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魔眼の子

40.誰の王子

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 屋敷に戻ったのは十八時を回った頃だった。
 重盛は一人、客室のベッドに寝そべっていた。
 今日の夕食はジョエルが担当するらしい。自分も手伝うと申し出たがやんわりと断られた。
 ジョエルについていくノエルを不思議に思い声をかけると、二人は祖父と孫で、普段から執事見習いとしてジョエルから色々学んでいるのだという。
 騎士のかたわら、執事見習いとしてタルハネイリッカ家の子供達の勉強を見ているらしい。
 心に引っかかっているのは真紘の態度だ。
 ハンナの外傷を治してからどこか様子がおかしい。
 白装束の女がハンナに飛び掛かった瞬間、重盛はイロナとリーリャを咄嗟に庇い、残りの男二人の動向を注視していたため、ハンナの瞳の色までは分からなかった。
 生気を失った者の瞳というものは、すぐに忘れられるものではない。
 やはり初めて人の死というものに触れ、落ち込んでいるのだろうか。
 だが、漠然とそれだけではないような気がした。
「真紘ちゃーん。そっち行ってもいーいー?」
 ひとり言は天井に当たってそのまま消えた。
 ただ落ち込んでいるならこのままいつものように部屋に突撃しても良いのだが、なんとなく今日はそっとしておこうと決めた。これは獣人としての野生の勘ではなく、ただの重盛の勘だ。

 暫くすると、部屋がコンコンコンとノックされた。
 ベッドから飛び降りて扉を開けると長女のルーミと、喪服から白いシャツに着替えた真紘が立っていた。リボンは胸元で揺れているが、緑色に変わっていた。
「まだ着替えてなかったの?」
「ちょっとウトウトしてた」
「もう、皺になるから早く着替えて」
「いやん、真紘ちゃん、レディの前で脱げだなんてそんな」
 真紘はジトっと目を細めた後「夕食ができるまでお嬢様と遊んでいるから三階の彼女の部屋に来るように」と言い残し、ルーミと手を繋いで去っていった。


 重盛は急いで着替えてルーミの部屋へ向かった。
 三階に着くと、それらしき部屋の扉には手作りの木製のドアプレートが掛けてあった。
 歪な文字でルーミと並んでいる。
 キラキラした緑の石は廊下の橙色の照明と混ざり、タルハネイリッカのシンボルカラーであるワインレッドのような色になっていた。
 ドアを開けると、白い絨毯に座っている真紘と目が合った。
 長い髪が絨毯と合わさり溶けているみたいだ。
「ちょっとぉ、ノックもなしに女の子の部屋に入ってくるんなんて失礼しちゃうわ!」
 真紘の頭に王冠を乗せながらルーミは口を尖らせた。
 どうやらおままごとをしていたらしい。
「思ったより早かったね」
「まあね。ところで何ごっこしてんの?」
 毛の長い絨毯に埋もれていたティアラを拾い上げると、ルーミは悲鳴のような声を上げて抗議した。
「それはルーミの! 真紘様とルーミは王子様とお姫様で夫婦になるの」
「え~。王子様なら俺でも良くない?」
「重盛様はわたし達夫婦のペットのフェンリルなのです!」
 頬を染めて身をくねらせるルーミ。
 ペットは嫌だと泣き真似をしたが、本当のペットよろしく髪の毛をわしゃわしゃと髪を撫でられるだけだった。
 そもそも自分は神話に登場する獣でも、フェンリルではなく妖狐なのだ。尻尾はまだ一本だけど、将来的にはふさふさ、モフモフになって真紘からモテモテの予定。
 しかし、六歳と言えど真紘を見る目は立派な恋する乙女だ。油断ならない。
 水面下で繰り広げられる六歳と十九歳の攻防に気付くことなく、真紘は興味深そうに王冠の細工を指でなぞっていた。
「ルーミさん、この宝石は本物?」
「そうよ! ティアラとお揃いのエメラルドなの。成人の日まで大事に使おうねって……。ママと……。ハンナが、ハンナが……。一緒に選んでくれたの」
 乳母が亡くなり、まだたったの一日だ。六歳の女の子にとって、とても受け止められる悲しみではない。ルーミの瞳はみるみるうちに潤み始め、やがて決壊した。
 真紘は涙を流すルーミを抱き上げ、膝に乗せた。
「泣かせてごめんね。それだけ君はハンナさんが大好きだったんだね。お母様とハンナさんの想いが詰まった王冠、とっても素敵だよ」
 重盛は、エメラルドにも負けない優艶な翡翠色の瞳に吸い込まれそうになった。
 真紘は昔から妹をこうやってあやしてきたのだろう。
 煌めく王冠を頭に乗せた王子ではあるが、表情は妹を想う兄そのものであった。
「そうでしょぉ、部屋のオモチャも全部、ハンナが選んでくれたの。わたしの好きな色にすれば間違えないねって」
 部屋の至る所に置かれている小物や、ベッドの天蓋も若葉を彷彿とさせる柔らかなグリーンだ。
 重盛は部屋を見渡すと、白い絨毯の上に腰を下ろした。
「だから部屋のプレートも、ティアラの宝石も緑色ってわけね。センスが光ってる、やるじゃんか」
「でしょぉ? ハンナとリーリャは何色が好きかなって話してたの。黄色と緑はもう決まってるから、青とか赤はどうかなぁ?」
「いいんじゃね? リーリャちゃんと話せる日が楽しみだな」
「うん!」
 笑顔の戻ったルーミに、真紘は言いたくなければ無理強いはしないのだけど、と前置きをして質問した。
「ルーミさんもハンナさんと馬車に乗っていて事故に遭ったと聞いたけど、どこか怪我はしていない? もし、痛いところがあれば、僕でもちょっとは治せると思うんだけど……」
 優しく諭すように言葉をかける真紘に重盛は賛同した。
「そそっ、真紘ちゃんなら捻挫とか、打撲も治せるぜ」
 うんうんと唸った後、ルーミは指を折り曲げて何やら考え出した。
「えっとね、何も覚えてないの、だから、痛くないの」
「そっか……。もし後から痛くなったり他にも痛い人がいたりしたら教えてね」
「うん、ありがとう真紘様! やっぱりルーミの王子様は真紘様しかいないわ」
 重盛は、膝に乗ったまま抱き着くルーミの背中に恨めしく「わおーん」と小さく吠えた。
 フェンリルの鳴き声ってこんな感じ?
 真紘に視線を送ると、彼は困ったように微笑むだけだった。
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