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旅の記録

54.鈍色の鎖

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 入口に戻るとヴァイスは全員避難できたことを確認して、他の作業チームに事件が起きたことを知らせに行った。置いていかれた者達は一先ず休憩所に移動することになった。
 休日に仕事場に来ていた訳アリの三人の男は一人ずつ椅子に座る。
 真紘と重盛は並んで壁に寄りかかり、ヴァイスが戻ってくるのを待った。
 その間も室内には気まずい空気が流れる。
 耐えきれず沈黙を破ったのは重盛だった。
「こんにちは。俺達さっき到着したばっかりなんすよ。あーそんな疑いの目を向けられても困る、マジで旅行中に偶然立ち寄っただけっす。俺は重盛って言います。えっと、ここにいるのはパーシイさん、セロンさん、バッシュフルさんで合ってます?」
 重盛は自己紹介を終えると、ヴァイスの作業机に置いてあった出退勤の記録ノートを勝手に拝借し、作業場に入った順番であろう名前を読み上げた。
 魔法が使える世界なのになんでもアナログで管理していることに若干の不便さを覚えながら、真紘は重盛の持つノートを覗き込んだ。
「ヴァイスさんが来るまですることもないし、俺達も何がなんだかって感じなんだよね。よかったら此処に来た順番に、えっとパーシイさんから色々教えて欲しいなーなんて」
「まあ、いいが……」

 一人目は、パーシイ。
 ヴァイスと同じく筋肉隆々の炭鉱の男といった逞しい体付きに、太い眉が特徴的で、黒い髪に白髪が少し混ざり始めている。
 真紘が「なぜお休みの日に職場へ?」と尋ねると、話を切り出した重盛から質問されると思ったのか、三人は不思議そうな顔をした。
 こういう時、普段お喋りな重盛は一歩下がって真紘に進行役を任せる。自ら率先して表に立ってきたわけではないが、幼い頃から他薦で常に弁舌をふるってきた真紘に対し、重盛は自らの意志でサポート役に徹し、周りを巻き込んで摩擦を最小限にする方法を選んで生きてきた。
 重盛が会話のきっかけを作り、すっと一歩下がったのを見て、質問するのは自分の役割なのだと真紘は判断した。
 恋人としても便利屋としても、立ち回り方が真逆でいてピタリとはまる、良いパートナーだ。
 パーシイはやや間を空けて答えた。
「えっと、昨日は左の作業場で新人研修の監督をしていたんだ。休憩時間に手袋を外したんだが、結婚指輪も外れて落としたようで……。帰宅してから指輪がないことに気が付いて、探しに来た。明日になれば人の出入りも増えて探し難くなるからな」
「それは大変でしたね。指輪は見つかりましたか?」
「おかげさまで。見つけて帰ろうと思ったら……。あの、別のもんも見つけちまったんだよ」
「では驚いて声をあげたのはパーシイさんですか?」
「そうだな、叫んだかもしれない。その後すぐに真ん中と右の作業場から二人だ出てきて、恥ずかしいことに腰を抜かした。俺は指輪を探すために来ていて、手ぶらで身を守るような物は何もなかったから」
「足音で犯人が戻ってきたと思ったんですね」
「そうだ」


 二人目は、セロン。
 蛇のような顔をした茶髪の二十代くらいの男。ピアスやバングルをしていて少々尖った若者といった印象だ。腕も足も組んで、不機嫌そうな表情を浮かべている。
「ではお次にセロンさんに質問してもよろしいでしょうか」
「どうぞ」
「何故休日に職場へ?」
「俺はまだ入ったばかりだから、昨日と同じ真ん中の通路の研修場で採掘の練習していた。優秀な指導官だった親父に追いつきたくて。ただそれだけ」
 セロンはツンとした態度で、あからさまにこちらを警戒しているオーラを放っていた。今は何も所持していないが、避難の際に仕事用具が入った四十リットルほどの麻袋を作業場に置いてきてしまったという。
「作業場のトンネルに入ったのは二人目でしたが、いつもと様子が違うな、変だなと思ったことはありましたか?」
「さあ、ないけど」
 ちらりとセロンは隣を見た。それに対しパーシイが眉間に皺を寄せる。
「では、悲鳴を聞いてから通路の合流地点に?」
「そう。丁度三又の分岐点に死体があって驚いたってわけ。人の気配がする横の通路を覗いたらパーシイさんが転がってた。別の通路からバッシュフルさんが出てきたのは俺と同時くらいだったような気がするけど、よく覚えていない。その後はそこの狐の兄ちゃんがすぐに飛んで来て、知っての通り。俺は来たのも、見つけたのも真ん中。どうやったって犯人ではないだろ」
「最初に入ったパーシイさんが、来た道を戻って途中でご遺体を置き、自らが第一発見者となった。又は最後にトンネルに入ったバッシュフルさんがご遺体を置いたということでしょうか」
「どう考えてもそうだろ。俺が死体を運びこんだとしても、誰かとかち合っていた可能性は高い。俺が犯人ならそんなリスキーなことしない」
「おい、俺がやったと言いたいのかッ!」
 声を荒げて椅子から立ち上がったパーシイを宥めるため、真紘は「あくまで可能性の一つですから」と付け加えた。


 三人目は、ドワーフ族のバッシュフル。
 ずんぐりとした体型に、長い顎鬚。赤茶色の髪の毛は顔の前に流して顎鬚と一緒に三つ編みに結ってある。
 彼は真紘が問いかける前に語り出した。
「俺は友人に頼まれた仕事をするために、右側の作業場に来た。持ち込んだのは作業用カートで、採掘した石灰や魔石を入れるためのもんだ。避難する際に置いてきてしまったが、回収できれば中身も確認できるはずだ」
「ご友人の代理で……。普段は第三チームではないのですか?」
「普段は第五にいるが、新人研修の監督もすることがあるから、第三作業場に来ることもあるな。研修場があるのはここだけだから」
「なるほど。この中だとバッシュフルさんとパーシイさんは指導員で、セロンさんだけが新人さんなんですね」
「そういうことになるな。俺達はドワーフだが、火の魔法が使えない流れ者だ。そのおかげで炭鉱で働けるんだが、無駄に歳だけはくってるから、自ずとどこに行っても指導する立場になるもんだ。で、お前達は何者なんだ? 獣人は兎も角、エルフなんて俺も長いこと生きているが、会ったのは数回だけだぞ。お前達は集落からほとんど出てこないだろう」
 バッシュフルは怪訝そうな顔をして真紘に問いかけた。
 エルフは同じ長命種族のドワーフでさえ珍しい種族らしい。エルフの集落があるのも初めて知った。
 なんとなくツンと尖った耳に視線が集まっているような気がして視線を彷徨わせる。
 重盛は真紘の背中に手を回して、そっとローブのフードを被せて囁いた。
「真紘ちゃん、名刺チャンスだよ」
「あ、うん。僕は便利屋をしているただの旅人です。よろしければこちらをどうぞ。名刺お渡ししますね」
 M&Sが並ぶ淡い色の名刺。重盛の希望はまだ聞いていないが、松永姓で刷り直してもらいたいと考えているところだ。
 真紘が懐から名刺を取り出し三人に配ると、バッシュフルは意外にも食いついた。
「便利屋ってのは休暇中でも何でもしてくれるのか?」
「今は休暇中というか余生旅と言いますか。ギルドに依頼するまでもないこと、例えば倉庫の掃除とか、物の配達などであれば、可能な限りご依頼は受けていますよ。僕達で何かお力になれることが……?」
 真紘の問いかけにバッシュフルは一度大きく頷いて新たな情報を持ち出してきた。
「ああ。ギルドよりも早く、俺の友人を殺した犯人を見つけてほしい」


 程なくして休憩所のドアが物凄い音を立てて開いた。
 身なりの良いギルド職員を引き連れたヴァイスが戻ってきた。
 トンネルの遺体はギルドの職員が回収し、解剖に回されるらしい。遺体があのまま暗い場所で放置されずに済むと知った真紘は安堵のため息をついた。
 気の強そうな目をした青髪の男は冒険者ギルドのブルームと名乗った。
 センター分けの長い前髪はなんとなくノエルに似ているが、彼が陽だまりのような男ならば、ブルームからは人を寄せ付けない吹雪のような冷たい印象を受ける。
 今回の事件は彼が責任者のようだ。
「それで、ここにいる五人が容疑者というわけですか」
「ブルームさん、このローブの二人は見学に来たばかりのお客さんで、私と遺体を発見したので違います」
「嗚呼、そうですか。体力が桁違いの若い獣人が絡んだ事件は厄介なのでね、始めから容疑から外れて助かりますよ。そこの女性に遺体を運ぶのは無理そうですが、隣の男と共犯という線もありましたから。さあて、残りの三人は話を聞かせてもらいますよ」
 女性、ああ、自分のことか、と真紘はワンテンポ遅れて気付く。フードを被っていては長い髪しか出ていないので性別も種族も判別し難いため仕方がない。
 また重盛が怒るのではと横をちらりと見てみると、金色の瞳には目を丸くした自分が映っていた。
 百七十センチ半ばの真紘と、百八十センチ後半の重盛では十センチ以上身長差があるので、自然と上目遣いになる。少しだけ踵を浮かせて真紘は囁いた。
「なんでこっち見てるの?」
「どうでもいい野郎を見てるより、真紘ちゃんを見てる方が幸せで建設的じゃんって思って反省したから」
「反省することあった?」
「真紘ちゃんのことになると独占欲が爆発して耳も尻尾っも爆発しちゃうじゃん? そうするとお前は困った顔するし、俺ってそもそもデカいし怖いだろ。それじゃあ良くないなって思ったわけよ」
「そんな……。重盛は自分が何を言われても怒らないけど、いざという時は僕のために率先して一歩先に出て盾になろうとするよね。有難いなぁと思うのと同時に、僕だって君の体や心が傷付くことがあったら嫌だな、心配だなって思ってるんだ。だから別に君が怖くて困っているわけじゃないよ」
「そっか、ありがと……。真紘ちゃんも自分の事じゃ怒らないけど、さっきとか、ほら、獣人の悪口言われてちょっとイラっとした顔してた。それを我慢できるのは偉い。俺も見習っていかなきゃだな」
「ありがとう。でもそういう顔をしてる時は案外、頭の中では相手をけちょんけちょんにしてるかもよ」
「わははっ! まあ、ほら、そろそろ二十歳じゃん。俺もカッコいい大人の男になりたいわけよ」
「先は長いんだから、人より子供の時間が長くてもいいと思いうけどなぁ。可愛い重盛が見れなくなるのはちょっと寂しいよ」
 頭を撫でようと重盛のローブの端を引っ張ると、米神に鼻を押し付けられた。
「匂い嗅ごうと思ったのにやっぱり鼻がバカになってる」
「鼻だけじゃなくて常識的にもお馬鹿さんだよ。人前で嗅がないで、恥ずかしいから」
 苛立っているより健全ではあるが、何かおかしいような。
 そんなコソコソと話す二人の様子を見ていたブルームは空気を裂くように手をパンパンと叩いた。
「では、そこの三名は私の部下と共に一度外に出てギルドへ。ヴァイス氏は炭鉱の現場検証にあたり注意の周知徹底をお願いします。火属性の者は連れてきておりませんが、炭鉱を駄目にしたと後から苦情を言われても困りますので」
 眉間に皺を寄せたままのブルームに重盛は問う。
「あのー、俺達は?」
「お二人は事件の前まで行動を共にしていたヴァイス氏の聴取と齟齬がないか確認したいので、後ほど事情聴取にご協力ください」
 彼とヴァイスに付き添われ、連れて行かれた三人を見送ると、休憩所は真紘と重盛だけになった。


 二人きりになり、ほっと一息ついた真紘が一人掛けの椅子に腰かけると、重盛はその前にしゃがみ込んだ。
 いつも高い位置にある頭を見下ろすような形になったので、真紘がここぞとばかりに重盛の耳を両手で揉むようにして撫でると、彼は気持ちよさそうに目を細めた。
「しゃがんでいると疲れるんじゃない?」
「だいじょーぶ。俺は撫でられて回復するし、真紘ちゃんは撫でて回復する。ウィンウィンじゃん」
「そうだね」
「二人きりだよ、どうする?」
 腕が顔に向かって伸びてきたと思えば、前髪ごと掻き上げるように指を挿し込まれ、真紘がかぶっていたフードは重盛よって肩にパサリと落とされた。頬を指の腹で擦りながら満足そうに重盛は微笑む。
 やはり顔や耳に注目されるのが面白くなくてフードを被せたのか。
 独占欲を享受しながら真紘は頬にかかる髪を耳にかけた。
「友人を殺した犯人を見つけてくれ」というバッシュフルから受けた依頼は保留中。
 これは明らかに殺人事件であり、ギルドの仕事だからだ。王直属の騎士である権限を行使すれば、自らの仕事にすることも可能だが、素人に毛の生えたような自分達がプロの仕事に迂闊に手を出すべきではない。
 直ぐに断らなかった理由は「ギルドよりも早く」「友人」という発言に引っ掛かりを覚えたからだ。
 特に前半の発言から考えられる可能性の一つとして、バッシュフルは亡くなった友人の敵討ちをしようとしているのではないか、という疑惑だ。
 どうして顔も分からない被害者を友人だと断定できたのかも分からない。
 重盛の問いになんと答えるべきか、真紘は迷っていた。
「気が付いたことはあるよ」
「うんうん、話してみ?」
 真紘が拳を膝に手を置くと、すぐに自分より高い体温が重なる。
「あのご遺体、トンネル内で燃やされたんじゃないと思うんだ。ご遺体の横に落ちてた布は新品みたいに煤一つなかったし、燃えてない下半身はちょっと濡れてたよね」
「それは俺も気が付いた。下半身が濡れてたのは火を消すためじゃね?」
「火気厳禁のあの場で上半身が焼けるほど燃えていたらとっくに引火して辺り一帯が爆発してるはずじゃない? 石灰を多く含んだ土壌で水が素早く吸収されたとしても、地面は全く濡れてなかったし、水をかけて消火したわけではなさそう。あと、臭いもあまりしなかったから……。やっぱり外で燃やされて運ばれたんだと思うよ」
「なるほどな。だから逃げる時も真紘ちゃんは焦ってなかったわけね。でも犯人がわざわざ作業場に遺体を運んだ理由が謎だな。今日が休みだったとしても、明日になりゃ嫌でも見つかるじゃん。どっかに埋めるために、一時的に移動させてたんかな?」
「それはまだ分からないけど、ご遺体が濡れた理由は幾つか考えられるね」
「見当ついてんの?」
「仮説でしかないけど、一つ目は海辺やここから近い湖で殺害されて、潮汐や湖の波で下半身だけ水に浸かる状況だった。二つ目は昨日の夜、僕達が寝る直前あたりに降り出した雨。全身に火が回る前に鎮火したとも考えられるよね。死亡推定時刻は不明だけど、その場合の犯行時刻は昨夜の二十三時前後かな……。今日トンネルに運ばれる間まで、ご遺体は外にあったんじゃないかと思う」
「なんで二十三時前後?」
「昨日、寝る直前に月の光が陰って雨が降ってきたから。犯人が被害者の上半身に火をつけたから、一気に降った雨で下半身まで回らなかったのかなって」
「へぇ、真紘ちゃんは俺とイチャついてる時に外見る余裕があったんだ。そっかそっか、ふーん」
「……朝も地面が泥濘むほど濡れていたし、やっぱり激しい雨だったんだなって思ったりして、ね?」
 目を細める重盛から逃げるように真紘は視線を逸らした。
 昨晩の痴態を思い出し、顔に熱が集まってくる。
「ゴッ、ゴホン。まあ、それで犯人が誰かはまだ分からないけど、リンさんではないと思います」
「そんなわざとらしい咳払い初めて聞いたぞ。まあ、今はいい。なんで真っ赤っかオニーサンは違うって言えるの?」
「靴も綺麗なままだったし、もし彼が犯人だったら僕達に声を掛けてこないよ。鳥の獣人だから空を飛べて、足元が綺麗だったのかもしれないけど、僕達が異世界人って知ってる素振りだったし、それなら王と繋がってる人間に疑われるような真似しないと思うな……」
「えー怪しさプンプンだったじゃん。今日の重盛君の鼻は利かねぇけど、勘がそう言ってる。真っ赤っかオニーサンが快楽殺人のサイコキラーかもよ」
「そんなに悪い人には思えなかったけど、実際忠告してくれてたわけだし」
「そうだけど、それなら人が死んでるから行くなってシンプルに言ってくれてたら良かったんじゃね?」
「まあ、変な人ではあったから……」
 赤い男犯人説は堂々巡りだ。
 あの様子ではとっくに遠くへ行ってしまっている。探し人がいなかった上に、面倒事には巻き込まれたくないから炭鉱から足早に立ち去ったのだろう。
「とにかく、事情聴取で新しいことが判明するかもだよね。僕個人としても、どうしてこんな事件が起きたのか、バッシュフルさんの依頼の真意や、あのご遺体の違和感が何なのか知りたいんだ……」
「それは俺も。観光は急ぎじゃないし、落ち着いたら写真撮りに行こう。湖畔に佇む真紘ちゃん絶対綺麗だよ」
「本当に君はブレないね」
「いひひ、褒められた」
 子供のふりをして笑う重盛の顔に絆されて、湖に着いたら恥ずかしがらずにちゃんとカメラ目線で写真を撮られてやろうと真紘は思った。


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