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新しい年

63.美しいものⅡ

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「真紘様、重盛様、せっかくお越し頂いたのにお恥ずかしいところをお見せして……。誠に申し訳ございません。長女のローザは幼い頃から甘やかして育ててしまい、政治事にも疎く、お二人の素性も知らないのです。本来親である私が教えなければならないところですが、懐いていた妻が亡くなってからというもの、全く手が付けられなくなってしまって……」
「構いませんよ。僕達は王騎士としてではなく、便利屋として来ているので、リドレー男爵もご家族のことを優先してあげてください。犯行予告が届いてさぞかし不安なことでしょう」
「お心遣いに感謝致します」
 深々と頭を下げる男爵に重盛はねえ、と呼びかける。
「一個だけお願いがあんだけど。香水は控えめにって伝えてくんない?」
 重盛はスープカップを顔から離してテーブルに置いた。
 どうやらローザが退出するまでスープの芳ばしい香りに集中することで乗り切っていたようで、余程相性が悪いのか彼女と外で会った時よりもぐったりしている。
 気を遣ったマリーが部屋の窓を開けてくれた。
「マリーちゃん、ありがとうね。あのさ、婿候補のトランシルヴァ伯爵って長男、次男、三男のうちの誰?」
「三男のドラルク様です。まだ親同士の口約束で、お会いしたのは一度だけです。ですがきっと婚姻の話は白紙になると思います。私を見てがっかりして、お姉様の方だったら良かったのにと思われたと……」
「そんなことないって。トランシルヴァ伯爵家の豚肉美味しいよねぇ。三男坊にも王城の厨房で会ったことあるけど大らかでいいやつだ。あいつ見る目あるじゃん。俺も姉ちゃんよりマリーちゃん派」
「ええ⁉ なっな……! 初めてです、そんなこと言われたの……」
 ぽっと頬を赤らめたマリーは顔を両手で隠した。
 確かに自分もそう思ったが、それとこれとは話が違う。
 この天然たらしめと真紘がジトっと隣を睨むと重盛は大袈裟に慌て出した。
 立ち上がったと思えば、椅子ごと真紘を後ろから抱きしめると「この屋敷で一番綺麗な者って現状真紘ちゃんじゃんね! てか世界で一番綺麗で可愛くてカッコいいもんなぁ、困るな~盗まれちゃうんじゃないかって重盛君ひやひやする!」とごまをすり始めた。
「あのねぇ、僕はものじゃ――って、僕達は勝手に脳内で補正がかかって読めているけど、この【美しいもの】の【もの】って人も含まれるのかな。宝石は物で、人は者、だよね」
「あー確かに。文字のニュアンス的にはどっちもアリだな」
 男爵は受け取った予告状をもう一度テーブルに広げて置いた。全員でそれを覗き込む。
 認識のズレがないか真紘は細かく質問を繰り返した。そしてリアースの人にも自分達と全く同じ文章が見えていることが分かった。
 王城の書庫で見た怪盗アンノーンが出したとされるこれまでの予告状と比べても、こんなに曖昧な書き方は初めてで、全く見当がつかない。
 皆が頭を悩ませる横で、男爵はいよいよ大粒の汗をかき出した。
「ロ、ローザ……。長女のローザはあの美しさを見初められ、子爵家に嫁ぐことになっています。婚約が決まってから何度か婚約を破棄するようにと手紙が届いたのですが……」
「はあ? 脅迫状も届いてたのかよ!」
「その脅迫状はまだ手元にありますか?」
 眉を顰める重盛の迫力に男爵はひっと声を上げた。
 体調不良も相まって今日は声も少し低いため、普段の彼を知らぬ者からすれば威圧感がある。
 真紘が重盛の背中に手を添えると、男爵はほっと胸を撫で下ろした。
「それが子爵様も中々の美男子でして、女性からの人気が凄まじく、嫉妬した者が寄越した手紙だろうとローザが破り捨ててしまったので……」
「何度か届いた脅迫状は全て同じ差出人でしたか?」
 男爵の代わりに答えたのはマリーだ。
「いいえ。私もお姉様が破り捨てる前に見せてもらったのですが、藁半紙のようなものと、貴族が使うような上質な便箋の二種類でした。どちらも差出人は不明で、藁半紙には多分アネモネとダリア、クロッカスのイラストが描いてあったような……。貴方も一緒に見たよね、ポール」
「ええ、ですが花の種類までは」
 真紘は頭の中で植物図鑑のページをめくる。脅迫状に添えてあったのなら花言葉もメッセージの一つのはずだ。
「アネモネ、ダリア、クロッカス……。うーん、でも地球での花言葉とリアースの花言葉が同じとは限らないのかなぁ」
「こればかりは考えても仕方ないっしょ。真紘ちゃん、その三つの花言葉教えてよ」
「共通するのは【裏切り】だね。だけどローザさんの婚約者である子爵様と懇意だった女性が子爵様本人に贈るならまだしも、恋敵に送るには相応しくない言葉じゃない? 恋敵に送るなら恨みとか悪意にすると思う」
「では貴族が使うような便箋は恋敵の貴族からで、藁半紙の方はお姉様に想いを募らせた殿方ということ?」
「断言はできませんが、想いを寄せる相手ならば今夜の予告状のように“美しいもの”と書くかもしれませんね。怪盗アンノーンがそのローザさんに想いを寄せる男性なのかは些か疑問ですが、相手は盗みの天才を謳っている。絶対に美しいものを手に入れるという意志は伝わってきます。恐怖を与えるには十分でしょう」
 わなわなと震え出したリドレー男爵はなんてことだと叫ぶと、真紘達の制止も聞かず、血相を変えてローザの部屋へと走って行った。
「親父さんすっ飛んでったな」
「そうだね。でもまだローザさんが美しいものって決まったわけじゃないんだけどなぁ」
「用心しとくに越したことはないじゃん。俺は真紘ちゃんとマリーちゃんが盗まれないように見張っとくから安心して」
 重盛がパチンとウインクを一つマリーに送ると、ポールはさっと彼女の前に出た。
「あははっ! 重盛様ったらお上手ね。予告は夜でしょう? それに私なんかを誘拐しようなんて人はいませんよ」
「ニコニコしてるマリーちゃんのが絶対可愛いって! ねえ、真紘ちゃん」
「うん。年上の女性に言うことではないかもしれないけど、なんだか妹を見てるみたいで心配ですよ」
「えへへ、ありがとうございます。お二人のような優しいお兄様がいたら本当に良かったのに……」
「ポール君がいるじゃん」
 肩に重盛の手が置かれたポールは、大袈裟な程びくりと揺れた。
「おっ、悪りぃ。急に触られるの嫌だよな」
「い、いえ! 俺……いえ、私のような者がマリー様の兄など恐れ多くて」
「もう、いつも気にしないでっていつも言ってるのに。でもポールは年下だから弟って感じかな」
「俺だって十九で、マリー様とは一歳しか違いません!」
 がっくりとうな垂れるポールの姿に、真紘と重盛は視線を合わせて頷く。
 ポールはマリーが好きなのだ。
 重盛がマリーを可愛いと言う度に挙動不審になっていた理由は何とも可愛らしいものだった。
 せめて邪魔をしないようにしなければ、と真紘が策を練る暇もなく、重盛に片手が腰に回り固定される。
「そうそう。一歳差なんてあってないようなもんだよな。んじゃ、親父さん戻って来ないし、俺達だけで腰かけ石までダブルデートと行きますか」
「ああ、そういう……」作戦ね、と真紘は察した。
 君もマリーをエスコートするように、とポールに真紘が下手なウインクで合図を送ると、彼は頬を赤くしてわたわたと慌て出した。
 背後でマリーは黄色い声を上げる。
「いきなりダブルデートでラブラブ大作戦を台無しにすんなって! もうウインクしないで、重盛君からのお願い」
「なんで⁉ そんな見るに堪えないウインクだったの? ちゃんとポールさんもマリーさんをエスコートするようにって合図したよ! あとさ、僕もエスコート役が良かったな」
「そう言うことじゃないっての……。でも相談なしに腰抱いたのは悪かったよ。ついでと言っちゃなんだけど、もう一個お願いしてもいい?」
 耳を傾けると、伸びた耳の先が重盛の頬にぷすりと刺さった。
 重盛は力なく笑う。
「んえ、ははっ距離感間違えた。大丈夫? 耳痛かった?」
「僕は大丈夫だよ。重盛は頬っぺたというか、なんだか全体的に具合悪そうなままだね……?」
「そーねぇ。なんかさ、まだ鼻がむずむずして平衡感覚がないから、もうちょっと体重預けていいかなってお願いなんだけど」
「勿論だよ! どうしよ、歩ける? 抱っこする?」
「それはちょいハズいから大丈夫」
 ついにいつもの軽口もなくなった。普段の重盛ならば積極的じゃんだの、それだけじゃ足りないだの言ってくるはずだ。
 これはエスコート役がどうだとか意地を張っている場合ではない。
 重盛の背に腕を回して支えると、しゅんと垂れた耳が真紘の頭に乗った。
 またしても後ろでまたマリーが黄色い悲鳴が上がる。
「なあ、マリーちゃん、ポールさんそっちのけで俺達のこと見てない?」
「目の前でこんなにくっついてたら誰だって気になるよ。後ろから見ると重盛が僕に甘えているだけに見えてるんじゃないかな。それよりごめん。そこまでにおいに酔っていたとは思わなくて……。もう少しで外だから頑張って」
「ははっ、真紘ちゃんのせいじゃないのに謝んのね。迷惑かけてんのは俺だってば。てかさ、ローザちゃんの香水だけじゃなくてこの屋敷全体が色んな臭いがすんだよねぇ。誰かが間違って何種類も芳香剤ぶちまけたみたいな、そんな感じ」
 この屋敷の近くには農業用の倉庫もある。農薬などの臭いなのだろうか。
 意識して匂いを嗅いでも真紘には分からない。
 マリーとポールにこれ以上心配を掛けないようにという恋人の配慮を尊重するため、真紘は仲睦まじい姿を後ろの二人に見せつけるのであった。


 屋敷の外に出て畑道を歩く。
 先導はポール、続いてマリー、真紘、重盛だ。
 グレーの作業着に着替えたマリーはドレス姿よりも生き生きとしていて、畑仕事が好きなのだと一目で分かる。
 外の空気を吸って重盛は穏やかな表情に戻った。
 ぼこぼこと盛り上がった土を何度も踏む。たまに霜柱が下に隠れていて、サクサクと音が鳴って面白い。
 乾いた空気に乗って、遠くなった厩舎にいる馬の鳴き声がここまで届いた。
 靴やスラックスの裾は汚れるが生活魔法があるので問題ない。それよりも革靴で畑に入って良いのかとポールに問えば、歩く事ができるのならば良いのだという。
 生活魔法は農家にとって憧れの魔法のようで、無事に犯行予告を乗り越えたら一緒に練習することになった。

 二キロ程いったところで、畑の真ん中にポツンと腰かけ石が現れた。
 高さは約七十センチ、二メートル四方の大きな石。
 地面にどれほど埋まっているのか分からないが、人力で動かすのは難しい大きさなのは明らかだ。
 天気の良い日はここを休憩所にして弁当を食べたり寝転んだりするのだとマリーは自慢気に話す。
 今日は曇り空だが、その光景が想像できるほど、彼女は広い空の下が似合っていた。
「真紘様、この石は美しいものに値するのでしょうか?」
「僕は綺麗だと思いましたよ。特にここの断面、つるっとしていて金属の光り方をしている。恐らくかなり昔からある隕石なのではないでしょうか」
「インセキって磁石にくっつくあの隕石?」
 重盛の疑問を解決すべく、真紘はポケットに手を入れて磁石を創り出した。
 それを腰かけ石に近づけるとビタンっと張り付いた。
「うーん、全ての隕石が磁石にくっつくわけじゃないし、普通の石でも磁性金属の含量が多ければ同じ結果になるから一概には言えないけれど、このあたりはひたすら平地が続いているし、このサイズの石を人力で運ぶのは至難の業だと思うから、多分これは隕石なんじゃないかなぁ」
 真紘のような魔法を使える者や重盛のような力のある者が運んで来た可能性も考えられるが、大昔に空から降って来たと考えた方が自然である。
 マリーは祈るように手を合わせ、ぶるぶると震え出した。
「隕石だなんて……。美しいかは人の価値観によりますが、怪盗アンノーンが好む珍しい石には該当するのでは……。嗚呼、どうしようポール、私達の思い出の場所が盗まれちゃう」
「マリー様、大丈夫です。いくら怪盗アンノーンでもこの重さの石を運ぶことは不可能だと思います。それに俺が絶対に守りますよ。ここは貴方と共に過ごした大事な場所ですから」
「ポール……。うん、ありがとう」
 そっと寄り添うようにポールはマリーの肩を支えた。マリーは肩に乗った手にそっと頬を寄せる。
 良い雰囲気に真紘は目を見開き口元を手で押さえた。すると同じ顔をしている重盛と目が合った。二人はこそこそと小さな声で会話する。
「甘酸っぱ! 俺らが何もしなくてもくっつきそうじゃん!」
「そうだね。でもマリーさんはいつかお婿さんを迎えることになってるんだよね。なんとかならないのかな……」
「そればっかりはリドレー男爵と話し合うしかないだろうな。トランシルヴァ伯爵家は男爵より爵位も高いし、婚姻と商売の話もイコールみたいなとこあるんじゃね?」
「君ってそういうところはドライだよね。自分の結婚式はロマンティック全開な妄想してるのに――あっ」
 昨日から何となく触れずにいた結婚式や入籍といった自分達の関係性に言及してしまい、真紘は目線を逸らした。
「まあー……その辺は近々、また話そ?」
「う、うん。そうだね」
 火照った頬を冷ますように手でパタパタと扇ぐ。二人はそろって顔が熟れたトマトのように赤くなった。

「ろ…さま……真紘様、真紘様!」
 何度目かのマリーの呼びかけにはっとして真紘は顔をそちらへ向ける。
「ッはい! はいはい、何ですか?」
「ポールと話し合ったのですが、腰かけ石の一部だけど切り離して自宅に保管することは可能でしょうか?」
 一晩中寒空の下で警備をする人手もない上、暗闇の中で知らない人間が出入りすれば畑が荒れてしまう。石を砕くために爆破などされたらたまったものではない。
 ならば最初から持ち出せるサイズの石があると怪盗アンノーンにアピールしておけば良いのではないかという結論だ。
 砕いた隕石ならば盗られても大した被害は受けず、畑も思い出の場所も守れる。
 怪盗の目当てが隕石ではなかった場合はそのまま屋敷に飾るという。
 依頼人が自ら盗みやすいように配慮するなど聞いたことがないが、隕石が屋敷の中にあった方が警備も楽なので、真紘と重盛にとっても大変ありがたい譲歩であった。
「あーそりゃいいじゃん。小さいサイズなら飾れるし、なんなら加工してアクセサリーにもできるっしょ。いい店紹介するよん」
「それは大変ありがたいお話なのですが、どうやって切り離そうかと……」
 それならばと重盛は拳を作る。
「ど真ん中からパックリ二つは流石に困るか。力加減難しいなぁ。いい感じのサイズにならなかったらごめんね」
 構わないとマリーは頷く。
「了解。んじゃ早速。せーのっ」の掛け声の後、ぼてっと土に重い物が落ちた音がした。
 そこには拳サイズの黒い石が転がっている。断面は見事に艶々と輝いていた。
 凄いと盛り上がるマリーとポール。
 真紘は重盛の拳をそっと開いた。
「痛くない?」
「うはは! 全然痛くないって、あっ! 嘘、痛くなってきたかも、これは労いの熱いキッスがないと治らないやつ――ってアイテテテッ」
 言い終わる前にもう片方の手でニヤケ面の頬を摘まむ。
「心配した僕が馬鹿だった」
 真紘が繋いだ手の平を自分の膨らんだ頬に導くと、すぐに重盛は治りましたと降参した。


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