてみせたマスターは短い耳をぴくぴくと動かした。
 それなりの品を提示しろと挑発しているのは明らかだ。
 乗ってやろうではないか、と真紘は不敵に笑う。
「ではこうしましょう。東の山中の屋敷で厳重に保管されていた品物。燃えるようなワインレッドのルビーの指輪を」
 真紘は巾着から指輪のケースを取り出して蓋を開けた。
「あーはいはい。これね。こっちね。分かってたけどね?」
 そのケースを見た重盛は内心阿鼻叫喚だった。
 現れたケースが、自分が真紘に贈った結婚指輪のケースそのものだったからだ。
 一方、重盛から贈られた物しか想像できなかった真紘は、驚かせたお詫びをしなければとテーブルの下で両手を合わせた。
「こ、これは……。拝見します」
 興奮した様子のマスターは宝石用ルーペを取り出し、ケースからルビーの指輪を慎重に抜く。五分ほど経ったあたりで、彼は頭を抱えて信じられない、と呟いた。
 真紘が創り出したのは、タルハネイリッカの屋敷で見せてもらった家宝の指輪そのものだったからだ。
 台座の裏には紋章が刻印されている。
「いいや、これが本物ならば大変な騒ぎになっているはず、偽物では……」
「ふふっ。騒ぎになっていないのが本物である証ではないですか。盗まれたことを公にすれば、権威が失墜するだけ。あのお方も馬鹿ではない。まあ、信じられないのであれば結構ですよ。まだここは一軒目なので、別のところで引き取ってもらっても――」
「待ってくれ!」
 黒豹の毛が逆立ち、初めて敬語が抜け落ちた。
 かかった、と真紘は笑みを濃くする。
 攻防を見守っていた重盛はふるふると産まれたての小鹿のように震えていた。
「差額は当然お支払いいただきます。足りない分は僕の獲物を横取りした男からいただきましょう」
「かしこまりました。男の情報も全てお伝え致します」
「商談成立ですね」と一人で小さな拍手をする真紘はイキイキとしていて、絶対に彼に麻雀や賭け事を教えてはいけない、と重盛は心に誓った。

 イヤリングを売りに来た男の情報を聞き出し、店の金庫が空になるほどの金を受け取った真紘と重盛は、再びギルドに向かっていた。
 あの一帯の店が地下で繋がっていて闇市と化していると報告するためだ。回収した金は被害に遭った者の救済に使ってもらう。
「指輪のケースもビビったけどさ、おっさんのところの指輪はどうすんの? 複製して置いてきちゃったけど、あれ家宝って言ってなかった?」
「騙すために一時的に複製しちゃったけど、ギルドから大量の人が派遣される前には跡形もなく消えているよ」
「お宝も消滅して、摘発されて、踏んだり蹴ったり。まさに狐につままれたって感じになるんだろうな。恐ろし~」
 ローブを脱いでいつもの銀色の髪を靡かせた真紘は、重盛の鼻をきゅっと抓んだ。
「ぶえっ、それじゃ狐をつまんでるって~」
「ケースも指輪も驚かせてごめんね」
「いいよ。他の指輪ケースなんて知らなくていい。てか、真紘ちゃんがここまで演技派だとは思わなかったからそっちのが驚いた。ハラハラしたけど新たな一面を知ってキュンとした」
「本当に? 上手くいって良かった。姉さんならこうするかなって思ってさ。演劇部だったコトちゃんの練習相手をさせられていたんだ。僕が舞台に立つわけでもないのに本気でやれってよく怒られたものだよ」
「勝気な感じが今もまだちょっと真琴さんっぽいけどな。なるほどねぇ、真紘ちゃんは役に入り込むタイプかぁ。地球にいたら今頃役者になってたかもね。どうせスカウトされたこともあんだろ。あのまま地球にいたらテレビで活躍するお前を見る度に死にそうになってたかもな。恋愛ドラマの相手役に抜擢されて、可愛い女優と……。やっぱ無理、めちゃくちゃ無理! 想像しただけで泣きそう!」
「ちょっと待って。ツッコミどころが多すぎるよ」
 米神に拳を当てて真紘は目を閉じる。
「そう? 俺も何枚かスカウトマンから名刺貰ったことあるけど、半分くらいはホストクラブだったよ」
「それは夜のバイトをしていたからじゃ……じゃなくて、真琴姉さんと知り合いだったの⁉」
「んははっ、なわけないじゃん。三人でよくうちに惣菜買いに来てたっしょ。階段横に座ってると会話の内容とかも聞こえんの。真琴姉さんってちょっと麻耶姉さんに性格似てるよな。竹を割ったようなところが」
「ああ……確かにね。そうか、僕のこと知ってたんだから当然姉さんや妹のことも知ってるか……」
「そゆこと」
「姉さんと僕のこと間違えてたわけじゃないよね? 自分で言うのもなんだけど、そっくりでしょう?」
「あのねぇ、俺は、いつも一歩引いたところでコトちゃんとオリちゃんの話をうんうんって聞きながら、コロッケばっかり選んでニコニコしてる真紘ちゃんに惚れたの。雨の日に再会して、高校で本突き刺してきて、この世界でもっと好きになったお前に。顔が一緒なら誰でもいいわけじゃないんだけど」
 ふんっ、とそっぽを向いた重盛に真紘はごめんと謝った。
「怒んないで……」
 叱られた子供のように口を尖らせて俯くと「怒ってはない」と頭をわしゃわしゃと些か乱暴に撫でられた。
「正直男でも女でも性別不明でも、真紘ちゃんならなんでもいいんだよ。中身がお前じゃなきゃ嫌だ」
「言わせた感がすごい」
「わはは! さっきまでの大胆さどこいった!」
「姉にまで嫉妬するなんて僕は……。反動で段々恥ずかしくなってきた」
「ふふん、俺は大いに喜んだ。いつもの照れ屋な真紘ちゃんに戻ったな。悪い奴とっ捕まえて、早く家帰ってイチャイチャしよ」
「ぐっ、うう……」
 素直に頷き辛い誘いに否定も肯定もせず、ギルドに向かって黙々と歩く。途中で駆け足になったのは真紘の精一杯のイエスだった。
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